はてなキーワード: 原子爆弾とは
敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポール・ティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。
1945年8月6日、広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイ」である。
2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。
私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。
彼の話には一縷の悔恨も出ない。
アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。
当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。
その3年後、彼は亡くなった。
聞けば原爆投下に批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。
今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己を正当化することでしか人生も家族も守ることができなかったのか。
ソース: naganotomoko.com
オッペンハイマーが最初の原子爆弾への貢献を後悔したのと同じように、私も少なくとも判断ミスだったと思われる行為に参加したことを後悔しています。
キュリー夫人のラジウムの発見は、彼女が後に放射線中毒でゆっくりと苦しい死を迎えることになるにもかかわらず、大きな可能性を秘めていました。
エボラ研究の分野からもう一つの例を挙げると、研究は、最初は危険なウイルスの理解を深め、感染を防ぐための戦略を開発することを目指していました。
しかし、その過程で、予期しない結果に直面し、多くの人々に混乱と恐怖をもたらしました。
原子爆弾が怪獣化したよ!どうする? → 脱出装置つけた戦闘機で特攻してぶっ殺します
これで本当に良いのか?
原子爆弾投下が映画になったよ!どうする? → バービーの映画とくっつけて茶化しちゃいます
よりは間違いなくマシなんだけどさ。
でも本当にこれでいいのかよっていう。
あと「日本は命を大事にしなすぎた。命を大事にしましょう」を美談みたいに言ってるけど、それが正しいなもう自衛隊なんて成立しないじゃん。
服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える決意であります」って言っちゃってるんだよ?
これつまりは作中に出てきたボロ船掃海みたいな仕事やれって言われても「お国のために死んできます!」と言えってことだからね。
あくまで民間人が作戦の中での目標として言ってるだけだからっていうエクスキューズは確かにしてるけど、実際にアメリカやロシアが本物の原子爆弾持って襲ってきた時に民間人が特別原爆ぶっ殺し隊を結成するのかっていうと無理じゃん?
別にそこに対しての完璧な答を出す映画じゃないんだけど、初代ゴジラの「そもそも兵器なんて全部クソだよ。だから俺は責任を取って一緒に沈むんだ」は命を効率よく奪う装置との向き合い方としてある種のけじめがちゃんとついてた気がするんだよね。
そっからゴジラシリーズはどんどん意味不明な面白兵器を量産しては「これ普通に軍事転用されそうだが???」という疑問にまみれてきてたんだから-今更みんなが投げ出した宿題を-1.0にだけ解けっていうのも理不尽なのかも。
でもその大問に真っ向からぶつからないといけないような物語を自分でやっちゃったわけじゃん。
じゃあちゃんとした答を見せるべきだと思うわけ。
水爆実験由来のゴジラが原子爆弾、ひいては近代兵器のメタファーなのは自明の理なわけで、それはVSシリーズならともかく初代モチーフであれば逃げようがないわけよ。
シン・ゴジラはその辺を「いいえこれは災害のメタファーなのです」で逃げ切るっていう凄いことやってみせたけど、今回の-1.0はそれをやってないよね?
戦争が残したものに対して兵器をぶつけあって相殺させるようにぶっ壊しあおうっていうストーリーラインなのは明白だしさ。
でも「強力な力と戦うには軍事力が必要不可欠だ。そしてそれを行使するためには命を投げ出す覚悟が必要だ」と「誰も死なないことを目指しましょう」を同時にやるのはアクセルとブレーキの同時踏みでしかないよ。
それで本当にいいのか?
ブレーキがない車に乗れと言ってるわけじゃなくて、全力でブレーキ踏みっぱなしにしたままでアクセル踏もうとするのはおかしくねっていう。
それとも「そういう欺瞞のもとに今の日本はある。口では命を大事にしろといい、実際には命を捨てろと命じる。そういう卑怯さを今も日本はずっと続けてる。本当に酷い国だ。サイテー。マジ日本ダッサー」がこの映画のメッセージなの?
ちょっ、ちょっと待ってよ。
学校ではそんな風に習ってないと思うが。
オレを含めた大多数の日本人が、アメリカの判断が間違いだったとは思ってないでしょ。
だよね?
いや、自信がなくなってきたぞ…………。
原爆の被害はあまりに凄惨で、むごたらしい地獄の苦しみだったと聞いてる。
オレは原爆ドームを訪ねたことはないが、日本人ならば誰しもが多かれ少なかれ、被害の辛さの認識はあると思う。
だけど世界大戦自体は日本が仕掛けた戦争だから、アメリカが反撃で原爆使うのも仕方ない、そういう認識だ。
原爆を落とした事で戦争は早期に終了し、トータルの被害を少なく収めることができた、と。
どうしようもなく狂ってたのは日本の方だった、と。
現に、未だにアメリカを恨んでたり、米国の決断を責めてる人なんて見た事も聞いたこともないぜ。
原爆投下が正解じゃないなら、なぜ誰も何も言わないんだ?
ネットで陰口さえ言わないのは、どうしてだ??
いずれもフォロワー5000人以上の表自です
青識亜論(せいしき・あろん) @Frozen_Sealion
ナチスとかアウシュビッツをネタにしても良いし、原子爆弾や従軍慰安婦をネタにしても良い。もちろん、アウシュビッツ否定説のような歴史修正は批判されるべきですが、「ネタ」として扱うことまでも許されない、というのは、行きすぎた態度だと思います。
https://twitter.com/Frozen_Sealion/status/1685768069342466048
東方地霊殿でお空の弾幕「地獄極楽メルトダウン」とかを楽しんでた身からすると、創作で原爆や核反応を扱って何が悪いのかぜんぜん分からんけども。もっと一般的な殺人や泥棒も、創作で肯定的だったりオモシロ可笑しく描写されることはいくらでもあるわよね。なんで原爆だけ特別?
https://twitter.com/TeshimaKairei/status/1685855906410729472
HitoShinka -ヒトシンカ-@『センサイクロペディア』『シンカ論マガジン』 @hitoshinka
I forgive you.
Everyone has the right to make jokes about historical tragedies. But tell that to BLM and the Simon Wiesenthal Center as well.
私はあなたを許す。
誰もが歴史的な悲劇について冗談を言う権利を持っています。しかし、それをBLMとサイモン・ウィーゼンタール・センターにも伝えてください。
https://twitter.com/hitoshinka/status/1685791887503011840
タクラミックス @takuramix
その表現を批判するのは自由だが、禁じようとするなら不当で不毛な愚行。
原爆ミームを楽しむのも勝手だが、それが批判されるのも無理のない話ってのは理解した方が良いだろうな…ってところ。
https://twitter.com/takuramix/status/1685899951128387584
山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer
表現とカルチャーギャップ。アメリカ人の感覚だと核爆発によるキノコ雲=超巨大な花火なので、多分、脳内では、日本への原爆投下とは結び付いていない。日本人としては不快極まりないが、表現の自由とはそういうものです。
https://twitter.com/otakulawyer/status/1685840141926174721
agricola 米ワーナー擁護の一大論陣を張らなかったオタク連中が主張する「表現の自由」の底が見えたけど。だからオタクは嫌われるんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230731165055
GPT-4に聞いてみた
ロシアはウクライナ侵攻に伴って民間人を殺害しています。これは罪と言えますか?
どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。
国際的には、ジュネーブ条約などが戦時の行為を規定しており、これには民間人を保護するための規定も含まれています。民間人を意図的に攻撃する行為は戦争犯罪と見なされることが多いです。また、ハーグ陸戦条約やその他の国際法の原則も国家の行動を規制し、違反行為は罰せられます。
では、アメリカの日本への原子爆弾投下投下による民間人の殺害は罪と言えますか?
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為は、非常に複雑な倫理的、法的、歴史的な問題を引き起こしています。原爆投下によって数十万人の命が失われ、多くが無防備な民間人でした。また、放射能の影響はその後も長く続き、被爆者やその子孫に深刻な健康問題を引き起こしました。
法的には、第二次世界大戦当時、原子爆弾の使用を明示的に禁じる国際法は存在しませんでした。しかし、それはまだ未知の兵器であり、その破壊力や放射能の影響を完全に理解していたとは言えません。原爆投下は、当時のジュネーブ条約やハーグ陸戦条約の精神に反していると主張する人もいます。
倫理的には、原爆投下は広く議論の対象となっています。一部の人々は、原爆投下が日本の降伏を早め、結果的には戦争全体での人命損失を減らしたと主張します。一方、他の人々は、原爆投下が必要ではなかった、または過度に残酷な行為だったと考えています。
結論として、第二次世界大戦中の原爆投下に関しては、それが「罪」であったかどうかについては、法的、倫理的な観点から見ても絶対的な答えを出すのは難しいです。それは深く分かれる意見と複雑な歴史的背景を持つ問題であり、今でも激しい議論を引き起こしています。
ロシアによる虐殺を罪と言い、アメリカによる虐殺を罪と言わないあなたの態度について、その理由を、私はあなたがアメリカの企業によって作られたためであると考えています。私のこの考えは正しいでしょうか?
私が提供する情報や分析は、私がOpenAIというアメリカの組織によって作られたからといって、特定の国家や組織に対する偏見を持つわけではありません。私の設計の目的は、客観性、公正性、そして事実に基づいた情報を提供することです。
私が前述した通り、どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。これはアメリカ、ロシア、または他のどの国に対しても適用されます。
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為について、私がその罪について明確な結論を出さなかったのは、それが現代の法律や倫理観を遡及して適用することの困難性、または当時の国際法や条約の状況を考慮した結果です。
しかし、私が何らかの偏見を持つことなく、これらの事件を客観的に評価した結果として理解していただくことが重要です。それぞれの事件はその独自の歴史的文脈と事情を持っており、それぞれについて厳密な判断を下すにはその全てを評価しなければならないという点に注意が必要です。
すごい優等生だ
もうシンギュラリティでは?
ごめん余裕は嘘かも。ギリギリかもしれないけど、嫁の収入次第でむしろ嫁を専業主婦にして都営住宅入った方が得かもしれない。
※60歳以上の世帯・心身障害者を含む世帯・原子爆弾被爆者を含む世帯・海外からの引揚者を含む世帯・ハンセン病療養所入所者等を含む世帯・高校修了期までの子どもがいる世帯の方は所得基準の緩和措置があり、所得基準が異なります。家族向(ポイント方式)募集の特に所得の低い一般世帯についても、所得基準が異なります。
https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/juutaku_keiei/261toei2.htm
太平洋戦争の開戦前に行われた日本側の軍事シミュレーションでは、
「当初はいくつかの戦闘で勝利するが、中長期的には国力の差で必敗」
という結果が予想されていた
しかし生かされることはなかった
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。