はてなキーワード: 冗談とは
「最高の童貞卒業セックスにしような!やりたい事全部やろうぜ!」
11月のある日、私と後にセックスする友人ともう1人で通話していると「女の子は誰とでもセックスできるわけじゃないよね」という話になった。
「誰とでもできるわけじゃないけれど好きな人以外ともしてみたい」普段人には言えない欲望をさらけ出す。するともう1人からそれなら彼とならできるのかと冗談混じりで問われた。私は「できるよ。私としてみない?」と彼をからかうような返事をする。彼は戸惑いながらも「俺で良ければ」と答えてくれた。私は最高の童貞卒業セックスをしようと約束をした。
あれよあれよと話は進み、クリスマスにする事になった。
彼とは数年来の友人だ。ネットで知り合いオフでも遊ぶようになってからも長い。オタクがこんな流れでセックスをするなんて。オフパコって本当にできるんだなぁ、友人とするなんてエロ同人みたいだ。そんな貴重な経験ができる1日を楽しみに待った。
クリスマス当日。
普段遊ぶ感じとあまり変わらないように振る舞っていたけれど、私も緊張していた。デートという言葉の重さに狼狽してしまう。初めてではないが経験豊富とも言えないクセに見栄を張ってしまった事を少し後悔した。素直になれない自分が情けない。
デートはとても楽しく、彼の気遣いに触れて彼女になれる人が羨ましいと感じた。不慣れさやその不器用さが愛おしい。
雰囲気を出す為に夜は手を繋いだ。この手でえっちなことされるんだと思うとそれだけで興奮する。楽しい夜になりそうだ。
キングサイズのベッドや広いバスルームにここがビジネスホテルではないことを実感する。えっちなことをするための場所だと意識させられてしまう。そう、今から最高の童貞卒業セックスをするのだと。
今回セックスするにあたって「お互いやりたいことをストレートに伝える」というチートモードにさせていただいた。気兼ねなくあんなことこんなことをお願いできるなんてはちゃめちゃに最高だ。
「一緒にお風呂入ろう」
私から提案した。その方が楽しいというのが1番だけれど、お風呂待ちの時間が寂しいなというのもある。服を1枚脱ぐたびに恥ずかしがったりブラジャーを外してもらったりキャッキャウフフした。こういう時が一番楽しいよな。背中を流したり足を撫で回されたり戯れあいを楽しんだ。しばらく他愛無い話をしたのち照れながら「えっちな事するか」と湯船を出た。
まずは彼の「明るい場所でしたい」と私の「ローション素股」の希望を満たすべくそのままバスルームで始めた。立ちバックの姿勢で太ももコキのち素股。バックの支配されてる感とぬるぬる素股でクリトリスが擦れて気持ちいい感覚がとても好きだ。初っ端にこのプレイができてとても満足した。
素股に満足した後はいよいよベッドイン……の前に私が熱望した「オナホールで扱いているところを見せて欲しい」という夢を叶えて貰った。しかも透明なオナホで!断面図が好きなのでこのオナホを買ったらしい。中の様子がリアルタイムでわかるってえっちなんだよなぁ。思っていたよりもオナホ自体の圧が強く、手で圧を加えているわけではないという知見を得た。フェラっぽいオナホは本物のフェラとどう違うのかとかまた新たな好奇心が芽生えた。
オナホにこの日のために溜めた精液を出したくないということでオナホコキはそこそこにベッドイン。まずは「味付きコンドームは本当に美味しいのか」という私の疑問を解消すべくゴムフェラをした。蝶のやつのいちご味を装着し軽く舐め回す。たしかにイチゴの味がして感動した。でも5分も持たずゴムの味になってしまったため即ゴム外して生フェラに。やっぱり生が1番美味しい。気持ちよさそうな顔をしてくれていると私も嬉しい。イラマチオもしてもらい大満足。口の中犯されるの気持ち良すぎる。
次は手マンしてみたいということで仰向けに寝そべりM字開脚。ローションつけた手でぐちょぐちょにされた。ローションつけてるからそれ以上濡れてるかは分からないだろと思ったけれど、バレてたみたいで恥ずかしかった。身体は正直すぎる。筋を撫でられる感じがされた事ないタイプの触られ方で新しい刺激を得た。
正常位でお互いの顔を見て照れながら膣内にゆっくりと入ってくるちんこの感触を味わう。私の様子を伺いながらピストンされる。新鮮で嬉しかった。セックスはコミュニケーションとはこの事だなと私もこの言葉を噛み締めていた。ピストンされながらおっぱい揉まれて乳首責められるの好きすぎてされると声が出てしまう。今思えばもっと声出せば自信持ってやってくれたのかな。ちゃんと気持ちよかったよ……!あえぎ声聞かれるの恥ずかしくて抑え目になっちゃった事反省してる。正常位で抱きつくの相手の体温がダイレクトに伝わってとてもえっちだ。
ピストンしやすい体位がしたいと次は立ちバック。乳首を責められながら激しめのピストンをされ恥ずかしい声が抑えられなくなってしまう。奥の方を突かれるの好きでゴツゴツされるの良かった。お互い気持ち良くなったところで射精。出している時奥にぐりぐりされるのマーキングされてるみたいでいいなあとなった。
ゴムに溜まった静液をみて彼がいっぱい出たなあと言っていたのがたまらなかった。自分でこんなに出してもらえるの幸せだ。くくったゴムをエロ同人でよく見るよなと笑い合ったのクソオタクだと思う。
彼は私の足をえらく気に入っており撫で回したり頬擦りしたりするだけでは飽き足らず「舐めてもいい?」と聞いてきた。やりたいことやろうぜ!と宣言しているのでもちろんOK。初めて足を舐め回された。くすぐったくて気持ちいい。
足を堪能した後は心臓の音を聞かせてくれと頼まれた。私の鼓動はどれくらいの速さだったのだろうか。私も彼の音聞いておけばよかったな。
「もう一回できそうだからやりたい」「いいね!やろう!」普段のえっちもこんなノリなら超楽しいのになと思いながら勢いで2回戦へ。耳を舐めてもらう。とても弱いのですぐ気持ち良くなってしまう。クソザコミミマンコだなぁ。
びしょびしょに濡れたところで挿入。初回でしなかった体位をしようということで騎乗位からのスタート。前後に腰を動かしピストンでは味わえない快楽を貪る。これ地味にとても気持ちいい。この動き、男側は気持ちいいのかな?好き勝手動いてると下から突かれだす。この奥突かれる感覚がちんこに負けてる感じがして良い。屈服している。でも負けを認めるわけにはいかないので強がった。騎乗位は難しいらしい。
正常位に移りだいしゅきホールドしたりどうやったら音が派手になるのか試しながらピストンしたりした。エロ同人はリアルでできるのか実験は有意義。だいしゅきホールド、実際やるとまあまあ足に負担がかかる気がするがこれは内腿の筋肉不足が原因だろうか。身体が密着すると幸福度が一気に高まっていく気がする。
2回戦後、ゴムに出した精液を口に流し込んだ。彼に口の中の精液を見せた後「どうして欲しい?」とニヤニヤしながら聞いた。彼は少し悩んだ後飲んでと言ってきたのでわざとらしく喉を鳴らした。あー美味しかった。最高。
流石に2回もするととても疲れたので身体とオナホ洗ってすぐ寝た。オナホ、得られる快感にはそれ相応のデメリットがついてくるんだなと実感。洗って乾かすのの大変だね……。
めちゃくちゃ楽しいクリスマスをありがとう。童貞卒業という一度きりのイベントを私でこなしてくれてありがとう。
私なりの答え合わせ&自慢おわり。
小学校6年生の時にミステリを含む犯罪小説を読むのにハマっていて「クラス全員を効率よく殺害する計画書」をガチで考えていた。
そういう小説を読んだのだ(そして粛清の扉を、だったか。最近似たような内容のドラマがあったな)。
町内地図(市営図書館でコピーできた)に4か月ほどかけてクラス全員のおおよその行動パターンを書き込み、
見つかりづらそうな場所を選定し、殺害方法もなるだけ現実的な方法を選んだ。凶器の入手方法までちゃんとシミュレートした。
そして完成した計画書を机の一番下の引き出しの奥(引き出しを一度抜いた裏)に仕舞い、たまに取り出してはニヤニヤ眺めていた。
が、それが親に見つかった。
なぜ母親は子供の部屋の裏の裏まで掃除しようとするのか。俺がもしエロBooksを隠していたら気まずくなるとは思わないのだろうか。
その詳細な内容にドン引きした母親は父親とあろうことか学校に相談した。
どうやら俺が学校内で問題を抱えており、そういう犯行計画を立てていると勘違いしたらしい。
担任も計画書を見てびっくり仰天、校長に相談し俺は校長室に家族ともども呼び出され厳しい尋問を受けた。
それくらい俺が書いた計画書は真に迫っていたようだ。
両親がなんとか懇願し警察への相談だけは免れたが、学校からの希望で俺は9月から卒業まで出席停止(俺都合にされた)。
まぁ、クラスメイト全員をぶっ殺してやろうと考えているような奴を教室に入れるのは怖かっただろう。今では理解できる。
俺は月に2度のカウンセリングの日以外は家にほぼ監禁状態にされた。
そしてどこから漏れたのか(担任に決まってるが)、校区内で俺がクラスメイトの殺害計画を立てていたことが広まり、
地元の公立中学に通うこともできず、中学3年間ほぼ引き籠ることになった。
両親は俺の教育方針で揉めてめちゃくちゃ険悪な雰囲気になって俺が定時制の高校の2年の時に離婚した。
でもさ、誰でも犯罪に憧れて犯行計画を立てたりすることってあるじゃん。普通だろ。
言うなれば漫☆画太郎の作品に「これ作者は脳の病気なの?」ってケチつけるようなもんでしょ。
ニセコイも僕勉も倫理観と論理的思考が完全にガバった登場人物と世界観の中でちょっとエッチでドロドロの恋愛模様が展開されるが、登場人物全員脳みそがぶっ壊れているので地獄のような世界の中ではハッピーエンドで終わるというラブコメの王道作品だ。
そもそもラブコメっていうのは元々頭がおかしいジャンルなんだ。
性別が逆転する温泉の存在やら範馬勇次郎や拉麺男と戦えそうな格闘技の存在なんぞより、登場人物のぶっ壊れた価値観(特に倫理観!)の方にヤバさを感じるはずだ。
狂ってなければラブコメではなく、頭がおかしくなければ成立し得ない。
考えてみれば当たり前だ。
ラブコメとは無数の多角形が織りなす複雑怪奇な地獄の恋愛模様を、青春という免罪符の一言で笑えるなにかとして昇華しようという奇妙奇天烈な文化なのだから。
リアリティショーやバチェラーのようにその下世話差に対して自覚を持ってなどおらず、コメディであり漫画であり愛の力が全てを解決するのだから綺麗なのだと言い張るバーリトゥード。
生き残ったものだけが正しく、死んでいったものには慈悲の欠片も与えられない。
そもそもコメディとは冗談で誰かを傷つけ世界を破壊するのが日常のジャンルである。
ラブコメとは蓮阿というセンシティブ人間関係においてコメディを持ち込むというジャンルなのだから、そこには人間の持ち合わせるありとあらゆる倫理など一欠片も残っていないのだ。
断言しよう。
ラブコメを描けるのは、人でなし・狂人・サイコパス、この3種類のどれかだけだ。
ラブコメに真っ当な倫理を求めること自体がそもそも間違っているのだ。
ラブコメは倫理観を捨て去ることを作品の根底においたジャンルなのだ。
コロコロコミックでうんこちんこが出てくるのを衛生観念の欠落だと本気で怒っても仕方がないだろう?
同じことだ。
描いている人間は人間らしい感情を漫画に持ち込もうなんて気持ちはとっくの昔に捨てている。
常識に乗っ取り、読んだ人間が立派な人格の持ち主になれるようになんて1ミリも考えていない。
ラブコメ漫画家とAV監督だったらまだ後者のほうが「たとえ創作物の中でも人間からうばっちゃいけない最後の尊厳ってあるよな」って気持ちを持ち合わせている人間の率は高いだろう。
分かったら「NOT FOR ME」の旗印のもとに巣に帰るがいい。
なんか急に見かけるようになったよね?
秋位に初めて広告とかで目についてなにそれ?ってなって、一度目に付くといろんなところでSDGsって書いてあって。
まじかー…。こんな雑なリベラル欲張り詰め合わせセットが錦の御旗になるんだー…。冗談だろ?って思ったものだけど。
まぁ是非はともかく、何時から存在する単語なのこれ?昔からあるの?
また俺、世界線跨いじゃいました?
いわゆる単身赴任だ。
3年前に別れた不倫相手が忘れられなくて、コロナを理由に2年帰ってない。
もともと嫁とは関係が希薄なので月に1回、LINEのやりとりがあるかないか。
もう不倫相手が戻ってくることはないし、コロナが終わったら仕事を辞めて故郷に帰り、嫁とやり直そう。そう思った矢先、不倫相手が戻ってきた。
それから、かれこれ1ヶ月、毎晩電話がかかってくる。長いときは寝るまで3時間くらい。どちらかが寝落ちしたら終了。朝出勤前にLINEつなぎっぱなしにしてお互いシャワー浴びたりもする。
不倫相手はまだ20代なので合コンに行ったりクラブに行ったりしているが、なかなか彼氏が出来ないらしい。
俺はいつもの気まぐれだろうと思って「そうかーいつにしよっか?」と冗談めかして逃げている。
どうしたらいい?
俺は被害者やその遺族が加害者に報復を望むことは人が"尊厳"を持って生きるために当然保証されるべき"人権"だと考えているから、死刑廃止には大反対なのよね。
たぶん現代の法理念からはズレた考えなのだろうなとは自覚いるけど。
もちろん私刑による報復は(子供の喧嘩とかでは済まないレベルでは)駄目だ。
ただそれは、俺達社会の構成員は報復の権利を国家に委譲しているからであって、委譲された側の国家は刑罰という形で妥当なだけの罰を加害者に与えるのは義務だと思う。
だから死をもって償うのが妥当なだけの罪を犯した者には、国家は死刑を与えるべきであり、その義務を国家が放棄することは『国家による被害者に対する人権蹂躙』と言うべきだろう。
死刑を廃止するのならば冗談ではなくを復活させでもしないと帳尻が取れないと思っているよ。
あれはあれで当時の武士や藩体制の理屈なんかに基づいているからそのまま現代に持ってくることはできないけど。
加害者にも事情がとかいう話は分からなくはないけど、被害者の尊厳より優先する理由にはならないと思う。
完璧でない国家や人に命を扱わせることへの不信っていうのは一理あるとも思うけど、まあそれを言い出したらキリがないモノで、こういうのをどこまで国家に許すかっていうのは線引きや程度の問題として国民が決めるものだと思うし、現状、8割くらいの人が死刑を許容=国家が刑罰を行うことを許容している以上、それが廃止の理由として十分なモノだとも思えないんだよなぁ。
え?
何の冗談だよ
女子中学生が何度も強姦されて弟を殺すよう命じられたけど出来なくて、目の前で殺害、さらに祖父母や親も殺害。女子中学生は生き残るって事件あるだろ。
マジか
そういう想定も何もないで考えてるのか
それはあまりにも不誠実というか明確な悪だわ
いや馬鹿か
ドン引きだわ
死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間に報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?
……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。
個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範と整合的なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度が必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論の余地があると思うんだよ。
たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考はほとんどサイコパスの(=極端に合理的にしか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分で死ぬのは怖いから死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。
いわゆる凶悪犯罪(殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。
……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑囚から、真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか。
よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって、物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐」から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情を絶対の事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手に自分の錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。
そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも「殺人は(理由のいかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定の最後の妥協点であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称「リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。
そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治、大正、昭和と近代史を勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家」だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間がやらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家が国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判で戦争犯罪人を死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴的行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的な行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。
まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度的矛盾への気づき……などから、20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋な正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。
中韓叩きは以前からあったが、最近では岸田政権を菅・安倍時代と比較して親中的だ、弱腰だと主張する質問・回答が散見されるようになった。
あと学びにならないジョークはダメよ(参考:Quoraの冗談回答規定はどんな内容ですか? https://help.quora.com/hc/ja/articles/360000470783-Quora%E3%81%AE%E5%86%97%E8%AB%87%E5%9B%9E%E7%AD%94%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B)ってルールも全く適用されていない。
ぶっし
@bussi_poke
冗談のつもりでもヴィーガンへの偏見を助長するとか引リツで言われて、確かにな〜とか色々考えてたのにファンネルめっちゃ飛んできてヴィーガン怖すぎてワンワン部屋の隅で泣いてる
SIVA
@sivaprod
内輪ノリで面白がるために公共の場で他者の在り様を茶化しておいて批判されたら被害者ぶってみせるいつものあれ。「”オタク”ってひとくくりにするな」というが、するよ。こういうのこそが”オタク”が”オタク”である所以なんだもの。
上記のSIVA氏ツイートに対して、はてブでは有名なリベラル系のブクマカによる賛同のコメントが支持を集めてホットエントリに入っている
だが、ちょっと考えてもみればめちゃくちゃなことを言っているのに気が付かないのか?
もはや、リベラルやはてなブクマカにまともなリテラシーを期待できないのか…?
いいか?ことの発端のぶっし氏の元ツイにある文章は「ヴィーガン給食」だ。批判されているのは「ヴィーガン給食」だ。学校給食という公的機関への批判だ。
上記のリンク先にあるように各方面で批判を呼んでいる東京都の公立小学校の「ヴィーガン給食」に対する批判のひとつが元ツイの画像だ。
その「ヴィーガン給食」への批判が、ヴィーガンへの偏見を助長すると拡大解釈されて、さらにファンネルみたいに攻撃されたとぶっし氏がツイートした結果
元々のツイートにある学校給食という「公的機関への批判」を、単なる「他者の在り様を茶化した」とすり替えているのが上記のSIVA氏のツイートだ。
いいのか?その理屈が通るんだったら、行政や警察など公的機関への批判を「他者の在り様を茶化した」とすり替えるのも可能だがいいのか?
ここ最近ずっと世間もはてブも賑わせている国の統計改竄について批判したら「他者の在り様を茶化した」と言われるがよろしいか?
さらに言えば、上記のSIVA氏のツイートは内輪のノリを公共の場に広げることを問題視しているが
そもそもの話、ヴィーガンどいう個人の主義にすぎない内輪のノリを、学校教育という公共の場に広げたのは「ヴィーガン給食」だ。
内輪のノリを公共の場に広げて、そのノリを批判されたら被害者ぶるなって言うなら、そのまま「ヴィーガン給食」に返ってくるだろうが
内輪のノリを公共の場に広げることを問題視するなら、まず「ヴィーガン給食」を批判しなきゃ筋が通らないぜ
元のツイートをもう一度見てほしいんだけど、どこにオタクだと判断できる要素があるのか、ネットスラングを使えばオタクなら大概の人間がオタクになるぜ
だというのに、オタクに責任をおっかぶせているのがSIVA氏だ。
同日にホットエントリーに入っている、増田を見ると人生の悲哀を感じますね。
みたいな事言うと
みたいな事いわれるんだろうけどそういう所でずっと俺たちは迫害され続けてきたし誰かが言わなければ何も変わらないし言い続けるぞ
上記のオタクへの偏見を助長するような漫才を問題視する増田エントリーに対して賛同のコメントが集まっているが
その一方で上記のSIVA氏ツイートから連ツイでは勝手な理屈と定義でオタクを偏見まみれでバッシングしており、それに賛同するはてなブクマカ
「他者を他者と見ずに消費の対象としか見ないという選択をしたもの」を”オタク”と呼ぶべきではとも思う。他者をちゃんと自分と同じ他者と見られるおとなの趣味者はファンでありマニアでありでいいんじゃないですか。
両方のエントリーに賛同してるブクマカに聞きたいんだけどさ、認知的不協和に気が付かないのか?お前たちに論理的な思考回路はないんか?
いいか?整理するぞ
ヴィーガンという個人の主義にすぎない内輪のノリを、学校給食という公共の場に広げた「ヴィーガン給食」が、各方面で批判を呼んだ。
その批判の一つが上記の画像ツイートであり、その画像ツイートに対して、ヴィーガンへの偏見を助長すると拡大解釈されて攻撃されたとツイートした
その結果SIVA氏が、「公的機関への批判」を「内輪のノリ」「他者の在り様を茶化した」と矮小化して、勝手な偏見でオタクに責任をおっかぶせた。
めちゃくちゃな理屈にも程があるでしょ