2020-11-03

思想と行動のねじれについて

どちらかといえばリベラル男性レイプ加害者になったりする、というのが長年の疑問だ。

例えば広河隆一の件とか、最近だと元バンドマンの件とか。ググると似たような事例がいくつか出てくるので、そこまで珍しい話ではないように思う。


なにより私が大学生だった数年前、同じゼミの友人がリベラル高齢男性ゼミ関係者からレイプ未遂被害を受けた。

具体的な内容は控えるが、3人での飲み会最中、私が離席した際の出来事だった。


その後に頼ったゼミ担当教員リベラルツイッタラーからセカンドレイプに該当する言動を受けた。

あなた達に隙があったのだから合意の上での行為だ」というような内容だった。

私は被害届や訴訟相談をしようと思っていたので、考えの違いにクラクラしたのを覚えている。

結局何も言い出せず、他の誰にも相談できず、この件が公になることはなかった。


もし言論の場で「慰安婦なんていなかった」という発言があれば、彼らはとても強く反対するだろう。

実際、当時は各国大使館前から慰安婦像を撤去することに反対し、それを学生にも表明していた。

それなのに現実世界では自分レイプ加害者だし、目の前にレイプ被害者がいても「隙があった」なんて言ってしまえる。


彼らのような「思想と行動のねじれ」に至る経緯は個人により異なると思うが、何かしらの共通点などはあるのだろうか。

からしたら思想現実乖離しているように見えるけれど、実際はそうでもないのだろうか。


また思想と行動のねじれに関する研究などがあれば知りたい。

リベラル男性レイプに限らず、広く「思想と行動のねじれ」について知見を得られるもの、よろしければ教えてください。

  • そこに捻れを見ようとするからそう見えるのであって 暴露欲求の権化足り得るのがリベラルだとすれば一貫してさえいるだろう はい論破

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