はてなキーワード: 投票行動とは
白票意味ねえなーと思ってる人間の割合は左右で変わらないけど、何故か有効票が増えれば自陣が勝つという妄想を抱いていたり他人の投票行動を攻撃してもいいと思ってる人間の割合が左派に多い
それ以降、初めての衆議院選挙だ。
当然だが、各党ごとにWebサイトの作りは違う。
資料になっていない場合は、Webページ上のわかる範囲で調べた。
言っておくが、綿密に調べたわけではない。
既に投票は終えた。
論外。見出しレベルで障害者への言及なし。福祉制度の中だけで、ワンワード、障害の文字があっただけ。
自民党とほぼ同じ。
結論から言うと、一番障害者政策に対する解像度と量が高かった。
立憲の次に解像度が高かった。
国民民主の次。障害者議員を輩出している割には、解像度が低い。
意外と解像度レベルでは自民と大差ない。弱者対策はものすごくページを割いているのに、障害者への解像度は低すぎる。
DL可能なPDFなし。その代わり、埋め込み型のドキュメントがあり、これを参考の基準とした。
共産党と同じレベルの解像度でびっくりした。このレベルで左翼やってんのかとびっくりした。
ただ、このマニフェスト自体、急場凌ぎで作られたようで、障害者政策以外への言及も、全体的に荒い。
2023年のマニフェストではない政策資料は手厚く作られており、こちらは障害者への言及もあった。
障害者政策への言及なし。どうでもいいが、Webサイトに鬱陶しい矢印のアニメーションがあり、アクセシビリティとは何か、という気持ちにさせられた。
前職は維新の奥下君。橋下府政時代に色々埃が出ており、麻生太郎の会社とズブズブ。同和利権との絡みの噂もある。論外。
自民は渡嘉敷なおみ。元資生堂で薬剤師、厚労副大臣まで勤め上げながら、前回は維新に負ける。
今回も、その厚労副大臣の経験から、障害者福祉政策への提言があるかと思い本人のサイトを確認しに行ったが、全く触れられておらず。論外。
そういえば去年の6月ぐらいだったか。衆院選の噂が立ち始めた頃に、駅前街頭挨拶をやっていた。
選挙の噂が立ったら街頭に立つのか。落選したんだったら、もっとこまめに立てよ、と思いそのことを妻に言ったら
「本人に言ってやればよかったのに」と言っていた。そりゃそうだ。次見かけたらそう言ってやろうと思ったら、ついぞその機会がないままになってしまった。
参政党? 論外。
次は比例である。
障害者としては、やはり、障害者議員を輩出したという実績は、れいわ新選組は特筆に値すると思っている。
一方で大石のような現場の反発も当然だと、中立的には評価する。
だが、それは大枠としての俯瞰的評価であり、彼女自身の品性は別だ。
よって、比例は立憲に入れた。
立憲だって全部については納得してない。
前回の民主党政権はなんだったのか、と言うことについて誰も総括してない
(一応、そういうタイトルの本が図書館にあったので、今読んでるのだけど)
小沢だって政治資金の疑惑があったのに、どの口で自民党批判してんだよ、と思う。
でも結局、比例はこうするしかないんだよな。
そこから一つ分かったのは、偉大なる無党派層こそが、国民主権なのでは、ということ。
個人的には、自民党という党は嫌いだけど、中には評価できる人もいるよね、と考えている。
その党の方向性に有権者が納得できて迎合しているなら票を入れるし、そうでないなら、不本意でも反対勢力に入れるしかないよね、と。
もし渡嘉敷なおみが、かなり手厚い障害者福祉政策を述べていたら、増田は渡嘉敷に入れていたと思う。
昨晩、個別にレスとかしたやつあるけど、本人かどうかわからんから、結局追記した方がいいのな。
おまえはそう考えるのかもしれないが、オレは今回そう思って調べたわけじゃないのよ。
別に選挙権がないわけじゃないし、オレたちも社会参画が必要なわけ。
今後の自分たちを取り巻く状況が変わる。
そのためのリサーチなの(リサーチと言えるほどの情報量・情報密度かと問われると、それはまた別だが)
それ以上でもそれ以下でもないから、そこは理解しておいてほしい。
もちろん、そこ踏まえた上で、個々人があーだこーだ言うのは構わないよ。
オレとしては「ふーん。おまえ様はそう思われるんですね。それで?」って思うだけ。
本当は、各党のマニフェスト情報の定義をしっかり定めた上で、もう少し調査し、
各党の文書の中から、障害福祉政策の見出しはあるかどうか、.*障(害|碍|がい).*というワードは何ワードあるか
具体的には、血圧が高いときは上は170下が100、ひどい時は上が100を切り、下が50台とか。
血圧のジェットコースターに乗ってるんだが、これがもうキツい。
高い時は頭痛で何も思考することができない。低い時は起き上がれない。
なんとか調子のいい時にタクシーを使って市役所まで行って期日前投票ができた。
だから、申し訳ない気持ちはあるものの、事情は汲んでいただきたい。
その上で、気になったら自分で調べてほしい。今ならまだオレが見た状態のサイトが維持されているだろうし、
この件についてはあまりレスしようと思ってなかったけど、一応返事書くな。
まず、障害者認定される前までは、バリバリ所得税も住民税も払ってたよ。
で、障害年金は非課税だし、年金で足りない分はバイトで糊口を凌いでるけど、
かかりつけの医院がちょいと遠方だから交通費もバカにならないんだわ。
で、体力ないからな、せっかく体調良い日にはまとめて用事片付けようとかするだろ。
2箇所以上用事の先(役所とか薬局とかな)回ろうとするとな、息切れするし、
しょうがなくタクシーとか乗るわけよ。軽く5000円とか飛ぶわけ。
雀の涙の障害年金で5000円だぞ。健常者でもポンポンタクシー乗って払うがくじゃないだろうがよ。
匿名じゃなかったら言えないんだろ?
それができないなら、法廷で会おうぜ!!
んーと、まず、税金払う払わないの上でいうと、払っていようが払っていまいが、
日本国憲法とそれに紐づく法律で生存権と言論の自由が保障されてんの。
これがヘイトスピーチだったら問題だが、事実に基づいたお気持ちと投票行動を述べただけで、なんでここまでヘイト吐かれるんだろう?
もしおまえが納得行かないんなら、憲法改変するか、最高裁ぶっ倒してからオレの前に来て、顔見てそれを言えよ。
そん時はオレも土下座してやるわ。
その上でだ。
自慢じゃないが、元気な時はそこそこ税金払ってたよ。
今後、体調が回復すれば年金も貰うのやめて、また所得税・住民税が払えるようになるかもしれない。
当たり前だが消費税は払ってるし、車乗ってるヤツは自動車税やガソリン税も払うし、あ、最近は滅多に飲まなくなったが酒税も払ってる。
だからな、税金払ってないとか、そういう雑な思い込みでヘイトぶつけてくんな。頭の悪さ丸出しだからさ、やめてくれ。
それでも納得行かないってんなら、やまゆり事件の植松みたく、刃物でも持ってオレを刺しにこいよ。
そん時はオレも全力で抵抗するからな。返り討ちにあっても文句なしな。
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以下、個人的なお返事
https://anond.hatelabo.jp/20241026231611
障害者だと深刻な雇用問題はひとまず関係なくなるから、失業が増えそうという野田立憲のデメリットに目をつむれる分、比例を立憲にしたのは良い手だと思うよ。
今の自分は雇用問題は無縁かもしれないが、社会復帰することを考えれば全く無縁でもない。ただまあ、そこまで今は考えられない、というのが正直なところ。
小選挙区を共産、というのも、自分でもちょっとねえ、とは思うけど。ただまあしゃーない、という感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20241026232317
逆やろ 共産は個人の能力はそこそこ高いが党本部が駄目だから独立・移籍してもやってけるんちゃうか!っておもわせるのにいい手だ
そうそう、辛坊治郎も昔言ってたんだけど、個人個人では良い人いるんだよね、共産党。(ここで辛坊治郎を挙げるなんてどうこうとか言わないでね!)
https://anond.hatelabo.jp/20241026233205
税金納めてない云々に関しては自分が間違ってました、申し訳ない
その上で返信読んで思ったのだけれど
調べて出てきた画像を見たが知らん人からしたら単なるアクセサリーにしか見えないんじゃなかろうか
これ着けてるだけで全ての人が配慮してくれるべきって認識はちょっとどうかと思う
譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?
そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど
その上で、各種ご指摘について増田も思うところがあるから、お返事するな。
「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」
これ、まさにそうなのね。本人の主体性が大事なので、本来はそれが筋。それは合ってる。
ただ、それを認めると、「お願いする・しない」の2択になっちゃうんよ。
オレ自身は、本当に辛かったら譲ってほしいと言うと思う。それをしていない時点で、オレは愚痴っているだけと取られられても仕方がない。
ただね、人によってはこういうこともあるんよ。
「(しんどい、辛い、座りたい。でもなあ、自分年寄りじゃないしなあ、譲ってほしいって言って変な空気になったら嫌だしなあ、逆上されて怒鳴られたり、傷つけられたりしたらどうしよう… 誰も助けてくれなかったら?? じゃあ、今は自分が我慢したほうが得かな…)」
みたいな発想になる人はね、これは結構多いのよ。まさにおっしゃる通り
「そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど」
なので、可能な範囲でいいけど、ヘルプマークをつけてしんどそうな表情している人には、席を変わるかどうか声をかけてあげてほしい。
いいです、って言われたら、譲らなくていい。それぐらい。本人の主体性が大事なので。
でね、本当に「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」って、思うんなら、
「(席を譲ってほしいって言って、自分が不利益被ったらどうしよう?)」って心を痛めたり、
実際に申し出て嫌な思いをする人を助けてほしいのよ。
「そんなん都合よく出くわすわけないのに、できるわけないだろ!」って思う?
だったら、そういうことは言わないでほしいな。おまえ様の心の中で思うのは勝手だけどさ、
こういう場所で公にするのは、もうやめにしようぜ!
この意見にはいくつかの妥当性と、いくつかの問題点があります。まずは妥当な点から見ていき、次に問題点を指摘します。
妥当な点
意見では、収入が安定しているため、自民党に対する不満が少ないという考えが述べられています。これは、社会学的な視点から見ても理解できます。経済的安定は、現状維持を望む人々の間で自民党への支持が高いことと一致します。特に自民党の経済政策は、経済成長と安定を重視しており、大企業や中間層の一部には支持が強いです。
自民党支持の一因として「親中政党」に対する不安が挙げられています。これは、外交政策において日本の安全保障や国際的な立場を重要視する保守層の典型的な考え方です。特に中国との経済的・軍事的緊張が高まる中で、このような懸念は自民党支持者の間で広く見られます。
ワーキングプアの自民党支持者について「左寄りの政策にアレルギーがある」という解釈は一部正しいかもしれませんが、必ずしもそれだけでは説明できません。自民党を支持する低所得者層の中には、保守的な文化的価値観や、安定志向、国民的なアイデンティティへの共感が強い層がいます。彼らは経済的な観点だけでなく、社会的・文化的な価値観に基づいて投票行動を行います。この点では、必ずしも「自分が金持ちになる予定だから」という説明が全てではなく、もっと複雑な要因が絡んでいる可能性があります。
弱者への政策については、単に「弱者に寄り添う」政策を嫌っているわけではない可能性もあります。自民党を支持する一部の低所得者層は、政府の過剰な介入や福祉政策が個人の努力を軽視するものだと考えることもあります。また、社会保障制度が自分に直接的な恩恵をもたらさない、またはそれが十分に説明されていないと感じているために、その支持を避けることがあります。
3. 自己責任論への過度な簡略化:
「自分が貧乏なのは自分の頑張りが足りないから」という自己責任論に納得しているという部分も、やや単純化されています。確かに、自己責任を強調する思想は一部で存在しますが、社会的・経済的な複雑さを十分に理解していないことから、このような見方をしている可能性もあります。また、低所得者層が将来の経済成長や雇用創出を期待して自民党を支持する場合もあり、それを一概に「自己責任論」にまとめることは不正確です。
まとめ
この意見には一定の妥当性があるものの、低所得層の自民党支持者に関する解釈や、政治的選好に対する理由付けがやや単純化されています。経済的・文化的要因が複雑に絡み合っており、それを一面的に説明するのは難しいです。
白票を投じることと棄権すること、どちらが良いかという問いには、それぞれの選択肢が持つ意味や影響を理解する必要があります。それぞれの行動には異なる意義があり、どちらが「いい」と感じるかは個人の価値観や政治的な意識に依存します。以下では、両方の選択肢を比較しながらその違いを説明します。
白票を投じる行為は、選挙に参加して自分の意思を示しつつ、支持できる候補者がいない、または全体に不満があるというメッセージを送る方法です。白票は「選択肢がない」という積極的な意思表示と見なされることが多く、以下のような意義があります。
政治への関与の意思を示す:白票を投じることで、選挙プロセスには参加したものの、どの候補者や政党も支持できないというメッセージを送ることができます。選挙の投票率に反映され、政治家や政党は白票が多いことをある種の不信任と解釈する場合があります。
不満の表明:白票を大量に投じることで、国民の中に候補者に対する不満が存在することを明確に示すことができます。これが、次回以降の選挙での政策変更や新しい候補者の登場につながる可能性もあります。
一方、棄権は選挙に全く参加しないことを意味します。棄権は、政治に対して無関心である、または現行の政治体制や選挙自体に対する拒絶を意味することがありますが、そのメッセージはあまり明確に伝わりにくいです。
メッセージが曖昧になる:棄権は、投票しない理由が多様であるため、何を意味しているのかがわかりにくいです。たとえば、単に政治に無関心なのか、外的な理由で投票できなかったのか、あるいは意図的にボイコットしたのかが区別できません。白票とは異なり、棄権者が具体的に何に対して不満を抱いているのかが明確に伝わりません。
政治に対する影響力が薄れる:棄権することで、政治的な意思表示を全くしないことになります。これにより、政治家や政党はその人の意見を無視する傾向が強まります。棄権者の声は選挙結果に反映されないため、政治に対して何の影響も与えないと見なされます。
項目 | 白票を投じる場合 | 棄権する場合 |
---|---|---|
意味 | 政治に参加し、支持できる候補者がいないという意思表示 | 政治や選挙に対する無関心または拒否 |
メッセージ | 「候補者に不満があるが参加はする」という意思表示 | 意図が不明確(無関心か反対かが曖昧) |
影響力 | 投票率にカウントされ、不満として示される可能性 | 選挙結果に反映されず影響力が薄い |
政治的関与 | 一定の政治参加意識を示す | 関与していないと見なされる |
4. 結論
白票を投じることは、投票に参加しつつ、不満や支持できない状況を示す方法であり、一定の政治的メッセージを送る手段になります。投票率にはカウントされるため、棄権よりも政治に対する影響を与える可能性が高いです。
棄権は、政治に対する完全な不参加を示す行為であり、その理由が選挙後に明確に伝わらない可能性があります。結果として、政治家や政党にとっては無視されやすく、影響力を持ちにくいです。
もし、支持できる候補者がいないことに強い不満を感じているのであれば、白票を投じる方が棄権よりもメッセージ性が強いと考えられます。棄権は投票行動としては消極的な選択であり、その意図が伝わりにくいため、白票よりも影響力が薄いかもしれません。
この意見に対する評価は、いくつかの視点から検討する必要があります。主に「白票投票が現状維持に寄与するか」「民主主義への影響」「有効な抗議手段か」という三点について論じることができます。
意見の中で「白票は現状維持、つまり与党支持」という批判を退けていますが、実際には、白票を投じても直接的な変革をもたらすことは難しいです。白票は無効票として扱われ、有効票には含まれません。その結果、最も多くの有効票を得た候補者が当選するため、白票が多くても制度上の勝者が変わることはありません。つまり、現状の政治システムにおいて、白票は消極的な行動とみなされる傾向があり、その結果、与党の強さや議席数が維持される可能性が高いです。このため、白票が有効票を減らすことで政治家の行動に影響を与えるという前提には疑問が残ります。
2. 民主主義への影響
意見では、多数の国民が白票を投じることで「9割の国民に支持されない政治家」を生み出すことを目指しています。しかし、この考え方は民主主義の基本原理に反する可能性があります。民主主義は、市民が積極的に自らの意見を反映させるための制度であり、投票行動そのものが意見表明の手段です。白票を投じることは不満の表明にはなるかもしれませんが、具体的な政策や候補者に対する意思表示が欠けており、建設的な対話や改革の方向性を見いだすことは困難です。結果的に、無効票が増加することで民主主義の機能が低下し、最終的には市民の意思がより反映されにくい政治構造が残るリスクがあります。
白票投票は政治に対する不満の象徴として使われることがありますが、意見表明としての効果は限定的です。抗議の手段としては他にも、選挙に立候補する、特定の政策を支持する候補を支援する、市民運動や請願を通じて声を上げるなど、より積極的な手段が考えられます。また、選挙制度や投票システムの改革を求める動きに参加することで、政治の透明性や公正さを高めることができます。単に白票を投じることは、現状への消極的な抵抗に過ぎず、長期的な政治改革につながりにくいでしょう。
この意見は、白票投票が有効な抗議手段として提案されていますが、実際には政治や民主主義に与える影響は限定的であり、むしろ現状維持に寄与する可能性が高いです。また、白票投票だけでは具体的な変革を生み出すことが難しいため、より積極的な参加や代替案の提示が必要です。
誰が投票したのかしていないのかはわからないのだから、投票していない奴の意見に説得力がないという主張も支離滅裂だ。
この問題は「票数の少ない層の意見は重視されない」というだけの話だ。当たり前すぎてバカみたいだが、現実はそれだけのことだ。
自分が投票すれば、少なくとも自分の意見がごく僅かに通りやすくはなる。その「ごく僅か」に投票行動の意味を見出せるかは人それぞれだろう。
他者に投票しろという奴の動機は二つだろうな。一つは、この「ごく僅か」を無駄だと思わず投票するのが成熟した社会人だと説教したい奴だ。
もう一つは、投票していないサイレントマジョリティーが自分と同じ意見を持っていると何故か信じていて、投票率が上がれば自分の意見が通るはずだと妄想している奴だ。
この意見にはいくつかの妥当な点が含まれていますが、問題点や矛盾点も指摘できます。
妥当な点
1. 選挙への真剣なアプローチ: 「選挙にはある程度の勉強や考察が必要である」という考えは、選挙の重要性を強調するものです。選挙における投票は国家の未来を左右する大切な行為であり、そのためには政策や候補者についてよく理解し、考え抜いた上での投票が理想です。
2. 投票の影響力に対する懸念: 「よく考えずに投票すると、かえって国に悪影響を与える可能性がある」という指摘も理解できます。無知な状態で投票をすることが、短期的・感情的な決定を助長し、長期的には不利益をもたらす可能性があります。
1. 「閾値」の明確さが欠けている: この意見では、「これくらいちゃんと考えるべきだ」という一種の基準(閾値)があるとしていますが、その閾値が具体的に何かは示されていません。どれほど勉強すればその基準に達するのか、具体的な指針がないため、個人ごとの主観に左右されやすい問題となっています。
2. 選挙権の本質に反する可能性: 選挙権は誰にでも与えられている権利であり、その行使には「勉強量」や「考えの深さ」を基準に制限を設けるべきだという考えは、民主主義の根本に反する可能性があります。選挙はあらゆる国民に対して平等に与えられた権利であり、必ずしも専門的知識が必要とされるものではありません。選挙においては、多様な価値観や経験を反映することが重要です。
3. 「投票しない人の方が語る権利がない」という考えとの矛盾: 一方で、「投票しない人が政治を語る権利がない」という意見に対して疑問を投げかけていますが、その論点も一部の矛盾を含んでいます。選挙に行かない理由があまりにも消極的であれば、その人が選挙制度や政治に対する批判をすることは正当性を欠くと感じる人もいるでしょう。この視点を排除するのは、議論を狭めてしまうリスクがあります。
この意見は、投票行動に対する慎重さを促し、浅い考えでの投票が政治に悪影響を及ぼす可能性を示していますが、あくまで個人的な感覚に基づいているため、具体的な基準を欠き、民主主義の原則に反する懸念があります。また、選挙権をどう行使するかについては一人ひとりの価値観や生活背景が異なるため、必ずしも勉強量や理解度で優劣を決めるべきではないとも言えます。
まず小選挙区で誰選んでも比例でどの党に入れても自分で決めたなら全部正解だと理解してください。
「〇〇に入れるやつはバカ」と言ってる奴が一番バカなので気にしないでください。
色々調べた結果良さそうだったでも直感で何か感じたでも何でもいいから自分で決めて投票するのが一番。
全部正解なんだけど投票後「自分が」間違ったと感じたら次回修正すればいいだけ。結果見てやっぱり国民はバカって言い出す奴が絶対出てくるけどそいつがバカだから無視しましょう。
ちなみに私自身の投票行動は選挙公報と報道機関の情勢調査を見て決めてます。
比例はシンプルに一番良さそうと感じたところ
弱者男性だが、俺の投票行動的には別に都合悪くないからその意見スルーしてもいいんだけど
弱者男性だが、普通の投票行動の範疇ではあるし全くおかしな事は言ってないな
しかし「落とすための選挙」というのはその手のリベラル活動家の十八番でもあるし、その投票行動は扇動されたノンポリか、支持政党のない政治オタク向けだろう
この意見にはいくつかの妥当な点が含まれていますが、同時にいくつかの問題点や矛盾もあります。詳しく見ていきましょう。
妥当な点:
1. 一票の影響力の限界:
意見の中で指摘されているように、個々の一票が選挙の結果に直接的に大きな影響を与えることは、特に大規模な選挙では非常に稀です。多くの選挙区では有権者が数万から数十万人単位で存在しており、その中での一票は相対的に小さい影響しか持たないという認識は現実的です。
意見で言及されているように、選挙は「政治活動の最後のステップ」であり、日々の政治活動や市民活動が重要であるという点は妥当です。実際、政策の形成や社会の変革には、投票以外にも署名活動やデモ、ボランティア、議員との対話など、多様な方法があります。選挙に参加するだけでなく、日々の政治活動も民主主義を支える重要な要素です。
「選挙に行っても変わらない」という考えは、一面的です。選挙結果そのものに大きな変化がなくても、選挙は候補者や政党に対して民意を示す重要な場です。多数の人が選挙に参加することで、特定の問題に対する関心や政策への圧力が高まり、間接的に政治的変化をもたらすことがあります。また、接戦となる選挙では、少数票が大きな影響を及ぼすこともあります。
一票が直接的に結果を変えることは稀かもしれませんが、多くの人が同じ考えを持って行動すれば、大きな力を発揮します。選挙の参加率が高まることで、政治家は市民の意見を無視できなくなり、政策の優先順位や選挙後の対応が変わる可能性があります。つまり、集団としての行動が重要です。
この意見では、選挙に行かないことで「何も変わらなかった」と述べていますが、これは選挙に行かなかったことと結果が変わらなかったことの因果関係が不明確です。選挙結果やその後の政治状況はさまざまな要因に影響されるため、選挙に行かなかったことが直接的に「何も変わらなかった」理由であると断定するのは難しいです。
「選挙に行くだけで大きな顔をするのは恥ずかしい」という意見は、選挙に行くこと自体を過小評価している側面があります。選挙に参加することは民主主義の基本的な権利であり、それを行使することは市民としての義務の一部です。もちろん、日々の政治活動も重要ですが、選挙に行くこと自体も社会に対する責任ある行動として評価されるべきです。
結論:
この意見には、選挙に行くことだけが政治参加のすべてではないという妥当な指摘がありますが、「選挙に行っても変わらない」という主張は選挙の意義を過小評価しており、問題の一側面しか捉えていません。個々の一票が直接的に大きな変化をもたらすことは稀ですが、集団としての投票行動やその結果に対する間接的な影響を無視するのは不適切です。
同世代です。
「選挙前に掲げた理想を本当に実現しようと動いてくれる人たちなのか、どう信用すればいいのか」
私はそこまで考えていません。考えているのは次のようなことです。
①一つの政党が常に政権を取り続けるのは、別の意見が反映されにくかったり国会の緊張感が保てなかったりするから、民主主義社会にとって健全じゃないと私は考えています。なので最大多数の党以外の党がパワーを強められるような投票行動をしています。
②国政政党の特徴はおおむね把握しています。自分の問題意識と合致しそうな特徴を持つ政党に所属する候補者に投票しています。私は、少数派の意見を国会に積極的に取り入れてほしいという思いがあるので、そういう特徴を持つと思う政党に所属する候補者に投票しようと考えています。
③ここまでである程度投票先を絞れたので、あとは候補者がトンデモじゃないかを一応チェックします。Twitterで発言を、Wikipediaで過去の不祥事あたりを見ます。たとえば陰謀論者や反科学的思想の人が国会に来るのはちょっと嫌だなと思うので。
そんな感じで決めています!票を投じたやつが本当に公約を実現するかというより、「こういうイデオロギーの人ならこういう行動はしないだろう/こういうことには比較的力を入れてくれるだろう」程度のことです。もしそいつがくそだったら次の選挙で落とすための投票行動をすればよいだけで、まずは主権者として気軽に参加してみてくださいね。
この意見は一部妥当な点もありますが、いくつかの問題点や矛盾点が含まれています。以下、意見の妥当性と問題点を検討します。
妥当な点
意見の中で「インフレによる実質賃金低下が自民党の支持率に影響を与えている」という指摘は妥当です。景気動向や実質賃金の低下は選挙において有権者の投票行動に影響を与えることが多く、特に日常的な生活の質に直結するインフレは政権与党にとって大きなリスク要因です。経済問題は一般的に選挙で有権者が重視する要素とされており、他国の例でも不況時に政権交代が起こることは珍しくありません。
麻生政権がリーマンショックの影響で大きなダメージを受け、民主党政権が成立したという分析も歴史的事実に基づいています。リーマンショック後の世界的な景気後退は、日本の経済にも深刻な影響を与え、当時の政権の支持率低下に寄与しました。
意見では「裏金問題よりもインフレの方が影響が大きい」としていますが、これは断言しにくい部分です。政治的なスキャンダル(例えば、裏金や汚職問題)は、国民の信頼を損なう大きな要因となり、特に政治的無関心層にも影響を与えやすいです。経済問題と同様に、スキャンダルも政権支持率に大きな影響を与えるため、どちらがより重要かは状況によります。
2. 「政治家やメディアが経済問題を避けている」という指摘:
この意見はやや根拠に欠けます。実際、政治家やメディアは頻繁に経済問題を取り上げています。特に物価上昇や実質賃金の低下はニュースでよく報道され、選挙時には必ずと言っていいほど論点になります。また、選挙キャンペーンでも経済政策は常に大きな争点として取り上げられているため、メディアや政治家が「経済を直視したくない」とする主張には証拠が不足しているように思われます。
民主党政権時の対中政策を「リーマンショック後の中国へのすり寄り」としていますが、当時の国際情勢や経済状況の背景が複雑であるため、単純に「すり寄り」と表現するのは誤解を招く可能性があります。中国との経済関係は単なる危機対応策というよりも、長期的な戦略の一環として捉えるべきです。
この意見は、経済状況が政権の支持率に影響を与えるという部分では妥当な分析を含んでいますが、裏金問題の影響の過小評価や、政治家・メディアが経済問題を避けているという主張には根拠が不足しています。また、民主党の親中政策に関する分析もやや単純化されており、もう少し複雑な要因が絡んでいることを考慮すべきです。
「とりあえず投票所に行かせる」っていう狙いはわかるけど、白票をわざわざ入れるために時間を使うのって、かなり無駄だと思うんだよね
投票率が上がったからって、政治家が「若者が白票を投じてるから、若者向けの政策を考えよう」なんて思うか?
むしろ「何も考えずに投票に来てる人が増えた」って思われるんじゃないの?
そもそも、白票を入れるくらいなら、家でのんびりしてる方がマシって感じる人も多いはず
選挙って、自分の意見を形にするチャンスなのに、それをわざわざ無効にしちゃうのって、ものすごくもったいないと思うよ
各党の政策をちょっとでも見て、自分が賛成できる候補者を選んで投票する方がよっぽど建設的でしょ
白票投票運動は「投票のハードルを下げる」なんて言ってるけど、実際には投票行動そのものをぼんやりさせちゃって、逆効果じゃない?
選挙が近づくと白票に意味はない、いや意味はあるという議論が毎回のように起きるが、そもそも白票運動が何を目的としているのかを理解していない者が散見されるので
白票運動が誰を対象として、何を目的とした運動なのかを書いておく。
・白票運動は選挙に行かない人を家から引っ張り出し投票所に行かせるための運動
・若者の投票率向上によって、政治家が若者向けの政策を打ち出すことを期待している
白票運動の第一のターゲットは「選挙に行く気のない人」 その中でも「選挙に興味はあるが、誰に投票すればいいかわからないので投票に行かない」人だ。
有権者のなかには「選挙に行こうとは思うが、掲げている政策や実績を知らないのに投票して選挙結果を左右してしまうのは良くないから…」という生真面目さゆえに投票を控える人が一定数存在する。
それらの人に「だれに投票して良いのかわからなくて投票しないぐらいなら、白票を投じませんか」という呼びかけだ。
第二のターゲットは「選挙に行く気がないし、調べる気もない」人だ。つまりは政治に全くの無関心と言い換えてもいい。
誰にも投票しなくてもいいから、とりあえず投票所に足を運べという誘いでもある。
投票のためには①候補者の掲げる政策を調べる ②どの候補者に投票するか決意する ③実際に投票所に足を運び、票を投じる の3ステップが必要になる
このうち①②のステップを飛ばすことで投票行動へのハードルを下げようというのが白票運動の1つ目の目的だ。
ただ時間を使って無効票を投じるだけでは意味がないという人もいるだろうが、「休みの日に有権者を家から引っ張り出し、投票所に足を向かわせる」ことがどれだけ大変かを知っていればこれがどれだけの偉業かわかるであろう。
加えて、投票所まで来させてしまえば「せっかく来たんだから誰かの名前書いてみようか」、「前回は白票だったけど今回はちょっと政策を調べてみようか」というように、『次』のステップへの足掛かりとなる可能性も期待できる
知っての通り、選挙の投票率は高齢者ほど高く、若年層ほど低い傾向にある。
このせいで政治家はより得票の見込める高齢者に向けた政策を重視し、ますます若者の政治離れが加速するという負の循環が起きている。
白票(無効票)は選挙結果への影響はないものの、投票率にはカウントされるので統計上の投票率は高くなる。
投票率を見て、政治家が「おや、若者の投票率が無視できないほど高くなっているな。なら若者向けの政策もやらないとな…」と思ってくれれば儲けものである。
これは若者が投じた票が白票であることを見透かされたとしても効果があるのがポイントだ。
政治家にとって、選挙に来ない有権者は屁でもないが、選挙に来る有権者は怖いものだ。今回白票を投じた人が次回対立候補の名前を書く可能性は、選挙に来ない人が次回選挙にやってくる可能性よりずっと高い。
候補者の人気が拮抗している選挙区などで「今回は僅差で勝てたが、白票を投じている人が対立候補に流れたらヤバいな…」と思わせることができたら万々歳であろう。
せっかくなので、白票運動へのよくある批判への反論を書いておく
これまで解説したように、白票運動は「選挙に行かない人に投票へ行かせる」、「投票率の向上によって、政策決定を変えさせる」ことが目的であり、そもそも「抗議の意思を示す」などということを目的としていない。
「白票を投じることで『投票したい候補者が居ない』という抗議の意思を示そう!」などと吹聴する者がいるが、あれは白票運動の目的を勘違いした馬鹿なので無視してほしい
そうだが?
上で言った通り、有権者の行動変容によってじわりと政策に影響を与えようという運動なので、目先の選挙結果をどうこうする影響力はないしそのつもりもない。
白票運動は与野党の関係なく全政治家に若者の方を向かせることが目的なので、「与野党対決!」、「自民党過半数割れで政権交代!」といった対決構造に持っていきたい人にとっては水を差されるようで気分が悪いだろうとは思うが、そういう単純な図式に乗るつもりはないので諦めて欲しい。
これはその通り
各党の政策をしっかり見て、自分の利益になる政治家を判断して投票するのが最も効果があるに決まっている。
しかし、そういう「理想的な行動」を求め過ぎたせいで投票へのハードルが上がり「そこまで面倒なことしてられないよ」となった結果が現状なのではないか?
選挙が近づく度に、誰にも入れたくないから白票を入れる、いや白票は意味がないみたいな言説が飛び交っている。実際のところ、白票は何に影響して何に影響しないのだろうか? とりあえず小選挙区に絞って考える。
当然ながら、白票は候補者の得票数には影響しない。したがって白票を投じたところで誰かが当選したり落選したりすることはない。
惜敗率とは、選挙区内の最多得票数を100%として候補者の得票数が何%かという割合である。比例重複立候補の候補者は惜敗率が比例名簿同一順位の候補との順位付けに利用されるため、惜敗率が高ければ復活当選しやすい。
法定得票数とは、いわゆる供託金没収ラインのことである。法定得票数の定義は有効投票数から決まるので、無効票である白票は影響しない。
投票率を選挙人名簿の登録者数に対する投票所に来た人の率としてカウントするなら、白票を投じた人の分もカウントされる。
特に、開票前の速報値であれば確実に選挙人名簿から算出しているので、影響する。
開票終了後に有効投票数から再計算することも不可能ではないが、わざわざそんなことをする例はあまりないだろう。
投票用紙からは世代は分からないので、世代別投票率は選挙人名簿から計算するしかない。誰が白票を投じたかどうかは分からないので、確実に影響がある。
投票率や世代別投票率を気にする政治家がいるのであれば、その行動に微妙に影響する可能性はある。
では実際の所、良い候補が誰もいなかった場合、白票を投じるよりましな投票行動はあるのだろうか。
確実に当選しそうな候補がいる場合、これによって「2位以下の惜敗率を下げる」「法定得票数を上げる」という効果がある。つまり、復活当選を防いだり、供託金没収にすることが可能かもしれない。
一方で、当選者の得票率は上がるので、当選者は「民意を得た」と思ってしまうかもしれない。
接戦ならその一票が明暗を分けるかもしれない。当然、法定得票数にも影響する。
一方で、入れた候補の惜敗率は上がるので、それによって比例復活当選してしまうかもしれない。
絶対に当選しそうにない候補に入れることで、有力候補の得票率が下がるが、選挙結果には影響しないだろう。
投票先候補以外の惜敗率にも影響しないので、比例復活にも影響しないだろう。
泡沫候補の得票数が供託金没収ライン上だった場合、これによってラインを超えるかもしれない。
同じ行動をする人が大勢いた場合、泡沫候補の得票数が増えるはずだ。したがって泡沫候補に有利な行動と言える。
まあ私はどこに入れるか決めてるのだが、他に何か良さそうな行動指標はあるだろうか?
反論のポイントは、この理屈が短絡的かつ非建設的である点です。政党選択は単なる「ダメだから別の選択肢へ」というプロセスに還元できるものではなく、有権者は各政党の具体的な政策、実績、ビジョンに基づいて判断すべきです。この「自民党がダメ」というだけで他の政党を支持する考え方は、長期的な政治的なビジョンや理念を欠いています。むしろ、その場の感情や反発心に基づく選択は短期的なものであり、安定した政治にはつながりません。また、政権交代が行われた場合の具体的な代案や政策ビジョンが明確に示されていない点も問題です。
「自民党支持者を取り込むことが簡単」という主張には根拠があります。長年政権を担ってきた自民党は、日本の保守層や安定を求める層からの信頼を獲得しており、その基盤は非常に強固です。自民党の支持層は政治経験を重視し、野党の実績が乏しいと判断した場合、再び自民党に戻ることが容易です。また、無党派層が選挙の鍵を握ることは事実ですが、無党派層の投票行動は流動的であり、特定の政党に対する支持が定着しにくい点も考慮する必要があります。そのため、自民党支持層を再度取り込む方が、無党派層の支持を獲得するよりも一貫した政治的支持を得やすいという見解は妥当です。
時代や状況に応じて政党を変えることは許されるべきですが、それが一貫性を欠く行動として批判される理由は、政策や理念に基づかず、単に「自民党がダメだから」という感情的な動機に基づいている場合です。有権者の選択は、その時々の政策や状況に基づくべきである一方で、短期的な不満や一時的な失敗に対する感情的な反応では、安定した政治的なビジョンを提供できません。過去の民主党政権時代の失敗を鑑みずに単に「反自民」というだけで野党を支持する行動は、結果として再び同じ失敗を繰り返すリスクを孕んでいます。
「アンチ自民党の人たちが自民党支持者の視点を理解していない」とする主張は的確です。実際、多くのアンチ自民党支持者は、自民党支持者の求める安定や長期的な実績、信頼感を軽視しがちです。両者の間で建設的な対話が欠如しているため、野党側はただ反対するだけではなく、具体的な政策やビジョンで自民党支持層を説得する努力が必要です。しかし、現状の野党はこの点で十分な説得力を持っていないため、自民党支持層からは支持を得られていないのが実情です。
この意見に対しての反論は、短絡的な「自民党がダメだから野党へ」という理屈は長期的な政治的安定を欠いている点、自民党支持層を取り込む方が戦略的に有利な点、一貫性を欠く選挙行動が信頼を損なうリスクがある点、そして、建設的な対話と具体的なビジョンの欠如が野党側の弱点である点を指摘することができます。
この意見には妥当な点もありますが、いくつかの問題点や誤解が含まれています。以下で詳しく指摘します。
妥当な点
1. 自己満足としての投票: 「選挙は自己満足とわきまえて行くべき」という部分にはある程度の妥当性があります。民主主義の中で、個人の一票がすぐに大きな変化をもたらすわけではないため、自分の信念に基づいた選択が自己満足的な側面を持つのは事実です。しかし、選挙への参加を「自己満足」とだけ捉えるのは限界があります。
2. 生活の一部としての選挙: 選挙を「生活の一部」として捉える視点は正しいです。選挙は日々の暮らしに影響を与える決定を行う場ですので、自分自身や社会のために参加することが重要です。
1. 「一票や数票で結果が変わるわけではない」という主張: これは誤解を招きやすい考え方です。確かに、一票で選挙結果が変わることはまれですが、地方選挙や接戦の場合には、少数票が結果に大きな影響を与えることがあります。過去の選挙でも数百票、あるいは数十票差で当選者が決まる例が存在しています。このように、一票が集まることで結果を左右するケースもあり得るため、「一票に意味がない」というのは一面的な見方です。
2. 白票の意味について: 意見では「白票に意味が発生する」とされていますが、白票は選挙結果に影響を与えないため、その意味を巡って議論があります。白票は「どの候補者も支持できない」という意思表示ではありますが、具体的な政策や政治的影響を及ぼす可能性は低く、白票が多くても選挙制度自体には変更が起きません。したがって、選挙結果に影響を与えたい場合、白票ではなく、自分に最も近い政策を持つ候補者に投票することがより効果的です。
3. 「投票結果に結びつかない」という認識: 個々の投票行動が直接的に結果に結びつくわけではないことを冷静に理解することは重要ですが、このような姿勢が投票行動の放棄を助長する可能性もあります。集団的な投票行動の積み重ねが選挙結果を形成し、最終的に政治の方向性に影響を与えるため、参加そのものが重要です。投票行動に意味がないとする見方は、民主主義の基本的な価値を軽視してしまうリスクがあります。
まとめ
この意見は、投票行動の一部を「自己満足」として捉える点や、選挙を日常生活の一部として理解する点では妥当です。しかし、「一票が結果に影響を与えない」という見方や、白票の価値を過大評価している部分には問題があります。選挙は、集団としての意思表示を行う場であり、個々の投票が積み重なることで最終的に大きな影響をもたらす可能性があります。そのため、投票行動を放棄するのではなく、積極的に自分の意思を反映することが重要です。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。