ちょっと「しこり」のようなものができたのでそれについて書こう。
先日、とあるコンサートに行った。ニコニコ動画の「演奏してみた」から発したコンサートだ。僕は「演奏してみた」が大好きで、その中でもそのコンサートにはひいきにしている人が出ていたので楽しみにしていたし、愉しかった。いつもいつもニコニコ動画で見ているので、生の演奏、つまり好きなところだけ繰り返してみたり、いやなところは早送りしたり、やっぱり巻き戻してみたりができないことは新鮮な体験だった。充実した音楽体験ができ、非常に満足だったし、これから公開されるであろう動画にも期待ができる内容だった。
「しこり」を感じたのはすべてが終わり、ロビーに出た時のことだ。そこに募金箱があった。今回のコンサートは基本的には無料だった。「演奏してみた」では珍しくはない。おなじくらい対価がいるのも珍しくないけど。僕の浅い経験でも募金箱は珍しくなかった。当然募金をした。3000円を入れてきた。
(内訳)今回のコンサートよかったです料:1000円 次回もたのしみにしています料:1000円 僕は他の人とは違うんです料:1000円
そんな気分だと、今回の3000円を考えてみて思った。趣味にお金を使うときというのは、たぶんに期待料だと思う。僕は期待しているからこれだけ払う、という心理が働く。今回はより積極的に「次回もたのしみにしています料」を含んでいるのは結構な期待値だと思ってほしい。
「しこり」というのは最後の1000円だ。「僕は3000円出す」という満足のために出した1000円だと、帰宅してからじっと自分自身に問うてやっとわかった。払ったときは特に考えもなく「はい、3000円」だったのは正直なところだが、その内訳について、自分自身で認識していなかった。
それは言い捨ててしまえば、僕は3000円払うことで自己表現をしたつもりだったのだ。なんという底の浅さだろうか。
僕が「演奏してみた」が大好きなのは、たった数分の動画の裏にある膨大な練習の時間があるからだ。1人の人間が1つの楽器を満足に扱えるようになるまでにどれほどの時間と意志の力がいるのか。まったく楽器ができない僕には想像もつかない。上澄みだけを見ていると判っているからこそ「演奏してみた」の動画は輝くのだと思う。その1つの動画にしても1回の演奏で満足したわけでもないだろう。なんどもなんどもやり直して、やっと1つの動画が公開される。無料で。しかしコンサートならなんとかそれにこたえられる。しかし、僕は、それを自分のために使っているのだと気付いた。
とはいえ、それが奏者の心につながるのなら、とどくのなら、なにかを波立てるのなら、それでいい。僕のつまらないしこりや葛藤なんてどうでもいいことだ。ただ、増田に書きたかった。次回も楽しみにしています。
あまり深く考えなくてもいいんじゃない。