はてなキーワード: コンドームとは
「黒髪ロングのお嬢様が射精管理中の粗チンを罵りながら優しく手コキ」とか
「綺麗なお姉さんがゴム手袋付けて特に感情を込める事なく事務的に搾精」とか
「ガニ股で立ってる巨根ふたなりがコンドームつけたフタナリチンポを非貫通型オナホで扱いて無様にアヘ顔晒して射精」とか
そんなニッチな絵がじゃんじゃん見つかるんですか?
横だし関係ないんだけど
嗜好が物凄く共感できるというか
全部に共通する感性を感じるけど強いて言うと二番目が特にイイね
こういう人とお下品方面限定で繋がるにはどうすればいいのかな
これぐらい嗜好が似通った人が10人と20人ぐらいでゆるい仲間になって
2020年になって、もう一か月か。
ニュースを見ていると、遂に2chが規制されるようだ。色々と理由は並べているが、要は社会に悪影響を与えるからだそうだ。まあ随分前から色々問題となっていたから、今更特に気にしていない。それにしても、10年前から比べたら色々と規制された項目も増えたものだ。
テレビ番組では、昔流行ってた芸人いじりのバラエティ番組が、いじめを助長するという理由でめっきり見かけなくなった。何でもあるいじめによる自殺事件がバラエティ番組の真似をしたのが原因だったとかで、一気に世論が傾いたんそうだ。出川哲郎やダチョウ倶楽部の上島なんて最近の若い子は知らないんだろう。一世を風靡した有吉とか人をネタに笑いをとるタイプの芸人も軒並み姿を消してしまった。結局残ったのはコントや漫才番組ばっかだけど、それも毒のない無難なネタしかしない。あと、昔流行ってたAKBやモー娘。なんかも、未成年の性の搾取だとか言って某女性団体が強く抗議したせいで姿を消したばかりか、アイドル文化自体も完全に衰退してしまった。おバカタレントだって障害者差別だとかよく分からん抗議が来て消えてしまったし、お色気番組なんか言わずもがな。この前放映していた過去の流行語特集で、レイザーラモンHGにモザイクがかかっていたのには笑った。ニュースだって、政府が報道規制をチラつかせるものだから、テレビ局はビビって政府や特定の政党批判が出来ず、どこも政府の御用テレビみたいになっている。最近のテレビ番組は、昔のNHKみたいな毒のない番組しか出来ないようだ。
食べ物の面で言えば、餅が禁止されてからもう3年経つ。こんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、死亡数が断然多かった餅も禁止されて当然の流れだった。でもすぐに代替品として、こんにゃくで作られた餅もどきが出回って、今や正月の必需品となった。昔、レバ刺しが禁止になって、すぐにこんにゃくで作られたレバーもどきが出回ったみたいに。でもこんにゃくゼリーが禁止になったくらいだから、こんにゃく餅やこんにゃくレバーもそのうち禁止されるかもしれない。レバ刺しもそうだけど、生で食べられるものが随分減ったな。サルモネラ菌がいる生卵もそうだし、前から食中毒の多かった牡蠣もノロウィルスが流行ったのをきっかけに生食が禁止された。最近では、ついに生魚も問題視され始めてきたから、刺身や寿司も危うくなりそうだ。フォアグラも動物保護の観点から禁止にする店も増えてきた。昔、煙草を買う時にタスポが導入されたように、酒を買う時にもカードが必要になった。カードを貸し借りする人が出てきて意味ないのにな。昔、梅沢富美男がコンビニの年齢確認ボタンにぶち切れていたのが懐かしい。
会社では、個人情報保護やコンプライアンスに随分うるさくなった。飲み会に誘う際は、強要されてないことを示す同意書を取り付けないといけないし、プライベートに関する質問の際は一つ一つ確認を取らないといけない。アルハラになるから、お酒は自分で注ぐのが常識。上座下座もパワハラという言葉を前に死語になってしまった。そういえば、住所を明かすのに抵抗がある若者が増えて、年賀状はもっぱらメールが主流になったな。紙の名刺だって衰退して全部セキュリティー保護付きの電子データでやり取りするようになった。そっちの方が整理しやすくなったけどね。ただ、こうした仕事のやり取りを全て管理されるのは随分と息苦しい。デスクトップなんて最早死語、パソコンは皆タブレットになって、これ一つで何でもできることを良いことに、自分の仕事は全て上司に筒抜け。名刺のやり取りの頻度は全てカウントされているし、営業ルートはGPSで見られてるからサボることもできない。ネットサーフィンや私的メールなんてできるわけがない。タブレットは外に持ち運びするもんだから、起動するごとにセキュリティを何重も解除しないといけないから面倒くさいしな。自分が入社した時とは随分時代が変わったもんだ。何でも最近の就職活動では、名前で人格を判断するのは問題だっていうことで、内定が出るまで匿名で通すみたいだ。どうもキラキラネームを名付けたどっかの親が抗議したのがきっかけらしい。まあ、フタを開けると内定が出ているのは普通の名前の学生ばっかりなのが皮肉だね。
オタク対策でも、悲惨な幼女レイプ事件が発端となって、児童ポルノ禁止法改正案が通った上、更には女児のスカートや公衆の水着着用が禁止になった。アグネス大勝利。ロリコン漫画は完全に姿を消したね。また、前からずっと言われてたけど、著作権侵害問題でコミケもついに廃止となって、同人誌も販売禁止となった。とらのあなも倒産して久しいし、クリムゾンも消息不明。エロ本も、酒や煙草と同様に身分証明書が必要になって、中学生涙目。某女性団体から、性の乱れを助長するとかいう声が上がって、AVやエロ漫画でも必ずコンドームをつけるシーンが義務化された。でも、最近のゴムは随分と薄くなって0.003mm以下が主流になったもんだから、薄すぎてゴムが見えてないだけだと言い張る作家も増えてきたね。
とまあ、この10年で色々と規制、禁止されたけど、逆に規制が緩和することってないよな。日本人って規制前にはうるさく言うけど、規制後は従順になって、遵守しない人を逆に叩く性分だからしょうがないね。お上に逆らわないのは江戸時代から何も変わってない。今後もより良い世の中にするために規制する項目はどんどん増えていくんだろうな。でも本当に世の中良くなっているのかな。
背の高い頭のいい育ちのいいイケメンで少女漫画の王子様みたいなスペック
女子サークル部員で、わかってるだけで7割くらいがそいつのこと明らかに好きだったし、うち半分くらいは肉体関係があったようだ。
残りの半分はブスとかデブとかで抱く気になれないタイプの女子だ。
すごいよ。女子がコンドーム持ってそいつの家に押しかけるっていうフランス書院みたいな世界なんだ。
嘘じゃないんだぜ……マジなんだぜ……
ちなみに、恋愛対象として見てない残り3割の女子は恋愛でこそないが全幅の信頼を置いていて、サークルの運営などもそいつの鶴の一声。
まあ実力あるし仕事できる。鶴の一声は人気者だからじゃなくて、実力あるからっていう。
実際それに従ったほうがうまくいく。
ちなみに国内最大手の内定をいくつもとっておきながら、日本はつまらんという理由で辞退してビジネスクラスで世界一周
みごとアメリカの超大手で働くことが決まったそうだ。いっていいかな。○ねばいいのに
ちなみに旅先でアヴァンチュールは山ほどあったようだ。誰だよ日本人男性モテないとか言った奴。
もうとにかく、学生、教授、飲み屋のおやじ、OBOGなんでも可愛がられて好かれて光源氏みたいなやつだった
で、ここまで書いて、サークルクラッシュどころかまとめあげてたことに気づいてハゲそう。
肉体関係あった女子は恨むでもなく、あの人に抱いてもらえただけでいい思い出みたいな感じで妙な団結感あるしもうね。
はあ……
朝日新聞の別冊版にある人生相談コーナーに男子中学生が性の悩みを打ち明けたところ、回答者が「熟女とのセックス」を勧めたことが問題になっている。「18歳未満に性行為を助長する言動は法律違反となる可能性もある」と専門家。お堅い朝日にしては過激な表現も目立つだけに波紋を広げそうだ。
《ぼくの悩みは性欲が強すぎて、今年受験だというのに、エッチなことばかり考えて勉強が手に付かないことです》
こんな15歳の男子中学生の相談が、8日付朝日新聞に折り込まれた別冊版「be」の人生相談コーナー「悩みのるつぼ」に掲載された。少年は《毎日、自分で処理はしているのですが、どうしても本物の女の子の体に触れてみたくてたまりません》と悩みを打ち明けた。
なんとも過激な質問。だが、回答はそれをさらに上回るものだった。
回答者は東京大名誉教授の社会学者、上野千鶴子氏(64)。上野氏は従来の「スポーツで汗をかいて性欲を発散」といった紋切り型の答えは避け、《セックスって何か、知りたければ方法があります》と次のような解決策を提示したのだ。
《知らないことは知っているひとに教えてもらうに限ります。経験豊富な熟女に、土下座してでもよいから、やらせてください、とお願いしてみてください》
熟女ブームもあり、しゃれっ気も多少交えて回答したのかもしれないが、ネット上などでは騒ぎが巻き起こった。ツイッター上では「男子中学生に語る内容ではない」などの声が相次ぎ、一部のテレビ番組でも話題に取り上げられた。
上野氏は《(熟女の)ご指導に従って十分な経験を積んだら、ほんとうに好きな女の子に、お願いしましょうね。コンドームの準備は忘れずに》と回答を締めくくっているが、これが「法律違反」になる可能性もある。元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「18歳未満に性行為を助長することは、児童福祉法違反に該当する可能性がある」と語る。同法では「児童に淫行をさせる行為」を禁じており、「新聞がこうした内容を載せるのは、児童福祉法違反を助長、教唆することにもなる」というのだ。
夕刊フジの取材に対し、朝日新聞社広報部は、「性に関する深刻な悩みに対して、男女の機微について語りつつ、『相手のいやがることは決してしないこと』などと相談者に冷静な対応を促したものと考えています」とコメント。上野氏は、朝日が示した見解について「その通りじゃないですか」としつつ、「取材に応じている時間がない」と話している。
成人と未成年のセックスは否定するのに中学生に熟女とセックスしろと進めるなんて頭がおかしすぎる
それともこの上野千鶴子という人は未成年と成人のセックスに対して反対の立場をとっていないからこういうことが言えるんだろうか
エアコンや扇風機、そして工事のノイズが大好きだ。学生時代は、エアコンが付いていないときの無音が苦痛で仕方なく、エアコンが稼働しはじめると嬉しくてしょうがなかった。
理由は、慢性鼻炎かつ軽度の過敏性腸症候群によって恥ずかしい音を発してしまうから。小学生のころは音についてまったく気にしていなかったが、中学になってから鼻炎のせいで「鼻息が荒い」とか「寝てるといびきかいてうるさい」など指摘されて気になるようなった。そして、過敏性腸症候群のせいでお腹がよくごろごろ鳴るようになってからは、病的なくらいに音を気になるようになってしまった。
だから、教室に鳴りひびくエアコンのゴゴゴゴゴという稼働音は私にとっての救世主のようなものだった。教室にエアコンのスイッチがあったので勝手に付けていた。みんなはエアコンがうるさいといっていたが、私はエアコンがうるさいときほど私立に通えたことを感謝にしたときはない。
で、一昨年に実家を出て一人暮らしを始めた。悲しいことにアパートの壁はコンドーム並みに薄かった。レオパレスの都市伝説がまったく笑えないくらいに。
隣人は常識人だったのが、それでも壁が薄すぎたせいで騒音によるストレスがたまりまくった。そして、そのせいで、パニック発作を始めとするいろいろな不安障害を起こした。私は自分が出す音にも敏感であるが、他人が出す音にも敏感なのだ。大きい物音がするとかなり動悸がして、寝るときにちょっとでも騒音がするとアホみたいに目が覚める。あるとき、騒音が酷くて部屋のなかでパニック発作を起こしてからは、特に敏感になってしまった。
もちろん、対策をした上でだ。耳栓、ノイズキャンセラーは必須。そもそも起きているときは常に音楽を聞きつづけている。音楽に関して言えば、騒音に対抗するために出会ったのがシューゲイザー。最高のノイズである。ノイズミュージックはうるさいからやだ。
それと、エアコンや扇風機の音はなぜか気にならないから、季節に関係なく一年中ずっと稼働させている。最近では消音をウリにした扇風機やエアコンがあるが、一部の人間にとってはうるさいからこその価値があるのだ。
そうして対策したところで、ほんとちょっとした音が相当なストレスになってしまう。対策しているからこそ気になってしまうという理由もあるが、対策しないともっと気になるのでどうしようもない。
はじめて精神科を訪れるくらいに騒音に苦しんでいたあるとき(正確には騒音ではない)、近所で工事が始まった。一軒家の取り壊しと、空き地でのマンションの建設が同時に開始されたのだ。これが福音だった。工事音が苦手なら不幸でしかないのだろうけど、私にしてみれば騒音よりノイズが増えたので本当に助かった。正直、この工事がなければうつ病になっていたかもしれない。いやもっと最悪のシナリオだってありえた。
現在はというと、ほとんど騒音がない部屋に住んでいる。家賃はそれなりに高いが、それでも日々を安心して過ごすためになら仕方ない。
騒音はこわいがノイズが好きな私にとって、これから先の日本は消音先進国になってますます生きづらくなっていくんだろう。せつない。
そして今日、私が住んでいる部屋の真下に誰かが引っ越してきた。それだけでもう胃が痛い。騒音はまじでこわい。
813 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/07/08(日) 10:01:18.83 ID:kSFRHk6i0
アラサーになって妥協して高性能ATMのブサメンと結婚したけど、夫婦の営みが辛すぎる。
AVとかでそこそこ可愛い子がキモイおっさんに無理やりやられているのあるけどそれと同じ感じ。
事あるごとに「俺はお前が初めてなのに、なんでお前は俺が初めてじゃないんだよ」とか言って、
よくファビョるし、童貞だっただけあってセックスが下手くそな癖に絶倫で毎日4時間のハードセックス。
AV見まくっていたせいか、事あるごとに顔射かますし、尿を飲ませようとするし、あたしの放尿見たがる。
デブな上に全身毛むくじゃらなのでムックに無理やりレイプされている気分になる。
子供が旦那に似たら喪女、喪男決定なので子供は作りたくないけど、あたしに気付かれないように、
結婚して1年毎日4時間のハードセックスだからこの間スーパーで買い物中に倒れたのに、
その日の夜も求めてきやがった。
全体的な文意には賛成だけどたぶん動物って
ですらなく、交尾したいからしたら、結果的にできましたってくらいなもんだよね。老後のことなんか考えずに盲目的にって意味ではその通りなんだけど。
人間でも、コンドームがないときは(ということはつい数十年前までは)そういう「側面」もあったんだよね。
ただ、あくまで「側面」の問題であり、別の側面からだと「子供に親の面倒を見させる」っていう「側面」もゼロじゃなかった。問題は複合的だからね。
コンドームと同様、「年金」も(国民皆保険的な意味では)ほんの数十年前まで存在しなかったから。
子供に親の面倒を見させる実例は、過去の日本を振り返らなくても、統計なんか取らなくても、今こうしてる現在、ちょっと後進国に行けば実例が腐るほどあってさ。
ほぼすべての後進国では、たくさん産んだ子供が働ける年齢になると親は若くても働かなくなる。求職常態ですらなくなる。子供は、子供の年齢のうちから働く。よく東南アジアの児童売春の問題がクローズアップされることがあるが、あれは児童売春の問題でありながなら、その根っこは児童労働の問題なんだ。
昼間から「何もしていない大人」っていうのはちょっと中国の田舎とか行けばいくらでも見れる。店の前とかでイスに座っているだけの。彼らは何をしているのか?と通訳に聞けば「何もしていない」と。失業状態ですらないらしい。
彼らにとって「働く」ということは人生のスタンダードな常態ではなく、急場をしのぐための緊急避難的なものであり、自分を食わせてくれる何かが現れたらもう働く必要はないんだね。
先進国になるような国の人々は、その歴史の過程で身分(一生ついて回るもの)と職業が一体となった期間がある。人生=職業なわけ。貴⇔賎という単純な区別ではなく、士農工商というような。後進国では貴⇔賎くらいのおおざっぱなくくりしかなかったりする。
我々っていうのは人生と職業がかなり深く結びつくように歴史において刷り込まれている。
が、そういう過程を経ていない人たちはかなり原始的、動物的な感覚をそのまま持ち続けていて、それが「子供に働かせる」という状況を生み出す。
「何も考えずに交尾したらできてしまう」というのも動物的で、人間の行動原理の一つであるけれども、同時に「子供に働かせる」というのも同様な動物的行動原理としてはまったくゼロじゃなく、脈々と受け継がれている部分でもあるという話。
大学受験を二浪しますと、それだけで人生詰んだ雰囲気が生活を満たすわけであります
という引け目が容赦なく襲いかかり、
「俺は孤独を愛するクールガイ……」という自己ブランディングで
そんな私ですが、昨日、なんと割と綺麗なお姉さんにちんちんぶちこませていただきました。
知り合いの誕生会的な集まりで知り合った、知り合いの知り合いというやつなのですが、
大げさに言うと麻生久美子似、といいますか割と整ったキレイ系でございました。
フリーターと写真モデルの合わせ技で暮らしてるみたいなこと言ってまして、
年を聞くとアラサーなので「夢を追いかけてガンダーラの逆方向に向かっていったタイプでは?」と思ったのですが、
年上のきれい目なヒトが大好きな私は連絡先を聞いてしつこくデートに誘ったわけです。
最初はけっこう無視されたといいますか、曖昧な理由で断ってきたのですが、
しつこいと向こうも「一回ぐらいデートしてやってもいいのでは?」と思うのか、映画に誘い出しました。
ちなみに私は年上なら劣等感なく接することができるタイプでして、
さらに「とにかくお姉さんとエッチなことしたい」という積年の思いが割と爆発してきていて、
ここ一年くらい年上のお姉さんと知り合うとしつこくデートに誘って玉砕してきたわけです。
ちょっぴりストーカーちっくなこともして露骨に嫌がられたこともありました・・・。
それで映画デートの件ですが、『おおかみこども』を見たのですが、映画の内容はどうでもいいです。
その後、やっすいバーに行ってハッピーアワーだからたくさん飲みなよ的なこじつけでお酒飲まして
横に座ってもたれかかったら嫌がられなかったので、甘えてたりして、キスしたらできました。
そうして私、渾身の甘え顔を作りまして、「おうちに遊びに行きたいなぁ」って言いました。
以前、同じ言葉を別の女性に言ったところ、「迷惑」とシンプルな答えが返ってきて、音信不通。
ですが、今回は「いいよ」とのこと。手繋いで街へ飛び出して、電車乗って彼女の家に行きました。
以前、別の女性のおうちに遊びに行ったときは、ベッドに座って「隣きなよ」って言ったら「キモい」と言われましたが、
今回は部屋に入った途端、キスしまくりでとても幸せな展開でございました。
「あのね、ぼく初めてなの」って言ったら、「そうなんだ、大丈夫」と笑ってくれたので安心しました。
コンドームが部屋に用意されていて、ビッチなんだなって感じがしました。
それでおっぱいとか揉ませていただいたのですが、すぐ射精してしまいました。
といいますか、彼女が私を押し倒すように乗っかってきたんですが、その時のこすれでイッてしまいました。
なのですが、キスとかしているとすぐ復活したので、改めてちんちんをぶちこませていただきました。
そしたら、またすぐイッてしまいまして、結論から言いますと3回ほど射精いたしました。
そのままお泊りさせていただいて、今朝もう一回ぶちこませていただいて、なかなか満足のいくセックスでした。
それでバイトに行って帰ってきたわけですが、「また家に行ってもいい?」ってメールしたら
「いつでもきなよ(顔文字)」みたいな返事がきまして、割と絶頂です。
ちなみにバーで会計をするときに私が財布を出しますと「割り勘でいいの?」と聞いてきまして、
これはけっこうな確率で奢ってくれて、セックスもさせてくれるのでは、と有頂天です。
ですが、今までの経験から行きますと、女性って急に心をシャットダウンしてくるので油断はならないです。
告白OKされて手繋いで歩いてたのに、その後音信不通、ってありました・・・。でも、やっと青春がやってきたな、って思ってます。
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。
そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。
なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本に未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵の精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人の時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料のコンテンツに収益を載せる構造が完全に成立している。
そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界の雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。
還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲを通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。
見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初は古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。
オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。
あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。
目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。
俺は自嘲的に思いながら、家を出た。
「よう」
木のテーブルとコーヒーの香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。
「俺らの生きてるうちには出るさ」
定番の挨拶を経て、新作の話などをする。
エロゲ業界もクラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的なアニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。
しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。
ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。
かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的なテンプレは、癌の告知から始まって、主人公がタイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。
特養老人ホームを舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分のルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護―地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。
そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。
エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。
「時間を止めて、待っていましたよ」
そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近は俳句がちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄りが俳句を嗜むのかわかったような気がする。
この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈を言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。
「それじゃまあ、新作の披露といきますか」
3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。
では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。
「コンドームかぶせてむなし秋茜」
「ほぉ……」
「確かにむなしい……」
「もう勃起しねえしな……」
場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生の黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。
「では次はオイラが」
オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人が他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。
「我慢汁 集めて臭し俺の川」
「川になるほど出ねえだろ……」
「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」
「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」
「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」
「もうだめだ」
「だめだなぁ……」
俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。
「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」
ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。
「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」
店主、あんたは勝ち組だ。
人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。
予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。
全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングのひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。
ゲームを起動する。
「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」
老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。
さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。
ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。
あれは高校二年生の夏休みだった。
夏休み直前に俺から告白して付き合った人生で二人目の彼女、高校に入ってからは初めての彼女だった。
当時俺は4月生まれだから17歳、彼女は3月生まれだから16歳。
見た目も超童顔で幼く背もかなりチビだったが胸だけはクラス一の巨乳だった。
ちなみにディズニーランドに閉園までいると彼女の住んでいる地域は田舎のため終電を逃すのでその日は俺の自宅に泊まる事になった。
親父は仕事でいないが母親と弟は家にいるからちょっと恥ずかしかった。
家に着いた時刻は0時を超えていた(ディズニーランドを22時に出たため)
とりあえず疲れてるのでお互い布団でゴロゴロした。
彼女は携帯でブログを更新するため1日の記事を書き込んでいたり俺の中学の頃の卒業アルバムや浦安鉄筋家族というマンガを見てゲラゲラ笑ってた。
お互い真夏だし汗をかいていたのでサッパリした。そして疲労から睡魔も襲ってきた。
お菓子を食べながらしばらくは話してたが結局寝る事になった。人生で初めて女性と寝る事に俺は興奮していた。
彼女は「寝顔見られたくないから見ないでよー!」と言ってきた。
俺はわざと寝顔を見ようとし彼女は照れながら抵抗した。
結局しばらく寝ないでじゃれあってた。
お互い夢中で抱き合いながら舌を絡ませてた。
キスだけで30分以上してた。勿論だが所々で無言の休憩を挟みつつね。
もうこの際言ってやった。「胸が当たってるよ(笑)つうか大きいし(笑)」と。
俺は彼女の背後に周りブラジャーの上からオッパイを揉んだ。 この時はフルボッキでチンコが爆発しそうだった、そうシコらなくても射精しそうなくらい。
途中で勝手にブラジャーを取り生でオッパイを触った。乳首もつまみまくった。
俺は背後から前に移動してついに彼女のオッパイを初めて生で見た。
乳首が薄ピンクではない事にやや萎えたが彼女の喘ぎ声に完全にやられて俺は半分壊れていた。
もうどうにでもなれと吹っ切れて乳首を吸ったり噛んだりもした。彼女の喘ぎ声はさらに大きくなった。
パンツの上から股間を触るとあり得ないくらいビショビショに濡れていて驚いた。
この時まであまり信じてはいなかったが女は興奮するとマンコが濡れるのだと改めて知った。
しばらくずっとディープキスをしながらオッパイを揉んだり乳首をつまんだりパンツの上からマンコを触ってた。
もういいだろうと思いパンツを脱がした。彼女も抵抗は全くなかった。
初めて同い年の女のマンコを見て驚いた。幼い顔をしてるがAVで見るのと変わらず普通にマン毛がボーボーに生えてるという事実に。
俺はついにマンコに指を入れる決意をして人差し指をいれてみた。
「温かい・・・・むしろ熱い」真っ先にこう思ったわ。グチャグチャしてて指にキュッと吸い付いてくる、そして温かい。
これがマンコなのか・・・と感動した。
その後は指マンをしばらく続けた。
エロ知識を生かして傷つけないようにとなるべく優しく長時間やった。
マンコを舐めてみたくなり初のクンニもやってみたたが口にマン毛が入ったり、しょっぱかったり、
夏だけあって匂いがキツく(尿と汗が混じり発酵したような匂い)萎えたのでほとんど指マンをメインに切り替えた。
俺も相当股間が熱くなった。
彼女に再び密着して熱くなった股間を彼女の尻の割れ目にグリグリ擦り付け
彼女に「俺のも舐めてよ」と思わずこう言った。ぶっちゃけかなり恥ずかしい。
彼女に笑顔で「いいよ?」と言われ俺はズボンとパンツを脱がされた。初めて女性に勃起してるチンコを見られたため正直死ぬほど恥ずかしかった。
彼女は最初舌を使いチンコの先端を舐めてた。次第にチンコ全体を口にくわえ始めた。
思った以上に口の中も温かく唾液がローションのように気持ち良くフェラに感動した。
想像より何倍も気持ち良い。フェラの「にゅるっ!」て感覚に気持ち良すぎて鳥肌がたった(笑)
もう今夜童貞を捨てるしかないと思い俺は彼女を押し倒して生のままチンコをマンコにいれた。
彼女は「中には出さないでね(ニッコリ」と言っていた。
俺は念願の初セックスを楽しもうと正常位とバックを何度も吟味した。
ちなみにバックだとケツが覆い被さり穴が見えにくくマンコとアナルの位置を間違えそうになってしまい彼女から熱い指摘を受けた。
バックだと途中でチンコが抜けたり童貞の俺には難しいため正常位で彼女と抱き着きあいがらキスをしてずっと腰を振ってた。
彼女の喘ぎ声とマンコのグチャグチャ感と温かさ、チンコに吸い付く感覚がとにかく気持ちよくついにムズムズ感が我慢出来なくなり彼女の腹に射精した。
ティッシュで精液を拭き取り裸のまま抱き合い再びキスをした。
俺が「生だといつ出るか分からないからなんかプレッシャーがかかる、ゴムがあればな?」と言った。
それから話し合い俺達は二回戦に向けて近所のコンビニにコンドームを買いに行く事になった。
そのまま部屋に戻り二回戦を始めた。二回戦が終わった頃には4時を過ぎていたwwwww
母親も弟もまだ寝てるためこっそりと一階へ行き二人で風呂に入ってイチャイチャした。
一晩にして女の身体を物凄くしった一日だった。
逆だろ、こういう状況だからコンドームがどこでも買えるようになったんだろ。
昔の感性で、非処女というだけで不利益を被った時代に、コンドームがあったからといって状況が変わるとは思えん。避妊という概念すら薄いんだから。
第一 コンドームは男性を女性から守るものでもあるから、無くしてもどうかと思うけどな。
童貞どうのこうの言わないなら、フリーセックスで、セックスしたい奴らで集まって、やっててくれ。ただ、何人の男と付き合ったかは嘘つかずに正直に言えよとは思うが。 そんだけ。やりたい奴らはやればいい。
性能のいいコンドームが「安価」に「どこでも」手に入るようになったのなんてここ30年ほどで、
それ以前は手に入れるまでのハードルが高くてそんなに普及してなかったからね。
今じゃ考えられないが、80年代前半くらいまでは買い物はほとんど個人商店で買ってた。コンドームも個人商店の薬局でないと手に入らなかったり(生理用品なんかも。エロ本は個人商店の本屋で買うしかないから、わざわざ遠くの本屋まで買いに行ったりとか)。
それもコンドームというもの自体が性能が上がって安価になった80年代とかの話で。戦後何十年の間、コンドームなんてものは製品として未完成だったし。穴が開く危険とか普通に高かった。ゴムは今じゃ考えられないほど分厚かった。
そんな状況で女性はおいそれとセックスはできなかったんだよ。常に妊娠と隣り合わせだから。
そこでセックスしないということを神聖化する価値観を女性側からも作ったって側面がある。
子供作ってもいい状況=結婚後でないと怖くてセックスなんてできんかった。だから新婚初夜=本当の初夜であることは普通だった。
コンドームは初期のキャッチフレーズ通り、「家族計画」のためのものだった。今じゃこのフレーズも忘れられているが。
当時(終戦後から80年代前半くらいまで)はむしろ人口増加に悩んでいて、ポンポン子供作られると色々困るから、ある種の「政策」としてコンドームを「明るい家族計画」のツールとして広めさせた。当時は5人兄弟6人兄弟当たり前だった。
ところが、90年代のコンビニの普及とともに性能が進化したコンドームが匿名的に気軽に安価に買えるようになり、しかもそれから数年後、携帯電話の爆発的な普及によって状況は激変する。
本来、女性って言うのは「オスをとっかえひっかえ吟味して、最終的にいいオスを1匹手に入れたい」という欲望をもっていて、コンドームの普及がそれを可能にした。解放されたと言ってもいい。
それ以前は男女は「付き合わない」のが普通であって、「付き合う」という言葉は「結婚を前提として、本来は許されないはずの交際(付き合い)をする」という意味だった。
「彼氏」「彼女」という言葉には「おおっぴらに言えないあの人」という意味が含まれていた。
コンドームの普及とともに性的に解放された若者たちは、単に「ある程度の独占契約のもと、セックスもOKな遊び仲間」という意味を「付き合う」という言葉に込め、また単に「恋人」という意味のみを「彼氏」「彼女」という言葉に含めた。
それはとにかく役に立ってるんだと、成長なんだと。
ならば散々相手をとっかえひっかえ「経験」した現代人は、さぞかし数世代前の人たちに比べて人格的にお優れになっているんでしょうね。圧倒的に。
しかし実際のところ、経験論が生まれた動機は「オスをとっかえひっかえ吟味して、最終的にいいオスを1匹手に入れたい」という欲望」を正当化するために過ぎない。
が、それは言い換えれば、コンドームが普及していなかった頃、「生涯ただ1人の好きな人にだけ捧げる」という神聖化のもと、単に結婚しない妊娠を怖がっていたに過ぎないということの裏返しであり、表裏一体なんだ。
どちらも「状況において最適化した行動」をとっている。コンドームがなければ簡単にやらせないのは理にかなっているし、コンドームがあれば相手をとっかえひっかえ吟味するのも理にかなっている。
女性は何も変わっていない。状況が変わっているだけなんだ。女性の言葉を真に受けてはいけない。女性の言葉は常に言葉以外の意味しか持っていない。
逆に言えば、それさえわかっていればコントロールはできる。簡単にはできないかもしれないが、不可能ではない。
じゃあわかってるよね。社会のどういう状況に手をつければいいか。そう。禁止(もしくは異常に高い税金をかける)すればいい。コン、ド、、、を、、。
かつて梅毒について、イタリアではフランス病、フランスではイタリア病と呼んで「押し付け合い」をしていたことがあるらしいとも聞いたことがある。コンドームを「フランス人の帽子」と呼んでいる国もあるとか。ナショナリズムの中でもかなり安直な部類なのだが、そういう「良くないもの、快くないもの(コンドームは気持いいことを安全に行うための道具だがw)については他所に押し付けてしまおう」という発想は最近出てきたものではないし、日本やネットに限った話でもない。日本人ネットワーカー的には半島関係をパブリックエネミーとして扱うという風潮があるので、そういう発想に至るのは別に不思議ではないと思う。もちろん道義的にはいかがなものかと思うが。
ただ、あくまで個人的な感想だが、本気でそれらが半島関係の仕業だと思っているのは、そう発言している人間全体の1割にも満たない希ガス。大部分は「注目を集めるためのネタその一」としてしか見てないと思う。
リスクってのは妊娠するリスクかな? 高い、低いに関わらず、女性自身の意志で避妊できる方法があるのに使わない、っていう訳だから
米国、フランス、スウェーデンでは『女性が避妊するもの』という意識が高いわけだし。
最近は女性の避妊意識も高いと思うけど、女性側から出来る避妊って、ペッサリーとかピルとか、リスクが高い方法ばかりで普及しない。
あと避妊できる確率自体はコンドームよりピルの方が高いかもよ。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310743178
ただ今回の元々の増田の問いだと女性の側は実は妊活中 http://alfalfalfa.com/archives/5462221.html だったわけで、「子供が欲しくなきゃ男性側が避妊しろよ!」ってのは正しいのかもなー。