はてなキーワード: 被告とは
自分はちょっと法律に詳しいだけのノンポリだけど、dappiの件を外野が攻めるのはボチボチ止めた方が良いんじゃ無いかなぁ、と感じている。
たとえ法人が書いていることが明らかになっても、「業務時間内に社員が個人で勝手に書きました」と言われてしまえば、民事でそれを証明することはできない。
刑事で家宅捜索できれば、押収した資料から裏付けることはできるかもしれないが、この内容で刑事事件化するのは難しいと思う(これはこの事件が与党の圧力で事件化が難しいのではなく、誹謗中傷事件全般で刑事事件化が難しいということ。事実、民事の報道は多いけど、刑事の報道は極端に少ないでしょ)。
なんで、まだ本丸の裁判が進んでいない状況において、状況証拠だけで外野が「自民がTwitterでの世論誘導を発注した!」って主張をしても、本丸の裁判で認められなければ、一転、外野が誹謗中傷で逆に訴えられる可能性もある。
メディアや法人ならば訴訟にも対応できると思うけど、一個人が被告になるのはメンタル的にも相当辛いもんがある。
状況証拠で叩きたくなるのは理解できるけど、今の段階ではまだ叩かず、本丸の裁判の進展に従ったほうが良いと思う。
まぁこの書き込みすら、自民応援団!って揶揄されるかもしれないけど、それを裏付けられないと、訴えられたときに負けるリスクは主張した方に存在するんだぜ。
弁護士和田正が小番一騎の妻と不倫したので和田弁護士事務所に妻と乗り込んで
和田の局部を枝切りばさみで切断した、ということでよろしいでしょうか?
元プロボクサー、慶応大法科大学院生、小番(こつがい)一騎(いっき)被告(25)
https://oitachi-ima.com/jiken/4024/
東京中野区に築40年の1軒屋を間借りして暮らしていたと言われる二人の暮らしぶりは築40年の部屋を借りていただけあって、狭い部屋で質素な暮らしぶりだったと言われています。
妻南部希美は、小中は不明でしたが高校は東京の港区にある頌栄女子学院高等学校(しょうえいじょし)キリスト教系の私立高校を卒業しているが、その偏差値は60とも言われます。
一説には、実家の家族と折り合いが悪く実家を出る口実になると小番一騎との結婚を決めたと言われており今回の被害者となった弁護士和田さんとの行為も実に短絡的な成り行きで性的関係を結んだ事が裁判でも明らかとなっています。
被害者和田さんの、怒り狂う夫小番一騎に対して「同意の上での関係だった」は嘘では無く事実で5回程、自らの法律事務所の上司にあたる和田さんとの折り合いを考えて優位にアルバイトとして採用してもらえると言う、忖度を考えての性行為に到ったといとも簡単に供述しています。
起訴状などによりますと、北九州市八幡西区の元会社員・岡村佳澄被告(33)は、今年4月、自宅マンションの寝室で、妻の静さん(当時32)の首を文化包丁で刺して、殺害した罪に問われています。
28日、福岡地裁小倉支部で開かれた裁判員裁判の初公判で、岡村被告は、「間違いありません」と起訴内容を認めました。
検察側は、冒頭陳述で岡村被告が結婚前から携帯ゲームの課金や電子書籍の購入などを繰り返し、400万円以上の借金があったと指摘。
動機については「妻にばれると離婚され、子どもと離れるかもしれないと考えていた」「期限までに返済不可能で、借金の存在を知られることが明らかになり、殺そうとした」としました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d67372eeabd865380c4209b094a9007268c36aa8
“就活女子”赤ちゃん殺害後にアップルパイ 法廷で語る風俗バイトとアイドル追っかけ
https://www.fnn.jp/articles/-/239773
のトッブブコメ
inatax "最も愛情を注いでくれるはずの母親" この手の押しつけのせいで、妊娠・出産のリスクを女性だけが負うことになって、こういった事件を引き起こす遠因になってると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/239773
について考えますよほほほい。
3. 推測になるが記事には書かれていないものの父親は不明ないし連絡が取れない(取らない精神)状態だった
ということで進めます。前提3が個人的に重要なものの推測となるのはスマン。
検察官:
この世に生まれてきたにもかかわらず、名前もつけてもらえず、生まれたことさえ誰にも知られないまま、最も愛情を注いでくれるはずの母親に命を奪われた。
この文章は
いるでしょうか?
私はよくわからないのですが、b:id:inatax さんがいいたいことは"最も愛情を注いでくれるはずの母親"は外部の"押しつけ"であり、真実ではない。ということと解釈します。
問題です。
ある夫婦に子供が生まれました。"一般的に最も愛情を注いでくれる"と思われる人物は誰でしょうか。
4. 最も愛情を注いでくれるはずなのは祖父母などの親戚である
真実の正解はわからないから私の回答を書いとくね。1番の母親である。これは一昔なら文脈によってはアリだったかもしれないけれど今の時代だとb:id:inatax さんみたいな人がブッ叩いてくるよね。私もまあそれでいいと思うよ。同様に父親も同列ね。
ということで男女同等に我が子に愛情と責任を感じてほしいという意味で両親が一番。と回答するよ。現代的にね。最もが二人とかいう文句はなしね。そして両親、母、父以外が最も愛情を注いでくれると思う人がいればそれはかなり私と住んでいる世界が違いすぎて想像も及ばないよ。
この問題文に対して強固に母親だと主張する人がいれば私はそれは押し付けだと反対する人に同調すると思います。母親の負担を減らすのは当然として父親の愛情を軽視して欲しくないわね。
じゃあ次の問題です。
子供の父親が死別、失踪、あるいは植物状態などのいわゆるシングルマザーに近しい環境で子供が生まれました。"一般的に最も愛情を注いでくれる"と思われる人物は誰でしょうか。
4. 最も愛情を注いでくれるはずなのは祖父母などの親戚である
こういうシーンでこの世に居ない人、現実的に参加することが難しい人を挙げることは首を傾げますね。死霊か生霊の類です。であれば関われない人を表現の中に入れないのは特段不思議なことではありません。というわけで通常パターンの「両親である」から居ない父親を抜いた母親と回答したいと思います。 "最も愛情を注いでくれるはずの母親"おやおや、私としたことが押しつけをしているようです。まったくそんな意図はないのですが…私は押しつけていますか?
さて、被告は改めて書くと"性風俗のアルバイトをするようになり、客との子どもを妊娠した。" "医師から『周囲の人と相談する必要がある』と言われたものの、母親に『妊娠していない』とウソをついて、その後、産婦人科を受診することはなかった。" 赤ちゃんにとっての生殺与奪の権はまったくもって母親一人が握っていたとても悲しい事件である。わずか43分間の人生の中で愛情を注げる人物は現実的に母親しかいなかった。その原因や社会的サポートの不足などを論じるのは大変結構です。しかし、あくまで本件内で検察官が述べた"最も愛情を注いでくれるはずの母親"という部分だけを抜き出して"押しつけ"と語るのは話のステージが異なると感じます。別の場所で現れたら正しい指摘でもこの内容では文脈を無視しすぎでは?
事件報道を見ると、被害者に共感し悲しみを覚える自分が居ると同時に、加害者に感情移入し、自分だったらどうしていただろうと考える自分が居る。
これを加害性と呼ぶかどうかはわからないけれど、自身に対する嫌悪感と同時に自分もこの加害者同様になりうるのではないかという想像に恐ろしくなる。
猪苗代のボート事故の犯人が逮捕され、自分も被告同様のステータスを抱えていた場合、どのような対応をしたかと言われると自信が無い。
自分が事態を引き起こした時、適切な対処ができるか、適切な行動が取れるか、分からないのだ。それが怖い。
今日も車を運転して会社に来た。ただ事故が起こらなかっただけで加害者のロシアンルーレットに当たらなかった。ラッキーなだけだ。
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
RRDさん がスターを付けました。
deztecjpさん がスターを付けました。
sisyaさん がスターを付けました。
【独自】池袋暴走・飯塚被告控訴しない意向固める 禁錮5年確定へ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/72eb48f1cf92bc4ca99a2b3340f20fc7d0469b89
ふーむ。
飯塚幸三氏といえばいわゆる「上級国民」として大いに世間を騒がせた(ている)お人である。Wikipediaを見るに書き写すのも苦労するほどの数々の役職を歴任しているまさにエリートと言って差し支えはないだろう。氏の経歴を見て「金銭的に困窮している」と感じる人はどれほどいるだろうか。私は非常に裕福な人物だろうというイメージを得た。もちろん表に出ていない金銭的に大きな失敗がなければ、という前提をもって。
さて、そのような人物につく『型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?』この表現について考える。「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」これは何を指すのだろうか?
1.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より非常に低く貧困層だ
2.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民的なものだ
3.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より多く富裕層だ
4.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は非常に多くいわゆる億万長者や特権階級だ
下から上まで書いてみたが、どれかは当たっているだろうか?見落としがあるだろうか?
書いておいてなんだが、1は流石に除外したい。生活必需品になりうる一部地方は別として東京で車を持てる時点で貧困層よりかは上だろう。
つぎに「型落ちプリウス」が「安い車」ということだとしてひとつ言葉を変えて遊んでみる。
これはすごいことだ。バカな私でもわかる。私生活で人を雇うという時点で裕福という形容では収まらないほどの資金力を感じる。中小企業の社長といえど車は自分で運転しないよなんて人は肌感覚でめったにいない。いや私の知る人にはいない。すると少なくともこの反対、それ以下の表現では4はないだろう。そこまで考えなくても「特別扱い」に疑問を投げかけているということは「特別ではない」証拠に「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」を挙げているわけだし。
では3の裕福だと指摘しているのか?
「胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度に裕福なだけの人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?」
さてどうだろうか。前二つが「サゲ」ているものに「裕福」というアゲの表現はしっくりこない気がする。「金で道理を捻じ曲げられるほどではない」という意なら「サゲ」ではあるのだがそういった意図だろうか。
これに限らず真偽は深堀しないが(車に詳しくないのだ)飯塚幸三氏が乗っていたのは「2代目プリウス」だという情報がある。さまざまな箇所で取り上げられているのでおそらくは正しいだろう。
販売台数は119万台。価格.comでは「新車価格: 189~325 万円」。悪名ではあるが「今日のプリウス」や「プリカス」という言葉が広まる程度には「庶民的」だ。
https://global.toyota/jp/prius20th/evolution/
2003-2009
2代目プリウス
事件が起きた年が2019年。新車と仮定して乗っていた期間は16年から10年。間をとって13年。これらが長いか短いか。
一般財団法人 自動車検査登録情報協会の資料を見てみよう。
https://www.airia.or.jp/publish/file/r5c6pv000000m20m-att/r5c6pv000000m211.pdf
平均で13年乗って普通だそうだ。16年だと少し長持ちしている感覚だろうか。間をとって13年はまさに平均である。
つまり「平均的な車を平均的に乗り回していた」そんな人物の「資金力」を考えるべきだろうか。(軽自動車でもないプリウスが平均的かは少し置く。)
平均的な乗り方をしているので平均的な資金力である。というのは簡略的にすぎる。「金持ちは車をバンバン乗り換える」そんなイメージが少なくとも私にはある。では10年以上車を買い替えない人物は裕福ではない?対偶を意識せずとも必ずしもそうではないと言えるだろう。飯塚幸三氏は車に興味が薄い人物だったかもしれない。
また、氏の年齢にも注目しておきたい。事故当時の氏の年齢は87歳。最長16年前に購入したとして当時の年齢が71歳。私は氏ほどの年齢でもなく資金力もないのでまったくの空想となるが、いくら車をバンバン気軽に買い替えることができる資金力を持っていたとしても70歳を過ぎた高齢者が数年ごとに車を買い替えるかと問われればノーではなかろうか。まさに腰が重くなるお年頃、よっぽど車好きでなければできることではないと思われる。いわんや資金力は不明としてプリウスを選ぶ人物をや。
「70代で購入した2代目プリウス最長16年自分で運転する87歳程度の資金力」
b:id:demakirai 氏からすればこれは資金力を明確に現す表現のようだが、私はこの情報だけでは飯塚幸三氏の資金力が一般的か裕福かの判断材料にはならない、と判断した。
これについては明確にわかるはずもない。傍証を挙げていくしかないだろう。来歴を見れば資金力は高いだろうと予測するしかない。また当時の年収などの話もちらほら出てくる。
https://bunshun.jp/articles/-/48642?page=2
院長時代の給与は、年収2000万円弱。当時の退職金は3000~4000万円程度だったという。元工業技術院総務部長、大野隆夫氏が証言する。
同記事では新居の話も出ている
71歳になった飯塚氏は02年3月、板橋区の新築分譲マンションへと引っ越し。価格は約4500万円だったが、通産省やクボタ時代の退職金などを元にキャッシュで購入したと見られる。この地で飯塚氏は同い年で誕生日も9日違いの妻と2人、“セカンドライフ”をスタートさせた。
71歳という年、02年という年は2代目プリウス販売前年だ。もしかしたら引越しを契機に買い替えたのかもしれない。
真偽は不確かとしつつネットで晒されている氏のマンションと思われる場所の価格を参考においておこう。
https://www.ieshil.com/buildings/675654/
ほかには事件当時、飯塚幸三氏は妻と予約したレストランへ向かう道中だったという。レストランは小さな馴染みの店だという情報もあるが、店の大きさと価格は比例しないことはままあるだろう。ハレの日だったという声も聞こえない中、ランチをレストランで予約してとる人物の資金力はいかほどか。
経歴: 富裕層以上
型落ちプリウス自分で運転する: 並みから富裕層以上(年齢も考慮)
であり、私の結論は「お金持ちさん」である。ただし乗っている車は資金力の判断に大きく寄与しない。
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
文字数の関係で氏の経歴には触れてないものの、婉曲をひもとくと
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、(経歴がすごくて官職に就いたこともあって)胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、資金力のある人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
となる。まさにいわゆる「上級国民」と揶揄されるような条件を書いておいて「特別扱い」になることに疑問を投げかける理由がわからない。(ここでは実際に逮捕しなかった理由などではなく周囲が「上級国民」や「特別扱いしてる!」と騒いでいることに対してのみ話している)
混乱の坩堝に陥る。
1. なぜ「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」というわかりにくい表現をつかったのか
2. 「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」は資金力が高いのか並なのか
3. 「資金力がある」という意味の表現であれば、私のセンスとは異なる導出であり、ブコメ全体の意味もよくわからない
4. 「資金力がないないしは並」という意味の表現であればブコメ全体の意味はわかるが、やはり私のセンスとは異なる導出であり、なぜさまざまな情報から乗っていた車だけを抜き出し資金力の指標にしたのかわからない
賛同の意かスターがたくさんついているが、私とはかなり見えているものが違うと思われる。
氏のID名を思えばつまりは私がデマに踊らされ目が曇っているのだろう。事実、いろいろ調べようとしたもののデマブログの多さに辟易としたものだ。正しい情報を探すことは難しい。であればこそ、誰かに「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」が何を言いたいのかを解説していただきたいものである。40人近く理解者がいるのだから親切な御仁はいらっしゃらないか。
https://www.sankei.com/article/20210906-WDG4CY4CWZMDTECP2CIS3BKHAE/
判決などによると、大竹被告は昨年9月2日、オンラインゲームで知り合った横浜市内に住む当時小学4年で9歳だった女子児童を車で連れ去り、同5日まで支配下に置いたほか、平成26年8月から31年4月までの間、自身が保育士として勤務していた保育園に通う、もしくは通っていた当時3歳から6歳の女子児童3人にわいせつな行為をするなどした。
青沼裁判官は判決理由で、一連の犯行について「根深い犯罪傾向に基づいて敢行されたものであることがうかがえる」と指摘。一方、大竹被告が今後、医療機関で小児性愛の治療を受けると述べていることなどを考慮した。
チンパンジーの部隊や狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通の祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジーの軍隊も常に戦っていた。
戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争の規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取の形態であった。
戦争に勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死に収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービスの供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧な現物支給のスケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的な貨幣はより良い方法を提供することができた。つまり、共通の価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコイ連合で使用されていたワンパムのように、収集品が原始的な記憶装置の役割を果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師や人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである。
隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代の徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである。価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査、徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄なものに見えたとしても、効率的に収入を最適化することができたのである。
ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部族からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定の部族の運勢に適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税に適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動に従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定の割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府の収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府の収入に最適な徴税の理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税の理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。
もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線は政治史の中で最も重要な経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちのインセンティブ(短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入を最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦やローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府は歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国に征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家を征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家が徴税を最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器が攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入を最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人のインセンティブを判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである。
収集品があれば,支流が供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣は貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア(現在のトルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディア人である。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣の発行者となったのである。
その日から今日まで、コインの発行は民間の鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府の鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府がコインの発行を独占してきた主な理由は、政府だけが偽造防止策を実施できるからである。しかし、現在も当時も商標権を行使するのと同様に、政府は競合する民間の鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである。
コインの価値を見積もることは、収集品の価値を見積もるよりもはるかに簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである。収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。
これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題が重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初に貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下が保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体を商人が安価に測定することで、効率的な市場に近いものが生まれ、個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場を流れる富が増え、課税対象となったことで、国王の収入は、通常のラッファー曲線の効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。
徴税の効率化と市場の効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである。徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である。
数世紀後、ギリシャのアレキサンダー大王は、エジプト、ペルシャ、インドの大部分を征服したが、その壮大な征服の資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトやペルシャの神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的で包括的な市場経済と、より効率的な徴税が生まれた。
貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループを形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚、交易、担保など何かに利用できる場合にのみ価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的な利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。
古代の狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪や不法行為に該当するような紛争を解決するための類似した手段があった。紛争当事者の一族による罰や支払いによって紛争を解決することは、復讐や復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカのイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦、殺人に至るまで、すべての実行可能な犯罪には価格(ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。
訴訟などの損害賠償の支払いには、相続や結婚、年貢などと同じように、事象と供給と需要の三位一体の問題が発生した。訴訟の判決は、原告の損害賠償能力と、被告の損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力の連鎖を抑制することはできない。このように、収集品には、紛争を解決したり、復讐の連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。
紛争の解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループを形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐の連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。