はてなキーワード: グロテスクとは
ラインナップを確認すると沙耶の唄があってさ、うわぁ懐かしい…ってなって思わずポチったんだ。
で、今日特に予定がなかったんで、一日沙耶の唄をプレイしてた。
初っ端グロテスクな背景が表示されてさ、懐かしすぎて思わず笑いそうになっちゃったよ。
ストーリー進めると「ああ、こんなんだったなぁ」なんて思って、相変わらず沙耶カワヨってなった。
というかこれエロゲーっていうよりホラゲーだよな笑と思って後半まで進めると瑤を絡めての3pシーンがあって、これがもうとってもエロいのよ。
絵だって今となっては古臭さも否めないのに(そんなことない?)現代でも通ずるエッチさがあって、エロシーンは筆致の良さも相まって、今でもそのシーンでおっ勃ってしまった!!
その時ああそういえばって昔のことを思い出してさ、このゲーム、初プレイは中学の時なんだよね。
同級生の友人が「これ貸してやるよww」って渡されたのが沙耶の唄でさ、そいつの兄ちゃんのものらしいんだけど、とにかく貸してくれたんだ。
当時、自分の部屋には中学に成ったお祝いにノートPCを貰ってたんだ。
大したスペックじゃなかったけど、エロゲーやるぐらいなら問題なくて、それで夜中自分の部屋でこっそりやってたんだよ。
最初はもうドン引き。え?なにこれ…わけわからんし、グロいしでもうほんと序盤で投げ出しそうになった。
でもさ、エロの牽引力って凄いじゃん?
これエロゲーだし進めればエロいシーンがあるんだ…って、その原動力だけで進めていったんだ。
そうして進めてみると普通にストーリーが面白くて、引き込まれて「なんなんだこれは!!?」っていう、まさに未知なる遭遇のような境遇になって、寝不足になりながらも進めて、確か二日ぐらいでクリアしたと思う。
華美な文章と耽美な世界観にも妙に惹かれてさ、気付けばグロテスクさも最初ほどには気にならなくなってた。
それから例のあのシーン、瑤をペットみたいにして3pするシーンになって衝撃を受けた。
このゲームをやる前は正直言ってまだそれほどエロに馴染みがなかったからこれほどがっつりしたセックスシーンは衝撃で、リアルに生唾が止まらなかった。
で、気付いたらパンツに染みが出来てた。というかなんかムズムズする!!?ってなって、もうドクドクですよ。気付けばドクドク。
沙耶の胡乱さには当時とてもハラハラさせられたし、呻吟や韜晦といった言葉がこれほど似合う作品も珍しいのではないかと思う。
というわけで10数年ぶりにプレイしても沙耶の唄は本当に傑作で、おすすめです。
増田は沙耶の唄で死よりも恐ろしいものがあるということを、そして愛と恋を知ったよ。
まだ遊んだことのない人は、このセールを機にぜひ遊んでみてほしい!名作だよ!
あと主人公の声カッコ良すぎるだろ…
普段スポーツクライミング見ないような連中がうるさすぎる。
何でもかんでも自分が納得いかなかったら騒ぐっていうのはもうやめてくれ。
スポーツクライミングっていうのは基本的に登ったら勝ちで登れなければ負けなの。
それ以上でもそれ以下でもない競技に、色々な人が色々な攻略で挑むから面白いんだよ。
森秋彩のあのシーンだけ見たら身長低いことが圧倒的不利って見えたかもしれないけど、次のリードの結果はどうやって判断する?
身長が低い選手に圧倒的に有利な場面が、背の高い選手にとって圧倒的に不利だと考えたりは出来ないの?
そんなことくらいでいちいち一部の選手に不利な条件を見直してたらキリがないんだよ。
残酷なシーンだったから声を上げたくなるのはわかるけど、それはむしろ逆効果だから止めてくれという話。
それを不利な部分だけ拾って、ルールがおかしいっていうとどうなるかわかるか?
もしそこで身長が低い選手でも必ず手が届くようなルールにしたら、全体のゲームバランスが変わりすぎて真面目に取り組んできた他の選手がバカをみるだろ。
「そうならないように考えるのがプロの仕事だ」キリッじゃねーんだよ。
そこを変えたらバランスが崩壊するから変えてないってことを理解しろ。
で、それでもまだ騒ぎ続けるとどうなるかって言うと、ルールが変わるんじゃなくて規格外がはじかれるんだよ。
オリンピック委員会だって、自分たちの大会でグロテスクなシーンが映るのは良くないって思ってるに決まってるだろ。
じゃぁどうする。
「これはもう参加資格だね。」っつって、身長の低い選手は参加資格がなくなるだけ。
お前らも目に入ってこなくなるから一切騒ぎません。
アホか。
規格外でも参加できるオリンピックと、規格外には参加資格すらないオリンピック、お前らが求めてるのはどっちなんだろうなあ!
各所で物凄い速度で浸透しているコンテンツ『ち◯かわ』。
ファンシーでキャッチーで万人に受け入れられ易く、かつ「ハチ◯レはこんなこと言わない!」みたいなNGがほぼない感じがありどんなセリフも話しそうだし、それゆえ媒体を問わずコラボ出来てしまう強みがある。
でも、これって非常な危うさを内包していて、もし、ち◯かわの登場人物が急に極端な思想を帯びて、例えば「それって、憲法改正しかない・・ってコト!?」「ウワーーッ!」とかいう展開になったら世の中に与える影響というのはグロテスクな程に凄まじい規模となる、と思う。改正機運が盛り上がった段階でそんなち◯いかわ漫画がポストされたら、本質的な議論抜きにしてみんな国民投票に行って呆気なく新体制が成立してしまうような気がする。
勿論その直後に袋叩きに遭ってそこでコンテンツとしてはおしまいになるんだろうけど、それでも一国を揺るがしかねない衝撃が発生するに違いない。
(一国を揺るがしかねない、は言い過ぎか。でも「49:51」を「51:49」に補正してしまう程度の影響力は生じ始めている)
これって伊藤計劃の『虐殺器官』そのものだと思うんですよね。コトバの持つチカラ、目に見えない微妙な流れを操るチカラ、無意識に市民を操るチカラというのが今の『ち◯かわ』には付与されつつある。リミッターが外れてあらぬ方向に転がりだした瞬間に秩序が崩壊して「虐殺」が始まる。こんなコンテンツが実際に生まれてくるなんて、当時伊藤計劃を呼んだ頃には想像が出来なかった。あくまで空想上の概念であったはずの「虐殺器官」が、リアルな感触を帯び始めている。
また“Xポーズ”…性別騒動の台湾ボクサーに敗れた相手が侮辱行為 繰り返される問題抗議に愕然「勝利が台無しに」【パリ五輪】
https://news.yahoo.co.jp/articles/123a4fa3673e860de0e0d4d1481816ae9d7d98af
試合後に抗議のXポーズをとったエシュラ・ユルドゥズカフラマンを、記事はフルマークでの敗戦の腹いせか。と批判している。
https://x.com/rosarinn/status/1821418550772568399?t=62lUoYE88YiH3HADVIcziQ&s=19
その試合でXY染色体持ちの選手は、エシュラ選手の首がロープにかかった状態で、頭を後ろから殴りつけていた。
ラビットパンチは不幸な事故も多数起こしているとても危険で悪質な反則のはずだが、審判は何故か止めず反則も取らずXY染色体持ちの選手はフルカウントで勝利した。
その試合も見ていたはずの記者が、そのエグい相手選手への殺意すら感じられたXY選手の勝利は褒め称え、抗議をした選手を貶める記事を書くのはエグい。
このドラマってXで目立つフェミニストの人達からはとかく絶賛されているけれど
みんな当たり前のように主人公の立場で見ていて、主人公の娘については都合の良い舞台装置扱いに何とも思わないんだな。
シングルマザーの再婚や恋愛に関して、「ママだって女」とはよく言われるけれど
それを言ったら「娘だって女」だよ。
母親と知らないおじさん(それも奥さんを亡くしたばかりで複数の子持ちの!)の再婚に際して
嫌だとか気持ち悪いと言った意思を持つ事すら許されず、再婚を後押しする役目を担わされているのが本当にグロテスク。
母親の再婚に対して都合の良すぎる亡き父親の手紙を読み、亡き父の代弁者となって、精神的な親子逆転っていうかヤングケアラーになってる。
それを娘が自ら進んでやってるように描いているのがさらに酷い。
でも絶賛なんだよね。
となりのトトロの、サツキが母親の入院というほんの一時期の間家事や妹の世話を担わされていた事についてはヤングケアラーと大騒ぎしたのに。
親の恋愛や再婚の後押しという、家事なんかよりも遥かに大人びた判断能力が要求される役割をやらされてる事についてはヤングケアラーとか言わないんだ?
つくづくXで目立つフェミニストの人達って、父親と娘の利益対立ならば娘側に立ってまともな事が言えても
殺人の表現は一部始終が表現されていてもその殺し方が銃で胸を一撃とかそこまでグロテスクでないなら18禁じゃないよね
これが妙に感じる
子供の頃性描写を見て真似とかすれば相手が不同意なら迷惑だが同意しているなら問題は起こらない
いや責任問題とか全くないとは言わないが殺人よりは比較にならないほどましなのは明らかだろう。
しかし殺人は同意不同意に関わらず実行すれば無条件に社会に害悪だ。少なくとも違法だ→社会秩序を乱すと客観的に認められている点でこの「害悪さ」」がお気持ちにとどまらないことは保証されている。
とすれば分別が未熟な年齢に対する規制としてより厳重にするべきなのは、殺人描写のほうなのではないかと思うわけだ。
ということは逆に言えば、最初は殺人のほうが性交以上に子供に見せるべきではないという規制のあり方になっていたのだろうかと思う。
今殺人のほうが軽く見られているのはなにかしらの科学的、心理学的な研究結果に基づいていて、性交描写のほうが子供にとって危険だということに確かな根拠があるだろうか?
オリンピックボクシングの性別騒動記事へのはてブのコメントが酷い。酷すぎる。
「君らふだん人権とか差別反対とか言ってたの、どこに消えてしまったん?」と言いたくなるくらい、
無自覚な差別、無自覚な悪意、無自覚な排除論理のオンパレード。
「彼女は〇〇とは違う!差別するな!」って、それ〇〇なら差別・排除に値するっていうことだからね?こんなブコメがいーっぱいついて、いくつかはスター集めて上位ブコメになってる。
酷すぎる。醜すぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/the-ans.jp/paris-olympic/445555/
より抜粋
・この件は女性として出生して性自認も女性、調べたら実はXY染色体を持っていた特殊ケースなのでトランス女性の競技参加問題とは異なる
・ トランスジェンダーじゃないんじゃん。騙されそうになった。
トランスジェンダーだったら頭を悩ませず切って捨てればよかったけど、今回はトランスジェンダーなんかじゃないから悩むよね~、ワカルー
・身体の作りが違い過ぎると思った。トランスジェンダーではないことだけは把握したけど
・本人は違うこと分かってるのに、勝って面白いかなと思う
「自分は周りの"普通の女性"とは違う少数異常だということを自覚して、「わきまえ」ないとね!という主張
・「ケリフは2021年東京五輪はライト級で出場し、準々決勝まで進出していた」東京での準々決勝でケリフに勝った女子選手を讃えよう!
憎っき「偽物女」ケリフを倒した、強い「真の女性」を讃えよう!だって。これ自分がどんな酷いこと書いてるか自覚できてないだろうな…
性的少数者は障害者のように別枠を作って、通常の大会からは排除したいんだね。
パラリンピックは通常大会では活躍できない障碍者に活躍の場を広げるため(障碍者自身のため)のもので、障碍者が望んで実力があれば通常大会にも出られるんだよ。
あなたが望む特別枠って「性的少数者から性的多数者を守るため」に隔離して排除しようという趣旨で、当事者に対する差別排除隔離枠だから、パラリンピックとはまったく逆の別物だけどね!
・彼女は男性のような骨格なので部分型アンドロゲン不応症候群ではないかな。そっちは男性にカテゴライズしないと女性がかわいそう
女性として生まれて女性として生きてきたのに、いきなり男性にカテゴライズされる彼女個人に対しては「かわいそう」と思わず(おそらく自殺を考えるほどの排除感、衝撃だろう)彼女の周りの多数女性の嫌悪感、不快感、不公平感を「かわいそう」と感じて排除を主張する。
個人の重大な人権侵害よりも、多数の納得・不快感の排除を優先する、典型的な差別者の論理。
・プロ競技や国際大会は男女別を止めて実質的男女別のテストステロン等の階級別にすべきでしょ。
・ 男がちんちんで有利になってるわけじゃなくてテストステロンで有利になってるんだから、そこらへんを基準にするのが妥当に思われる。
ホルモンの分泌なんて個人差が大きくて、見た目女性&遺伝子型が女性型であっても男性平均以上にテストステロン値が高い女性もいるけど、彼女は女性競技から排除するの?
逆に見た目男性&遺伝子型が男性であっても、テストステロン値が女性平均並みに低いん男性もいるけど、彼は女性競技への参加を認めるの?
こういう少数者への視点が全く欠けた乱暴な線引きをしたがるの、「自分を平等主義者だと思い込んでる差別主義者」にあるある。
・ 出生時の性も自認も女性である人物をトランスジェンダーだとフェイクを流して騒ぐ連中のグロテスクさよ。君らが本当に攻撃したいのはいったい誰なのか。
少なくともあなたが「トランスジェンダーではない女性は攻撃してはいけないけど、トランスジェンダーなら攻撃してよい」と考えていることはそのコメントからよくわかるよ。
あなたのコメントを裏返したらそういうことだもんね。(これに48スター…)
これを「トランスジェンダー→黒人」に置き換えてみると、どれだけ醜悪なことを言ってるかよくわかる。
かつて黒人がプールに入るのを排除されてた水泳競技(黒人がプールに入ると白人が出ていったという時代があった)で、
「白人しかいないはずのプールに肌の黒い黒人がいる!? いや、黒人のように見えるが実は肌が黒いだけの白人だった」という事例で、
・ 出生時の人種も自認も白人である人物を黒人だとフェイクを流して騒ぐ連中のグロテスクさよ。君らが本当に攻撃したいのはいったい誰なのか。
・この件は白人として出生して人種自認も白人、調べたら実は黒人並みのメラニン色素細胞とちぢれ頭髪細胞持っていた特殊ケースなので黒人の競技参加問題とは異なる
・ 黒人じゃないんじゃん。騙されそうになった。
・メラニン色素量検査のために人種判別検査で失格しただけで、黒人の人では無いみたいね。
・黒人ではなく先天的なものらしい。こういう場合ってどうすればいいのかね
・身体の作りが違い過ぎると思った。黒人ではないことだけは把握したけど
こんなコメント書いてんだよ君ら。
はてブでは、トランスジェンダーはかつての黒人並みに「差別していい存在」だと潜在意識に沁みついてる連中が大勢いるってことがよくわかる。
とかくはてブは、自分に実害や不快がない差別の話題に対しては怒りを露わにし「差別よくない!少数弱者の人権を守れ!社会は弱者を受け入れる労力・苦労を甘受しろ!」と綺麗事を叫んで差別者を糾弾し攻撃したがるのに、
自分に実害や不快が発生する少数弱者(多数女性に対してのトランス女性)に対しては、少数弱者を受け入れる労力・苦労を断固拒否して、平気で「私たちの安心のためあいつは私たちだけの場から追い出して!これ差別でなく区別だから!区別して!」と排除したがるんだよね…その「差別でなく区別」て、何十年も前に黒人の公民権運動で詭弁として否定されてる典型的な「差別者の論理」なんだが…
「黒人は生まれつき肉体能力が優れてて素晴らしいよね!でもそれだと白人や黄色人がスポーツで活躍できないから、白人や黄色人を守るため区別しないとね!」これ許されると思うの?
遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みだからね。せっかく見たわけだから、感想をどこかに違法投棄したかった。
だった。
とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime。
本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇的人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身もパニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。
そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャンは理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話に辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。
また、クリスチャン自身もダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分の旅行の計画を彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。
そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャンに非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。
そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語はペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンとダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である。
そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。
……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンをフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。
そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身が家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。
つまり宗教である。男が女に寄るとき、その理由はセックスか宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。
作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品の類型に漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式、人身御供までを幅広くこなす、分かりやすいキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。
ここまでは典型的な因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。
どういうことかというと
など。ホラー因習村としてはユニークな表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。
そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。
ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。
ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛をコミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。
現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者の感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感の儀式は、その他の共感しない感情を排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。
双極性障害の妹から連絡が絶えた不安に共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかしクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。
そして、共感に対する内なる欲求をペレに見透かされたからこそ、ペレはダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側から、ダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。
しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。
人は誰しも自分の感情に共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感を他人に問答無用で押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。
なにより、ダニーのような、恋人に感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。
現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。
もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。
是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。
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[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか、差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人は無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身もダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンをクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやかな抵抗として、このように駄文をゴミ捨て場に投げ捨てている。
[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。
[^3]: 決して私怨ではない。
「パパはいつも寝てる」だの「パパは全然面倒見てくれない」だの、例えば「子育て川柳」のお題なら全然聞き流せる程度で、ここまで炎上しなかっただろう。問題の本質は男女差別ではない。
あれが気色悪いのは、親を気持ち良くするための発言を子に強いている点だ(もっとも、「発言」というのは実際に声として発せられるものではなく、文字として子に着せているものであるが)。気持ち悪さとしては、動物に人間の言葉を好き勝手にアテレコする動物番組を観ている気分に近い。今回は対象が人間なだけあって、よりグロテスク。子どもはお前が気持ち良くなることを代弁してくれるお人形さんじゃないんだよ。子どもをコントロールしようとするモラハラ気質野郎がよ。
いや、たとえ「ママがいい」と「パパがいい」の両方あったとて普通にキツイだろ。「パパママいつもありがとう」でも十分キツイ。今回は女尊男卑で炎上が加熱した節はあるが、根っこのキモさはそこじゃない。「男親がかわいそう」などの批判はピントがズレている。
いやあ、ブコメの加害者メンタリティには恐れ入った。所詮、被害者はどこまでいっても過去の存在でしかないんだな。
>> グロテスクって言うけど、全ての人間は歳を重ねて変わるからな。過去の言動を明確に残してしまうインターネッツのログ。お互い傷口に塩を塗り込みながら、後悔と罪悪感に打ちひしがれてつつ強かに生きていこうぜ。<<
ちょっぴりビターでセンチな過去も俺サーガに厚みをもたせてくれるエピソードの一つとして見れば、まあそう悪いもんでもないよな。
結果的に人間として成長させてくれたこの出逢いにマジ感謝。なんだかんだあったけど、今は幸せです。人生ってホント不思議。
どうせいつまでも同じ場所に留まってるような過去の亡霊なんざ気にしても詮無いし、人間やっぱ未来志向で前向かなくちゃいけないよな。
俺だって辛い後悔と罪悪感抱えて精一杯生きてるんだから、お前にだって絶対出来るって!ネガティブ良くないよ?ハッピーなことに目向けていこうぜ!
美大うんぬんで今話題の作品で調べると「ブルーピリオド」がすぐに出てくる。
作者の「山口つばさ」が過去に行ったとされるツイートがこれか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12241207952
2018年のツイートで、その後くらいからツイッターや5chで言及されているから、現在は削除済みのようだけど、本当なんだろうな。
今はアカウント自体変わっているみたいだけど、idから同一人物っぽいし。
そういう発言をネタとして扱える精神性に(少なくとも成人後で、6年程度前までは)あった人が、多様性とかマイノリティとかを扱ってる?(読んでないから知らない)のはグロテスクさを感じてしまう。
散々周囲の弱者をいじめてきた人が、親になった途端に自分の子供に対しては溺愛して大事に育ててるのを見るようなグロテスクさ。
謝罪して削除したようだけど、文面から自分は真摯さを感じられなかった。
https://x.com/bubbbubbkorokor/status/1070577813038620673?t=GtQO-XNw-0xnuMHc_A9xHg&s=19
怒られたから、とか、不快な思いをされた方がいたら、とか、何がまずかったかわかってないように感じる。
自分にも軽度知的障害のある兄弟がいるから、こういう話に冷静でいられない。
なおかつ、うちの兄弟も社会に出てから特に心無い言動にさらされて不安定になっているのを、アニメや漫画で救われてるような状況なので、とても他人事だとは思えないよ。
いままで「女性として生きてきた」身体男性の方って、進学や就活でちゃんと心は女ですってカムアウトしてきました?男として評価されて男として社会的地位得て昇進してきたんじゃないですか?
女だから評価されなくて、女だから昇進できないのが今までの社会で、そういう不利益を見直していこうっていうので今まで男女差別是正を叫ばれ続けてきたわけですけど、そういう不利益被った経験ございます?
男性枠で勝負して負け続けてきたとかは全く関係ないです。少なくとも勝負できる土俵にお立ちなので。
そういうの全部置いといて、いまさら化粧や女性服が着たくて女子トイレや女湯に入りたいからボクは女です!なんなら手術もしたくないけど女の心を持ってます!とか、妻も子供もいますが自分に正直に生きていきます!とか、恋愛対象は女なのでレズビアンですとか宣うの、本当にグロテスクすぎるんですよ。
【追記】
「理想の死に方は何か」という定番の話題がある。雑談は性癖を披露する場ではないので適当なことを言って流すが、本音を言えばゾンビに噛まれて死にたい。
『さんかれあ』最高です。ブコメで教えてくれた方ありがとうございました。
2015年5月16日 ゾンビ映画 ナース とかで検索すれば出ると思う(一応検索除け)
自分がそのゾンビに噛まれることを妄想すると股間に違和感を感じた。
戦隊モノは、味方が敵に捕まって洗脳された場面。ドラえもんは、スネ夫が寄生生物に操られたところ(ドラえもん のび太と銀河超特急)。
ここで俺は法則に気付いた。洗脳・感染で自我を失うシーンを想像するとちんちんが大きくなるんだ!と。
確かに、ヴァンパイアに噛まれる絵本を読んでいた時にも同じ感覚だった。
その後は詳しく覚えていないが、初めて性的な気持ちよさを感じたのを覚えている。白いのが出て焦ったとかいう記憶はないので、射精はしていなかったのかもしれない。
しかし、あれは確実に、初の絶頂だった。精神的精通はゾンビお姉さんによるおねショタによって起こった。
以降、思春期を通じて性癖は生生流転したがゾンビお姉さんだけは常に活きていた。
【余談】
ゾンビAVはハズレが多い。俺は上記の理由でゾンビを愛しているので、力のある男がゾンビになった女性を好き勝手するとか、男のゾンビが女性を襲うとか、単純なグロテスク趣味は好みではない。
より精神的に海綿体に語り掛けるものが好ましい。例えば、愛していた女性がゾンビになり、自分も共にゾンビになることを選び、彼女に噛まれながら辛うじて意識を保って行うセックス、これが至高である。
ということで、余談とは書いたがここからが本当の目的。以上を読んだうえで俺の好みに合いそうな作品を教えてほしい。ゾンビに限らず感染・洗脳なら何でも良いし、もちろんAVでなくても大歓迎だ。
【蛇足】
将棋で抜いたことがある。以上を読んでくれたならその理由はわかると思う。
これに関しては思春期特有の性癖で個性を出そうとする行動な面もあったかもしれないが、将棋はエロかった。チェスはエロくない。
さっきまで仲間だったやつらが、こちらの王を狙って攻めてくる。当然その逆もある。