稲穂が揺れている。
乾いた大気の下で、まるで海のように揺れる稲群の中に少女は佇んで、僕のことを――稲穂の背に隠れてしまうくらい小さな僕のことを――見つけてくれている。僕が彼女の足元にまで近寄っていくと、稲穂がぱきぱきと倒れる音を立て、そしてざわりとその房が揺らいだ。彼女が、金色になった穂をかき分けながらに僕の方へとやってきて、そしてちょうど上から覗きこむ形で僕を発見した。それから微笑んだ。
少女はすぐに踵を返して歩き出していた。
彼女の栗色をした長い髪が、その動きを追って流れるように揺れる。
僕は、その彼女が歩いていく方へと、すぐに続いて歩いて行った。
稲の海の真ん中で、そして暗褐色の乾いた土壌の上で、僕たちは彷徨っていた。
いや、存在することができない。
僕達の存在は、いずれ失われたものになるのだ、とそう思う。僕たちは存在するべきではないものなのだ。失われてしまっているのだ。
だけど僕たちは歩いて行っていた。
でも、それもやがては無くなってしまう。僕たちは、いなかったのと同じことになる。
何で僕達は、生まれながらにして、何もかもを失っていたのだろう、と思う。何故僕たちは、上手く存在することができなかったのだろう。失われているということさえもが、いずれ失われていき、何も残らないということが僕にははっきりと分かった。僕たちは、実際には存在しないものなのだ。稲穂の茎が僕の目には無数に映っていた。黒に近い茶の色をした土が、どこまでもどこまでも延々と続いていた。時折、乾いた稲の繊維が折れて、弾けて、空気中に舞っていた。僕に呼吸をすることはできなかったけれど、その空気にどんな匂いがするのかということを、しっかりと感じることができた。僕は歩いて行った。
そんな時、少女が立ち止まった。
稲の折れる音が止まった。
僕もまた足を止めて、そして小さな背丈から首を傾けて、彼女の顔がある辺りを懸命に仰いだ。そこには、考え事をしている途中で我に返ったばかり、という感じの少女の顔が、ぽっかりと稲と稲との間の空間に浮かんでいて、そして僕の方を眺めていた。
でも、またすぐに彼女は微笑んでいた。そして、僕は歩き出していた。