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2014-01-14

無為ターニングポイント

なぜランナーズハイが起きるのか、考えてみたことはあるかいマラソン選手が「無心」に走るとき、いやマラソン選手じゃなくてもいいけど、人が走るとき、その人の脳内で何が起きているのか、それを考えてもみてくれ。

「無心」という言葉がある。また、「無為」という言葉がある。それらは何を意味する言葉なのか、ちょっと考えてみようか。

例えば、「美味しそうな桃があるなあ」と思って、桃をつかむ。これは「有心」なわけですよ。やろうと思う→動こうと思う→動く→反応がえられる。必ず、こういう順序になっているわけ。これはね、人生の最も普遍的構造の1つなんだ。あらゆる所で、今言った順序のプロセスがついてまわる。

ところがだよ、「美味しそうな桃があるなあ」と思ってつかんだら、前の席の女の子のお尻だった。これはどう考えるべき?

「無心」に近いのだよ、これは。たしかに「やろうと思った」。桃をつかもうとした。でも、痴漢行為という違うことをやっちゃったわけ。つまり、桃に関しては「有心」かもしれないが、痴漢に関しては紛れもなく「無心」。やろうと思わないで、動こうと思わなかった動きをやった。そしてビンタされるという反応をもらった。簡単なことだろう。

これは、先ほどの矢印で表すなら、 動く→反応 というシンプル構造をしておる。これが無心の構造だ。

有心と無心の構造の違い、それが何をもたらすのか?ここが重要なところであるぞ。有心だと、「やろうと思う」「動こうと思う」という意志が行動に先行していた。すると何が起きるかというと、動きがよく意識される。当たり前だ罠。やろうと思って動こうと思って動いたんだから、その動きはよく自覚される。当然である

ところがどっこい、無心の場合は動きが「特別視」されない。ここがポイントね。特別視されないから、動きと反応が渾然一体となって、心に「どぴゅっ」と入ってくる。射精音を「どぴゅっ」と最初表現した人は天才だと思う。話がそれた。渾然一体となって行動とその反応が入ってくるから区別がつかない。これが「主客未分」とか「無我」なわけです。

おそろしく単純だけどそれを厳密にやるのは難しい。だから「無我」はむずかしい。からまりの糸をほぐさないと外れない、でも外れたフリは簡単にできる、そんな知恵の輪がそこにある。

無為」も似たようなものだ。だから説明は略す。

以上から、「無為」のヒントが分かったろう。「やろうと思う」「動こうと思う」といった「意志想念」を無くせばよい。もちろん難しい、難しいけど無くせればもうそこには「無為」がある。

さらに、「無為」と「どぴゅっ」の関連性も理解できたはずだ。

ランナーズハイのえもいえぬ快楽はまさにこの「どぴゅっ」であろう。ランナーは走り去る景色を見ながら走る。過ぎ去る路面を見ながら走る。やがて走ろうという意志が消えて走行が自動化すると、何ということでしょう、過ぎ去る景色が「どぴゅっ」「どぴゅっ」と飛び込んでくる。エンドレス射精が気持ち良くないなんて人はこの世にいるだろうか?いや居ない。射精だに気持ち良いのに、いわんや連続射精においてをや。世間では「ちんぽには勝てなかったよ」という名言があるそうだが、それは自身のちんぽとて例外ではないということだ。話がそれた。

私はジョギング以外にスキーもやるのだが、スキーにも似た感覚がある。過ぎ去る景色がやがて「どばばばば」という射精感で飛び込んで全身の喜びとして一体化される。バイクはやらないんだがバイクなんかもそうなのだろうか?

その気持ちよさを味わってみると、ああ人間ってのはなんて自分の動きにやたらと注意を払う生き物なのかと叫ばずにいられない。そのようにhumanbeingを特徴づけても差し支えないくらいに、自分の動きを意識しすぎている。それは挙動不審とか自意識過剰とよばれる。自然から有心な生き物だけ集めると、すまないがホモサピエンス以外は帰ってくれないかってことになる。

要するに、「○○しよう」って意志人間人間たらしめ我らが誇る文明を築き上げてきたのであると同時にだな、人間を大きく縛り付ける枷(かせ)ともなっている、と言いたいのだ。

その枷から逃れる術は実はあるのだがここでは詳しく立ち入らない。簡単に触れると、動きの意志から離脱が動きを無為へと解放したように、「意志意志」というか「意志へのこだわり」を捨てればよい。さすれば、己が意志すらも「どぴゅっ」と飛び込んでくる。イメージとしては川の上流が滞りなければ、中流も下流もさらさら流れやすいだろ?そういうこと。感覚としては小学生でも分かる簡単なことだ。また、部分的実行もさほど難しくない。だが完璧な実行は、言うは易く行うは難しである

それはそれとして。とにかく、意志諸刃の剣だってこったい。

から意志は最小化(minimize)したい。そう思うのも当然だね?それをシンプルに「没頭したい」「熱中したい」と言い換えることも可能だ。人々は意志の中身を問題にするが、意志の量はあまり問題にされない。意志の量を問題視しよう。

アメリカ政治家ナサニエル・シモンズはいみじくも「習慣は最高の召使か、最悪の主人のいずれかである。」と言い放った。

しかし、こと意志の最小化に関しては、習慣化は善である。すなわち、習慣化すれば意志は減る。換言すると、動きを自動化すれば、動きに関して気にすること(daily hassles)が減る。当然だよね(キュウべえ口調)。

習慣化なんてやだよーと枕に顔をうずめて手足じたばたさせているそこの貴方朗報。習慣化しなくても意志は減らせますキーワードは「リズム」。リズムに乗れば確実に無駄意志は減りますジョギングってリズム運動じゃないすか~?だから効くんすよ~。

リズムというと「リズムに乗る」という言い方をするだろう。「リズムに身を任せる」ともいう。意識せずとも身体が動く。無為。これはもう完全に、意志で「動こうとする」のとは正反対のことですわい。

ジョギングでも音楽演奏でもなんでもいいんだけど、リズム運動するとき最初リズムに「乗ろうとする」。けど、やがて「リズムに乗る」。すると、意識の上でも逆転現象が起きる。こういう順番なわけ。

逆転現象ってのは、世界自分を対立させて自意識過剰にキョドってうまく動こううまく動こうとするモードから世界に乗って世界のあやつり人形となったお任せモードへと変わる。あやつり人形なんておそろしい言葉・・・しかし、これはあくまで行動の細部が自動化されることを感覚的に表現しただけで、実際に大筋を決めるのはモニタの前に座ってるそこの貴方だ。びしっ。

是非ともこの逆転ということを幾度となく経験してどんなものか掴んでほしい。「無為ってなあに?無為ってなあに?」と彷徨っていると夜のとばりが突然降りたかのようにガラッと変わるから

自分の動き、自分の身体が景色の一部に取り込まれて、景色全体が一挙にドドドドドドと押し寄せてくる、飛び込んでくる感覚

そして、そのとき漏れなく付いてくるのが「どぴゅっ」である。それも連続。つまり、「ドドドドドトド、どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅ」なのである

2013-12-19

エロサイトを立ち上げた引きこもり~魂の物語~番外

これは、ある引きこもり男が立ち上げたエロサイトの動向と男の成長を綴った魂の物語である

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動画 エロサイト←これが僕の作ったサイトです

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自宅警備員に就いて早7年、そろそろまじめに人生について考えてみようかと思う。

とりあえず自分で生計を立てたいと思い始めた。

まずはスペックから

24歳 

独身

彼女いない歴=年齢

趣味:アダルト動画収集

17で大人になんかなりたくない病を患い高校中退

パン工場に勤務する

工場長や同僚とうまく人間関係を築けず2週間で辞める

物騒な世の中に備え自宅の警備にあたる。

7年間インターネット文学世界彷徨い続ける。

からプレッシャーに負け、お金を稼がなければと焦り出す。

でもこんな自分が働ける場所なんて…(´・ω・`)

7年間収集したエロ動画を見ていると初めて広告存在意識する。

これだ!おれにもできる事がたったひとつだけある!7年間の動画収集無駄じゃなかった。

「おで、エロサイト王になどぅ!」(`・ω・´)キリッ

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※この記事の内容は、1年ほど前に起こった事を元に、再現していますので、

時系列として、おかしな部分もあるかもしれません。また、書きためたもの

一気に投下していますので、その辺もご容赦ください。

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関連記事

2013-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20131211112115

 元ネタCLANNADっていうゲームに出てくる「幻想世界」っていうシナリオだよ

 形而上学的な世界彷徨少女と小さな人形の話なんだけど、その辺を若干掘り下げて書いてみたかったのだ

2013-11-19

恋人を作る」という感覚が分からない

世の人の言う、「恋人が欲しい」ほど私にとって意味不明ものはない。

今で言うところのリア充?昔で言うところの所謂一般ピープル?の「恋人を作る」という感覚が、本当に若いから謎だった。

意図的に恋なんて出来るものじゃないのに。

この人が良いか今日からします、ってそれ恋じゃないだろう。作為だろう。

  

恋ってのは、「いつの間にか落ちている」ものじゃないのか。

ある日、ふと「この人がどうしようもなく好きだ」と気付く。

そりゃあもう絶望的なくらいに。

対象を選びたくても選べない。

やめようと思ってもやめられないし、その頃には充分に頭がおかしくなっている。

相手は何を考えているのか、どう思っているのか、常に気になる状態。

触れたいとか触れたらどうなるかとか、思考の迷宮でぐるぐる彷徨してみたり。

ちらとでも目にした途端、相手のことが頭の中の何割かを占拠して、どかそうとしてもどいてくれない。

 

何故そんな狂気の状態に敢えてなりたがるのか。

そんな状態を何故美化してありがたがるのか。

また、そういうふうに頭がおかしくなってないのなら、愛であったり情であったりしても、恋ではないんじゃあないのか。

恋人ってのはなるもんじゃねえんだよ。

幸運にも両者が恋愛狂気が生む幻想を共有できた時だけに、本当に奇跡的に「何故かなっちゃってる」ものなんだよ。

 

酒を飲みたがる人間が実は酒が好きなんではなく、ただ酔っ払いたいだけというのと同じ欺瞞を感じる。

恋は破滅的にいつの間にかしているもので、酒の味が好きで飲む人間にとっては、そんな感じ。

2013-11-18

エロサイトを立ち上げた引きこもり~魂の物語エピソード1

これは、ある引きこもり男が立ち上げたエロサイトの動向と男の成長を綴った魂の物語である

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動画 エロサイト←これが僕の作ったサイトです

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自宅警備員に就いて早7年、そろそろまじめに人生について考えてみようかと思う。

とりあえず自分で生計を立てたいと思い始めた。

まずはスペックから

24歳 

独身

彼女いない歴=年齢

趣味:アダルト動画収集

17で大人になんかなりたくない病を患い高校中退

パン工場に勤務する

工場長や同僚とうまく人間関係を築けず2週間で辞める

物騒な世の中に備え自宅の警備にあたる。

7年間インターネット文学世界彷徨い続ける。

からプレッシャーに負け、お金を稼がなければと焦り出す。

でもこんな自分が働ける場所なんて…(´・ω・`)

7年間収集したエロ動画を見ていると初めて広告存在意識する。

これだ!おれにもできる事がたったひとつだけある!7年間の動画収集無駄じゃなかった。

「おで、エロサイト王になどぅ!」(`・ω・´)キリッ

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※この記事の内容は、1年ほど前に起こった事を元に、再現していますので、

時系列として、おかしな部分もあるかもしれません。また、書きためたもの

一気に投下していますので、その辺もご容赦ください。

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よし、めちゃめちゃエロっ~いサイト作るど~っ

広告収入でいっぱいお金稼ぐど~っ

そんで、こんな愚息を暖かく見守ってくれた両親に恩返しするど~っ!

でもエロサイトってどうやって作るんだろう…(´・ω・`) 

こんな時、先生ならきっと何か知っているかも知れない。

google先生、夜分遅くにすみません

どうか無知な僕に知恵をお貸しください。

すると先生は、こう仰った。

「まずは、サーバーを持つのがよかろう」

フフッ先生やめてくださいよ

チューハイも飲んだ事ないのに

いきなり自宅にサーバーなんて…

え?ビールサーバーじゃない?

どうやら僕のエロサイト王への道は平坦ではなさそうだ。

つづく

関連記事

2013-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20131015172143

そこでわざわざ思考を要素から取り除くのは何で?

それに回答するとループするだろう


前にも言ったが世の中は学歴で判断されている


仮に親が子供愛情やあきらめない思想を与えていたとしても

その後の教育を受けられなければ学歴社会の底辺を彷徨


また仮に親が愛情やあきらめない思想を与えていなかったとしても

高い学歴を持っていれば底辺にならずに済む


まり思考は関係ない

http://anond.hatelabo.jp/20131015121411

なんでそんな風に限定して考えたの?


http://anond.hatelabo.jp/20131014005616

勝手には足してないが・・

元に書かれているけど遡って見てないよな


家族愛情

諦めなければ、どこからでも逆転できる

この2つを身を持って示してくれたことは、自分人生のものだと思ってる


経済的余裕のない家庭の子供がいくら上記の思考になっても

その後の教育は受けられず底辺層を彷徨

2013-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20131014005616

え?


子供人生は親の思考で決まるってきれいごとを言いたいみたいだけど

あなた人生は親の思考で決まったのではなくて

ただ単に親がラッキー経済的余裕ができ決まったのであって

子供人生は親の思考ではなく経済的余裕で決まるんじゃないの?


親が事業に失敗していたパターン場合

あなた兄弟はろくな教育も受けられず学歴社会の底辺を彷徨っていたのでは?


ただあなたの親は事業に成功したところを見ると

IQがある程度高い可能性が高いのでそれが80%遺伝したあなた成功に近い位置にいるってのは認める。

ただし思考じゃなくて能力だなこれは

2013-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20131010092542

私、はてなーのひとがよく小馬鹿にする人文系大学院出身なのですが、

同じ研究科の人は男女とも割りとみんなこんな感じで

研究しながらそれぞれ個人の恋愛生活というか愛情を求めて

苦悩しつつ彷徨っていましたよ。

結婚できるかどうかはそれぞれの資質によるけど、

首尾よく結婚出来てうまくいった方の実例を挙げてみただけのつもり。

大分歳食ってからだし今も割りと貧乏なままだけど。

2013-09-08

幻想世界にて

 稲穂が揺れている。

 乾いた大気の下で、まるで海のように揺れる稲群の中に少女は佇んで、僕のことを――稲穂の背に隠れてしまうくらい小さな僕のことを――見つけてくれている。僕が彼女の足元にまで近寄っていくと、稲穂がぱきぱきと倒れる音を立て、そしてざわりとその房が揺らいだ。彼女が、金色になった穂をかき分けながらに僕の方へとやってきて、そしてちょうど上から覗きこむ形で僕を発見した。それから微笑んだ。

 少女はすぐに踵を返して歩き出していた。

 彼女の栗色をした長い髪が、その動きを追って流れるように揺れる。

 僕は、その彼女が歩いていく方へと、すぐに続いて歩いて行った。

 何でこんなところに来てしまったのだろう、と僕は思う

 稲の海の真ん中で、そして暗褐色の乾いた土壌の上で、僕たちは彷徨っていた。

 その足跡が、どこから始まったのかは知らない。

 僕たちは歩いていく。でも、その足跡は決して存在しない。

 いや、存在することができない。

 僕達の存在は、いずれ失われたものになるのだ、とそう思う。僕たちは存在するべきではないものなのだ。失われてしまっているのだ。

 だけど僕たちは歩いて行っていた。

 稲穂が時折音を立てて折れ、そこに一つの道筋を描いた。

 でも、それもやがては無くなってしまう。僕たちは、いなかったのと同じことになる。

 何で僕達は、生まれながらにして、何もかもを失っていたのだろう、と思う。何故僕たちは、上手く存在することができなかったのだろう。失われているということさえもが、いずれ失われていき、何も残らないということが僕にははっきりと分かった。僕たちは、実際には存在しないものなのだ稲穂の茎が僕の目には無数に映っていた。黒に近い茶の色をした土が、どこまでもどこまでも延々と続いていた。時折、乾いた稲の繊維が折れて、弾けて、空気中に舞っていた。僕に呼吸をすることはできなかったけれど、その空気にどんな匂いがするのかということを、しっかりと感じることができた。僕は歩いて行った。

 そんな時、少女が立ち止まった。

 稲の折れる音が止まった。

 僕もまた足を止めて、そして小さな背丈から首を傾けて、彼女の顔がある辺りを懸命に仰いだ。そこには、考え事をしている途中で我に返ったばかり、という感じの少女の顔が、ぽっかりと稲と稲との間の空間に浮かんでいて、そして僕の方を眺めていた。

 でも、またすぐに彼女は微笑んでいた。そして、僕は歩き出していた。

2013-08-28

あなたを救ってくれるような"魔法論理言葉"は存在するか?

人は苦しむ

そして、その解決策を探す

どこかに自分を納得させる魔法のようなセオリーがあって、それを見つけて理解する事で自分自身が救われるのだと

そして、今は自分の怠慢や能力不足のためにそれが見つけられていないから辛いのだと信じている

しかし、"本当にそのような魔法セオリー存在するのか?"という問いには答えられない

むろん、それは"カラスはすべて黒いのか?"という命題に等しく、証明困難な悪魔の証明

しかし、直感としてそれをどこまで信じられるか、主観的な視座において論拠があるように感じられるかについては別であろう

すなわち、可能性として"世界のどこにも、自分を納得させる様な魔法セオリーなど存在しない"という命題が成り立つ可能性について想定できているかという事だ

坂口安吾の「余はベンメイす」という作品を引用しよう

「 私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。 私は日本伝統精神をヤッツケ、もののあはれさび幽玄の精神などを否定した。然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない。たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される。私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです。ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ。人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない。 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。」

坂口安吾のこの節における真理を、"自分を納得させる魔法セオリー"として置き換えて考える事が出来る

人間はどこまでも自分を救う究極の理論や答え、真理というもの存在すると信じている

そして、それを得る事で自分は納得し、辛さや苦しみにに一定の決着がつき、心持が安らかになると信じている

しかし、その実存について(何度も繰り返すが、それが存在するかどうか)は真剣に議論されないように思う

現実的に考えれば、たか理論事実などで苦しさや辛さが綺麗さっぱり無くなるとは考えがたい

人は論理思想思念だけで生きているのではないので、理屈真実を突き付けられただけで楽にはならないのだ

事実真実が、必ずしも人を幸福にするとは限らないのと同様に

しかし、人は真理を探そうとする

そして、時にそれはある種の成功を収め、人生観世界観哲学としてその人の認知的な枠組みとして機能し始める

まり、ある一定の(その人固有の)論理構成や理屈付けの仕方が、その人自身の救いになる、指針になる

そして、それはその人自身には壊せない程度に堅牢であるだろう、思考錯誤の結果だから

しかし、やはりそれは部分的なものであって、生物的・生理社会的な制約(例えば神経伝達物質の異常や個人が変容不可能な環境の要因など)をうけるので、"すべてを救い、納得と平穏をもたらす様な魔法セオリー"足り得ない

その事に気づかなければ、人は真理を求めて彷徨う盲いた愚者に成り果ててしまうだろう

2013-08-21

父親との関係

最悪でもないし、どん底というわけでもないけど、どこかに吐きたかったこと。

誰かの暇つぶしになったらいいな。

一番覚えてること。小学2年生ぐらいの時に暴力を振られたこと。

ある日の夜ご飯、ある野菜がどうしても食べれなくて、私は食卓で「これキラーイ」と言った。

食べ終わった後、私はクッションの上でゴロゴロしてた。

そしたら父が、寝転がっている私の上に覆いかぶさった。私は遊んでくれているのだと思い、うきゃきゃと喜んだ。父も、笑ってた。

でも逃れようとしても、そこから出ることができなかった。じゃれてるとは言えないほどの力だった。

「あれ、おかしいな?」と思った。なんで離してくれないんだろう?

振り向くと父は無表情で、無言で、私を縛り付けていた。

「なんだかこれはやばいやつだ」と幼い脳が察知して、本気でもがいた。そしたらスルッと抜けた。

そしたら母が「パパにごめんなさいと言いなさい!!」と、凄まじい形相で言った。

父が何に対して怒っているのか検討もつかなかった。でも「ごめんなさい」と何度も言った。喚いた。

父が私に迫ってきたので、怖くてとりあえず逃げた。そしたら父は「ゴルァァァアアア」と怒鳴りながら椅子を頭の上にまで持ち上げて私を追った。

必死で逃げたけど、部屋が広いわけじゃなかったから簡単に追い詰められた。

行き止まりの場で崩れ落ちる私。そこから見上げた、少し逆光の当たった父の殺気立った表情。振りかざす腕。

当時の私は、本当に殺されると思った。死ぬだって思った。

父が私に椅子を投げつけようとした瞬間、母が父を押さえつけた。

「◯◯ちゃん、部屋に戻って!!」母の声で我に返った。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」と必死に謝る母を背に、今までにない速さで階段を駆け上がった。

部屋のドアをすぐさま閉めて毛布の中に包まって隠れた(つもりだった)。でも見つかったら今度こそ殺されると思った。

心臓バクバクで、息も絶え絶えで。たまに毛布の間から目を出して外の様子を伺って。でもしばらく経っても父が上がってくる気配はなかった。

その後の記憶はない。

今、大人になってこの記憶を振り返ると、あの人は言葉で叱ればよかったのにと思う。

できれば叱らず、「なんで好き嫌いをすることが良くないなのか」を教えるぐらいでよかったのに。

なぜ、ここまで大げさなことをしたのだろう?

あの人はほとんど喋らない。なのに突然怒り出す。どうでもいいことでブチ切れる。

「父が怒った時はテーブルから離れなさい」と母から教えてもらったことがある。

そしたらテーブルをひっくり返されても、割れガラスで怪我をしなくて済む、と。

でも覚えてる。私の好きなご飯が床に落とされたことを。私が使っていたコップが割れたことを。

それを傍観したらご飯は中断され、2階に上がりベッドで眠る

母は定期的に怒られていた。ベッドで寝たふりをしても怒鳴り声が聞こえた。家が揺れた。

壁にはいしか穴が開いていた。父が怒った時に殴って開けた穴。風呂のドアも割れガムテープが貼られていた。

日々目にするものだったので精神的に参った。難しいことは考えられない年齢だったけど、それでもイヤな気持ちはずっとあった。

これが小学2年生までの記憶

この程度でも大分つらい思い出なのに、ガチ暴力振られてる人なんて私よりも恐怖を感じてるわけで、そう思うと可哀想でならない。

こんなん言ったらキリがないけど、なんで人に危害を加えるような子供じみた大人が蔓延っているんだろう、と。

もし私が相当悪いことをして、だから体罰を受けるんだったらまだ納得できるんだけど。

好き嫌い、そんなにダメだった?

小さい頃は疑問に思わなかったけど、今思うとオカシイと思うこと。

父がこぼした食べ物や落とした物は母が拾ってくれるまで待つ。父はありがとうも言わない。

確かに仕事って大変だろうし、稼いでもらってる身だけど。父って王様なの?母って奴隷なの?結婚ってそういうものなの?

母は離婚も別居もするつもりがなかった。何度か理由を問い詰めたことはあるけど、「しょうがないよ」の一点張りだった。

父が帰ってくるのを恐れる日々、母や私が怒鳴られる日々、家が荒らされる日々。

そういうのが私の日常だった。どん底じゃないけど、平凡な家庭とは程遠かった。

父に留学を強いられた時、私は留学したくないと主張した。日本にいなきゃいけない理由があったからなんだけど、長くなるからそれはまた別の話。

父は理由も聞かず、私の腕を掴んで私を家から放り出した。17歳の時かなあ。

しばらく玄関で待ったけど、尿意を催したのでパジャマ姿で枕を持ったまま夜を彷徨った。人、結構たから恥ずかしかった。

帰ってきたら「どこ行ってたんだ」と怒られた。いや、追い出したのあなたでしょ。トイレ行かせてよ。

受ける大学の選択の期限が迫った時、もう一度勇気を出して話し合った。

そしたら今度はテーブルとソファと棚がひっくり返った。皿を床に投げつけまくったから、床はガラスの破片だらけだった。ドラマみたいな光景だった。

今思えば、沢山写メってツイッターうpすれば良かったなんて思う。その時ツイッターが繁盛してればよかったのに。

まあ、そうしたところで離婚が成立するとか父が逮捕されるわけでもないんだけど。

DV相談的な無料電話相談しても何も解決しないしね。あれ、なんのためにあるんだろうね。

でも1枚だけ隠し撮りした。当時の携帯カメラの画質がそんなによくなかったから何のこっちゃ分からない写真だけど。

そんで話は戻って、留学するぐらいなら私は死にたかたから、論争があって以来、私は勉強するのをやめた。

授業もサボった。校長先生に父のことを相談した上で、公認で。どうせ学校でもいじめられててぼっちだったので、私がいなくなったとこで誰も困らなかった。

なんだかんだあって、第一志望の日本のまともな大学に受かって私は喜んだ。けど父が喜ぶはずもなく。紙、破られた。トイレで。

そんで外国大学にも受かってしまった。父は喜んだ。私は泣いた。

これほど嬉しくない大学合格ってあるのかなあ、って思った。留学することになったら自殺するって心に決めてたから。

まあ留学する前に命の恩人と出会っちゃったもんだから、今もなんだかんだ生きてるんだけど。それはまた別の話で。

でもその命の恩人と知り合いというわけでもないし、もう未練がないので、高3の時からいつ死んでもOK!という状態。

から事件や事故病気がこっちに来ることを祈っています病気になっても後遺症ができても日本にいられるなら幸せなので。

そのくらい私にとって海外地獄だったので。これもまた別の話ね。

日本に帰ってきても父とは会話しない。したら大抵テーブルひっくり返るから。ご飯もお皿ももったいないしね。

また大学卒業する頃になったら、また家が荒れるんだと思う。大学院の進路か、就職先か、どちらにせよ。それが今の不安

2013-08-18

幻想世界

 稲穂が揺れている。

 乾いた大気の下で、まるで海のように揺れる稲群の中に少女は佇んで、僕のことを――稲穂の背に隠れてしまうくらい小さな僕のことを――見つけてくれている。僕が彼女の足元にまで近寄っていくと、稲穂がぱきぱきと倒れる音を立て、そしてざわりとその房が揺らいだ。彼女が、金色になった穂をかき分けながらに僕の方へとやってきて、そしてちょうど上から覗きこむ形で僕を発見した。それから微笑んだ。

 少女はすぐに踵を返して歩き出していた。

 彼女の栗色をした長い髪が、その動きを追って流れるように揺れる。

 僕は、その彼女が歩いていく方へと、すぐに続いて歩いて行った。

 何でこんなところに来てしまったのだろう、と僕は思う

 稲の海の真ん中で、そして暗褐色の乾いた土壌の上で、僕たちは彷徨っていた。

 その足跡が、どこから始まったのかは知らない。

 僕たちは歩いていく。でも、その足跡は決して存在しない。

 いや、存在することができない。

 僕達の存在は、いずれ失われたものになるのだ、とそう思う。僕たちは存在するべきではないものなのだ。失われてしまっているのだ。

 だけど僕たちは歩いて行っていた。

 稲穂が時折音を立てて折れ、そこに一つの道筋を描いた。

 でも、それもやがては無くなってしまう。僕たちは、いなかったのと同じことになる。

 何で僕達は、生まれながらにして、何もかもを失っていたのだろう、と思う。何故僕たちは、上手く存在することができなかったのだろう。失われているということさえもが、いずれ失われていき、何も残らないということが僕にははっきりと分かった。僕たちは、実際には存在しないものなのだ稲穂の茎が僕の目には無数に映っていた。黒に近い茶の色をした土が、どこまでも延々と続いていた。時折、乾いた稲の繊維が折れて、弾けて、空気中に舞っていた。僕に呼吸をすることはできなかったけれど、その空気にどんな匂いがするのかということを、しっかりと感じることができた。僕は歩いて行った。

 そんな時、少女が立ち止まった。

 稲の折れる音が止まった。

 僕もまた足を止めて、そして小さな背丈から首を傾けて、彼女の顔がある辺りを懸命に仰いだ。そこには、考え事をしている途中で我に返ったばかり、という感じの少女の顔が、ぽっかりと稲と稲との間の空間に浮かんでいて、そして僕の方を眺めていた。

 でも、またすぐに彼女は微笑んでいた。そして、僕は歩き出していた。

2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809141817

中流~頭は良いけど経済的には残念な下流の上位の人達(暇が多いので思索に使える時間が多い人達)の村

横たわる深い溝の周辺にこの村はある

はてな村からも見えない溝の底下流の下には「はてな匿名ダイアリー」にはとても書けないほどの惨めさがある

知能的に日本語意味すら通じず、町やネット彷徨い、騙され、ネットすらできない人もいる、帽子は破れ、靴には穴が開き、臭い

身寄りも無く、雇う人も無く本当に保護必要な人々は寝る場所も良識的な人々に奪われ最後には野垂れ死ぬか首をくくり地方新聞の一つの記事

になり忘れ去られる

上流の人が「はてな村」を忌避するように「はてな村」の人々も溝の中の物は覗きたがらない 見たがらない

から書かない 溝の中の深淵は覗き込まなければ「日本は美しい先進国」だと信じてられるから

から平気で「共働きフルタイム」「年収 万円」とかのたまえる 下から搾取すればするほど家庭や社会に軋みがくるのに

もう下流の中くらいなアルバイターとか負担搾取限界来てるんじゃないでしょうかね

非正規二人で共働きしても正社員になれる当ても無く良くてチェーン店店長まり。併せて年収400万円行かない人達

結婚とか子ども作ってもその連鎖の果てに希望とかあるの?子ども未来をあげるにも教育環境重要だけど

偏差値50台前半の教育学部から教師多く採用とか、図書館田舎と都会の大きな格差とか 田舎バスの無さとか

もうね、下流を非正規で使い捨てにするばかりなら「子どもどころか移民すら要らない。クローン作ってくれ。年取って雇われなくなったら放置すればいい。」

と既婚小梨増田は30代非正規男性ブロガー達の末路や現実の溝の底の人たちの末路を見ながら思っている。増田でも溝の底の人たちが時折ろうそくの最後の光のように

苦しみを叫びながら力尽きたのか消えていく事が何度あったっけ。もう思い出せないや

2013-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20130730034024

 そんな状態では心身のバランスを崩してしまうのも当然だ。日中は食べものがのどを通らず、日曜の午後になると過呼吸を起こすようになってしまったという。「こんなに辛いならいっそ死んでしまった方がラクだな」…そんなことばかり考えるほど憔悴しきった彼女だったが、自分を縛り付けているものは、マッキンゼーに勤めているという「見栄」や「体裁」だということに気付いたのだ。

「生きるために仕事をしているのであって、仕事のために生きているわけじゃない。そもそも私の人生なのに、なにもやりたいこともやらずに死にたくなってるんだろう。バカじゃないの」。

これで充分だろ。その仕事を平然としている奴らがいるんだから

過呼吸を起こすほどただただ着いて行けなかっただけだろ。

仕事まともにできてれば辞めてないんだから

そんなエリート街道彷徨社会人

こういう学歴コンプな書き方についてはどう思いますか?

あなたコンプですか、低能さん?

http://anond.hatelabo.jp/20130730031344

辞めたのは着いて行けなかっただけだろ。それは事実だ。

実際それでやめてく奴はいくらでもいる。

忙しいのなんて入る前から分かってることだ。それに着いて行けなかっただけ。

お笑い芸人になったら、それを偉そうに言うが、

それはこいつがたまたま女で下品、と言う特殊性を持ってて、

それに東大マッキンゼーという役が乗っただけだ。

そういうのをモテやすいみが分からんと言ってるだけだが?

そんなエリート街道彷徨社会人

こんなバカみたいな表現してるから言ってるのだが?


お前は何も意見も考えもないのに人を煽りたいだけの低能だろ?

2013-06-16

バカみたいに批判してwww楽しい?www

ネットで批判する事の意味の無さよ。

どんなに正しい事を書いてみても、あて先の無い手紙のようにネットの中を彷徨って、どこかのゴミ箱に入れられるんだろうな。おそらく書いてる人は、本当に想い、願い、憂いながら書いているのだろう。

たとえ、その人が壇上で大声で正しい事を言った所で、匿名という仮面に隠れた不特定多数の聴衆たちに笑われて、石を投げられ、ネットの中に消えていく。

俺は、自分が正しくないと認めることも、おまえらに笑われるのも、俺も仮面の聴衆の1人だと知る事も、怖くて仕方ない。

から、何も聞こえない見えない喋れないような聾唖者のふりをして逃げている。きっと世界を変えることなんて出来ないから。

しかし「それでも」と言うべきか、言わざるべきか?

2013-06-09

Steveがマインクラフトを辞めた理由

掃除をしていたら、iPhone機種変でいらなくなってたAndroid携帯が見つかった。

試しにWiFi環境に繋いでみたら、ものすごい勢いでアップデートが始まったので暫く放置していた。

暫く経った頃、端末を再度眺めてみるとノーティフィケーションにずらりと並んだアプリ

その中に、かつて電車の中でよく遊んでいたMinecraftPEがあった。

なんで、やめたんだっけ。通学時間にあんなにはまったのにな、なんて考えながらも

サバイバルモードを立ち上げてみる。背景は真っ黒だったはずなのに、なんかおしゃれになってる。

元々遊んでたのは0.30までだったから今の0.71からみたずいぶん前だ。

以前遊んでいたワールドがなぜかなかったので適当作成してサバイバルモードで立ち上げて遊んでみた。

しばらくしてワールドは夜に変わる。

今、Steveの耳には三種類の音しか聞こえてこない。

1. 動物たちの鳴き声

2. ゾンビの唸り声

3. 私、Steveの恐怖を噛み殺す歯ぎしり

Steveは今、露天掘りにした1×1×3の穴の下にいる。

上一ブロック脆弱な土ブロックで蓋をした状態。

ブロック一枚を挟んでゾンビ息遣いが確かに聞こえてくる。

作れたのは木のつるはしまでだった。

石炭を掘り当てることができず、ただ無駄にたまった土塊がアイテム欄を埋めている。

...この土ブロックが松明に変わったりしないかな。

長い夜の間、ゾンビの声に怯え続けたSteveの魂は

MinecraftPEのWiki彷徨い歩いた。そして目当ての情報へ。

PocketInvEditorというアプリ

手持ちのアイテムIDを自在に変えてくれる無敵の存在

土くれを松明に、アイテム個数を255に変えてみた。

変わった、変わったぞ。これで夜の孤独ともおさらばさ!!

淡く光るクラフトボックスを頼りに感激の舞を

二回、三回と繰り返し踊ってみる。

そしてブロックを一つだけ掘り、松明を授けると

その光に、Steveは捕われていた孤独を思い出すことになる。

かつて世界創造主であり、孤高の王であった一人の男が

自滅の道を辿り、ワールドをも消してしまった悲しい思い出を。

かつて、Steveはマインクラフトがクラフターの一人だった。

マインクラフトPEはAndroidが出た頃すぐに買い、

クリエイティブモードで余った時間を楽しく遊んでいた。

ニコニコ動画にアップされているような

コツコツと積み上げられた職人芸には叶わなかったけど、

立体文字を作ったり、自分の部屋を再現したり、色々楽しんでいた。

狂い始めたのは、バージョンアップにより

よく意義が分からなかったサバイバルモード

クラフトボックスでの作成が可能になり、

掘れば掘るだけあの小さなブロックが入るようになってからだ。

彼は熱中した。掘って掘って掘りまくった。

だが、そのうち物足りなくなってきた。

主な理由は、拡張しすぎた洞窟我が家

十分な松明を置けなくなったため、

慢性的にどこから湧いたのか分からないゾンビ

背後を襲われることが増えたことと、樹木の伐採のし過ぎで

木が足りなくなってきたことだった。

アイテムやす方法がないか検索する中でSteveは

環境ファイルバイナリエディタで直接書き換えればいける方法を知る。

よくわからない文字列の羅列の最後の方、

アイテムIDと見比べて行くと確かに

確かにそれっぽいのがあった。

これを書き換えれば。

03を11に。土くれが木材に変わった瞬間だった。

これ以降、SteveはHEXファイル呪文のように日がな唱えるようになる。

アイテム欄だけではなく、フィールドの切り替えをも簡単にできる事にSteveはすぐに気づく。

クリエイティブモードで培った財産を今こそサバイバルモードに変える時だった。

すぐにすり減ってしまう石のつるはしは当時未公開だったダイアのつるはしに変え、

紙切れのように石層を掘り砕いていった。

せこいことをしてコツコツ増やしていた本棚FFに変えるだけで欄が255に変わったので

部屋の床全てを埋めてもまだ余裕があった。

フィールドほとんどの場所に立てても余るだけの松明は、

TT以外からワールドに湧出するゾンビを全て消しさったが、

美しく等配列に並ぶことで果たしていた装飾という役割も同時に共に消し去ってしまった。

埋められるスペースというスペースに松明を突き立てたことで。

塔の物見台は魔改造の結果、水流式TTに姿を変えた。

その屋上から眺める風景も変わってしまった。

しかった雪山と滝の後ろに微かにそびえ立つ卒塔婆の群れ。

時々、ゾンビが落ちていく姿を眺める事ができた。

海の上に落ちたのでは死なないから、わざわざ石畳を敷き詰めて、

落下死させるようになっている。

その光景を可能にしたのはたった一つの値を変える事で

クリエイティブモードサバイバルモードを簡単に行き来できるからだった。

クリエイティブモードで空中に黒曜石の床を作り、

バケツがないこの世界ではありえない無限水源を作り出した。

機械的な作業により、TTは完成。

高所から石畳の上に足から綺麗に叩き落とされるゾンビたち。

1×1マスのガラスの囲いから救いの手を差し伸べる何重にも折り重なったゾンビたち。

サボテンによって少しずつスタミナを削られていくゾンビたち。

TTで思いつくほとんどのことをやりつくし、眠れぬ夜にゾンビに怯えることもない今

ただただ、囲われたゾンビを眺める事がSteveの日課だった。

ゾンビーフはまだこのバージョンにはなかったから、生き倒れていく緑色をずっと見ていた。

そんな生活を続けて二週間が経ち、Steveは壊れてしまう。

いつもの朝を迎えると彼は手持ちのアイテムのほぼ全てのIDを2Eに書き換え、

クリエイティブモード世界を変えた。

から一つ一つブロックを置いていった。

地道にブロックを置き、敷き詰めて完成させた干拓地帯の牧場

牛や豚を追い込むのに苦労した。

空を仰げば青さのみが広がる海中神殿。対照的に、溶岩を誤って置いて

地獄っぽくなった足下はオレンジ色が広がっている。

物見台の空中TTをつなぐ遊歩道。時々池に向かって

紐なしバンジージャンプをした。

山を1×10×底まで縦に掘って、はしごをかけることで作った

自然エレベーターカーソルキーから手を離して時々遊んだ

全てに置いていった。

最後に置いたのはあの物見台の上。

残っていた石ブロックを十個一列に新たに積み上げるとその上に立ち、

赤色ブロックを横付けして、ワールドサバイバルモードに変更する

下を見下ろせば、赤色の線上が地平線を超えて四方

どこまでも連なっていくのが見えた。

かぼちゃにも似たそのブロックの側には大きく「TNT」の文字。

v0.30ではまだクラフトすることが出来ないはずの爆弾だった。

長押しすれば自重に伴いブロックは落ち、

爆発した連鎖は瞬く間にこの世界を飲み込むだろう。

ファイルコピーすればこの世界バックアップも可能だった。

ほんとにいいのか?

Steveは自問自答する。

もうこんな世界に用はない。

そしてブロックを長押しした。

その最後を彼は見届けることはなかった。

誘爆したTNT10ブロックを軽く飛び越えて彼に直撃し、

そのまま即死した。

Android携帯の画面はSteveが最後に見た世界をそのままに

まり電池パックを抜くまで復活することはなかった。

そして、携帯再起動し、MinecraftPEを立ち上げると

全てが終わっていることに気づく。

かつて、一番最初の一歩を踏み出したここは美しい平原だったはずだが、

TNTにより抉られた醜い谷間へと姿を変貌させていた。

俺はデータを消して、ゲームから逃亡した。

性急にことを進めすぎたんだと思う。

地道に石を彫っていかなくてもヘックス値をFFに書き換えるだけで255になるアイテム欄に、

こつこつやっていた楽しさもゆっくり何を作ろうかと考えていた期待も忘れてしまって、

こうすればすぐに入るものに何の意味があるんだろうって、

飽きが来てしまった。

アイテムを収集するというMinecraftの一部の

遊びだけを奪っていったはずの全能感が倦怠に変わると、

Minecraftを遊ぶ全ての動機に牙を剥いてしまったのだ。

何なんだろうな、この気持ちは。不条理が今ここにある。

v0.71になってIFは変わったけど、一度醒めた気持ちが再燃する事はなく、

時間遊んで、アプリタスクから落とした。

全てを与えられたSteveを俺は見放した。うまく使う事ができなかった。

限られた選択しか常にない環境なら、なおさら、どうであったろう。

なんか疲れた。もう疲れた。

あと二週間同じ日常が続いたらもう人生を止めようと思う。

俺はこの部屋のSteveだ。

2013-05-01

http://d.hatena.ne.jp/s00442ts/20130429/1367235331

 社会学的に言うと、自分探しが生じるのは「選択の余地が増えたから」ということになる。

 どういう職業に就くのか、結婚するか否か、するとすれば誰とか等々、自分で決めなくてはいけないことがすごく増えた。それらの選択がうまくいけば良いけど、うまくいかないと自分のせいになってしまう。自分無能から自分に魅力がないから、みたいな話になるわけだ。なので、選択の余地が増えるほど「自分存在価値自分証明する必要性」は高くなる。

 なので、自分が特別な存在であることを示すためにも、良い選択をする必要がある。しかし、重大な選択にあたっては当然、とまどいが生じる。そこで選択そのものを先延ばしにするのがいわゆるモラトリアム。どんな職業に就くのがいま決めるのが怖いので、とりあえず大学に行こう、みたいな。しかも、選択したところで「もっと良い選択肢があったのでは…」という思いは消えない。そこで、もっと良い選択肢を探して彷徨するのが自分探し、ということになる。

 多くの場合、こういう自己存在価値についての悩みは中学高校生あたりから出てくるようになる。リンク元では親から承認必要だという話になっていたけど、それだけではやがて物足りなくなる。「親が自分承認してくれるのは親だからなのであって、自分価値があるからではない」という話になる。そこで、手短に承認を得るための手段として彼氏彼女をつくるというのが出てくる。「彼(彼女)が自分を好きでいてくれる」というのは自我の強力な安定材料になりうる。「職場自分は不可欠な存在」だという思いを悪用したブラック企業による「やりがい搾取」も同じ話。なので、親から承認だけでは根本的な問題は解決しない。

 とはいえ、それでも親による承認は無いよりもあったほうがいい、と思う。無論、存在価値の肯定を家族だけに委ねることが正しいか否かは別として。最初に書いたように、現代社会ではどうしても自己存在価値は動揺しやすい。封建社会に戻すでもしないかぎり、それは不可避だ。そんななかで、自己存在価値が見えなくなったとしても、無条件に自分承認してくれる存在がどこかにいるというのは、やはり安心材料になるし、厳しい選別の過程に入っていくための足場になりうる。

 子育て観点から言うと、別に徹底的に甘やかせと言っているわけではなくて、自尊心確立と躾とのバランスをうまく取っていく必要があるんだろう。テストの出来が悪くても、受験に失敗しても、「それでもお前は自分たちの大切な子どもなんだ」と言ってあげられる親であって欲しい。

 宗教による自己承認の獲得は否定しないけど、食いものにされてしまう可能性はちゃんと考える必要がある。宗教に目覚めた人たちの迷いのなさは羨ましいような気もするが、怖くもある。外部社会や異教徒との闘いに自己存在意義を見出すようになると手に負えなくなってしまう。

 この問題に「こうすればいい」という万人に効く解決策はたぶん存在しない。個々人が自己承認欲求と向い合って、その不安定さを受け入れていくしかないように思うのだが。

2013-04-09

同僚が鬱で辞めることになった

今月、3年未満務めてる建設現場監督(営業)Aさんが辞めることになった。

いきなり出勤しなくなって、家にも帰ってなくて奥さんから連絡が来たらしい。

日経って家に帰ってきたらしいのだが、あてどもなく彷徨って車の中で一晩明かしたようだ。

そして、それ以後出社しなくなった。

有給代休を使って今月途中まで休んでいるが、今月半ばに退職となる。



3ヶ月近く夜間作業をずっとやっていた時から気になってた。

その前から、3年近く経つのに彼の上司のつかいっぱしりで過剰に仕事押し付けられていたのは知ってた。(3ヶ月近くの夜間作業も上司の売り上げ)

かいっぱしりから、Aさんの給与全然影響しないのに、彼の上司給与は破格なのを知ってた。

かいっぱしりからコンビニやらでお菓子買ってこさせられて、全部Aさんが自腹で払ってた。

Aさんの上司はムラっ気タイプで、機嫌が悪いときなんか私でも近づかないようにしていた。



そもそも、

下請け元請けの間の軋轢に悩まされる、感情労働

体育会系で、酒の席では吐くまで飲まされ。

社長パワハラ気味で、気に入らないことがあったら給与査定に響く。

社長お気に入りというか、声の大きい人が有利で、誰も文句を言えない。

給与制度関係で、基本助け合いの無い会社

休日出勤してるのに、代休が基本取れない。取ったら批判される。建前上誕生日休暇やなにやらあるが、営業みんな一度も使ったことのない制度だ。

Aさんの上司はこれで通算3人部下が辞めていっている。

ここ数年人が居つかない為、定年以上の人が3人居るので今年から来年にかけて人が1/3も減る。



この会社に骨を埋めるつもりでいます面接で言ったという人だったから、

上司についていきます!と飲み会でも言っていたのは聞いてたから、うまいことストレスを受け流しているのだと思ってたのだ。



鬱になるまで追い込まれるようなサインに気づいていたのに、安易に楽観視してた。

社内いじめに加担していたようなものだ。

数日で鬱はもう治ったが、働くことはないと言われて退職になったと聞かされたが、

鬱はそんなに簡単に治るもんじゃない。

いまだに鬱気味の社員いるじゃないか。時折電話出なくなって、社外の人に困惑電話がかかってくるじゃないか

鬱が建前であってほしい。

痛切に思う。



私の先輩から、Aさんが辞めたいと悩んでるのを出勤しなくなってから聞いた。

社長が悩み事があるなら、言ってくれと言ってたようだ。

彼への対応は形としてはしていたようだが、悩んでいることを話しても、

結局お前ががんばれになる社風だから、見切りをつけられたのだと思う。(私も実体験済)



社内の空気が、”辞めてく人間責任”となすりつける雰囲気と、共感まじりの諦めに染まっているのに触れるたびに、

私はすごく気持ちが悪いと思う。

今のブラック企業によくあることなんだろうけど、やりきれなさでいっぱいだ。


特定されそうなぐらい細かく書いたが、動かなかった自分も社内の雰囲気も、気持ちが悪い。

2013-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20130402114850

現代出産で死亡するのは減ってきているが

3人に一人は婦人病(子宮菌糸とかいう癌)にかかるし

男性で言うと腎臓の片方の機能低下するとか肺が片方機能しにくくなるとかそんなレベルじゃない

若いうちからそんな大病患うのも怖い

妊娠出産学校でも習ったけどリスクが高すぎる

そのリスク自分の身に起きるんだぜ?

一生に一度といえど生死を彷徨レベル冒険なわけ

死亡とまではいかなくても生死を分けたり出産は命懸けなんて例えが使われるんだ。

そこまで若い女が得体もしれないそうそう欲しいとは思えない子供とやらのために覚悟座ってるとは思えない

アイホンだったら臓器売り渡してまでも欲しいけど

どんなに子供産むインセンティブを与えても命とか体の臓器と引換じゃーねー・・・

2013-03-20

辞めるか辞めないか

会社を辞めるか辞めないかで、半月位悩んでいる。

やっと3カ月が過ぎ正社員にしてもらったのに、途端にやめさせて下さいと言うなんて非常識にも程があるけど、辛い。

初めて転職活動して、未経験でも良いという会社に入った。

本当はデザイン仕事に就きたいと考えていたけど、今の会社の業務も興味があるのもだったのと、

もう何社か落ちている自分を、雇ってくれるという言葉が本当に嬉しくて、頑張ろうと決めた。

少人数の会社で、社長と先輩と私しか社員がいなかった。

社長は営業でほぼおらず、もし社長がいたとしても制作内容についてはまったく分からないそうで、

指導は先輩にして頂いている。

ここで私は自分がどれだけ仕事出来ないクズ人間なのか気付かされた。

まず、未経験とは言ってあったけど、先輩にまではその情報が言っていなかったのか、

ある程度受けた説明がまったく理解出来なかった。

まずこれは、どういう意味なのかを尋ねると、思いっきドン引きされ、信じられない!という顔をされた。

からビビリのチキンである私は、まずいこと聞いた!やらかした!初日からおわた!と焦りまくる。

結局先輩は丁寧に教えてくれたけど、とにかく恐ろしかった。

なんでこんなこともわからないんだ、という気持ちがにじみ出ている口調で、申し訳なさと恐怖で初日から完全に委縮してしまった。

それでも分からないことばかり出てくる。ので聞かないと作業が進まない。

また時間を取らせてしまう申し訳なさと恐怖を持ちながら聞く。こわい。

またわからん。何を言ってるのかさっぱりわからん。そして超こわい。

ある程度はネットで調べてと言われたので、調べる。

本も貸して頂き、数日その本を読んだり実践したりして、なんとなく基礎の基礎の基礎位は理解することが出来た、と思っていた。

このままじゃ精神的にお互い疲れるだろうし、と思い必死ネット彷徨い、あまり聞かずに作業する事を目標にした。

ある制作を一人で作り終えた所で、チェックをして頂いた。すさまじくボロクソに言われる。ゲロ吐きそうだった。

いや、普通の注意なのかもしれないけど、必死こいて正解もわからず作ってしまったため

「どこが悪いのか」という問題点をチェックして頂きたかった自分には

完璧に完成させて、問題がない」と思ったらチェックしてもらうのが常識だ、という言葉に衝撃を受けた。

そうなのか、知らなかった…なんてこった…と思いつつ、

一か月もたたない人間が、完璧にすることなんて無理なんじゃないか、出来るのか、いや私には無理!という気持ちもあった。

完成だと思う前に聞けば良いんだろうけど、まず私はどこが悪いのかすら分からなかった。

聞けば良い場所を理解出来なかった。

本を読んだりネットで調べたりだのは所詮付け焼刃しかなく、自分はなんて頭が悪いんだ、と思った。

そういう事は、三か月も経てばすこしはマシになるだろうと信じて、ゲロ吐きそうになりながら毎日を過ごした。

それでもやっぱり、自分は何にも出来ないクズだった。

社会常識みたいなものが分からなかった。雑務や事務作業が出来なかった。

親に甘やかされ、前の会社では与えられた作業をもくもくとこなしていただけだった。

自分仕事の見通しが分からなかった。

いつまでに終わるか、と尋ねられ、頭が真っ白になった。

今日の作業で、どの位進むかすらわからない上に終わりの時間を答えられるはずがなかった。私の中では。

何度か業務をこなせば分かるようになるかもしれない。

でも今の私には分からなかった。答えられない。

言葉に詰まる私に、黙ってちゃ分からない、と怒る先輩。そして説教

何か言いたいけど、言葉が出てこない。

今までこんな風に怒られた事がなかった自分の弱小メンタルがぐしゃぐしゃに踏みつぶされる。

なんて弱くて使えないゴミ人間なんだ、と絶望した。

なぜ何度も注意されるのか、理由考えろと言われても理解が出来なかった。

チェックして頂いて、注意を受ける。注意を受けた所を、またミスして注意される。

こんなに仕事ができないのか、と自分でも嫌になる位だから

先輩は本当に腹が立っているに違いない。本当に申し訳ない。

自分なりに考えても、正解までたどり着けなかった。

考えたくても、もう何が間違ってるのかを考える余裕がなくなっていた。

仕事が終わらなくて、ゴールに向かってがむしゃらに走って、履いてた靴脱げて落っことしちゃった状態。

注意されるとハッと気付いて思い出す。

自分はなぜこんなにも馬鹿でまぬけなんだろう。

メモを取るけど、活用出来ていない。

メモとっても全然見返さない。と言われた。

メモを取って見返してない自覚がなかった。そうだったのか。アホすぎる…と思った。

思ったから、机が付箋まみれになった。

見にくくないのかと言われ、邪魔で仕方ないと思いつつ、書かないと忘れるので…覚えてられないので、と言ったら呆れられたように感じる反応。こわい。

しかもそれだけしてまだ忘れたりミスしたりが続く。

メモ取らないで良い!と言われた。

先輩から頂く忠告すら忘れそうで怖いのでメモに取っていたら、そんなこと書かなくても覚えていられる、と注意された。

でも私には無理なんだ、覚えていられないんだ、頭が爆発しそうなくらい混乱していて後半しかまともに覚えていられないんだ!

と思いつつ、怒られそうなタイミングメモは取るのをやめ、話がひと段落ついた後にこっそりメモを書きだすようにした。

やばい、前半覚えてない。詰んだ。という事が多々ある。

事務作業や一般常識もない。

責任感が足りないんじゃないかと言われた。

自分自分なりに持っていたつもりだった。でも足りないと言われたなら、足りないんだろうと思い業務を通して身につけていきます、と答えた。

後日、注意を受けている時にその話が出た。業務を通して身につけるとか、何言ってんだと思ったと言われた。

電話もろくすっぽ取れなかったので、新卒と変わらない、と言われた。

全部その通りだ。何も成長していないままここまで来てしまった自分が悪い。

とにかく先輩が怖かった。

良い人で、仕事完璧だし、頭も良いし、観察眼に優れていて、スタイルも良いし、正直尊敬している。

でも怖い。注意させているのは自分なのに、どうしてそんな言い方で注意されなきゃならないんだ…と泣きたくなる糞甘ったれ

実際毎日トイレで泣いたり帰路で泣いたり風呂で泣いたり寝る前に泣いたり、

この数カ月と赤ちゃん時代は、同じ位泣いてるんじゃないかってくらいバウバウ泣いている。

わかりました→本当に分かってるの?

ハイ→そのハイ、は本当に分かって言ってるの?

●●は○○ですよね…?→は?本気で言ってるの?

■■します→本当にやるの?全部薄っぺられに聞こえるけど。

とか言われ続けるんだけど、私がどんだけダメダメクズなのかよくわかる応答だと、書きながら思った。

ハイ、すらも満足に言えなくて、怖くて、黙って頷くだけになることが増えた。

もうなんか何言っても全部否定されるのが辛い。

時間がないのも辛い。先月も今月も残業が50時間オーバーしたらしく注意受けた。

それでも今の自分時間内に作業を終わらせられる自信がなかった。

体力面でも精神面でも、もう辛くて、なんでもないのに涙が出てくる。

親は、私が毎日泣いてるのを見て、そんな会社辞めてゆっくり休みな、向いてないんだよ。先輩と合わなくて辛いなら、辞めても構わないよ。と言ってくれる。

甘やかされてるな、と思いつつ、優しい言葉さらに泣いてしまう。

社長はとても良い人だった。この人の下で働きたいと思えた。

仕事楽しいと言えば楽しかった。出来ないけど。

辞めたいんです、と相談をしたのが今月頭と昨日。

もったいないよ。実力はついてきてるよ。成長してるよ。と言われると、もう少し頑張ろうと思える。

今月の頭に、辞めたい、ダメだもう頑張れない、と思ったきっかけの、先輩の一言

「頑張ってないんじゃないの?」だった。

口先だけで、頑張ってるように見えないと言われた。

自分の中では、ついていこうと必死でもがいてた。辛かったけど、使える人間になれるように、頑張ってた気でいた。

全部頑張ってる「つもり」だったんだと思うと、後頭部がぐっと痛くなって、破裂するんじゃないかと思った。

辞めていいよ、って言われて、本当に自分は辞めたいのかわからなくて、

社長相談して、出来るようになってきてる、頼りにしてると言ってもらえて、このまま辞めていいのか決められなかった。

たぶん私はずっと認めてほしかったんじゃないかなと思う。

全否定され続け、自分価値や自信がぐしゃぐしゃになってしまい、このままだと立ち上がれなくなりそうで怖かった。

今週辞めるか続けるかの答えを出さなきゃなんだけど、まだ答えが出ないまま。

続けたいけど、この先考えて続ける自信がないなら、逆に迷惑から今のうちに辞めるべきなんだよなぁ。

悩みを吐き出したら答えが出るかと思ったけど、答えが出せないままだった。残念だ。

2013-02-21

初音ミクは己れの自己表現の一手段だった」

と言い換えても違和感ないよね。

懐古厨団塊

「俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tomisawaissei/20130216-00023503/

に噛み付いてるブログ

青春時代彷徨い続けるオジサンが大人の音楽を騙るなんて、ちゃんちゃらおかしい」

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130220/p1

両方読んで、人間って結局自己中だからそう思うのも仕方ないんじゃね?と思った。

はるかから繰り返されてきた、昔はよかった症候群ひとつだし。

口ではなんとでも言っても、なんだかんだで自分がいいと思ったものをいいと思い続けたいというのは別に悪いことじゃないだろう。

他人に押し付けるのは別としても。


ボカロ厨じゃないけど、仮にボーカロイドに当てはめて冒頭の団塊の記事を書き換えたらこうなる。

歌は歌であって、実は歌ではない、という時代があった。もう30年以上も前の〈初音ミク〉のことだ。その時代初音ミクは歌であって、実は既成の意味での歌ではなかった。どういうことかというと、スタイルはあくまで歌だが、それを超えてしまう“何か”があったということだ。換言すれば、歌は己れの自己表現の一手段だったということでもある。かつて初音ミク時代は、歌とはそういうものだった。歌にボカロPの生きざまそのものが反映され、聴き手である私たちは歌を聴いてボカロPの〈生きざま〉に共感を覚えたのだ。ところが、年月は流れ、歌そのものが変わってしまったように思えてならない。いや、ボカロPも聴き手も、歌に対する考え方が変わってしまったという方が適切だろうか? 歌のスタイルはかつての初音ミク一辺倒の時代から鏡音リンレン、巡音ルカMEIKOKAITOなどと多様化したが、そんな中で歌は、一口で言うなら“たか音楽”になってしまった。でも、それは「歌は歌としての“純粋性”を取り戻した」というパラドックスでもある。しかし、と私は考えてしまう。いくら音楽性があったとしても、内容の希薄な歌が本当に歌なのか、と。



初音ミクボーカロイドは、私たちが作りだしここまで育ててきた〈私たち世代の歌〉だったのではないか。変にカッコウなどつけずに、素直な気持ちで自分の胸のうちをさらけ出して現在の〈人生〉を堂々と歌って欲しいものだ。私たちはそれを待ち望んでいるのである。かつてXXXX(※ボカロPの名前)が私に語った言葉が胸に深く刻みこまれている。

「今ぼくがやってることが、初音ミクなんだと思う。この頃、つくづく思うことは、ぼくが生きていること、それ自体がメッセージだってこと。この年になって、まだ現役で動画を作って、いろんなサイト投稿して。お客さん、たくさん集めて、それで頑張っている。ぼくのそんな生き方のものメッセージだと思う。言葉メッセージするんじゃなくて、生き方メッセージする。それでいいんじゃないかと思う」



汎用性あるコピペになりそう。

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