はてなキーワード: 集中力とは
出産して流石に共働きじゃ回らんしちょうど派遣の契約もキレたので専業主婦になった。
専業主婦マジヤバイよヤバイよって聞いてたけど、派遣社員と比べてもヌルゲーで笑ってしまった。
働き手:金を稼ぎに行く
子供:良く遊び良く学ぶ
兼業×2だと二人共が仕事も家庭も考える必要があって並列処理の量が一気に増える。
平日時間に余裕があるから役所や銀行の手続きが急に必要になってもすぐに行ける。
これだけでもう世界が変わる。
半日有給取って急いでコンビニに駆け込んだりする必要がないだけでだいぶ心穏やかに過ごせる。
働き手から見ても「とりあず家事担当に書類を渡しておいて、そっちから指示が来たら動けばいい」で済むのはかなり楽だろう。
多少面倒な手続きが来ても明日の仕事や嫌いな上司について考えながらやっていた頃に比べて集中力が高まってかなりスムーズになった。
仕事って結局は顧客のためであり、会社のためであり、最悪なことに上司のチャチでどうでもいいプライドのためだったりに頑張っている部分が強かった。
でも家事は違う。
全部自分たちのためだ。
働き手のチャチな拘りに忖度させられることもあるが、対等な立場で必要性を語り合えるだけハンコ拒否をちらつける上司やハラスメント起訴をチラつける新入りを相手にするよりだいぶ気が楽だ。
専業主婦、本当に楽。
驚くぐらい楽だった。
そりゃ皆、専業主婦になりたがるわ。
与えられた仕事がない時は自分で仕事を見つける必要がありますが、やる価値のあることは少ないのです。
やってコストになるならやらないほうがマシです。
それで、私は「これをやってほしい」とあちら側からやってくるのを切望しているのです。
社畜といえばそれまでですが、私は金儲けは得意ではないので、金儲けの戦略を考えるような話では戦力外です。
「生産性を上げるためにこういうツールが必要だ、作ってくれ」という話ならば、やる気が湧くのですけどね。
それはそうと、私のチェスの腕前は素人レベルなのですが、chess.comで勝つといい気分になります。
結局、チェスとは1日における有限の集中力の割り当てゲームです。休日に朝起きて、朝食を食べた後ぐらいにやれば勝率が格段に増加します。
しかし調子に乗って二戦やると、すでに集中力を使っているので負ける公算が高いのです。
何か新しい趣味はないだろうか、と探し続けてしばらく経ちますが、ブログの執筆というのが一番しっくりくるような気がしているのです。
私はこれまでに何種類かのブログを書いてきました。
学生時代はサイバーセキュリティのブログ、就職後は自然言語処理ブログ、あとはいくつかの黒歴史です。
バカも黙っていれば利口に見えるというのは、聖書にすら書いてあります。
ブログなど書いても、チェスの集中力の話と同じで、いつか気力の弱い時にボロが出るだけでしょう。
それよりも一冊、フィクションの小説を書いてみるというのはどうでしょうか。
いや、私は知っています。世の中には溢れんばかりの小説がありますが、その需要は限界を迎えていることを。
例えばこういうのはどうでしょう。つまり、語り弾きの録音をして、soundcloudで発信するというのは?
もしかすると、アウトプットのできる趣味を求めるのが間違っているのかもしれません。
そもそもアウトプットは社会を前提とします。私の脳が社会的本能を持ってしまっているために、社会に何かを出したいと思ってしまっているのです。
しかし誰かに認められることなく、家の中で数学をやっている虚しさを私は経験しています。
結局学問というのは、社会に成果を発表してこそやる意味があるのです。今、卓上で宇宙の真実を発見したと言っても、虚しいだけです。
では趣味全般が、社会との交点を有意義さのために必要とするのでしょうか。
いえ、そんなはずはありません。私の母親は趣味で農業やダイビングをやっていますが、情報発信などせずに充実しているようです。
そうすると、なぜ私は社会のことを過剰に気にしてしまっているのでしょう。
それについては、たぶん私の「新規探究性」にあると思います。遺伝的に私は新規探究性が高いので、ようするに新しいことをしたいのです。
インターネットに不満を感じ始めたのは、目新しさが減り、なにもかもがありきたりに感じ始めたからかもしれません。
私はtiktokが出た時も、「ありきたりなアイデアだなぁ」と思っていました。
マルチメディアは動画・画像・テキスト・音声ぐらいしかなく、そのバリエーションで言えば、動画の次元である「再生時間」に制限を加えたSNSが出てくることぐらいは誰もが予見していたでしょう。
生成AIが出た時は、「AIもここまで進歩したか」とちょっと驚きましたが、触ってみるとすぐに飽きるのです。小説AI,ChatGPT,画像生成など色々試しましたが、AGIが出てこない限りはあまり驚くこともないでしょう。
個人事業主でソフトウェア開発の仕事をしている。受託中心、請負契約が多めなので、いわゆる「フリーランス」とはちょっと違うと思う(フリーランスと言うと、準委任契約でどこかの企業のソフトウェア開発をお手伝いしてるイメージ。厳密な定義は知らんけど)。
自宅で仕事をするとサボってしまう程度には精神が軟弱なので、オフィスで仕事をした方が効率が良い。今もお世話になっている場所はあるのだが、値段の割には要求仕様を満たしていない面もあって、より良いものを探したいところだ。
長文になってしまい申し訳ないが、この記事は増田の要望を書き連ねておく内容になっている。もしもコワーキングスペースの企画運営側の人の目に止まれば幸いではあるが、同じ考えの人が多く居るのか?という点での保証は致しかねる。
これを見てる皆さんは、どういう条件を重視するのだろう?
>> 1450ppmFの高濃度フッ素入り歯磨き粉は使っていますか? <<
朝コーヒー飲むから昼はブリリアントモア。夜はコンクール。多分どっちも最大濃度?なはず。
>> 歯磨きをしたあと、うがいに使う水は最小限にしていますか? <<
これはわからない。携帯コップに半分~7分目くらい使ってるけど多いかな?
>> 1日の食事回数は何回ですか?(ステファンカーブ) <<
休日は2回(昼夜)、平日3回(朝昼晩)
>> 甘い食べものや飲みものをどのくらいの頻度で摂取していますか? <<
元々甘いものは平日夕方に食べてて週2~3回は食べる。食べた後はうがいしてる。
最近はキシリトールガムに置き換えるように頑張ってるけど、結構ストレスがかかってる。
コーヒーを牛乳で割ったのは、全く飲まない週もあるけど、寝不足時や集中力ブーストしなきゃいけない時は飲む回数が増える(週3~4)
>> 定期検診時のプラーク・コントロール・レコード(PCR)は20%未満ですか?(よく磨けていると言われますか?) <<
プラークコントロールは7年くらい前から3ヶ月~6ヶ月に一回は見てもらってて、よく磨けてるとは言われてる。
無事瞑想に挑戦できた。
瞑想始めてからそこそこたつが、別に人生変わりそうな感じはないな、そらそうか。
頭から体の感覚を探るようにして全身に通してく。慣れたもんだ。
15分ほど行ったとこで切り上げてねる。
今度はもっと長い時間やっても良さそうではあるが、案外集中力使うからまだ長い時間は無理かな。
・聞こえたもの
特になし
・変わったこと
ちょい時間伸ばせるきはした
車を持っている友人からたまに「どこか出かけよう」とドライブの誘いがある。そして日帰りで海や山に行く。それなりに楽しかった。
居眠り運転だ。
多くの場合は帰り道、単調な景色が続くと集中力が途切れるらしくハンドルがブレだす。平地だろうが脇が崖の山道だろうがお構いなしだ。
そうなるとこちらも気が気でなくなるので「ちょっとコンビニ寄ろう。運転代わるから。」などと言って運転を代わるのだがドライブの度に必ずそうなった。(通算5~6回。)向こうから運転代わって、とは絶対言わないがこっちで運転を代わった後は家に着くまで爆睡。どんだけ。
これはいつか死ぬな、と思った。そして最近またいつものように連絡が来たので誘いを断った。正直に「運転が怖い。たまにウトウトしててハンドルがブレてる。」と伝え、近場での飲みなら行けると伝えた。
すると「わかったー」と返事がきた。
何か他に言うことない?「ごめん」とか「え、うそ、運転そんなやばかった?」とかさ...、と思ったがその辺りで自分と友人はそもそも住んでる世界が違ったのかもなあと思うに至った。
寂しいような変な気持ち。
以上。読んでくれてありがとう。
私はそういった下半身の状態には縁遠い人生を送ってきたのだが、つい1週間ほど前に突如としてなってしまったのである、パイパンに。
思えば3ヶ月ほど前、後輩の女の子との飲みの席で、毛の処理について話題が及んだときのこと。パイパンにするべく脱毛サロンに通っているという彼女を、まるで珍しいものを見るような目で見てしまったことを、深く深く反省している。
まさかそんなことが、数カ月後の自分の身に起こるなんて、考えもしなかった。
当方、35歳、未婚女。今年の夏でひとつ歳を重ねる。本厄であるこの年の始めには、きちんと厄払いにも行った。
これまで陰毛の処理といえば、セックスの際に邪魔にならない程度に毛を短く刈るぐらいだった。ビキニラインにしっかり生える毛をコンプレックスに感じているため、毎年夏になると脱毛サロンにいくかどうか迷ったりもするが、もうこの年だしそこまで気にする必要もないか、と半ば諦めるような境地でいた。
ましてやパイパンなど、まるで異世界の風習のように感じられていたのである。
話を元に戻す。
先月アプリで知り合った男が、パイパン好きだと言う。一度会って寝た後、次回までにパイパンにしておくように告げてきた。
趣味のサウナに行きづらくなるので多少の抵抗感はあったものの、好奇心が勝る。何より、数年ぶりに本当に気持ちの良いセックスをもたらしてくれた相手の意向には、何らかのかたちで応えたいと思った。
とはいえ、自らの陰部に剃刀の刃をあてるのには、いかんせん恐怖を感じる。結局、これまでにも女を自らパイパンにしてきたというその男に、私は自分の毛を委ねることにした。
朝の8時、宿泊先のビジネスホテル。前日夜から幾度となく交わったのちのまどろみから「さぁ、パイパンすっぞ」はなかなかパンチの効いた目覚ましである。
朝にヒゲ剃りの習慣がないため、そういうものなのかなぁ…などと寝ぼけた頭で変に感心しているうち、全裸で横たわる私の腰の下にはタオルが敷かれ、男はおもむろに自分の鞄からシェーバーを取り出した。
ヴィィイイン…
窓から柔らかな朝日が差すベッドの上で、男は仰向けになった私の股の間に陣取り、慣れた手つきで毛の長さを均一にしていく。羞恥心からつい脚を閉じそうになるが、抵抗しても無駄だと途中で諦めた。そのシェーバー、普段あんたが自分のヒゲをカットしてるものじゃあないのか…と心のなかでツッコミを入れてみたりするが、口にする余裕などない。「どういう状況?」という言葉がエンドレスで頭の中を駆け巡るのみである。
ボボボーボ・ボーボボで毛狩り隊に襲撃された住民は、果たしてこのような気持ちだったのだろうか。
剃毛するのに丁度いい長さまで陰毛を刈られた私は、風呂場に移動させられた。
ビジネスホテルなので、風呂はユニットバスである。私はその中に全裸のまま立たされ、男は浴槽の外に跪いた。好みどストライクの整った顔が私の股の前にある。またしても脳内は「どういう状況?」の応酬である。
片脚を浴槽の上に上げるよう指示された。ここまできたら、やぶれかぶれである。
男はシェービングクリームを私の局部に丁寧に塗ると、前日に購入したらしいVIO用T字カミソリで、ゾリゾリと毛を剃り始めた。
購入先の店のレジ係の人は、この男がその商品を買ったことについてどう思っただろうか、などとぼんやり考えつつも、真剣な眼差しで一心不乱に剃刀を滑らせる彼に身を任せるほかなかった。集中した赤の他人が自分の陰毛を剃っているという経験は、なかなか得難いものである。ただ下手に動けば出血することは目に見えているので、多少の緊張感と妙な信頼感が同居する、複雑な心境であった。
剃った毛をシャワーで流すと、仕上げをするとのことでまたベッドに戻された。
乾燥を防ぐため時折乳液を塗布するなどされる。これを思いやりというのだろうか。
男は指で何度も何度も剃り残しをチェックしつつ、細かい部分にまで念入りに刃を滑らせる。狂気じみた、執念すら感じられる。
しかし一口に陰毛といえど、毛の生える方向が部位?によって細かく違うことを知り驚いている私に、男が次の指示を出す。
「はい、四つん這いになって、こっちにケツ向けて。頭は下げて。」
このときが羞恥心のピークだった。恥ずかしさで心臓が止まるかもしれないと思ったことがあるだろうか。きっとそういう気持ちにさせるプレイでもあったのだろう。え、男って、寝る女のOラインを剃りたい願望があるんですか…??
脳内「どういう状況?」は限界突破を迎え、ここで私は完全に思考を停止させるに至った。単純に力を入れてたら危ないし。
かくして男の驚異的な集中力により、私のVIOラインは思春期以来のツルツルになった。
その結果として、思いがけず新鮮な気持ちになったため、なんとなく文章に残すべきではないかと考え、公開するに至る。
・感度が上がった
これはよく言われていることだと思うが、その通りであると言える。作業後に早速一戦交えたが、今までで一番感じられた気がした。お互いに。
・シャワーの水の流れが変わった
シャワーを浴びているとき、今まで毛によって弾かれていた水の流れが、割れ目から中に入ってくるようになり、思わずハッとした。
今まで毛に邪魔されていたせいでまったく意識していなかったが、無毛状態の大陰唇は触ってみると感触が非常に柔らかで、なんとも言えない気持ちになる。身体の他のどの部位ともまったく異なる感覚がある。35年生きてきて、自分の身体については誰よりも知っているつもりでいたが、案外知らないこともあるものだなと驚きを隠せない。
以上、私がパイパンになった経緯と感想である。他の人にオススメできるかと言われれば、微妙なところだ。意外にもすぐ毛は生えてくるし、既に維持するのは難しい気もしてきた。
しかしその男とはこれからも会うだろうし、清潔に保つよう言われたので、素直に従おうと思う。関係がいつまで続くかはわからないけれど、自分自身の身に関心をもたせてくれたうえ、新たな発見を授けてくれたその男にはある意味感謝している。
今日は、アマプラで「一気見」することについて書きたいと思います。
特に、アマプラで配信されている作品は、面白くて止まらないんです。
Z世代の無能とは違い、早送りしたりスキップすることなく、何時間もかけて集中して見ることができました。
自分の集中力に誇りを持っていました。それは、大切なギフトだと思っていました。
あまりにも集中しすぎて、現実との区別がつかなくなってしまったのです。
ドラマや映画の登場人物に感情移入しすぎて、彼らの喜怒哀楽に一喜一憂してしまいました。
アマプラの中に閉じこもって、外の世界との接触を断ってしまいました。
精神病薬を飲むと、アマプラで「一気見」することができなくなりました。
彼らの人生に関心を失いました。
そうして、気がつきました。
今までの集中力の度合いがヤバかったということに。
一日に一話だけ見ることにしています。
ドラマや映画を楽しみながら、現実とのバランスを保っています。
アマプラの中に閉じこもらず、外の世界との交流を楽しんでいます。
今では、精神病薬の量を減らすことができました。
精神薬を飲んでいたら絵が描けなくなった。
精神は安定した。死にたいと思わなくなった。リストカットやオーバードーズをしないように心がけているし、ここ1年くらいはしていない。
いい事ばかりかと思っていたら、絵に対するモチベーションが無くなってしまった。人生に絵が無くても満足行くようになってしまった。
今まではストレスの発散手段や現実逃避の方法として絵を利用していたため、絵を描く理由がなくなってしまった。
だが、私は小学生の頃から絵を描いている。趣味とはいえ10年くらいは人生を費やしている。そんなものを途端に手放せる訳もなくもんどり打っている。
もう絵を描く集中力もモチベーションもないのなら金輪際絵を描くことはやめたらいいのではないかと思う私と、そんな簡単に手放せるわけないだろ!という私がいる。辛い。
早く絵に執着するのを辞めたい。しかしインターネットをしていると絵がどうしても目に入ってくる。仲のいいフォロワーが絵を描いているところが目に入ってくる。
そもそも私は芸術が好きだ。小さな個展や美術館に行くのが好きだ。早く鑑賞者として割り切りたいが、創作をしていた昔の記憶が脳を叩いてくる。そして才能の差や努力の差、環境の差に打ちのめされて鬱病になって帰ってくる。この間藝大の卒展に行った時も全く楽しめなかった。
辛い。ここ1年間ずっとそうだ。絵が描けなくて発狂しながらタイムラインを眺めて鬱病に陥る。
早く絵に執着するのを辞めたい。
コロナ禍になって授業も全部オンラインになりそのまま就職した。
コロナ禍前は友達と飲みに行ったりしてコミュニケーションとれてたんだが、外出できなくなってからの身の振り方を間違えた気がしてならない。
どうも音声のみで聞き取るのが苦手のようで、電話でもそうなんだが、意味を受け取るのに対面より集中力が必要で疲れるし、黙っていては感じが悪い気がして適当な返事をしてしまう。
だから会話の内容があまり頭に入ってこないまま話だけが進んでいく。
あと、誰かが喋ってるときに喋るとミュートがかかる仕組みを気にして、喋り出しを気をつけていたら、うまく話に入れなくなった。
遅くとも12時には切り上げないと翌日の仕事に支障が出る。
周りのやつらは夜中の2時や3時までゲームして、翌朝7時に起きて仕事をしている。
体質なのか、俺はそれをやると翌日眠かったり気持ち悪くなったりして仕事にならない。
自分だけ途中で抜けるのも何なので、ソロでやるのがメインになった。
各々、暇なやつがDiscordに入ってきて、時折話したりするが、基本的には各自好きなことをやっている。
自分が一人ですることと言えば読書だが、通話しながらというのは難しい。
友人グループ内で、どこにいこうとか飲みの約束などはその通話内で自然発生し決まっていくので、俺が知らないうちに決まってそのまま実行され後から知るといったことが増えた。
文字でのチャットなんて数ヶ月動いておらず、かといって俺が通話に入ると「珍しい」と言われる始末で、何か理由がなければ通話にも入りづらくなってしまった。
もっとコロナ禍がはじまったくらいで自分の生活を友達との通話ありきに切り替えていれば、こんな疎外感を感じることもなかったんだろうか。
俺は
鶏>豚>牛=魚
の順で好き。
情緒はフラットからやや朗らか寄りで安定。多少の浮沈はあるものの振れ幅はかなり小さい。
ユーモアが好きで、のべつ冗談を言っている(センスは別として)。
ちょっと短気なところもあるが、ムカッとしても表に出さないことを覚えた。
集中力が高く凝り性で、楽しいことを見つけるとのめりこみがち。
頑固で自分の考えを曲げないところがあるが、最近は折れることも覚えた。
良くも悪くも規則正しい習慣が好きで、習慣になったことはなるべく変えたくない。
ケンカはかなり後を引く。きのうケンカした相手がきょうサバサバした感じでいるとナンヤネンと思う。