2014-07-02

音マズだったという懺悔

古来ヴァイオリンというのは、全く弾けない者・少しだけ弾ける者・とてもよく弾ける者の3種類に人類区別するための楽器だった。

1番目と3番目は人類にとって特に益にも害にもならないが、2番目は雑音を撒き散らして周囲に迷惑を振りまく。


かくいう自分は2番目に入る奏者だった。

保育園の頃から習っていたのに、耳が幼いまま長じた結果、独学になってからは大して弾けもしないのに慢心を極め、手が付けられない状態に落ちたというか。

例えるなら、幼少から料理を手ほどきされたのに「甘い」「辛い」「脂っこい」「デカい」くらいしか味覚が備わっておらず、しかもそれ以上興味が湧かなかったため、「節子デカいは味覚ちゃう視覚や」と親切に指導してくれる人間がいなくなった途端、どんどん腕が荒れてメシマズ化したと。

個性を伸ばす教育が失敗した見本みたいな状態だ。


そこに転機が訪れたのは去年のこと。

何を思ったのか、突然「満漢全席を作りたい!」みたいに、とんでもなく難しい名曲を弾きたくなり、自己流()では無理そうだったので、大人向けのレッスンに再入門したのがきっかけだった。

今振り返れば本当に身の程知らずな話だった。もし例えでなく先生料理包丁を持っていたら、冗談抜きで何度か刺されたんじゃないか?という話だ。

そこで、メシマズならぬ音マズでさえ考えなくても弾ける曲を1曲セレクトし、その曲を通じて包丁ならぬ弓の持ち方を叩き直される所からまり、「ちゃんと歌って完璧に弾け、手先だけで弾くのは許さん」と言われ、先日ようやくマスターした。

でもその結果、それまで全く理解できなかった「妙味」がハッキリ分かるようになり、マスターした曲とほぼ同レベル定義されている(そして味を理解できない故にバカにしていた)幾つかの定番曲がスラスラ弾ける上に、心底名曲だと体感できるまでになっていた。

やっていた当初は屈辱的なレッスンだと思っていた(この期に及んでまだプライド高杉なのだw)けど、想定外の成果に一人狂喜してしまった。


・・・などと偉そうに書いたが、所詮は「出汁の取り方」「器具の基本的な使い方」「調味料の加減」を考えなくとも正しくこなせるようになった程度だ。

そして「基本がきちんと備わるだけで、こんなに美味しく作れる料理がいっぱいあるんだ!」と喜んでいるに過ぎない。昔からやっていて今更そこかよって話だ。

イージーモードゲームプレイすれば、大抵のタイトルハイスコアを叩き出せるレベルとも言い換えられる。

実際先生も仰っていた。

「これでようやく増田さんも、今まで色々ブレて偏っていた所から、正しい道の入口に来れましたね」と。

「♪君の行く道は 果てしなく遠い」けど、別に歯は食いしばっていない・・・多分。

自分に出来ることと出来ないことを明確に実感してしまった以上、こうなったら何年かかろうが絶対上手くなるしかないのだ。


とりあえず、無理さえしなければノイズは出さなくなった。

最初に書いた3番目にはなってないけど。

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