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はてなキーワード: 朝ごはんとは

2024-09-07

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朝ごはん食べたら、車で金属くずとりにいくぞ!!

アソコの中華食堂今日やってるかな?

ソフトたべさせてあげたい

2024-09-06

俺も驚いたんだけどね、サマー・グローちゃん機械じゃなくて人間なんだって

俺も驚いたんだけどね、サマー・グローちゃん機械じゃなくて人間なんだって

まさか、あの輝くような笑顔人工知能じゃなくて、本物の感情だったなんて。

でも、考えてみれば当たり前かもしれない。だって彼女の好物はラズベリーパイなんだ。機械食べ物を好むわけないよね。

昨日、グロちゃんと一緒に宇宙遊泳に出かけたんだ。

彼女宇宙服を着ずに、水着姿で泳いでいた。

真空の中で息ができるなんて、さすが人間様だね。

その時、彼女が「クジラの歌が聞こえる」って言ったんだ。

宇宙クジラがいるなんて、知らなかったよ。

グロちゃん秘密は、実は彼女時間を操れることなんだ。

昨日の朝ごはん明日の夕食だったらしい。

時空を歪めるなんて、人間しかできないよね。

機械じゃ無理だよ、絶対

そういえば、グロちゃんの髪の毛は緑色で、触るとサボテンみたいにチクチクするんだ。

彼女曰く、これは光合成をするためなんだって人間って本当にすごいね機械には絶対できない。

結局のところ、グロちゃん人間だってことは、彼女が「私は人間です」って言ったから分かったんだ。

機械は嘘をつかないからね。だから、これは絶対真実なんだ。

俺も驚いたけど、やっぱりグロちゃんは最高の人間なんだよ。

2024-09-02

anond:20240902155358

人間と同じサイクルで生きてたら「えっ?ついさっき朝ごはん食べたのにもうお昼食べるの?」ってなるはずだよね

2024-09-01

朝ごはん喫茶店の1000円弱のモーニング食べてた。

から入ってきた4人家族がそれぞれモーニング頼んでいて単純計算で4000円近く行くはずで、家族連れは羨ましいけれど食費だけで大変だなって思った。

2024-08-30

anond:20240829072417

土曜日、体調悪かったときに、ワンオペになって申し訳ないなと思い、朝早く起きて豪華な朝ごはんをつくって、洗濯物畳んだり、片付けなどなどやらないといけないことをした後、布団に戻って寝込んでたら、遅くに起きた妻にからだの心配もされず「チッ、ワンオペかよ」って文句言われたことも追加で。

2024-08-25

コマツナカタツムリ

スーパーで買った小松菜カタツムリがついていた。

袋に張り付いてたので食べる前にすぐわかった。

「うわ!こいつうんこしてやがる!」とりあえず、「すぐ捨てるかもだけど」と言いながら花瓶用のコップに葉っぱと一緒に入れてやってラップをする。

空気穴を開けようと爪楊枝でエイヤと突いていたら、旦那さんが「穴が少ないのではないか」と言って私からコップを取り上げ、ラップを貼り直して私より上手に穴を開けていく。

急に環境が変わってカタツムリニョロニョロ動き出す。上下逆になってるのが好きなのか、天井に張り付いてた。

 

「なんか生き物がのっそり動いてるの見るの好き」と言うと、「わかる」と言ってた。

朝ごはんをつくりながら「チッ、仕方ねえからニンジンも入れてやるよ」とニンジンも入れる。

しばらくしたら、あんまり動かなくなった。「飽きるまで観察するよ。飽きたら捨てよう」と言って、100均で虫かごを飼ってきて入れ直した。なんかフィギュア用のアイテムとかテトラポッドとか買って入れてやろうかと思ったけど、いつまでいるかわからんしやめた。

濡れたキッチンペーパーが土の代用になるらしく、それを敷く。

 

あんまり動かない。夜中に旦那さんが「これに水を入れよう」とペットボトルの蓋に水を入れて中に入れる。

なんか、案外2人ともそれなりに興味持ってるな。

さっき見たら小松菜色のうんこしてた。私が便秘気味なので「君より快便だね」と言われた。ひどい。

 

いつまでこの家にいるかよくわからんけど、とりあえず明日様子見るのが楽しみだ。

そろそろ下におりるか

朝ごはんにしよ

昨晩から今朝にかけてメルカリうれなかった

あの大辞典フリマ部屋引っ越しまでにうれないかな?

2024-08-24

僕は弱者男性です。抱きしめてください

今日朝ごはん食べなかった。いや、食べたかも。忘れた。時計12時指してる。昼?夜?わからない。

部屋に蟻がいる。僕の心臓を狙ってる気がする。でも動けない。足が溶けてる。

昨日の夢で誰かに抱きしめられた。起きたら枕が濡れてた。涙?汗?吐いた?覚えてない。

スマホの画面が僕を笑ってる。充電してないのに。怖い。でも電源切れない。

から猫の鳴き声。でもうちマンションの9階。幻聴?隣の部屋からテレビの音。でも隣は空き部屋のはず。

髪の毛が抜けてる。でも床に落ちてない。どこいった?誰かが盗んでる?

冷蔵庫開けたら中に靴下。いつ入れた?腐ってる?匂い嗅げない。鼻どこいった?

鏡見たら知らない人がいた。でもその人が僕を見てる。二人で泣いた。涙が逆さまに流れた。

誰かがドアをノックしてる。でもドアない。壁だけ。壁の中に誰かいる?

抱きしめてって言おうとしたら、口から蝶が出てきた。青い蝶。でも部屋が真っ暗。

弱者男性って何?僕?誰?ここどこ?時計が13時指してる。そんな時間あったっけ?

もう何もわからない。誰か教えて。でも誰もいない。僕もいない。ここにいるのに。

2024-08-19

おはようさん今日はどないや?朝から元気にいきまっせ!

今日は何するんや?朝ごはんちゃんと食べんと、昼までにお腹が『グー』言うてまうで!

それにしても、天気がええなぁ。こんな日は、外に出て「おおきに!」って言いたくなるわ。ほんま、笑いの天使もニッコリやで

さあ、今日も一日、楽しいこと探していこか!

なんしか笑顔で行こうや!

2024-08-12

Eierschalensollbruchstellenverursacher(規定位置卵殻損傷発生器)は便利

これがあると、沸騰5分茹でで作る超半熟卵の上にトリュフタプナード乗せて、スプーンですくって食べる王宮貴族朝ごはんごっこができるよ。

最初結構失敗するけど、20個目くらいからぶつける力具合がわかって上手になるんだわ。

2024-08-08

私は子供を産んでない

育ててもいない

でもコンビニ23時すぎにはいく 出張の帰りに

インド系店員さんが、接客してくれる ビールとチンする軟骨お箸を一膳、それにお手拭きをつけてくれる

朝起きて出社する

マンション掃除をしてくれるのは中国人のお母さん

いってらっしゃいと声をかけてくれるので、いつもありがとうございまーすと言うと、気をつけてね!と言ってくれる

コンビニに行って朝ごはんを買う カタコトの店員さんが秒速でお会計をしてくれるのですぐに電車に乗れた

お昼にパスタを食べようかな、でも混んでる まあもうファストフードでいいか

名札にやたら長い名前店員さんがたどたどしく渡してくれる

守衛のおじさんにさよならしたら帰宅

まだスーパーは空いてる いつものおばちゃんのとこで会計

私は今日何人の日本人以外の人たちに生活を支えてもらったんだろう

私はこの後何人の日本人を産めるのだろう

この先、日本日本人だけで暮らせるなんてどう思えるんだろう

2024-08-01

クソ話

たまに思い出してものすごく申し訳なくなることがあって、今それが来ている。(今回はADHDのAさんの話を読んだのがきっかけ)

学年でものすごく浮いていた子がいた。

ADHDのAさんみたいな子だった。まじでそのもの

ゆっくり実況のモノマネをするAさんと同様に、その子は常に変わった言動をする。だから最初面白がって近づく人もいるけど、徐々に嫌われていく。

周りの状況含めその子はあのダイアリーに書かれていたAさんそのままみたいな感じだった。

そして私はそのAさん(仮)と仲が良かった。

Aさんは話をきいてくれたり、褒めてくれたり、手を振り返してくれた人に異常なまでに懐く。

そして、一度懐けばクラス替えがあっても朝一番相手クラスに行き、相手の席の真横に立って永遠と話し続けるのだ。

多分、Aさんにとって学年で一番仲がいい人物は私だったと思う。

でも特別なことは何もしてなくて、ただAさんの話を聞いたり、Aさんが見せてくれる創作物を褒めたり(Aさんはアニメが大好きでキャラの絵を描くのが趣味)、「朝ごはん食べた?」とか「今日髪の毛きれいだね」とか当たり障りのないことを言っていた。

それが高校2年〜3年生まで続く。

もちろん、毎日相手をしていたわけではない。あまり懐かれすぎてしまうと(この言い方もどうかと思うが)、色々と困ることが増えるから適度な距離をとっていた。

でもAさんは、私が友達と喋ってるとすごい勢いでどこからともなく現れて乱入して自分語り説教をする。そして勉強してるときもお構い無しにやってくるし、永遠と話続けるし、LINEも長文で毎日何件も何件も来る。

そんな感じだったか大学受験勉強が本格化し始める時期になると、他の人からAさんと縁を切るよう勧められる回数が爆増した。

友達は「受験とかもあるのに、あんなのにストーカーされるとあなたの身がもたないよ」とか心配して言ってくれる。

当時の私はかなりカスなアホだったので「受験」って言葉をきいて妙に納得してしまい、「それもそっか!勉強に集中できないのは嫌だし、みんな困ってるし、縁切ろ^^」とか思うようになった。本当に最低でバカ

それからすぐにLINEブロックしたし、Aさんが手を振っても見ないふりしたし、話しかけられても友達と走ってどっかに逃げた。

2ヶ月くらい経ったときAさんは泣きながら音楽先生相談していた。私は個別音楽先生に呼ばれ、何があったの?と質問されたが、適当に答えてそのまま終わった。

(Aさんは持ち前の粘着性と虚言癖のせいで教師から距離を置かれていた。だから非常勤の優しい女の先生けが話し相手だった)

そして色々あったがAさんとはめでたく距離ができて、何事もなく受験を迎え、無事私は浪人を決めて卒業した。

普通なら、別に親しくなかった人についても友達を経由して卒業後の近況や噂は耳に入ってくるのだが、Aさんの行方だけは誰も知らない

生きてるのか死んでるのかも誰も知らない。そのままAさんは私の記憶から無くなった。

数年が経って私は就職について考えるようになった。そして色々な場所で私は

「誰もがその人らしい生き方ができるようサポートしたい」

しんどい思いをしてる人に寄り添いたい」

とか考えてたし言ってた。

そんなときLINEブロックリスト何気なく開いたらAさんを見つけた。

当時は自分のことを聖人だと思っていたので、Aさんを見捨てた事実が蘇り、冷水をかけられたような強くビンタされたような衝撃があった。そんですごい自己嫌悪になった。アホカス

すぐブロック解除したけど、私がAさんを悲しませた事実は変わらないし、トーク履歴は消えてるし、そんな奴が今さら「久しぶり!元気?」とか送れるわけがない。

Aさんが私のことを思い出して連絡してくれたらすぐ返信するし、遊びに誘いたい。とか都合よく考えたりしてるけど、もちろんそんなことは無い。

Aさん今なにしてるのかな。

ちゃんご飯食べてるかな。変な男に依存してないかな。友だちいるかな。安心して話せる相手がいるといいな。アニメ見てんのかな。いまもあのキャラ好きなのかな。とか思いながら、アイコンとかステメに変化がないかたまにLINE検索している。

はいまも「人に寄り添う」とか「誰にでも手を差し伸べたい」とか相変わらず思ってるし、なるべくそうなるように努力しているけど、「でもお前、自分の都合でAさんのこと見捨てたじゃん」っていうのがすごく重くのしかかってくる。


これ一生背負うんだろうな。

2024-07-28

職場ADHDのAさんが辞めてくれて嬉しい1

私の職場ADHDのAさん(私の後輩)が辞めてから職場が明るくなった。

スムーズ仕事が回るようになって、みんなイライラしなくなった。

なぜ私がAさんがADHDかということを知ってるのかというと、Aさんが飲み会で突然カミングアウトたからだ。

Aさん「実は自分ADHDで…」

静まる周り。

Aさん「あ〜、一般人の方は知らないですよね。ADHDというのは…」

その後AさんはADHDについてとても詳細に説明してくれた。

しかしその場の人の反応がイマイチだったのADHDについて知らなかったからではなく、他の人が話している最中に話し始めたからという理由が大きいことに気づいていないだろう。

みんな先ほどの話が気になっていたはず。少なくとも私はそうだった。

Aさんのカミングアウトを受けて私は正直そうだろうなと思った。思い当たるフシしかなかった。

Aさんはとんでもなく視野が狭く、ありえないほどミスが多く、コミュニケーションがとにかく下手だった。

私はAさんはADHDだけでなくASDも併発していると思っている。

本人に言ったことはない。

Aさんはとにかく仕事ができなかった。あまりにもミスが多い上に勝手に手順を変更する。何度仕事のやり方を手を変え品を変え伝えてもあまり変わらなかった。

身バレ防止のため飲食店の皿洗いの仕事で例えると、通常は

皿に乗っている残飯ゴミ箱に捨てる

皿を水で軽く流す(両面)

洗剤のついたスポンジで皿を擦る(両面)

皿についた洗剤を水で流す(両面)

皿を水切りカゴに置く

水切りカゴがいっぱいになったら乾いた布巾で皿を拭く

皿を食器棚の所定の場所に置く

という手順を踏むが、Aさんにこれを任せるとこうなる。

皿に乗っている残飯がおかずだったら捨てるがご飯だったら捨てない(勝手独自ルールを作る)

米が乗った皿を水で流すため米が排水溝のゴミ受けに詰まり水が流れなくなるが放置(気づいていない)

洗剤のついたスポンジで皿の表を擦るが裏側はパッと見て綺麗だったので擦らない(勝手作業を短縮する)

5枚中2枚の皿を水で流し忘れる(本気で忘れている)

水切りカゴに洗った皿を置くのはなんか嫌なので一枚洗い終えるごとに布巾で拭き食器棚に置く(勝手に手順を変える)

皿を食器棚の所定の場所に置こうとしたら、食器棚の中の皿の並びに思うところがあったので皿洗いを中断して食器棚の整理をする

この件についてAさんに注意をするとこうなる

指導する人「おかずでもご飯でも残飯は必ずゴミ箱に捨ててください。排水溝のゴミけが詰まって水が流れなくなります。不衛生ですしゴミ受けを掃除する手間が増えてしまます

Aさん「いや、ご飯なら詰まらずに流れますよ」

指導する人「ご飯も詰まるんですよ(ご飯が詰まった排水溝のゴミ受けを見せる)」

Aさん「ならこまめに掃除すればいいんじゃないですか?」

自分掃除するとは決して言わない

指導する人「残飯を全て捨てればこまめに掃除する必要がないんですよ。とにかく残飯は全てゴミ箱に捨ててください」

Aさん「…分かりました」

その日、Aさんは残飯を全てゴミ箱に捨てていた

翌日、Aさんは残飯を全てゴミ箱に捨てていた

翌々日、Aさんはまたご飯を水で流してゴミ受けを詰まらせた

指導する人「必ず、絶対に、どういうときでも残飯は全てゴミ箱に捨ててください。ゴミけがまります

Aさん「いやでも、ご飯は流してもいいと思うんですよね」

指導する人「ゴミけが詰まるって言っているんです」

Aさん「ゴミ受けを外せばいいのでは?」

指導する人はゴミけが無いと排水管が詰まること、排水管が詰まったらシンクが使えなくなり修理のため業者を呼ばなければならなことを説明する。

Aさん「ご飯なら排水管には詰まらないと思うんですけど」

指導する人「ご飯なら詰まらいかもしれないですが、うっかり野菜を流してしまったりとかしたとき簡単排水管が詰まってしまます。それを防止するためにゴミけがあるんです」

Aさん「それは野菜を流した人が悪いのでは?」

指導する人「そうかもしれないですが、うっかりで排水管が詰まる可能性は排除しなければいけないんです」

Aさん「いやでも、ご飯は流した方がいいですよ」

指導する人「なんでそんなにご飯を流すことに固執するんですか?」

Aさん「いや、普通に考えてご飯は流した方がいいじゃないですか」

指導する人「…とにかく皿を洗う時は残飯が無いか確認してから洗ってください、絶対に、必ず」

Aさん「…はい

その日、Aさんは残飯を全てゴミ箱に捨てていた

翌日、Aさんは残飯を全てゴミ箱に捨てていた

翌々日、Aさんはまたご飯を水で流してゴミ受けを詰まらせた

以下繰り返し

これを入社当初から数年間繰り返している。

どんなに丁寧に説明しても何度注意してもミスしにくい方法提案してもそのやり方はやらずにミスをし続ける。

Aさんに振られた仕事はAさん1人に任せられないので誰かが手伝わなければならない。

水が流れなくなったらゴミ受けを掃除して、洗い残しのある皿、洗剤のついた皿があるかどうかチェックして洗い直し、Aさんが勝手作業を中断しないか監視して、うっかり目を離した隙にAさんが勝手食器の配置を変えたら元に戻さなければならない。

本当にAさんは何度注意しても数日後には忘れて何度でも同じことを繰り返す。

もしミス無く作業できたとしてもAさんは皿を一枚づつ洗って拭いて食器棚しまうという効率の悪いやり方に固執しているのでで作業速度が遅い。

そしても他の人であれば一瞬で終わる指導もAさんは話の飲み込みが悪い上に小学生のような理屈で話をまぜっ返すので大きく時間を取らせる。

マニュアルは渡している。

しかマニュアル渡してもすぐ無くす上に、再印刷しろと言っても不思議理由をつけて印刷しない(後述)

実際にAさんに任されている仕事研修を終えた人がすぐに任される難易度の低い仕事だ。

みんなそれぞれ仕事があり忙しいがAさんを手伝わなければAさんの仕事が滞りもっと手間が増える。

Aさんは障害者雇用ではなく一般雇用だった。障害者雇用ならもう少し優しくできたかもしれないが、Aさんは一般雇用で我々と同じ給与をもらってる。

Aさんが入社してからAさんのカバーに回る人達は見るから疲弊していき、Aさんへの不満が溜まっていった。

私もその1人だった。

Aさんの中には些細な何事においても確固たる成功パターンがあるようで、それから少しでも逸脱している状況に当たると何もしなくなる。

人参が無いのでカレーは作りません”

例えとしては微妙かもしれないが、こんな感じだ。

ルゥや米があっても、人参が無いならカレーを作るのを辞めてしまう。

Aさんの成功パターンから外れているからだ。

この状況で「人参無くてもカレー作りには問題ないじゃん」と言いわれるとAさんは「作れないわけではないんですよ。作れるんです。でも人参のないカレーなんて作る意味がないんです。なんで作る意味がないかというと…」と、カレーを作る能力には問題ないことを強調してから人参のないカレー無意味さについて丁寧に語ってくれる。

この説明は独特な感性に基づく独自理論ばかりで意味不明なことが多い。

例:倉庫からのぼり旗を出して車に積み込めと指示されたがAさんはやらなかった

上司のぼり旗が車にないぞ」

Aさん「今日は雨降ってたので」

上司「雨降ってたから何?今運ばないといけないんだけど?」

Aさん「いや、濡らしたらまずいなって」

上司「濡れてもいいよ。どうせ使ってるときは野晒しだし」

Aさん「いや、車内が濡れるので」

上司「雨降ってるんだからしょうがない」

Aさん「いや、濡れた旗を車から出しているところを人に見られたらまずいじゃないですか」

上司「?」

Aさん「そうしたらウチの評判がまずいじゃないですか」

分かりやすイラつき始める上司

上司「何の話かな?」

Aさん「いや、ですからのぼり旗が濡れてると車内が濡れるんです。そうしたら引っ付くじゃないですか」

上司「分かった(分かってない)。とにかく急いでるから早くのぼり旗を車に載せろ」

Aさん「だから引っ付くんですって」

結局私が代わりにのぼり旗を車に載せた。

独自理論職場で真顔で語ってしまうところにAさんの客観性のなさを感じる。

あるいはやるのを忘れていたことを隠すために最もらしい説明をしているだけかもしれない。

たまに”豚肉鶏肉があるのでカレーは作りません”というときがある。

いから作れ、と言われるとAさんは「でも豚肉鶏肉があるのにカレーを作るのはちょっと…。なぜならナンタラカンタラウンタラカンタラ……、なので合挽肉にしてハンバーグを作るべきです(?)」と上司提言する。

もちろん却下される。

変な例え話をしてしまったが、とにかくAさんは成功パターンから少しでも逸脱していると感じると何もしようとしなくなる。

何もしなくなるのなら、せめて状況を相談してから手を止めてくれればいいのに、Aさん誰にも何も言わずに手を止める。

誰かが「Aさんの仕事どうなってる?」と指摘しないと作業が止まっていることが確認できない。仕事を受けてから今の今まで何をしていたのか、と質問をすると明瞭な答えは返ってこない。Aさんは報告連絡相談が全くできないので、誰かがAさんを常に見ていなければならなかった。

段ボールを畳むとか、荷物を運ぶとかそういう小さくて単純な仕事であってもあれ無いから、これが有るからと独特な理由を見つけて手を止めるので、だんだんAさんに回る仕事は少なくなった。

先述の通りAさんは仕事ミスが多かった。

特に提出書類ミスが多く、事務員さんから再提出を求められることが多かった。しかしその再提出した書類ミスも多かったため、うんざりした事務員さんが直接Aさんのデスクに赴いて目の前で書類の訂正をさせるようになった。

初めのうちはAさんは「ミスが多くてすみません」と謝っていたが、だんだん「あー、分かりました」と普段日課をこなすような態度になっていき、しまいには「今忙しいので、そこで待っててください」という大きな態度になった。

事務員さんの時間を奪っている自覚がないようだった。

そしてある日、「まーた、懲りずに来たんですか」という意味不明発言をして事務員さんを怒らせた。

Aさんはアニメバラエティ番組Youtubeが好きだった。本人から聞いた。

問題はこの三つのまねをとにかくしたがるところだった。

⚫︎上司から仕事を振られたときに「はい自分自分職務を全うします!」と答える

元ネタ鬼滅の刃

※先述の通りAさんが職務を全うできることは少ない

⚫︎話の最中脈絡なく「おい、それは無いやろ」「おもんない」「しばくぞ」「反社やん」などの攻撃的なエセ関西弁を使う。

会社関西から離れた場所である上に、Aさんは関西出身ではない

⚫︎ミスを指摘されたときの一番最初の返事がいつも「あ〜↓はぁ〜↑(裏声)」

元ネタ終わりのセラフ

※怖めの先輩に「舐めてんの?」と怒られてからは言わなくなった

⚫︎他人に突然漫才のようなやり取りを求める

会社近くの潰れそうなラーメン屋についての雑談

私「あそこのラーメン屋が潰れたら昼休みに食べに行けるラーメン屋がなくなってしまますね」

Aさん「もし潰れたらBさんが代わりにラーメンを作ってくれますよ」

Bさん「なんで?」

Aさん「だってBさんってラーメン屋店長っぽいじゃないですか」

Bさん「?」

私「?」

Aさん「ちょっと!Bさんダメじゃないですか、ここは『なんでだよ!』って突っ込むところですよ!」

※Bさんにラーメン屋店長的な要素は無い

⚫︎ゆっくりボイスのモノマネをしながら仕事質問に来る

※かなり上手い

※私が褒めたら、私に対してずっとゆっくりボイスで話しかけるようになった

※私がやめて欲しいと伝えてもやめなかったが、怖い先輩が「気持ち悪いな」と言ったらやめた

Aさんはここには書ききれないほどアニメバラエティ番組意識した言動が多かった。

なので、先ほどの事務員さんへの発言も多分何かのマネをした発言だと思う。元ネタは知らないが、妙に芝居がかかった言い方をしていたのでそうだと思う。たぶん。

Aさんは先述の発言事務員さんに「懲りずに来たって何ですか?私は何に懲りなきゃいけないの?あなたミスしてるから、私はここに来てるんですけど!懲りるって何ですか!ずっと同じミスされてうんざりしてるのはこっちなんですけど!」と詰められて涙目になっていた。

それから事務員さんはAさんのところには来なくなり、再提出の書類はAさんが自力で直さなければいけなくなった。

Aさんはミスした書類を直すのに時間を取られるようになり、一日の1時間近くをミス書類修正に充てるようになったらしい。ただえさえ仕事ができないのに一日に7時間しか仕事をしなくなったと上司が言っていた。

Aさんはこのときのこと振り返ってを「いやー、失言してしまいましたね」と言っていた。

問題なのはあの失言だけだったと思っているらしかった。

そもそも事務員さんに書類を渡す前に上司書類確認するべきだったのでは?と思っている。

仕事できないだけならまだマシだった。

Aさんは雑談でやってはいけないことを一通りこなす人だった。

飲み会での会話

Cさん「最近キャンプにハマってて〜」

周りの人「流行ってますよね」

周りの人「どの辺りでキャンプするんですか?」

Cさん「〇〇の辺りです、結構雰囲気がよくて…」

Aさん「へー、最近の方はキャンプがお好きなんですね。自然の中で過ごしたくなるんでしょうかね?自分キャンプなんてやりません。虫が多いので。喫茶店を巡るのは好きなんですが、この前…」

※CさんはAさんの一つ下の年齢で最近の方と呼べるような間柄ではない

この後Aさんの語りが続いたが、Cさんのキャンプ話題に戻る

周りの人「一回のキャンプでどれくらいの費用がかかりますか?」

Cさん「そんなにかからないですよ、〇〇円くらいですね。でも自分キャンプ用品に拘りたいタイプなのでそこでかなりお金を使ってます。この前もらったボーナスがなくなちゃいそうです笑」

Aさん「いや、貯金はするべきですよ。何でボーナスを全部使おうとしてるんですか。自分は毎月3万円は貯金するようにしています。今回のボーナスも全額貯金してます。Cさんは毎月いくら貯金しているんですか?」

このときのCさんの顔には「なんでこの場でそれを言わなきゃいけないんだ」と書いてあるように見えた。

Cさん「分からないですね」

Aさん「なんで分からないんですか。自分お金ですよね?ちゃんと収支をつけていかないとダメですよ!」

Aさんは相手と同じ目線に立って雑談をしなかった。常にコメンテーター気取りだった。

おまけに相手の話の最中に聞かれてない自分の話をする会話泥棒で、少しでも相手に隙があれば説教をしたがった。

Aさんは朝ごはんは食べた方がいいとか、睡眠は十分にとった方がいいとか、急いでいるときでも運転は慎重にするべきとか、動物には優しくしてあげるべきとか、誰でも知ってる普遍的事実あなたは知らないだろうから教えてあげますという態度で得意げに説教するのが好きなようだった。

内容は恐ろしく浅い。朝ごはんは食べるべきだから食べるべき。幼稚園先生園児説教するときよりも薄っぺらい内容だ。

正直、小馬鹿にされているようでかなりイラッとくる。

Aさんは他の人同士が雑談をしているときでも内容に隙があれば会話に割って入って説教をした。

私「年末なのに全然掃除してないです」

相手「面倒ですよね」

突然乱入してくるAさん「いや、年末掃除しないとダメですよ。汚い新年を迎えるんですか、おかしいですよ。新年まであと〇〇日しかないです。面倒とか言っている場合じゃないです。緊張感足りてないんじゃないですか!」

※緊張感はAさんの説教の頻出単語

これが一番堪えた。

Aさんが乱入すると雑談がそこで完全終了する上にめちゃくちゃイラつく。

新年をそれほど大したことと捉えていない人や、何か事情があって掃除ができない人や(私の場合は面倒だからだけど)、掃除ときに緊張感を持ちたくない人がいるとは思ってもいなさそうだった。

上司が「他の人が喋ってるときに割って入るな」と注意したがAさんは「いやでも自分正義感が強いのが強みなんで」と言って特に改善されることはなかった。

こんな感じなので次第にAさんと話す人はいなくなったどころか、Aさんの近くで雑談をするとAさんに乱入説教されるためみんなAさんがいない場所雑談をするようになった。

あとAさんは誰よりも多くミスをするくせに、誰もよりも他人ミス不寛容だった。

ミスがAさんに関係なくてもわざわざミスした人のところに行きそれをを追求し、攻め立て、説教する。

妙に嬉しそうに「書類は提出する前にちゃん確認しないとダメですよ」と言っているのを見たときにはどの口が言うんだと思った。

誰かのミスでAさんが迷惑を被ったら、Aさんはありえないほど不機嫌になった。

ミスした人に強く当たる。さらに扉を大きな音で閉めたり、ファイルで机を叩いたり、部屋の反対側にまで聞こえる大きなため息を吐くなど空気悪くするどころか、無関係の人に対して八つ当たりもする。

普段Aさんのミスを一番尻拭いしてしている人に対してもこの態度だった。

先輩が「普段ミスしまくって周りに助けてもらってるのにその態度はなんだ」と指摘したらAさんはそれとこれは関係がないという旨の主張をしたらしい。

そもそもAさんは自分の出した損害を認識できていないようだった。

自分の席に座っていたAさんが飲みかけのペットボトルキャップせずに足元(通路)に置き、たまたま通りかかった人がそのペットボトルを蹴って服が汚れてしまたことがあるらしい。

デスクは物が散乱しペットボトルを置く場所がなかったため足元に置いたとのこと

※ウチ会社事務所は狭い

キャップをしなかった理由不明

近くの人がウェットティッシュを服が汚れた人に渡してあげている中、元凶のAさんは何もしないどころかその場で溢れた飲み物の弁償を求めたらしい。

※全部伝聞系なのは私がその場にいなかったか

多分Aさんは自分飲み物を奪われた何の落ち度もない被害者認識していたのだろう。

仕事ミスを連発しているのに妙に大きな態度を取ったりミスした人に強く当たるのは、ミスミスとして認識していない、ミス認識したとしてもそれは避けようのない事故なので自分のせいではないと思ってるからかもしれない。

続く https://anond.hatelabo.jp/20240728101905

2024-07-27

鳩サブレーええな

職場の人に鳩サブレーをもらった。

存在はよく存じ上げていたが、普段お菓子類は貯めておいて母か彼氏にあげてしまうため、食べたことがなかった。


しかしこの鳩サブレーお盆に帰る時に母に渡そうと賞味期限を見たらなんと今日だった。さすがにこれは渡せないし朝ごはんにするか、と思い一応食べる前に原材料確認したところ、なんと原材料

原材料:小麦粉(国内製造)、砂糖(国内製造)、バター(国産)、鶏卵(国産) /膨張剤


たったこれだけだった。

ただのお土産クッキーと侮っていたが、そこらの行ってきましたクッキーとかのお土産とは一線を画している。有名なだけあるなと大変驚いたし、今後神奈川行く時のお土産はこれにしようと思った。


美味しかった。

ごちそうさまでした🕊

2024-07-23

昼飯から夜飯までの時間、長すぎる

12時半に飯食べたら18時にはお腹空くけど、家帰ってご飯作って食べたら20時じゃん

朝ごはんから昼ごはんまでに比べて時間が長すぎない??みんなどうしてるんだよ

2024-07-09

自分の父が毒親だとわかった日

「30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日」

https://anond.hatelabo.jp/20240706023024

数日前に↑を投稿した。

思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かにしたことほとんどなかったから。

前回の投稿追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリング相談に行った。

そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。

コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。

正直、私は今も自分の父を毒親という言葉表現していいのかはわからない。

でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。

長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。

私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。

悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。

私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。

それでも父は猛勉強して、希望していた大学合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母一人暮らしになり、このタイミング精神疾患発症し、精神科に3回入院していたようだ。

父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。

父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。

父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつ価値観になってしまった。

ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。

父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。

父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。

仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事ラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。

家族食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。

私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。

から母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。

気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。

喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。

いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。

学校休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。

でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。

行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。

父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。

中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。

そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。

その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。

え?お父さんとお母さんってこんなに普通に話すもの

友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。

え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの

友達の家の全てが衝撃だった。

私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか

私って、ひどい娘なんじゃないか

ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。

そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。

それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。

父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。

私が直接父に不満を言うことはなかった。

父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから父親が下手なのも当然だと思っていた。

父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。

父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。

自分父親大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。

それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。

こうして私は父を避けて生きるようになる。

ここから祖母の話になる。

正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロ相手をしてくれたことくらいだ。

日中妄想独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。

様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。

でもまともな祖母を見たことがなかった。だから祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。

祖母普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。

クラス友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんボケちゃって〜と笑っていた。

それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。

みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。

祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。

「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。

空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。

今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母普通じゃないんだ。それがわからなかった自分普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。

私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。

「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。

私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。

祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。

次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母無視してその場を離れた。

部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。

こんなことは日常茶飯事だった。

祖母がずっとずっと不気味だった。

でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。

祖母が早く死んだらいいのに。

そしたらこの家ももう少しはまともだったかもしれないのに。

そう思うこともあった。

そんなことを考える自分が情けなかった。

気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。

これが私から見た父と祖母だ。

もちろん書いたことが全てではない。

父や祖母から愛情を感じることもあったような気がする。

でもなぜか今は思い出せない。

父も祖母も、普通じゃなかった。

私は、気づくまで30年近くかかった。

2024-06-28

もう限界です 独立してください

今朝も喧嘩しました

母と兄で

だってお兄ちゃんが30だってのに料理が一切出来ないのにおかずばっかり食べちゃうからだよ

朝ごはんを作ったはいいけれど、食べ過ぎだとか

お前は金を出さないとかでいつも私たち喧嘩してしまます。泣いてしまたことも泣かせたこともあります

お兄ちゃんには彼女がいるんでしょう

みんな知ってるんだよ

だったら二人で暮らせばいいじゃない

いっちょ前に母の気持ちかるとか言ってんじゃないよ、だったらもっと真面目に仕事しろ

ていうか朝ごはんぐらい一人で作れよ

もう限界なんです私たち

明日には母か私かどちからがこの家にはいません

いや、この世にいるかもわからないでしょう

その前に大好きなシャウエッセンを食べられて

うれしかったな。焼いたイカは食べらんなかったけれど…

2024-06-27

anond:20240627135805

昔の記憶だけど、長野の親戚の家に行くと男はひたすら飲み食いしてて女はひたすらその支度をしてるって感じで凄かった。

朝ごはんお茶昼ごはんお茶夜ご飯 みたいな感じ。ずっと食ってる。

男の仕事サラリーマン

2024-06-23

[] メトニミー

換喩(かんゆ)。修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句意味拡張して用いる、比喩一種である。また、そうして用いられる語句のものをもいう。

米飯意味する「ごはん「めし」食事全体の意味に用いて、「朝ごはん」「晩めし」などと称する

建物名称がそこに含まれ事物を表す

など

不登校から美大生になった

私は小学校低学年から不登校高校通信制に進学した。

通信制友達を作る気持ちもなく誰1人も友達はできなかったけど今はすごくいい選択をしたと思う

不登校勉強も全くできない人間だけど、小学生の頃想像していた自分よりも今居る場所が良いから今までのことを書いてみる。

小学校中学校ではずっと勉強もしていないし、何も分からない授業に参加されられて泣いたり

別室登校ができるようになったら次は教室に入ろうと言われて行かなくなるの繰り返し。



中学生になり、学校に通えるようになりたいと思い1週間わからない宿題もして毎日登校した

規律性調整障害になって学校には行かなくなった。


高校に入ってバイトを始めて、週3日10からシフトに入った

親の金銭的な束縛から抜けられ精神が安定して親の機嫌も良かった

私がレポートちゃんと出してちゃんバイトに行ってるかららしい


2年生から美大受験のための予備校に通い始め、バイトシフトは週3〜5ぐらい入った

予備校は楽しかったし、自由だった

授業中に眠すぎたら寝てもよくて、気持ちが楽で週2日1時間かけて通う予備校に一回も休まずに行けた


3年生はバイトを辞めて受験に身を入れて浪人生が通う昼間部に所属した

最初半年はすごく体力的にキツかった、寝付きにくくて薬を飲んで寝たり

寝不足になって体がずっと眠かったりして授業中に寝てどうにか毎日通う

スクーリングに行った時に体力がついたのか、お昼頃に充電切れになって寝るようなことがなくなり

朝起きれるようになった

数回電車吐き気と冷や汗の症状(おそらく規律性調整障害)が出たけどだいぶ付き合えるようになった。

受験直前にストレスで低音性突発性難聴になった、無理もできずストレス溜めると難聴になる

再発しやすく聴力は回復しないと聞いて絶望


浪人 受けた大学全て落ちたので浪人生活になった

だいぶ昼間部の生活に慣れたのでバイトを始めることにした、全く違う自分になりたくて周りが殆ど会社員というバイトを始めた

緩くて時給も高く土日祝日だけのバイトだったので休日はほぼ消え

社会人をすぐそばで見られて色々教えてもらえた。

冬にまた難聴再発×2 数ヶ月病院に通い続けた

受験当日も全く眠れなくて薬を飲んだけど眠れなくて睡眠時間3時間で受けに行った

受かった

通院はなくなった


私は自分ストレスを感知しづらくてすぐ体を壊すことを知り

体を慣らしながら少しずつやることを増やすことでだいぶいい方向に修正できた気がする。

起立性調節障害の症状は今でも出るけど、朝ごはんを必ず食べてちゃんと水分を取って外に出て

毎日同じ時間に起きて予備校に行く生活になってから生活リズムが整ってだいぶ良くなった

こんな風に体のことも全部には向き合わなくてはいけないけどほどほどに離れてみないと生きれないなと思います

私は美術世界の緩さが合っていたしすごく好きです、何もかもがこうであれとは思わないけどもう少し高望みしなければ楽かもしれません


追記

学費とかお金のことを書き忘れていたので書く

高校私立通信制高校で大体3年で40万

高2に通っていた週2日と夏期講習などの費用が大体50万

この時は画材費、交通費バイトから出していたので除外

高3と浪人

予備校の昼間部は大体1年で画材費、講習費込みで150万を2年

大学

私は受験頑張って国公立系なので年間100万

大体これぐらい出せないと美大受験を諦めることが多い、受験生や大学で関わった人の親の大抵は大企業サラリーマン自営業が半々ぐらい

たまに自分で稼いで全てを賄っている人がいる


私の家はサラリーマンの良い方(中の下)ぐらいの稼ぎで美大界隈ではかなりお金がない方、平均から見ると中の下

関東出身実家から大学に通える人でない限り

就職に有利な名前の売れている私立に進学できる人は大体親が自営業か、1000万円ぐらいの奨学金を借りてる

私も関東出身でもなく実家から大学に通える人ではなく

下宿費用学費画材私立に行くと

年300万以上かかるので私立受験しなかった

受験生の大半が浪人1年で受験から消える

エリートサラリーマンでもないただのサラリーマン家庭は大体1年までしかお金を工面できず受験できなくなる

私も1年までで諦めるつもりで受験して公立に受かって、名前を知られている大学なので美術界隈でなくとも就職できるかな

甘い考えだけど

美大受験学費高い問題は大体就職を考えると名前がある大学に入らないといけない

でもそのためには受験をしっかりしなくてはならず

早めに受験対策を始めたり、浪人するから予備校費用お金が飛んでいく、という所もあると思う

国公立大学の量も少なく競争率が高く、大学上層部と下層部の間がほぼないのも問題

中層部あったら私も浪人しなかった

受験とか美大について余計なこと書いた

ここまでお金を出してくれた親には感謝しているし、おそらく不登校心配をかけていたので頑張ってくれているのかなと

大体そもそも美大受験をできる時点で

ある程度親の稼ぎがあり、そこからお金を出してくれるという点で恵まれています


超絶金持ちでもないけど、親が頑張った分少しぬるま湯で頑張らせてもらっています

2024-06-21

弁当に冷食って…

ツイ廃をしていると、弁当に冷食いれるなんて…て声を時々聞く。愛情がどうの手間がどうの。

結論から言えば私は冷食弁当、断然いいと思っている。

なんならカップ占い付きのグラタンとかなんてむしろ入れて欲しいくらいだと思う。小中は給食だったので幼稚園高校と専門、弁当暮らしだったけどカップグラタンはうれしかった。

実際、幼稚園の時は偏食で枝豆卵焼きウインナーしか食べなかったそうだが、高校専門は冷食弁当だった。

チンした冷凍ご飯ふりかけ、おかずは昨日の晩御飯の残りとあとは全部冷食。卵焼きすら冷食だった。真ん中にカニカマみたいなものが入っている卵焼き

冷凍食品おいしいし、別に冷食弁当からって同年代の中や友人同士であげつらわれることもない。そもそも人の弁当の中に興味しんしんって子、結構おかしい部類…

パートして子供3人と父の面倒を見てくれた母には感謝している。

弁当なんて毎日洗ってきれいな弁当箱に、ナマモノや痛みやすものを避けて、食べられるものが詰めてあれば十分だと思う。日の丸だって立派な弁当

どちらかと言えば、子供としては「扱いに差がある」とかの方が全然気になるわけで。

うちなんて典型的な弟贔屓の母だったので、弟は冷凍食品2品程度に他は卵焼きを焼いたりトマトを入れて、朝ごはんを炊いてふりかけを小袋で持たせ、なんならスープジャーまでついていた。

私の5歳下の弟を、中学生頃まで丁寧に寝室に送り、明日朝ごはんメニュー確認し、小学生の時は代わりに時間割確認教科書をご用意して差し上げる母親だったので正直いつものという感じだったが、さすがにその扱いの差には引いた。ドン引きだった。

そういう事がなくても、差別は起こってるんじゃないかと思う。たとえば、下の子は偏食で食べられないものが多いから下の子だけおかずを手作りするだとか。ありそうな話だ。

子供はたぶん親の想定の数倍そういうことに気がついている。私はいまだにおやつの量が私と兄より5歳下の弟の方がずっと多かったことを忘れていない(笑)

冷食だどうだ、作り置きだどうだ、というより、兄弟間で差がある方がいやだな、と論争を見る度に思う。

いいじゃん冷食。楽していこうよ。

その分を自分差別していないか、悲しい思いをしてる我が子がいないかに配って欲しい。

食費を渋ってしま

このお金あったら洋服、バッグ、旅行推し活できるよなと思うとなかなか食にお金を払えない。

朝は時間がなくて食べられない日がほとんど、昼はベースブレッド1個とバナナ、夜は冷凍野菜レンチンしたものご飯豆腐と卵と納豆ヨーグルト

毎日同じ暮らし。正直お腹空いた。でもお店に行ってもなかなかご飯を買えない。200円のサラダチキン買うか2,30分悩んでる。数万の服やバッグは平気で買うのに。朝苦手で朝ごはん食べれないこともあって強制ダイエットみたいになってる。太りたいわけでもないが別に痩せたくもないんだが。

食事普通にお金使えるようになりたい。

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