はてなキーワード: バイオエタノールとは
バイオエタノールも初期投資が大金とか取り扱いに資格が必要とかゴミが大量に出るとか精製が手間とか熱効率あまりよくないとかいろいろあるんだが、少なくとも保管と運搬はノウハウは成熟しきっている
◯再エネ
発電効率が悪いから。金がかかるから。加えて、自然環境を破壊するから。眩しいから、煩いから、ぐらい書けないの?
これだけ長文なのに「供給が安定しないから」しか書けてないよね?足りないなら増設すればいいでしょってなるよね?発電方法の多角化である程度安定化できるよね?
安定供給を目指せる再生可能エネルギーもあるよね?地熱は?水力は?潮汐は?バイオエタノールは?知らないのかな?
https://www.sankei.com/economy/news/170730/ecn1707300002-n1.html
https://www.enecho.meti.go.jp/category/others/tyousakouhou/kyouikuhukyu/fukukyouzai/ck/2-1.html
歴史的視点から語るなら、もう少し引き出しが欲しところだね。戦後も石油の高騰で困ってきたよね。
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/shared/img/77nnm-2b0lkqzn.gif
こんなの書くまでもない。項目を増やしたくて苦し紛れに書いたのか?「テストでなぜ原発は危険なのに使われているのでしょうか?」って問題があったら、「電力がなきゃ生きていけないから」って書く?書かないよ。文字数の無駄。
どうせ書くなら冒頭の
を、活かせよ。
メタンwwwwwwハイドレートwwwwwww。昨日初めて知ったのかな?
うん?それだけじゃないよね?なんで書かないの?知らないのかな?僕が教師ならその答案は10点中3点かな。
エネルギー問題の救世主として期待されているメタンハイドレートですが、天然ガスの代わりにはならないと考えている専門家もいます。その根拠としては、メタンハイドレートがばらばらに存在していることや、実用化にコストがかかりすぎること。ガスに変換するためにもエネルギーが必要なので効率が悪いことも挙げられています。
新しい視点ね、新しい視点w。少し調べれば10年前の記事が出てくるんだけどね。
これを考えている方は想像力がかなり足りない。
君の「僕の考えた最強の反原発者への反論」は既出の議論の域の半分にさえ達していない。稚拙。ゴミ。中学生の方が君よりいい「手紙」が書けるだろうね。
どうして少しぐらい調べてから書かないの?少し検索すればgo.jpで山ほど出てくるよね?
なんでこんなに内容のない長文書いたの?何か意図がある?夏休みの作文の宿題だったの?早くから取り組んで偉いね。
足りないのは君の方だよ。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。
飼料は一例で、バイオエタノールもあるし、物によっては我々の知らない利用法もあるでしょう
もちろん恵方巻きも一例ね
コンビニオーナーの廃棄料はまた別の話
フランチャイズブランド価値のためにある制度で、その制度の是非は置いておくとしても、正式な廃棄手続きが行われたものは本部が引き取って業者に売って利用してもらえばそれでいい
店だって廃棄させずに売り切る方が得なのに、機会損失をより嫌って過剰供給をしているのは戦略があるからだ
原価と売れる見込み個数をあらかじめ計算した価格設定にしておき、廃棄分は廃棄してもともと、一本でも見込みより多めに売れるとラッキー、という商売をしてるので、現状ですでに儲けに最適化されてるわけだ
しかし、資本主義的には正義でも、資源として感心できることではない
と、すると、どうすべきか?
もともと廃棄されるものなので、タダ同然で廃棄食品を購入することができるはずだ
人が美味しく食べれる物を、人が食べない、という点に関してはもったいないのかもしれないけど、地球上の資源ロスの視点なら全く無駄がない
スーパーは恵方巻きの利益が最適化、飼料メーカーは原価がタダ同然で入手できる、牧畜業は飼料が安くなって嬉しい、消費者の我々も、季節イベントを楽しめて、肉は値下がりする
みんな幸せ
残飯由来バイオエタノールの刺すような臭いとチクロの人工的な甘味。そしてあとに残るサッカリンの苦さ。
平成時代のそれとは似ても似つかない現代の配給品ストロングゼロ。あの、手軽で多種多様な味わいは、恵まれた自由経済や穏やかな日々と共に失われてしまった。
しかし、今もなお、この極東の島々で人は生きている。ここにはかつてと変わらないこともある。
鼻を突く臭いに耐えながらストロングゼロをのどに流し込む。後味の苦さを避けるには飲み続けるしかない。胃に広がっていく粗悪なアルコールの感触。
火照る体に目を閉じて考える。
今のストロングゼロはサッカリンの苦みがあるからストロングゼロ飲むと苦みがあとからくるんだけど、飲んでるうちは感じないから飲み続けて苦みを感じる前に酔えば苦みを感じる前で酔うからあんま苦くない。だから飲むかーってなると全部飲んですぐ次のむかってなるからみんな飲むんだと思う。薬でおんなじ味だしね。
イオンの不誠実さも非難されるべきだろうけど、イオンの気持ちもわからなくもない。
なんでウチだけだ、というようなユッケ社長的な気分もあるだろう。
俺はちょいちょい中国方面に旅行に行くのが趣味なんだが、あちらの食い物など食って大丈夫か?との心配を頂くことがある。
確かに手放しで安全とは言いがたい。現地テレビ放送も、安全な野菜の選び方なんかを特集しており、現地人に危機意識もある。
しかし最低限のことに気をつけていれば、概ね問題ない。いや、問題ないかどうかは数十年経ってみなければわからないかもしれないが、現状特に健康被害はない。
あちらでは快餐というスタイルの、チョイスしたおかずぶっかけ飯を喰うことが多い。指差しだけでメニューを選べるので、外国人旅行者にも人気だ。
快餐屋は一食500円以上する店もあれば、20円以下の店もある。
件の20円以下の店は、そのイカレた安さから人気があるかというとそうではなく、汚い身なりの労働者がパラパラといるだけで、全く繁盛していない。店もボロく、匂いも臭い。
そんな店で何かを食いたいかというと、どんなに安くても御免な訳で、概ね200円ぐらいの店に入ることが多い。
お肉などは公設の市場があり、そちらをブラブラみて回るのも楽しい。
見たこともないケモノヘンの漢字の獣肉がところ狭しと売っている。貂なんて食えるのか、と感動することもある。
あちらでは、鳥肉は鶏よりも鴨の方が、比較的メジャーと思われる。
彼の鴨肉であるが、これまた一羽丸鳥で、千円近い品もあれば、百円以下の品もある。
件の百円以下の鴨が、これまた鳥だけに飛ぶように売れるかと言うと、無論そうではない。
モノには適正な価格があるということは、実際誰でも知っていることであり、現地の人間はもちろんのこと、ポッと出かけた旅行者ですら、小一時間も市場をブラつけば、概ね把握できる。
その中で極端に安いものがあれば、それを警戒するのは、ごくあたり前の心理である。
その警戒を、果たしてスーパーのバイヤーが、冷食工場仕入れ担当が、共有しているかというと、当然共有しているだろう。
本部の人間は安くしろと要求する。日本の経済の仕組みでは安くするのが正義だろうから。
彼の国では、安くしろというと、下限知らずにどこまでも安くなる。数十円の丸鶏があるお国だ。
大阪西成に俺の愛するスーパーマーケット、スーパー玉出という店がある。
こちらの惣菜が実に象徴的で、精肉コーナーに豚バラ肉が100グラム120円前後で売っているのに対し、デリカコーナーでは豚バラチャーシューが100グラム80円で売っている。
パートのおばちゃんが手間暇かけてコトコト煮込んだチャーシューが、生肉より値下がりするなどという、河原の積み石よりやりがいのない過酷な労働を、彼女らに強いている訳では無論ない。
それら加工食品は、その出自を明らかにする必要がないから、原材料費をどこまでも抑えられる。
そしてそれが今後どのような影響があるのか、それはわからない。
今後、米農家の補助金が削減されていく趨勢にあるとのことらしい。
これに関しては全く恐ろしいという気持ちにしかならないが、ウェブ上では、補助金ジャブジャブの農家は潰せとの声が高い。
実際厳しい競争の中で生きている、都市部の住人にとって、不公平感があるのも理解できる。
しかしながら、総じて先進国の農業で、全く保護を必要としない分野はどれほどあるものだろう。
無論、規制を緩和して、やる気のある農家や企業の参入を推し進めるのは良いことだろう。
農業大国と言われる国々、特にアメリカ、フランスでは、補助も厚い。
アメリカでの農業補助金は、大別して5種類。作付面積に対する補助金。市場価格による差額の補助金。ローン充当補助金。最低価格保証金。作物保険への政府充当金。などなど、日本の補助金など可愛らしいと思えるような補助金の幅の広さ。
その上先般のバイオエタノール原料買い付け保証などなど、挙げたらきりがないほど補助金ジャブジャブである。
特に市場価格ベースの補助金は、WTOからお叱りを受けかねない、輸出補助金に触れると見られており、今般のTTP交渉では果たしてどうなるかというところでもある。
この恐ろしい規模での補助金によって、折角の国連の援助を受け殖産された後進国の綿花、穀物畑などが、価格競争で打撃を受けて青色吐息だそうだ。
例えばコーンだと、その金額の八割以上が補助金に依っており、俺達が喰うケロッグコーンフロストは、アメリカ人の税金によって八割増量してもらっている。
そして当然アメリカであるからして、その全補助金額の七割以上が、上位数%の大規模農家によって独占されている。
まさにアメリカというお国柄らしい、ビッグになるほど保証も厚い、悪夢的アメリカンドリームの類の補助金だ。
方やおフランスでは、アメリカ同様、斯様な大農家向けの補助金も充実しており、これまたグレーな輸出補助金の類も、ジャブジャブ拠出しているのだが、反面、小規模農業のみならず漁業、加工業への保証もこれまた厚い。
例えば農地のその周辺環境、景観への配慮などを目的とする補助金。また産品の国定ブランド化とそれへの国際的な法的保護、輸出補助金など、小規模でも国際社会で十分戦えるような保証が充実している。
彼の国の優良な小規模一次、二次産業への保証は、単にその百姓の生活、土地の景観、田舎ワイナリー、漁港を守るという小さな目的ではなく、それに付随する食の安全と文化、外食産業、観光業、ひいては国のイメージという、より大きな対象への投資なのだろう。
翻って日本には、果たして保護に値する農業、食産業が無いだろうかというと、全く実に多い。
地方地方に奇妙な郷土料理や農法やらが、険隘な国土ならではの多様性に富んでおり、港町に行けば、寿司屋の生ゴミかと見まごう奇妙な鱠が出てきたり、山国に行けばタクアンのままで美味いのになんで燻製にしちゃったかなーという漬物が供せられる。
狭隘な土地に無理やり作った田畑や、それにまつわる行事や伝統産業ら、それら無数の多様性が重層的に折り重なり、文化というものが形成される。
食にやかましい中国人に、俺はベトナム料理が好きだと述べたところ、中国人は鼻で笑って「ベトナムに料理なんかねーよ。美味しい菜(惣菜)ならあるけどな」とのたまう。
バイオエタノールを本気で使い出すと食糧問題が噴出する
原子力マンは倒れたのです。必殺「お得な深夜電力ビーム」も、もう放たれることもなくなるでしょう。
でも恐竜が絶滅した結果、哺乳類が地球の支配者となったように、この事故を契機に巨大な施設に発電能力を集中させる時代は終わり、もっと身近で小規模な発電が主役になる時代を迎えるのかもしれません。
産業界においては六本木ヒルズのようにビルや工場でも自家発電で賄う方向に。
一般家庭では太陽光発電もこれまで以上に普及するだろうし、太陽光を使えない場所ではガスを使った家庭用燃料電池が大ヒットしそうな予感。
プリウスがこれほど売れるお国柄。一度火がつけばあっという間に自家発電が当たり前な世の中になるでしょう。
一時的には石油や天然ガスへの依存を高めることになりそうだけど、それらもなるべくバイオエタノールを循環させる方向で。
もちろんその他の自然エネルギーも頑張れ。
じゃぁ高付加価値品を作ればいいじゃないか、ということになるんだけど、「間伐材でもいいから、国産の杉材じゃないとできない高付加価値品」ってのが何よ?って話。
難しいね…考えてみたけど、一つしか思い浮かばなかった。
・国産である事それ自体
別の見方をすれば、木材生産→輸送→製品製造の過程において、環境にかける負荷が少ないという点。
外国産の木材は、輸送過程では大量の石油を消費し、温室効果ガスを排出している。
だから、環境に掛けている負荷が、正確に価格に反映されるような制度を導入されれば、国産材に付加価値が出てくる。
具体的には、
・国内産の木材を利用した製品にエコポイント的なものを付与して、実質的に輸入品より安くする。
・輸入材から国産材に切り替えた場合、それによって削減できた量に相当するCO2排出枠を与える。(もちろん、その排出枠は自分で使っても良いし、売っても良い)
・カーボンフットプリントを表示し、環境に関心の高い一部の消費者の購入意欲をそそる。
とか?でも、けっこう大きい話になっちゃうね…。
あとは、どうしても輸入に頼ってはマズイものを生産するのも一つの手だと思う。