はてなキーワード: 系統とは
「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
この『日本人の知恵』という本は、
ということらしいので、つまり1961年に朝日新聞に掲載されたのだろう。
それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。
もうひとつ、さらに遡って戦前の1935年刊行、笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。
さらに「I love youは日本語にうまく訳せない」という話に限っては、
「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、
"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.
此 I love you ハ日本ニナキformulaナリ
と記した一節がある
これは漱石の英国留学時代のメモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。
同様の主張が1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』に書かれている。
日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。
この厨川白村は夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石の受け売りだった可能性が高い。
というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。
夏目漱石が「I love youは日本語に訳せない」と言う
→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる
→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?
→日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!
→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる
→なんかいろいろ混線して「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる
みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。
追記。
国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、
上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石か上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love youは日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
「”それ”下さい」。 もしくは「フライドチキン下さい。」「ファミチキですか?」「それで。」
ただそれを食いたいだけなのに企業が付けた固有名詞を言わされる自分がバカっぽく思えてくる感覚というかなんというか。
チョコオールドファッションとかチーズバーガーとか各社がオープンに使ってる名詞とか一般名詞化した単語なら問題ないけどポンデリングとかサムライマックとか絶対に言いたくない。
でもレストランのメニューとかで店主が自己満足な名前付けてるやつ(「森からの贈り物」みたいな)を絶対に言いたくない人とか多いんじゃない?
その系統だと思う。
(追記)
ニッチなこだわりに対して思いのほかトラバ&ブクマ集まったな。みんなサンキューな。
サイズの指定についてのコメントあったけどS・M・Lはまったく抵抗ないけどコンビニコーヒーのレギュラーは普通サイズでって言っちゃうな。まぁバカっぽいとまでは思わんけど。
最近恋愛系少女漫画叩き見たけど、男も女も興味ないならほっとけばいいのに。あなたが恋愛系少女漫画が面白く感じないのは単に自分の好みから外れているだけであって、それを好きな人もいるだけなのに。
少年漫画や青年漫画に進出して恋愛展開来たら叩くような女性と違って、自分がターゲット層、自分好みのジャンルにいるだけの人たちがメインなんだから社会的に批判を受ける過激な性描写でもなければ普通に好みのジャンルにいるだけなんだろうに。棲み分けしていて、公共の場にふさわしくない広告でも出していないのなら、恋愛系少女漫画として落ち度はない。
フェミが嫌いって言いつつ、かつてのフェミがやったような棲み分けしているジャンルを堂々と玩具にして晒しあげるようなの本当に醜悪すぎる。
女性作家による男性主人公、BL好きな人による女性主人公等々こっちも少女漫画系統で苦手や嫌いなのあるけど、だからこそ棲み分けは大事だと思う。
「オミクロンがデルタから変異したとかならまた強毒に戻るとか恐れるけどそうではない」
進化は不可逆で行き当たりばったりなもの。なぜデルタが強毒だから戻れると思うのか意味不明。
「オミクロンは初期の新型コロナからアルファやデルタとは別系統に変異したもの」
デルタもオミクロンも新型コロナから進化してきたのにオミクロンにだけ今後の強毒化のチャンスがないと考える理由が意味不明。
「強毒のアルファやデルタの影に隠れてひっそりと生き延びたからアルファやデルタが強毒がゆえに衰退したのちに台頭したという漁夫の利の株」
新型コロナウイルスが流行したのは潜伏期間や無症候性感染者でも感染力を発揮していたから。強毒ゆえに衰退というのがむしろ当てはまらないから流行した。意味不明。
オミクロンがデルタから変異したとかならまた強毒に戻るとか恐れるけどそうではない
オミクロンは初期の新型コロナからアルファやデルタとは別系統に変異したもの
強毒のアルファやデルタの影に隠れてひっそりと生き延びたからアルファやデルタが強毒がゆえに衰退したのちに台頭したという漁夫の利の株
・デマ系
不確かな情報、明確な嘘を確実に本当であるかのように表現。風雪の呂布として避難される。
・中傷系
特定人物の尊厳や社会的地位を脅かしうる表現。名誉毀損などで訴えられる。
・パクリ系
他者の表現物を真似たり無断でそのまま持ってくる。著作権法的にアウトになることも。
・エログロ系
ゾーニングを無視した過激な表現やゾーニングもクソもないほどに過激な表現。青少年健全育成条例とかにひっかかる。
・漏洩系
個人情報や仕事の情報を勝手に不特定多数に漏らす。守秘義務契約違反などで怒られる。
無許可の撮影や迷惑行為のセルフ実況中継。どうしてもやらなければいけない理由があっても批難の対象。
インターネットだと多くの人は「表現規制」をエログロ関連だけに使っている。
規制の対象となりうる表現が多岐にわたっているし、多くの人が様々な表現に対して「コレは規制されるべき」と語っておいていざ「表現規制」という言葉を使うときはエログロ系に限定されるというのは無理筋だ。
省略するな。
言葉を省略するとは自分と他人の境界がついていないということだ。
どうせ分かってくれるという甘えた考えでコミュニケーションを取るな。
そういうことを繰り返すと何も言わなくても言いたいことがわかってもらえる範囲まででしかコミュニケーションを取らなくなるぞ。
定型文の投げあいを延々繰り返すだけのコミュニケーションしかできなくなったら終わりだぞ。
少なくともそこまで脳が死んだら世の中について語る権利なんてなくなるぞ。
私はブスだ。
元々の顔は下の上。体型も圧倒的デブだった。
何年もかけて研究したメイクと、ダイエット、いくつかの整形の結果、化粧をした状態で中の上ぐらいの顔にはなった。
生活するのに困ることは無いが、生まれつきのブス強迫観念はなかなか手強く、未だに鏡を見ると「なんだこのイカれた水まんじゅうは」
他人から容姿を褒められても、ありがとう嬉しいですと言いつつ心の中では「いやドブス」と思っている。
いつも自分の顔面偏差値と他人からの評価が気になってしまう。完全にルッキズムに侵されている。
それだけならまぁどこにでもいるけれど、彼女の言動は「まるで90点の女」なのだ。
本気で自分を上の中ぐらいだと思い込んでいる。
強い。強すぎる。別に自分が他人の容姿に厳しすぎる訳では無いと思う。周囲の人の彼女に対する容姿の評価は軒並み「グロい顔」なのだ。
まるでモデルか美容家の謎バイス、クレオパトラかかぐや姫並のモテ自慢。
初めのうちは「なんだこいつ」と正直イライラした。どうせコンプレックスの裏返しで自信満々発言してるんだろなあと思っていた。
違う。彼女は心から自分をナチュラルな美人だと本気で思っていた。
本物の美人の隣に並ぶことを躊躇せず、同じ階層の人間として話をしている。
穴モテ?きもーい!モテモテです♡みんな私を狙ってて困る♡みんなのアイドルです♡
みたいな感じが本気で伝わってくる。
尊敬。「スゴみを感じる」
彼女は精神が強い。自身の信念を貫き、疑わず、もはや他者にまで啓蒙している。
決して馬鹿にしていない。私にはない要素だ。
大体私のように容姿に悩んで次はなんの整形すれば少しは人間に近づけるのかと日々暗澹たる気持ちでいるよりもはるかに健康的だ。
正直羨ましい。本気でそのポジティブさと揺るぎない自信が羨ましい。嫉妬にも近い。
いつか自分も、ほんの少しだけでいいから彼女のような精神性を手に入れたい。
芸能人でもないのに見た目に昼夜悩むなんて一般人には高尚すぎる悩みを捨てたい。
いつか彼女のようになれるだろうか。
国道系!もしくはファスト系!
国道沿いのファスト文化、国道文化と称されるあたりから着想した。彼らは「文化」を名乗るのを好かなさそうなので、省略した。
EXILEは特徴を掴んでいるけど、本来の「放浪者」の意味と剥離している感じがする。むしろ地方での”王道”歩んでないか?
それと、一グループに系統まるごと背負わせるのもなんだかな、と思った。
オラオラ、ワイルドもいい線いってる。彼らは「強く」見せたいというのはそのとおりだ。しかし、実際は地元や仲間との連携を重視しているように思える。彼らが”仲間”を押しのけてなにかするとは思えないし、”野生”の強さよりも、社会的な強さ、適応力のほうが個人的にしっくり来た。
ウェイは少し違う、都会の大学生とかがやるやつ。