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はてなキーワード: ストッキングとは

2020-11-17

anond:20201117141055

フツーの疲れたOLは家に帰ったら服脱いで洗濯して

うがいしてマスク洗ってストッキングも干して

つくりおきのおかずタッパから出してあたためてご飯もあたためて

食べたら即歯磨いて、シャワー&お風呂

そのあと翌日着る服確認して、バタンキュー関の山よ。

週末は買い出しと、大掛かりな掃除おやつカウチ🍟

撮りだめた録画をまとめてドラマみて、久々にネイル塗って

やっと日曜友達ちょっと遊びに行くかなーって感じ。

anond:20190614200642

ストッキング好きというと猛反発される程度にはみんな嫌いなんだと思ってた

なくてはいられないほどではないが靴下よりははるかにマシ

2020-11-15

おっぱいいらん

男みたいにブラ付けないですぐ外出してみたいよ

いちいち化粧してブラ付けてストッキングはかないと外出できないの

マジ不便

やってられん

2020-11-11

anond:20201111190513

シーズンごとに下着靴下ストッキングを買い替える神経質な人間がその価格帯の靴下履くだろうか。

安すぎるものって洗うと痛むよね。

anond:20201111185241

ブラジャーは高い。

最近現実の女は極度の貧乳爆乳以外春〜夏は結構ブラトップ

ストッキング重曹につけとくと臭くなんないから案外断線するまで2年3年履いちゃう

と思うんだけどどう思う?

anond:20201111184950

汚いな。パンツ大腸菌ついてるらしいからそれなりの頻度で買い替えなよ。

まあその人はネカマだろうね。

タイツストッキングなんてデニール数によって消耗度違うからシーズンごと買い替えなんてやり方しないし。

肌触りや耐久性や透け具合の好みもあるからメーカー一切見ない人は稀。

anond:20201111184315

ネカマだろうけど、

無意識に買ってると思うよ。

コンビニ薬局に売ってるタイツストッキングってATSUGIGUNZEばかりだよ。

普段どこで買ってたの?

anond:20201111183927

ただの黒のタイツストッキングって買いたいから買うものではないからそれもおかしい。

男でいうカミソリの替え刃みたいな消耗品だよね?

欲しい欲しくないではなく今年は外出回数減るから要らないの。

anond:20201111183916

アツギの業績がどうとかじゃなくて、

オタクだろうが非オタクだろうが殆どの女はタイツストッキング履いた事あるし、

ATSUGIGUNZEが一番色んなところで売ってるから買ったことない女なんてほぼ居ないよ。

オタク女は既に客だよ。

実を言うと、フェミニズムはもうだめです。

 突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。



   *



 フェミニズムは全ての女性を救うわけじゃない。


 すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割ピークを迎えようとしている。

 言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまりフェミニズムは数あるライフスタイル思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。

 結局のところ、フェミニズムは全ての女性対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである論点取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。


 考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないかである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性弱者男性のみならず、男性女性総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来理念であったのだ。

 とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地存在しない筈なのだ

 換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。


 いずれにせよ、全てを救う思想というもの現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。

 フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシー広告現実人間リスクを生むので自重すべき」、というシンプル命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。

広告セクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャル広告価値のみならず女性価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方評価したところでもしストッキングタイツを身に着けた一般的女子存在性的に眼差されたら貴方責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的女子」とされる存在の中から、「広告セクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性パージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニスト活動は、女性総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。

 でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。

 無理。

 無理だから

 例えば、ソマリアでレ○プされている少女フェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治役割である。とにかく、世界同時革命的に思想啓蒙を行うことは無理なのである逆襲のシャアを見ろ。

 そんなこんなで、フェミニズム役割限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。


 話を戻すと、結局のところフェミニズム限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たち救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。

 逆に言えば、フェミニズム自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである企業マーケティング一挙一動監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズム役割ではない。それは本来公共広告機構ジャロ役割だ。

 ソマリア女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である

 役割限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告バッシングされることで不利益を蒙る企業存在するのが現実だし、あるいは、広告バッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。

 全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。

 そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなである


 つまりここにおいてフェミニズム立場は相対化されることになる。

 フェミニズム自身擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。

 そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムけが特別というわけではないのだ。


まとめ


 警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というもの存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。

 それは恐らくフェミニズム限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。

 勿論、救う対象限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることな人間には所詮できないのだから

 とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身限界意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞うフェミニストフェミニズム傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。

ATSUGI炎上ディレクション

ATSUGI炎上の件でディレクション必要性を痛感した話。

まずわたしは女で、ATSUGIタイツストッキングを愛用していたオタクです。

また、仕事広告関係に関わる社会人でもあります

今回の炎上萌え絵(と括るのも抵抗はあります総称として)使用以前のディレクションという点でまとめたいと思います

まず結論としては今回のPRは失敗だったと見ます

理由としては、主要顧客であった女性が引いてしまい同社の製品を手に取ることを躊躇う状況ができてしまったためです。

新規顧客を掴むためにうったPRでであれば従来の顧客にそっぽを向かれるのは本末転倒です。

ではなぜそのような事態になったか

性的か否かは個人物差しなので、その目線は極力排除して、ディレクションという点で考えたいと思います

1)PRイラストとしては統一性がない

2)商品が見えない

3)ファッション

4)上記から見える自社製品への無関心さ


1)PRイラストとしては統一性がない

完全にディレクションされていないと感じた部分の1つです。

これは絵柄についてではなく、季節感シチュエーション統一についてです。

PR11/2の「タイツの日」に合わせたもので、PR先はこれからタイツを購入する人たちです。

ATSUGIとしても冬用のタイツを購入してほしいでしょう。

それなのにイラスト春夏秋冬全てあります

これが通年の「ATSUGIという社名・商品を知ってほしい」というPRならおおよそ合致しているとは思いますが、だとしたらむしろ秋〜冬のイラストが多すぎると感じました。

また、シチュエーションの貧相さも気になります。多くが「働く女性」か「学生」で、例えば友人と遊びに行く私服イラスト、1人の時間を楽しむイラストなど、女性私生活に寄り添ったイラストが少ないのが気になりました。

こんなに沢山のイラストラーターに発注するのですから、出来うる限りシチュエーションが被らず、いろいろな趣味仕事生活をしている女性を満遍なく配置したいと思うのがディレクションでしょう。

またツイート方法違和感があり、ATSUGIアカウントではなくイラストレーターのアカウントツイートする方法会社PRとしては不適切です。全て統括して企業アカウントツイートするべきだったと思いますし、イラストには企業ロゴを入れ「企業企画であること」を主張するべきです。


2)商品が見えない

次にこの問題ですが、イラストを見て商品の良さや特性が分かりにくい問題があります

イラストを見て「この商品電線につよい」「足が細く見える効果がある」「おしゃれにみえる」など、タイツストッキング付加価値が分からないのはファッションPRとして不十分です。

これは1で書いた「統一性」ともリンクするのですが、ほぼストッキングか黒タイツといつシチュエーションの少なさも問題だと思います

商品服装指定をしたとの説明も見ましたが、ならば企画側が商品の見せたい部分・特徴をきちんと説明してその部分を見せられるイラスト修正しなければいけないと思います

イラストレーターさんも商品指定されていたのなら特徴部分を隠して描くとは考えにくいので、指定の有無についてはきちんと明言してほしいところです。

(今後、イラストレーターさんが「あの人は指定無視して納品してくる人」と思われてしまうのはかわいそうすぎます


3)ファッション

これは声を大にして言いたいのですが、ファッションリアリティがないものが多すぎます

今年のトレンドを入れたほぼ皆無です。

しかに今年のボトムストレンドはロングスカートワイドパンツ女子高生スカートも長めなどのタイツが見えにくいトレンドですが、だからこそ「どうやって着たら良いのか」を提案するべきです。

全てを今年のトレンドにする必要はないと思います。これも色々なシチュエーションが欲しいです。

メイド服メイド喫茶で働く方やコスプレをしたい方には刺さるでしょうし、タイトミニスカートショートパンツもその服を好んで着る方はいます。でもそればかりでなくロングスカートカラータイツの色合いで楽しむイラストや、エキセントリックな色の組み合わせのイラストや外で子供と遊ぶお母さんのイラストなどがあった方がATSUGI商品の幅も見せられてよかったのではないでしょうか。

イラストレーターさんの中にはもともと女性向けに描かれている方やファンタジー系の絵が得意な方もいらっしゃいました。その得意分野を活かしたイラストディレクションしてあげられなかったのは悲しいなと思います


4)上記から見える自社製品への無関心さ

最後にこの問題ですが、少し感情に訴えかける部分があり、わたしもまとめきれていません。

ただ、主要な消費者である女性はちぐはぐな季節感使用方法シチュエーションの少なさに対し敏感に「自社製品に対する愛のなさ」を感じたのではないでしょうか。

それは使用者のリサーチ不足や雑さを感じさせ、疎外感を覚えたのではと思いました。

タイツストッキングは「仕方なく着用するもの」や「防寒着」であり「自分を美しく見せるもの」でもあります

自分を美しく見せるもの」は男性目線を気にするということではなく(その場合もあるでしょうが)「自分テンションを上げるため」という側面があり、それは仕事や通学以外にもいろいろな場面で発生します。

そのリサーチがされていないように見える企画に一歩引いてしまったという印象を受けました。



以上がわたしが今回の炎上に感じた問題です。

おそらく適切なリサーチ企画ディレクションをされていないために起きた問題だったのではないでしょうか。

広告は「美しいイラスト」だけでは成り立たず、運用方法や魅せ方がとても重要です。

もっと慎重に企画を練り打ち合わせを重ねてPRをして欲しかったと思います

最初に言ったようにわたしは女でありオタクです。萌え絵かわいいと思いますし今回のイラストオタクとして見た場合は素敵なイラストだなと感じると思います

この企画がうまくいっていれば「萌え絵ファッション」という分野が確立され新しい広告の打ち出し方が出来たのではないかと残念に思います

感覚ですが、10代の方達は上の年代よりイラストに対して柔軟に捉えているとは感じます

その若い年代ファッションを紹介するという点で、萌え絵と呼ばれる分野は武器になる場合もあると思うのでその方向が炎上してしまったのは悔しいです。

まとめきれていない上に長ったらしいですが、今回の炎上広告目線で興味深い案件でしたので、メモとして残しておきます




どこにも書けなかったけどタイツの売り上げをあげたいのならリモートで家からまり出なくても着用したくなるようなPRイラストも欲しかったなぁ。

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-11-09

anond:20201105184305

ストッキングが窮屈ってどんな着圧強いの履いてるんだよ。 これだからネカマは。

着圧強いなんて書いてないだろ。膝下スカートパンツスタイルよりも窮屈なのは議論余地がないと思うが?

どれだけ文章読めないんだよ。これだから脊髄反射脳は。

2020-11-08

anond:20201107222616

おい増田カップ麺オナニーって知ってるか?

カップヌードルの底に穴を開けてオナホにするんだ

もし日清社員の目の前でカップヌードルジョークグッズとして使ったらどうなる?

怒られるよな

たぶんうちの商品をそんな風に使わないでください、とか言うだろう

イメージ大事にする企業ならそれが普通

で、だ

今回のは日清公式カップヌードルでシコろうキャンペーンをするようなもんなんだ

「世の中にそういう見方がある」のと「公式がそういう見方肯定する」のには大きな差があるんだ

追記

文盲のために書いといてやるが上記の指摘は下記引用への反論

たとえば「これを機にタイツエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。

女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツけが例外だったとする認識おかしい。セーラー服ハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである

タイツエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きいただきましたので性的まなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだアツギが種を撒いたことにはならない。

まり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。

2020-11-07

アツギやらかし本州の果ての街が苦しむ

本社の北の果て、本州最北端の駅(注)がある街に生まれた。

この街にはアツギの基幹工場があるり、国内生産品のほとんどはこの工場で作られている。

神奈川海老名市本社がある企業がどうして本州の果てに工場を持ったかというと、約50年前に市長が頭を下げて工場誘致したからだ。

まともな働き口といえば公務員原発自衛隊病院ぐらいしかない街において貴重な働き口だった。

自分の両親はこの工場生産現場で働いている。

俺が高校生の時の人生初のアルバイト先にこの工場を選んだおかげで、どんな環境か知れた。

ストッキングの染色液で鼻を突きさすような刺激臭がする工場内。

耳が壊れるんじゃないかと思うほどの爆音を立てる織機。

仕上げ処理に高熱処理が必要なため常に火傷と隣り合わせの生産ライン

両親はこんな大変な環境薄給で働いているのかと驚いた。

そんな工場コロナ禍で1000人弱いる従業員の1/3の人員削減余儀なくされる。

同市の労働人口は3万人前後であるから、単純計算で同市の失業率が1%強増加しかねない。

市長アツギ社長雇用継続を直談判したり、地元職安対策本部を設置するほど大問題になっている。


ちなみのこの市長は「GOTOキャンペーン政府による人災だ」と言った市長である

春のマスク不足騒動時に工場マスク生産して全市民無料配布していた。

その折には「市の誇りであるアツギブランドPRしましょう」とも言っている。

https://twitter.com/mutsurepo/status/1253919973241581569

注:4月25日ツイート

こんな状況の中でのこの炎上である

個人的にはあの広告危ない橋を渡ったなという印象を持った。

から不買する人はすると思ったし、それは消費者権利からどんどん自由にやればいいと思う。

けれど悪いのは本社管理体制意識であるのに、それで地方工場側が苦しむ結果になるのは、どうしてもやるせないと思ってしまう。


注:「本州最北端の駅」とググる三厩駅としている記事トップにでるけど間違いです。

  三厩駅:北緯41度11

  下北駅:北緯41度16分

タイツキャンペーンがほどよくフェティッシュだった問題

https://anond.hatelabo.jp/20201107053636

今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。

それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメ散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。

口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチ燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文まりで発展性がない。

そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリー確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。

説明されなきゃわからないのか」。

説得力を完全に放棄たこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。

なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。

自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスコメントはほかにもいくつもありました。

どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプ自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。

一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。

たとえば「これを機にタイツエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。

女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツけが例外だったとする認識おかしい。セーラー服ハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである

タイツエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きいただきましたので性的まなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだアツギが種を撒いたことにはならない。

まり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。

ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?

追記

議論が深まっ太郎

anond:20201107174957

有料部分。マスメディア学者が組んでこれだもの

大妻女子大学田中東子教授メディア文化論)は「女性向けの商品を扱う企業でありながら、性的まなざしさらされることを女性がどう感じるかという意識が圧倒的に不足している」と「社会との意識のずれ」を指摘する。

 「担当者だけの問題ではなく、投稿前に社内で不適切判断し制止すべきだった」とし、「ストッキングをはく女性性的消費対象にする文化男性中心社会で培われてきた。こうした文化に染まりすぎ、感覚がまひしていたのではないか。社内の意識も変えなければいけない」と話す。

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASNC46FQKNC4UTIL00Z.html

よって、

いや、アツギの絵についてはほとんど性的消費とかの文句ついてなかったぞ。

という前提は誤り。

せめて女の肌着メーカーくらい女のお気持ちに敏感でいてくれよ

まず前提として最低限共有してほしい。女にとって性犯罪子供の頃からずっと、すぐ隣にある現実なんだ。ネット上の議論ネタなんかじゃない。ランドセル背負ってる頃から「いたずら」され、電車に乗る時は痴漢を気にして、どんなに気をつけても通りすがり自転車で胸を揉み逃げされたりする。それが当たり前の日常

からこそ、望まない相手から性的視線には敏感になる。ならざるを得ない。だって相手が「ただ内心で狙ってるだけ」なのか実行に移すタイプなのかなんて分からないのだから。もし実行されてしまえば、恐怖や屈辱を味わうのは自分だ。望まぬ相手から、あるいは望まないシチュエーションで、エロい目で見られることは、性犯罪への不安と地続きであり、とても不快で怖いものなのである(こう表明すると、内心の自由踏み込む気か、と怒られることがあるけれど、そんなことは実際誰にもできない。表明しなければ、不快であることすら分かってもらえないだろう。さら不快な状況がもたらされることは想像に難くない)。

たいていの人は、日常にそういう不快感を持ち込みたく(持ち込まれたく)ない。でもしばしば、意図せずそれは起こる。服装にどんなに気をつけても。ブコメで勝ち誇ったように「どんな服装してもどうせエロく見られるんだから」と言っている人たちがいるが、そんなのとっくに知っているのだ。それでも不快もの不快から、せめて痴漢に遭いにくい(と言われる)格好を選んだり、ブラが透けないように、下着の線が出ないようにと工夫するしかないのだ。時に自由にオシャレしたい気持ちとの綱引きで、各々の許容ラインが決まる。「だらしない」「職場学校不適切」という評価との絡みもある。かなりデリケートで、個々人の「お気持ち」が渦巻く作業だ。

タイツは、そういう意味でわりと「安全より」の選択というイメージが大きいように思う。特に透け感がないものカラータイツは「色気がない」から。実際、今回の企画カラータイツの絵はほぼなかったようだし、透け感のある、ストッキングでは?的なものが多くモチーフにされていた。

けれど、言葉として「タイツ」を使った。

今回、キャンペーンを通じて企業のしたことは、「タイツ」はこんなにフェティッシュ欲望対象になってるんですよ!と、大々的にユーザーに知らしめることだ。「タイツ」に向けられるエロい視線を暴いた。とても上手いイラストで、絵師の拘りが十二分に表現されたもの、そしてそれにつけられた興奮するリプライの数々で。

結局どんな格好をしてもエロく見られる。そこから逃げられない。そんな不愉快現実があるとして、なぜ女性肌着メーカーから、突きつけられなきゃいけないのだろう。激烈な反応を示した人が多かったのは、単なる「不快お気持ち」でなく、不安を誘ったからだと思う。

するべきこととまるで逆だろう。

無関係外野に、ではない。せめて女性肌着メーカーくらいには、「エロく見られたくない相手/時には見られたくない」という女性の「お気持ち」に寄り添って欲しいと切に思う。

2020-11-06

あのタイツの件ですけど……

 アツギフルボッコにされるのは特に同情しない。が、フェチの人には同情してしまう。

 性癖(誤用)が、フェチを共有しない人を含む広範囲に、事細かに晒され、気持ち悪いとさえ呟かれ、いたたまれない思いをしてるだろうな。

 自分性癖がそんな風にされたら打ちのめされて、好きなものにも興奮できなくなりそうだ。

 もちろん気持ち悪いと言う人が悪い訳ではない。ストッキング越しの足指や足の裏に興奮されていることを知って慄く人は悪くない。

 ただ、間違えた広告キャンペーンとは罪深いものだ、ということ。

anond:20201106110235

今日び薄くてもあったかストッキングは出てるし、知りたいのはむしろそういうことなんだよ。

ATSUGIストッキングがあったか仕様かは知らない)

薄いのは防寒じゃなく足を綺麗に見せるのが機能性だし、オープントゥストッキングとか「そんなのあるんだ!」って普通に思ったぞ。

タイツの日にストッキングまで広げて訴求するのも何がダメなのかわからない。ATSUGIストッキングのが市場かいならそうなってもおかしくないのでは。

ネカマって言うだけで論破した気になってるの恥ずかしいからやめたほうがいいよ。

2020-11-05

anond:20201105185602

そんな他人気持ちなんて知らん

ただ本人的には綺麗なラインが出るストッキングタイツを履くと上がるんでしょ?

俺はたまたまそれを見せてもらって「おうおういいじゃねーか」っていう

野次馬しか過ぎないわけだが、ここまで企業努力に努めたメーカーには感謝しかないわ

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