はてなキーワード: 抗うつ剤とは
10年前、10代の頃から特別親しい人以外とのコミュニケーションが下手で、すごくコンプレックスだった。
どうしても会話に頑張ってる感が出てしまうというか、人と仲良くなるっていうのが下手で、何度頑張っても上手くいかず、人と積極的に接することがトラウマになってしまった。
それでも学生時代はごく僅かな友人がいれば楽しかったのでやれてたけど、社会人になって日々いろんな人とコミュニケーションを取らざるを得ない環境に置かれ、1年も経たずに精神的な限界が来た。
人とうまく話せないのがもう本当に嫌で嫌で、自分を呪うあまりに起き上がるのが辛くなり、会社にいけなくなる前にと考え心療内科を受診した。
コミュニケーションを取ろうとするとあまりにも頭が緊張して動かなくなるから、発達障害だと思っていた。
自分では発達障害だと思っていて、その二次障害として抑うつ状態になっていると思うと話したところ、まずは抗うつ剤を初めて、発達障害についてはこれから一緒に考えていきましょう、ということになった。
学生時代にも似たような状況で一度心療内科に行ったことがあったが、幼少期の多動や極端な知能の特性が無かったことから発達障害とは診断されなかった。
確かに典型的な発達障害ではないのかもしれない、でもそれならこの生きづらさは何なんだ?と不満ではあったが、とりあえず抗うつ剤を始めた。
それから1年弱が経ち、薬も時間をかけて当初の2倍に増やして今に至るが、ふと自分が普通に会話ができていることに気づいた。
普通のタイミングで、普通のテンションで、普通のことを話せている実感がある。
感動した。薬を始める前は、自分のことを地球に迷い込んだ宇宙人のように感じていた。なんとか周りと同じようにやろうとしてるのに、なぜか噛み合わない。なにかずれてる。そんな違和感がなくなって、周りと同じ人間になれた感覚だった。
会社員に慣れたとか、薬の影響で精神面が強くなっただけで別に今もずれてるとか、そういうのも多少はあるかもしれない。
でもやっぱり前と明らかに違う。
私はメンタルクリニックに忌避感はなかったけど、当時メンタル不調の原因になっていた人間関係のなかで「私が薬を飲み始めたら=精神的に問題あるとはっきりしてしまったら今の人間関係がさらに悪化する」っていう思い込みが強くて、医者に「お願いだから抗うつ剤のんで」って言われて「あーやっぱり無理なんだ」って薬飲み始めた。
奥さんも家族や周囲に迷惑かけたことに対する負い目とかいろいろあるのかもしれないからそこ相談できない状態で強制的に連れて行ったりすると信頼関係が損なわれてしまうのでできればやらないほうがいいと思う。
「家族のためにお願い」とかおそらくフィジカルも悪いところあるだろうからまず総合内科からとか、アプローチはいくつか考えられるけどどれも奥さんのこと、増田家の家族構成や関係性、地域にどんな機関があるかによっても変わってくるから、まず増田自身が一人で精神科やメンタルクリニックに相談に行くのがいいんじゃないか。自分も結構消耗してると思うから。そこで専門家に相談して、どうやって受診してもらうか一緒に考えるのがいいんじゃないかな。
薬飲み始めた時は「あー私ビョーキなんだ、薬漬けになるんだ」とか「いやいやこれは骨折したときにギプスや杖を使うのと同じなんだ」とかいろんな感想がごっちゃになってた。
とにかく生きていれば何かが変わる可能性があるから、増田が倒れないようにね。特に年末年始はメンタル不調が悪化することが多いから、暖かくして温かいもの食べたり飲んだりしてね。
去年の春、ストレスから体調を崩し3ヶ月休んだ。そこから復帰したものの、上司からの信用と信頼を失い、「お前は失敗した」と言われ、もう報告、連絡、相談、何れも出来なくなっていた。
幸いにも別部署の方が私の状態に気付き、引き取ってくれた。異動は揉めに揉め、「ふざけるな、お前はどこ行っても通用しない」とテンプレのような呪いを餞別に受け取った。
その半年後、上司も遠い所へ異動した。前から私以外にも同じ態度だったので評判は凄まじく悪く、会社が機能しているのを実感した。引き継ぎもメチャクチャで今では誰もその名前を口にしなくなった。
さて私の方はというと、産業医、カウンセリング、心療内科、抗うつ剤、抗不安薬とサポートを受けて、今は抗不安薬を頓服で使う程度まで回復した。
ただ最近、気がかりなことがある。他人からの批判や否定に対して、前よりも酷く動揺してしまうこと。それに伴い、失敗自体を怖れるようになったことだ。前に産業医から復帰が早すぎるとも言われた。あれは体調だけでなく、考え方や捉え方が修正できていないという意味もあったのかもしれない。
心療内科から来なくて大丈夫と言われて数ヶ月、最後にもらった薬はあと10回分。段々と不安が増してくる。こういう時、一体どうしたらいいのだろうか。どうしたら不安や怖れ、動揺を抑えられるのだろうか。どなたか教えてください。
一時は死のうかと本気で思ってたが、死ななくて良かった。
2、3ヶ月前に、簡単にメンタルクリニックを薦めるなみたいなエントリーがあってさ、それ読んでやっぱり病院行った方がいいなと思って行ったんだよ。
病院行ったら保険に入りにくくなるとか書いてたけど、それよりメリットが上回ると思ったから。
その後ちゃんと薬飲んだら、本当に楽になった。
はてな読んでなかったら今頃まだ苦しんでたと思う。
【追記】
読んだのは、この増田のブコメやトラバ。増田自体は煽りだけど。
「ブコメとかで気楽にメンクリ勧めるやついるけど結構邪悪では?」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220823120329
メンヘラ極め始めてる。
抗うつ剤も飲んでるのに慢性的にしにたいと口にするし実際何もかも気にせず痛みなく死ねるなら死にたい
私より給料が低くて私より家族に恵まれず、私よりブスな人でも毎日ちゃんと生きられてる。すごい。これ以上収入が減ったら、これ以上家族にクソが増えたらこれ以上ブスになったら、耐えられない。
適応障害で半年休職してるけど、よくならない。職場はホワイトだし上司もめちゃくちゃ優しいのに信じられない。家族も働けとは言わないでくれる。こんなに休んでいるのに私は死にたい。情けない。死にたい。
若い頃に自殺未遂をして生き残ってしまったんだよ。死ぬつもりで飲んだ洗剤も吐き気とともに目が覚めたら病院で胃洗浄されてただ体調を崩しただけになったし、沢山腕を切ってもそれじゃ失血死出来ないことを知っただけだった。飛び降りや飛び込みは片付ける人達にも交通機関を使う人にも迷惑をかける。こうやって気にするから死ねない。簡単に死ねるなら死にたい。
私はこのことを知らなかった。
鬱の時はただひたすら休むべきだと思っていた。
でも違った。
とりあえずなんとか活動をする。
仕事に行ってみる。
遊びに行ってみる。
すると、少し鬱が回復していることがある。
私は10年間うつ病を患っていて、その間ずっと薬に頼っている。
結局パキシルが合うようなので、毎朝40mgを飲んでいる。
でもそれだけでは治らない。
うつ病は、薬だけでは治らないことがあるのだ。
そんな時は医者には頼れない。
医者もアドバイスしてくれるが、5分の診察でなにができるというのか。
医者は最終的には薬を出すことしかできない、私はそう思っている。
そのように考えて以来、うつ病を薬で治すという考えを捨てた。
そこで冒頭の話に戻る。
鬱がひどく、行動しようとすると涙が出そうになり、◯にたいという気持ちが湧く。
吐き気もするし、寒気もする。
それでも、本当に無理な時以外、私は動くことにしている。
なぜなら、休んだとしてもうつ症状が治るとは限らないことがわかってきたからだ。
そして、休まず活動して方が、症状が楽になることに気づいた。
ただ経験上、そのようなことを学んだだけだ。
長引くうつ病に苦しんでる人に伝えたい。
小学5年くらいに初潮があって、中学になる頃には生理のたびに寝込んだ。中学生の時、生理が理由の貧血をおこし、街中で急に倒れて運ばれた。
高校の時もひどかったけどとにかく鎮痛剤を飲んで無理やりしのいだ。でも周りもそういう子いたし、これが普通だと思って過ごした。
成人し大学を出てから婦人科にかかるようになり(体調が悪いときのカンジダ治療など)、そのうち低用量ピルのことを知った。診察してもらうと月経困難症だとわかった。
それからは半年に一度血栓症の検査をしつつ低用量ピルを服用していたけど、しばらくして生理前のメンタルもおかしいことに気づいてそっちを相談すると、PMDD(月経前不快気分障害)だと判明。
どれくらいの症状かというと生理前、運転中急に涙が止まらなくなったりベランダから飛び降りたくなる。その場で号泣して自分を殴ったりとか。生理が来て数日経つとスン…と症状が消える。いやいやいくらなんでもおかしいでしょと自分でも思う内容。仕事にも生活にも影響がありすぎる。
PMDD治療のために、低用量ピルの種類をトリキュラーからヤーズに変更。抗うつ剤であるサインバルタも服用することになった。
今30代前半だけど、健康診断で肝臓の数値が異常すぎて引っ掛かり、病院に行ったところ脂肪肝の診断。お酒は一切飲まない。低用量ピルで肝臓の病気を抱える人は一定数いるとのこと。
今は低用量ピルの服用をやめて脂肪肝の薬とサインバルタを飲んでる。まだピルをやめたばかりでこのあとどうなるかはわからない。