はてなキーワード: 冗談とは
「こんなの内輪の冗談じゃんw」みたいな反応けっこうあるな
オタクくんの口からそんなの聞きたくなかった、バカッターのバイトテロじゃないんだからさ
いつもは「フォロワーだけに公開しているつもりでもネットに投稿している以上全世界に発信されているという責任を持て!」とか言ってるのに情けない
それにさあバラエティ番組のパフォーマンス的な喧嘩(本当は仲の良い芸人やグラビアくずれがお互いをブスとか言って罵り合うネタ)、コントや漫才(あれも演劇のひとつで創作活動の一種だと個人的に思っているが)の内容に噛み付いて現実で差別を助長するとかなんとか言って中止に追い込もうとするのに
二次元キャラクター同士の罵り合いであればどんな差別的な描写もOK、だって二次元だから、三次元を相手にするものは表現を厳しく規制されるべきだけど二次元無罪、二次元と三次元の区別をつけろってずっと主張してたじゃん
今回は実在の、三次元の女性に対する誹謗中傷・名誉棄損なのにオタク無罪なの?だんまりなの?キモヲタコンテンツの話だから二次元のくくりなの?2.5次元とか言ってるけど声優は生身の人間だよ?
やっぱりオタクくんって結局その程度なんだな
※2021年の日本映画のTOP3がアニメであったことについてのコメント
アニメは日本では「主流」ではなく、「支配的」であることに注意する必要があります。
日本の映画やテレビが衰退した最大の理由は、アニメにあります。
アニメ、マンガ、ライトノベルは、実写から可能な限りのクリエイティブな才能を吸い取ってしまったのです。
アニメが国際化に成功し、実写が国内市場にとどまっている間に、この傾向はますます加速している。
日本では、作家、俳優、アーティスト、技術者、監督などの志望者は、2つの選択肢に直面する。
それは、極端に限られた予算と機会の中で競争し、縮小し続ける国内市場の中で忘却の彼方へ向かう国内映画やテレビを作ることである。
ほとんどの作品は、韓国や米国が現在できることに比べれば冗談のようなもので、実写に関心を持つ少数の国内視聴者にしかアピールすることができないのです。
仮に1/10000の成功したアーテイスト映画があって、国際的な賞を取ったとしても、無名で低収入、フランチャイズ構築もできないから、次回作も知名度ゼロからのスタートになる。
アニメやマンガを作れば、爆発的な予算と無限のチャンスを生かすことができ、アニメに対する飽くなき欲求を持つ世界中の大勢の観客のおかげで、前年比10%増の成長を遂げることができる。
この業界では、新しいプロジェクトが無限にあり、経験豊富なスタッフが急速に昇進し、監督になることができるため、(声優を除いて)非常に簡単にスタートすることができます。
あなたが作るアニメは、クオリティと人気の点で世界をリードし、ハリウッドや中国までもがあなたの教え子となる可能性があります。
たとえ小さな成功しか収められなかったとしても、海外の小さな熱心なファンがあなたを認め、覚えていてくれることでしょう。
アニメーターには、素晴らしいショットをクレジットし、賞賛するサクガコミュニティがあり、声優には、あなたのキャラクターをすべてリストアップし、トークショーをすべて聴き、いくつかの翻訳をする熱心なファンがいます。
最近は収入だってよくて、2019年にはアニメ業界の平均収入が日本の平均を超え始めている。下っ端のアニメーターはまだ苦しいが、実写の制作スタッフは経験者でも10倍は苦しいだろう。
冗談に決まってんだろ
冗談で言ってるのか本気で言ってるのか悩む
専用の2Lぐらいの入れ物が1個500円ぐらいでそれを買えばあとは何度でも汲みに来れるっていうアレだ。
見るからにケチ臭さそうなオバちゃんが専用容器に水をタプタプにしてはいるアレだよ。
あんなものを使って水を汲むなんてまるでアフリカの恵まれない子供たちみたいじゃないか。
そう思っていた。
帰郷した僕が勝手知ったる自分の家とばかりに実家の冷蔵庫を物色しようとすると、ソレは冷蔵庫に収まっていた。
水としか思えないものが2Lぐらいの真っ白いポリタンクに入って2つ並んでいる。
冗談めかして
と聞いてみた。
親は答えた。
と。
親が言うには浄水器のフィルターが減価償却される時間と値段を考えれば、スーパーで水を貰う生活を1ヶ月も続ければ元は取れるらしい。
なんだかんだ平均で1人2Lほどの浄水を毎日使うので毎日スーパーに行っているらしい。
両親揃って年金ぐらしに突入して暇しているから出来ることのようだ。
客寄せのためかいいフィルターを使っていると言っていたが、たしかに実家で飲む水の味は昔より美味しい気がする。
というか、実家で飲んだ水の8割ぐらいは使い古しのフィルターにまだ効果があると信じてほとんど何も濾過されていない水を飲んでいたのだと思う。
有料のペットボトル水、たとえばコンビニの「霧島」なんかと違って妙な感じもせずタダすっきりとおいしい水なのも毎日使うことを考えると助かるだろう。
どうも話を聞いていると両親はその容器を購入してからはほとんどその店で買物をするようになっているらしい。
図々しさを極めれば水だけ汲みに行って何も買わずに帰ることも出来るのだろうが、どうもそれは出来ずついでに何かを買ってしまうのだという。
僅かな投資で朝的な利益を得ているのはスーパーの方なのだろう。
固定客の確保という大仕事をボタンを押したら水が出るだけの機械がやってのけている。
両親は飲み水の確保をスーパーに委託したことでスーパーに縛られているのだ。
スーパーは水という最大の資源を利用して人々の生活を支配しているのだ。
やはりアフリカだ。
エッセイだろうと随筆だろうと、それこそ小説だって根っこの部分はそれが全て。
教養がない? ご冗談を、貴方の読書体験は間違いなく血肉になっている。
10歳からリラックマの特大ぬいぐるみとずっと寝ている。色々あり5代目になったので歴代の思い出を書く。
・初代 10歳〜18歳
兄がモテたいという理由でクレーンゲームの練習をしていて、弟(俺)にぬいぐるみをとってあげたいとごまかし親から金をせびりチャレンジしたらなんとたった500円でとれた。
今のものと比べると目が小さめで離れている。
本当は下宿先に連れて行きたかったが、度重なるお風呂(洗濯)で中のワタがせんべい並みに硬くなってたからなんかもう申し訳なく実家の椅子に座らせてきた。もちろんまだ座っていてじいちゃんの帽子をかぶせてもらっている。
・2代目 18歳、19歳
下宿先ではノーリラックマの生活を送るはずだったが、さみしさに耐えられなくなり購入。大学1年の時にできた彼女には可愛がられていた。でもその彼女とセックスするときに彼女が俺からリラックマを奪いベッドから雑に落とし、「リラックマの代わりになってもいい?」と言ってきた。miwaに似ててかわいかったし多分それできゅんとくるやつもいるんだろうが俺はリラックマを雑に扱われたこと、リラックマの代わりになれると思っている傲慢さに無性に腹が立ち、別れた。
次の彼女もリラックマを可愛がってくれたのだが、ある日急に「これって元カノも触ってた?」と言い出した。俺が一瞬黙ると、彼女はリラックマを窓から投げ捨てた。そのあと盗まれた。俺にとって色々と辛い出来事だった。
・3代目 19〜22歳
2代目との別れを癒すために、躊躇はしたが3代目を購入。1代目とだいぶ顔が変わっており、なんとなく柔らかい表情になっている。
3代目は手放すまいとしていたし洗濯も手入れも超丁寧にやっていた。
が、本当に仲良くしていた留学生が家族を亡くし緊急帰国することに。よくうちに泊まりにきて朝まで話したりしていた時、そいつはリラックマに優しくしてくれたし、だっこしてくれて本当に気持ちいいしかわいい、欲しいとはしゃいでいたのを思い出し譲ることにした。
押し付けるのも嫌だったので、冗談半分本気半分だけど…という言い方をすると、俺を抱きしめて本当にありがとうと言ってくれた。
今もfacebookにたまに3代目とのツーショットを載せてくれる。
4代目? 23歳〜
就職してからの初任給で4代目を購入。忙しかったからネットで買ったら間違えてサイズが一回り小さいものになり、かなり落ち込んだ。俺は頭をおなかにうずめられるサイズがよかったのだ。でもリラックマはリラックマなので、腕におさまるサイズもいいか…とすぐ慣れた。
25歳の時に今の嫁になる女性と出会った。彼女はぬいぐるみどころかキャラクターものに一才興味がなかったが、泊まりにきて布団を片付けてくれた時に、リラックマに優しく優しく布団をかけ、ぽんぽんと撫でた。その時俺はこの人と結婚しようと思った。
5代目 27歳
26歳の時に彼女にプロポーズした。なかなか二人で住む家が見つからず、俺が多忙だったこともあり彼女に色々任せっきりになってしまった。
家が見つかり契約したものの家具選びも俺があまりインテリアに興味がないこともあり彼女に任せることにした。
仕事がようやく落ち着き、幸せな気持ちで2人の新居に荷物を運びにいくと、あたたかい木のテーブルとチェア。
そういえば顔合わせも実家ではなくお店だったのでサイズがわからなかったんだろう。
今日、本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった
日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議な小説だ
数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの
一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする
夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地裏から訪ねてくるルートを幾何学的に説明していたのを覚えている
小説の地の文で風景描写や位置関係を説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題の説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う
「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった
昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ
だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った
夭折したドナルド・エヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった
既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的な書簡まとめみたいな感じ
僕はドナルド・エヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている
ドナルド・エヴァンズは架空の国の気候や政治を想像しながら切手を水彩画で描いて作品にしてた人なんだってさ
著者は実際にドナルド・エヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前親しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身のドナルド・エヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ
こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい
小出しにされるドナルド・エヴァンズという人物の肖像と人生、旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルド・エヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしまう
こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルド・エヴァンズが好きになっていくんよ
少年時代に切手収集が共通の趣味だった親友の切手が誰かに盗まれてしまって、ドナルド・エヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手を作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった
皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手に想像していいな、うらやましいなとか思った
こういうのを洒脱な文って言うんだろうか
なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった
二人目のB子さんは、ある意味で私と同期だった。私がK市に採用された年に、高校を出たばかりの彼女が入庁してきた。
K市に入ってからの私というのは、せっせと新人公務員として基本的な事柄を勉強したり、各庁舎をぐるぐると見回って雰囲気を掴んだり(大抵は職員への挨拶を兼ねている)、K市が主催するイベントにスタッフとして十数回と参加したり、多くの自治体の職員が集まる研修に出席したり、ほかの幹部がまとめた人事政策に対してフィードバックを述べたり……あっという間に5ヵ月が過ぎていった。
その頃だった。B子さんについての苦情が寄せられたのは。毎年9月にある新人職員への人事面談の折に、B子さんのいる課から上がってきた。一応、直属の上司も事実であると認めた苦情ということで、今度はB子さんと面談室で話をすることになった。指導的な色合いが強い内容になる。
今でも思い出す。あの女は人生をナメていた。なめ猫なんて甘っちょろいものではない。すでに組織を蝕む害獣となりかけていた。
面談室に入ってきた彼女を見て衝撃を受けた。髪の毛は脱色しているし、恰好は女性向けファッション誌に出てくるそのものだったし、朱色のスカートの丈は相当な短さだったし、口紅は真っ赤だったし、ピアスをしていたし、首に〇〇〇〇〇もついていたし……どこから突っ込んでいいのかわからない。
私も、世間一般では活発で知られた営業会社で働いていたが、彼女ほど派手な恰好の女子社員はさすがに見たことがない。せいぜい茶髪や控えめなチークだった。多くのお客様の前に出ないといけないからだ。
A夫さんの時と同じく、面談室の両側のソファにお互いに座った。こちらには人事課長が、向こうにはB子さんの直属の上司がいる。
面談が始まった。初めに私の方から、「B子さんですね。お仕事で忙しいところすいません。まずは事実の確認ですが、今着用しているような衣服を先輩に注意されたことはありますか」と尋ねた。
以下、大まかなやりとりになる。
「その先輩には、なんて言って答えましたか」
「私の自由です、と何度言ってもわかってもらえないんで、『ハラスメントです、やめてください、気持ち悪いです。これ以上は親に話します』と伝えました」
「それは、先輩があなたのことを思って言ってくれたのではないですか?」
「違います」
「では、どんな気持ちだったと思う?」
ほかの行動、例えば自分が気に入らない職員を無視するとか、夜の窓口勤務中にチョコレートを食べながらほかの女性職員と雑談していたとか、勤務時間中に携帯をいじって過ごしていたことなど、色々と聞いていったが、終始ブスッとした調子で返答するのみだった。最後に、だるそうな口調で「何とかやってみます」とだけ告げた。
面談中、私はB子さんの履歴書や採用試験時の成績を見ていた。偏差値50くらいの公立高校を出ていて、英検や漢検の初級程度を持っていて、採用試験(筆記試験)ではほぼ満点を取っていて、性格適性検査ではやや嘘つきと出ていて、肝心の面接試験では、「明るくハキハキしていて、利発な印象を受ける」とあった――採用試験でわかることなど、この程度のものだ。
いったん話は逸れる。私が採用された背景(どんな目的を叶えたくて私を採用したのか)、当時の市長から受けた勅命を述べる。
「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」「次世代に残すべき職員を採用する」「そうした職員が辞めない環境を作る」といったものだ。
冒頭に述べたように、このK市の新規採用職員の3年以内離職率について、十数年前は1割未満だったものが、私が市長からスカウトされた年には約35%まで悪化していた。20人採用したら、3年以内に7人が辞めていることになる。3年超えになると、もう数パーセント上昇する。
辞めた者の中には、将来を嘱望される人材が何人も含まれていた。ボリュームゾーンは30才手前で、これまで将来を期待されて県庁や国の機関に出向したり、エース級の職員が配属される部署で頑張っていた職員らが退職を選んでいた。この状況を正すことが、私に課せられた任務だ。
市長の談によると、人事課が収集した退職理由の中でトップだったのが、「将来、昇進しても幸せになる未来が見えない」で、肉薄して2番目だったのが、「異常な言動を取る職員が多いうえ、上の人が彼らに何の対策もしない。働いているのがばかばかしい」というものだった。
このうち、私が解決に役立ちそうなのは二番目の課題だった。一番目の課題は、プロパーの職員が自ら考えて実行すべきことである。外部の人間である私が考えるのはお門違いだ。アドバイスはさせてもらうが……。
話を戻す。
これらを踏まえて、B子さんへの対応を考えることになる。面談を終えて、私はその場で人事課長に目配せをして問いかけた。
「B子さんを切りましょう」
「試用期間とはいえ、難しいのでは。やめておきましょう。あの子はまだ若い。立ち直るかもしれない」
ツッコミが入った。想定どおりだ。
試用期間中の分限免職処分は、K市はもちろん、県内他市町でもほとんど例がない。が、私はそれに成功した市町村のいくつかを研究していた。
「試用期間での成績が不良である場合、正式に採用しないことができます。判例を調べましたが、いくつかの市町村では実際に行われているようです」
「うん……考えるべきところではある。あの子は、ちょっとひどいとも思います。ただ、私の権限ではちょっと決めかねます」
「わかりません。市長にも副市長にも総務部長にも伺ってみないと。これは全庁的な問題なので、もっと、いろいろと議論を重ねてみるべきかと」
「市長は問題ないでしょう。ほかの人は私が説得してみます。しかし、第一には人事課長であるあなたの職分ではないですか」
「それはそうですが、職員の進退そのものを判断することはできません。それを言うなら、私さんの役職は一応は部長級なんですし、私らと違って一流の会社にいましたし、市長の元部下なんでしょう。私よりもやりやすいんじゃないですか。とにかく、私にはどうすべきかわかりません。例年であれば、あの子はそのまま正式に採用されます」
人事課長は乗り気でないようだった。
それから面談室を出て、人事課に戻って、課内の奥野須美に着席した。
私の机と椅子は人事課の奥にある。
2022/01/02 追記 奥野須美さんには着席していません。奥の隅の誤りです。
その後も何度か討論を重ねた後、B子さんへの対応が決まった――退職勧告だ。
後日、総務部長の口頭での承認を得た。市長は、「お前の好きにやれ。判は押す。証拠は絶対に固めるように」とのこと。副市長は猛反対だった。予想どおりの瞬殺だった。
そして、不安そうにする人事課の職員らに対して私は、「市長からは、現場で判断していいとの答えをもらっています。何かあれば私が責任を取ります。あなた達に迷惑はかけません。協力を求めます」と答えた。
責任など取りたいはずもない。が、ここはレイズの場面だ。攻めるのだ。戦え。今しかない。ここで勝てれば、私の信用は外部登用組の管理職(※当時、国や県や民間から計4人の出向を受け入れていた)の中でも相当に高くなる。ここは何としても取りたい。
方針が決まったとなれば、後は実行だ。
今回のメンバーは、人事課長と私だった。前回は私が面談を主導したので、今回は課長が行うことになった。こういう貴重な経験は、多くの人間でシェアすべきという考えによる。
人事課長は、不安そうな顔つきだった――この人は将来を嘱望されている。当時は50代半ばで、順当に上の人間の席が空けば総務部長にもなると言われていた。
「安心してください。上の人間は『方針』を認めています。あくまで方針だけですが。今後のK市のためにも、ぜひあなたが実施すべきです」
私が激すると、彼はしぶしぶ動き出した。
そして、いよいよ始まった面談は、思ったよりも淡々としていた。B子さんが面談室に1人で入ってきた時、人事課長がソファの中央に腰掛けていた。話の最中は、私が脇にある椅子で見守っていた。
さて、Bさんとのちょっとしたやりとりの後、人事課長は「あなたを本採用できません」と告げた。それから、理由などの説明が終わると――B子さんは顔を一瞬だけ歪ませて、また元の顔に戻ると、「わかりました」とだけ告げた。面談後は、泣きそうな表情でその場を後にした。抵抗はなかった。
あっけないほどすぐに終わった。時間にして5、6分だった。もっと抵抗されると思っていた。本人もわかっていたのではないだろうか。自分がこうなることを。
「〇〇課長、やりましたね。苦しかったでしょうが、これが新しい一歩なんですよ。踏み出せたじゃないですか」
私は、片方の拳で人事課長の脇腹を貫いた。彼はちょっと痛がるようにしてから、拳を額に当ててソファの上で態勢を沈ませる。
神妙な面持ちで、「B子さんは何とかなるんですかね。これは脅しの一種ですよね。反省すれば、クビにはならないんですよね?」と呟くように述べた。
「お前みたいな悪いお人好しが組織を腐らせるんだよ。もっと組織のために悪者になってみろ」
という言葉を飲み込んで私は、その場の片付けを始めた。
B子さんの退職の話を聞いた副市長が、再び私と総務部長を呼び出した。やはり逆鱗に触れたようだった。今回は稟議書(※B子さんの聴取記録のこと。A夫さんは犯罪の関係で市長までそれを回す必要があった)を回すほどの案件ではなかったのに、なぜわかったのだろうか。私だってB子さんの今後を考えている。分限免職だが、形式上は年度末での通常の退職という形にしていた。
副市長とは激しい議論になった。彼が退職するまで、少なくとも5回は苛烈な論戦をした思い出がある。私は何度も説明した。これから公務員業界が厳しくなっていく中で、これまでの人事政策を変えていく必要があることを。勤務成績が極端に悪い職員を追い出すことの合理性を説いた。
が、わかってもらえることはなかった。副市長は、人事課の主導で職員を辞めさせるのを避けたいようだった。最後に、こういうやり取りがあった。
「市長が「それでいい」と、どうしても言うなら私は反対しない。一番に重い責任を取るのは市長なんだから。しかし……こうした案件について私は承認しない。法令上は、市長の意思さえあれば有効な意思決定だ。やりたいなら好きにやれ。もうこういった件は私のところに持ってくるな。不愉快だ。いいね?」
「いえ、それでも副市長に話は持っていきます。ここのルールですからね」
数日後、B子さんの母親から人事課に電話がかかってきた。電話を受けたのは私だった。「B子の母です」と名乗る声を聞いた時、私はB子さんに関係する資料を手元に手繰り寄せた。
「この度は、娘が申し訳ないことをしました。本当にすいません」
開口一番がそれだった。
B子さんが本採用にならなかった理由は本人に説明したが、母親が再確認をしたかったようだ。
「理由はB子さんが述べたとおりです。公務員、いや社会人としてよくない面が多すぎました。もちろん、いきなり職場に来るなということではなく、来年3月末までは在籍できます。給料もボーナスも満額払われます。その間に、また就職活動の方をしていただいて~」
「本当にすいませんでした……お給料までお支払いいただいて。今回はご迷惑をかけましたが、何かあったらまたよろしくお願いします」
終始謝りっぱなしだった。この子にしてこの親あり、という俗諺の例外を今まさに見ていた。
「この親からあの子が育ったのか!?」とその時は何となく考えていたのだが、後日、答えのようなものが見つかった。申し訳ないが、ここで公表することはできない。一線を越えていると判断する。
その時、私の中に罪悪感のようなものが込み上げてきた。世の中には、どうしようもない事情というものがあって、それに翻弄され続ける人間も当然に存在する。B子さんも、その1人だった。
少しだけ話そう。あの後、総務部長が、「せっかくだから、もっとあの子を調べてみたら」と助言してくれた。指示されるがまま、市民課(住基ネット)や税務課(税務情報システム)や福祉課(福祉情報システム)でB子さんの情報を集めてみた。すると……。
今の私が、当時の私にアドバイスをするとしたら、「あと1年は様子を見てもいい」(地方公務員法には試用期間延長のルールがある)と告げるに違いない。
いかに私が民間企業で人事責任者をやっていたとしても、人にはその数だけ事情がある。即座にすべてを把握する力はない。結果的に、私はそれを汲み取ることができなかった。もっと、深く細かくB子さんに寄り添っていたらよかった。
ここまでの描写だと、まるで私と副市長が犬猿の仲だったように映るが、実際には違う。仕事で一緒になることがあれば、普通に冗談などを言い合っていた。
例えば、遠方にある他市町の児童福祉施設を視察していた時だった。市長、副市長と私その他は、保育の現場を見た後に自由見学していたのだが、やがて2階の大きな吹き抜けになったフロアの隅に辿り着いた。そこには、「幼児 プレイコーナー」と看板に書かれたスペースがあって、どうやら小さい子ども向けの遊び場のようだった。プラ素材の小さい滑り台から、小学校低学年向けのジャングルジムまで、様々な遊具が置いてある。
副市長は、「あの名前は気に入らない」と呟いた。文書のインデントが0.5文字ズレているだけで不機嫌になる人だ。例えば、いま私は、上の「幼児 プレイコーナー」を半角スペースとしたが、K市で働いている時なら公務員業界の慣行に従って全角スペースにしただろう。
私は、「一般的な名称だと思いますが……どこかおかしいところが?」と意見したところ、「色々ある」とだけ返ってきた。
夜になって、視察終了祝いの一次会があった。さあ次はどこで飲もうかと、市長や副市長その他と歓楽街をうろついていた。このレベルの役職の人はK市内で飲めないため、こういった視察が貴重な機会になる。
と、酔っぱらった副市長が私の襟ぐりを掴んだ。風俗街の一角を指さしている。
「幼児プレイあります」「ママに甘えたい!」「授乳もOK」などと書かれた看板やのぼりが立ち並んでいた。
「後で行ってみるか。おごるぞ」と意気込む副市長に対し、市長が「昼もやってるみたいだ。なあ副市長、視察の前に(以下自主規制)」とツッコミを入れていた。
それで私は、「もしかして、副市長はあのとき風俗のことを考えてたんですか!? あの真剣な顔で、さっき現場で見たどの先生がよかったとか? ねえ副市長」
「ふざけているのかお前はッ!! 真面目にやれ!」
副市長は激昂していた。
歓楽街の一角で怒鳴られる私を尻目に、市長とほかの幹部はどこかに行き始めていた。
「わからないです」
「法律では満1歳から就学前の子どもを幼児と言うんだろうが!! あそこには小学生も遊べる立体遊具があっただろうが!! 矛盾に気づけッ!」
「すいませんでした」
年に一度は視察などで副市長と飲む機会があったが、普段が真面目すぎるだけで、面白い顔もちゃんとある。
人間は基本的にそうだ。あなたにとって好きな面も嫌いな面も、両方ちゃんと澄んだ目で見ることができるのなら、ケンカになっても関係が壊れることはない。
あなたは、自分が嫌いな人間のことを認めることができるだろうか。人のいいところを見つけることができるだろうか? 自分でも今、何を書いているのかわからなくなってきた……。
Siri「スマホとかけて髪の毛ととく。その心は・・・だんだん薄くなってきています😂」
あぁ!?!! 😡😡😡
おいApple、ハゲネタはコンプレックスを逆なでする極めて愚劣な容姿差別だぞ。😡
度し難い・・・😡
お前のそれは冗談とは言わん😡
見損なったぞApple😡😡😡
彼氏が転職する事になり生活時間が合わなくなる為、少しでも一緒にいられるようにと同棲を始める事にした。
その当時私は元々の自分の仲良しの友だちとはお互いの引越・仕事・結婚で少し距離があり、彼氏公認で都合よく遊べたのはその彼氏の仲間達だった。
飲みや他の遊びにもくっついて行った。
その人とは二人でも飲みに行ったり休みが合えばちょっと遠出したりした。
ほかの仲間内の誰よりも踏み込んでお互いの話をしたけど、私もその人も彼氏の存在が大きかったので何も起きなかった。
でもその時は本当に1番仲良かったから、
「私達はもう友だちだから、もし今後彼氏と別れても仲良くしてくれるよね?」
って聞いた時、曖昧な笑みだけだった。
あ、やっぱりこの人にとって私なんかより彼氏の方が大切な仲間だ。調子に乗ってた。って恥ずかしくなった。
そう思ったからそれ以上は求めず、
そして彼氏の事は大好きだったし付き合った当初から結婚も考えていて月日と共に順調に進んだ。
そのうち私達を筆頭に仲良くしていた全員が結婚出産を経て集まりもほぼ消滅。
年に数回集まるにもなかなか休みが合わないような状況、そして私も子どもの面倒があるから集まりがあっても行けないことが多かった。
私はお手伝いは色々したけど、ちゃんとしたメンバーではないし男同士で集まる方が自然で楽しいだろうと、仕方ないなって思ってた。
3年前、夫が浮気してる事が分かった。職場の事務員、そして未遂だけどtwitterで会おうとしてる人がいたり、エロ垢ともやりとりして画像貰ったりしてた。
夫は嘘がつけない人で多忙で時間もないと思っていたし大好きだったから全く疑ってなかった。
その日で夫に対しての信頼は消えた。
浮気が分かったときは私の育休明け1日前。次の日から仕事復帰だった。
当時の私の職場は夫と出会った場所だったからほとんどの人は夫の事を知っていた。
夫は何年も前に転職しているから、浮気発覚の次の日にも関わらず夫の近況など色んな人に聞かれた。
辛かったけど別れる事は考えられなかったから結婚生活を続ける為に周りに言わない事を決めた。
一人だけ本当に信頼してる高校時代からの男友達だけに聞いてもらって他の親友や家族など誰にも言わないことを決めた。
周りの人達は皆優しくて心から信頼してる。私が決めた事には口出しせず話を聞いて味方してくれる事はわかっていた。
それでも『浮気されたかわいそうな女』のレッテルを貼られる事が嫌だった。なけなしのプライド。今でもこれは変わらない。
変わらず仲良くすると決めたから今も仲は良い。他の夫婦よりもきっと仲良し。
セックスもする。昔から相性がよかったけど、10年以上たったらもっとよくなった。
浮気発覚後は夫から触れなくなったけど、自分からめちゃくちゃ求めた。
それでも、された事は忘れられなくて今も思い出すし、もっと以前のことも信じられなくて疑う気持ちもある。
平気なフリで冗談めかして残業や出張の時にホントに仕事だよね?って言ったりはたまにする。牽制程度。
でもうまく隠されたら結局あの時みたいに分からない、一度バレたから今度はもっと気をつけてるのかもしれないって思う。
関係だって一見対等だけど、対等じゃない。夫は私に負い目があるし、私も何かあればお前は浮気をしたくせに、って気持ちが湧き上がって見下してる。
それでも夫のことは変わらずいまでも大好きで良い夫で良い父親で一緒にいて飽きないし楽しい。
秋、地元に帰る事になったと私も含めた仲間のラインに連絡がきた。
コロナ禍で2年近く会えてなかった。
長男なのでいずれは帰ると随分前に聞いてた。
勝手にもっと先だと思ってたけどもう出会って10年以上たっているし将来を見据えたらちょうどいい年齢だと気づいた。
この何年も私は皆の中ででしゃばらない、と決めていたけど、最後に何かしたい、と思いすぐに夫含む仲間達に呼びかけて私達なりの盛大なお別れ会を開いた。楽しくて懐かしくて最高の時間だった。
お酒が飲めない私は皆を家に送っていく事にした。
一杯位は飲めるけど終電で帰れない可能性が高かったし、飲まないほうがいいだろうと思って飲まなかった。
夫は潰れていたので家で待ちたいって言った。
他の人は比較的家が近かったから先に送って欲しいって言うから送った。
少しの時間だったけど、最後に二人きりで話せた事が純粋に嬉しかった。
いいよって車内で抱き合った。
ダウン越したったから肌のぬくもりとかは感じれないけどそれがちょうどいい距離間だったと思う。それだけでもよかった。
腰に手をまわされて首すじにキスされて、
あ、やっぱり勘違いじゃなかった。
たぶん、この人も私と同じ気持ちだったんだと感じた。
私もマスクを外した。
10年前、私達は若かった。
あの時に何かあってもいいなって思ったりもしたけど、何もなくて良かった。
たぶんズルズルした関係になって自然に終わって、夫に対しても罪悪感が芽生えてうまくいかなかったと思う。
いま、お互いに家庭を捨てて一緒になりたい思いはない。
でも何もないだけでは終わりたくない、
一度で良いから触れ合いたいと、
何度か深く唇を合わせた。
でもまだ私の心の準備ができてなかった。
夫と同じになっていいのか葛藤があった。
後日酔ってない時に時間を作ってでもやっぱり会いたいと思ったら連絡して。とズルいけど委ねた。
予定が合わなかったら仕方ない、むしろその方がいいのかも、と思った。
後日、私達は年明けに会う日を約束をした。
その日セックスするんだと思う。
最後のいい思い出、ともなんだか違う。
夫と付き合ってからは他の人とすることはないと覚悟していたし特別不満もなかった。
結婚後、夫にはもっとセックスしたいって訴えたりしていた。浮気されているとは露知らず。
でも、そのぐらい夫とのセックスは最高だと今も思ってる。
日にちを約束してからこの日にセックスをするんだと思うと、疼いて仕方ない。
単純に夫以外とのセックスが楽しみなのかもしれない。
でもこの人はどんなセックスをするんだろうと1X年前に少しの期待を抱いた相手であるのは事実で。
純愛なんかではない。たぶん最後の火遊びのようなものだし、誰にも言えない悪い事だと自覚もある。
終わったあとは後悔と自己嫌悪でいっぱいになるかもしれない。