辛いこと暗いことに対する感受性ばかり鍛えずに面白いことを面白いと思える感受性をちゃんと鍛えていれば人生はもっと楽しかったんだろうなあ
休日が近づいたり終わったりするといつもそう思うよ。
仕事は辛いしつまらんし時間もガッツリ拘束されるが、そればかりじゃなくて遊ぶ時間も案外たっぷりと手元にあるはずなのにいまいち楽しみきれてねえんだ。
結局の所、自分の納得が行くような仕事を選べなかったことが人生で一番の失敗なのは揺るぎないとしても、二番目の失敗は結婚してないとか健康状態がよくないとかよりも仕事や身体の辛さに見合うほどに余暇を楽しめていなくて人生のプラマイ差し引きが常にギリギリをフラフラ彷徨わせてしまっている事なんじゃないのか。
バケツに開いた穴を塞ぐのに限界があるなら、バケツに入れる水の量を増やすことにもっと意識を注ぐべきなんじゃないのか。
でもそうやって焦るほどに、ただただ何かを消費しようと必死になるだけのつまらない余暇になってしまう。
映画館で映画を見ながら考えるのは次に見る映画のことと、その映画を見るのにかかった時間や値段に対する楽しさのコストパフォーマンスのことばかり。
こんなんじゃ駄目だ。
駄目だと思い焦ることもまた駄目だ。
人生を生きるのが下手だ。
そういう人間に限っておもしろきこともなき世をおもしろくと言いそうになる。
そうじゃねえんだ。
辛いこともいくらでもあるがそれが面白いことがないと言い張る理由にはならねえ。
楽しみ方の姿勢がなってないんだ。
良いエネルギーが逃げているんだよ
なあ
みつを