はてなキーワード: ソフトボールとは
50m走 | 三段跳び | 走り高跳び | ブリッジ | ソフトボール投げ | 握力 | 1000m走 | |
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小林由依 | 8秒14 | 6m15 | 100cm | 51cm | 10m70 | 24.9kg | 5分35 |
上村莉菜 | 10秒10 | 4m07 | 60cm | 測定不能 | 10m20 | 15.7kg | 7分38 |
今泉佑唯 | 9秒18 | 5m05 | 80cm | 21.5cm | 18m20 | 7.7kg | 7分10 |
平手友梨奈 | 8秒34 | 6m55 | 110cm | 23cm | 18m10 | 18.8kg | 5分45 |
鈴本美愉 | 8秒78 | 6m05 | 90cm | 49cm | 18m70 | 27.2kg | 6分35 |
織田奈那 | 8秒66 | 6m00 | 110cm | 66.5cm | 22m80 | 30.7kg | 6分18 |
志田愛佳 | 8秒92 | 5m05 | 100cm | 41cm | 30m50 | 24.9kg | 4分55 |
齋藤冬優花 | 9秒70 | 5m40 | 100cm | 23.5cm | 23m30 | 10.9kg | 6分00 |
渡邉理佐 | 8秒23 | 5m25 | 115cm | 54cm | 26m | 21.4kg | 5分41 |
小池美波 | 9秒03 | 4m40 | 80cm | 45cm | 13m50 | 25.4kg | 5分44 |
土生瑞穂 | 9秒51 | 5m10 | 100cm | 50cm | 11m30 | 17.2kg | 6分02 |
渡辺梨加 | 11秒53 | 5m20 | 80cm | 46cm | 10m60 | 23.1kg | 5分42 |
佐藤詩織 | 9秒49 | 5m30 | 80cm | 11cm | 13m10 | 22.5kg | 5分07 |
守屋茜 | 7秒47 | 6m20 | 100cm | 28cm | 14m50 | 22.7kg | 5分17 |
米谷奈々未 | 8秒36 | 5m70 | 80cm | 28cm | 13m50 | 26.3kg | 4分16 |
尾関梨香 | 9秒84 | 5m10 | 60cm | 28cm | 10m30 | 21.1kg | 6分41 |
菅井友香 | 10秒04 | 3m50 | 70cm | 38cm | 13m80 | 27.7kg | 7分12 |
原田葵 | 8秒83 | 4m40 | 60cm | 35cm | 16m40 | 14.7kg | 4分55 |
石森虹花 | 10秒39 | 4m10 | 80cm | 32cm | 13m20 | 25.6kg | 7分41 |
長沢菜々香 | 11秒00 | 4m30 | 100cm | 67cm | 15m70 | 21.4kg | 4分35 |
あまり知らないといっても、
・走るチェックポイントは1塁~3塁
どちらかというとサッカーの方がドリブルでスルっといくのがかっこよくて好きだったので、
テレビで野球中継をやっていても、ボールが小さくて何がどーなってるのかさっぱりわからなくてつまらないと思っていた。
小5の春、転校した田舎の村では、地区ごとにある子供会という組織に小学生が強制的に参加させられることになっていた。
子供会では男子はソフトボール、女子はバレーボールの活動があり、当然のように強制参加だった。
チームの高学年の人数が少ないので、バットを持ったことすらないチビガリの俺も自動的にレギュラーにされる。
最初はキャッチボールの経験すらなかったので、グローブの付け方や使い方もわからなかったし、ボールを掴んで投げるという動作もものすごくぎこちなかった。
飛んでくるボールが怖くてキャッチできなかったので、キャッチボール練習は俺とペアになった子が俺に球拾いをさせるだけの作業になっていた。
さらに、コーチは野球好きな誰かのお父さんたちなんだけれど、その人たちは俺が野球の細かいルールをさっぱりわかってないことに気付いてなかった。
練習を見に来たお母さん方の中には、もしかして…と気づいていた方もいたらしいのだけれど、
コーチは「野球のルール知らん子供なんかおるわけあれへんがぃ!」「転校生やゆーても子供はみんなやっとるもんやろ」で流してしまっていたそうだ。
田舎の子たちはみんな小1から子供会ソフトボールに参加するので、高学年になってもルールを把握してない、という可能性を思いつかなかったのだろう。
結局一度も詳しいルールの説明をしてもらうことなく進んでしまい、あっという間にソフトボールの練習は俺にとって、
知らない怖いおじさんに怒鳴られながらルールのわからないスポーツを無理やりさせられる苦痛の時間になってしまった。
とりあえずヘタクソ枠ということになっていたっぽいライトが定位置になったが、
飛んでくるボールや勢いよく転がってくるボールがキャッチできないので、ライト=ホームランのボーナス状態になってしまう。
重点的にやらされたフライキャッチの練習ではグローブの使い方や落下点の予測が下手で見失ったり頭や顔でボールを受けたりしまくって、
どんどんボールが怖くなって落下点に近づくこともできなくなった。
打席に立ってみても、ストライクとボールの見極めなんかできるわけがなかったし、
怖くて飛び退って逃げるか、目をつぶってキャッチャーミットにボールが収まってからバットを振り始めるくらいのトロくささで、
たまーにバットにボールが当たったら、ボールの勢いに負けてその場で尻もちついてコケる有様だった。
キレたコーチに「やる気あんのか!?」と何度も怒鳴られるけど、残念ながらそんなものは最初からない。
なにがなんだかわからなくて、上達しようという意欲もこれっぽっちもわかず、痛い思いをしたくないから逃げるのだけが早くなった。
試合では、守備側が相手バッターを煽る掛け声をずっと上げ続けるように指導された。
「バッタービビッとる!ヘイヘイヘイ!」 言うのも言われるのも苦痛だった。
そのうち、練習の日になると腹痛を起こして下痢が止まらなくなることが多くなった。
小6の最後の村内大会の日、大会にはどうしても来いと言われたので仕方なしに行った。
いつものライトの守備位置につく。みんなは相変わらず相手打者を煽ってたけど、俺は口パクでごまかしていた。
試合経過は覚えていないけれど、うちのチームは他のチームに比べると比較的高学年が多かったので、俺というお荷物がいてもある程度点は取っていたらしい。
最終回、打球がライトに飛んだ。なんのことはないフライだが、そこにいるのは今日もいつも通りやらかしまくっていた俺だった。
俺は一応ボールを追いかけようとして上を見上げて、眩しくて即座に見失ってフリーズした。
全然見えないのでとりあえず太陽を遮ろうと掲げたグローブの中に、ボスッという慣れない感触があった。
たまたまボールが落ちてきてグローブに入ったのだ。保護者席で歓声が上がった。
完全に偶然だったけれど、そのとき俺は、初めて試合でフライのキャッチに成功した。
そして、照れながらボールを2バウンドでピッチャーに投げ戻した後は、二度とボールが飛んでくることもなく試合が終わって、チームは優勝していた。
不良が更生したらやたら褒められるのと同じ理屈なのか、チームメイトやコーチからはやたらと褒められて、初めてちょっとだけ楽しいと思えた。
今ではなんとなく甲子園とかを見て、「わーがんばってるなーすごいなー」と思うくらいはできるようになった。
もしあの時偶然ボールをキャッチしていなかったら、今頃もっと野球が嫌いになっていただろうなと思うと、俺は運がよかったのかなーと思う。
私の住む街には伝書少女がいる。
そうした勘違いは微笑ましいものとして街の人間は許してしまう。
その家の人間は「あの子はあの子なりに一生懸命なんだから」と思い、
それは伝言板であり、あるいは詫び状であったり
スープが冷めていないか実際にスプーンを渡して確かめてもらったり、
煮物を味見してもらったり DVD と一緒に千円札を手に渡したりする。
それで彼女は生計を立てている。
道路標識の意味や料理のさしすせそとは何かなどを教えていた時に、
一行の詩を説明してあげたことが全ての始まりだった。
「蝶」に対する説明に心を奪われてしまったのだ。
「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」
彼女は花の番地を探している恋文に、早くどこに行けばいいのか
それを三日三晩知恵熱が出るまで考えるようになった。
それが長じて伝書少女となった。
アタイ、アラサー職業プログラマーなんだが、去年の暮れ、米国に出張した際、
職場の同僚とアイリッシュパブで飲みつつ、いろいろ話したときの会話を書く。
同僚は、オートラリア出身の男20代後半、アメリカ某大学のCS専攻。
彼曰く、
パーティーとかで人と知り合うとする。
そうすると自己紹介するよね?
それで、相手が、
「私は医者なんです」
医学を学んできたんだろうなって
間違いなく思うだろ?
アメリカでは、ってことだけど。
ある人が
「私はプログラマーなんです」
っていうと、じゃあどこかでCSを学んできたんだろうなって、
当たり前のようになる。
CSの専攻だとしたら、もしかしたら俺の先輩か後輩かもしれないしね。
えーっと○○(←アタイ)は、、、
アタイ:×××××××××
そうか、Matzの後輩なのか! (←チゲーよ! いや、ツクバも受けたけどさ)
Lispは?Lispもやりなよ!Emacsで始めるのがおすすめ!
日本では、
「私はプログラマーなんです。」といっても
必ずしも、その人のこと、CSの専攻なのかな?とは思わないでしょ?
あれってなんでなの?
だってね、まあ極端な例えかもしれないけど、医学部を出てない医者に
手術させたら危ないでしょう?
たぶんこんな感じだったろう。
正直ね、うるさい奴だなーと思いました。
気分がよくなっていて2杯目のギネスで、もういい気分だったもん
だから、酔いにまかせて、言ってやったんだわ。
そうよ、□□(←ソイツ)の言うとおりよ。
出来たってねつ造したって騒がれてる。その騒がれ方にしてもね、
なんだろう、サイエンティフィックではないわけ。
ファナティックっていうかさ。
そういうね、なんだろうね、国の閉塞性?が嫌になって自殺する人や、
成功したアーティスト(漫画家さんだっけな?)のイベントを中止させて
「人生格差犯罪なんっす」とか言っちゃう、そういうのが流行っていて、
で、そんな中、男はみんな無気力で、セックスしたくなくなっていて、
でも日本にも良いところもあるんだよ?
とかってテキトーに答えたんだけれども。
まあでも、
メスもって人の体切り刻むようなもの
っていう感覚を持っている人といっしょに働くのは、
感じないで済むので、そこは良いなと。
すぐに仕事をホサれるというストレスはある。(これもけっこうキツい)
だが、同じストレスなら、後者のストレスのほうが、アタイには合っていた。
前者のストレスを我慢しながら働かされると、
基地外になっていたと思う。
メスもって人の体切り刻むようなもの
であることを感じない、もしくは感じても感じていないフリをする
のがお約束という慣習にどっぷり浸かった業界や会社や組織にうまく適応しつつ、
ストレスたまったら、それこそ美味い蕎麦を食べたり温泉に行ったり、
職場の 仲間とソフトボールやった後、ビール飲んでウサ晴らししつつ、
いつかオフパコを夢見てはてなで、頭のいいプログラマーっぽいブログ書いたりとか、
フェイスブックやブログに、日本人技術者ばっかりとで群れあって、
(日本の汚い)海にいって、ビーチで男女仲良くバーベキューして、
俺ら私らリア充だぜ!的な画像を載せて、自己マンに浸るっていう、なんか
そういう人生を送って年をとるっていう感じなわけじゃない?
それで基地外にならないで、シアワセになれるんだったら
憂鬱を今年はどうにか解決したい。
以上、年頭所感にかえて
あまりに煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。
私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。
小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。
その時代は信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事は伝道活動を最優先にしてと言われていた。
小学校に上がってから、学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事、誕生日、クリスマス……。御神輿をクラスで作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。
私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。
だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後の伝道活動と集会だったからだ。
中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活を自分から取り下げた。応援してくれた先生や同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。
その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。
幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。
子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミックや英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。
ふっと気を抜くと、最近子どもにイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子どもに嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。
上の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。
まずいのは、夫はこういう葛藤を理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。
上の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。
子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分の性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。
気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子どもを放置した時間だけが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子どもを休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。
さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代に部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代に部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると
と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。
午前中、悲しすぎて棒に振ってしまったから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。
だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもをだんだん愛しづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。
5月3日の日経に「日本人の金融行動は2極化しているのでは?」という問題提起があった。
「極端なリスク回避嗜好者(現預金嗜好者)と、FXとかにバンバン投資して、極端にリスクテイクする人と、
2極化していて、中間層(ほどほどにリスクを取る人)が希薄」という趣旨。
これって、金融行動以外の、市民の社会行動、あるいは各種リテラシーについても、言えるのでは?
30年前、40年前とかと比べて、中庸に山が来る正規分布から、「リテラシーが凄い人」と「リテラシーが全く駄目な人」に
2極化が進行している気がする。
例えば、行政が、医療費増大を抑えるために、市民に「健康啓発・運動啓発」をしているが、
「運動する市民」と「運動しない市民」の2極化が、30年前・40年前より、一層分化していたりする。
運動する市民の側は、より一層運動に励むが、運動嫌いな市民は、より一層運動時間が減少してしまったりする。
で、問題なのは、行政が「健康啓発セミナー」を開催しても、集まるのは
「もともと健康・運動好きな、健康オタク」ばかり来場してしまって、行政としてはもっとも来場して欲しい
運動好きな人にますます運動を啓蒙したら、活性酸素で却って体を痛めてしまうのだが・・・
厚生労働省とかが「市民の運動時間調査」しても、平均を見て論議するのは、全くの見当外れになる。
例えば「運動時間合計が1週間で1時間未満の人の比率が、30年前比でどう推移したか?」を可視化して、
運動とかの場合だと、例えば40年前とかは、職場で「大運動会」「ソフトボール大会」なんかがあって、
運動嫌いな人でも半強制的に運動に参加させられる「仕掛け」があったが、それが廃れて、
「運動と向き合わなくても生活していける時代」になった、という面が大きい。
・・・あらゆる場面で「嫌いなジャンル、苦手なジャンルがあっても、別に向き合わなくても構わない時代」になり、
リテラシーボトム層は、ますますボトムダウンする、という構図になっている。
一方、運動好きな人のサークルは益々盛んになり、より上手い人は上手くなり、運動量が増える。
なので、市民の間の「運動量の断絶」は、40年前比では相当酷くなっている。
「そういうスクールにも行かず、親が夏に海・プールに連れて行くこともない家庭の子」とでは、
水泳の技量に相当な断絶が発生してしまい、体育教育現場では相当問題化しているらしい。
40年前とかなら、芸能に疎い人でも、それなりに「山口百恵がどうした」「石原裕次郎がどうした」ということを知っていた。
おそらく世間話でそれなりに芸能の話題が出ていたので、あまり芸能に関心がなくても、必要に迫られて
しかし、今では別にAKBがどうした、EXILEがどうした、ということに全く無関心でも、まあ生きていける。
40年前と比べると、芸能情報に一切無頓着という「芸能オンチ」は、より一層深刻になっているのでは?
一方、ネットの深化で、芸能オタク層の芸能知識の深度は、40年前比でも相当深まっていると思う。
以前は芸能偏差値40~60に満遍なく分布してたのが、今は芸能偏差値80のオタクがいる一方で、
芸能偏差値20の「世間知らず」もそれなりに存在して、芸能偏差値40~60の中庸層は薄くなった気がする。
他にも「料理の腕」とか「日曜大工の腕」とか、さまざまなリテラシー、ライフハックで「2極化」が進行しているのでは?
あと、先日麻生副総理が、「1年間病院に行かない高齢者に、10万円あげることで、過度の病院通いを抑制できる」
とのアイデアを披露していたが、「病院通い」も2極化している気がする。
「用もないのに、病院にやたらと行きたがる、薬を貰いたがる人」と、
麻生氏は「用もないのに病院に行きたがる人」の抑制として「1年間行かなければ10万円のご褒美」というアイデアだったんだろうが、
これで「用もないのに・・・」という層が、果たして行動変化させるか?
結局、「医者嫌い」な人に10万円を交付するだけで、「用もないのに・・・」という人はなんら行動を変えない気がする。
→「医者嫌い」な人に10万円を交付して、「交付実績が上がった、政策効果が出た」と総括するようじゃ、単なるアホである。
この場合は「医師嫌いな人に、もっと病院に行ってもらうように啓蒙」しながら、一方で
「過度に病院通いする人に、あまり病院通いしないように抑制啓蒙する」という両面作戦が必要になるので、極めて難しい啓蒙戦略が必要になる。
俺が厨房の頃、スト2流行ってね。俺も大好きだった。中でも春麗っていうね、中国人の女の子が大好きだった。
体育の時間な、ソフトボールあった。ソフトーボールな。俺9番だったんだけど打順回ってこなかった。8番が終わったら1番になるんだよ。永遠に俺には回ってこなかったんだよ。
すごく好きな女の子、~俺にとってはたぶん初恋~、がいて、その子が初めて俺に給食で料理とってくれたのが春巻きだった。
ももクロは10年後みんなから忘れられているかもしれない。でもそれはみんなからとても辛い部分、痛い部分を取り除いたということなんだよ。
今見ないと。リアルタイムで見ないと。後から絶対に後悔することになる。
無駄な人生を生きた俺でもわかることがある。それは今しかできないことがある。
ももクロは今なんだよ。
今逃したらどうなる? 考えられないよ。考えたくない。
どうやら自分は「他人の動きを模倣して覚える」という行為が一切できない人間らしい。
思えば不思議だった。
学校の体育の授業でやる諸々のスポーツ、皆習っていないのになんであんなに出来るのかと。
子供ながらに友だちに訊いて「えー他の人の見てたら普通にできるじゃん」と言われた記憶がある。
そこから見よう見まねでできた!という経験は今の今まで皆無だった。
何故見て覚えられないか。
多分なんだけど、全体を俯瞰しつつ、同時並行的に人の各部の動きに注意することができない上、どうでもいい所に注意が行ってしまっているのだと思われる。
それに全身を使わないとこなせない理由もわからない。
例えばボール投げだったら投げる方向に対して体を利き手側に向ける、足を開く、利き手を後ろに引く、利き手の反対側の足を踏み込んで体重移動するetc.ということを把握できない。それどころかボールばっかり見ている。更にはそれで「女の子投げ」より遥かに遠くボールを飛ばせる理由が分からない。
ちなみに具体的な投げ方だけは後述のテニスの知識と、つべにあったボールの投げ方の動画からヒントを得て「ユーレカ!」となった。でもテニスやってなかったら動画見てもチンプンカンプンだったと思う。
でも全ての運動ができないわけではなく、弓道については段位を持つ程度にはなったし、テニスは少し通ったカルチャースクールでダブルスのゲームもどきができるくらいにはなった。あと水泳もスイミングスクール行ってたからクロールくらいなら普通にできるし、スキーも高校の宿泊学習で(ry
つまり教本読むなりマニュアル読むなり指導者につきっきりで教えてもらうなりしてやり込めば、無難にこなせるくらいにはなるのだ。
そういう経験もあって、体育の授業や休み時間に遊ぶ程度のスポーツなど、部活やそれ以上に本格的に取り組むのに比べたら「素人のお遊び」でしかないことは分かる。
しかし素人レベルですらこなせないとなると、スポーツを通じた他人との交流は全く望めないわけで。
フットサルとかビーチバレーとかソフトボールとかバスケとか、どれも全くできない(体育の授業を平均点でクリアした人ならその延長で問題なくできそうなのに)。
それも超初歩の、ボールの蹴り方・投げ方・バットの振り方・アンダーサーブの打ち方・シュートの打ち方から分からない。
まあ今のところ、周囲とのコミュニケーションにスポーツが必要な機会は皆無だからいいけど、周りができることが全くできないままなのはちょっと嫌だ。
といってもどうやって身につけるか見当もつかないし。
見て覚えられないなら本買うか、具体的にダメ出しする系の指導者に頭下げて教えてもらうしかない。
現実の男の人が恐ろしい、という感情を、いつから抱くようになったのだろう。
小学校以前、男子と女子の境は、これといってなかったような気がする。
むしろ三人のいとこと共に育った私は、どちらかといえば男の子のほうが、近しい生きものだと思っていた。かけっこや木登りもしたし、保育園の休み時間には活発に遊んだ。おえかきも好きだったけれど、おゆうぎしつが使える時には、そちらへ行った。ずっと教室にこもって遊ぶ女の子たちのことは、少し軽蔑さえしていた。
小学校に入学すると、少し雰囲気が変わった。男子と女子がふたりきりで帰ることは、おかしいことになった。あからさまにおかしい、と明言することは誰もしなかったけれど、やはり、少しだけ雰囲気は変わっていたのだ。
私にとって、小学校低学年の男子と女子の性差なんてないも同然だった。プールの時間に、全員が一緒の教室で着替えていた。ませた女子はきゃあきゃあと騒いでいたけれど、私はやはり、そういった女子を軽蔑していた。休み時間は男子とも遊んだ。体育館でくだらない遊びをするなら、断然男子相手だった。けれど一緒に帰るのは女子だった。放課後に遊ぶのは、女子のほうが多かった。男女一緒に遊ぶことも、確か、あった。
小学校中学年には、あまり外で遊ばなくなった気がする。それは眼鏡を掛け始めたからだったかもしれないし、絵を描くことの楽しみのほうが大きくなっていったからかもしれなかった。あ、それと、木登りをしていて、虫に遭遇したのがトラウマになったのもある。それから、自分の体力のなさを自覚していったから、というのも。平均よりも重い体重は、運動をするにはあまりにも不利だった。
それでも四年生からはソフトボールを始めた。理由はよく遊ぶ友達が始めていたから、という単純な理由だった。私よりも先に始めていた子が、ソフトの練習があるから、と遊びを断るようになって、淋しかったのだ。私はその子のことが、だいぶ好きだったのだろう、と今になって思う。その子の影響で、手話を始めたりもしていた。
さて、愚鈍なる小学生の私は、ソフトボールを卒業まで続けた。俊敏性はなかったけれど、それほど落ちこぼれていたわけではなかった。と思いたい。マラソン大会では決まってドベのほうにいたけれど、ソフトボールはずっと走っているわけではない。練習はまあ楽しかったし、上の学年の人はいい人たちばかりで、下の学年の子たちはかわいい子ばかりだった。と思う。思い出は美化されているので、確かではない。
小学校高学年くらいから、男女は「おつきあい」をするようになった。私は蚊帳の外の人間であった。クラスの中のヒエラルキー上位層の人間たちが、数日や数週間でつきあったり別れたりを繰り返してバレンタインに盛り上がったりするのを、私は少し近いところで見ていた。私が告白することはなかったし、告白されることも当然ながら有り得なかった。私はクラスで二番目に太っていた。私のことを「女子」とカテゴライズすること自体がおかしい。そうだ、そういえば当時の私は、「俺」という一人称であったのだった。
中学校に入学しても愚鈍な私は「俺女」であった。そういった一人称の女子は何人かいた。
入学してすぐに、私は担任に目をつけられる。すなわちいじめの主犯格として。
これについて弁明をするならば、それは「いじめ」ではなく「喧嘩」であった。私が小学校の頃から仲の悪い女子がいて、それは中学校に上がってからも続いていた。私はとにかくそいつがいることが嫌で、それはそいつにとっても同様であるはずだった。すれ違えば舌打ちをした。私はそいつにぶつかった。そういった陰湿な喧嘩の一部を、そいつは教師に告げ口をした。そう、私の行為についてばかりを、切り取った「一部」を。
私が何を言っても私が悪いことには変わりない。それは絶望的な事実であった。事実として、私はそいつの靴を隠したし、そいつにぶつかったし、そいつのことが頭に大を何個つけても足りないくらいに嫌いだった。事実として私はそいつをいじめていたのだろう。そう、つまり私が悪いのだ。私がかつてそいつに幾度となく泣かされていたという事実など、中学校の教師は知らないのだから。
加えて絶望的だったのは、そいつはかわいらしい容姿をしていたことだ。愛想のない根暗な豚と、かあいらしい人間と、どちらの言い分を信じるだろうか。後者だろう。豚は人間を妬み、そして一方的な暴力を振るったのだ。
何も知らないくせに、と豚は叫んだ。同じような豚の教師は、ああ知らないさ、と開き直った。そうか、と私は絶望した。教師は男だった。そうか、何も知らないのに、そいつのほうを信じるのか。私たちのことなんて、何も知らないくせに、知ろうともしないくせに。教師ってそういうものか。中学校ってそういうものか。男って、そういうものか。かわいいほうの言うことを、信じるんでしょう?
男子生徒とは、まあ普通に接していた。おつきあいなどの色っぽい話にはならなくて、ただ、珍獣としてうまくやっていたのではないか、と思う。珍妙な渾名で面白がられたり、怖がられたりしていた、気がする。記憶は薄ぼんやりとしていて不鮮明だ。ただ、ある日いきなり特定の男子から嫌がらせをされるようになって、それだけが、どうしても意味がわからなかった。女子は私にそうした嫌がらせをしてこなかったから、男子のそういった女々しさのようなものがさっぱりわからなくて、見えない悪意が怖くて、怯えた。
高校に入ると男子は別の生きものだった。私は一人称を改めた。女子の側で、女子の振りをすることにした。男子は恐ろしい生きものだった。中学からの友人と一緒にお昼ごはんを食べるために、その子の近くの席を借りた。男子の席だった。昼休みが終わると、その男子は先程まで私が座っていた椅子を、別の席の椅子と換えた。その事実は、友人から聞かされた。知りたくもない事実だった。
友人の話だけを聞いていると、その男子は友人に惚れているようだった。友人は気持ち悪いと言っていたけれど、ばいきん扱いされるよりも好意を寄せられるほうがよっぽど良いはずだった。
高校三年生になった私は、ひとりの女の子とおつきあいをするようになった。それはその子から頼まれてのことだった。それはばかげた話だったけれど、私はかわいいその子のことが嫌いではなかったし、失いがたい友人であったので、それを失うくらいならと、おつきあいを承諾した。その子の他に私を好きになるような人間は生涯現れないだろうという気持ちもあった。私のファーストキスはその子のものだった。性器に指を入れられた。気持ちよくはなかった。
私とおつきあいをした子には、何人かの彼氏がいた。そのことは知っていたけれど、まあ、良かった。いや、良くはなかったか。他の人と別れて、というようなことは、言った気がする。けれど色々あって、その子は結局、一人の男を選んだのだった。
私はただただ道化であった。ばかばかしい話だ。男も女も面倒だ。どうせ誰にも愛されない。ひとりでいるのが正解だ。でも、でもさあ、私だって、まっとうに、愛されたいんだよ。
高校を卒業し、眼鏡をやめ、ダイエットをした。髪を明るく染めた。ナンパをされるようになった。私はすぐに股を開いた。そうする以外に男の人とのつきあい方を知らなかった。好きな人ができた。それでも、きちんと段階を踏んでのおつきあいはできなかった。まずは酔った振りで相手を誘って、セックスをした。そんなことしかできなかった。そうするしか知らなかった。
セックスをすると、男の人は私をかわいいと言った。豚を、ばいきんを、かわいいと言うのだった。そんなことは言われたことはなかった。声を上げてエロマンガよろしく喘げば男の人は喜んだ。きもちいい、と言うと良い気分になるようだった。私の価値は性器と乳にはあるようだった。顔面には、まあ、ないんじゃないかと思う。
男友達を作るといいよ、と、幼馴染が言った。しかし、男の人と何を話したらいいのかわからない。男の人と、セックス以外に、することがあるのだろうか?
男の人は私を豚やばいきんにしてしまう。私だって、いちおう人間なのに。そんな人たちばかりではないとわかっている。けれど、私はやっぱり、男の人が恐ろしいのだ。
昔そんな事を書いてた音楽の深い素養があるカタカナサヨクの経済学者もいたが、あの人はリアルでケンカした事なんか無いだろうw
忍者の子孫の俳優の柳生博さんが、父親にケンカする時は、相手の弁慶の泣き所を狙えと小学生時に教えたそうだが、教えられてもないのに、そこを狙っていた。
思えば、体育は男女混合だが、何かの測定や競技の時は、相手が女子だったからではないか?と。私はどうも女相手の、本気の勝負みたいな事ができない、またはできにくい傾向があるように思う。運動神経無いはずなのに、授業でやったソフトボールでは、二打席ニ安打十割十分十厘を誇っていたw 二打席しかやってないからこその成績だけど、運動神経ないはずなのに、いきなり打って打てるものなのだろうか?と不思議に思う。
こういうの、当たり前だがその時は気付いていなかった。高校生の時に女の友達で、女の子は甘えさせてあげなくてはいけないみたいな気になるとか、気を遣ってしまうとか言ってた子がいて、「あんたみたいな子は、ええんやけどな」と言われた。どういう意味なんだろう?とか、甘えさせてあげなければとか、自分はそこまで考えた事はないなあと思ったが、よく考えてみれば自分もあるかもしれないと気付いた。それが上記のことだった。
ということ
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0709/424703.htm
県大会に出るには速い球に慣れる必要があるので、
息子は「怪我をさせるかもしれんし、いやじゃ。
と言ったらしいのですが、どうしても、と頼まれて仕方なく
相手をしたそうです。
「こんなん練習にならん」と言われ「たいしたこと無いの」
でも、息子は頼まれてイヤイヤ引き受けた訳ですし、
事前に聞いたところ、息子いわく「だから、いやじゃと言ったのに、しつこいけん、そんなことになるんじゃ。それに、あんなん、普通は避けられる。ちゃんと練習しとらんせいじゃ」ということなので、
先方の両親(治療費を払えと息巻いています)には、学校側のソフト部に対する管理不行き届きなので、謝るつもりもないし、治療費は学校が負担すべき、と突っぱねたところ、先方は激高して、そんな態度なら、シニアのチームに言いつけて、チームを首にしてもらうし、学校にお願いして内申に響くようにしてやる、と言います。
夫は絶対に謝る必要ない、放っておけ、と言うのですが、
息子がチームを首になった可哀想です。ここは謝るべきでしょうか。
その後の展開はさておき、
この情報だけの時点で「謝るべき」ってレスが多数派なことにびっくりした
おれ、野球を見ることもすることもほとんどないからわからんのだけど…
「ごめんね、くらい言っといた方が人間関係円滑だよ」程度ならわかるけど
多分選手達も関係者達も、決勝戦だけでも見て欲しいと願っていたとは思います
ですが、レギュラー全員を覚えておらず、相手チームも試合規模も知らないスポーツを、どう応援したらいいかわかりません
そんな中、twitterやgoogle+は女子サッカー優勝一色になっています
フェアとかやればいいですね、選手がバイトしてたスーパーとかで
あとは風俗とかでサッカー制服フェアとか是非やってほしいですね、女子なでシコシコ大サービスとかそんなタイトルで
卓球とかソフトボールの事もそろそろ忘れている今日この頃、なでしこジャパンは後何日盛り上がるでしょうか
CM増えた選手とCMもらえなかった選手の間で格差が発生して女性週刊誌にモザイクかかった匿名インタビューがあるとか
すごいわ
おめでとう
まだよ 今のとこ
どう思う?完璧!何よ
僕ら子供が欲しくて代理母は決まったんだけど、卵子 提供する気ない?
その頃 別の独身女も 屈辱を味わっていた
きてたのか
いいわ 会う
ブラインド・デートに応じた
似合うよ
あとはふたりで
よろsく
ソーダ取ってくるけど あなたは?
行ってくる
いい子だろ?
私レズじゃない マジ?
男連れのとこ見ないから
ダブルプレーは悦妙だった
好プレーだ
チャールズさん
チップでいい
友人のペイシェンスと彼女の夫は、週末、ハンプトンの家に私を招いた。
楽しくてスマートで、J. Crew のカタログから飛び出してきたよう。
もし彼らの家がビーチになかったら、きっと彼らのこと好きじゃない。
彼が運転席に載って、私が車に乗ると。
それで?
アツアツね。
ラブラブだった。ここヒューストンへの、西ブロードウェイ・マディソン72番地からの道のりずっと。
ハンプトンの来客は、彼らの夕食のためにいつも歌うことを要求される。
ブローカーは投資のアドバイス。設計者はデザインのアドバイス。
翌朝、私は気分良く起きた。
目を見張って、動くことも出来なくなる。
フルチンだった。
すぐ戻ってくるよ。
彼は無頓着に、うれしそうに、ぶらぶらさせて立っている。
こんなとき何をして何て言ったらいいのか分からない …Great.
ただ分かるのは、ピーターの前でコーヒーを飲むのは難しいということ。
何かあった?
さっき廊下でピーターとばったり会ったの。彼、下着をつけてなかった。 …すごいわね。
いい天気だ。
キャリーにナニ見せたの?
トイレにに行く途中だったからさ。
そう。"トイレに行く途中"
えっと…今日は何する?
やっとのことで"おいしいマフィン"をバッグにつっこんで、NYへ帰ってきた。
なによそれ。なんでそんな格好なの?あんたとヤるつもりだったのかしら?
わからない。性欲も感じなかった。
見せつけたかったのよ。サルと同じ。
それで、でかかった? ―胡椒はいかがですか?
下さいな。どうもありがとう
これでいいです。 ―ほかに胡椒の方は?
実際、このテーブル全員が欲しがってる。
それで私、彼女に「何でうろたえてるのか分からない」って言ったの。
そうしたら「分からないでしょうね、独身だもの」って。
何それ?独身女は友だちの”旦那”のナニを覗こうとして、ビーチハウスをふらついてるっていうの?
友人はどうだったの?何か違いが?
結婚したら、これまでの関係は白紙。結婚したら独身女の私たちは敵なのよ。
唯一、法律事務所で働く、独身弁護士だからか、ミランダはこの問題の考えを述べた。
結婚した女は脅えてるのよ、だって私たちがセックスできるから…いつでも、どこでも、誰とでも。
そんで怯えてるの、私たちがいつかどこかで旦那を寝取るんじゃないかって。
私は既婚者と寝たことはないわ。
何でそんなこと言えるの?結婚指輪はずせば、わかりはしない。
まさか!すべての結婚したひとがそう思うわけじゃない。
シャーロットは結婚を、必死になってでも入会したい社交クラブのように思ってる。
そうね、みんなじゃない。独身女を恐れないで、哀れむ人もいるからね。
そんなことない!
あれってほんとやだ。
オーケー、わかった、あるわ。ディナーパーティーで独身が自分だけだと、みんなの見る目が・・・
そうよ。はっきり言って、既婚者は敵なの!
ミランダは正しい?私たちは敵?
野球、ソフトボールで、飛球が捕球されたあと、走者が離塁し、次の塁に進むこと。
→リタッチ
打者が飛球を打ち、これを野手が捕球した場合、走者は投球当時に占有していた塁(元いた塁)まで戻り、これに触れ直さなければならない。
なぜヒット打って一塁だけは走り抜けて良いルールになっているんですか?→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426016954
なぜセリーグとパリーグに別れたのですか?元々は一つ?→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216537
年とってブランコ遊びしたいか?
ブランコで乗り物酔いできるか http://portal.nifty.com/koneta05/12/01/01/
年とって砂場遊びしたいか?
子どものように走り回りたい http://portal.nifty.com/2007/05/19/a/
年とってスポーツに100%集中出来るかい?
(適当なリンクが見つからなかったので自分の言葉で言いますけど)出来ます。
瞬発力が求められるものは身体がついていかないけど。
登山、フリークライミング、スキー、グライダー、パラグライダー、スカイダイビング、オートバイ、四輪自動車、自転車、スキューバ、水泳、ヨット、サーフィン、カヌー、シーカヤック、釣り、フットサル、ソフトボール、ゴルフ、マラソン、トライアスロン、...
年とってスポーツに打ち込む人はたくさんいます。
失われた10年を取り戻す。 http://d.hatena.ne.jp/shiinaneko/20090712/1247416381
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元増田さんが青春時代にしていたことは、まったく価値がないことだったんだろうか?
で、元増田さんが「今」やりたいこと、やっておくべきと思っていることは何なんだろう?
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なんか文章全体の雰囲気からして、
元増田さんは(意識していないかもしれないけど)積極的に「心の中は孤独」を求めてしまっているような気が。
理由は知らないけど。
もっと「馬鹿になる力」「やらなくてもよいかもしれないことをやる力」をつけたほうが楽になれると思います。
元増田さんの青春時代は、「青春なんて小恥ずかしー」とか言ってたんじゃないでしょうか?
なんとなく世の中を斜に構えて見ていたりしてたんじゃないでしょうか?
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090422-OYT1T00260.htm
【エルサレム=三井美奈】61年前の建国以来、絶えず戦争に直面してきたイスラエルは、自軍の犠牲者ゼロをめざす「無人兵器」の開発で世界の先端を走る。
空軍力の主力はすでに無人機が担い、1月まで続いたパレスチナ自治区ガザ紛争では、リモコン兵器が多数投入された。イスラエルが目指す「兵士なき戦場」は、未来の戦場の姿を示している。
ソフトボール大の球形カメラ、30センチ四方のリモコン車――。イスラエル軍がガザ紛争で使用した新兵器は、一見するとおもちゃのようだ。
「球形カメラを地下トンネルや建物に投げ込めば、昼夜、周囲の映像や音声が送信され、敵の動きをつかめる。リモコン車は偵察用で、爆薬を積んで突撃することも可能。共に市街戦で威力を発揮する」と製造元「ODFオプトロニクス」の開発担当、ヨシ・ボルフ氏は自信たっぷりに話す。
「ゼロイドみたいだな!」とあちこちでネタにしてるのに、知人の誰一人として乗ってこない。それどころか「何それ?」と返してくる始末。お前ら腕立て伏せ100回な。
好意を寄せている人と遊んだ。
待ち合わせ場所に集合し、天気が良かったから外でご飯食べた。
でも集合場所に遅れたからオレが飯おごり!
その後外をぶらぶらして、バッティングセンター。
帰りにそのまま分かれてしまったのが悔やまれる。送ってあげればよかった。
今回、二人で遊ぶに当たってどうすればこの娘を楽しませてあげることが出来るのかを
考えた。
まずは彼女の特徴から
1.自ら積極的に色々なことを経験してそれを楽しめる人
2.方向音痴
3.思いつきで行き先を決める
4.決めたのはいいが行き方が分らない
5.意外とだらしない
プラス面は明らかに1だ。
あと3。思いつきではあるが、こうしたい!というのがはっきりしているのはいい。
マイナス面は2と4と5。
これ見て、どこかに行けば、多分この人は自然と楽しんでくれるだろうと思った。
ただやりたいことが漠然としている傾向にあるので、決めて、さらにルールを設定してその枠内で思いっきり楽しんでもらうようにしてみた。
あとはその場所までどう行くかを案内してあげること。
<具体的施策>
・晴れていたから公園で昼飯を食べることを提案
・どちらが目的地に早く到着するか賭ける(見事負けて昼飯をおごらされた・・・)
・目的地に向かうまで、何があるかを観察し、思いつきで行き先を決めることに対応
「ここにいきたい!」→「それはなかったけど、これはあった!」→「じゃあそこにしよう!」という流れ
・100均のラケットとボールは卓球のように狭い範囲でやれば面白いことが判明。
しかし卓球台がなかったため、バッティングセンター前駐車場でのラインを使って遊ぶ。結構楽しい。
負けたらバッティングセンターおごりというルールを設定。
こんなことか。
自分は、口下手でトークで引きつけるということが出来ない。
だから合コンとか凄い苦手。
話し方もボソボソ。
でも行き先を決めたりとか、時間内で上手くルートを設定することとか、遊びで新しいルールを作って面白くするとかは得意。
相手の特徴を把握して、自分の得手不得手を把握して、その中で何をして上げられるのかが大事だ。
得意なところをガンガン伸ばしていこう。不得意なところは徐々に直していこう。
今までの経験から、不得意なことを無理に得意にしようとすると必ずひずみが生じる。
楽しくない。
日ごろから人を観察してコミュニケーションをとらないといかんなーと感じました。
彼女を作る作らないの前に、人に興味を持てとよく言われるけど、
そうか興味を持たないとデートしても、楽しませ方が分らずうまくいかないのかと今更ながら実感。
ていうか普通は特に考えてないの?俺だけ?
高い技術力を持っているのに、あと少しの山をなかなか越えられない選手がいる。そんな選手は、人にふりまわされ、つぶされていることが多い。いくらすばらしい力があっても、人間としての土台がしっかりできていなければ、本来の力を発揮することがかなわないのだ。
インターハイの優勝経験があろうが、なかろうが、日本記録を持っていようが、いまいが、社会人になるときのスタートは同じである。指導者はスター選手でも補欠でも、人として必要なことは徹底して教え込まなくてはならない。個性を尊重するなどと選手におもねて、叱るべきときに叱ってやらないと、ただの競技バカになってしまう。環境をどれだけ整備しても、そこに心がなければ人は育たない。そのときは選手に反発されたとしても、あとできっとわかるときがくると信じて、嫌われることを怖れずに向き合うのが、指導者の役目ではないだろうか。
世界一をめざしていても、どの競技も毎日は単調で地味な練習の繰り返しのはずだ。毎日を新鮮に感じて意欲的に取り組むには、単調なことを楽しめるよう、選手に“習慣”をつけてやればいい。
日本代表選手を預かったときは、代表選手にふさわしい態度について、選手に考えさせ、何度もレポートを提出させた。そんな抽象的なことを聞かれても、若い選手は何を書いていいのか頭を抱えてしまう。それでも考えさせる。そして選手の態度が少しずつ変わっていくのだ。
ソフトボールは、連係プレーの競技だから、日常から次の人のことを考えて行動できなければ、試合でいきなりいい連係などできやしない。だから、あいさつ、礼儀、気配りができる人間にしつけるのは、勝てるチームをつくるときの重要な練習の一つだと私は思っている。
最初はうるさく思われても、選手もそれが人としてあたりまえのことだとわかれば、あとはほおっておいても、自然と身につけていく。できない選手は続かない。競技生活をしっかり送り、全力でプレーして引退を迎えた選手は、皆、この狭い競技世界を出ても、胸を張って一般社会で生きていけるように育っている。
時代が変わり、選手に求められるものも変わってきた。たとえばメディアの取材に対しても、選手はそれなりのコミュニケーション能力をつけておかないと恥をかく。ふだんから、新聞や本を読み、人と話をして、会話が成り立つだけの一般常識や教養もほしいところだ。
もっとも、選手があまりに競技以外のことに一所懸命だと、「本業をおろそかにしてるんじゃないかっ」と雷を落としてしまうこともある。指導者だって人間。矛盾しているところもあるのだ。
優等生になんかならなくていい。やんちゃでも、人に対して誠実に向き合い、自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れず、やるべきことをちゃんとやっている選手は、最後に人に助けられる。