はてなキーワード: くる電とは
選挙の度に組合から出すように言われる協力者カードと動員が回ってくる電話かけが本気で苦痛。
まず協力者カード。ノルマとして配られる枚数を埋められるほど親戚も友人もいない。役員から提出を催促される度に出せない自分がすごく悪い人間だと感じるのが辛い。
協力者カードの枚数イコール得票数になんてならないと思うのだけど、それでもあれは集める意味があるのだろうか。「●●党の人とお互いのことを書いてる」って話なんてよく聞くけどなあ。
電話をかけるときはいつも内心「ごめんなさい」って謝りながら感情を殺してかける。電話一本で自分が投票する候補者を決めるわけないだろ!
そんな選挙も今日が投票日だからしばらく忘れることができる(はず)。できるだけ選挙活動に関わらないでいいように、どうか任期満了前に解散!なんてことが減りますように。
先月、母が亡くなった。
母を亡くしてからとても寂しくて時々私も死にたくなる。
早く死んでしまいたい。
私には父がいない。いないというより、いるにはいるが私が生まれる頃から別々に暮らしていて、あまり面識がない。あまり会ったことのない人を父親だと思えないので、父がいないということにしている。
私は昔から内弁慶で外では大人しく良い子のように振る舞うのに家ではワガママ自己中だ。母には何度もワガママを言った。母が私を生んだ歳は初老に近い歳と言ってもいいと思う。その為、私が小学生に上がる頃には母は子育てだけではなく、更年期とも戦っていた。更年期で気分の下がる中、私のワガママはうっとおしかっただろう。更に気分の下がった母はよく、「死ぬ」ということを口にしていた。その母の口癖がうつったのか、中学に上がる前には「死にたい」とよく言う子供になっていた。
小学校高学年のとき、私はいじめにあった。今思うと、いじめではないのかもしれない。ただ、「からかい」の延長線なのかもしれない。クラスの男の子から見た目のことをよくからかわれ、それが嫌で嫌でたまらなく、自殺をした。「死ぬ」という言葉が身近だったからつらいことがあれば死ねばいいのだと思った。でも自殺は失敗した。遺書まで書いたのに、首を吊ろうとしたロープは途中で千切れ、ただ首に痣を残しただけだった。死ねなかったことがあまりにも惨めで寂しく感じ、母に、男子にいじめられてること、自殺しようとしたことを伝えたら母は泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね」と言いながら泣いた。なんだか余計に自分が惨めだと感じた。
中学の頃もいじめられた。これももしかしたらいじめられてはないのかもしれない。ただ、私は人付き合いが苦手で上手くクラスの子と話せず、完全にクラスで浮いてた。親友だった子は他の子といっぱい喋っていた。親友を取られたように感じた。
私は被害妄想が激しい方なのでもしかしたらそれは妄想かもしれない。でも、私を菌扱いしてる男子がいたことは事実だし妄想じゃないことははっきりしている。
この時も死にたくなった。でももう失敗はしたくないし、あんな惨めな思いはしたくなくて、なんとか学校に行って生きてた。
学校から帰ってきて、家の庭で何度も泣いた。家の中で泣いたらいじめられてることが母や姉にバレるから。なぜか家族にバレたくなかった。理由はよく覚えてないけど、とにかくバレたくなかった。
でも精神は不安定だから家の中で横暴な態度を取り続け、母に当たっていた。何かを察した母は「またいじめられたの?」と聞いてきた。私が母に当たる度に母はそれを聞いてきた。私はそれに腹がたって更に母に強く当たった。
そんなことが続いて、ある日母と大げんかをした。私は何かを言った。言った内容は覚えてないけど、何か、母をとても傷付けることを言った。それを聞いて母は私に「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言った。私は泣いた。産まなきゃ良かったと言われたことではなく、母にそんなことを言わせてしまったことに泣いた。私があの時母に言った言葉は覚えていないが、私が母に「産まなきゃ良かった」と言わせるような、誘導するような言葉を言った気がする。私は母をすごく傷つけただろう。
私が高校にあがり、しばらく経った時、母は癌になった。家族でいっぱい泣いた。みんなで頑張ろうと言いながら泣いた。
何度か入退院を繰り返し、発症から約1年後、母は頑張って癌を治した。
それで安心したのも束の間、私が高校を卒業する頃には母の癌が再発した。脳腫瘍だった。
私は高校を卒業した後、短大に通うために少し遠くで一人暮らしをした。母が再び闘病する姿は近くでは見ていない。姉や母がたまにかけてくる電話で母の様子を知っていた。
私が短大を卒業し、地元に戻って来る頃、二度目の闘病を母は乗り越えた。
でも、後遺症は残っていた。
身体の左半分は思うように動かないし、少し認知症のような感じの言動も見られた。
母の闘病を間近で見ていない私は認知症のように幼児退行した言動を時々起こしたり、理不尽なことを言う母を自分の母と思えなかった。
別人のように感じた。
どうしても受け入れられず、また、キツく当たってしまった。
最低だ。恥ずかしい。そんな思いはあったが、気付くとキツく当たっていた。本当にバカだと思う。
母の脳腫瘍はまた再発したのだ。
もうこれで三度目の闘病だ。担当医は「もうダメだ」というようなことを言った。
そのことは母には伝えなかった。だからなのかわからないが、母は、担当医が予想するよりも長く生きた。最後の方は意識はほとんどなかったがそれでも生きていた。
それでも私はバカだから母との残された時間を大事にしていなかった。
母が死んだのは朝方だった。病院は家から車で1時間ほどかかるところにある。寝起きの姉と私は母の最後に間に合わず、看取ることができなかった。私達が病室に着いた時、母はもう冷たかった。
「なんで私達のことを待ってくれなかったんだろう」そう思ったとき、母の「あんたなんか産まなきゃ良かった」という声が頭の中に響いた。
姉は献身的に母のことを見てたが、私は違う。バカだから母を沢山傷付けたし、悲しませた。
もしかしたら母は死に際に私の顔なんて見たくなかったのかもしれない。
周りの、親戚や母の知り合いはそんな私のことを慰めた。
ありがたい言葉だ。でも、そんなの他人の予想でしかない。母の本心はわからない。私にあんなに傷付けられ、本当に幸せだったのだろうか。自分が授けた命を無駄にしようとし、酷い言葉を投げるような娘など本当は大嫌いなのかもしれない。
だって、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言わせてしまった。
母の本心が知りたい。
私はバカだからまた、母を傷付けるようなことを口にしてしまう。死にたい。
また命を無駄にしたいと思っている。
今夜眠りに着いたら明日の朝、目が覚めなければいいのにと思う。
死んで、母に会いたい。母に会って母に謝りたい。沢山傷付けた分、沢山沢山謝りたい。
そして母の本心を知りたい。私のことを許さなくてもいい。私のことが嫌いなら罵倒されたって構わない。「あんたなんか産まなきゃ良かった」ともう一度言ってくれたっていい。なんで私達を待たずに死んでしまったのか聞きたい。
母の本心を聞いたら私のこの不安定な気持ちは落ち着く気がする。早く死にたいという漠然とした不安も無くなる気がする。
さっさと死んで、母に会いたい。
明日の朝、目が覚めなきゃいいのに。
http://anond.hatelabo.jp/20170531073011
実をいうと俺も実家の問題の愚痴を増田で書こうとしたらあんたに先をこさえただけだよ笑
高齢者トラブルはいろんな問題が複雑に絡まってるし(金がでかいけど)、しかもお金にもなんない超面倒くさい案件だからドコもかしこも塩対応がデフォよ。
「どこに相談したらいいかわからない」は俺や他の連中も通った道だ。増田だけじゃないよ。
うちの実家も10年前に親父がどうも誰かに騙されて数千万の借金つくって実家失って借家住まいだよ。いまも問題多発でたまにかかってくる電話で毎回げんなりするけど、それでもなんとか生きてるぜ。
俺は嫁さんに首根っこ抑えられて、実家の問題に介入しずらくなってから楽になったわ。
あんたもそういう身内がいたらもっと正直に実家の問題話して相談したほうがいい。いないなら意識して実家との距離感をコントロールしとけ。いまは近すぎる。
あと30分くらい待機してるあいだ暇なので。
まあ何か匿名だし夜だしいいよね。
表題の話なんですけど、何年か前に電車に飛び込みかけたことがあります。
精神的な逃げ場があるから現実つらくても死のうと思わないオタクって最強じゃないですか。
だって、職場や学校でつらくても、家に帰ればグッズが届いているし、携帯見れば推しがいる。
あの漫画が完結するまでは死なない!
とか思うじゃないですか。
私はどちらかというと他罰傾向の強い攻撃的な人間なので、自分が死ぬくらいなら嫌いな上司を滅多刺しにして刑務所で規則正しい文化的で人権を尊重された生活を送る方を選びます。
入線してくる電車に向かって走り始めた瞬間も、別に死にたいなんてこれっぽっちも思ってませんでした。
急行と待ち合わせして停車する2分、入線してくる急行を見て、天啓のように閃いたんですよ。
「この電車に跳ねられたら、どんなに出勤する気があっても、不可抗力で今日は休める!」
だって仕方ないもんね! 跳ねられたら今日は休むしかないよね!
何でもいいから今日、今、出勤したくないって事で頭がいっぱいでした。
明日なんか来なくなるのにね。
都心の午前7時少し前の通勤ラッシュが始まる直前に飛び込んだら迷惑だ、とか全然頭の外でした。
ホームの端ギリギリで足を止めたのは、危険に気付いて思いとどまったんじゃなくて、偶然手に持っていた携帯にBLゲームの配信メールが届いたからです。
メールの着信に気付いてただ立ち止まっただけ。
やなこというと、電車に飛び込んだ人の遺品にはその日に使う仕事の資料が入ってることも少なくないんだってさ。
私もだよ。
オタクって最強ですね!!
24歳で,付き合っている人もいるのだが,結婚して自分が家庭を持っている将来像を描けなくて困る
自分の父親が父親としてかなり立派だからなのかもしれないと最近になって思い始めた
全てにおいて完璧というわけではなくて,いろいろと残念なところもある.それでも,父親が自分にしてきてくれたことを,自分が将来生まれてくる子ども達に同じようにしてあげられる自信が全くない
平日は夜遅くまで残業をして帰ってくる.新卒で入社した小さな金融機関にずっと勤務していて,今は総務部の部長をしているらしいのだが,仕事の話を一切家でしないので,会社でどれだけ大変な思いをしているのかも分からない.
だから,自分の抱えるストレスや重圧を,子である自分が感じることはなかった(ただ,「家にいるときくらい電話には出たくなくなる」と言って休日に家にかかってくる電話に出ることを避けようとはしていたのだが,本当にこれくらいのもの).
母親に辛くあたるなどということは決してなく,表面的には表さないけど家事をこなす母親に対して感謝の気持ちを十分に持っていることは子どもながらに感じていた.それだけに,母親が作った料理に文句を言ったりする姉に対してはかなり厳しく叱ることもあった.
休日も土曜日はほとんど仕事,それでも予備校に通う自分を駅まで送り迎えしてくれていた.申し訳なさを感じていなかったわけではないので,「自転車で行くよ」と自分も言ったけど,「この風では大変だから」などと言って結局車を出してくれていた.
そんな生活をしていたら日曜日くらい何もしたくなくなりそうなものだけど,ほぼ毎週,車でどこかに連れて行ってくれていた.
ほぼ毎晩家で酒を飲んでいて,それが明日への活力になっていると本人も言っているのだが,その程度で毎日の仕事へのモチベーションを保てているというのは今になって考えると本当に尊敬に値する
だが,それ以外にストレスのはけ口になりそうなことはほとんどしていなくて,ギャンブルもしないし,スマホもほとんといじらないし,休日に誰かと飲みに行ったりもしないし,平日も代行で帰ってくるなどということは数年に一回あるかないかくらい
たまに一人でバイクでどこかに出かけているみたいだけど,それ以外に趣味があるのかと心配になってしまう
中学生や高校生の頃は,世の中の父親とはだいたいそういうものなのだと思っていて,大学生になってから友達と家族の話をしているときに「うちの父親ほどいい親はいないんじゃないか」と思うようになった.
そんな父親と比べて,自分は付き合っている人を大事にできているかというと自信が持てないし,疲れにうまく対処できていないし,自分の生活で精一杯になってしまっている.
家族を背負って生きていける自信がない.
尊敬するという言葉は軽々しく使うべきではないけど,父親のことは心から尊敬している.自分もいつか父親のようになりたいと,最近は強く思うようになった.
こんな自分でも家庭を持つと変われるのだろうか.父親も自分くらいの年齢のときはこんなものだったのか.そんなことを考えると,将来がとてつもなく不安に感じられてくる.
唐突に思い出したので書く。
当時、昼休みの電話当番というのがあった。12時から13時までにかかってくる電話は、当番1名が対応するという制度だ。
昼食をデスクで取る人も居たから、じゃんじゃん電話がかかってきて足りないという時はもちろん手伝ってもらえた。
そんなある日、12時を少し過ぎた頃、運送会社から電話が入った。どこの会社だったかは覚えてない。
課長「13時以降に来てもらって」
私「今は人が居ないので、13時以降に来てもらいたいのですが」
運送会社「無理です」
私「課長、無理だそうです」
課長「じゃあその場に置いといて貰って」
私「その場に積んどいてもらえますか」
運送会社「無理です。」
私「その場も無理だそうです」
課長「じゃあ2階まで運んで」
私「では2階まで運び入れてもらえますか?」
私「荷台に入ってないんですか?」
運送会社なら普通は持ってると思うけど、こちらの対応にキレてたのかもしれない。
私「私はここを離れる事ができないので、台車をお持ちできないんですが」
私「(居るけど出る様子が無いので)居ません」
上司「知らねーよ」
で終了。
運送会社「あのー、本当にちょっとでいいので来ていただけません?」
というので、仕方ないと思ってちょっとだけ応対に出ることに。
すると運送会社の人が
と、入り口を封鎖するようにパソコン20台を放置して去っていった。
昼時の出入り口を塞がれて大混雑。
謝罪しながらパソコンを避け、たまたま出会った別課長に事情を説明して台車を持ってきてもらい、2階に運ぶ。
その間の電話は先輩が取っていた。
先輩はこちらに気が付かないようで、電話を置きながら
先輩「出かけちゃいましたからね〜」
と、笑いあっていて、PCの山と共に現れた私を見てばつの悪そうな顔をしていた。
そもそも対応しなかった課長に腹が立つし、相談したはずなのに「出かけた」と責める上司も信じられない。
運送会社が騙すようにパソコンを置いていった事にはやはり腹が立つが、ひたすら申し訳ないと思う。
優しいと思っていた先輩がバカにしていたこともショックだった。
私も未熟だったから対応が酷かったけど、なぜ皆こんなに冷たいのか。それだけでやり場のない憤りが沸いてくる。
うまく説明できないけど。
前者の言う本は知識を得るためのツールで、それは仕事で使う参考書や自己啓発本の類。あるいは、読んでいることがステータスになる本。
本とは情報をインプットするためのもので、入手が簡単でアーカイブ性が高い方が使い勝手がいいから電子書籍を好む。
後者の言う本はアート体験。映画好きが映画館のポップコーンの匂いをひっくるめて映画を楽しむように、書店で本を選ぶ手間暇と装丁や紙の手触りをひっくるめて本だと思っている。
私は「紙の本」原理主義者で、だからはてブに上がってくる電子書籍万歳エントリーにいまいちピンとこないし、
電子書籍至上主義者も紙の本の「良さ」を熱弁されたところで頭に?が浮かぶだけだろう。
結局、何が言いたいのか自分でもよくわからないのだけれど、電子書籍の普及で紙の本が衰退することはあっても完全に代替されることはなくて棲み分けが進むだけかなみたいな、ふわっとした話。
最近話題だしNDAもないので書くけど、とある映像の仕事で電通と関わりがあった。仕事自体は楽しく、しかしスケジュールは厳しい感じで、とあることを実現するために様々な手段を試すための手(プロダクションではない)としてその仕事に参加してた。
ちょっと特殊なことをしていたので、最初は間に人を挟んで電通側とコミュニケーションしていたのだけど、そのうち制作会議に呼ばれるようになり、会議は実際に映像を作るプロダクションのところで開かれた。しかし、その会議がまぁなんとも雑な仕切りで、確か夜8時から始まって、ちょっと特殊なことをしていた僕らを拘束するわりに関係無い話をダラダラと続けて結局僕らに関係ある話が出て来る前に終電が来たので帰った。マジかよって思った。
あとから聞いてみたらその会議は朝まで続いたらしい。「会議」と名のつくもので2時間を超えるものに参加したことないので、カルチャーショックだった。タバコ臭い会議室と合わせて、本当にあるんだ……って感じ。しかしスケジュール厳しいこと分かってるのに拘束してくる電通の人も謎というかマネジメントスキルがない。実際、彼らがしていた「会議」はクリエイティブに関するブレスト的なところもあったので実質的に会議ではない。しかし、そんなに長時間みなを拘束するより、さっさと会議は終えて各自考えてきてね!ってやってもアウトプット変わんないのにねー。
それに加えてアイデアを思いついたら何時でも連絡してくる電通の人がいて、それに対応するのも疲れた。スケジュール厳しいの把握してんだから、もうちょい任せてくれない?そっちのほうが効率いいよ?って感じだった。
とあることは実現出来たし、出来た映像そのもののクオリティは高く、広告的な効果もあったが、習慣化している無駄な長時間労働があり、それに対応する下請けが最もヤバそうだよという話だ。
もう10年以上、とある業界のコールセンターに勤務しております。
取扱商品の性質上、かかってくる電話には罵声・怒号が多いです。
ですので、自分で言うのも何ですが電話対応慣れ、謝罪慣れしているかと思いますので、トラックバックさせてください。
私がこの記事を読んで思ったのは、恐らく電話対応中に「焦り」が出ているのではないかと思いました。
まず、最初にこの方が覚悟すべきなのは「自分に言われているのではなく、会社に対して言われている」ということです。
それから本を読んで、ボキャブラリーを増やされてはいかがでしょうか?
読む本は小説でも何でも、興味が持てるものでいいですが、できれば漫画は避けたほうがよろしいかと思います。
漫画は口語での文章(セリフ)が多く、娯楽として楽しむのはいいのですが、仕事での勉強にならないものが多いように感じますので、文語で記載された小説やエッセイなどをオススメしております。
そうすれば「言葉遣いで注意されることが減る」かと想像されます。
そして次にこの方がやるべきことは『自社のシステム(できること・できないこと)を知り尽くす』ということです。
お客様の仰ることも正しいかもしれませんが、自社で出来ることにも限りがあります。
ですので自社のシステムを知り尽くすと、お客様が無理難題を提示してこられた際、「Aは出来ませんが、Bなら出来るのですが?」と代替案を提示することが出来るようになるかと思われます。
最後になりますが「少し喋る速度を落とす」ことも忘れないでください。
あまりにノンビリ喋ると相手をイライラさせてしまいますが、相手の喋るスピードに呑まれて自分まで早口で喋ると、問題発生の原因を探ったり、解決策を考える余裕がありません。
「はい、○○(←自社名)です」と答えるより、
「お電話ありがとうございます。○○(自社名)の△△(自分の苗字)でございます」と答えると、時間が稼げますよね?
もうすでに、この時点で「話を自分のペースに持ち込むキッカケ」が出来たのです。
それと同じく、「はい。そうですよね」「大変申し訳ないです」などと言いながら、相手の話を聞き、時間を稼ぐのです。
そうやって時間を稼ぎながら、相手の言うことと自社で出来ることをすり合わせ、折衷案(解決策)を考えるのです。
「心配させたくないからちゃんと仕事してるって周りには見せたい」のでしたら、コチラで愚痴るのもストレス発散になっていいですが、上記の1つでもいいので、挑戦してみることをオススメいたします。
行ったところないところに行きてえな、広島?仙台?新幹線でン万、じゃ飛行機乗っか!今なら割引?じゃあ札幌行くか!なにするんだ?この日は野球ないのか。じゃあ福岡にするか!西武?まあいいや。ついでだし海外行っちゃお!香港行こ!帰りは…エチオピア航空?おもろいやんけ!→成田…
成田に21時?もう帰れる電車も高速バスもないやんけ!一泊しちゃお!
これが計画の立てられない無い内定で卒業後3年目に入った職歴なし工場派遣のゴールデンウィークです。
普通はもっといい計画に組みなおしますよね?仮にこれに乗るとして、あ、これだとここが無駄っぽいなとかバカみたいだなつって。
最初は飛行機乗りてえなってだけの話だったんだよね。福岡行って帰ってくるだけでもよかったよ。海外行くにしてもまずセントレアやら羽田まで行ってから海外でよかったよ。
でもバカだからまず福岡までの飛行機取って、次に香港までの飛行機取って、福岡ドームのチケット取って、福岡のホテル取って、香港から成田の飛行機取って、成田のホテル取って、香港の宿取って、成田というか東京から帰ってくる電車を取ったんですね。
去年は行きの格安高速バスと神宮のナイターとホテル1泊だけ取っていきました。
2日目はなにもすることがないし帰りの便取ってないのでバスターミナルやらチケットショップ行ってアレした結果バスは席ないしお得な切符はゴールデンウィーク使えませんってことになりました。
んで東京ドームの巨人阪神戦のデイゲームのチケットがあったんで買って、東京ドーム行って、よく見えないから寝ちゃって、なんだかわかんねえやって感じて正規料金の新幹線つうか特急つうか、とりあえず電車乗って帰りました、
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(創作だろ、と思うくらいで読んでくれれば幸いです)
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私のことを愛していると言った。
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母親と会うのは、月に一度。
住んでいる場所は遠くはなかったが、なぜ一緒に暮らしていないのか、幼いながらにタブーだと知っていたのか、きちんと確認したことはなかった。
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小学四年生の頃の運動会では、全身を私のチームの色のジャージで手作りのポンポンや旗を振り揃え、クラスメイトや保護者たちの失笑を買っていた。
半年に一回の授業参観でも、私が発表するたびに「私の子です!」と周りに伝え、悪目立ちしていた。
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私を愛していると言っていたお母さんは、私が高学年になったあたりから回数が極端に減った。
月に一度が、長期休みの間に一度と、年3.4回へと減っていた。
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「お母さんね、整形したの。」
突然の告白に動揺を隠せず、「なんで?」と聞いた声は震えていたと思う。
その日の電話は、とても長かった。
あまり内容をハッキリ覚えていないけど、「お母さんがそうしたくて、そうしたのならいいと思う。お母さんが幸せになるならいいよ。」と返したと思う。
本心かどうか分からなかったが、唯一の肉親だった母親に嫌われたくないための、建前の方が強かったと思う。
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ところが、私の人生は一転する。
瞬時に「やばい。」と感じた。
少女漫画で見たことのある、いじめの始まりのシーンが自分の身に起きていた。
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それまでの私は生徒会の一員で、友達も決して少なくない方だった。
そもそも、一学年1クラスしかないような小さな学校だったが、男女ともに仲が良く、学校生活は充実していた。
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原因がわからず、一番の親友だった女の子に話しかけると「わからないの?!」と言われた。
怪訝に思っていると、担任に呼ばれた。
担任から聞かされたのは、自分の身に起きたとは思えない、現実味のない言葉だった。
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「あなたのお母さんがテレビに出て、クラス中で騒ぎになっている。」
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その日は早退した。
担任から電話があったらしく、私よりも詳しく事を把握していた。
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番組では、母親がどれだけ容姿にコンプレックスを持っていて、その容姿によってどんなに不幸な人生を歩んできたか。
そして、番組内で整形手術をし、ダイエットをし、美しくなった。
後日、別の学校だった親友に録画してあった番組を見せてもらった時、母親が誰か分からなかった。
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番組内では、母親がメインとして扱われ、美しくなり、大物タレントに「幸せになってね!」と励まされ、スタジオ号泣の美ストーリーだった。
自分の身内でなければ、第三者だったら、感動で泣いていたと思う。
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番組内のVTRで流れた母親が受けた不幸エピソードを準えるようなものが主流で、傍観している生徒もクスクスと笑う。
小学校はその後すぐ卒業したが、中学校でもすぐに噂は広まり、上級生がわざわざ私を尋ねて顔を見に来ては囃し立てるくらいだった。
話しかけてくる子はみんな、二言目には母親のことを聞いてきた。
中には、母親のことを聞くことを罰ゲームとして、好奇の対象になった。
初対面で会う人が、みんな大嫌いになった。
初対面で会う人と、うまく話せなくなった。
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友達を作ることもできず、何か別のことに打ち込むこともできず、転校もできなかった。
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私のためだ、私を愛してるからだと言っていた母親も、住みにくくなり、すぐに遠くに逃げた。
東京で夜の仕事を始めたところまでは把握していたが、その後連絡を取ることを禁じられた。
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怒る対象を失い、頼る友達を失い、安らぐ場所を見つけられず、中学時代は孤独だった。
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高校に入り、流石にいじめはほぼ無くなり友達もできたが、一緒に笑っている友達が、心の中では私のことをバカにしているのではないか、陰で笑い者にしているのではないか、好奇で一緒にいるだけではないかとずっと怖かった。
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結局高校時代の友達には、私の母親のことを知っているかなどハッキリ聞けないままだったが、心の中で抱いていた疑心を気にしなくなるくらい仲良くなれた友達もいた。
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保護者だった人が、念のためと母親に私の連絡先を伝えたと言った。
「もう幸せに暮らして、私のことを子どもだとも思っていないんじゃない」などと冗談めいて言ったが、心の中ではそうに違いないと思っていた。
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美しくなったはずの顔は、数年で元に戻ったらしく、段々と失われる美貌や居場所が原因で、重い心の病気になって入院していた。
母親から掛かってくる電話で「幸せ?」と聞いた時に「全然幸せになれなかった」と言われた時に、初めて明確な憎悪を自覚した。
せめて幸せになっていてくれれば、母親を怒鳴り罵り、私がどれだけ嫌な思いをしたか伝えられた。
でも「幸せになれなかった」とハッキリ言う母親を、責めることなんてできなかった。
「そっか、私もだよ。」と伝え、その後母親からの電話に出なくなった。
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未だに、目の前にいるこの人は母親のことを知っていて、心の中では嗤っているんじゃないかと思う。
未だに、初対面の人とうまく話せない。
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この先、結婚するような相手が出来たら、必ず母親のことは負荷になる。
母親が生きている限り、隠すこともできないだろうと思う。
事の顛末を聞いて、手のひらを返すような人はこちらとしてもお断りだが、結婚相手は受け入れても相手の家族がどう思うかわからない。
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「どれだけ親と仲が悪くても、産んでくれたんだから感謝しやきゃいけない」
という言葉を聞くたびに、虫酸が走る。
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今では母親が近くに住んでいなくてよかったと思う。
近くに住んでいたら、危うく殺しかねない。
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私が一番楽しい青春時代を奪われた分、幸せになってくれなければ割に合わない。
美しくて、幸せに楽しく生きる母親に、自分をぶつけ転落させたい。
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なぜ今これを書こうと思ったのかはわからない。
ちょうど10年が経ち、自分の中で一つのケリをつけたかったのかもしれない。
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当時の知り合い以外に、自分からこの話をしたことがなかったから、他人の見解を聞きたいのかもしれない。
私の考え方は間違っている、私の不幸の原因は母親ではなく私自身にあるのだと叱って欲しいのかもしれない。
つらかったね、頑張ったねと慰めて欲しいのかもしれない。
こうすればよかったのに、こうすればいいのにとアドバイスが欲しいのかもしれない。
お前より不幸な人間は他に五万といる、と鼻で笑って欲しいのかもしれない。
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私の人生は、私が身動きを取れない間に、唯一の肉親に壊されてしまった。
こう言って私は、この先もずっと母親を恨んで、母親に全ての責任を転嫁し続けると思う。
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お母さんへ、私のために幸せになってください。
いなくならないと思ってたんでしょ?
癇癪起こしてるだけだと思ってたんでしょ?
嫌なこと、傷ついたこと、全部説明したのに誰も聞いてくれないからいなくなってやった。
でも私も甘いので、「次の限界がきたらいなくなります」と宣言した。
みんな「どうせ」とか「またまた〜」みたいな感じで何一つ変わらなかったから
限界がきた時にいなくなってやった。
ある人は「本当にいなくなるんだ」とだけ言って天を仰いだ。
ある人は気が狂ったように電話をかけてきた。
私がいなくなったことに対して、同じくいなくなることで対抗してきた人もいた。
その人のそういうところが嫌だったから余計に嫌いになった。
いなくなった後のみんなのことは知らない。
狂ったようにかかってくる電話は狂ったメールを送ったらやんだ。
いなくなったあとの私は予想以上に孤独だけど、
前よりかはマシかなと思う。
こいつならいじっても平気とか、こいつならきつく当たっても平気とか
勝手に決めないでほしいんだよね。
後から「あの時は悪いことをしたと思ってる」って言われても
私は何一つ救われない。
瘡蓋がケロイドになるように、はっきりとその後が残る。
だからいなくなってやった。
いなくなってわかったことのもう一つは、
「応援するよ」と言っていた友達の一部は私の実行にどん引きしていたことだ。
応援なんて鼻からしてなかったのだ。
私は親友だと思っていたけど、それだけの薄っぺらい関係だった。
いなくなって改めて、色んな人から見下されていた事を知った。
「悲しいことは1人でも乗り越えられるけど、
嬉しい時に一緒に喜んでくれない人とは一緒にいても悲しいだけよ」
そうカウンセラーは言った。
その時、喜んでくれた人の顔を私は1人も思い出せなかった。
だからいなくなった。
いなくなって、ひとりになって、これから先もひとりかもしれないけど
誰かに見下されながら生きるくらいなら、ひとりを選ぶ。
でも本当は、よかったねって言いあえる人にそばにいて欲しかっただけなんだ。
今までは、Eメールやショートメールで済ましてたけど、諸先輩方のやり方を聞いてると、基本電話がメインだと気づいた。
というか、そもそもそういうものだろう。
しかし、かねてより友達に用もないのに電話できるような人間では俺はない。主に相手側からの電話ばかりでやってきた。恋愛もそう。
なぜなら本当のところ、自分は電話がかかってくるのが嫌なのだ。厳密にいうと今やってることを邪魔されるのが非常にストレスがたまる。だから相手にも都合合うかわからないのに電話することができなかった。
でも最近は考え方が変わってきた。そのストレスを超えて、声で伝えないと分からない熱量がきっとあると気づいたのだ。メールで長文書くよりも一声でも会話が出来れば伝わるようなことの方が多いことに。その方が結果自分の時間を作れるのだ。メールや文書は所詮議事録でしかないのだよ。
と、同時にかかってくる電話は無視をする。自分の都合を明確に優先することで、ストレスも回避する。そして自分の都合で必ず折り返す。
「頼まれる」と言っても何から何までやるわけじゃなくて、どのような調査をすればいいかアドバイスしたり、調査結果を統計分析したりするところ。
世間的に安倍内閣も自民党も完全に見放されているように思えるかもしれないけど、実態はまだ全然そんなことないんですよね。
2005の郵政ブーム、2009の政権交代ブーム、その反動の2012自民党ブーム、そんで今は安保反対ブーム。流行に乗ってるだけの人達。ブームな人達。
別にそういう人の意見は世論に反映するべきじゃないとか言って無い。でも昼間に働いてる普通の人達はこんなに考えが極端には振れないんですよね。3年スパンで自民党と民主党への支持がコロコロ変わる人なんてあんまりいないわけです。でも世論調査ではそういうデータが出ちゃう。何故か。
だいたいこういう世論調査は平日と土日のどちらも含めることが多い。
よくあるパターンが金土日の3日間とか金土の2日、これが黄金パターン。
でね、「固定電話」を持ってる人ってどういう層なのよという話なんですよ。
実は私も持っていません。30ちょい過ぎの独身。持ってても意味が無いので大学生で独り暮らし始めてから一度も契約した事が無い。
単身者で持っている人は約5割と言われていますが、これ結構調査がいい加減で、ネット回線を契約する為に便宜上与えられた番号を含んでる場合があるんです。なので実態はもっと少ないだろうというのが業界の常識なんですが、諸々の理由で正確なデータが出てこないです。これはまたいつか機会があれば増田に書きたい。
さらに「平日の昼間」に固定電話を取れる人。つまり主婦や高齢者。凄く特殊な層です。
何が特殊かというと、こういう人達は総じて知識レベルが低いわけです。高齢者は全部が全部とは言いませんが主婦は残念ながら低い。だから政治を自分の脳みそで判断できるだけの知識レベルに達していない。そうするとどうなるかというと、電話かけても「わかりません」って言う人と、その場その場の雰囲気に飲まれて感情的にYesNoと言うだけの人が大半なの。つまり先述したブームな人達。
ちなみに「わかりません・決めていません」っていう項目、あれどっちか迷ってると思ってる人いませんか?それ全くの誤解で「質問の意味がわからない」と考えてください。最近は原発とかわかりやすいイシューが多いけど、例えばTPPについてどう思うかなんて聞いたって主婦や高齢者が理解できるわけがありません。TPPが何か知らないし、TPPの成立・不成立で日本がどうなるかなんてわかるわけが無いです。だから「わかりません」って答えるの。これ読んでる人も今TPPの交渉がどうなってるかちゃんと説明できる人いますか?あんまりいないと思います。「TPP交渉におけるNZの態度についてどう思うか」なんて調査しようとした〜新聞さん、それ無茶ですよ。
話逸れたね。ここからが本題。
左派メディアの調査は時の保守系政権与党に対して厳しい調査結果が出て、読売NHKはもうちょっとマシで、産経フジは好意的、みたいな傾向がありますけど、なぜこうなっちゃうのか?よく質問文が調査元によって違うからというのがありますけど、実はこれはあんまり関係無くて、平日の昼間にどのくらい調査サンプルの量を割くかで決まるんです。
さきほど言ったように平日の自宅で固定電話を取れる人はその時々の雰囲気に極めて流されやすい傾向にあります。それを最大限利用するんです。実例を挙げた方がわかりやすいですかね。例えばこんなシチュエーション。
保守系メディア→自民への追い風を演出したい。空気はすでに自民寄りに傾いているの流されやすい平日昼間層をしっかり調査に反映させるべく金曜日のサンプルを増やしまくる。
左派・リベラルメディア→反安倍・反自民の調査結果を望むので平日サンプルを増やして土日は少なめにする
保守系メディア→左派系と真逆の願望があるので、平日サンプルは少なくして土日を多めにする
おわかりいただけましたでしょうか。こんな馬鹿げた方法がまかり通っちゃう固定電話調査は実態とかけ離れていると言わざるをえまえん。大半の働き手にリーチできない固定電話を使った調査で世論を測るのは大変危険な気がします。でも滅びると僕の食い扶持が無くなるので辛い。悩ましい。
1,聴力がないと、聞き取れたということが嬉しいので、それを疑うということまで頭が回らない。
2,聴力がないと聞き取れた言葉から判断する。聞き取れた言葉が1>4>8>10とする。聞き取れなくて欠けた所(2,3,5,6,7,9)は老人が補完する。
詐欺師はそれに乗っかればいい。また詐欺師も詐欺する上で重要な所は聞き取りやすく話す。
3,(論理的におかしくても)自分で導き出した答えなので疑わない。
要約は以上で終わりです。
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以下は解説です。
そもそも、老人は1人でTVを見て一日の大半を過ごす。TVは大音量か字幕付きだ。 そこにいきなり電話がかかってくる。
体が弱ってる老人にとっては、いきなりの電話に出るだけで重労働、一仕事だ。(少しの段差でも登山をしているようにも見える)
電話に出れたということで、ホッとしてるところに、相手のペースで話される。しかも受話器から聞こえる声は音質的に聞き取りにくい。緩和からの緊張。
聴力がないと、聞き取れたということが嬉しいので、それを疑うということまで頭が回らない。
疑うということは、思考と言動を切り離すこと。
聞くという行動をしながら思考するには、
A,聞き漏らしがないこと、
B,內容を理解すること、
C,相手がこれからどういうふうに話を展開するのかという予測が必要。
老人にはそれらができない。
耳の遠い老人は聞き返すことが恥ずかしいと思ってるような気がする。
また老人は聞き返すことが失礼という意識が若い世代よりも大きい。若者なら、わからないということは、早く聞くことがお互いのためという意識がある。(聞き返さないとその後の話しが成立しなくなるから)
しかし老人は聞き返すよりは(聞き漏らしたワード以外の)文全体から理解しようとする。(穴埋め問題のように)
そういう「なあなあの感覚」を「聞き返すこと」より大事にする価値観が染み付いている。
聞き返さないから話が理解できない。また聞き返さないので相手もわかってるという前提で話しが進む。結果、相手のペースに乗せられる。
(本当はわかってないのにわかったふりをして返事をしたために、話しが進むにつれてどんどん相槌に困ったことは無いですか?そんな感じです。)
さらに相手はだます上で重要な所はわかりやすく話す。わかったということ自体が嬉しいので、疑うということまで頭が回らない。
わからないという状況から早く抜け出したいから指示に従う。何しろ自分がしていることは悪いことではないのだから。
老人にかかってくる電話は詐欺か宣伝がほとんどだと思うが、老人はそれに気づかない。
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どうも日本人は騙されたときに、怒らずに落ち込むことが多い気がする。落ち込むことを悟られないように笑い話みたいにしてしまう気がする。
こちらからは以上です。