はてなキーワード: ウンザリとは
世の中のSF作品には嘘が多くそれによって勘違いをする人が多く居て困る。
私は前々からそういった人達の勘違いからくる発言によって迷惑してきた。
取材だったり、質問だったり、若手の失敗、取引先の相手との行き違い、あらゆる場面で「SFから得た間違った知識」にストレスを感じさせられてきた。
同じような間違いを何十人何百人という人間が口にし、その度に指摘し続けることに疲れた。
巷でSF映画が話題になる度に、そういった勘違いをした人がまた自分のもとにやってくると思うとウンザリする。
映画のCMを見るだけで、作品の面白さが最優先で現実の科学なんてものはそのための触媒としか思ってないことが伝わってくる。
詳しい人間に大雑把な質問をぶつけるだけで好奇心を満たしてしまわずにもっと根源的な部分からしっかりと知識を積み上げて欲しい。
SF作品であっても、現実の事象をちゃんと再現しようという気持ちがあるのなら否定する気はなく、それらが「正しい知識」を多くの人に授けてくれる事さえ期待する。
私は前に「プラネテス」という漫画もまさにそういった作品であるかのように誰かに薦められた。
そのことを思い出してふと手にとって見たが、なんのことはないこれもまた嘘まみれの作品であった。
私は非常に強く傷ついた。
私が嘘にまみれたSFを嫌いだと知っているはずの人達からこんなものを薦められたことに苛立ち、孤独感に襲われ、この世界から断ち切られた絆を必死に取り戻そうと焦ってしまった。
私の頭の中で「プラネテスという作品」「その作品の読者」「フィクションから得た間違った知識を信じる人」「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」がごちゃまぜになっていた。
特に最後の「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」と「プラネテス」が結びついた時、過去のあらゆる悲しみの原因がプラネテスにあるかのように私の脳が錯覚を起こしたのだと思う。
幾千の作品の行く万という嘘によって作り出された幾億の人の勘違いの全てから産まれた苛立ちを、たった一つの作品にぶつけてしまった。
もしも私が突然「私は日本人に沢山酷いことをされたので、日本人である貴方を殺すことで憎しみを晴らします」とお互いに初めてあう相手同士で言われたらギョッとするだろう。
それと同じことをしてしまった。
私が理解してほしかったのは「作品としてしっかりしている」と言われるようなSFでも「サイエンスとしての考証がしっかりしていること」は全く保証されていないという事だったのに。
そして、その違いを切り分けることなく安易につなげて考え「この作品は面白いから、この作品は本当なんだ」というような勘違いはしてくれるなという事だったのに。
これも少し違っていて、実際には「勘違いはしてくれてもいいが、それが勘違いなのかどうかを自分で本を読んで学ぼうという姿勢を持ってくれ」なのだ。
漫画から得た知識を繋ぎ合わせてもどこまでも漫画から得た知識の連鎖にしかならない。
自分でしっかりと学んで欲しい。
面白いSFを読んだ次に向かう先が、次の面白いSFではなく、科学雑誌であってくれればいいのに、そういった自分の気持ちが世の中とすれ違っていると感じて、産まれた孤独感が暴走してしまった。
「作品の面白さは科学的な正しさを保証しない」ということを、世の中のすべての人に理解してもらおうなんて押し付けだったのかも知れない。
リアリティがある作品こそが素晴らしいという価値観が逆流していき、素晴らしい作品であればそれがリアリティであると世の中が歪んでいったのだなんてのは私の杞憂なのかも知れない。
兎にも角にも、私が自分の長年の苛立ちを特定の作品そのものにぶつけたのは度が過ぎたことだ。
ありとあらゆる罪の根源を特定の何かを生贄にして押し付けるようなことなどが許されるのは神様ぐらいのものだ。
人間のくせに「現在過去未来その全ての悪の象徴としてお前を断罪する」なんて口にしたのは「分を弁えない」ことだった。
人間に出来るのは、あくまで一度に一つの作品に対して、一人の人間に対して、一つの間違いに対して、一つずつ対処していくことだったのに。
長い時間の間に溜まってきた不満を一度にぶつけてはいけなかったのだ。
個人的なわだかまりや消化不良な怒りの積み重ねから出た99%の八つ当たりをさも100%正当な怒りのようにぶつけたことを謝らせて欲しい。
それでもわがままを言うならあの怒りに1%ほどは正当なものがあったということぐらいは許してもらえないだろうか。
私達はいつだって「フィクションから産まれた嘘によって現実がおびかやかされること」に怯えて暮らしてきたのだ。
有名な作品であれば有るほど些細な嘘がより多くの人を巻き込み大きな渦となって現実に襲いかかってくる。
「作品において嘘を書く」ということは、どこかで現実の科学と戦っている人間に突然の大嵐となって遅い来る可能性を生むとういことを知っておいて欲しい。
それでも、これは私達科学者が戦わなければいけない私達の問題なのだということから目を逸らすつもりはない。
ただ、「分かった上で、それでも誰かを楽しませるために仕方なくやっているだろう」と思わせて欲しい。
本当に、本当に不安になるのだ。
娯楽作品で安易に飛び交う嘘を見る度に、それがどんな形で自分たちを脅かしにくるのかが。
私達の臆病さを、慈悲を持って許してくれるとありがたい。
こんなもんかな?
なんで俺が言語化するのかって?
かんたんだよ。
あの爺さんはプライドも高いし半端に知識も有るしその癖ボケが進行しているからもう自分の口で自分が言いたいことも言えなくなってるからさ。
だからその代わりに俺が言ってやるのさ。
言語化ってなにも本人がしなきゃ駄目ってこともないだろ?
近年の加野瀬さんはだいぶツイフェミ側の肩を持つようで、それ系のリツイートでTLが埋まる事がしばしばある。
反フェミがなんかやらかすと、ツイフェミによる腐し貶しツイートを喜々としてRT乱打して、中にはプロフ飛んでみると「クソオスが・・・」と日常的に呟いているようなミサンドリーツイフェミまでRT拡散させるおかげで、フォローしているこっちのTLもギスギスした男性嫌悪系ツイートが加野瀬さんRTから経由で飛んでくるようになってしまった。
ツイフェミ側だって頻繁にやらかしをやっているのに、そちらはほぼほぼRTしたり都合の悪い部分は共有したりしない、加野瀬さんがどういうスタンスでいるのかが良く分かる。
自分からは手を下さず、一方的なRTだけして、「今、世論はこうなってますよー」と印象操作としか思えないムーブは正直クソダサいと思う。
特に某議員絡みになると、加野瀬さんはタガが外れたように当事者を攻撃するようなツイートを連続で共有させてくるので本当にウンザリする。どうも自分の気に食わない相手を攻撃できれば何なんだって良いようだ。
ここ最近で一番やべえなと思ったのが、伊是名夏子のJR職員へのクレーム行為を称賛するツイートをRT乱打しまくった挙げ句、最後に自分で「多少強引な方法を取らなきゃ世の中変わっていかん」的な事をツイートした事だ。
マジかこの人と思った、この人ここまでバランスを欠いた人だったっけ??と目を疑い、その邪悪さに吐き気をもよおした。
(気分悪くなるのでそのツイートを掘り起こす気になれなかったが、騒動当時のTLを遡ると確かにあるはずだ。)
たまに有益な事も言うし、相互フォロワーでもあったので上記の伊是名夏子騒動以降も我慢してフォローし続けてたが、ここ数日が特に酷く反フェミ叩きと某議員叩きのツイートを大量にRTしてTL汚しをしてくるのでもう限界を感じ、ブロックして視界から消した。
加野瀬さんの周りの人達は最近の加野瀬さんの振る舞いをどう思っているんだろう。
otsuneや在華坊さん辺りは今でも加野瀬さんをフォローしているはずなので、余計なお世話なのは承知で少しは注意したほうがいいと思うのだが。
そりゃ「そうなりやすい」ってのは男性の性質なんだから、歳とろうがそういうのは全体として出やすいってのは仕方ないんじゃないか?日常の人間関係ではある程度抑えてる人が大半だとは思うが(あくまで私の経験上だけどね。もちろんそうじゃない人もいる)
そういうので言うと女さんも、大人になってもグループ作ってネチネチやる人って多いじゃない。家族でも職場の女性の派閥の話とかウンザリ話してるのよく聞くけどさ、いい歳になっても小中の頃と変わんないなって感じるよ。
男の子も女の子も、歳とっても男女の基本的な差の部分ってのはやっぱ全体で見ると完全には消えないんだよ。歳とともにコントロールして抑える人ももちろんいる。けど全体でみると「性別による傾向」ってのはやっぱどうしても残るんだと思うよ。
そういうの踏まえた上で私が個人的に思うのは
の、大切さかな。
強さランキングとか、そういうすぐ比較したがるのを理解できないってのは別に全然いいと思うけど、そんなのは子供のうちまでで卒業しとけ的な意見は、やっぱ違う。人に迷惑かけない範囲の「理解できないこと」は、その程度飲み込むか、もしくは出来なければスルーしとけって思うかなー。
ほんとウンザリしてる。
BLMとかフェミニズムとか温暖化問題とかでコメントすると決まって「ウイグル人の人権も守れ」とか「弱者男性も虐げられてるぞ」とか「エネルギー問題放置なんて無責任」とかの糞コメが連発する。
正直いって我々だって時間の限りのある一般人なので、自分らの興味ある事柄以外はそこまでカバーしきれない。是々非々だし相手によって言い方も印象も変わるし立場によって考えも変わるんだよ。
それなのに人権や差別や環境問題について話すとそれらカテゴリーすべてを全方位してないと「偽善」とか「ダブスタ」とかコメントしてくる連中が多すぎる。ウイグル人の人権や弱者男性への差別に興味あるんなら、その人らが自分らでやってくれよ。
左の人が言いがちな、経済的成長は幸福をもたらさない、みたいな話にも近いというか、
集団がことなかれ主義に陥って、保守的になってるんだとも思える
つまり、実際の仕事が前進しているかはどうでもよくなっている可能性がある
文章内の攻撃的とか難しい人というのが、本当に仕事を妨害している人なのかは現場を見ないとわからない
だから、そういう抽象的な表現で、そういう人は邪魔だよね、排除した方が生産性が上がるよね、というのが寧ろ攻撃的に思える
個人的に思うのは、感情的な人が仮にいたとしても、寧ろそれに流されない方が良いのではないか、ということだ
感情的な人や攻撃的な人が悪というより、単にその感情的要素は無視すれば良い
そんなことより、仕事が前進してるかどうか、ということだけ考えればいい
そうすれば、相手が感情的であるかどうか、なんてことは、どーでもいいことのはずだ
ログミーの話は抽象的すぎるので置いておくとして、トゥギャッターの話は自分はモヤモヤする
「どうして〜なんですか?」
という疑問に返答しない、寧ろそれに苛立つ、という人の方が寧ろ感情的であり、攻撃的であるといえまいか
返答内容が、そう決まってるからそうなんです、でもいいではないか
サラッとそう流せばいい
相手がそれでも執拗に言ってきたとしても、そう流し続ければいい
どうして、それができないのか?
つまり、受け手側もその質問と同じ疑問、苛立ちを持っているとも考えられる
そういう風にしか思えないことが、仕事であれ日常生活であれよくあるように自分は思う
痛いところを突かれた、図星だ、そこから過剰な防衛反応に移行する
素朴な疑問を呈した人間は難しい人だ、
攻撃的な人、難しい人は生産性を下げるという論文がある(某メンタリストのような権威主義、恣意的な論文引用による正当化
自分が加害者でも被害者でも、そんな推論のハシゴをゆっくりなんてとっくにやってる
ゆっくり登ったって、論理的思考ができない人は圧倒的にできない
「なんで〜を選択したんですか?」
という問いに丹念にゆっくり、その推論のハシゴとかいうのを登ったところで、一番上に到達する前に相手が議論を放棄する
特に上司というか、仕事での権力の関係があれば、それは顕著になる
結論を最初に持ってくれば、それはそれで急ぎすぎだと言いつつ理解しようとしない
じゃあ、ゆっくり議論ができたらどうなのか?とできたとしても、そこには人間の思考としての意味で人種が違うという圧倒的な壁が出現する
あー、これは最初から会話にならないのに、自分は頑張ってたんだな、という徒労感だけが残る
仲良しクラブは成り立たないし、グーグルが心理的安全がどうこう言おうがクソ食らえだ
理不尽であれ、そんな丁寧な議論は、上から一蹴されるだけで終わる話なのだ
オチを考えずにだらだら書いてみたが、やはり思うのは、結局議論の意味なんてなくなるのである
これはマキャベリズムとして正しいし、意外とマキャベリズムは正しいことが多いのが現実である
ログミーなんか読むより、君主論読んだ方がいいのではないだろうか
理想的な、みんなが理解し合えるチームワークなんて絶対成り立たないことは、バカな自分でも長い人生経験で分かってる
単に目下の素朴な疑問を持つ人は、攻撃的だ、難しい人だ、で集団が追い出せばいい
いわゆる、イジメ、虐待の構図だが、それは集団社会では仕方がない面もある
しかし、これが上司、権力構造的に階層が上の方向に向けるなら話は別だ
これは日本でなくても、他の国でも変わらないように思う
端的に言えば、上司が難しい人、攻撃的、それが気に入らないなら辞めるしかない
不愉快な時間で人生を消耗するのもイヤだろうし、それが金銭的利益より優先されることもある
があって、まず3は避けたい、というのがあったように思う
それに対して、君主である自分は分からない、側近に相談しても側近も分からない、
これは当然避けるべきである
例えば、上司がその新しい技術を理解できない、これはまあいい、理解できないのは当たり前だが、
理解できる側近に騙されるのではないか、寝首をかかれるのではないか、
そういったことを考えているのだな、と思える上司、君主は非常に多いように思っている
マキャベリは、君主として自分が理解できないことがあり、側近には理解できることで側近に騙される、
そういったことに対して直感的ともいえる、側近のウソを正しく見抜く力、
そういう力がない君主は単に駄目なだけのように書いていた気がする
仮に側近が善意で行動したことでさえ、君主には理解されず粛清されることもよくある話だからである
側近を信じ切るような君主もバカであるが、疑いすぎる君主もバカであるし、
自分が理解できないことを側近が理解できることを恐れるばかりの君主は、いつしか敵に打ち負かされるであろう
自分より劣った側近を周囲に置いていないと安心しないからである
あー、書いてて思ったんで再度書くけど、
Googleがこう言ってる、
〜という論文がある、
とか、まあ、参考程度するのはいいけど、それが正しいという前提で話すとか、最近の「頭でっかち」の風潮が非常に不愉快なんだけど…
そもそも、人文科学というか、社会科学というか、研究や統計調査だって理系のものとは大分違うものだということを理解してほしい
特に「脳科学」の研究だの、そういう研究をしている、していたからって、
痴話喧嘩だの人生相談だののレベルに偉そうに口出しする女性とかがメディアに出ていたりするが、
まあ、まともに研究している人ならそんなことはしないわけで、
ソーシャルメディアというか、いわゆる「単なる目立ちたがり屋さん」に自分の人生を振り回されるの、馬鹿馬鹿しいと思うんだよなぁ…
それより、理系のこととか、法律とか、そういうことは揺らがないわけで、
というか、なんか最近の世の中は急ぎすぎてるんだか、その自分の判断だの悩むところを時間の無駄だと思ってないか?
一生結論なんてでなくていい、結論が出ないまま悩み続ければいいことに、一足飛びに答えを求める
その「単なる目立ちたがり屋さん」のYouTubeとかブログとかTwitterとかテレビとかに答えを求めて、そーだそーだ言ってる
なんか、そういうのって虚しい行為だと思うんだよね
でも、そういう虚しい行為をGoogleなり、キラキラした企業なり、起業家なりがやったり言ったりしてるんで、
それに飛びつきたくなる気持ちは分かる
そこに答えがあるんじゃないか、
いや、もう考えるの面倒だし、それが正解ってことでとりあえずやってけばいいんじゃないか、
みたいな風潮がやっぱりあると思うんだけど、
まあ、馬鹿げてると思うんだよね
人として
こういうのを「○○イズム」とかそういう言葉をこん棒に使って規制に持って行こうという動きに本当にウンザリ。「表現の規制」以外の何物でもない。
あのネタは「お前○○してそう」に対して「いやそうじゃねぇよ!」っていうものであって増田の主張とは全く逆じゃん。「ルッキズムで人を馬鹿にすることを肯定するものだ」なんて全然受け取れない。そういうバカにする気持ちをベースとした笑いにしてると言っているが、それが存在することは増田自体が体験している「実在すること」なのではないか?そして存在する偏見を存在としたうえで、「そうじゃねぇよ!」というネタをしているわけで、それは「ルッキズムというものがあって、それはやめましょう」と言っているのと同じではないか?
あとは「他のやつが真似をする」という話があるが、それは果たしてお笑い番組の問題の範囲としてどこまでやるべきなのか?(もちろん何でもOKではないだろう。程度の問題だ。)例えば小島よしおが「そんなの関係ね~」って言ってそれが子供の間で流行って問題になったってことがあったけど、あれって小島よしおが悪いわけではない。テレビはテレビでやっていて(先述の通りあまりに目に余るものは当然規制の線の中に入るだろうが)、教育をする責任を持つ人は別にいるわけ。それは親であったり、不遇な家庭であれば教師であったり近所の人であったりする。
増田の個人的な経験でルッキズムで馬鹿にされたのは問題だしそういうことをする奴はクソ野郎として糾弾されるべきだし増田はそこに関しては間違いなく被害者だが、その体験により敏感になった自分の感覚を絶対正義として「俺は嫌だなぁ」でなく「放送をやめろ」という規制方向の言説を「○○イズム」というこん棒を握ってネット上に上げることは全然正義じゃないと俺は思うわ(「俺は嫌だなぁ」ならいんじゃね)。
人にはいろいろ傷があってキーワードに敏感に反応するということはあるし、テレビとか本とかでキーワードを発しているとビクっと反応することがあるのはわかる。それはわかるんだけど、そうなったからその「不快感」を是として今回のように「むしろ逆」のことにも突っかかるようになり、表現の場が「そのことそのものを避ける」ように暗闇に葬り去り「活動家様がやる高尚な活動」のみにその問題を任せてしまっていたら、それは人の関心を集めないし全然解決には向かないと思う。今回のモモのネタは、これはむしろ「ハハハ、いやーそうだよな、見た目で人を判断しちゃだめだよな~」って方向に行くかなと思っていて、それをルッキズムだと切り捨ててしまうといわゆる「低俗な啓発」という大事なパスが失われてしまうのではないだろうか。
もちろん感じ方は人それぞれなわけで「こう言っていいんだ~」みたいな動きをするクソ野郎も一定数出てくるだろうが、モモを見て「いやむしろそうじゃなかったでしょ」とキチンといさめる人間だって出てくるし、「こう返せばいいんだ」と参考になった人間だっているはずで(「こう返せ」という強要になるのはまた問題であるが、それも「そういうやつも出てくる」ということになる)、見た目の話だからアウト!とかやっていてはどんどん「現実世界の問題」は深く見えないところに行ってしまう。そのくせ「高尚な机上」ではそれが議論されている形をとっていて、より分断が進む。もちろんこれは俺の考えだが、「あのネタがルッキズムを助長する」というのも増田の考えだろう。
気を付けたいのは、「助長したのか逆なのか」というのを定量的に調査せずどちらかの意見に偏ったドキュメンタリーなりの番組をマスコミが作った時に、自分の党派性にあっているからと言って無為に持ち上げて「ほら言ったじゃないか!」とはすべきではないということだ。そうやって「間違った方向への『進歩』」をしてしまっていることは山ほどあると思っている。
自民党が政権失ったころ、アナクロ右派や宗教右翼まで取り込んでウイング広げないと主流を保てなかったのと同じで、いまの左派もメガリアや極左に近い所までウイングを広げないと数を保てないんだよね。そんで、どっちもその取り込んだ連中をヨシヨシするためにおかしなことになってるわけで、それらの党の本質がそのオカシゲなものとイコールだとは思わないなあ。
特に表現規制とかの問題については、その「おかしな連中」の発言ばかりが目立ってウンザリする。そもそも、その右と左の「オカシゲ」な人らの言ってることって実はよく似てるので、悪いけどそこでくっついてくんね?とさえ思う。そうすりゃ右派左派はもう少し落ち着いて対話できるんじゃないか。
今年のM1、予選の最後に出てきた「もも」っていうコンビの漫才がこの令和の世になってまで”ルッキズムでオタクをバカにする内容”でウンザリした、というお話ですよ
https://www.youtube.com/watch?v=VXmL-RUBouQ
きっと彼らはM1なんて大舞台に立てるだけのものすごい実力があってものすごい努力もしてきたのだろう
要は
(あえてこの表現するの許して欲しいのだけど)
「強面顔」と「オタク顔」のコンビがそれぞれ顔のイメージと違うものを欲しがる、ギャップネタ
強面顔がみんなのためになるもの欲しがったりするのが笑いになっている様だけど
オタクの風体のやつ=違法ダウンロードしている=漫画村を運営している=鉄道博物館が好きそう=プリキュアの映画見に行きそう=変身ベルトをしてそう=ダンスダンスレボリューション顔=妹が欲しいといったかキモがられる顔
こちとらずっと「お前プリキュアとか好きそうな顔してんな(笑)」ってイジメられつづけてきたんだよ
1つもわらえねえよ
鉄博行って何が悪いんだプリキュア映画見に行って何が悪いんだオタク風体がそれをしたからって何が笑える要素なんだよ
逆に強面の方も「割り込みしそうな顔」とか「ぼったくりバー顔」とか「亀田一家顔」とかさんざん容姿イジられてるしでもうルッキズムを笑いにできる時代じゃないのだってば
強面に生まれただけでなんで亀田一家顔ってバカにされないといけないんだよ(これは両方に失礼だな)
「お笑いってそういうもんやん」ってしたり顔しているそこのお前、どういうものなんだよ言ってみろ
それでこんな漫才に「観客が拍手するほどの大笑い」が起きてるんだぜ
これがその年の日本のお笑いの頂点を決める大会で何百万人が見ているんだぜ
お笑いコンビ6000組の中の「その年の日本でお笑いが上手な上位10組」の1つの笑いがコレなんだよ
劇場でやるのは構わん。好きにしろよ。大ウケなんだろう。ただ全国放送のテレビで未だにルッキズムを笑いにしないでほしい
あとガチ犯罪の違法ダウンロードとか漫画村とプリキュア映画を見に行く事変身ベルトする事を同列に「オタクが好きそうな事」で笑いにするなよ
みたいな事言うと
みたいな事いわれるんだろうけどそういう所でずっと俺たちは迫害され続けてきたし誰かが言わなければ何も変わらないし言い続けるぞ
俺は真面目にというか、無難にというか、
あー、正直にここで告白するとだな、
いいとこ見せようというか、まあ、お近づきになりたかったのは事実だ
それは否めない
主な理由はそっちだし、まあ知人とか成り行きのつもりだった
ただ、なんだ…
俺が内申点のためだけに立候補しただの、そういうデマを撒いた奴がいて、
なんか、どうしても俺を票数で落としたいとか工作活動したらしく、
そのデマで票が減ったのはまあ、あれとしても、
教師側の一部までもがそれを信用するとは思わなかった
役員になった後も、事あるごとになんか俺の仕事を妨害する輩が出てくるわ、
あー、天上天下って漫画があって、自分はどちらかというと最初の方が好きなんだけど、
主人公の凪宗一郎が子供の頃に、近所の子供とか大人に虐待されて、
まあ、でもあれは漫画だし、呪われた武術の達人の家系だから抵抗もできてるわけだけど、
団地の玄関に出てけだの何だの書かれてる大量の悪質なビラを貼られてるシーンとか読んで、
こっちはフラッシュバックしたんだよな
騒音おばさんみたいな基地外の子供や大人に囲まれてウンザリしたんだよ
そりゃ、途中からやる気もなくなるだろうよ
俺はフーディーニじゃないんだぞ?
勉強してこのクソ田舎から脱出しないと、いずれにせよクソな人生になることは目に見えていたわけで、
そもそも、俺が生徒会の仕事をやるのを邪魔したのは他の生徒や教師だろ
それとも何か?
俺だけこのクソ田舎脱出計画を画策して、学年の中の下からトップ集団になったのが不愉快だったか?
あのな、
俺、ここだけの話だけど、何回もその嫌がらせしてきた生徒たちに殺されかかってるんだぞ
考えてみれば、N先生もどちらかといえば職員室で浮いてたし、ハブられてたんだろうけど、
クソみたいな体育教師に比べれば、N先生は暴力の使い方も手加減も心得てたと俺は思ってる
いつだったか、卒業してから一度だけ、電車でN先生を見かけて、
俺は話しかけなかったが、酷く寂しそうな顔をしてたんだよな
なんか学校とか、特に閉鎖的な田舎みたいな環境は本当にクソになりやすくて、
あることないこととはよく言ったもので、ないことまで噂をまき散らして、
今でいう所のネットで陰謀論とでもいうか、そういう頭おかしい輩が全部俺の敵になってくわけで、
まあ、実名とか今更出してもあれだけど、俺が間違ってるとか覚え違いみたいに言うんだろうけど、
いつもおまえら、言い訳ばかりして、俺の記憶違いとか抜かしてたよな
未だに悪夢を見るぐらい、具体的に覚えてることもあるんでな
何らかの機会に、こっちの方があることないことと含めてぶちまけてやりたい気分なんだが、
まあ、それはチャンスを伺わないと無理なんでな
小山田なんとかとか、コムケイとか、なんかそういう奴があの中から登場したら、暴露してやるんで、
覚悟しとけよとは思ってるんだがな
というかさ、
3年の試験間際の末期なんて、俺はもう学校なんて不愉快だし眼中になかったわけだが、
俺にそういう妨害工作をしたヤンキーとかDQNは、放火で補導されてたよな
あのさ、俺が死ぬほど勉強して、このクソ田舎から脱出しようと藻掻いてるときにさ、
わざとじゃないって、まあ、死者が出なかったのが幸いだけどさ、
俺を散々殴ったり蹴ったり、殺そうとしてきた、十何人?二十人以上いたか?の未成年者とはいえさ、
何やってんの?って話だよな
でもさ、そういう輩側に付いて、一緒になって俺を攻撃していた他の生徒とか教師とか、
あんたらも彼らによる放火だの婦女暴行未遂だの盗撮事件だの器物破損だのあったと記憶してるけどさ、
あんらも同罪だと思うんだよね
あのときも思ったし、今でも思ってるんだよ
ずっと恨んでるんだよ
あのクソ田舎にいた全員を恨んでるんだよ
敢えて言うのも不愉快だし、察しろとさえ思うが、バカだから察する能力がないんだろ?
そんな彼らも一部は今でもあの田舎に住んでいて、普通に地域の役員とかやってるんだよね
まあ、具体的に名前は書かないし、書けないけどさ、
俺の虐待に関わってた馬鹿が、頭が悪いから医学系大学の底辺校に入って、
親の数千万のカネで医者になってネットでイキってるのも最近確認したけど、
おまえとおまえの親が嘘をついて、俺の親を責め立てたことも未だに覚えてるからな
ただ、あの件で一番不愉快だったのは、俺の親が俺を信用しなかったことだ
あのとき、なんで学校で嘘ばかりついてる金持ちのボンボンを信じて、
俺はあいつに殺されかかったのに、
俺は親に、謝る必要はない、嘘をついてるのはあの近所でも微妙に嫌われてる金持ちの家の馬鹿とその母親だから、
とまあ丁寧な口調で言ったし、思ったわけだが、
あのな、
俺はあの田舎で、近所の大人や子供、同じ学校の生徒、ほとんどが敵でアウェイだったのを耐えてたわけだが、
あのとき、俺の親までアウェイになったのかと思ったとき、正直愕然としたんだよな
だったら、俺の親が俺を信じないんだったら、誰が俺を救えるんだ?
N先生か?
N先生も、あのクソ田舎で他の教師の嫌がらせにもあって辞めてっただろ…
先輩に「事故対応チームの主担当になる前に責任ゼロで実地研修できる良い機会だよ」と言われて参加したプロジェクトが、
代表者が独断行動したことで社内各所に迷惑をかけた結果、方向性がブレまくって凍結されそうで最高に嬉しい。
そもそも先輩の誘い文句もウソで、事故対応チームの実地研修どころか制度改革プロジェクトだと初回の会議で知らされたこともヤバいし、休みの日でも24時間事故現場に独立班として急行するなんてイヤに決まってるっしょ。
実際に1回だけ代表が事故現場に急行したけどテキトーな活動で本来の現場責任者とトラブってクレーム入れられるし、プロジェクト発足元の事務局から叱られた代表が明らかにやる気なくして半ば職務放棄状態、会議を開こうにも逃げ回るってオチ。
代表と仲の良いプロジェクトメンバーが休みの日に密会して話を進めるくせに他のメンバーには周知しないから、後出しで「この間話し合いで決まったから」とか言ってコロコロ方針が変わるとかザラ。
しかも監督役で事務局の別チームの役員が口出ししてくるし、そこでメンバーを守るような勇ましい発言がなく「よろしくおねがいします」だけ。
この代表がゴミなわけで、口だけは達者、自分は有能で部下からの信頼も厚いと勘違いしていて、中途半端な知識と行動力を振りかざして周りを巻き込むし、少しでも使えないと思った部下にはやたら高圧的に接してくるから、元々関わりたくないタイプの人間だと思ってたので心底ウンザリしてた。
俺はプロジェクト内でも下っ端だから大した仕事振られてないけど、他のメンバーもモチベーションだだ下がりで、年度末で凍結間違いなしかな。
この増田は人柄の良い穏やかな感じの人だけど、妹は若い時からメンヘラの厄介者で、共通点は実家暮らしの独身中年女性ってぐらいしかないのだが。
https://anond.hatelabo.jp/20211121133914
僕は長男だけど大学進学で上京して以来、全く実家のことなど顧みないで本当に好き勝手に生きてきて、所帯持ってようやく落ち着いて10年ってところ。
妹は学校も仕事も上手く行かなくて何度か家を出て一人暮らしたけど結局実家に戻って、今となっては結婚するのも女の独り身で生活できるだけの稼ぎを得る職に就くのも無理な歳になって、後は実家で両親を看取るだけなんだな。
いえね、妹が実家にいるおかげで僕は長男だけど親の将来の介護の心配が無くて大助かりではある。金は出すつもりだけど、東京から田舎は通いで介護できる距離じゃないよねってことで。
大学の時、就活してた頃だから3年生か4年生の時だったはずだが、実家の母が電話で「(妹)ちゃんがもう死ぬって言ってる。お父さんは何も言ってくれないし、お兄ちゃんから(妹)ちゃんに何か言ってあげて!」と訴えてくるから、
「アホウ、さっさと家から追い出せ。二十歳過ぎて学校辞めて仕事にも就いてないのをどんだけ甘やかすんや。自分で死ぬ死ぬ言うヤツが死ぬはずないやろ」と返しちゃったのを覚えてる。
あの頃は、親はなんであのクズを見放さないんだろう? なんで定時制高校から始まって何度も学校辞めてるのに毎回高い入学料払ってるんだろう? と疑問に思ってたけど、
自分が子供を持つと良く分かる。子供って馬鹿でも可愛いし、むしろ馬鹿なところがあるほど心配で見放せないって。
コロナも収まってきて2年ぶりに帰省する予定なので、今年は両親への土産の他に、妹にも何か気の利いた土産を用意しようかしら。
長いこと恋人がいて、別れてからたった2日しか経っていないのに突然他の人とセックスをしてしまった。
自分でも何があったのかわからないし、全然お酒を飲んでいないけどなぜかした。
恋人との別れ話も自分からしたし、後半はウンザリしていたから別れたことで精神的にナーバスになっていた感じもない。
あーもう自由にセックスしてもいいんだ、と思ったらされるがままにしてしまった。
頭のおかしい女だと思われただろうと思って相手に謝罪したら不思議そうな顔をしていた。
こちらこそですが…と相手から頭を下げられ、妙な空気になってしまった。
以降相手からは毎日連絡が来るし、会いたくなったと電話が来て食事に行ったり、ホテルに行ったり、自宅に来たり行ったりしている。
自分は頭がおかしいのかもしれない。もうすこし余韻や空白の期間を作った方が良かった気もする。
仲良くしてくれている年上のお姉さん友達に話をしても「そんなもんそんなもん。次がすぐ来るもんだよ」と言っていたし
高嶋ちさ子も「男は山手線」だなんて言っていたのを思い出した。
なんというか自分には慎重さに欠ける部分がある。
仕事は精密機器を取り扱う専門職で失敗しないのに、人間関係ではこんな感じになってしまうものなんだ。
不思議な冬だ。