はてなキーワード: ウィットとは
ウィットが効いているのな、で終わっているのかも
お前みたいなやつの将来の年金を払うのも、その「赤ん坊とかいう、ウィットもねえし、俺のパンチ一発で沈む雑魚を異常に崇めたてまつってる姿ってマジで異常で、本能の傀儡感がすごい子」たちなんだよな
ウィットもねえのはどっちだよw
産後まもない人間(0歳児を育てている人間)が書く子育てエントリみたいなのがすげー嫌いで、読んでいると自動的にメチャクチャしかめ面になってしまう
ダンゴムシ程度の影響力しかない俺ごときがいくら不快になってもどうでもいいし、出産人間はドンドン元気にやっていただいて、俺の老後を支える宝子を頑張ってそだてていただければよろしいんだけど、それはそれとして、なぜあんなに産後エントリがキモいと感じるのかはわかりたい
まずひとつ、「俺は人間が動物らしさを晒している光景を見たくない」というのがある
人間って結局毛がないだけのキモい猿なんだけど、ああ、俺って毛がないキモい猿だ!と思うよりは、俺って万物の霊長だ!と思いながら過ごしたいという気持ちがある
人間を万物の霊長だと思い込むにあたって、生殖でハイになってる人間はもう、ノイズでしかない
赤ん坊とかいう、ウィットもねえし、俺のパンチ一発で沈む雑魚を異常に崇めたてまつってる姿ってマジで異常で、本能の傀儡感がすごい
俺は人間は本能を律して生き物としてダメな行動をとりまくって絶滅してほしいと思ってるから、そういう、生殖やって大喜び!みたいな姿は、ちょっと受け付けない
醜いんだ
獣っぽいんだよ
実際、俺はオナニー中に突如人間のセックス姿を見ることが堪え難くなって、「サルがよ……」つってアダルト動画の再生をやめてしまうことがある
赤ん坊に対して「かわいい〜💖❤️」つってる人間は、オホオホ言いながらセックスしてる奴らと同じくらい見苦しいし、シコれない 不快なだけ 最悪
そんで、もうひとつ、やっぱ、子育てって、倫理的によろしくないですよね?っていう感触があるんだよな
勝手に人間生み出して、勝手に生育環境を決める っていう、すげえ暴力的な行為が、なんのお咎めもなしに行われていることに俺は困惑しているんですよ
クローン人間を作ることを倫理的に禁じるんだったら、普通の人間を作ることもある程度禁じる方向に行かないとおかしくねえか?
アイデンティティってどうやったって選べないし、生まれるもbe bornも受動態だし(スペイン語のnacerは自動詞だぞ!バカ!世界の全言語に適用できるわけでもない浅い理屈で何か言った気になるなよ!) …とにかく、「生み出す側の勝手さで生まれる側が迷惑するのはよくない」と思うんだったら、もっとずっと生殖に対して慎重にならなきゃおかしいじゃんね
そういう、エシカルな問題を孕みまくった、ヒジョーにデリケートなことだと思うんすよ 出生
なのにさあ、それを、ただめでたいことととして扱って、自由意志を持つひとりの人間であるところの赤ん坊を、かわいいだけのペットみたいに扱って、インターネットに一挙手一投足まで事細かに記してさあ、それは人権侵害じゃねーのかよ?
判断能力がない他人の言動を、勝手に記録してインターネットにうpするのは、アウトなんじゃねえのかよ? ガキだろうとなんだろうとよお……
とにかく、気持ち悪いんすよ
人間としての高貴さをかなぐり捨てて、本能ドリヴンで自己陶酔的な文章を書いている親がキモい
そんで、倫理的な問題を無視して、アホみたいに生殖賛美をしている周りがキモい
二重のキモさで苦労も2倍だな
もうおしまいだよこの国
助けてほしい
通話や初対面の会話で「緊張してます?」などと時々言われる程度。
あまり吃音とは認識されてなさそうだが、多少なりともここで違和感は持たれていることがあると思う。
インドア系の趣味が多くて、誘われないと自分からはあまり外出しない。
相手に対する深堀りや多少の自己開示はできてる(つもりだ)けど、ウィットに富んだ返しはあまりできていないと思う。
話す内容に興味を示したりほめたり、と基本的なことはやってる(つもり)
こちらからはいいね数250以下の人に絞っていいねを送っており、返してもらえるのは約2割
正直もう少しマッチングするものだと思ってた。(これくらいが普通なのか?)
写真は顔・全身がわかる他撮り写真や海外旅行の写真など色々載せてる。
プロフィールは仕事そこそこ頑張ってますアピールしつつ、副業や趣味、価値観や恋愛・結婚観に触れてる。
顔は…スキンケアは一通りやってて、自分では中の中くらいだと思ってるけど、結果を見る限りそういうことなんだと思う。
マッチングした1000人中3割程度はこちらから連絡しなくなった。
残り700人中7人しか会っていないので、1%しか会えていない計算。
マッチしていきなり冗談を交えた軽い会話をするの難しくないですかね…。
毎回1回会ってフェードアウトされてる
2回目が無いと思った理由を相手に聞くと、大抵「フィーリング」と返ってくる
会う場所は、相手の好みに合わせて客単価2~3000円のランチ→近くのカフェ、という流れが多い。
ランチはこちらが全額出して、カフェは相手に払ってもらう形が大半。
スパチャする人に言いたいんだけど。
スパチャしたらされた側がスパチャに書かれたコメントを読み上げるってルールはないんだからね?
そもそもYouTuberもVtuberもスパチャは『任意』で送りたければ送ってって対応しているわけなのに
それをスパチャしたからコメントを読み上げてレスするのが当然だろうって考えの人居るでしょ。
それをね、読み上げられなかったから無視されたなんて言ってる人、
それをさらにアピールするために意味不明なスパチャを繰り返す人、
挙げ句には好意から憎しみに変化させて、誹謗中傷をし始める人、
ただでさえ、キモがられている存在なのにヒスして喚きまくってたりする姿って醜すぎるでしょ。
スパチャ読み上げられなかったから追加スパチャしてアピール姿、誹謗中傷し始める姿、
君たち、その姿カッコいいと思ってるの?
醜い豚が喚いているだけにしか見えないよ?
いや、豚に失礼だね。まだ豚のほうが役に立ってる。
君らが良い気になって金入れてるのは別に偉くもなんともないんだ。
『ただ、勝手に入れろと言ってもいないのに金を勝手に送ってくる』だけなんだもの。
自分たちが勝手にスパチャしてるだけなのに、無視されたとかさ?何様なのって感じなんだよね。
そもそもチューバーは企画した内容を行っているだけでコメントを読むのは別に仕事でも何でも無いんだからさ、
ファンサで、たまに読む程度ってレベルくらいが普通の対応でしょ?
それに、スパチャで送ってるコメントって独りよがりのつまんないのが多いんだよ。
むしろ金入れてないで普通にコメントしてくれてる人の方が、よっぽどウィットに富んだコメントしてるし。
いい加減、その辺理解したらどうかな?
追記:なんか豚っぽいのが言及に混じってるけど『スパチャは任意』『スパチャのコメントに反応するルールはない』ってのを理解して?
定型発達、単なる相対的な定義ではなく発達障害との絶対的な対立軸として発達障害と同じくらい徹底的に研究されてほしい。
「これまでの学問は全てそうだった」とかみたいな屁理屈ではなく、本当に「定型発達学」みたいに新しくフラットな一つの学問として独立してほしい。
定型発達が正常なコミュニケーションだと思っている物に「どうしてそう思ったの?」「それはどういう理路でそうなったの?」って専門家や研究者が一々突っ込んで欲しい。発達障害者が普段そうされている様に。
アメリカでは、自閉症者の運動から、一つのウィットというか風刺みたいな(まあお互い様だよね的な?)感じで「定型発達症候群」という概念が生まれてるのだけど、
ユーモアとしての処理じゃなくて、徹底的に「定型発達」と言う物を探り倒してほしい。定型発達の何が「定」なのか。
屏風から出してきたぞ
@ ywny
これ、わかってない日本人(特に男性)が意外に多くて、見ていてハラハラする。
アメリカ社会の暗黙のルールとして、人の外見に対するネガティブなコメントは基本的に全部アウト。それで笑いをとるのはもってのほか。テレビでもやらない。
しまき🇺🇸
@readeigo
そういえば、日本では誰かのお腹が出てる事とか太ってる事とかネタやイジリとしてまだまだ言える風潮あるかもしれませんが、アメリカでは絶対に!絶対に!禁句です。「体が大きい」みたいなやんわりした表現でもダメ。誰かが「お腹が出てきちゃって」とか言ってもそれはトラップです。踏まないように。
@ha_chu
「肌の色、髪型、体型などについて、他人があれこれ物申すのはハラスメントにあたり、タブー」
小室さんの髪型がどうこうの記事もテレビも完全にいじめでしょ。
小室圭さん報道で考える「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か(安部かすみ) - 個人 - Yahoo!ニュース
ニューヨークに暮らす小室圭さんが路上スクープをされた。筆者は当地に長く住んでいる身として、どうしてもニュースフィードに並ぶ「長髪」「ロン毛」「コムロン毛」という言葉が気になってしまった。
午前10:23 · 2021年9月25日·Twitter for iPhone
ttps://twitter.com/ha_chu/status/1441574059762876416
momari💙💛
@momari2
これアメリカ素敵と思うけどアメリカが特別なのではなく大抵の先進民主国家は外見を笑いのネタにするなんてことはしないし、してはいけないと小さい頃からちゃんと教育されているんだよね。日本が遅れてるんですよ。
@My_Liberty_
私受験で20kg体重落ちたんですけど、1番太ってた時の伝説の写真を日本の友達に見せると100%爆笑されるのに、アメリカでネタで見せたら「満面の笑みに太陽が差し込んでて素敵な写真」って真顔で返されて、もはや自分から見せておきながらどう反応したらいいのか分からんかった
午後9:40 · 2021年9月19日·Twitter for Android
ttps://twitter.com/momari2/status/1439570061442748421
@GIN_00001
久々に飲みに出ず家でマッタリの週末。ボーッとさんまのお笑い向上委員会見てたら、ハゲだの、デブだのでゲラゲラと。チビやブスも同様やけど、差別に繋がる容姿いじりを遅れた日本のお笑いはいつまでやるんかな?容姿いじりについては早く欧米の様に大問題になる様に追いついて欲しいね。
午後11:27 · 2021年11月27日·Twitter for Android
ttps://twitter.com/GIN_00001/status/1464601766062739460
@KellySIMONZ
笑いの質もそうだけど欧米のコメディアンは世論や体制を批判したりに噛みつく笑いが多いけど、日本は基本的に弱い者いじめや容姿についてイジル事が主となってしまっているのでこれもまたどうしようもない。僕は大阪人なんで生まれた時から覚悟しているけど、本当は覚悟なんかしない方が良いしね👍
午前10:18 · 2021年8月15日·Twitter Web App
ttps://twitter.com/KellySIMONZ/status/1426714914475843592
春ふわり
@nanafuruuto
欧米では、ウィットに富んだ会話や社会風刺の皮肉で、フフッと笑うジョーク。基本的に誰も傷つかない。対して「イジリ」という名の個人攻撃イジメ。関西の笑いによくある。容姿をネタにしたり、能力の低さを嘲る。他人を見下し、他人を蔑む笑いは、日本のお笑い文化の良くない部分だ。
@satosiTS
返信先: @satosiTSさん, @kugatsu_mainさん
80年代にお笑いブームなるものが始まって、それ以来、自分は彼らの芸を笑えたことがない。
@ssm8882
当たり前になっている、だから
いまオリンピッグなんていう差別語を開会式ヘッドが発言し、責任辞職に
国際基準にならねば
@rkayama
アリアナ・グランデが春菜さんの容姿をイジるネタに笑わず、CMの時間に真剣に春菜さんを励ましたという話、ほんと好き。
春菜「マイケル・ムーア監督じゃねぇよ!」のネタに、アリアナが笑わなかった訳に考えさせられる (2016年8月30日) ttps://excite.co.jp/news/article/Heaaart_186947/ @ExciteJapanから
午後7:39 · 2021年3月18日 東京 町田市から·Twitter for Android
ttps://twitter.com/ssm8882/status/1372497759639465987
@kinacomochiumai
やっぱ日本のお笑いとかアイドルって無理、、芸能界ヤバすぎる。コンプラとか人権意識がマジで欧米の50年前くらい。
japanese芸能界、ホモソ成分&ロリコン許容度高すぎんよー😩
@kinacomochiumai
返信先: @lastbosspandaさん
〜年の差婚の面々〜
トランプ🇺🇸「スターなら女はヤらせる。ぷっシーを掴むんだ‼︎」
午後9:07 · 2020年12月11日·Twitter Web App
ttps://twitter.com/kinacomochiumai/status/1337368454769209346
Tomo-友-
@karisjapan
悲しいかな、それに気づいていない人も多い。
年齢?
欧米では誰もそんなこと気にしないよ。
僕のスーパーバイザーは78歳の最高に尊敬できるおじいちゃんだったよ。
見た目?
容姿や体型を話や笑いのネタにするような差別的な感性を欧米人は持っていないよ。
午後11:20 · 2020年10月10日·Twitter for iPhone
ttps://twitter.com/karisjapan/status/1314933751944605696
@minotonefinland
欧米圏のコメディや、実際の生活での仲良しの友達との「親愛を込めたdisり」はあっても、顔の作りとか容姿に関する内容はタブーに近いのではないかと思う。それはレイシズムとかセクシズムと同じ扱いで、センシティブな国とそうでない差の違いはあるだろう。でも日本ほど緩い国はなかなかない。
午前0:58 · 2019年1月10日 Porvoo, Suomiから·Twitter for iPhone
ttps://twitter.com/minotonefinland/status/1083030275158884355
映画が好きだった。いや、大好きだった。
こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。
本当に映画が大好きだった。
映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズ、イオンシネマ、ユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホール、シネマヴェーラ、新文芸坐、早稲田松竹、地域の映画上映会……。
コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機のニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。
2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。
たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活。
それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。
どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。
ずっと映画のことを考えていた。
接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。
九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。
それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。
4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。
いくつかの症状は対症療法で苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。
ふと、ネットフリックスを見る。
『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサン・ラーソンの自伝的舞台が原作だ。
ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。
テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE。
手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。
映画が始まる。
これは持論だが、テレビやラジオと映画の大きな違いは「出演者のカメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者はカメラを意識している。だが、原則として「俳優がカメラを意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビやラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。
妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。
それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。
手元のApple Watchの心拍数を見る。心拍数は安定している。
物語は続いていた。
『チック、チック…ブーン!』は90年代のニューヨークを舞台にしたミュージカル。美しいメロディとウィットに富んだ詞、そして優しい物語。
主人公の三十路前のジョナサンはミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサーの恋人、LGBTの広告マン、そしてHIVの友達。
HIVなので「やあ、今日のT細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。
観ている間、ずっと涙が止まらなかった。
観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。
それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。
途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。
でも、いいじゃないか。
ラーソンのミュージカル『RENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。
歌詞がなかなか興味深い。
525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。
歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。
自分も思い浮かべてみる。
Suicaを改札にかざす回数。
上司に怒られる回数。
後輩に冗談を飛ばす回数。
朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。
映画館に行く回数。
8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。
何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。
でも、いい言葉だと思った。
例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。
そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。
決して今までの人生に負けてない。