はてなキーワード: 災害とは
自分の子は五体満足で健康に生まれてくると無条件に信じられるのはなぜ?
重度心身障害や重度の知的、発達障害の可能性、周産期の医療事故、そういうのは考えたりしないのかな?
災害が起きたら?
誰だって交通事故を怖がりながら外出するわけではないけど、子どもが生まれてしまったらやっぱやめまーすなんてことはできない。
これから生まれてくる子どもたちのために、世の中を良くしようとしてる?
選挙は行ってる?
差別に反対表明してる?
親になる資格があると、胸張って言える?
私は、京都で阪神淡路大震災にあって、茨城で東日本大震災を経験した。
私は2度も大きな地震の揺れを感じたので、死ぬまでならもう一度経験すると思っている。
私1人だけでも家のカギの入ったリュックを持って避難訓練に参加しているし、スマートフォンは肌身離さず持っている。避難訓練ならあった日は、家に帰って災害時なら集合場所を確認してる。
増田のいう通りひっくり返った高速道路も焼け野原ならなった町も、ルミナリエをやっていることだってだんだん忘れているけど、たぶん、忘れられないこともあってわたしは、避難訓練で1人リュックを背負っているのだと思う。
私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。
私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれた名前の中には、地元で教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。
小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市で勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生のお話を聞いた。ある年の学校新聞の1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。
高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶を担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
高校を卒業すると、私は自分の実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族と散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっといたかもしれないな」と思った。
大学を卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元は神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。
ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。
彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校の社会の教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分が高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
私は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビルは2021年に高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダンな茶色のファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。
私は今日、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、阪神淡路大震災の記憶とともに生きる「最後の世代」だと言われている。確かに、地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっといたかもしれない。地元の同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分の人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。
記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害の記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これからも阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後の世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後の世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。
監査請求が通ってコラボの不正会計疑惑にいくらか目鼻がついてきた一方で、功罪あるとしても功の部分についてはこれまでもこれからも必要なことだとの声がある。
かれらは公金を掠めて恥じない悪意の団体なのか。誰もやりたがらない崇高な仕事をやってきてくれた正義の人々なのか。みたいなことは実はどうでもよくて、いずれにせよ能力を越えた範囲の仕事、本来行政がやるべき範囲の仕事を抱え込んだ時点で、質の低い仕事と公金垂れ流しの歯車は自ずと回り始める。
ボランティアとか非営利の公益団体には向いている仕事とそうでない仕事がある。
例えば災害の後片付けのような集中的なマンパワー需要によく応え得る。しかしその後の復興期に居座って「コミュニティ再生」みたいな尤もらしい目標のために親睦イベントみたいなのを打ちまくって無意味に住民を疲弊させたりする。素人でも手が出せそうなところをつまみ食いしても本当の意味で「コミュニティ」をどうこうなんてできないから。
家庭に身の置き所がなくて街を彷徨う少女をキャッチする。そして食事やベッド、安全で安心できる一時避難所を提供する。それはいかにも民間有志向きなミッションである。
その次は? いわば社会の入り口を見失い先の希望を失った子に、どういうリカバリールートがあり得るか具体的な相談に乗れる人が必要になる。教育、職業訓練、必要ならば医療、家族への介入、それぞれのプロに繋がるハブでもある。要はケースワーカーだ。その職能は善意や熱情で代替できるものではない。
そして、一時避難よりあとの長いスパンでの生活基盤の保障。これも公の役割であり、そもそも一般社団法人なりを経由させる必然性がない。
要するに民間団体に期待されるのはキャッチ役と純粋なヘイブンの提供までだ。
とにかくそこに行けば飯とベッドがあり、詮索や説教なしで供される。「この先どうするつもりなのとかのウザい話は今晩はナシですよ、私たちはお役人じゃないんで」との役割に徹し、行政に引き継げばいいものを。
「そこに行政が待ち構えてないからウチラがやるしかないんじゃないか!!」と言うだろう。そうなんだ。そこに行政が待ち構えてないと、どっちみち全ては絵に描いた餅なんだ。
だからって分を越えたことをやろうとするんじゃなく、また無駄にいがみ合うんじゃなく、みんなで行政のケツをぶっ叩くのが本当だと思うけどね。やるべきことをやれ、やるべきことをやってないのを隠すために非営利団体を利用するなと。
https://anond.hatelabo.jp/20230102104157
にあるように、その敵対的な姿勢は身を守る鎧でもある。みっともないトゲトゲ鎧を下手に脱がそうとせず、物理的な支援によって心理的安全性の担保に努めつつ、プロの手に引き継ぐべきである。要は善意で親身になって距離を詰めること自体が侵襲的なんだよ。
池内さおりのラインメッセージがリークされていたが、あの内容の何が問題かわからないというブコメが多かった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/himasoraakane/status/1609824412395790336
「前後の文脈がわからないのでこれだけでは事の是非を判断できない」のはその通り。「これが問題になり得るとは思えない」としたらかなり想像力が足りない。
アダルトチルドレンだとか毒親とか、精神医療・臨床心理の周辺の俗流用語・概念には常に流行り廃りがある。
「それ毒親だよ!逃げていいんだよ」と流行りのフレーズをぶつけられて、抱えていた不定形の苦悩にシャープな輪郭が与えられ、状況が好転するきっかけになる者もいる。「そうか、あれもこれも毒親のせいだったんだ」と思い込みに凝り固まり、ちょっとした行き違いが転落のきっかけになる者もいるだろう。誰彼構わず虫下し飲ませて「ちょうどギョウ虫わいてたんだ、助かったよ」ならば結果オーライだが、その余はただ身体に毒なだけである。
不安定な状態の未成年者に「家族と縁切っちゃう手もあるよ、その気なら協力してくれる人もいるよ」みたいな甘言を提示することも同工。時と場合により猛毒だ。どういう時と場合だったのかはわからない。
暇空氏が池内さおりのラインリークを爆弾ネタだという所以は「ほーら共産党と強い繫がりがあるだろ」というばかりの薄っぺらい意味だったようだ。だから何なんだよ。そういう所がつくづく付き合いきれない。その行動力に一定の敬意は払いつつ。
仁藤氏みたいなガサツな正義マンには本当の所を言うなら若年者支援なんていう繊細な仕事はしないでくれと思っている。でも100点満点の支援者を屏風から出せるわけじゃないからさ。せめて後進が「あの轍は踏むまい」と反面教師にすることを期待する。大きく言えば市民社会が文化的に成熟していく一助にならんことを。
ガソリン車も使えないような状況はEV車も同様に使えないから最悪の場合の想定でも同レベルまでしか落ちぶれない。
そして、オフロード走れる車なんてEVもガソリンも両方あるし、その両者を比較してもやっぱり動力源の確保がEV車の生命線である事実は変わらない。
もちろん、EV車にも災害時にガソリン車より優位な点も無いわけじゃない。
まあ手間かかるが薪自動車が一番だな
走ることのみに限定した場合、ガソリン車に残された優位性って「音がカッコいい」と「給油時間が短い」ぐらいしかないけど、
大規模災害で送電網が死んだ場合ってEV車は遅かれ早かれ置物になるんだよな。
ガソリン車みたいにガソリンだけを運んで給油すれば走れる、というわけにはEV車はいかない。
給電装置が必要だし、バッテリーを持ってくるにしたってガソリンよりデカいモノが大量に必要だ。
その辺は水素エンジンも似たようなもんか。水素の運搬なんて素人がやろうとするとガチで命の危険があるからな。
そう考えると、EV車ってホント地震と縁のない海外のための車なんだなと思う。
【追記2】
なんか統計的差別とやらをしている団体だと決めつけられてるけど、少なくとも増田が手伝っていた団体は独身男性だから譲渡を断るということはないよ。一人暮らしや賃貸暮らしだと渋られるかもしれないけど性別は関係ない。というか性別で譲渡するしないを決める団体は聞いたことがない。書くと燃えそうだったから書かなかったけど、確かに虐待は男性が多いというか増田が聞いたのは男性のみ。でも厄介な餌やりは女性の方が多い。性別関係なくやばい人はやばいから。
【追記】
読んで欲しくて書いたけどすごいブコメがついたから建物の構造についての記述は消しました。あと「妙齢」も変に注目されちゃってるから消した。すまん。
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猫サブスクが話題になってるので、前にボランティアやってた動物保護団体の話をする。
譲渡会で猫を譲り受けたので、そのご恩返しのつもりでしばらく動物保護のNPO団体でボランティアで手伝った。犬と猫の保護団体ね。
ちなみにシェルターの場所は公開しておらず、職員やボランティアにも箝口令が布かれていた。理由は野良を捨てにくる人がいるからではなく、虐待するために誘拐しにくるやつがいるから。怖すぎるだろ。
まず犬の方の話。
今どきは野良犬は少なくて、迷い犬や災害・病気で飼えなくなった犬が主に保護されていた。相性の良い犬は同じ檻に入っていたが、だいたい一つの檻に一匹だった。朝夕2回、餌やりして全ての犬を散歩させる。ボランティアor職員が複数の犬を連れてその辺を一周するのだけど、相性が悪い犬同士が同じ時間帯にならないようにスケジュールを組む必要があり、ボランティアが誰がくるかその日にならないと分からないので結構大変そうだった。そして、前述の通りそこにいる犬たちには他に飼い主がいるので、散歩の時も餌やりの時も逃げられないように最新の注意が払われていた。
増田は猫の世話をしていたので犬についてはこれくらい。
猫の話。猫は出自がいろいろで、野良、多頭飼いの崩壊、虐待や餌やりさんからの保護、が主かな。たまに里子に出した子が帰ってくることもある。自分がこの中で聴き慣れなかったのは餌やりからの保護。うちの子もこれ。
餌やりさんっていうのは、その名の通り野良に餌をあげている人のこと。これだけ聞くと猫好きの人だと思うじゃん?実はそうとも限らなくて、餌をあげる時に猫がワッと寄ってくるのが嬉しくて、つまり承認欲求のためにしている人も多い。だから猫にはなんの愛着もなく、TNR(捕まえて避妊手術をして元の場所に戻すこと)に協力もしないどころか、気まぐれに毒餌をやったりするキチもいるそうだ。多頭飼いも同じように、必ずしも猫好きというわけではないらしい。どちらの場合も、近所から事務所に苦情混じりの通報があることが多く、様子をこっそり見に行って保護するかどうか決めている。虐待も事務所への通報から保護するパターンがほとんど。でも保護するといっても、いきなり猫を捕まえに行くわけではない。どの場合もまず餌やりさんか飼い主か、人間の方と話をする。多頭飼い崩壊や飼い猫の虐待の場合には、勝手に連れて行くと窃盗になるし、他の猫に何をされるか分からないから。そして途方もない時間をかけて、保護に同意してくれた場合は猫をシェルターに連れて行く。餌やりさんの場合のみ、同意なしで日を決めて一斉につかまえることもあるが、基本的には説得を試みる。でないと他の猫に何されるか分からないから。
そうして引き取ってきた猫は、まずは納屋に大量に置いてある檻に収容する。感染症にかかっていると怖いし(増田がいたときもシェルターの方にパルボが2回入り込みめちゃくちゃ大変だった)、虐待を受けていた猫は人間に懐かないから。そこで病気の検査を一通りして、避妊手術して、人間に危害を加えない猫はシェルターの方にうつされる。
シェルターはいくつかの区画に分けられている。譲渡に向け人間に慣れる訓練をする猫の部屋、人間は平気だけど脱走癖があり出入り口が厳重になっている部屋、猫エイズや白血病といった感染力は弱いが感染症に弱い猫の部屋、人間は平気だけど猫がダメな猫の部屋(兼事務所)。そこにいるのは基本的に大人の猫だけで、もっとお世話が必要な子猫は、家で見てくれるひとたち、通称「預かりさん」の家にいる。
ボランティアの仕事は、部屋とトイレの掃除、餌やり、水換え、猫と遊ぶ、といったところ。長くいる人は薬をやったり捕獲を手伝いに行ったりしてた。増田はできなかったけどTNRの手伝いもある。これはかなり凄惨なようで、提携している獣医が納屋に出した机の上で大量の猫の避妊手術をするのだけど、一匹終わるごとに血だらけの机を消毒したり、取り出した臓器を処分したりするそうだ。
ボランティアに来ている人はさまざまで、猫の方は孫の世話がひと段落した世代の女性が多かった。犬の方は散歩とかで体力勝負なところがあるので男性が多く、若い人から定年退職した人までさまざまだった。行く前は、もっとなんというか、正義感とか義務感に燃えた人がやっているのかと思ってたけど、ごく普通にというか、淡々とやっている印象だった。でもやってることはすごいんだよね。やばい餌やりさんや虐待している飼い主との話し合いの内容が聞こえてくるのだけど、本人にも身の危険が及ぶのに全然引かないし、相当ひどいことを言われても絶対キレない。とにかく猫の安全第一で動いてる。
この手の団体はいろいろ言われることが多くて、増田も猫を譲り受けるときに家に来られたり個人情報を根掘り葉掘り聞かれたりでかなり辟易したんだけど、ボランティアで中に入ってみたら、そこまでしたくなる気持ちも分かった。それくらい虐待や多頭飼い崩壊の現場の話は酷かった。よく言われる、「そんなに譲渡の条件を厳しくして、条件を緩くすれば助かる命が保健所で処分されてもいいのか」という質問には、彼らはYESと答えると思う。ちなみにその団体では(他もそうかもしれないけど)、譲渡した猫はあくまでも里子に出しただけであり、虐待その他、飼い主として相応しくないと思われる場合には即団体に戻さなければならない、と契約書に書いてある。つまり言い方だけでなく制度としても里親なんだよねうちは。本籍は団体の方にあると。まあ実際なにか監視されてるとかそういうわけではないけど、それくらい虐待に対して敏感になっているし、保護した猫は譲渡した猫も含めて全て、最期までシェルターで責任を持つつもりでいる。
障害児への介助だったり災害ボランティアだったり老人ホームのボランティアだったり子ども食堂だったり
そういう人たちに生じたいろいろなドラマを「善意では長続きしない」と冷笑するエピソードが好きな人はたくさんいるだろうけど。
ラーメンハゲの「対価の無い仕事に責任は発生しないホニャララ」の画像を貼って、悦に浸ってる奴とかね。(大体漫画の切り抜きって前後の文脈完全無視してるよね)
でも別に半分当事者としては「善意(単純な感情でもいい)では長続きしない」の連続でいいと思うんだよね
学童保育や子ども食堂みたいな零細の現場では、夢に溢れて学童に携わろうとしてきた教育課程のバイトとかボランティアもそれなりに来てたけど
当然「理想」と違って本当に物事の途中で去っていく者もいるわけだ。
子どもというリアルの生き物相手だから自分が抱いていた子どもの観方が圧し折られていなくなるひともいる。
力量の入れ方を間違えちゃって一週間で一ヶ月分の働きをしちゃって、疲れちゃって辞める人とかもいる。
で、そういう所だけ切り取ってすぐに制度の問題がどうとか「仕事には対価が必要!」とかいう人もいるけど違うんだよね。
それで周っている。そしてそれにとくに問題は感じない。
Aが去ってもBが来る。Bが去ってもCが来る。私もやめた側だけど、「善意の現場」はそれでいいと思う。
問題になるのは本当に場所が無くなる時だけで、言い換えれば「貢献」の場所がある限りはそこの人員がどう周っていてもいい。
それで助かる人がいる限り。
似たような例で、前に「老夫婦が長年経営して減価償却も済ませて学生に安く食わせてるとんかつ屋は地域経済を破壊する!」みたいな記事があったけど
あれなんか実際学生が助かって喜んで老夫婦も嬉しい以上そこに経済がどうとか、危機感がどうとか、ダンピングがどうとか言いくるめるのは無理なんだよな。
あの時も賢しらなコメント一杯ついてたけど、冷笑なんか、目の前の笑顔を知っている当事者にはそもそも意味をなさない。
最近、自界隈(2次元)の取引の治安がよろしくない気がしています。
取引とは、「主にTwitter上で行われるランダム商品などの交換や譲渡のやり取り」とざっくり定義します。
自分が直接被害に遭ったことはありませんが、取引用のTLを見れば週に1度は注意喚起。
それも、詐欺などの刑事事件になるのでは?の内容ならわかりますが、連絡不足、ドタキャン、梱包不備などなど、“常識”があればそんなことで注意喚起されんやろといった内容が多いこと多いこと。
手っ取り早い自衛として「未成年の取引拒否」がありますが、正直、これは「常識」の問題なので成人してるかしてないかは関係ないのではないでしょうか。
(とはいえ、さすがに義務教育未修了はちょっと考えますね。親御さんを通すならOKしてもいいかな)
で、個人的にこれを意識できれば円滑な取引ができるだろうという「おかしも」的なあれを考えました。
5分でパッと思いついただけなので、もっといい言い回しがあるやろという方はブラッシュアップ願います。
(「おかしも」…災害時に守るべき4か条「おさない・かけない・しゃべらない・もどらない」)
「おそまつさん」です
筆者が特におそ松さんに思い入れがあるとかはないです。たまたまこうなっただけ。
「お…おもいやり」
「そ…双方の合意」
自分と相手の間できちんと合意が取れていることを確認しましょう。
少しでも不明点があるなら相談して、お互いの共通認識を持つこと。
“言ったはず”“伝えたはず”は通用しません。リプやDMに形として残しましょう。
ここをおろそかにすると、言った言わないや認識齟齬によるトラブルが起きます。
「ま…まもる」
過剰に梱包すればいいというものではないですが、自分宛に送られてきた時に不快にならない(おもいやり)程度が最低限です。
また、約束は守りましょう。返事や振り込みの期限です。ここを守れないと信用は得られないです。
顔が見えないやり取りかつ、住所や口座番号を提示することもありますので、信用は本当に大事です。
もし、期限を守れなかった時はすぐに連絡を入れ、リスケ後の期限はぜっっっったいに守りましょう。
「つ…伝わる文章」
メッセージは丁寧に敬語をモリモリにすればいいってものではないです。
肝心の内容が伝わらなければ何の意味もありません。
メッセージを送る前に一度、見直してくどい文章になっていないか?内容が伝わる文章か?の確認を。
「さ(ん)…最低限のルールで」
自分ルールは最低限に。(自分ルール→既読印や抱き合わせなど個々人でもうけている条件や制限)
取引に慎重になる気持ちもわかりますが、過剰な自分ルールはそれはそれでトラブルの元です。
取引が荒れているジャンルではメインをメルカリにするなど、業者を通す自衛の方法もあります。
Twitterを介すやり方はあくまでも個人と個人間でのやり取りで、安全性は全く保証されていません。
業者を通すことで手数料はかかりますが、売る側にとっても買う側にとっても“安全”に課金していると思えばそこまで高くはないのではないでしょうか。
多少無理やりなところもありますが、これさえおさえておけば注意喚起を流す側にも流される側にもなることはないと思います。
以上、全て筆者個人の主観に基づきますので、実際にトラブルに遭った方からすればぬるいと思いますが。
お前が言っているのは「防衛省っていらないじゃん。災害のときにちまちま瓦礫撤去したり、近隣国にガン飛ばしてるだけのヤクザ。あいつらに税金払う意味ある?」の学校版でしかない。
軍隊がない国家は本物のヤクザが暴力によって幅を利かせ、そして最後は隣国のもっとデカイマフィアによって傀儡となる。
体育教師の居ない学校ではヤンキーが幅を利かせ、最後には近隣の珍走団達によって牛耳られてしまう。
治安を維持するには権力の犬として動く暴力が必要であり、それが体育教師というだけ。
奴らが体育の授業を担当しているのは、自衛隊が災害派遣に行くようなもの。
ただ暴力を行うだけの存在を居座らせるのはコスパが悪いし、暴力しか能のない奴らに暇を与えるとクーデーターを起こすので仕事を与えておくのは必須。
「理解できない問題はスケールを変えてみると、分かりやすい相似形がどこかに見つかることがある」と問題解決大全にも書いてある。
俺は読んだぞ。
お前も読め。
俺は図書館で読んだぞ。
タダで済んだぞ。
お前もタダで済ませろ。