2022-12-25

社会貢献覚悟とか一貫性を求めるほうが間違ってるんだよ

障害児への介助だったり災害ボランティアだったり老人ホームボランティアだったり子ども食堂だったり

そういう人たちに生じたいろいろなドラマを「善意では長続きしない」と冷笑するエピソード好きな人はたくさんいるだろうけど。

ラーメンハゲの「対価の無い仕事責任は発生しないホニャララ」の画像を貼って、悦に浸ってる奴とかね。(大体漫画の切り抜きって前後文脈完全無視してるよね)

でも別に半分当事者としては「善意(単純な感情でもいい)では長続きしない」の連続でいいと思うんだよね

学童保育子ども食堂みたいな零細の現場では、夢に溢れて学童に携わろうとしてきた教育課程バイトとかボランティアもそれなりに来てたけど

当然「理想」と違って本当に物事の途中で去っていく者もいるわけだ。

子どもというリアルの生き物相手から自分が抱いていた子どもの観方が圧し折られていなくなるひともいる。

力量の入れ方を間違えちゃって一週間で一ヶ月分の働きをしちゃって、疲れちゃって辞める人とかもいる。

で、そういう所だけ切り取ってすぐに制度問題がどうとか「仕事には対価が必要!」とかいう人もいるけど違うんだよね。

すぐ新しい「善意」を持った人がやってくる。それの連続

それが人に向き合う現場の「現実」。

それで周っている。そしてそれにとくに問題は感じない。

Aが去ってもBが来る。Bが去ってもCが来る。私もやめた側だけど、「善意現場」はそれでいいと思う。

問題になるのは本当に場所が無くなる時だけで、言い換えれば「貢献」の場所がある限りはそこの人員がどう周っていてもいい。

それで助かる人がいる限り。

似たような例で、前に「老夫婦が長年経営して減価償却も済ませて学生に安く食わせてるとんかつ屋地域経済破壊する!」みたいな記事があったけど

あれなんか実際学生が助かって喜んで老夫婦も嬉しい以上そこに経済がどうとか、危機感がどうとか、ダンピングがどうとか言いくるめるのは無理なんだよな。

あの時も賢しらなコメント一杯ついてたけど、冷笑なんか、目の前の笑顔を知っている当事者にはそもそも意味をなさない。

現場に、周囲から後付けで求められる「覚悟」「一貫性」とかいらない。

ネット上でごちゃごちゃ言ってる人間の九割九分は何もしてない人だしね。

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