はてなキーワード: バケツとは
結局、創作活動はやめることにした。
わたしは文字を書く才能もなければ、絵なんて以ての外才能がなかったんだ。それを埋める努力も足りなかったんだ。努力はしてきた。してきたけど、穴の空いたバケツに水を入れ続けても決して満タンにはならないように、してどうにかなるものではなかったんだ。
絵は描けなかった。絵が描けないなら他のところに才能が割り振られて文章なら書けると思ってた。そこにもなかった。かと言って特別機械に強いわけでもなく、人力や自作動画ゆっくり実況とかもできなかった。音楽センスはセンスの前に知識もなくてダメだ。2次創作にこだわるからだと思って創作の小説やイラストを書いてもダメだった。何をしても向かなかったんだ。わたしの技能に芸術は振られてなかったみたいだ。
褒めてもらえる、見てもらえるという報酬が無いと頑張れないのは違うらしい。自分が「これだ!」と思えるものを作れればいいらしい。それで認めてもらえれば嬉しいけど、そうでもなかったみたい。いやそれでも認められるまで頑張るんだ!とか。それができるってことも一種才能だよ、わたしには無かった。才能才能ってうるせえなあって?あんまり才能のせいにしたくもないけど、だってじゃあなんでこんなに書けないんだ、こんなになにもできないんだ。
見苦しい自己嫌悪と嫉妬しかできない。オタクのリア友がみんな絵を描く人だから、もともと文章の人ってだけで居心地悪かったのに、ここ最近は自分の僻みだけで自分で居心地悪くしてる。そんなこと思ってないはずなのに、絵描けないわたしだけ疎外感あるように思えてしまう。被害妄想だと分かってるけど。
でもアイディアだけはまだなんとか出てくれる。昨日はあれほど聞くのも嫌だった音楽、色々聞いていたら「あ、この曲推しカプっぽい」とか、そういうことは思えるようになった。数年前はもっと色々なものから刺激受けれてたけど、どうもセンサーが鈍ったみたい。言葉でもらわないとセンサーが反応しなくなった。センサーの反応までは枯れなかったようだ。けど、それが逆につらくもある。この発想を誰かに伝えたいという感情はあるのに、それを伝える手段を一切失ったというかそもそも持ってないのだ。
あ、この曲推しカプっぽい!なんちゃって白背景マンガですけどどうぞ!も140字SSですけどどうぞ!もできない。ましてやパロディ動画化なんてできない。
そうやって否定するからできないんだ〜とかなんとか言われそうだけど、もうこの自分の何も出来なさにはもう自分で飽き飽きしたんだ。
誰かに褒めて欲しい。たくさんの人に見てもらえれば、それはとても嬉しいことだけど。一人でもいいから好きって言って欲しい。なんか泣けてきた。
この匿名ダイアリーは、ある二人のすれ違いを片方の視点から書いた非常に不平等なものだということを前提に置いてほしい。
私は同人作家で、文章を書いている。今回話題に出す友達も同人作家で、そっちは漫画を描く人だ。
数えるのも億劫なので適当に記すが、数年の仲になる。結構長い方だ。
2ジャンルほど一緒にいて、互いの感想を言いあったり、合宿をしたり、楽しい日々を過ごしていた。
ある時、彼女は別のジャンルに行った。我々が今までいたジャンルはマイナーで、あちらはドがつくほどのメジャー。人口は勿論、優秀な人材の数だって違う。
その中で、彼女は大きく変わった。
階段飛ばしと言いたくなるほどの勢いで、どんどんうまくなっていった。
彼女の処女作と最新作を並べると、ストーリー、人物、背景諸々が別人では?と思うほどだ。
私は寂しかったし、どんどん飛翔していく彼女に対して素直に祝福できなかったけれども、表向きは称賛を惜しまなかったし、陰で努力を始めた。
変わったのはもう一つ。当然だが、目が肥えた。
合宿をしたときに、彼女がぽつりと言った。「A×Bのカップリング小説で、上手なものを読みたい」と。
そのカップリングは私との共通のもので、「じゃあ私が何か書くよ」と言いたかったけれども、日和見をして「●●さん(同じCPの人)なら書いてくれるよ」と答えた。
そうしたら、彼女は「美味いA×Bの小説が読みたい」と言った。それで話は終わった。
「私が書く」と言えばきっと彼女は「書いて」と言ってくれるだろう。だが、私が黙ればそれきりだったことを考えると、私は「下手なA×B書き」だったのだろう。
そのジャンルでの他の彼女は、あまり思い出したくないことが多い。
私の住む都市でのイベントがあった時、彼女は私の家に泊まって、私を置いてジャンルの人達と遊びに行ってしまった。持って帰ってきたのは食べかけのお菓子。まあ、ゴミだ。
遊ぼうと思ってどこに行こうかとか考えていたけれども、どうやらうちはホテルだったらしい。
逆に、彼女の忌避するジャンルに私が参入して、電話で何度もやめておけと言われたこともある。モラル的な意味では彼女は間違っていないことだけは、明記しておく。
他にもたくさんの嫌なことがあった。良かったことなんて数えるほどだろう。
正直なところ、このジャンルはキャラクター以外はあまりよいものではない。
彼女は人であり、不満をぶちまけるためのバケツでないとわかっているのに。
それでも彼女は話につきあってくれて、カップリングの話になった。
彼女は考察が好きで、その末でのγ×βが好きなのは否定しない。
そして、α×βが成立する理由を何度も何度も聞いてきた。
私はフィーリングでカップリングを決めるから、その辺りの相性は悪いのだろう。
だんだんつらくなってきて、責めるのはやめろ、人のカップリングを否定するな、議論は時間の無駄だ、などと言ったと思う。よく覚えていない。
彼女は議論なんてするつもりはなかった、といって、しばらく連絡を絶った。
しばらくかっかしていた私も、段々寂しくなって、何が問題だったかわからないままに、なんとなく謝罪した。
そこで今に至る。
今、私たちは時折戯れる程度の連絡を取るだけだ。
互いに互いを傷つけあって、何が友と言うのだろう。
これ以上何かが起こる前に、相手と縁を切るべきか。
何があってもあの子が大好きという、究極のおばかだ。
はずかしい追記
毎朝毎朝寒くて仕方が無いわね!
朝車が凍ってるので、
お湯かけて車の氷を溶かさないと車出せないのよね。
もうそれでさ
笑っちゃうのが、
お湯かけた途端またそれが即氷になっちゃうという、
まさにおそロシア!
また戻ってお湯を取りに行くんだけど、
それがお湯をかける毎に
こんな日がいつまで続くのかしら?
ここんとここの寒さはたまらない。
春が待ち遠しいわ。
そろそろ氷が溶けたと思うから
出かけるわね。
結局車が温まるまで溶けないのよね。
早く暖かくなって欲しいわ。
昨日早寝しようと思って夜更かししちゃって
朝ご飯タイタンだけど即支度して出かけたから食べ損なってしまったわ。
今ふと思い出した!
急いで慌てているとダメね。
白菜1玉1000円とかあり得ないわ~。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺の家の地域は、二十年ほど前に、区画整理と道路の拡張の話が出た
しかし当時の60~80代の地域の奴らが大反対をし、逆に30~40代の働き盛りは、車通勤時も道が狭くて大変だし、子供の通学も道が暗くて狭くて怖いし、救急車も消防車も入れないし、と賛成した
地域は二つに割れ、老害たちの時間と暇をもてあました大規模反対運動に、若手は勝てるわけがなかった
俺たちが生まれ育った土地を変えるというのか!移転しろだと!許さない!が老害の言い分だった
そして、区画整理と道路の拡張は流れ、それから何件かの家がぼけた老害がストーブを倒したり、天ぷらあげたりしたのを忘れたりで、全焼
もちろん、区画整理されていないので、消防車は入れず、近隣の若者のバケツリレーで対応
道が狭いので足腰の弱った老害は夜に歩いていて溝に落ち骨折。入院。そのまま戻れず死亡
まさに自業自得。
別地域でも同様に区画整理の話が持ち上がった。この地域の老人たちは「未来のためには便利に車が通れるようにしたほうがいい」という賢人ばかりで、その地域は立派になった
大金をもらって地域を出て行った老人たちは、町中の便利なところに土地を買い悠々自適
道が整備されたことでスーパーなどが増え、新しい家がたくさん出来た。今は土地価格も上昇し、あの地域の者はみな金持ちになった。
区画整理をしなかった我が地域は、住みにくいからと老害の子供は実家に戻らず遠くに行き、老人ばかりが増え、人が減ったので商店3件は全部潰れ、バスの本数が減り、とうとうバス停もなくなった
残った老害たちは不便な中生活していたが、一度流れた区画整理の話がもう戻ってくるわけがない
市は、地域のためを思って言ったのに、大反対をされたトラウマがあり、再度の区画整理の話はしなかった
そして20年
死んだもの、老人ホームに入った者。そんな反対の元気もない者。病院にずっといる者。
二十年ぶりに区画整理の話が持ち上がり、当時30代だった人たちが「待ってました!」と立ち上がり、ものすごくスムーズに、反対一つなく話が決まった。
とても嬉しい。
正月なので実家に帰省していたんだが、自分の両親が毒親である気がしないでもなく…
いや、両親には大学まで出させて貰ったから感謝はしているし、毒親だと思うこと自体申し訳なく思うのだが…
今まで本やネットで見聞きしてきた毒親に比べれば全然マシだから毒親じゃないと思ってたんだけど、軽度の毒親なのではないかな、と。
私:現在アラフォー間近。兄弟有り。独身。実家の遠方で独り暮らし。上場企業勤務。
父:アラ古希。元農協勤務。現在実家の農家を継いでいる。今は酒以外辞めてるが、かつてはヘビースモーカーでパチスロ通いばかり。
母:専業主婦。料理は得意だが片付けが苦手。親戚、他人、父、相手を問わず悪口ばかり出てくる人。
どうなんだろう…
幼稚園の頃、夜中に高熱を出した私を抱えた父がかかりつけの病院に駆け込んでくれたりしたので愛されてないことはないと思うんだが…
まずはバケツに水汲んで大量に流してみては
最近、発見して驚いたのが、けっこう多くの人が、細長いフランスパンの
について、その読み方を
だと思っている、ということです。
まぁ、思いきり、「バケツ」という日本語に引っ張られているわけですね。正確な読み方は
ですね。てんてん、つく。
でも、間違える人が多くて、バケットで検索しても、Googleはぜんぜん、バゲット?と優しく聞いてくれないし、検索結果にも
と案内が出てくるのに、誤解している人がいるんですね。
もともと、細い棒を示すフランス語がbaguetteで、それがパンの形状に似ているということ、ですね。
シュミレーション (Simulation シミュレーション)
コミニュケーション (Communication コミュニケーション)
など、いろいろあります。
私は最初にバゲットをフランス語の授業で覚えたので誤用はしませんでしたか、フランス語を知らない人は
で頭に入っちゃったんでしょうね。
もし、バケットになっている方はこっそりと直しておくといいかも、です。
長らく非正規で働いてきたが、紹介予定派遣を経て、カフェやレストランを運営するチェーンの本社にマーケティング職で就職した。
ソーシャルメディア戦略の一環として、マーケティング担当が各ブランドのtwitter運営担当になった。
自分はカフェチェーンの公式アカウントを担当することになり、季節のおすすめメニューなどをつぶやいていた。
上司は部内で運営しているtwitterアカウントのすべてに目を通していて、指示というか、個人的な好みを押し付けたような細かい注文が多く、若干、マイクロマネジメント気味だったように思う。
昨年の秋のメニューとして、牡蠣のアヒージョを紹介したとき、これにはパンが付いてくることを知らせたくて、
そしたら土曜日(休日)の午後に上司から携帯に電話がかかってきて、すごい剣幕で、家に来いといってきた。
外出中だったので、戻るまでに時間がかかるというと、いくら時間がかかってもいいから、来いと言われた。
結局、夜になってから上司の部屋に訪問することになったのだが、中に招じ入れられて、正座させられて、iPadを見せられた。
「なんなんこのバケットって?」
上司に詰め寄られて、それはフランスパンのことだと説明すると、
「それはバゲットだ。バゲットは「細い棒(baguette)」の意味のフランス語だが、お前の書き方だと、アヒージョがbucket、つまりバケツに入ったサイズで出てくると誤解されるだろうが、どうしてくれるんだ」などと、激昂された。
すぐに自分のスマホを使って文言を訂正したが、上司は腹の虫がおさまらないらしく、服を脱げといってきた。
彼は冷蔵庫からストロングゼロの缶を出してきて、「飲ませろ」といった。
コップに注ごうとしたら、手首をつかまれて、全裸になった自分の腹にストロングゼロをかけられた。
「牡蠣のアヒージョは海産物だから、海産物で落とし前をつけろ、わかめ酒だ」などといって、下腹部をストロングゼロごと執拗に舐められた。
その後はどうしていたか、あまり記憶がなくて、気がつくと高熱を出して自分の部屋で倒れていた。
苦労して得た職を失うのがこわくて、その後も出社したが、上司の姿が視界に入ると、身体が固まって、脂汗が出て、気分が悪くなって、トイレに行って吐いたりした。
それなりの規模の企業だったので、コンプライアンス委員会があり、通報した。
その上司のやりかたには、いささか行き過ぎたところもあったかもしれないが、フードビジネスにたずさわっているものがバゲットをバケットを混同することは言語道断であり、上司の対応は必要な指導の枠を逸脱するものではないということだった。
上司が飛ばされるどころか、自分がマーケティング職を離れて、ファイリングの整理をする部署に変わったので、そのまま流れで退社した。
以来、正社員の仕事はみつからず、現在に至っている。パニック症候群を発症したらしく、毎日定時に電車に乗って出勤することができなくなり、できる仕事が限られるようになった。
当然、収入も限られ、日払いバイトが終わると、松屋の持ち帰り牛丼をコタツで食べながら、スマホのテザリングでYouTubeからアニメを見て、ストロングゼロを飲むことが人生の唯一の楽しみになっている。
こうした生活があとどれくらい続くのか、状況が改善するのか、見当もつかない。
将来が不安に感じられることもあるが、ストロングゼロのアルコール成分がすぐに脳にまわって、最近はあまり物事を深く考えることができなくなっている。
ただ、バゲットをバケットと呼ぶことは、ハラスメントに勝る大罪らしいということはおぼろげに考えながら、混濁した意識が完全に消えるのを待っている。
40代男。地方国立大学卒。就職氷河期で就活に失敗し、第二新卒で地元の食品卸業者に就職。
30代半ば過ぎまで手取り20万以下(サービス残業込)で課長になる。
いわゆる第三セクターが運営するベーカリーレストランに立ち上げから関わることになる。
入札に参加して案件を取って、メニュー開発から始めて、パン類を一括納入することになった。
こいつはフードビジネスのことは何も知らないのに、気位だけは高く、マイクロマネジメントばかりして、扱いにくかったが、継続的な収入になるこの案件を落とすわけにはいかなかった。
メニュー開発会議の時にも、まったく見当違いのことを言い、無理な価格を提示してきて、困らされてばかりだった。
そんななか、フランスパンを焼く業務用オーブンの選定をしていた。
先方の担当者は、フランスパンのためにオーブンを買う費用を出し渋った。
自分は自分なりに熱弁をふるって説得しようとした。クロワッサン等を焼く普通のオーブンは、コンベクションオーブンといって、フランスパンのバケットを焼くには使えない。バケットを焼くには専用のオーブンがどうしても必要なのだ、これだと、バケットが一度に大量に焼けるので便利だ。
相手はきょとんとしていた。自分の説明がわかりにくかったのかと思った。
だが、おっさんは、「ふっ」と自分を鼻で笑い、あざけるような顔をした。
おっさんは続けた。
「バケットだと、bucketでバケツになってしまう。バゲットはbaguetteという細い棒を指すフランス語だ。きみは食品業界でずっと働いているのに、そんなことも知らないのか」
その後のことはよく覚えていない。シャツの脇にへんな汗が湧いて、粘っこく不快だったことだけをおぼえている。
オーブンは結局納入できず、フランスパン抜きで開店することになった。
その後、正社員の職を探しても、条件が合わず、派遣を続けて今に至る。
結局、結婚して家庭を持つことはかなわなかった。
仕事の後にマックスバリューに寄って、値下げになったお惣菜とストロングゼロのロング缶を買い、YouTubeを見ながら寝るまでの時間を過ごすことだけが人生の楽しみになっている。
80年代の歌謡曲を聴きながらストロングゼロを飲んでいると、だんだんすべてがどうでもよくなってきて、そのまま倒れるように、炬燵で寝入ることも多い。
あのとき、バケットとバゲットを間違えなければ、自分の人生は、もっと別のものになっていたのだろうかと。
豊崎愛生さんが一般人男性とご結婚されたようですが、私は豊崎愛生さんのファンではないんですけど、かわいいよね、とたまにネットで見かける度に思ってたので、少し寂しい気もします。
私も(そして大半のあなたも)一般人男性な訳で、一般人男性と結婚したウチの自称専業主婦は、掃除もせず部屋は汚部屋で私が片付けようとするとキレるヒステリー持ち、いや、何もしなくてもキレるんだけど、働かずにネットで食い物やら何やら買い込み、ブクブクと太り、多分自制心や理性が無いから自分を客観視できず、自己肯定感が低いから気に入らないことがあれば、感情をコントロールできず幼児のようににギャンギャン喚きます。こいつも一般人男性の妻なのになぁ……いくら褒めても優しくしても底の抜けたバケツのように承認を吸い取り、しかし決して自分で自分を承認することなく、他人の承認を頼りに、自分の意志で自分を律することなく生きている。
私も(そして大半のあなたも)一般人男性なのだから豊崎愛生さんと結婚するルートもあったかもしれない。いや、豊崎愛生さんだって人の子なのだから、ヒステリーぐらい起こすんだろうけどね。
来世に期待です。
○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、生卵、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、大根と水菜のサラダ(水菜って野菜の中で一番美味しいな、大根は二番目に美味しいから、このサラダはよく食べよう)
○調子
はややー。
来週の木曜日から東京に一週間出張なので、体調を崩さないように頑張るぞいや。
○360
6月だか7月だかでプレイを中断していたのを、昨日の次にプレイするゲームアンケートでなんと最も票を獲得したので、プレイを再開しました。
ゾンビがアホみたいにウヨウヨしているフィールドで様々なアイテムを使って自由にゾンビを殺しまくる系ゲーム。
(ちなみに、2の後日談のCASE:WEST、続編の3、続編の4とあと三本も積んでいる)
1とCASE:0のあらすじは自分の日記を読み返すことで把握した。(2017年6月あたり)
ストーリーは、CASE:0のあとフォーチュンシティーでゾンビ虐殺ショーに参加して日銭を稼いでいたチャック。
しかし、そのゾンビ虐殺ショーのためのゾンビが何者かにより暴走し始め、恒例のゾンビ山盛りフィールドに閉じ込められてしまう。
そして、国のなんか警察だか軍隊だかの人と避難するも、なぜかチャックがゾンビを解放した映像がテレビで流されてんやわんやしだす。
キャスターのレベッカさんをセーフハウスに連れてくるところまで、ストーリーは進めた。
デッドライジング1のときも思ったけど、シナリオを進めたい気持ちと、レベルを上げたい気持ちがうまく合致しないから、まずはレベル上げを頑張ろうかなあ、と思った。
というわけで、救助者を助けたり、サイコパスと戦ったり、バケツに電動ドリルコンボアイテムや、車椅子にバッテリーコンボアイテムなどで、経験値を稼いで、レベル12まで上げた。
レベル12かあ、最大が50なので、まだまだまだまだまだまだだなあ、スムーズにストーリーだけを追うには、もっともっともっと欲しいよね。
会社での昼食は家から持ってきているものを食べていることが多い。ごはんとおかずがセットになった質素な弁当。
今までは白米だったが、最近はなんとなく健康に良さそうな気がして買った玄米を食べている。玄米は特別好きというわけではないが、それなりに美味しいと思う。わたしのなかで白米と玄米の美味しさは並列で、それぞれに良いところがあり序列はない。
だが昼食をともにする同僚の女性にとってはそうではないらしく、
「うげ。また玄米か。うわー」
だったり
「玄米きらいなんだよねー」
とか
「玄米はまずい」
などと、毎日のように否定的な意見をくれる。わたしはなるべく波風を立てたくないので、
「匂い苦手な人多いみたいだね」
とか
「独特な味だよね」
とか
「そういう考え方もあるよね」
などとお茶を濁してから、まあわたしは好きなんだけどね、などと独りごち、食べる。
わたしはズボラな性格なので、お弁当づくりも適当である。だから先日はフードコンテナに豚の軟骨のはいった醤油ベースの芋煮をいれていた。特にそのことを告げず、昼食に豚の軟骨をボリボリと食べていたら、音を不審がられ何を食べているか彼女に尋ねられた。
わたしは
「ごめん軟骨」
とだけ言った。何かを言うときに相手にどこかしらマイナスの感情を読み取るとわたしはまず謝ってしまう癖がある。
彼女は
「うわー。気持ち悪い。嫌いな食べ物ベスト3にはいる。無理無理」
と言った。
人間にも軟骨あるじゃん、とわたしは言った。彼女は鳥にしか軟骨はないんだと思ってた、と言った。鼻と耳は軟骨だよと言った。どうやら硬骨もしくは肉の塊だと思っていたらしかった。
仕事が終わって道すがらこのやりとりを思い出した。すると、突如わたしは尋常じゃない怒りに駆られた。は?軟骨うめえし。玄米もうめえし。
怒りの感情は膨れ上がり、悲しみを通り越し、憎いと思った。なんだかよくわからないが、その時は心底彼女が憎かった。嫌な記憶が数珠繋ぎになって想起され、わたしは身動きがとれなくなった。
わたしはなんとなくだが、怒りという感情に鈍感だ。いつも適切なタイミングで怒れない。気がついた時にはすごく怒っている。
前述のできごとによって、わたしは強い怒りに駆られた。自分ではなんとなく、我慢できると思っていたみたいだった。だが毎日のように自分の口のなかにはいるものを気持ち悪いとか、食べるものじゃない、と言われて、自分のなかのバケツが溢れた。わたしは家で一人でとても怒っていた。制御できなかった。
なぜこれほど腹が立つのか考えた。そうしてわたしはひとつの考えに思い至った。わたしは彼女の好き嫌いの激しさを許容「してあげている」と思っていたのだ。本来は強く非難されてしかるべき好き嫌いの多さを、わたしが非難しないで「あげている」のに、それを無下にするなんてひどい、と思って怒っていたのだ。わたしはリベラルぶった偽善者だったというわけである。
もともと彼女は食べ物の好き嫌いが激しい。そのことによって冗談交じりに非難されているところもよく見るし、親しくなりたての頃はその好き嫌いの境界線(マグロの刺身はダメだがツナはOK)を探るのが楽しかった。しかし、なぜ好き嫌いが多いかという話になり、
「小さい頃、親がお腹こわすといけないって言って生魚とか食べさせなかったらしいんだ。それで食べられないんだと思う」
という彼女自身による原因分析を聞いてから、あまり好き嫌いに触れないようにしようと思った。それは彼女自身にはどうしようもなかったことだからだ。
誰にでも生きてきた人生がありバックボーンがある。わたしは彼女が生きてきた人生を愛しバックボーンを受け入れることが、今の彼女に対し親愛な気持ちを持つことだと思って疑わなかった。だから好き嫌いについて非難したり馬鹿にしたようなことを言わないと決めた。
だがわたしにとって、食べものの好き嫌いがないことは純然たる正義だった。
人間、生きている限り徳を高めなければならないとわたしは信じ、日々よりよい人間であろうと思っている。食べ物を好き嫌いなく食べることはそれの最たるものだ。馬鹿馬鹿しいかもしれないがそうなのである。
わたしは好き嫌いがほぼなく、大抵のものは美味しいと思って食べている。そもそも向こうは命を奪われているのである。関わってきた人もいる。美味しいと思わなければ申し訳ない。そんな幼稚ともとれる考えにいまだに支配されており、わたしは食べ物を好き嫌いなく食べることは純然たる正義だと信じていた。
わたしは自らの信じる正義を正義だと信じながらも、彼女のことを認めて「あげている」気持ちになっていた。わたしの本心としては、食べもののことを気持ち悪いということは信じられないことだった。わたしは食べられないものがあることを内心恥じていてほしかったのだ。わたしはわたしの正義を押しつけたかったようだった。
だが、人が今まさに食べているもののことを気持ち悪いと言うことについてはやはりやめてほしいと思う。わたしはそう言われるとえづいてしまいそうになる。不快である。テレビなどで独自の生活様式を持つ「部族」などと呼ばれる人が昆虫を食べる様子を気味悪がる場面があるが、あれも本当に失礼極まりないと思う。なぜ人のバックボーンを受け入れないのか。その人がそうしている歴史を受け入れないのか。わたしには玄米や豚の軟骨を食べたくなるようなバックボーンが存在すると、どうして考えてくれないのだ。自分勝手かもしれないがそう思う。
わたしは人間の独善的な有りようは紛れもない悪だと思う。だが独善的な有りように対し決して受け入れまいとするわたしもまた独善的である。だが独善的な有りようを許容してしまうとこの世は独善的な有りようが占めてしまう。ノーと言うべきか否か、ジレンマに板挟みになる。
わたしはわたしが食べているものを気持ち悪いと言われることが嫌なことがわかった。今後どうすべきか、方法は以下のとおりだろう。
①食べているものを気持ち悪がられると嫌だと伝え、控えるように言って一緒に食べる
②上記の理由を伝えたうえで一緒に食べることをやめる
③上記の理由を伝えず一緒に食べることをやめる
ぱっと見①がまっとうだが、考えるに、彼女にとって彼女の嫌いなものを目の前で食べられることがストレスなのだと想像する。また、自分の食べられないものを貶めることで、普段好き嫌いについて非難されることへのフラストレーションのはけ口にしているのではないか。よって①は却下である。
②はまず伝えることへのストレスがある。④はまだ玄米が8キロある。よって③が妥当だと考える。
うだうだ人の悪口を言うような奴は勝手に一人で食ってろって話である。わたしはまずこの徳の低さをなんとかしたほうがいい。考えすぎかなとも思う。書いてスッキリしたかというとそうでもない。