はてなキーワード: ベジータとは
国民の出生や婚姻を受け付けるペルーの全国身分登録事務所が5日、発表した。最も多かったドラゴンボールの登場人物名は、主人公「孫悟空」の長男・悟飯の「ゴハン」で、169人。2番目が、星の入った球を七つ集めると出現し、どんな願いもかなえてくれる「神龍(シェンロン)」から取ったとみられる「シェン」で114人。一方、主人公の「ゴクウ」は2人だけだった。
他にも「クリリン」12人、「ピッコロ」4人、「ベジータ」2人、「フリーザ」1人などで、ドラゴンボール由来とみられる名前は27種類に上った。ペルー紙レプブリカは「信じられないことだが、この人気アニメに関係する名を持つ人が、我が国には何人もいる」と報じた。
●孫悟空 合体しても勝てないビルスも青ざめたスーパーサイヤ人ブルー界王拳20倍より強い身勝手の極みががあるため勝てない
○孫悟飯 ようやく老界王神の潜在能力解放後に戻れた程度なら勝てる
●ビルス 勝てない
●ウイス 勝てない
●ヒット 勝てない
●ゴクウブラック スーパーサイヤ人ブルーより強いロゼになられると勝てない
○未来ザマス 不死身は厄介だが本人の戦闘力はパワーアップした未来トランクスと互角程度なので負けない
●合体ザマス 勝てない
●人造人間17号 原作終了後も鍛えていたらしくスーパーサイヤ人ブルーと対等に戦っていた
●トッポ 勝てない
●ジレン 勝てない
●?ケフラ ベースはスーパーサイヤ人2程度のポタラ合体戦士だがスーパーサイヤ人ブルー界王拳にダメージを与えられためベジットを越えていると思われる
俺は今IT系でめっちゃ無理な転職を繰り返して常にキャパオーバーのところに入って20代真ん中にして年収800万くらいまで上げることができたが
正直な話、勝ってるとかネットでマウンティングする余裕なんてないくらいハッキリ言って不安定
理由は、3か月で成果だせなきゃクビだからだ、つまり1か月くらいで完全に仕事に慣れるくらいにならなきゃいけない、事前に勉強した知識なんて全然役に立たねえからその場で覚えて一語一句叩きこみ引き継ぎを完了させるくらいできなければ、だ。
しかも税金で毎月10万円以上もアホほど取られるし、半年後どうなってるかもわからないから、まずは貯金しかないから豪遊もできない。体壊したり体調を崩して能力発揮できないとヤバいので健康にはアスリート並に気を使っている。
当然結婚どころか彼女作る余裕すらねぇよ、ちなみにアメリカのシリコンバレーだろうが韓国のサムスンだろうがこの構造は全く一緒な、1000万稼げても家賃20万とかだから、首になりゃ一瞬でよくて無一文だ。
兄弟親戚・友人が医者やキャリア公務員、弁護士なんかもいるので彼等の実態も話しておこう
今時の公務員なんて、20代や30代は首にならないというだけで、家賃補助がないととても生きていけないくらいの割に合わない薄給だ、滅茶苦茶質素倹約に勤めてても、1年でやっと100万円ちょっと貯金できるかできないかだしかも遊ぶ暇なんてないくらいの激務なのだ。
医者だって、勤務体系がウルトラブラックなのは周知のとおり、1000万稼げたって子供は一人が限界とはよく言われる、それでカツカツで贅沢なんてできはしない、俺ら普通の若者と同じレベルの質素な生活をしている(流石にヤングブラックジャックのBJ先生ほどではないが)
しかも結局は院長先生にヘーコラ頭下げてゴマすって、やってることなんてそこらの中小のサラリーマンと何ら変わりがない。稼げない奴も多くいる
弁護士だって、今時は稼げてる奴の方が少ないというくらいだ、IT系並に不安定だしかなり激務で、結局デカい事務所でヘーコラ頭下げてゴマすってやってることは中小の…(略
年収を下げてまったりすればいいというが、下げたら50代くらいで詰んでしまうから無理だ
かといってこのままこんな激戦区で戦うコマンド部隊のような毎日を60まで続けられる自信なんてハッキリ言ってない
もうね、八方ふさがりなのよ、貯金も出来て安定しててそこそこ稼げるなんて職業、もうこの日本にはありまへんねん。
というか世界的にそうなりつつあるということを聞いたことがある、つまり上から下まで不安定、そりゃそうよ、いくら稼げたところでセーフティネットには与かれないからな、軍隊ですら怪我したり押されたら後方に下がれるのにさ、怪我や病気したら一発アウトだからな。
正直ね、今すぐにでも金でもなんでもすべてを放り投げて生活保護で片瀬江ノ島あたりの海沿いのマンションで静かに隠棲したいよ
会社経営してる友人だって、今すぐにでも会社畳んで逃げたいと愚痴こぼしてるよ、はた目から見ればベンチャー社長でイケイケで稼げてても、生え際ベジータみたいになってるよ。
頭のネジ外れたキチガイじゃないと、そりゃ適応できるわけねえわ
いっそ核ミサイル撃ちあって人類は衰退しましたとかヨコハマ買い出し紀行とか、ARIAみたいな世界になってくれねえかな
自由なんて一切ねえじゃねえか、なんで金稼げば稼ぐほどこんなキツくなるんだよ、金稼がなくても地獄でキツいし
くたばっちまえ世界、バーカ
元気溌剌で、単純明快。
小さい子を可愛がるのがかわいい。
前向きに努力する姿がかっこいい。
悪いことを悪いと言えるのが素敵。
個性を打ち消し合わないよう、
プリキュアで育まれた価値観のもとに子育てをするのかと想像すると、
子供向けの番組は、キラキラ、シャピシャピ、憧れだけではなく、
ハナデカチャラ男社会学者が言うところの感染動機で落とし込んでいく。
月曜になれば、幼稚園や保育園でプリキュアごっこをするのだろう。
あるいは小学生であれば、ロールプレイでキュアショコラをイタコし、
人格を同期することもあるかもしれない。
息を吐くように自分語りすると、幼い頃は仮面ライダーブラックやターボレンジャーの相関図で社会を見、
成長とともに感染源を替え、脱ぎ捨てた殻を粉々にしたり宝箱にしまったりして社会に溶け込んでいく。
アンパンマン、トーマス、プリキュア、仮面ライダー、トッキュウジャー、
こうやって頭と体が発達していき文化が移り変わっていくのかと思うとゾクゾクする。
かっこいいものに触れてかっこつけるのを、
いつから忘れてたんだろう。
深酒して寝過ごしてプリキュア見れなかった。
なかなか分かりにくい国会の委員会の開催のルールについて少しご説明します。
これが大前提です。閣法の場合は、政府が提出する法律を、国権の最高機関である国会に審議をお願いすることになります。与党は勿論、野党もそういう位置づけです。なぜかというと憲法第41条で定められている通り、国会が唯一の立法機関だからです。内閣は、国会に頭を下げて審議をお願いしているわけです。そして基本的には過去のどの内閣も、野党にも議論に参加してもらうための努力をしています。なお国権の最高機関という言葉の意味に関しては優先説は美称説で、国民に一番近いという意味で単に名称上そのように読んでいる、というのが多数説だと思われます。統括機関説は現在では多数見解ではないので、別に国会が政府より偉い、という訳ではないとするのが一般的。これは当然に政府、内閣が国会より偉いことも意味しません。
規則上委員会の開催日程を決めるのは委員長です。しかし慣例上委員長は、公平中立にふるまう事とされており、実際は委員の互選によって(実際には議院運営委員会で定められた割振りに応じて各会派が決まった人数を推薦する)選ばれた理事によって構成される理事会が委員会の開催を協議します。ここも慣例上、委員会の開催は、理事会の全会一致によって決められることになります。これはただの慣例ですが、与野党が互いに「貸し借り」をすることで、全会一致の努力をします。たとえば与党は、野党が追及したい総理大臣入りの質疑、野党理事の地元での地方公聴会の開催などの提案をしながら、委員会の開催を打診します。それに対して野党は、参考人招致や証人喚問、集中審議などを要請して、理事の間でお互いの条件を出し合いながら開催を模索することになります。特に大事なのは、与野党の筆頭理事間の交渉です。これはいわゆる取次ですから、お互いの立場を尊重して、お互いのメンツを立てあいながら慎重に交渉が行われます。「森友の事を聞くな」という条件で首相入りをお願いした田村憲久厚生労働委員会の筆頭理事と、柚木道義筆頭理事間の例でいえば、田村さんとしては、お願いベースであっても、首相入りについては譲ったのだからわきまえてほしかった、というような気持ちが出た結果だといえますし、柚木さんとしては「常識的な範囲で行なう」と答えたと報道されていましたが、これはすれ違ったまま拙速に審議入りしたので、お互いの信頼関係が崩れたわけです。いったんこういう状況が起きると、委員会の開催は普通はいったん止まります。お互いの信頼関係が正常化するまで様々な交渉を行う訳です。また今期の中川政務官の不倫や今村復興大臣の失言のような、政務三役の不祥事があった場合も慣例的に、質疑が止まります。政務三役というのは法案を委員会に付託し、法案の審議をお願いしている立場なので、常にその資質が問われている、という理解です。
普通はこういう時は国対委員長同士で交渉が行われます。森友の事を聞いたので強行採決したあの件に関しては、結局国対委員長の竹下亘議員が、謝罪することで、野党のメンツをたて、さらに野党案の審議をするという譲歩を行うことで、審議が再開されました。こういう貸し借り、というのが政治の世界では大事な話になっています。国会対策委員長というのは大事なポストで、各委員会の日程も含め、実質的な国会の運営を決めています。規則的には議院運営員会が担っているのですが、国対委員会という党の機関が「本国」と呼ばれ、議院運営委員会は「出先」と呼ばれるように、本質的には国会対策委員長同士の交渉が一番大事になっています。ちなみに国会対策委員会の基本的な役割のもう一つのものが、議員の派遣です。これはバカみたいな話なんですが、委員会の開催は委員の過半数がいないといけないことになっています。しかし委員を務める国会議員も複数の委員会に出席していたり、その他の政治日程により参加できないこともありますので、その空いたスケジュールに一年生議員を中心とした暇な議員を派遣する役割を担っています。国対委員長の管理が甘いと、頻繁に定足数割れが起きます。今国会はすでに3回ほど定足数割れを見た気がします。委員会審議の際に、野党委員から「定足数は足りていますか」と聞かれることがよくありますが、出席率わりーなーという嫌味なわけです。実際に割れていたら委員会が成立していなかったとみなされますので恥なわけです。話がそれましたが、国対委員長同士でもうまく交渉がまとまらないときは幹事長の出番です。幹事長が出てきても話がまとまらないときに、審議拒否が起こる土壌が生まれるわけです。
ここに裏技があります。慣例を破って、理事会の合意抜きに、公平中立に運営するという与野党の申し合わせを無視して、委員長が開催を宣言することです。これをやると与野党の信頼関係は最低ラインまで落ちます。与党がどうしても通したい、なんとかあと数回の開催をしたい、というときに使われます。ふつうこれを使うと野党はヘソを曲げますので、割と奥の手です。通常でいえば、国対→幹事長まで行く話です。ベジータ戦での3倍界王拳ぐらいには。4倍程ではないと思う。今回の共謀罪法案では、衆参両院の法務委員会では、職権ではない開催は衆院の最初の2回だけです。残りは全て職権で開催されています。これは異常事態です。普通なら審議拒否一直線コースです。
野党が何を求めても与党が反応しないとき、信頼関係は地に落ちているけれども、それでもどうしても法案を通したいとき、与党は委員会質疑を開催し、野党は出席を拒否します。これを「空回し」といいます。何の質疑も行われず時計だけが進んでいくからです。これが狭義の審議拒否です。今期民進党は、参考人招致をしても無視され、資料請求しても無視され、集中審議を要求しても無視され、予算委員会の開催を求めても無視され、委員会は職権で開催され、政府参考人の登録を委員長に行われ、かつてないほど愚弄されているわけですが、それでも出席拒否をしていません。例えば自民党が野党時代に、特例公債法を人質に審議拒否をしたときは、当時の野田政権は空回しをやりました。安倍政権でもTPPや安保法制の時にありました。私は出ても出なくても同じなら、出席拒否して、同メンバーで国会前で演説をする、市民との公開討論会をする、などでもやってみればいいじゃないかと思っているので、別にそのことを褒めるつもりはないのですが、先日の安倍総理のラジオ発言に反発して、「審議拒否も議論の妨害もしていない」と言いたい気持ちはよくわかります。現民進党執行部は審議拒否をしてみても、与党は屁の河童で空回しして来るだろうし、そうした時に読売、産経などを中心に大きく非難されることを恐れているのだろうと思います。しかし無抵抗で審議に出席して、「十分な審議をした」というアリバイ作りに加担しているということも自覚していただきたいし、そういう意味で厳しい目で見ている人もいるとは思いますよ。
保守速報やら痛いニュースやらが「審議拒否」と言っているのは、先決事項である不信任案の採決による休憩、流会、与党側の不祥事に伴う、竹下国対委員長の出した譲歩条件による流会、さらには交渉段階での発言しかありません。このレベルを仮に広義の審議拒否としましょう。今期国会に関しては、そういう意味での広義の審議拒否は与党側の方が多く行っています。野党側は3月からずっと予算委員会での集中審議を求めていますが、与党はほぼ全てを無視をしています。また重要な参考人、昭恵夫人や前川次官などを交えた集中審議も無視しています。さらに質問にまともに答えない、資料を提出しない、和泉補佐官や北村滋明内閣情報官らの政府の高官の参考人要求も理由なく拒否しています。また財政金融委員会も野党が求めているのにもかかわらず、森友学園のことを聞かれるのを嫌って開催が流れ続けています。ここで大事なことは、与党が法案を通すために、審議を要求することと、野党が法案の疑義や政府要人の資質をただすために必要な資料を要求したり、参考人を招致したりしたうえでの審議を要求することの間には本質的な差がないということです。ですから野党の「審議拒否」をあげつらう方々は、ぜひぜひ与党にも「資料を出せ」、「参考人を呼べ」、「集中審議で方をつけろ」とおっしゃっていただければと切に願う次第であります。
未だに理解できてない人もいるのが驚きだけど
日本の政治は自民党という与党と最大野党であった公明党が連立した時点で
政権交代の可能性も立ち消えたし与党を是正できる実務能力のある野党も立ち消えたから政党で応援するだけ無駄
ベジータとカカロットがポタラでくっついてる状態でヤムチャやクリリンで勝てるわけがない
仮に元気玉を送って奇跡的にヤムチャが勝利したとしてもヤムチャじゃセルも魔人ブウも時間稼ぎすらできないことが露呈したから
政治的思想が対立しないといけない同士が連立して平気な国民性が異常なんだけど
実は裏の政治的思想は対立してなくて「老人の票を獲得する」という宗教で意気投合してるから成り立ってる
完全に自分らのオマンマのための勝ち戦を開始したのが日本の政治家
これに対して野党は下手に政権取ったら実務能力ないせいで失策して経歴に傷がつくのを民主党で勉強したから
まともな反論や対案をせずに形だけ有権者にアピールする方向に切り替わった
わざとIQを下げてキン肉マンを読んでるのと同じで、建設的な議論にもっていかないようにしてるだけ
国会中継はどうやったら投票数稼げるか安寧とオマンマ食えるかのゲームを見ているだけ
なんで嫌いになったのかといえばたぶん好きな友達と仲良くなったからが第一。ささいなことを真似されるのが嫌なのが第二。でも一番大きいには前者だよな。自分の大好きな友達と自分より仲良くお話してるのが気に入らないの!!という小学生女子みたいな気持ちだろうな。一旦気になったらどんどんその人のいい面でなくいやな面が目につく用になったんだろうな。あと会って話たとき意外とつまんなかったとかそんなん。あとあわないとか。ささいな自己顕示欲がいらっとするとかなどなど。私を褒めない人に褒められてるからかもしれない。自分に持ってないものを持ってるからかもしれない。些細なことを気にしてないように見える振舞い、わざとらしいと思ってしまうのは、きっと自分も同じことをやってるからだよ。本当はベジータ側のくせに悟空みたいなふりをしてるのがむかつくんだよねきっと自分がそうだから。迷ったり嫉妬したり承認欲求が人一倍あるのに普段はそれを隠してるから、同じように隠してる(あるいは本当にない)人がすごくすごく気に食わないんだ。だけど気にならない人もいる。その違いはなぜか。好きか嫌いか。それともはじめの第一に帰結するのか?もう一度好きになれるのか?できればもう一度好きになりたい。それにはどうしたらいいのか?別に嫌いなままでいいじゃないとかじゃなく、自分のためにもう一度好きになりたい。でも即座に「あの人は私の持ってないものなんて持ってないよ!」ってなるのはまだ認められないからなのか。私はやっぱり嫌いであることを肯定したいのか。いいところもあるしむしろいい人である。主に私が悪い。それが後ろめたいからああそんな人嫌いでしかたないよねって言ってもらいたいんだ。それがこの文の前半によく現れてるな。悪いところばっかりあげてる。いいところたくさんあるはず。はじめは好きだったんだから。なにがだめなんだろう。距離をおくか。その人の好きなものを一緒に楽しんでみるとか。会話するとか?友達ひとりにたいする重みを減らすために他に好きをつくるとか。みんなで仲良くする練習をするとか。
ドラゴンボールのアニメを定期的に見る。
別に熱狂的なファンなわけではないが、子供の頃から何度も再放送は見ているので何が起こるかは大体解ってる。
引き伸ばしの連続で毎回毎回やってる事はほとんど変わらない。
戦いのシーン⇒それを見ている解説者⇒別の場所でバカやってるギャグシーンの繰り返しだ。
とにかく進まない。進まないってもんじゃない。
界王様は「ナメック星が壊れるまであと5分!」とか何週間も言う。
戦いでは岩や地面の破壊が多用され、割れるにしろ落ちるにしろやたら時間がかかる。
山はとりあえず噴火するし水は間欠泉の様に吹き上がる。やっぱり時間がかかる。
カメラはとにかく舐めるようにキャラクターを写す。これもとにかく時間がかかる。
ようやく戦いが始まったと思ったら動きが早すぎるという理由で画面に映らなかったりする。
合間合間にとにかくにらみ合う。あるいはカオナシのようにあ…あ…っ!と繰り返す。
観戦者はそれをプルプル震えながらなんて戦いだ…っ!!なんて言う。
かと思えばブルマやチチがやかましく喋るギャグシーンが入る。
進むのが遅いので冒頭に入る前回のあらすじを見れば前回を見なくても内容は解るし、
次回予告を見れば次回を見る必要なんて無い。
ストーリーだって要するに、○○より強くなった××よりも強い△△が…の繰り返し。
天津飯やヤムチャはいくら修行しても前座にもならないし、
ピッコロはキーパーソンではあるが扱い程役に立つわけでは無く、
ベジータは流石にそこそこ強いので敵を一度は圧倒したりもするが学習しないので結局負けて、
結局のところ悟空と悟飯が覚醒してなんとかしましたって形にまとまる。
設定なんてあってないようなものだ。矛盾なんて山ほどある。
戦闘はグーで殴って強い方が勝ちで作戦も何もあったものじゃない。
ストーリーはご都合主義そのもの。行き当たりばったりで困った事はドラゴンボールで解決する。
どうせ生き返るのが解ってるから死人が出ても驚かないし悲しくもない。
ドラゴンボール42巻と聞いてピンとくる方はきっと30歳以上のお兄さんお姉さんでしょう。
何故か悟空が元気玉を集めるシーンの夢を見たんです。大まかな流れはこんな感じ。
力があるけど求心力がない、そういう人はたくさんいますが、それだけではことは進まないということを明示しています。
私には、こんなふうに見えたんです。ただ、それだけなんですけど。
力はなくても求心力がある。「この人が言ったことなら間違いない」と思える。安心できる。
そう思える人間が一人でもいれば、今の日本はもう少し変わっていただろうと考えてしまいます。
いま、ミスターサタンになり得る人、だれでしょうね。
あれさわったら痛いのかな。
あのバチバチにさわって、
「うぉっ痛っ!」
ってなるのかな。
だとしたら私生活つらいよね。
「お客様、車内での2化はおやめください」とか注意されたりして。
注意されたサイヤ人も「なりたくてなってる訳じゃない!」とかちょっと不幸自慢めいたこと言って反論して。
それで最終的に2以上専用電車ができるんだよね。
「うわぁあの人2にもなれないんだ・・・。」
みたいな哀れみを受けるよね。
そして恥ずかしくてついつい通常状態に戻ると。
みたいな顔して。
そんで通常車両に乗ってる他の超サイヤ人見て鼻で笑ったりして。
でもそんなただの超サイヤ人もやっぱり大変そうだよね。
ただでさえ光るし。
例えば映画館とかさ、アクション物見てて夢中になってエキサイトしちゃうとついつい超サイヤ人になっちゃってさ。
スマホの明かりどころじゃないよね。
周りの人もああこの人アンパンマン見て夢中になってかわいいなとか和んだりして。
西の都の人たちはベジータのそういうところが好きなんだろうね。
続き
でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?
出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑、鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌のパロディ)が入ってたんだけど)、その精巧なスケッチは博物学的にも価値がある。
お化けの絵の師匠から、写生でヒット、で美人画の大家になる、というのは浮世絵の世界ならではな感じで、普通、伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師、バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956
だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。
指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。
みんな同じ顔なのに、表情がある。
なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。
キャプテン翼みたいな感じだ。
みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラの区別も表情の区別も出来る。
まず、富士びたい。
江戸の男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)
ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。
富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆である。きれいな台形の額ということである。
あと、歯並びも重要だったらしい。
現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代の美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。
そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。
変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代からの伝統なのか。
次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。
歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから。
https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg
栄昌は鳥文斎栄之という絵師の弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。
(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分は素人もののAVが好きらしい)
このころ、だいぶパッチリ目になってきた。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg
アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?
お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉
キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」
上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。
浮世絵と萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg
http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg
それぞれ画題は
「けむそう」「いたそう」
ちょっと前に困り顔メイクがブームになったが、時代は繰り返すのかな。
それ以降については、浮世絵は日本画家(芸術として認知された人々)の系譜とイラストレーター(挿絵画家、広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。
俺が好きなのは油絵や日本画じゃなくて、版画なので。江戸も明治も大正も昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。
有名どころで、竹久夢二
このころになると二重瞼が多くなってくる。
竹久夢二というと、女性の社会進出の象徴的な絵を描いているわけで、
ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性の社会進出=快活=二重瞼説に戻す。
しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが
(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視で理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的。東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)
女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。
顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。
フィギア化がすごく難しそう。
ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。
近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵の役者絵(男性のね)に近い気がする。
とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。
黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。
黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。
漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写のときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。
古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。
薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。
簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。
逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。
せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。
あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。
日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。
まあ、そんなこんな。