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オウム真理教の「アビラケツノミコト」とは、一体何だったのでしょうか?
アビラケツノミコトとは「軍神を率いる光の命」という意味の単語だそうです。
アビラケツノミコトの初出は、「トワイライトゾーン」1985年10月号(KKワールドフォトプレス刊)でした。
考証の資料として、原文を見てみましょう。
仏教用語。サンスクリット語a vi ra hūṃ khaṃの音写。以上の5音綴は,それぞれ万有の構成要素である地,水,火,風,空を表わし,大日如来の内面の悟りを表明するとされる。一般には,すべてのことを達成するための一種の呪文として用いられる。
地水火風空(a vi ra hūṃ khaṃ)のうち「風」(hūṃ)が揃ってないので、まだ不完全(未完成)な状態、という意味もあったようです。
最終的な理想国を築くために
神をめざす超能力者
レポート/■■■■■
今月号の口絵14ページで、空中浮揚の連続写真を紹介した麻原彰晃氏。彼は師にもつかずに、独自の修行でこのレベルに到達した。だが、この超能力者の目的は、はるか先にある。
彼は、特定の宗派の僧でもなければ、団体のトップに座す人でもない。人間の師ももたない。彼の修行は独自で、しかも数千年も伝わる聖典の奥儀なのである。
麻原氏が修行を思いたったのは今からわずか8年前である。世の中すべてのものに強い矛盾を感じたのだ。何もかもウソだ。自分さえもウソツキだ。まわり中のこと一切が限りなくイヤになった。
どうしたら正しく生きられるか。彼は、その日からすべてを捨て、行に入った。
行は毎日2~5時間に及ぶ。仙道、大乗仏教、密教、チべット密教、ヨガ。ひとつに執着せず、数数の修行法をとり人れ、自分が納得する形で行なっていった。
修行を始めると、様々な神秘的なことが起こりだした。たとえば、トランス状態での異言。
その時のテ―プを聞かせていただいた。東洋系の言葉らしいが、私としては、TVなどでも聞いたことのない言葉だ。口調はかなり激しい。過激な説法、または、訴えのように聞こえる。
「アジアの、インド、中国、チベット、その辺の言葉だと思います。おそらく、自分の過去生と関係のある言葉でしょう」
麻原氏が、修行8年にして空を飛ぶということは、過去生でかなりハードな修行をしていたに違いない。彼は、テ―プに吹き込まれた自分の口から発した言葉を訳せる人を希望している。でも、もしかしたら、現在ではすでに死滅してしまった言語かもしれない。
修行3年にいたったころ、彼の魂は彼の肉体を抜け出し始めた。「体が回転するような感じになったんです。ウォンウォンというモーター音に似た音がして、それからシューという音がしたんです。その時、魂が抜け出してゆきました。
抜け出した先で、魂は宇宙の星星を見たり、『人』と会ったりするんです」
こんなこともあった。シャヴァアサナ(屍のポーズ)をとり、トランス状態に入っていた。
彼は、大ス夕ジアムのようなところにいた。観客スタンドは、裸の僧で埋まっている。中心で、やはり裸の僧の彼が説法をしている。
「霊界での説法なんですね。私はそこで説法をして帰りました」
聖典を読んで帰ることもあるという。魂が、修行において気になることを調べに行くのだ。
「自分が現実で読む本を先読みしているのです。だから、実際に読む本の内容は、すでに知っていることが多いのです」
魂が抜け出さずとも、本の内容を理解していることも度々ある。修行中「ああ、これはこういうことなんだ」と感じた通り、後に読む本に同じことが示されている。
もちろん、修行に危険が伴わないわけではない。普通だったら死んでいるというような目にあったことも1度や2度ではない。
「その時は、自分の守護神に頼むのです。そうすれば、必ず、元のところに帰ってこられる」
麻原氏には、たくさんの信仰している神、守護している神がいる。彼は、それらの神々から修行法を学んでいるようである。
「トランス状態のとき、神々が現われることがあります。神々はヒントを与えてくれることもあります。または私が質問し、神が答える。質疑応容形式のこともあります。その中で得たのは、『生きることを否定せよ』ということです」
麻原氏は、いつも出会う神とはニュアンスを異にする3人の女性に出会っている。彼には、霊界人とも宇宙人とも感じられた。
「まず1度めは、5年前。妻の出産の時のことです。朝、自宅で目覚めるとロングへアで緑色の服を着たグラマーで美しい女性が、私に向かってオイデオイデをしているんです。
全身はエーテル体とも思えるもので、炎の赤をしているのです。髪の色は、全身の色を薄くしたような感じで、ジャンパースカートのような形の服に茶色のべルトをしめていました。
会話はありません。『私があなたを守護しているのです』と私に見せているように思えました」
2回めは2年前です。自宅で、眠る直前のことです。髪は肩まで垂らし、オレンジ色の服をきた目鼻立ちの美しい女性でした。体色は人間と同じでした。この時も会話はありません。
3回目は今年の5月。ここ(麻原氏の道場)でです。髪の長さは肩ぐらい。やはりオレンジ色の服ですが、体の色は、何というか、この世にない色なんです」
3人の女性たちは、共通して美しく、グラマーであり、口をきかない。決まって、彼の左側に現われる。そして、彼女たちが去った後、場の空気が揺らぐという。
「最後はいつも、霧のようにかき消えてしまいます。ひとつ修行が進むと、異なった人が現われるんです」
麻原氏は、これまで世に出ようとは考えなかった。ところが、ある時、声を聞いたのである。
彼は今、シャンバラのような王国、神仙の民の国を築く準備を開始するため、多くの人に修行法を関放する必要を感じた。
今年の5月のことである。彼は神奈川県三浦海岸で頭陀の行を行なっていた。五体投地をしていたときのことである。突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。
アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。
すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである。
彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビケツノミコトとして戦うように命じられたのである。
彼は考えた。チべットのような王国を造らなくてはならないことはわかっている。しかし、チベットは戦争を好まない国である。理想国を造るため、戦さを用いてよいのであろうか。
彼は、シヴァ神や、ヴィシュヌ神などの自分の信仰する神々や自分を守護してくれる神々に相談した。神々は「命を受けるべき」と返答した。
麻原氏は、神を感じるだけでなく姿を見るという。それによると、たとえばシヴァ神は、白銀のような色、ドライアイスのような色の神体を持っているという。
ところで、ここでいうシャンバラとは幻の国、聖人たちが住み、全宇宙の、そして過去から未来永劫に至るすべての英智が納められている国である。かつて、秦の始皇帝、アレクサンダー大王も求めてやまなかった土地なのだ。
シャンバラは、地下深くにあるといわれている。そして、地球上のある地点からは、シャンバラへの通路が開けているという。
その昔、チべットの首都ラサにあった古ポタラ宮の地下の一室はシャンバラへの入口であったと伝えられている。そこで、チべットはシャンバラの影響を受け、チべット密教を開花させたのだ。
聖者たちのひと握りの者たちはシャンバラを訪れることができる。そこで、ある者はシャンバラの住人となり、ある者たちは社会に戻り、許された者にだけシャンバラを伝えたのである。道教の祖・老子は、シャンバラの人になったといわれている。
麻原氏の話に戻ろう。
「2006年には、核戦争の第1段階は終わっているでしょう。核戦争なんて、ほんの数秒で終わってしまい主す。日本も死の灰の影響を受けているはずです。
核戦争は、浄化の手段ですね。だから、私は『ノアの箱舟』も信じられます。選りすぐったレべルの高い遺伝子だけを伝えるんです。
だけど、人が『自分の分け前をさいて人に与えよう』というように考えない限り、『浄化』はなくならないんですね。そういう気持ちになかなかなれないのが人間でしょう。
もし、それが真実でないとしたら、地獄・餓鬼・畜生・人間・阿修羅・天という六道はなくなってしまうでしょう。
私の目指すのは『最終的な国』なんです。それは、仏教的・民主主義的な国で、完璧な超能力者たちの国なんです」
そのためには、修行と解脱しかないのである。修行の意味を麻原氏に語っでもらった。
「修行とは、ジュースの1滴を、テ―ブルクロスの上に落とさず、水の中に落とす、ということなんです。1滴のジュースとは、人間のことです。1滴のジュースは、テーブルクロスの上に落とせば、ただのシミです。でも、水の中に落とせば広がるでしょう。
水の中にただ1滴のジュースを入れたって、水は色を変えないでしょう。でも、水の中には確実に1滴のジュースが入ったんです。
魂の根元的な状態ですね。拡散した1滴は、水の中のことすべてを知り、経験できるんです。これが空であり、寂静です。高次元に昇華した状態ともいえます」
大きな水がめの中の世界を体験している麻原氏の身辺は、アラビケツノミコトを任じられて以来、急転しだした。
修行で岩手県におもむいたときのことである。彼は、天からオリハルコン、またはヒヒイロガネと呼ばれる神秘の石を与えられた。
ヒヒイロガネとは、超古代文献『竹内文献』などにも登場する石である。神社の玉砂利のように滑らかだが、それよりずっとツヤがあって黒い。ズッシリと重たく、力ネの名の通り、金属的な感じの石なのだ。
水を張ったバケツに石を入れ、念を入れる。その石で円陣を作り円陣の中で瞑想する。
ヒヒイロガネは、手に入れた人誰にでもパワーを発揮するものではないという。念を入れられる者の手にわたってはじめて、パワーを与えられ、驚異の力を噴き出すらしい。
念を入れたヒヒイロガネは、多くの人々を同時にトランス状態にすることもできるという。この石については、いずれまた機会があったら報告したいと思う。
麻原氏に行法の一部を実際に行なっていただいた。
麻原氏は、座して、様々な印を結ぶ。印は2、3秒で変化する。
「これはチャクラ開発のための印です」
次に、立ち上がり、上半身を少し前方に傾けた。腸というか、腹の中がゴロゴロと動き出した。これは浄化法・ナウリのひとつ。腹にあるマニプーラ・チャクラの覚醒に役立つ行だ。
次は仰向けに寝てから足を天に持ち上げるショルダースタンドの形。空中浮揚に欠かせないビシュダ・チャクラの覚醒が目的だ。
それからライオンのポーズ。これは、クンダリニーの覚醒に必要なポーズである。
麻原氏の修行には、かなり危険なものも多い。たとえば浄化法のひとつで、幅7センチ、長さ3メートル半の布を呑み込むというものなどだ。この時は、呼吸ができなくなるほどだという。
彼は、修行中、シャヴァアサナに入ったとき、チャクラの光を度度見るという。
ちょうどフラッシュがパッパッと飛ぶような感じで、下のチャクラから順に光を放ち、同時にやはりフラッシュのような音がするという。音と画像がシンクロするのだ。
経験によると、音と光は様々な神秘体験には、共通して現われるらしい。たとえば未来や過去へタイムトリップするときは、マーチのリズムのような音、霊体が離脱するときはブーンという振動のような音。
これは、各種の教典とも矛盾しないという。そこで、そのような音を作って流せば、修行者は案外簡単にタイムトリップや霊体離脱を経験できるのではないかと麻原氏は考えている。
それでは、私たちがすぐにでもできる修行法について尋ねてみた。
「それは、まず何よりも五戒ですね。1が殺生をしないこと。蚊が自分の血を吸っていたら吸わしておくことです。
2が盗みを働かないこと。
3が誠実にして、ウソをつかないこと。
4が邪淫をつつしむこと。
5が禁酒すること。
以上の五戒に徹することですね。悪の行為をやめ、将来にするだろう善行をどんどんすることです」
集中的に瞑想などをしようと思うなら、空気のきれいなところの方が効果的だ。プラーナ(気)の満ちあふれた海や山を選ぶとよい。ただし、風のないところで行なう。地・水・火・風・空のエネルギーは、想像以上に誘惑的なのだ。
次に、食物は、玄米菜食の方がよい。1日に1回、または2回。または少しずつ、数回に分けて食べる。ヨーガの激しい修行をする行者の場合、日に1800~2000カロリーが理想といわれている。一般の人なら1200~1500カロリーで足りるだろう。ただ、カロリーと栄養とは異なるから、栄養はしっかり摂らなくてはならない。
「(日に)3食は獣の食事、2食は人間の食事、1食は聖者の食事という釈迦の言葉があるんですね。
でも、日に1食では、一般的には栄養が足りなくなってしまう心配がありますから。日に1度という場合は、夕方に摂るのが理想ですね」
玄米菜食だけで、スワジスターナ・チャクラ(腰・仙骨)までは開発できる。しかし、それより上のチャクラは、修行でしか開発できない。
「スワジスターナ・チャクラは植物を司るんです。ここが開発されれば、低い次元の超能力は身につきますね」
麻原氏は、腹のマニプーラ・チャクラが開くまでは、外食は一切しなかった。もっとも、化学物質などの変なものを食べることを体が受け付けなかった。
でも、今は多少腐ったものを食べようが何を食べようが平気である。火のエレメントがすべてを燃やしてしまうのである。
チャクラが開くということは、規制がなくなるということも意味しているのだ。
尾骨のムラダーラ・チャクラが開くと規制され、腰のスワジスターナ・チャクラが開けば性欲の規制がなくなる。腹のマニプーラ・チャクラが開けば食欲の、胸のアナハタ・チャクラが開けば行為の規制がそれぞれなくなる。
規制がなくなるとは、「何をしてもいい」ではなく、規制をせずとも自動的にコントロールされるということである。
「食べ物に気をつけるのもいいが、もっと大切なのは精神です。食物の害より精神の害の方がずっと悪いです。肉を食べたからってすぐ内臓が悪くなることはない。でも気持ちに及ぶ害は、すぐに体を悪くします」
つまり、肉体への栄養よりも精神への栄養の方が大切なのだ。適当な食事よりは、瞑想1時間の方がずっと栄養になるらしい。
「物質で人間は救えないということをもっとよく考えるべきなんですね」
正しい食事をし、正しい修行から得られるもの、それが超能力である。最近は、魂の浄化・向上こそ第1義で、超能力は邪道という考えも広まりつつあるので、麻原氏における超能力の実義をしてもらった。
「魂の進化・向上という考え方がありますが、それは、人間の魂が阿修羅・神々に至ることなんですよ。つまり、超能力の獲得と魂の進化・向上ということとは、矛盾しないばかりか、正しい相関関係にあるんですよ」
それゆえ麻原氏は自分を神に変える修行をし、「完璧な超能力者の集団」と彼のいうところのシャンバラ王国を設立するべく、神軍を率いて戦うのだ。
麻原氏のまず当面の目標は、自由自在に空を飛べる空中浮揚。それと、大脱身を成功させたいという。
「これは、アジナ・チャクラから自分の魂を抜き出させ、目的としている相手の身体に人る超能力のことです。これが可能になると、三界(欲界・色界・無色界)を自由に行き来できるんですよ。ここまでくると、もう人間といっていいかどうかわかりませんけどね。また、核戦争の脅威から身を守るには、極熱にどれぐらい耐えられるか、放射能をいかに防ぐか、ということになると思うんですよ。今の修行方法でそれに耐えられる身体はできると思っています」
麻原氏は、空中浮揚の初歩までの修行か達成した。しかしながらこれは、全修行の段階の4分の1にすぎない。生きているうちに、全部達成できればいいという。
「私は、ハ夕ヨガでいうところの解脱はすでにしています。真我も見ています。これから求めるのは仏教でいう真解脱です。それがいくつもの決め方がある解脱のうちでも最高のものとされています。
修行を達成した人間は、次の生を好きなように形づくれるという。麻原氏の中には、地球、自分、宇宙、神々……超大な計画がもくろまれているのかもしれない。
叩かれる部分も大いにあると思うが、2つの豪雨を体験したので素直に書いてみる。
広島市安佐南区、安佐北区を襲った平成26年8月豪雨では安佐南区でも大きな被害が出た地区に住んでいた。
そして、現在は安芸郡に住まいがあり、平成30年豪雨を経験した。
幸いにも私自身は何も被害を受けることなく、身近に起きた災害を経験した、という程度のものである。
夕方遅くから夜中にかけて、二度雨のピークがあったのを覚えている。
このときは、まさに「バケツを引っくり返したような」「滝のような」と表現されるような雨で、家の中に居ても危機感を覚えるほどの降り方だった。
多少心細さを感じながらも、土砂降りの中外の様子を見に行くのも面倒くさいし、避難勧告も出てないし、ということで、かすかに聞こえる太田川の警報を聞きながら寝入ってしまったのである。
なお、当時、広島市の対応の遅さが指摘されており、その後、まめに避難勧告が発令されるようになったように思う。
そして、馬耳東風がごとく、避難勧告が出ても気にもとめなくなってしまった。
前日から降り続く雨。
台風の影響で九州のあたりから雨雲が迫ってくるのは知っていた。
いつもよりも天気予報を気にしつつ、15時以降いよいよ雨が強くなっていった。
しかし、平成26年に体験したような「バケツを引っくり返したような」「滝のような」雨ではなく、多少雨足が強い程度の雨だと認識しており、危機感というほどのものは感じることがなかった。
ただ、雨はここ数日降り続いており、累積した降雨量は相当なものだな、とは思っていたので、この降り方が続くと何かしら起きるかもしれないと予感した。
17時半頃から、あれよあれよと言う間に避難勧告、避難所開設、避難指示、特別警報が発令された。
午前0時をまわる頃には町内のあちこちで水が溢れ、土砂が流れ大渋滞を引き起こしていたようだ。
しかし、土砂降りの中、一人暮らしの女が身支度をして夜中に避難するのは心理的にハードルが高い。
家がある場所はなだらかな坂だから浸水の心配もない。大した川もなく、山からも離れている。
何事も起きそうにない。
えー避難…?この土砂降りの中避難所まで歩いて…?大したことなかったら…?
てか避難してる人とか居るの?
明日も仕事だし…、雨で交通乱れてるだろうから早起きしないと…zzz
(そして、幸いにも家付近は全くと言っていいほど被害がなかったのであるが)
【アプリ】
Yahooの天気アプリ、Google Mapは、いつも頼りにしている。
雨雲レーダーはかなり正確だと思う。
Google Mapの渋滞情報は、時々嘘をつくが、混雑しているところにわざわざ突っ込もうという気にはならない。
【テレビ】
でも情報が散漫で、ローカル情報をガッと集めたいときにはまどろっこしい。
【ツイッター】
結局ずっとツイッターで調べていた。
テレビでは被害が大きいところの情報がメインだから、地域、地域の情報が手に入る。
道路の状況とか逐一報告してくれるアカウントがあって感謝している。
見る専だったけど、これからは共有できるお役立ち情報をつぶやいてみようと思う。
【雑感】
避難勧告、避難指示、特別警報が発令されても、場所や家によっては全く被害が出ないこともあり、自分で勝手に甘く見積もってしまう。
休日で家に居たら、土砂降りの中わざわざ出ていったりしないが、家の中に閉じこもっていたら切迫感がない。
大雨の際には「田んぼや用水路を見に行かないでください」と仕切りに言われるが、いつもは穏やかな川が、8分目くらいまで水かさが増しているのを実際に見ると「やべえな」という感想がわく。
なんだかんだでネットが一番役に立つが、情報が散逸しているので、災害時の共通のポータルサイトみたいなのを誰か作ってくれないだろうかと思う。
テレビ局や新聞、自治体が独自に作っているのもあるけど、写真、動画、口コミ、つぶやきレベルの情報や超々ローカル情報、そういうのを集約するの。
デマとか、不確定のものも出回るだろうけれど、情報の取捨選択は受け取る人に任せて。
逐一どこが開通したか、いつ復旧しそうか、抜け道はあるか、混み具合はどれくらいかを調べないと、渋滞のドツボにはまってしまう。
あと、ネットに不慣れな人たち、どうにかならないだろうか。
町内放送でなんやかんや言ってたが、土砂降りの最中では全く何を言っているのか分からない。
そもそも、町内放送は平常時でもご老人たちに聞こえているかはなはだ怪しい。
【追記】
補足だが、安佐南区のときも安芸郡のときも自宅周辺は全く被害がなかった。
避難勧告等は区域全世帯に向けて出されるものだが、比較的安全と言われるポイントに住んでいる場合はどうしたらいいのだろうか。
「〇〇地域に住む、☓☓世帯に避難指示が発令されました」これは私も含んでいるはずだ。
しかし同じ区域内で目と鼻の先で起こった被害は凄まじいものだった。
そして、逆に今回、「無事?」と心配してくれた他地域の人の方が、私の自宅周辺よりも被害を受けていたりする。
テレビで全然情報が流れない地域で浸水していたり、自宅裏が崩れていたり。
結局、自分のところは大丈夫という希望的観測、楽観的確信によって、自分は3度目の災害時に痛い目を見るのかもしれないと思っている。
沈没船の国民性ジョークのように「みんな避難してますよ、避難してないのあなただけですよ」と言われると、ようやく避難しようと思うのかもしれないが、それも情けなくぞっとするものがある。
それと今回実感したのは、復旧の早いこと早いこと。
陥没した道路も、土砂や岩が流れ込んだ道路も思いの外迅速に開通する。
梅雨が開けた猛暑の中、また夜を徹して作業をしてくださる土木関係の方、復旧に尽力してくださる自衛隊や自治体の方には本当に感謝している。
気象庁は早くから警告を出していたし、NHKもその情報を流していたと思う。
素直に警告を受け止めて、危機感を持つようにしなければと戒めている。
今日も出勤した直後は目の回るような忙しさだったけど、雷雨のせいで7時過ぎた頃から超暇になってしまい、辛かった。
レジのとこでボーッとするの禁止なんだけど、早め早めに雑用を片付けてしまって何もやること無くなっちゃったので、ボーッとするしかないのしんどいよぉ。つまらないから相棒と喋ろうとすると、そんな時に限ってお客さん来るからちっとも話せないという。
そうそう、夕勤のバイトの人数が増えたので、店長など正社員がシフトに入らなくなって、バイトだけでお店番をする事になったのがまた、退屈に拍車をかけた。正社員とのシフトの時は、暇なら正社員は私に店番を任せてバックヤードで発注業務など正社員しかしない仕事をしているので、やんなっちゃうほど暇になったりはしないのだ。
以前は火曜日は誘蛾灯のような正社員氏と仕事だったが、誘蛾灯氏はバイトの人数が増えた事によって勤務時間が大幅に減ったので、今日は顔を合わせず。誘蛾灯氏が老若男女問わず人を惹き付けまくってるところを見るのが好きだったので、ちと残念な気もする。
誘蛾灯氏は持ちネタ(艶消しブラック過ぎる長時間労働)が1個減った。まあそれはいいよね、寿命削らなくてよくなったんだし。
18時の忙しい時間に、ホットスナックをもっと揚げるべしとオーナーが言うので、相棒と顔を見合わせ「売れないよね~」と言いつつしぶしぶいくらか揚げたが、案の定全部売れ残った。
漫画みたいにずぶ濡れのお客様来店。バケツいっぱいの水被ったみたいに頭のてっぺんから爪先までびしょびしょだった。まさに水も滴るいい男!だったけど、いくら夕立に降られたからってここまでずぶ濡れになる?この方はどんな交通手段でここに来られたのだろう?と不思議でならなかった。
お客様はしばらく雨宿りをされていたが、まだ雨が止んでない頃にいつの間にか消えていた。
また今日も違算が出る。私は-50円で相棒は+200円。入店から先週までノー違算を通していたのに、ここんところは一体何なの?疲れてるの?
雨が止んだなぁと思って私が外にゴミ出しや番重の片付けに出ると、外へ出た瞬間雨足が強まってびしょびしょになったが、帰りも雨がザーザー降りだして、帰宅後車から降りて玄関にたどり衝くまでにびしょびしょになった。
何かの呪い?
しかし揚げてる時点でそのミスに気がついたらしく、「すみません間違えてヒレカツを作ってしまいました、今ロースカツを揚げているので、よかったらこのヒレカツも食べてお待ち下さい」となった。
ざるそば+かき揚げセット800円を注文したら、天ざる1000円が来た。
「かき揚げセットを注文したんと思うんですけど・・・」と言ったら、店員が「すみません間違えました」と、なんと伝票を書き換えた。
かき揚げセット800円と伝票には書いてあるのに、それを二重線で消して天ざる1000円に修正した。
そんなの、ありか?と思いつつ、そこで口論もしたくないので釈然としない気持ちで天ざるを食べた。かき揚げ食べたかったのに。
食べ終わって会計に向かったら、店長らしき人がきて「すみません、800円で結構ですので」と800円の会計で終わった。
しかし注文間違いの時点でそういう対処ならまだしも、会計時だったから食べてる最中釈然としない気持ちで美味しく食べれなかったよ。
この対応は残念だった。
隣の席に来た人がラーメン大盛りを注文した。
隣の人が「ラーメン大盛りを注文したんですけど」と言ったら、店員が「すみません間違えました」と、そのまま生ゴミバケツにぶち込んだ。
その光景にはショックを受けた。
いや、違う味のラーメンならまだしも、量の違いだけなんだからそんなの「間違えましたすみません、普通盛りを食べてお待ち下さい、今大盛り作り直しますので」でいいじゃないか。
なぜ捨てる必要がある。
それに自分の作った料理をためらいなく捨てられる料理人というのもショックだ。
俺が今食ってるこのラーメン作ったのものそいつだ。急に美味しくなくなった気がした。
この対応も残念だった。
(書き起こし始まり)
徹子「今日のお客様はとっても可愛い方でいらっしゃいます、雑誌JJのモデルでいらっしゃいまして、何といってもその日本語が、お可愛らしい・・えっとね(資料を見る)独特の「四字熟語」よんじ・・じょく熟語っていうんですか(笑)あたくしも今日これから伺ってみようと思いますけど、あたくしにもとても素敵な、あのそういうので付けてくださいました、後で伺います。滝沢カレンさん今日のお客様です。」
(ドアが開き滝沢入場)
徹「どうぞお入り下さい。去年の番組出演本数が200本以上を越すという大変な人気者でいらっしゃいます。どうぞお座り下さい・・あ、素敵なお洋服。ね、なんて素敵なんでしょう。・・・さっきも申しましたように、雑誌JJの人気モデルさんでいらっしゃいます(雑誌の表紙写真を見て)あ、こんなね、こういう感じなんですけど。お父様がウクライナの方でお母さんは日本の方で、で日本にお住まいになって。」
カレン「もうずっと、あの〜おも、生まれてからもずっと日本ですし、ウクライナに別にどうも思ってるわけじゃなくて、あの日本でしか生きてないんで」
徹「ウフフ・・・どうも思ってない(笑)でも言葉は日本語の他に何かお出来になる」
徹「ウクライナ語もお出来にならない」
カ「もちろんです」
徹「で、あなたはお生まれになる前に、もうご両親がお別れになってらしたの?」
カ「そうなんです、お腹の中でそういう事があったので。離婚して、で、産まれた時はママしか、逆に良かったというか。逆に・・お父さんという存在を、知ら、分からなかったというか、居る事も分からなければ居ないことも分からないから、そういう人間なので・・なんか欲しいとも思ったこと無いですし、もう、お爺ちゃんが男のパパ、みたいな」
徹「あ、お爺さまが居らしたから。お爺さまは甘くて良い方だったんでしょ?」
カ「ほんっとにもぅ・・目ぇ見れば500円くれるような男だったので」
徹「あら良い〜(笑)良いわね〜そんな人居ないわよ見るだけで500円くれるなんて」
徹「さて、あなたは今日は念願の徹子の部屋初出演でいらっしゃるんですけど、大好きでらしたんですって?」
カ「そうなんです!あの〜こんなとこで言う話でもないんですけど、あの、ホント小学生から、お婆ちゃんと見てたぐらい」
徹「あ〜そうなの。お婆さまと一緒に」
カ「お婆さま・・お婆ちゃんなんですけど、あの私がずっとお婆ちゃんに育てられた娘でして、ここまで来たんですけど」
徹「(祖父母と写っている幼少期の写真を見ながら)お祖母様?この方?」
徹「何処でしょうね〜これ白樺があって、素敵な所ね」
カ「これは北海道の方です。で、この下向き加減な人がお爺ちゃん(笑)なんですけど、このお爺ちゃんとお婆ちゃんに育てられて。もちろんお母さんも居るんですけど、あのお婆ちゃんがほぼお母さんみたいな人でやってました。」
徹「だからまたそういう方で育つと、色んな事を覚えるでしょうね」
カ「あのホントに・・昔の人なので、あの・・色んな事を知っていて、テレビの事もやっぱり、徹子さん、の部屋をずっと二人で横並びで見てたりとか、であの。ここには凄いあの・・歌の方とか女優さんの方とかが・・すぐお婆ちゃんそういうのであのアガっちゃう人なので、それでキャッキャ言いながら」
徹「ホントに。でも残念ですね、なんかお亡くなりになったんですってね」
カ「そう〜あの、もちろん、ァもちろんじゃなくてあの、寂しいことに亡くなってしまったんですけど、でも全然寂しくないというかそのまぁ全てをやりきって、あそこまで生きたっていう女は居ないので」
徹「女は居ない(笑)うん」
カ「なかなかその・・引き止める訳にもいかないので自然なので」
徹「まぁねぇ・・80歳で3年前にお亡くなりになったそうですけど」
カ「そうですね・・・」
徹「そうですか」
カ「はい」
徹「あの、四字熟語、というのを駆使なさいまして、ええ・・ホントに(笑)お可愛らしい、それでまた有名になって。なんか私の事も付けてくだすって、あたし嬉しいと思ったの「早口国宝」って言うんだって?」
徹「これはどういうフッフッフ」
カ「フフフ・・あの、申し訳ないぐらい、あのやっぱり早口なので(笑)やはりそういう事をずっと私はちっちゃいながらも、徹子の部屋・・さんっていうんですか、こういう所を観てて、この方すごい早口だなぁと思いながら、でも全部を、巻き込む。力強さとか、あのこく、国並み、くに。国宝並みだなぁっていう、やっぱり普通の早口とは違うっていうのをやっぱ分からせたかったので、やっぱり早口、の国宝で、たか・・あたしはもうホントに、何かあったら徹子さんっていうぐらい、あの、気付いちゃう(※築いちゃう?)人なので、やっぱり徹子さんは国宝だなっていう、みんなが思っている事を言いました。」
徹「ありがとう存じます・・そんな事言われたことないのよあたし。だから本当に嬉しいと思います。でも面白いのでは、出川哲朗さん。あの方の事をやはり四字熟語で仰ると」
カ「あの人は、えと「職業激痛」って言わせて頂いてるんですけど(笑)あのフッフ・・ホントに痛い事しかしてない。。【徹子「熱いお湯の中に飛び込むとか」】そうです!そうです、泥・・食べたりとか・・ッフッフあの分かんないけど(笑)そういう事ばっかされているので、それをやっぱり、尊敬をしました、あたしには絶対しないですし、出来もしないことをひとがやるって」
徹「ビックリしますよねぇ・・・そうそう。それから私あれが面白いと思うのは、梅沢富美男さん。フッフッフ」
徹「(笑)本業不明。あの方さぁ、300年に一度の俳優だって言ってるわよ自分のこと」
カ「そう!そうなんですご自分では、そう仰ってたんですけどやっぱりその、何をされてるのかやっぱあの色んな所で、こうこう・・あのトコトコ出てるので、なにしてるんだろうっていっつも・・なにしてもまぁ出来てるかもしれないですけど、全部が100点すぎて、ホントの話がわかんなかったです」
徹「ハッハ・・・そう。。ただその四字熟語というのは自分で研究したの?」
カ「研究ってか(笑)あの、ただの思いつきでやってますけど、あの〜あたし漢字がずっと好きだったんですよね。大好きで・・もう何かあったら漢字。書く、漢字ドリルっていうのがあの時はあったんですけど、あの時から大好きで、漢字ドリル、の、授業ばっかりをやる、っていう女の子でした」
徹「じゃあ漢字がお出来になると随分表現法がね・・。お子さんの時はどんなお子さんだったの?」
カ「子供ん時は、あの・・私の子供の時は、凄い、人見知りが無い、女の子でした。いっぱい人に話しかけちゃうし」
徹「あっそうなの〜(子供時代の写真を見て)あらかわいい〜これあなた?かわいい〜健康そう。目が大きくて」
カ「そうなんですちょっと何か大型な感じで」
徹「でもあなたは昭和の家庭で育ったということなんですけど、どういう家庭なの昭和の家庭って」
カ「そうなんです!本当に、ビックリするくらいあの〜家の中は綺麗なんですけども、お婆ちゃんが全部ホコリひとつ、ひとつもこうやってペタペタ自分の指で確かめて、あの〜家を周るっていうヘンな・・人だったんですけども、他にもあのすっごい厳しくて、靴、ゲタ・・靴箱の、下駄箱とかも、一足以上出してたら絶対ダメですし、そして教科書も床にちょっと置いて、トイレに行こうなんて思おうが、もう思った瞬間に捨てられてしまうので・・・【徹子「大変・・・」】ゴミ箱とトイレ・・・、ゴミ箱→トイレ、ゴミ箱→トイレ、っていう感じです。置いとくとすぐゴミ箱・・・ホントにバケツのゴミ箱を買ってきてるんで、あそこは。ウチのあのお婆ちゃんは」
徹「お母さまは通訳の仕事でお忙しくてらっしゃるんですってね」
カ「そうです、今でも通訳をさせまし、させてますけど(母と写っている幼少期の写真を見て)そうです、これが母です上の人が。旅行のときの・・いつも旅行をしたら写真を撮る、っていう前向きな家族だったので」
徹「素敵だなと思うのは、あなたのお家ではお食事の時にオペラの音楽をいつもお婆さまがかけてらっしゃって」
カ「そうです〜(笑顔)」
カ「そうですぃ・・」
徹「まぁ色々あるけども、マダム・バタフライとかこういう(「蝶々夫人」がかかる)」
徹「そうです」
カ「へぇ〜」
徹「どんな話をしながら食べるのそれで」
カ「あの〜会話というより、この時は会話っていうよりは、お婆ちゃんだけが鼻唄を食事中この許されてたので、ず〜とそんな感じで歌って、私達に聴かせてたし、もうこの曲が鳴っている間は私達は喋っちゃいけないタイムなので(笑)お婆ちゃんの聞き入りタイムなので、私たちは無言でご飯を・・」
徹「でもお婆さまはオペラ歌手になりたかった訳じゃあないの?べつに」
カ「ま・・・そこまでの話はしたことないんですけど、でもオペラ教室に、習ってました」
徹「じゃあやっぱりお好きなんだわね」
カ「年に一回、落葉松の歌とか歌いに行ったのを私は見に行きました」
徹「あらそうなの。いい声だった?お婆さま」
カ「んもうお婆ちゃんはほんっとに歌が上手で、もう、電話に出る音からしてホントに、誰この声?!って思うくらいの、私の自慢の声だったんで」
徹「あ〜そうなの、じゃあ普段の声もお綺麗だったんでしょうねぇ」
カ「もうホントに、怒鳴る時だけ(顎をグッと引いて)あの、グォッ、グォ〜、みたいな(笑)鬼みたいな、鬼のような声で」
徹「アッハッハ・・でもなんかお爺様は俳句をなさる?」
カ「あ、そだお爺ちゃんは、おか、お婆ちゃんも俳句するんですけど、あの私もその繋がりで俳句仲間になったんですけども、お爺ちゃんは、絵を書きます。」
徹「・・あ、お爺様絵をお書きになる。そいでっで俳句作ったりして」
カ「あの〜そうです、おば、俳句は、あのホントにふとした瞬間にしか作らないので、あの俳句作るぞっっていうことじゃないです」
カ「えっともうかなりの数を作ってきたので、今でもいつでも作れるくらい・・あの俳句は」
徹子さん 思っていたのと 全く同じ
(スタジオどよめく)
徹「アッハ・・・ありがとうございます(笑)徹子さん思っていたのと全く同じ。この方の今日の俳句でございます。大事にしておきましょオッフフ・・そうですか。おんなじだった?」
カ「あの・・やっぱり、凄く想像を膨らませて・・生きていたので、今日来てしまった、来てしまったというか(笑)あのホントに、自分の思っていたとおりの、人だなぁっていう人で良かったと思います。安心しました。」
(CM)
今日のお昼。何を食べようかと散々悩んだあげく、久しく食べていなく、これからも久しく食べられないであろう吉野家の牛丼を食べることにした。
頭の大盛りを注文してしばらくすると、食べ終わった左の席の人が「これ使って」と言ってカードをもらった。意味がよくわからなかったが、カードの説明を読んでみると、吉野家では80円引き、はなまるでは天ぷらが一品?無料になるカードだった。
何で俺にくれたのだろう?って思ってたけど、期限を見て納得した。有効期限が今日までだった。
久しぶりの牛丼を堪能しつつ、昔の吉野家はデフォルトでこんなにツユだくじゃなかったぞ、と思いつつ、このカードをどうしようかと考えていた。
食べ終わって、ありがたくカードを使ってお会計をした。右隣の注文を済ませた人に「これ使って」と言って渡した。彼は5分前に渡された俺と同じリアクションをしていた。
辛いこと暗いことに対する感受性ばかり鍛えずに面白いことを面白いと思える感受性をちゃんと鍛えていれば人生はもっと楽しかったんだろうなあ
休日が近づいたり終わったりするといつもそう思うよ。
仕事は辛いしつまらんし時間もガッツリ拘束されるが、そればかりじゃなくて遊ぶ時間も案外たっぷりと手元にあるはずなのにいまいち楽しみきれてねえんだ。
結局の所、自分の納得が行くような仕事を選べなかったことが人生で一番の失敗なのは揺るぎないとしても、二番目の失敗は結婚してないとか健康状態がよくないとかよりも仕事や身体の辛さに見合うほどに余暇を楽しめていなくて人生のプラマイ差し引きが常にギリギリをフラフラ彷徨わせてしまっている事なんじゃないのか。
バケツに開いた穴を塞ぐのに限界があるなら、バケツに入れる水の量を増やすことにもっと意識を注ぐべきなんじゃないのか。
でもそうやって焦るほどに、ただただ何かを消費しようと必死になるだけのつまらない余暇になってしまう。
映画館で映画を見ながら考えるのは次に見る映画のことと、その映画を見るのにかかった時間や値段に対する楽しさのコストパフォーマンスのことばかり。
こんなんじゃ駄目だ。
駄目だと思い焦ることもまた駄目だ。
人生を生きるのが下手だ。
そういう人間に限っておもしろきこともなき世をおもしろくと言いそうになる。
そうじゃねえんだ。
辛いこともいくらでもあるがそれが面白いことがないと言い張る理由にはならねえ。
楽しみ方の姿勢がなってないんだ。
良いエネルギーが逃げているんだよ
なあ
みつを
家庭でできる『足湯』が案外良くて思いのほか長く続けられたため、話を聞いて興味が湧く人がいれば試してほしい。普段から湯船に浸かる習慣がある人には正直効果がないと思う。毎日シャワーばかりの人向けです。特に女性は化粧や生理の関係でいつでも銭湯や温泉に行けるわけではないから、行きたい行きたいと思いながらタイミングを逃し続けることがありませんか?足を熱いお湯に浸けるだけでも結構気持ちよくなります。
必要な物
やり方
効能(個人の感想です):めちゃくちゃ眠くなる。だから、その日の仕事を残して足湯をやってはダメ。集中力がなくなって危険。理想のタイミングは就寝直前だが、少なくとも大事な用は終わらせてからやる。
以上です。私はマッサージ屋さんで、肩が凝ったから肩を揉んでもらうという単純なオーダーばかりしていましたが、気まぐれでリフレクソロジーという足裏マッサージを頼んだ時、最初にフットバスが出てきました。お客の足の汚れを落とす実用的な意図のものだったので足湯パートはすぐ終わってしまい、熱いお湯に足を浸けるのがシャワー生活の私には新鮮で「もっと入っていたかった」と思ったあまり、「足湯だけでも家でできないか?」と桶を買ってきて実行したという経緯です。足にある古い怪我への効能は全くないですが、睡眠改善には役立ちました。このために特別に購入したのは桶(捨てる時は明らかに粗大ゴミになる大きさ)と入浴剤のみで、合わせて5千円もかからず、費用対効果は効果の圧勝でした。
4月に入ってTwitterでちやほやされる夢を見ながら絵を描き始めた人間は多いだろう。そんなやつらに覚えておいて欲しいことを言っておきたい。
・絵は才能は半分正解
絵は才能がすべて、というが実際それはある。しかしながら最低限可愛いと思える絵ぐらいなら見よう見まねでなんとかなる。そこから評価されるかが才能といったところ。何年も描いて小学生レベルな絵の人は基本枚数をこなしていてもやる気はないと思っていい。もしくは間違った描き方に固執しているかだ。
・絵が上手い人は上手い人としか絡まないも半分正解
よくTwitterでこれを否定する意見がある。正しくは「絡むのに絵の実力は関係ない。ただしあくまで雑談したり一緒にゲームをする範疇で絵の部分では自分より上手いか同レベルでないと関わることはできないしオフで会うことはない」である。そもそも人間として生きてきたならば学校で似たもの同士でグループができることくらい学んでいるはず。ネット上も同じ。上手い絵師と絡みたければまずは絵以外で関わりを持とう。
・まず色塗りを学べ
下手に見える絵の共通点として塗りが下手なことが特に多い。バケツ塗りにブラシでなんとなく影をつけただけ、がもはやテンプレート。線は顔だけ、バストアップだけを避けて偏らずに数をこなせば上達する。が、色塗りは技法を学ばなければ厳しく、がむしゃらにやっていれば報われると信じている愚か者が躓きやすい。幸い世の中には色塗りの技法がタダで転がっている。まずは学べ。線なんかガタガタでも色塗りが良ければ上手く見える。
・認められないうちの自己評価はあてにならない
他人からの評価は確実に自己評価よりも低いものだと思え。時間をかけて作られたものに愛着が湧くのもしかたないが見る側はそんな苦労や努力は知らない、結果だけを見る。それが同じ絵師だとしてもだ。数字がついてくるまで期待しないこと。
・なぜ絵を描くのかはっきりさせる
絵を描く=趣味 というのは一般的な話だ。しかしながら趣味ではなく手段、もしくは趣味を兼ねての別の意味合いを含めたものとしている人間もいる。褒められたい、ちやほやされたい、憧れのあの人の立場になりたいといい承認欲求。はたまた絵を通した仲間・友達が欲しい、誰かと繋がっていたいという所属欲求。つまりは絵を利用する人間である。そしてそれは潜在的な意識でありそれらが叶ったとしても自分では気づかない場合が多いだろう。もし絵に悩みを抱えた時、自分が絵が上手くならないことに悩みを抱えているのではなく、本当は評価がなされないことに対してだったり、繋がりが生まれないことに対してかもしれない。もしそうならば絵の上達は諦めてしまった方がいいだろう。RTの稼ぎ方、フォロワーの稼ぎ方を調べた方が見えなかった目的に近づけるはず。絵を描きたいのか、絵を描くことで何かを得たいのかはっきりしよう。