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2019-11-06

anond:20191106063859

KKOと縁があるなら選ぶでしょう

しかKKO基本的コミュ力に乏しいし、結婚相手意思を汲みすり合わせていく必要があると思うのでKKOはその能力に欠けるから結果的に選ばないことになるかなと

2019-11-05

anond:20191105214957

結果的に「男はレイプ物が好きだから女を加害して喜んでる」みたいな理論になっててワロ

anond:20191105193705

鶏の唐揚げは食おうと思えばだいたいいつでも喜んで食えるわけじゃん、だから結果的にたまにしか食わなくても好きというのは自信持って言える

普段はむしろ食いたくないのに食いたくなる」のは別の枠だ

アニメは二話目から観るようになった

というのも、一話のみ常に無料配信で二話目以降は一週間のみ無料だったりするためで、仕事が忙しく帰っても疲れて寝るだけ。そんな生活を繰り返しながらも気になる作品は見よう見ようと思いながらも後手後手に回ってしまい気がつけば無料期間終了の日になってしまい、一話目はいつでも無料からじゃあ無料今日までの二話目を見ようということになり結果的には下手すれば最終話前にようやく一話目を見るか、もしくは一話目観ずに二話目切りをしてしま

それでも案外、一話目を観なくて二話目からでもすんなり入っていけたりする。逆に一話目が一番面白い!なんてアニメはあるのかな?

エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である

 まずエンジョイ勢とは何か。ゲームを勝ち負けによらず楽しむ者くらいの雑なニュアンスしかされていないが、自分が楽しむためにゲームをやっている者だろうか? 勝っても負けてもゲームを楽しむ。間違っていないはずだ。

 しかしこの解釈では基本的にはゲームをやっている者は皆エンジョイ勢になるはずだ。自分が楽しくないのにゲームをするはずがない。もしかしたら特殊事情があってやりたくもないゲームをしてる奴もいるのかもしれないが置いておく。

 対戦ゲームでよく聞くエンジョイ勢ガチ勢確執というのはこれでは表せない。しかしここでガチ勢と表される人もエンジョイ勢と呼ばれる人も自分が楽しむためにやっていることは間違いない。では何が違うのか。私はそれを目的だと考える。

 ガチ勢は『勝つこと』が目的である。勝つことがそのゲームにおいて自分楽しいことであってゲームをすること自体楽しいわけではない。だから勝つためには面白みがないような戦法や、強キャラなどを好んで使う。それが勝利の最短ルートから

 この対立でのエンジョイ勢目的は何か。『自分が楽しくなること』である。それだけだと何も悪くないように感じる。しかしここでいうエンジョイ勢ガチ勢ではない中立勢力目的を明らかにすると見方が変わる。彼らの目的は『ゲームを楽しむこと』だ。

 『ゲームを楽しむ』ということはそのゲームルールに従って遊ぶということと同義であるルールを守ってもつまらないゲームゲーム側が悪いので置いておく。ルールといっても複雑じゃない。格闘ゲームだったら敵のHPゼロしろだとか、FPSだったら敵を倒せだとか。それだけである。その他は自由だ。一人用ゲームなら目的は様々だろうが、ことPvEPvPに関しては敵に負けろ! とルールに書かれてることはない。なので基本的には勝つためにプレイすることになる。そこで知識量の差や腕前などが出てくることになり、勝敗がつく。しかし彼らは敵を倒せだとか拠点防衛しろだとか、そのゲームの根幹を為すシンプルルールに従い、結果的に勝ちを目指すことになる。それがゲームを楽しむということだからだ。試行錯誤によって人によってはわざと負けているように見えることもあるかもしれない。しかし本人がゲームルールに従って勝つためにプレイしているのならば問題ないはずだ。

 話を戻す。エンジョイ勢目的である自分が楽しくなること』はゲーム勝敗関係ない。一人でやっているゲームならば何の問題もない。そこには一人しか人間がいないからだ。しかし対人ゲームは違う。特にチームゲームならば味方に迷惑がかかる。なぜなら目的が一致していないためだ。ガチ勢中立層はゲームに勝つためにプレイするという点に置いて一致している。それが目的なのか結果なのかは違うものの、同じゲームにおいて勝利を目指すという点では変わりない。しかエンジョイ勢は違う。彼らは『楽しくなること』を最優先にしているのでゲームルールに囚われない。自分気持ちよくなるようにプレイしつづける。気持ちよくなることが勝敗に関与していた時、それが勝つために繋がるならば問題にはならないが、負けに繋がるような行為だった場合非難を喰らうことになる。他にはチート行為などが代表例だろう。気持ちよくなるためにルールをぶっ壊してニタニタ笑う。そんな行為が周りからどう思われるかは火を見るより明らかだが、しかしそんなとき彼らは言う。

たかゲームじゃんw」

「楽しむためにゲームしてんだから間違ってないだろw」

「対戦相手は勝てて嬉しいし何が問題なんだよ」

 例えるなら皆でサッカーをしている時に一人だけキックベースルールで遊んでいるようなものだ。基本的にはボールを蹴っているが突然ボールを手で持ち敵チームに投げ放つ。ポジション無視して走り回る。味方だったら最悪だし、敵だった場合も勝った気がしない。まさに害悪と呼べる。 

 対戦ゲームとは対戦が楽しいという前提があって成り立つものだ。相手が一人で遊んでいたら対戦は成り立たない。ゲーム体験自体が成り立たないので楽しさなどどこかに消えて行ってしまう。自分もそのエンジョイ勢ルールで遊べれば楽しめはする。しかサッカーをしに来ているのに突然キックベースに変わり、それを楽しめる人は少ない。その試合を、引いてはそのゲームの対人戦自体価値貶めることにも繋がる。

 もう一度言う。エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である




 追記 

 昼前にこの記事エンジョイ勢批判をしたのだが、明確にタイトルをあげなかったこととガチ勢エンジョイ勢対立と書いたのはよくなかったと思う。例としてタイトルleague of legendcsgo代表されるようなチーム戦を想定する。そして実際のところ、本当に対立しているのはエンジョイ勢と真ん中のゲームを楽しんでいる層で、それはガチ勢と呼ばれる側も同じ構図であり、こちらは試行錯誤に対しての強制などにあるがそれはともかく。

 この対立ではエンジョイ勢ゲームを楽しんでいる層をガチ勢に仕立て上げる。

ゲームに何マジになってるの?w」

「人に強制すんなよ」

 など。挙げれば枚挙に暇がないが、こうした発言によりガチ勢エンジョイ勢対立という風に変えようとする。しかし本当に対立しているのはゲームを楽しんでいる層なのだ。そしてうやむやにされてしまう。

 この問題の悪いところは逃げ道が無数にあることだと思われる。例えばだが今までまじめにゲームをやっていた人間が、相手うまいプレイをされて死ぬ。差ができてしまい、もう逆転できないと思って敵に殺されに行くようなプレイをし、次の試合に行こうとする。彼はエンジョイ勢に変化してしまった。なぜなら自分気持ちよさを優先しているためだ。しかし本人にやめろと言っても俺はまじめにやっていると言われるとよっぽどプレイおかしくない限り、追及が難しい。人の心を覗き見ることはできないからだ。

 例以外にもゲームをやっていればわざと負けるためにやっているんじゃないかと思えるプレイヤーに必ず出くわす。これはレート帯に関係なく起こる話であり、そして彼らがエンジョイ勢かを完璧判別する方法がないということがこれを難しく、あやふやにしている

対象読者」と「実際の読者」は別だ

少年漫画対象読者は少年である」は「少年漫画の実際の読者は少年だけである」という意味ではない。

前者は作り手の意識問題にすぎない。

すなわちジャンプ編集者漫画家「少年」意識して作品をつくらねばならない。

なぜならジャンプは「少年漫画であることがアイデンティティからだ。

そして「少年」ならざる高齢ジャンプ読者や女性ジャンプ読者たちも「少年漫画」を好んで読みにきている。

「少年」向けに漫画をつくることが結果として「少年以外の読者」にも作品を届ける手段となっているのだ。

たとえ高齢ジャンプ読者や女性ジャンプ読者たちが何らかの要望を出してもそれを聞き入れてはならない。

マクドナルド健康メニュー問題と同じだ。

ひたすら「少年」のために漫画を描く。

それが結果的に「少年以外の読者」のためにもなるのだ。

少年漫画を描くとき女性意見を聞いてはいけない」というのはそういう話でしかない。

anond:20191105113635

ネット一言申すマンが多いので結果的ネットリンチになってるのでは?

簡単発言できる環境もあるし

2019-11-03

地元の一番低い家賃のとこ調べたらサクラメールバイト求人でた

さらにGの駆除業者調べたら、駆除業者求人ばっか宣伝にでる

そして結婚相談所給料調べたら年収400万!て求人たくさんでてきた

このスマホ自分無職だと思ってるに違いない…とりあえず働けとやたら就職先見つけてくる

でも文字だけだからエロ漫画広告より精神的にいいので結果的ありがとう

anond:20191103144453

普通人間関係考えりゃ分かるはずなのにね

目の前の相手罵倒して黙らせたとして、周りはそれを見て離れていくわけで

結果的自分の評判を落とすだけ

増田匿名から関係ないと思ってるのかもしれないけど

今のフェミを見てると

今だけではなくかなり古くからの話ではあるが。

勝ち目のある戦いも初手から工作意図が見えるやり方や感情正当化をしようとしすぎていて、自分たちからそれを投げ捨てているため、結果的にただ喚きたいだけ、相手嫌がらせしたいだけになっている。

本当に勝つ気があるならもう少しエゴを抑えてから発言するべきではないだろうか?

イートイン脱税したいわけじゃない

乳児を育てている。乳児というのは眠っていれば大変静かなものだけれど目覚めて機嫌が悪かったり、何か不満な事があると大声で泣いて主張する。

なので外食する際は静かなカフェレストランに入ることは遠慮して最近フードコートで済ませるようにしている。

だけどいくらフードコートでもいわゆるギャン泣きしている状態ではとても食事は出来ないし周りの目も気になるのでそういう時はその場での食事は切り上げて食べ物は持ち帰るようにしていた。(大抵ハンバーガーとか、サンドイッチなんかを食べる事が多いので)

増税してからも何の気無しにそのようにしていたがこれイートイン脱税だな、と気づいた。したいわけじゃないけど結果的脱税していた。

気づいてからは持ち帰りを選択してフードコートで頂いているがなんとなく釈然としない。

乳児が目覚めなかったりおりこうにしていたら2%無駄になったな…とか思ってしま自分も嫌だ。

追記

あっ逆だったの…産後バカって怖いね恥ずかしい

ここで書かなきゃずっと脱税してたわ

2019-11-02

anond:20191102233118

結果的に反与党の焚き付けに成功したとしても、勢いあまって宗教教義母国文化の違いでリベラル価値観にまで牙をむくようなことがないよう、気をつけないと。

徳井はそんなに悪くないような気がする

結果的にだけど税金をたくさん払ったわけでしょ。そんなに悪くないと思う。

3年に1回かもしれんけど。延滞金というか、普通よりたくさん税金払ったし、経費の水増しあったにしても、これいけるやろ、ぐらいの気持ちだったんでしょうし、悪質だ悪質だって騒ぐ理由が分からない。

節税のために必死になって帳簿をこねくり回してる人より、ずっと国にお金払ってんだから徳井は偉いよ。

節税して納税の義務なのに、その義務を小さく小さくしてる人間の方が卑怯卑劣だと思う。

金持ちが「税金を払いたくないわけじゃない、税金の使い方が納得いかいから、なるべく払いたくないんだ」とかいうけど、ふざけんな、と思うね。

徳井みたく払いたくない、めんどくさい、そのうち何とかなるって、帳簿をこねくり回さず、税理士専門家も雇わず、「払わない」に専心して、けっきょく、たくさん税金払うヤツは国にとっても国民にとっても、そこまでの悪じゃない。

いやいや、徳井個人会社つくって節税に熱心だったし、税金の安いドバイ移住しようとか言ってたぞっって。

あれだって、ノリはスノボといっしょ。人に勧められて「じゃぁ、ボードとウェア買うわ」って買いに行って雪山行って滑って、「いやー、スノボしかったすわ、そのうち別荘とか買っていつでもスノボ出来るようにしたい、湯河原とか良いらしいよ」って話したけど、1年過ぎたら「いや寒いじゃん」ってなる感じでしょ。

ボードは?ウェアは?」「いや、どっかあると思う、知らんけど」

からホントに悪いのは徳井じゃなくて、納税国民義務とか声高に叫んでて必死節税に熱心な糞野郎どもだと思う。

2019-11-01

anond:20191101211114

口汚いのは意味がある

繊細な人はそれだけで意見できなくなるし

ヤバい女がいるからと興味がない人がスルーするから結果的フェミ多数の有利な環境にできる

ドワンゴ退職現職エントリに思うこと

あの会社結果的やりがい搾取で生きてるのが、如実すぎる。

やりがい精神込みで潰せるのがやばいソースは俺

新卒で入った同期は、1/5くらいになってるんじゃね?????

俺は調子があがってた時期に本体系の企画ディレクションやってたが、

自分が考えたものを指示出して作る人間のほうが給料もらえて残業しないのに

裁量労働から残業代もでない俺側が評価されずに某前会長からトップダウンを期限(機嫌)守って頑張るのが嫌になった。

好きだったが、もう限界でやめた。数年前だけど。

愛があるからというので楽しいからとかじゃない、真っ当な会社じゃないのを受け入れた奴しか残れない会社なんだと思っている。

最近、やめないだろうと思ってた最古参スキルが尖った人もやめてるのをみるに、色々大変なんだろう。あくまでも個人の感想だが。

どこに向かうかわからないが、おっさんおっさんなりにプレミアム会員で応援はする。

あ、叡王戦はやめるんじゃねーぞ。

2019-10-31

anond:20191031195354

昔女オタクが男から叩かれてひどい目にあったみたいな話もあるんだけど、それは2chとかニコニコ動画コメとかで声が大きい人がヤバいって話で、大半のオタクは当時の(そして今も)常識だった荒らし無視方針を決め込んで結果的いじめられてるのを助けなかった印象を持たれてるだけだから(宇崎ちゃん擁護してる女オタクたまにいるけどその勇気には感謝してる、ただ自分はほかのコンテンツが叩かれてるときに真似できそうにないし、それは大半の女性もそうなんじゃないかな)。

これなー。「荒らし無視」本当にそれが良かったんだと思う。自分はそれができなくて、ミソジニー発言を見つける度に突っかかって行ってたんだが、逆効果だったのかなぁと。

そもそも中学生とか高校生とかそれくらいの年齢だったし、自分馬鹿だったから、今思えば擁護すら雑で無意識に傷つけた女性すらいただろう。

いま擁護してくれている女性、全力で怒ってくれる人もいるし、すごくありがたい。そして何となくいいなと思うのが、「話題の宇崎ちゃん読んだー。面白かったー」みたいなことを呟ける人。いまこのタイミングで、あえて。

伊坂幸太郎魔王って小説で、「クラレッタのスカートを直しに行く」ってあるじゃん?あれを思い出す。(余談だけど大須賀めぐみ漫画版は神。)自分最近は、何かしらの差別集団を見た時、そういうことが出来ないかって考えてる。ここでどういう水滴を落とせば波紋を広げられるのか。反論に全力を尽くすというよりも、「どうすれば"流れ"を変えられるのか」を考えてる。それがどれだけ意味のあることかわからないけど。

ほとんどオタクミソジニストじゃない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/arrow1953.hatenablog.com/entry/2019/10/23/102625

なんか話が噛み合わんなと思ったら、オタクミソジニスト前提で話してるコメの多いこと(ポスター批判はに多いが双方に見られる)。


普通オタクは女嫌いじゃないから。もし仮にガチガチミソジニストだったら

男性サポート役のセーラームーンCCさくらは怒らずに見られるわけないし、

アイマスアイドルプロデュースなんてできるわけないし、μ'sの同級生になりたいと思うこともないし、

ひだまりスケッチらきすた女の子同士の会話なんて面白いわけないし、

とにかく男女同権が当然の今の時代で大半の漫画アニメも見られるはずないから。


もしミソジニーこじらせたオタク文化に傾倒してる人いたとして、それはかなり古い作品マイナー作品しか読めない人か、本編まともに見ずにエロ同人ばっかり集めてるヤバい人でしかいから。


昔女オタクが男から叩かれてひどい目にあったみたいな話もあるんだけど、それは2chとかニコニコ動画コメとかで声が大きい人がヤバいって話で、大半のオタクは当時の(そして今も)常識だった荒らし無視方針を決め込んで結果的いじめられてるのを助けなかった印象を持たれてるだけだから(宇崎ちゃん擁護してる女オタクたまにいるけどその勇気には感謝してる、ただ自分はほかのコンテンツが叩かれてるときに真似できそうにないし、それは大半の女性もそうなんじゃないかな)。


三次元女の子に興味ないみたいなのは、関わらない(というか関われない)し危害も加えないという話なので別問題


ちなみにそんなに流行ったわけじゃないけどフェミニズムを題材にした美少女ばっかり出てくるアニメというのも一作品知っている。

大正野球娘。というのだがアニメ生理的嫌悪を感じないフェミニストは是非一度見てみて欲しい。

女性もそうだが野球に対するリスペクトを感じるという評価もある。

2019-10-30

anond:20191030230822

フェミニスト自称してぶっ叩かれている人の大半は、

自分自身ベース保守思想なのに、それに気が付かずに都合のいいところだけリベラルっぽい何かを

ブレンドしているから叩かれるのであって、全部保守思想文脈に乗せれば、割と矛盾なく戦えると思うんですよ。

老婆心ながら。

だいたいリベラルっていうのは自由なんだから市場経済と同じで、結果的には強者理論になる。

自由にすれば強者が勝つに決まってるんだから。強いやつが正義

フェミの人は、自分弱者だと思うなら、人間をさまざまな規制で縛り付ける保守思想に着目すべき。

昔ながらのフェミの人は知らん。

Youtuber界隈のステマ意識

YoutuberVtuberあたりのステマ

ステマであることを隠そうとしてないから、結果的ステマじゃなくなってるけど、PR動画だとかスポンサー付きだとか明言してるわけでもない。

そのうちなにか問題がおこりそうな気がする。

2019-10-29

突然仕事がうまくいかなくなった 自分がそうなることと向き合えない

突然仕事がうまくいかなくなった。

自分でも目に見えてパフォーマンスが落ち単純なミスが増える。明らかに仕事に集中できず長時間働けない。考えの深さがなくなり浅いレベルのことしか話せなくなる。

直接的なきっかけは新しく就任した上司パワハラだと思う。事実としては結果の出ていた仕事否定されただけでなく、人格否定される。自分が120%の結果を出せていないのは事実ではあるが、30も半ばにして突然に人格を完全に否定され、完全に萎縮してしまった。

萎縮してしまってからは負のスパイラルで、上司とできるだけコミュニケーションを避けるが、避けることにより確認が遅れたりディスコミュニケーショントラブルが発生する。

トラブルの発生の繰り返しにより自信を失い、仕事パフォーマンスがどんどん落ちていく。食欲も減る。みるから仕事のできない自分になっていく。

間接的には会社雰囲気悪化もある。もともとの社風が変わり、次々と社員が辞めていく。自分に近しい社員もたくさん辞めていった。

結果的にチームにリソースはなく、仕事押し付けあい空気がギスギスしている。好きだった会社は変わってしまった。なんのために仕事をするのかわからない。そんな状況にある。

これまで、仕事ができない、と思ったことがなかった。基本的仕事評価は高かったし、プレッシャーもうまくいなしたり、はねのけてやってきた。

パワハラ上等の職場にいたので、理不尽なことも耐えてきたし、長時間労働などハード環境クリアしてきた。精神的に病むことも無かった。

からこそ、会社仕事に対するモチベーションがうまれにくい状態であっても、パワハラで引き金が引かれて自分がここまで病んでしまうとは、とても信じられない。

自分がそうなると思っていなかったから、自分が情けないし、自分パフォーマンスの低さに驚いてしまう。口を開けばネガティブなことを言ってしまい、自分自分のことが嫌いになる。

抜け出せない。管理職で大切な部下もいるから、逃げ出せない。人も少なく、おそらく自分がいなくなれば回らない。

でもパフォーマンスが低いか迷惑をかけている。きっと部下も呆れているのだろう。

誰か助けてくれ。

絵うまくならない人

勉強目的になってる

勉強目的で上手くなれるような人は勉強天才なのでとっくに上手くなっている。

我々殆どの凡人にとっては描きたいという気持ち→描けないでも描きたい→わからないのを調べる→結果的勉強してたという順序の方が楽。

知識だけ入れてる

画力ある場合ならともかくあまりない状態知識だけ入れてもすぐに効果はない。Fakerの動画みたらすぐに彼のように動けるのか?そんなわけない。なんで絵ならそうじゃないと思った?

目指すイメージ大事からこうなりたいという作家配信をみたり作品見るのは意味ある。必要な時にあん技術があったなと思い出せるから知識無駄にならない。でも実際に手を動かさないとそれを生かし発揮できる時はやってこない。

基礎画力がついてくると実際にテクニック行使できるので知識が即効性を持つ。

序盤だと即効性を持つ知識とそうでない知識がある。人にもよるので断言はできないが多くの人にとって即効性があると先人が集めてきたものが基礎というやつだ。

から基本的に基礎は楽をするためにある。

資料を用意しない

見ないで描けるのはマニアと言えるほどよほどそれに詳しくてさらにそれを描くのに習熟している場合だけ。そうでないものは例え絵がある程度描けるようになっても資料は見る。

なんも見ないで人体かこうとして何が変だけどうまくならない〜当たり前だろふざけてんのか?

同じポーズやハンコ絵しかかかない

突然なんか閃いて画力が降ってくるなんて我々凡人にはない。題材をステップアップしていかないといつまでたっても同じレベルなのはあたりまえ。

大抵上手くなるときって、上手くなりたいからこれこれに挑戦しようというケースよりも、どうしてもこれかきたい!でもかけない!どうして!戦う戦う戦う倒した!上手くなった!みたいな感じ。そういう題材を抱えてるときはチャンスだから諦めずに戦え。その分確実に上手くなる。

絵のうまさに変な幻想を抱いている

これは上手くならない理由というよりめんどくさいというか、損してるやつ。

例えばデジタルよりアナログが偉いとか、3Dはズルとかそういうの。そういうの全部手段しか過ぎない。結局手段を扱う画力と観察力と引き出しがものをいう。絵を描ける人が3Dモデル作るの初めてでもうまいのみてたらわかるだろ。

何も見ないですらすらかけるのが理想から何も見ないで練習するみたいな信仰もただの縛りプレイなので上手くなりたいなら捨てた方がいい。

自分にあったトレーニング方法を見つけてない

多分だけど、早く枚数描いた方が伸びるタイプと、じっくり難しい題材をやり遂げるのに時間かけた方が伸びるタイプといる。伸びるというか伸びやすステータスが違うというか。

どちらのタイプももう片方のやり方も上手くなるには必要だけどメインとしてどう取り組むか。

巷のどうすれば上手くなるというのは自分はこれで伸びましただから、必ずしも自分タイプが一致しているわけではない。

から、配分の限度はあれ絶対ものすごい枚数かかないといけないとか逆に大作かかないと伸びないなんてことはない。

30秒なんとかみたいの元々瞬発力タイプの人ならあれでステータスが伸びて成功体験を得られるだろうが、持久力タイプの人はあまり成功体験を得られなくて続かないのではないか

ある程度描けるようになると苦手も伸ばさないと描きたいものに届かない時がくるが本当に今がその時だろうか。

才能のせいにするやつ

絵こそやった分だけ上手くなると思う。

しいていうなら絵の才能というより上手くなる才能とか楽しむ才能というのはあると思うがこれは伸ばせるものだし。だから才能ってよりステータススキル

ただ、上手くなる才能って仕事スポーツゲームプログラミング音楽やなんでも全てに関わってくるから、上手くなるスキルが低い人は全てにおいてやりにくいとは思う。雑に言えば要領の悪い人になってしまう。逆に言えばこれを伸ばすと生きやすくなる。

若くてうまい人をみると全てを投げ出したくなる

なるよな。

俺もそうなる。

それでも何もしなかったらこれほど描けるようにはなってないから、描いた俺が強さなんだ。誰がなんだろうが。結局年齢幾つだろうが恵まれてない環境だろうがなんだろうが止まったらそこまでなので止まらないだけ得なんだ。殆どの奴、とまっちまうもん。止まらないだけでそこそこなところまでは行ける。その上で、もっと若いからやってたらなぁってなるのもある。あるけど、死ぬ前になったら改めて考えようと思う。それまでは止まらない価値があるから

ポスターのやつ、いろいろな記事を読みつつ、自分の考えを整理するために書き出していたら、結構な量になってしまった。論点が多くてあまりまとまっていないが、せっかくなのでここに置いておく。少しずつメモ帳に書いてたら気がついたらめちゃくちゃ長文になっていてビビったというか、途中で切らられちゃうので分割するはめになった・・・・。

ポジショニングを先に述べておくと、私は男で、オタク、宇崎ちゃんポスターはギリセーフかな?ぐらいの認識だ。

ポスター擁護派の反発の強さ

いきなりだが、ポスター擁護側の反応が過剰である、という意見がある。これは、ポスター擁護側の危機感の強さに由来するものと考えている。「彼らが最初共産主義者攻撃したとき」という有名な言葉があるが、ポスター擁護派にとって、オタク表現に対する段階的な譲歩は、最終的にはすべてのオタク表現が認めらない未来につながる、という危機意識があるのではないだろうか。この危機意識を補強する要素として、これまでの事例(NHKにおけるキズナアイ人工知能学会の表紙など)も存在する。一方で、ポスター批判派にとっては、あくまでも自分の信じる妥当な指摘をしているし、これまでの個別の事例は必ずしも自らによるものでないので、ここまで反発を受ける理由が分かりづらいのかもしれない。

ここで問題となるのが、ポスター批判派と擁護派の間に信頼関係が無いことであるポスター擁護派にとって、ポスター批判派とは、個々人の「常識」に基づいて、それぞれ微妙に異なる理由ポスター問題点を指摘する存在に見えている。特に共有されたガイドラインがない状況でこうなってしまうと、ポスター擁護派は最終的にどこまで譲歩すればいいのかわからない以上、一歩たりとも引くことができなくなってしまう。ポスター擁護派が「お気持ち案件」と言うのはこういう理由からであろう。両陣営の間に紳士協定存在しない以上、お互いに譲歩は難しい。

個々人の嗜好や常識が異なる以上、必要となるのは各陣営同意が得られたガイドラインになるであろう。現時点で即効性があるガイドラインは恐らく法律のみであり、法律に基づくのであれば、法的な「わいせつ物」でなければ問題ない、ということになる。もちろん、「TPOマナーをわきまえろ」という意見もあるだろうが、TPOマナーへの遵守はベストエフォートであり、必ずしも守る必要がない。法律のみを基準として考えた場合、件のポスターが「わいせつ物」とは言えない以上、それ以上の規制を求めることは「過剰な要求」と映ることもあるだろう。ポスター擁護派には、恐らく規制派の意見法律を超えた「過剰な要求」に映っている。

では、みんなが納得するようなガイドラインを、批判派と擁護派が一緒になって作ることは可能だろうか。残念だが、私の印象としては、そのようなことは難しいように感じられる。各人それぞれ譲れない線があるらしく、すり合わせは容易ではない。しかし、後述するが、私はそのようなガイドラインは「表現する側」が作れば良いと考えている。

ポスター取り下げの圧力はやりすぎなのではないか

安易ポスターの取り下げ要求は、表現への萎縮につながるという説もある。これは一理あると同時に、必要行為でもある。私自身は、自由はなるべく保証されているべきだと考えているので、ポスターへの批判Twitter上で放言することは、それがどのような理由に基づくとしても、認められるべきだと考えている。たとえそれが、個人的な心情に基づいたものだとしてもだ。また、赤十字に対して直接的に取り下げを求める行為についても、特に問題はないと考えている。なぜなら、圧力、あるいはロビイングは、自分の信じる世界を作るための戦術の一つであると考えているからだ。批判派も擁護派も、お互いにやればいい。

さて、赤十字にも、表現自由がある。赤十字公的団体私的団体かに関わらず、赤十字にはどのような表現を行うかを自発的に決める権利がある。もし、赤十字が、批判に対して「なるほどそういう考え方もあるのか」と考えてポスターを取り下げるのであれば、それは赤十字自由だ。一方で、批判を受けた上でポスターを取り下げないのも、赤十字自由だ。赤十字インターネット上でどちらの意見が多いかを見定めで、それに基づいて判断を下したとしても(統計的な正確性の問題を別として)、問題ないだろう。決めるのは赤十字である

前述のとおり、私は、批判派と擁護派が意見をすり合わせて統一ガイドラインに至ることは難しいと考えている。となれば、最終的には、どのような表現が認められるかどうかは、その表現の発信者が決めるしかない(この場合赤十字だ)。この前提に立つ場合、両陣営は、発信者を説得するために最善を尽くすのがミッションとなる。つまりロビイング合戦だ。実際のところ、自治体はもちろん出版業界放送業界などを始めとして、様々な企業業界には、表現者として独自ガイドラインがある。これらは過去ロビイングによって少しずつ構築されてきたものであり、それぞれの価値観をすり合わせた結果とも言える。そして、このような自主規制ルールを作る上では、表現自由関係が無い。

強引なロビイングの是非

ところで、何人たりともリソース限界というものがある。特に赤十字にとっては両陣営から意見を受け付けて適切に判断を下す、という非常にリソースを消費する作業が求められる。結果的に、赤十字は、問題が起こりにくい表現のみを使うようになる、つまり表現の萎縮が起こるという懸念が残る。しかし、究極的に言えば、私はこれは問題が無いと考えている。ポスターなどの表現は結局はコストパフォーマンス問題であり、クレーム対応へのコストと得られる利益(この場合血液量だろうか)のバランスを鑑みて、最終的には収束するであろう。コスト削減のために無難表現を選ぶ、というのも戦略の一つであるし、多少苦情が来るのを受け入れつつ、血液を大量に集められる方向に舵を切るのも赤十字判断だ。赤十字には自由がある。

しかし、ここで注意しなければいけないのは、必要リソース量には非対称性があるということだ。たとえば、赤十字に対して長時間苦情の電話をかけ続けるといった手法は、ロビイング方法としては好ましくないと、私は考えている。表現者のリソースを飽和させることによって、半ば強引に要求を飲ませる手法は、私の目には品が良く映らない。人によっては、この手法自体を、不当な手段による「表現抑制」と見なすこともあるであろう。意見の伝達は、なるべく相手リソースを消費しないように心がけたい。もちろん、あなたがどうしても相手に飲ませたい要求であれば、多少強引な手法を取ることは(法律禁止されていない範囲で)可能でもある。しかしその場合、まさにその行為自体非難対象となり、結果的に周囲から理解も得られない結果になることもあるだろう。私自身は、Twitter上で意見つぶやくぐらいが、相手にとって負担の少ない範囲だと考えている。

ロビイングが下手な方が負けるのはいいのか

ロビイング合戦となると、「声が大きいほうが勝つのかよ」という非難もあるかもしれない。そうなのだ、声が大きいほうが勝つのだ。こればっかりは民主主義必要コストなのか、いわゆる自由のための「不断努力」というものなのか、各人が自分の信じる事を唱え続け、みんなを説得するしか無い。しんどいが、そういうものみたいだ。もちろん、弊害もある。「米国NRAロビイングを続けているせいで、いつまで経っても銃乱射事件が無くならない」という人もいるだろう。しかし、ではNRA発言権強制的に奪うことができるかというと、そうはならない。あなたにできるのは、あなた意見で周りを説得して、支持者を増やすことだけだ。でも、しんどい。できれば相手に静かにしておいて欲しい。きっとお互いに「またかよ」と思うこともあるだろう。不毛に見えることもあるかもしれないが、自由とはそういうものなのだろう。

表現の萎縮と緩和の難しさ

さて、表現の萎縮を懸念する材料として、一度決まったルール安易に緩和されないという指摘も考慮する必要がある。

たとえば、知っている人にとっては「定番の話」であり、それ以外の人には「なんでそんなことに」と思われがちな自主規制として、「4本指のイラスト禁止」という決まりがある。これは、自主規制ルールとしてそれなりに広く運用されているはずのルールだ。このルール部落開放同盟から意見が由来らしいのだが、私自身(関東出身)は最初に聞いたときは「なんじゃそりゃ」と感じた。今現在も、「そろそろ無くしてもいいんじゃないの」と思っている。

一般に、規制というものは強くなる方向に圧力がかかる。形骸化したルールが、それを理由に削除されることは、傾向としては少ない。そのため、理由はどうであれ、細かいルールを積み重ねていくと、最終的には非常に厳しい規制が完成する。この傾向は、表現自由度を求める陣営にとっては脅威である。一度決まりができてしまうと、それを覆すのは難しい。もちろん、ロビイング社会の変化によって緩和が行われることもあるだろうが、できるならば規制が生まれる事自体を避けたい。この非対称性考慮した場合ポスター擁護派が過敏に反応することは、ある程度理解できる。譲歩の積み重ねが厳しい規制につながることを懸念するのであれば、今がまさに踏ん張りどころだと言える。

定義エリア問題公的機関責任

日本赤十字は半ば公的機関であるので、より安全ルール運用するべきではないのか、という指摘は、私自身は一理あると考えている。赤十字公的機関と見なすかどうかについてはここでは議論しないが、公的機関がなるべく安全表現を使う、というのは、すべての人へサービス提供する以上必要なことである。たとえば、政府セクハラを是とした表現を行うことは望ましくない。なぜならば、セクハラは良くない行為であるという、社会通念上の合意が得られているし、法律という形で明文化もされている。あるいは、政府が過度に性的表現を行うのもまた、望ましくないであろう。これは、公の場では性的ものを隠すという社会通念上の認識が共有されているからだ。

では、どのような表現が「望ましくない」ものとして社会で共有されているか、となると、全くもって難しい問題である。法的に認められていない行為は当然「望ましくない」し、差別助長するような表現も、おそらくは「望ましくない」。しかし、社会の大部分は実際のところ未定義エリアとなっており、個別案件ごとに勘案することになる。すでに広く指摘されている通り、たとえどのような表現でも人を傷つけることは往々にしてある。その前提に立つ場合、単純に「私(や私の周りの人々が)が傷ついたから」という理由だけで「望ましい」かどうかを定義することはできない。たとえば、単に子供掲載されているポスターがあるとして、どうしても子供を授かることができない夫婦が傷つくからといって、そのポスターを取り下げるべきだろうか。この例に対する答えはない。もし、そのような人が日本で大多数を占める状況であれば、きっと日本政府はそのポスターを取り下げるべきであろうし、あるいは、その傷つき方が非常に強いものであれば、少数のために取り下げることもありえるだろう。(なお、この例示自体が、そのような人を傷つけているだろうという指摘も当然ある)

今回のポスターは、擁護派にとっては、このような未定義エリア問題であり、どちらかといえば問題がないものとして想定されている。一方で、批判派は「望ましくない」ことが確定したもの、具体的には性差別問題として認識している。この前提が異なる以上、公的機関が今回のポスター掲示することの是非について議論するのは、あまり意味がないように考えられる。極端な話、件のポスターポルノであれば、赤十字掲示するのは不適切であろう。しかし、そもそもポルノかどうかという点が両陣営の間で確定していない状態では、それ以上の話はしようがないのである

ところで、公的機関にとっての表現コストパフォーマンスとは何だろうか。恐らくは、どれだけ全体を幸福を最大化できるか、という観点になるだろう。そして、なるべく多くの人が傷つかない、ある意味では無難表現を用いるという戦略は、単純にコストパフォーマンスに優れるであろう。そういう意味では、公的機関特別視するというよりも、彼らは単にコスパがいいか無難表現を好む、と考えるのが妥当なのかもしれない。

崇高な目的のためであれば、小さな犠牲は許されるべきか

献血を推進するためであれば、ポスターが引き起こす問題無視されても構わない、という考え方が観測される。これは是でもあり非でもあるだろう。

ここで重要となるのが、ポスターが引き起こす問題とは何なのか、である。仮に、その問題差別問題である判断される場合、たとえ献血目的であろうとも、その表現は認められないと考えられる。例えば、「白人は慈愛に満ちているので、どんどん献血に行こう」と書かれたポスターは、現在社会通念上認められないだろう。一方で、「差別とまではいかないけれど、傷つく人もいる」表現場合献血重要性を理由に、多少の問題無視されることもあるだろう。先程の例を再び使うのであれば、献血ポスター子供掲載することは、おそらく現在日本では問題となることはない。

さて、ここまで来るとまた同じ話になるのであるが、今回の文脈において、ポスター擁護派は今回の問題差別問題である認識していない。一方で、批判派は、これは性差別問題である認識している。そのため、両者の話は噛み合わなくなる。結局の所、この論点もあまり意味がない。件のポスターポルノであれば、それを公の場に掲示するのは、女性差別になるであろうから献血のためとはいえ認められないであろう。一方で、ポスターポルノでない場合献血のためであれば、多少のことは無視される可能性はある。

続くよ

https://anond.hatelabo.jp/20191029132732

anond:20191029123216

結果的ハイブランドって感じのは珍しくないけど、昔みたいなハイブランドです!!って誇示するような持ち方をする人はあんまりいないなぁ

というかクラッチとかだとブランド全然わかんないw

巨乳奇形かいあほみたいな話

誰が言い始めたのでしょうか。

岩渕潤子さんの以下のツイート炎上しています

「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。

昔の中国纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権人格否定。」

色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません

まずこのツイートの背景を簡単説明します。宇崎ちゃん採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳差別している、表現の自由保障されているから良いのではないか、という意見がありました。

女性の「モノ化」とは?

性別という理由のみで性役割を固定され、女性主体を失い、男性理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割強制されるような歴史があります

今回は、胸を過剰に表現することによって女性男性性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています

巨乳を「奇形」と決めつけるのは差別に当たるのではないか

そもそも今回の批判対象ポスターの性表象になります。ですので、現実存在するGカップ女性(どこから巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやす場所掲示されているのか」が問題の本筋となります

ツイッター上ではこの巨乳奇形差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。

表現の自由保障されていないのではないか

表現の自由人権を守った上で存在できることは周知の事実です。

・なぜあいちトリエンナーレはよくてこれは駄目なのか

あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージ天皇として表現しました。本来世代によって変わる天皇イメージ皇室タブー議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アート問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間負の感情からスタートすることが多い。私は表現不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権制限されている制度存在することを無視して、この動画作品批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。

・近年の絵柄の傾向であり、デフォルメ範疇であるのでは

→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラスト一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性性的要素が強調されたイラスト不快に思う人が存在するということです。今は女性性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエログロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。

乳房縮小手術をしろと言うのはひどくないか

存在し、受ける人が増加する事実確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的性的視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまたことです。冒頭に戻ります女性の「モノ化」により本来個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります


この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題フェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなりますそもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的感想や極めて稀な例を出す人もいます感情例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラスト公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています

まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、批判が噴出しそうなのでこのくらいにします。

2019-10-28

anond:20191028002008

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