はてなキーワード: 屋敷とは
満を持して屋敷九段登場である。言わずとしれたitumon(本人は否定? もう脱退済み?)である。
棋譜を見るともう#(解説コメント付きの意味)ばっかり。緊迫した終盤を一手一手解説してくれるのでありがたい。
人柄がにじみ出るような書き振りも好ましい。言葉の選び方がいいよね。もっと解説してくれないかな。
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LIVEの終局後解説は昨今の感想戦取材停止に代わってレギュラー化した、終局後(窪田七段は大局中にも随時更新するけど)に対局者以外の棋士が解説コメントを載せるもの。
鬼殺隊の通念に染まっていった、鬼討伐にとりつかれていった、というよりも、
4巻あたりでも言っているように、人々の幸せを壊す諸悪の根源が無惨であり無惨は本物の鬼と認識したのが大きいと思います。
6巻の柱合会議ですでに「悲しみの連鎖を断ち切るため必ず無惨を倒す」と明言しているのですから、
自分たちの仇は無惨であり、さらにほかにも自分たちのような例をもう出さないためには無惨を倒すしかない、と覚悟を固めています。
無惨と対峙したときに無惨の身勝手かつ人よがりな思想に触れて「お前は存在しちゃいけない」と言っているし、
炭次郎の目的はけっこう変わっていませんし、その目的も自発的なものです。
1話の時点ではねずこを人間に戻す、ねずこを守る、だけだったかもしれませんが、旅を通じて何が原因でこうなったのかを知り、
目的に無惨を倒す、これ以上悲しい思いをする人を増やさないために、が加わります。
無惨討伐と家族思いは矛盾するわけではないですし、というかどちらかというとリンクしている目的です。
炭次郎から家族思いの要素が消えたりはしていないと思います。最後に鬼化が止めたのは本人の性質もあるし、「家族思いのお兄ちゃん、ねずこをずっと守ってきたお兄ちゃん」の部分でもあるので、
特に炭治郎の魅力がなくなった、正気でなくなっていった、というのはちょっと個人的には「そういう受け止め方になるのか」という気持ちです。
無惨がいる限り、妹を守れないわけですから。
それから、炭治郎は終盤では16,7歳になっているわけで、両親のあの家があれば生きていくことはできるはずです。養う家族は減っているわけだし。(身もふたもないが)
想像力をもっと広げれば、鬼の首魁討伐の功績が大きいので、産屋敷の家から褒賞金なり年金なり出たと考える余地だって十二分にあります。
(9人の柱に対して『好きなだけ』給料を与えることができ、そのうち大多数は大きな屋敷を構えていたり、のんだくれニートおやじを養っていたであろうことを考えるとそのぐらいの余地はあってもいいと思う)
ねずこの結婚に関して、現実の大正時代の一般通念上、女性の適齢期は16~20ぐらいであり、結婚できず独身をとおす女性への世間の目はかなり白いものでした。(24歳ぐらいで行き遅れのオールドミス扱い…)
以前TVアニメが放送されていたのが2019年の4月から9月の事らしいので、丁度1年以上遅れて好きになった訳だ。
放送当時も一応見ていたけれど、「ああ、空の境界やFateのufotableが好きそうな作風だな」と思ったくらいでその頃はそこまで興味が無かった。
鼓の屋敷から伊之助登場あたりで顕著になったと思うけど、話の進みがそこまで早くないのだ。
OPでは初めから鬼殺隊の主要メンバーが登場しているのに、1クールが終わってようやく伊之助が仲間になるかならないか…くらいのペースに、やきもきさせられた。
2クール目の終盤など、鬼殺隊本部に連行された炭治郎と禰豆子が傷を癒し新たな任務に向かうまでの話に4話以上使うのだから堪らない。
古き良きジャンプアニメといえばそうだけど、例えばufotableが以前製作したTVアニメ版のFate/ZeroやFate/stay nightなら2クールもあれば話は終わっている。
アニメ鬼滅の刃の続編が劇場で公開される事は放送が終わってすぐに公表されていたと思うけど、この「続きは劇場で!」というやり方も正直嫌ではあった。
ジャンプ作品の長編アニメーション映画は本編と時系列上は関係ない番外編をやるもの、という意識が僕にはあったからだ。例外は殆ど無いと思う。
その結果はご存知の通り、現在公開中の「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は日本映画史の記録に残る歴代興行収入2位という凄まじい成果を叩き出した。間違っていたのは僕の方だった。
鬼滅の刃はアニメの放送終了後、女性ファンを中心に人気が爆発し流行した事が話題になった。
去年の終わりかそれとも今年の初めの方だったか、30~40代の女性に高い人気を得た作品としてTVでも取り上げられる事が多くなった。
2019年の年末に紅白でLiSAが主題歌の「紅蓮華」を熱唱した事でアニメや漫画には興味の無かった人達にも曲は有名になったんじゃないだろうか。
この作品が、ニュースで取り上げられた時のように女性層だけでなく、老若男女関係なく幅広い層に支持されるようになったのはいつからだろうか?
特にアニメをプッシュしている訳でも無いスーパーマーケットやドラッグストアー・コンビニエンスストアに、鬼滅の刃とコラボした各社の商品が並ぶようになった。
「ああ、この作品は本当に人気があるんだなぁ」と自分の身で実感出来た時、僕は鬼滅の刃の事が好きになっていた。
土曜プレミアムで放送された総集編の「兄妹の絆」と「那田蜘蛛山編」を見たのが決定的だったかもしれない。約1年振りに見る鬼滅の刃だった。
本放送時は話の進みがゆったりしていた事に不満があったけど、総集編で一気に見るとそこが解消されて良い部分しか残らないのだ。
放送終了後に人気が爆発したというのも、動画配信サイトで全25話を一気に見れる事と関係があったのだろうか?とにかく、まとめて見ると鬼滅の刃の面白さがとても理解しやすかった。
僕は鬼滅の刃のキャラクターの中でも主人公・竈門炭治郎とヒロイン・竈門禰豆子の二人が特に好きだ。
人食い鬼に家を襲撃され一人の妹を除いて母親と他の兄弟を皆殺しにされた長男と、鬼に襲われた際に自らも人食い鬼へと変えられてしまった長女。この二人が鬼滅の刃という作品の主役である。
炭治郎はこのたった一人の妹を守るために戦う。これまで争いとは無縁だっただろう少年が、鬼になった妹を守るために鬼狩りを生業としている凄腕の剣士に一本の斧で立ち向かった。
禰豆子は人食い鬼に変えられても、兄を食らいたくないと涙を流した。鬼になったばかりで重度の飢餓状態でありながら兄を食らう事より兄を鬼狩りの剣士から守るために戦う事を選んだ。
鬼狩りの剣士は、この二人は今まで見てきた鬼とその被害者とは何かが違うと感じ、この兄妹に行く道を示した。鬼になった人間を元に戻す方法を探すため、炭治郎と禰豆子は二人で孤独な旅に出る。
鬼滅の刃1話の大まかな流れはこんな感じだろうか。人を食らう怪物となった妹をそれでも守ろうとする兄と、人を食らう怪物になってもそれでも兄を守ろうとする妹。実に心に響く関係性だと思う。
この兄妹が仲睦まじく一緒に居る所を見るだけで、何だか嬉しくなってくる。現在発売されている鬼滅の刃のコラボ商品も大体この二人がセットになっているので、そこも嬉しい。
原作者の吾峠呼世晴先生やufotableのアニメーターさんが描き下ろしたこの二人の公式絵も、非常に華があると感じる。兄妹として二人一組として生み出されたキャラなので、並ぶと絵になるのも自然なのかもしれない。
タイトルには「カップリングが好きだ」と書いたが、僕は本当に炭治郎と禰豆子にカップルになってほしいとまでは思わない。元増田が言及しているように、直接的な描写が無いが禰豆子は公式には善逸と結ばれたと言われている。
もっとも、直接的な描写が無いので、善逸は禰豆子に振られてその子孫同士がくっついたのではないか?と言っている人も居る。禰豆子は鬼殺隊の風柱・不死川実弥と結ばれたのではないか?と考察している人も居る。
僕としては、禰豆子が鬼と知りながらも人間の女の子と変わらぬように接し続けた善逸の好意が禰豆子に通じてこの二人が結ばれたなら喜ばしい事だ、と思う。
一人で鬼になった妹を背負って戦い続けてきた炭治郎の優しさと頑張りに真っ先に気付いて、炭治郎の大切な物が鬼だと知りながらも命懸けで守った善逸だから、炭治郎からの評価が初期から極めて高いのも納得行く。
それはともかく僕は炭治郎と禰豆子がカップルのようになっている二次創作も好きである。前言と矛盾するようではあるけど、要はこの二人が仲睦まじければそれが良いと思っている。
禰豆子が作品のヒロインでありながら妹であるのは、主人公である兄・炭治郎と絶対恋仲にならない関係だから、という考察を聞いた事がある。
確かに禰豆子には少年漫画のファンによく居る熱狂的なヒロインアンチはどちらかといえば少なく、むしろマスコット的なキャラクターとして女性ファンからも高い人気がある。
そんな炭治郎と禰豆子がカップルになるなど原作無視も良い所ではないか!と思わなくもない。別にカップルでなくてもこの二人が兄弟として家族として仲睦まじいだけでも僕としてはある程度満足出来る。
ところで、鬼滅の刃の二次創作において最も勢いがあるキャラクターのカップリングは、鬼殺隊の水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶの二人組だと僕は感じている。BL界隈の事については詳しくないので失礼する。
しのぶさんが原作に初登場した時からこの二人は一緒に行動していた。意見の対立から二人で刃を交えたり、体を絡ませるような事もあった。アニメではしのぶさんが冨岡さんに「月が綺麗ですね」と語りかける場面もあった。
口下手であり人付き合いの上手くない冨岡さんを、何かと世話焼きなしのぶさんが構ってあげている…という関係性であり、しのぶさんはよく冨岡さんを指で突いたり二人きりになると彼を下の名前で呼ぶなど意外な一面もあった。
こうやって見ると、なるほど、確かにこの二人は親密な間柄で実は恋人同士なのではないか?と思う人が少なからず居る事も分からなくはない。冨岡さんがしのぶさん以外の同僚と壁があるのも理由の一つだと思う。
美男美女であるこの二人は、並んで立つととにかく絵になる。鬼滅の刃が何かの商品がコラボした時もいつも二人で一セットという扱いである。容姿を見ると確かにお似合いだと思う。
しかしこの水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶのカップリング、所謂「ぎゆしの」は公式設定という訳ではない。初登場時二人一緒に行動していた事以外、それ以降この二人が本編で絡む事は殆ど無かったのだ。
鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴先生はキャラクター同士の好意や恋愛関係を描くのは好きな漫画家さんだと思う。その吾峠先生がこの二人の恋愛関係を描かなかったという事は…原作でこの二人は脈が無かったのでないだろうか。
勿論公式であろうとなかろうと、二次創作を楽しむのはファンの自由である。今日も鬼滅の刃のファンはぎゆしののイラストや漫画を描き小説を書く事だろう。それだけ「ぎゆしの」に心を惹かれたファンは多い。
炭治郎と禰豆子のカップリング、所謂「炭ねず」も非公式である。こちらは鬼滅の刃の二次創作のカップリングとしてはマイナーではあるけど、見たところ熱心に愛好するファンはぽつぽつ居るように感じられる。
こちらは原作ではお互いが違う相手と結ばれたので公式になる可能性は100%無い。まあ兄妹でくっつくのはインモラルだし仕方ない事だと思う。二人とも誰とも結婚せず山奥で静かに暮らす、という展開なら無くもないだろうけど。
そういう僕からすると、禰豆子が善逸と一緒になり炭治郎から離れていくという公式の展開は少し寂しくはある。勿論禰豆子と善逸が幸せならそれに越した事は無いと思う。
炭治郎は鬼になった禰豆子を人間に戻すために、禰豆子が人間としての幸せを掴めるようにと命を懸けて戦い抜いた。その禰豆子が一人の人間としてこれから逞しく生きていくなら、炭治郎は誰よりも喜ぶだろう。
「鬼滅の刃」は炭治郎と禰豆子の兄妹の話から始まり、炭治郎と禰豆子の兄妹の話として終わった。誰にも引き裂けない強い絆を持つ二人が、「結婚」というゴールを機に自然と離れていく事に、少し物悲しさを感じた。
少年漫画の設定に合理性を求めるのは筋違いだとわかりながら、そこを趣味として読み解くために考えてみると、今のコロナの状況や他の感染症に対する各国政府の態度で「政治とはこういうもんである」って思える。
無惨も自身のことを「災害のようなもの」言ってるし、他にもこの事に言及してるブログをみたことがあるけど、最大の理由は「被害の規模が小さい割にその時代の科学技術では手が付けられない」から「歴代の朝廷や幕府は黙認してきた(戦国のような統一政府がなかった時代は地方政府では対応不能だった)」ということなんだろうな。
産屋敷が大量の鬼殺隊員を抱えて鍛錬できるほどの金は裏でどっかから流してるのかもしれないけど、政府として公に対処するには「(劇中では)関東一円限定で被害者数人規模で起きる殺人事件に対して公金を出して命知らずを募る」より他にやることがある、ということなのかも。
世のウィルスや感染症でもしぶとく生き残ってるやつは「隠れるのがうまく、そんなに急いで殺さない、そして限られた規模でしか感染しない」あるいは「感染はシャットアウトできないがほぼ安全な対処法が確立されてる」やつばっかだもんな。
メンズエステ自体人生初なのだが、恐らくこれが一般的なメンズエステではない気がする。
日本にこんな世界あるんだという衝撃があったので備忘録として残す。
住所が書いていないので電話で問い合わせた。
どうやら移転も何度かやっているみたいだ(税務署?警察?のガサ入れでも入っているのかもしれない。大家さんにバレたのかも)
入ってみると、生活感漂うマンションの中にふすまで区切られた部屋が復数あった。
部屋は飛田新地の2階のヤリ部屋そっくりで、布団が強いてあった。(モチーフにしているのかもしれない)
ごくごく普通のマンションの一室なので、隣とか普通に住んでるのでは?声聞こえないのか?という疑問があった。
40分11000円、60分14000円。Webサイトには記載されていなかった。あれは完全に対外的には健全であると見せるための見せ方なのかなと思った。
③嬢について
部屋が2~3あるので、入ってると嬢が入ってきた。
今回の子はめちゃくちゃ大当たりだった。
本来この店は日本人以外のアジア系のセラピストしかいないのだが、初めて日本人が入ってきたらしい。
オーストラリアとタイのクォーターとのことで確かにハーフっぽい顔立ちで滝沢カレンを劣化させた感じだった。
ずっと日本にいる感じで鬼滅の刃の話とかワンピースで盛り上がった。
どうやら短期バイトとして入っているらしく、普段は看護師をしていて1ヶ月間の期間限定らしい。
なぜこんな可愛い子がこんな闇の深そうな所で働いているのか、めちゃくちゃ不思議だった。吉原の高級ソープとかにいても当たりのレベルだった。
④プレイの流れ
その後バスタオルで体を拭いて再度元の部屋に戻る。
仰向けになってと言われたので、布団の上で仰向けになるとそのまま嬢が馬乗りになってきた。おっぱいめちゃくちゃでかい。
乳首を手と口で攻められる。
フェラをされる。
ゴムをつけられる。
正常位で自然と挿入した。吉原や飛田新地以外にこんな世界があるのかという衝撃だった。
可愛い子でも正常位でやっていると顔が崩れたり可愛くない瞬間があるがこの子に関しては全くそんなことがなく、間近で顔を見てもずっと可愛くて最高の瞬間でしかなかった。
その後騎乗位に変更したが、前後の動きが激しくグリグリされた。
クソ最高だった
ただ彼女はもう今月でいないとのことなのでもう行くことはないだろう
2chを見ると化物屋敷と書かれていたのでたまたま大当たりを引いただけなのだと思う
好きな漫画作品が載ってる雑誌を初めて買ったんだけど(今まではアプリで読んでた)、
表紙は水着のグラビア写真、広告はED治療・・・といういかにも中年男性向けな誌面でびっくりした。
載ってる作品は10代~の男女両方が楽しめそうな内容のものが多いのに、この表紙と雰囲気だけでレジ持ってくのすごい恥ずかしかった。
今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」
死にかけたスイカが窓を突き破って部屋に飛び込んでくるから、あらかじめ窓を開けておくと、そういう日に限って風呂場から昭和が漏れてくる。
小学生の時、マリオRPGに出てくるマロの等身大マシュマロを作るのが将来の夢だと語る同級生がいた。自分はその時「大人になったらマリオRPGのことなんて忘れて別の夢を抱いてるに決まってる」と冷笑したが、彼が今でもあの時の夢を抱いているのか、またはもう叶えているのかは分からない。
屋敷の外にはセガサターン風のポリゴンのお婆さんが規則正しく巡回していて、何でこんな事になったのかと毎日泣いている。悔しくて悔しくて、おでんを注ぎ剥ぎして作ったUFOを飛ばして未来への責任を取るしかない。
だからと言って欲しい秘密道具を聞かれてもしもボックスと回答する人には創造性を感じない。だから重ねて質問する。「もしもボックスでどんな世界を叶えるの?」と。ただその質問をして面白い回答が返ってきたことは無い。
烏に単は似合わないとは、八咫烏シリーズと言われる作品の第1作目、著者のデビュー作である
それが嫌いだ
あの1作目を読んで、続きを読む人はタフだとおもう。
嫌いな理由は
・主人公は過ちを犯すが、断罪されるだけで、そのまま物語から追い出される
この3点。
私は特にファンタジーは主人公が苦難を乗り越え、成長し、目標を達成するのを読みたくて読んでいたから、ひどく辛かった
以下、詳細。
私は本屋に平積みされた文庫版を買うも、なかなか手をつけられず積んでいた中、ウェブで漫画版が全編公開され、そちらを先に読み、心が折れた。
再読も嫌でしていないので、キャラの名前もちゃんと覚えてないところがあり、誤りがあるかもしれないことを先に謝っておく
あとネタバレがあるので、嫌な人は読まないで欲しい。
この作品は嫁取りの話だ。
中央の若君の嫁に、中央と近い東西南北の家から若い娘が選ばれることになっている。
今回も、中央にある屋敷をあてがわれる。主人公は東の、若く物知らずだが、音楽の才に長けた娘「あせび」だ。
主人公は幼い頃、こっそりと屋敷から抜け出し、若君と知らずに若君を見かけ一目惚れをした。
一目惚れをした相手が若君だと知り、あせびは「選ばれたい」と強く望むようになる。
暗闇での、謎の相手との逢瀬、物知らずな馬鹿な娘と思われていたあせびの音楽の才能に周囲が驚く様子…
しかし、暗転
恋人との駆け落ちを企て、失敗した挙句、恋人が下手人として処分されたのをみて発狂する北の娘。
昔、寵愛を受けながらも正室の座を射止められなかったあせびの母の謎を知るために、調査を依頼をした側仕えも謎の転落死をする。
家同士の力関係、腹の探り合い。嫁に選ばれるのは誰か…
終盤、あせびが無垢であるが故に、自分を好いた相手を悪意なく利用する習性がある。それは母譲りのもので、母も同様の過ちを犯した。母は帝とは別の相手と関係を持ち、あせびを身篭ったため、正室の座を射止められなかった。
というのを、今までほぼ出番のなかった若君に突然やいのやいの言われる。
何お前
そして、若君はそもそも正室を愛する気はない、形だけのものだと隠さずいい、恋心を募らせていた相手に、「それでも、お前は嫌いだ」と罵られるあせび。
なにそれ
そして、あせびは罪の自覚もないまま、家に帰され、脇役だった南の娘が、昔から若君の幼馴染みとして親しくしていたとして、愛がない関係だと知りつつも正室の座を射止める。
若君は南の娘を特別に思っているエピソードが、最後に差し込まれる。
もうぽかんとしてしまった。
続編に出てくるだろう、若君も南の娘も、応援できる気がしない
ニューヨークって総合2位になるくらいネタが面白かったのかがわからない。
なぜあのネタでファイナリストに残れたのか。どこに魅力があるのかが知りたい。
前から芸人によくフックアップされていたけど、漫才を見てもそこまで面白さを感じられずにここまできている。
ネットで少し検索してもやっぱりニューヨークは面白いっていう意見が結構多い。どこに魅力を感じているのか。
どういったところが技術的にも良いのかが知りたい。冷静に判断できるお笑いが好きな人の評価が聞きたい。
今回のネタはわりかし単純な構成だったと思う。嶋佐がボケて屋敷がツッコむという。オーソドックスな流れのコントよね。物語性がなくても成立するような。
私はもう老人である。新型コロナで死ぬかも知れないので、その前に年金を貰いたい。死ぬ前に昔の話を少ししよう。
小学校の頃、イジメられた。田舎の同じ集落(大字)に一つ年上の男の子がいて、そいつとその取り巻きに、ズボンとパンツを下げられて、チンコを見られ、立たせろと言われたが立たなかった。一緒に同じ年男の子もイジメられて、私のチンコをその男の子の尻の穴に入れろと言われた。しかし立たないので挿入は無理だった。入らないなら、ケツにチンコを当ててそのまま小便をしろと言われて小便をした。
そのイジメっ子の家はお父さんがいなくて、お母さんも何をしているのかよく分からなかった。学校などで交通事故の話をよく聞いたので、お父さんは交通事故で亡くなったのかと勝手に思っていたが、大人はその話をするとはぐらかす。お母さんは美人だった。
その集落には大きな古い屋敷があって、地方の有力者が住んでいた。なんでも江戸時代には庄屋をしていた家らしい。屋敷も江戸時代に建てられたもので、県の重要文化財化なにかそんなものに指定されているという話だった。家の主人は県庁で働いていて、課長だか部長だかなにか偉い地位にいたと後で知った。子供会なんかでは「奥様から」という名目でお菓子などが振る舞われたが、名前のないただの奥様というのが、その有力者の奥様ということらしい。
どうやらイジメっ子はその有力者の家の妾の子だったようだ。それも県庁で働いている当代の主人ではなく、その上の代のお祖父ちゃんの妾らしい。お祖父ちゃんは車の運転が出来ないので、屋敷の近くに妾を置いていたのだろう。庶民も車を持ち始めた時代だが、お祖父ちゃん世代では運転できない人も多かった。田舎の有力者の妾の子では性格も歪むというものだ。有力者のお祖父ちゃんが生きている間はそれなりの庇護もあろうが、死んだらただの厄介者になる。
不思議なことにその有力者は、県には影響力があって、農地改革とか農業用水とかで地元に便宜を図ってくれたが、町には影響力が少なかったようだ。町長や町議たちは新興勢力の建設業者で、古い庄屋の影響を受けなかった。