はてなキーワード: お題目とは
その手の指摘は前から何度もされてる↓
https://anond.hatelabo.jp/20201122013307
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
https://anond.hatelabo.jp/20220113170251
はてブで悪とされてる「差別」は女性差別、障碍者差別、外国人差別、黒人差別くらいで、それ以外の相手への差別は反応しないどころか
男性相手だとむしろ積極的に差別ブコメが集まる場所だよ。上3つの増田で示されてる通り。
「人は皆平等であるべき」という平等思想から自分で考えて差別反対を発言するのではなく、「女性差別ヨクナイ」「障碍者差別ヨクナイ」「外国人差別ヨクナイ」「黒人差別ヨクナイ」というポリコレ教科書に限定列挙されたお題目に機械的に従ってるだけの人工無脳・チャットボット・ポリコレ集団リンチ装置なの。
その教科書には「男性」や「トランス女性」は入ってない、どころか「女性の抑圧者」「男が女のフリしてるだけのニセ女」という敵として記載されてるから差別・攻撃・嫌悪・排斥するのが公然と認められるの、はてブでは。
何度指摘されて批判されても全く改善しないので、はてブにいるフェミニストってのはそういう「私の差別は正しい差別」という差別できる立場を絶対に捨てたくない理屈の通じない人間達なのだなと割り切るしかない。
下ブコメ欄でのトランス女性(肉体がたまたま男になってしまっただけで、自意識・心は女性)に対する分離排除を肯定するブコメの理屈が、
黒人の犯罪・黒人の肉体に恐怖心を感じて、安心感のために黒人の分離排除の差別を認めた白人の理屈ほんとーにそのまんまで、ウンザリする。
普段あれだけ「差別よくない」「少数弱者の保護を」「人権大事」と言ってるのは、ポリコレ教科書のお題目を唱えてるだけの口先だけだったんだね。
心は差別主義者のまんまだよお前ら。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DXRqhPhsjPUAUPJ/status/1632197993431715840
「家族と他人を区別するのは差別だから、赤の他人でも自分の家に自由に出入りさせましょう」「泥棒が怖い?悪いのは泥棒なので他人全員を警戒するのは差別です」と言われて受け入れられる人ってどの程度いるんだろう
『家族と他人を区別するのは差別だから、赤の他人でも自分の家に自由に出入りさせましょう』
って、誰が「自分(あなた)の家にトランス女性を自由に出入りさせろ」なんて言ってるの?誰もそんなこといってないよ。女性として女性なら入れる場所には入れてと言ってるだけでしょ。
例にすらなってない「トランス女性受け入れ論はこんなに危険で酷いのよ!」と事実無根・元発言者皆無の捏造文で印象操作して危機感を煽る卑怯で卑劣なブコメ。夫婦別姓や同性婚が実現したら日本が壊れる!と言ってる反対論者と全く同じ(いやそれ以上に)汚い手法。典型的な差別の扇動者。
こんな捏造ヘイト扇動が批判されるどころか、トランス女性相手であれば逆に最も支持のスターあつめてトップブコメになるのが今のはてブなんだよね…酷すぎる。
はてブの女性達にとっては「生来の肉体的女性だけが入れる場所を守らなければならない、体が男で女を自称してるだけのニセ女をそこに受け入れるのは、他人を自分の家に入れるのと一緒。我々の住処を守ならければ。トランス女性は異物だ。家に家族だけが住むように、女性だけの場に異物であるトランス女性を入れるな。排除しよう」て意識なんでしょうね。そうでなければこんな酷すぎる例え出てこないし、スターもつかないよね。
『泥棒が怖い?悪いのは泥棒なので他人全員を警戒するのは差別です」と言われて受け入れられる人ってどの程度いるんだろう』
だからー、トランス女性は泥棒なの?性犯罪者なの?違うでしょ。
「我々は男の性犯罪者から被害にあう可能性がある」そこまではわかる。事実だ。でもそこから「トランス女性は女を自称してるだけで実は男だ。男なのだから我々女性に性犯罪を加えてくるはずだ。怖い。排除しよう。女性だけの場に入れるな」て思ってるからそんな泥棒に例えちゃうんだよね。
それ、「トランス女性を女性と認めない」「トランス女性を潜在的な犯罪者として扱う」と2重の意味で差別なのよ。
ほんとにもうね、「不安だから安心感のために区別して排除しよう」って、黒人の犯罪率の高さや肉体の屈強さに恐怖を感じて、白人女性達の安心感のために黒人の分離排除の差別を肯定したジム・クロウ法を作って肯定してきた白人達の主張まんまなのよね。
黒人が白人女性に声をかけただけで「白人女性に恐怖を与えた。白人女性を襲おうとしてるんだ、女性を守れ!」と正義の怒りにかられて14歳の黒人少年をリンチで惨殺したエメット・ティル惨殺事件の犯人たちとまったく同じ思考だよ。そこから何も進歩してないよ君たち。人間の本性はそうそう変わらないということかね。
そうそう、黒人を排除した白人達も、「恐怖故の排除じゃなくて、現実に犯罪とその被害があって」排除したんだよねー。
で、トランス女性が「現実に犯罪とその被害」を起こす根拠は??
根拠もなく「男の体を持ってるから怖い」ていう偏見による恐怖そのものでしょうが。こんな一瞬で看破される詭弁にスターが2番目に集まって上位2位ブコメになるのがはてブなんだよね・・・ほんとひどすぎるよ。
そうそう、黒人を警戒するなという平等主義者の理屈だと、子供に見知らぬ大人を警戒させることもできなくなるよね。犯罪者の味方なんだろうね。
という、またまたトランス女性→男だ→性犯罪者だ、の2重の偏見による差別扇動ブコメ。こんなのが3番目にスター集めて(以下略
ほんとウンザリだ。
「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るなら浴場を男女で分ける必要ないとも言えそう。同性愛者の犯罪もあるし。「肌の色」による区別は非合理だけど「身体的性別」を同視するか、合理性の程度の問題。
上位4位のブコメ。これまた酷い。
『「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るなら浴場を男女で分ける必要ないとも言えそう。』
「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るならバスの座席を白人・黒人で分ける必要ないとも言えそう。
その通りですよね。当時、「知性があり肉体的に弱い」白人と「肉体的に強く犯罪傾向の高い」黒人の分離は、男性と女性を分けるのと同じくらい「当然のこと」だったんだよ。モンゴメリーのバスで白人・黒人の座席を分けてローザ・パークスを排除した白人達もそう思ってたんだよね。
差別を「今それが当然だから」と認めたら差別が続くだけなんだよ。
だから何?それだと「肉体的女性で女性を性好する同性愛者による犯罪もあるから、トランス女性だけ排除する意味はない」というあなたの主張と逆の結論になるけど。バカなのかな。
それとも「トランス女性と同じように同性愛女性も女性に対して性犯罪をするから女性だけの場から排除しよう」という主張なのかな?より酷いね。
『「肌の色」による区別は非合理だけど「身体的性別」を同視するか、合理性の程度の問題』
自分が差別の合理性を判定する権限を持つ神様・世界の支配者気取りなのかな。
その「非合理」「合理的」て誰がどう決めるの????「黒人差別は非合理で、トランス女性差別は合理的」と誰がどう決めたの??本気で教えて。
「大衆の意識、世論、多数決」なんて答えならがっかりだよ。それだといまだに黒人差別は公に続いてただろうね。
以下、多数の差別肯定・差別扇動・偏見ふりまきブコメが最新に至るまでズラーッとつづくが、ひとつひとつ読み込んで反論してると、あまりに皆の本音の醜悪さへの怒りで心がすり減ってダメになりそうなので4位までで勘弁してくれ。
もうほんっっと酷過ぎるわはてブ・・・普段「差別反対」「少数弱者を尊重しろ」「人権人権」と言って他人を殴りつけたり放火したり薪をくべてる連中の本音、本性がこれかと思うと、怒りと情けなさで涙が出てくる。ポリコレはお前らのうっ憤はらすための攻撃兵器じゃないんだよ!人権のための思想だよ。
解がさっぱり分からんので、素人が言えるとしたら「統計的差別を容認する前にせめてトランス差別解消の意思を見せろ」くらいだと思うけど、そうすると「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」で膠着状態に…
これだけ言ってもまだわからんか。
黒人差別反対の主張に対して、「黒人差別の解消を叫ぶ前に、その前にせめて黒人による犯罪の多さの解消の意思を見せろ」と要求するクソな醜悪さがわからんのか。(実際に過去にも今もそういう主張する白人、わりといる)
「膠着状態」になんてなんないよ。なぜそんな意見を考慮する必要があると思うの?「せめて黒人の犯罪をなんとかしてから黒人差別反対を訴えろ」と思うのか?それと全く同じ主張を差別反対と同列に扱ってると自覚できんのか。
なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。
「その前にせめて」じゃねえよ。
個人が犯した犯罪を、属性全体の罪にするのは差別そのものなんだよ!
論旨はわかるが、これで「肉体的に男性のトランス女性が公共施設の女性のスペースに入って来たら怖い」という女性の意見を「差別」だと非難して封殺する風潮を正当化はできないと思う。。
誰も「怖いと思うな」なんて言ってないでしょ…
実際には知的で犯罪や暴力を嫌悪してる黒人がいても、黒い肌を見たら反射的に「怖い」と思う人はいるし、それは批判されないよ。
「黒人は怖い」と思うところまでは自由で、そこから「怖いから分離して排除すべき」と制度や行動に訴えたら差別なんだよ。
そして今はトランス女性の分離排除の差別が公然と行われて、しかも「怖い、排除して」の意見が差別的とされず「多数の肉体的生来女性の自然な意見」と認められちゃってるんだよ。
なんでそんな基本的な事がわからず(あえて無視して)「怖いと思うのすら差別扱いされる」とオーバーに表現して差別反対論への危機感・嫌悪感を煽るかなー
実入りが減るなら運用コストが削られるのは当然であり、結果的にアプリストアに頼る以外の道がない弱小アプリがコスト削減のために切り捨てを喰らう。
手数料どころかストアの運用にまで政府が口を出すならそれこそ資本主義の終焉だ。
「公正な競争を」というお題目で進める施策が競争を潰す事になる。
アプリストアの手数料が下がれば「既に成功したアプリ販売者」にとってはうれしいだろう。
自分たちの実入りが増えて、競合他社が増えないように新規参入を阻害できるわけだから。
それは「公正な競争」なんだろうか?
好きな手数料のストアを自由に開設できるはずのAndroidでサードパーティーストアが死滅してるのは何故なのか?
それを碌に考えもせずに政府が強制で物事進めたって、スマホの値引き制限みたいにビジネスに冷や水かけただけって結果になりかねないよ
具体的なエピソードはないんだけどさ
フェミニストって昔から女性の権利拡大を目標にやってきたわけじゃん?
2.男女平等
でよかったわけよ
それは上手くいって、生物的な男女間の関係も手伝って、一部では女性の方が優遇されてるみたいなことになってきた
そうすると、1と2が矛盾することになってくる
究極的には女性優位社会であるべきと思う人もいれば、そこそこ男女平等ならいいという人も居るだろう
それで矛盾しておかしなことになり始めたのがここ20年くらいだと思う
LGBTでも同じことが起き始め
男性優位派(女性否定)、女性優位派(男性否定)、LGBT優位派(LGBT権利拡大)、平等派 に分かれているんだけど
すごく奇妙なことに
LGBT優位、平等派を否定する女性優位派と男性優位派の結論が同じことになるケースが出てくる
ただ女性優位派はたいてい男性優位派の意見は間違ってるというスタンスなので
これは非常に葛藤を生むことになる
なんというかこの状況は哀れ
ただ、コンシューマーのゲームと違ってネトゲって終わりがないから
マジで冗談抜きで「四六時中」ゲームをする連中が現れて社会的な問題になった
それの解決策として導入されたのが「一定時間以上のプレイをすると効率が非常に悪くなる」仕組み
例えばダンジョンに最初の10回はフルでドロップが入手できるけどそれ以降は10分の1になる、みたいな
こういう仕組みを導入することで「ゲームは1日〇〇時間」というお題目を作った
よりゲームの中毒性というか、いつでもどこでも延々とゲームし続けられるという状況が加速した
その中で「効率が落ちる」から「プレイできなくなる」にステージが移行し
生み出されたのがスタミナ制という仕様
お題目がよくてもそれが口先だけなのか実際に出来るのかは結果が全てなわけで。
立憲、というか旧民主党にはそれが決定的に足りなかった。
んでここ数年の立憲を見てる限り、そこが追い付いたとも思えないというか、退化すらしてると思う。
「野党第一党でやっていければいいや」的な感じさえ臭ってくる。
山上の犯行はテロだったのか、怨恨だったのかみたいな話もよくあったけど
俺はテロだったと思う
結局は、あの事件は「テロリストが正しかった」ということになる
日本に統一教会が巣くっていて、安倍晋三がその広告塔になっていて、被害者や二世信者がたくさんいて、今も苦しんでいる。それは厳然たる事実であり、それに光を当てたのが山上
山上というテロリストを産んだのは日本の社会なわけよ。統一教会問題に興味を示さなかったこと、自民党が世界平和統一家庭連合に改名を許したことや公安の捜査対象から外させたこと、そんな統一教会と強いつながりがある自民党を脳死で支持してたこと
テロには屈しないという文言は、テロに屈しないだけのしっかりした社会だけが言えるんだわ。今回の事件はテロに論破されてるようなもんで、テロには屈しないというお題目だけをなぞらえて吹き上がってる奴を見ると滑稽でしょうがないよね。くだらねえ
テロに屈して当然だろこんな社会。日本人の負けだよ。山上徹也の圧勝。安倍以外誰も殺さなかったしな。ここにきて山上の銃弾は安倍の致命傷にはなってないみたいな情報も流れてきたが、まあ現時点では置いといて
日本人が自民から権力をスイングさせることができてたら統一教会と自民のつながりも絶ててたかもしれないのになあw残念wああ、結果論かwどちらにしろ俺は自民には入れてないんでねw合唱w
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
フェミニストが信頼されていない最も大きな理由は仁藤夢乃という外れ値のせいではなく、
仁藤夢乃をフェミニストの外れ値と断じる場面ですら、真のフェミニストというのがどんな活動をしていてどういう成果を挙げてどういう課題が残っていてそのために何をしているか……ってのが全く話に出てこない所にあるんじゃないかと感じた。
元増田を読む限り「女性を守るという素晴らしいお題目を掲げ、敵を制定し、それを叩くことによって自身の正当性を主張する」というやり口が仁藤も元増田も変わらないから、本物のフェミニストはあんなのじゃないんですと言われても説得力が出ない。
フェミニストはそれ以外にやることないのか? と思われてしまう。
そして、自分の活動を誇示して拡散するという一点において仁藤夢乃が飛び抜けていたから、元増田の思想とは裏腹に仁藤夢乃が周囲から見て一般的なフェミニストの姿として認知されてしまったわけだ。
まずはそこからの脱却を目指すべきなんじゃなかろうか。
カルトにハマるのって楽なんだよな
「この考えを信じていれば良い」というお題目を与えられ、盲信していれば(少なくとも表向きは)周囲の「素晴らしい人達」から、肯定され自己肯定感を得られる
その点フェミニズムってのはカルトの中でもかなりお手軽且つ参入する条件が低いんだよ
「女である」か「女のやる事を肯定する」、このどちらか一方でもあれば良い、それでかでフェミニズムカルトを履修出来てフェミニストを名乗れる
適当に他のフェミの言説に乗って、お気持ち垂れ流して世間や男に八つ当たりしてスッキリ出来るし、更に「自分は被害者だから!」と加害行為を正当化出来る
まさにカルトだよ
楽な方に流されやすい女がハマるのも分かる気がする
そんな女に近づいて良い思いしたい男も出てくるよな、そりゃ
毎日新聞記者の、コラボネタは報じる価値が低いということでマスコミ各社一致している、SNSは偏っているという旨の発言に触れて思ったこと。
「紙の新聞の余命は15年」との観測記事とあわせて眺めるに、たいへん趣深い。
https://togetter.com/li/2036314
https://news.yahoo.co.jp/byline/kamematsutaro/20230101-00330946
ここからは本当の末期だというわかりやすいメルクマールだ。闘病中と聞いていた知人がガリガリの別人みたいな相貌に変わっていたらいよいよかと思う、そんな感じ。
そもそも緘口令が出ているかのように黙殺したり、年はじめで各社一斉に同工のフォーマットで報じるその一糸乱れぬ斉一ぶりは異様だ。そういうのが当たり前になっていること自体が。
もっとコラボの悪行を報じろよとか暇空氏にも味方してやれよとかいう話ではない。
つまらない私闘にすぎないとかよくあることだとか言うなら、そのつまらないことがかくも多くの人間の関心を集めているということ自体が常には無い変事だろう。取り上げる切り口なんていくらでもあり得る。ネットでいま〇〇が話題だそうです式のお手軽ヤドリギ記事は大好きだったはずだ。
ひたすら「特落ち」を恐れ、また「抜け駆け」はせず、まるでお役所みたいに決めごとで動くジャーナリズム。どうかしてるぜ。という指摘はかつて上杉隆らが行った。その後の体たらくは誰もが知る通りだが。
有限な紙幅にニュースバリューの高い順に取り上げられてるだけで他意はないと言えばもっともらしいが、滑稽なまでに「一糸乱れぬ」動きの言い訳にはなっていない。
そもそも「情報の重大性」と「紙面への取り上げやすさ」は全く別である。
例えば紛争地域のリアルタイムでの実情などは、重大さは最大級であり、一次情報の取得コストも大きい。つまり取り上げやすさは最小。
一方「小学生が田植え体験をしました」みたいないわゆるヒマネタは、誰一人関心はないが業務上極めて扱いやすい「定型文の穴埋めで作れる記事」であり「予め予定が立つニュース」である。重要度ほぼゼロ、取り上げやすさMAX。
お上のプレスリリースと違い、スペースの都合で没にするのも自在。
大都市圏居住者は、あるいは実際には見たことがないかも知れない。地方紙の社会面や地方局の夕方ニュースにおいて、田植え体験や高校生のSDGsの取り組みの模様が永遠に垂れ流されるのを。ニュースバリューとは。
知られた話だが、新聞社は調査報道機関ではない。納品された情報を整理して受け流す、聞こえよく言えばキュレーターである。
形の揃った野菜を出荷するみたいに「いつもの定番ネタ」は業務ルーティンにするっと乗りやすい。
まだ世評・解釈の定まっていない新奇な話、いびつなキュウリははじかれやすい。ニュースバリューとは。
しかしそういう型にはまった本邦マスコミ報道のありかたはひとえに害でしかなかったのかと言えば、そんなこともない。主な利点はスタビリティということにある。おつむの軽い「熱血記者」は悪いやつらにうまく利用されるのが関の山だ。世間は大新聞の腰の重さをむしろ信頼してきた。
そもそも良い報道とは? ジャーナリズムとは本来どうあるべきか? といった問いにみんなが納得する答えはあるか。ジャーナリズムが共有すべき、一番ベーシックな価値とは何か。
「権力を監視すること」とか言ったって国家権力ばかりが権力じゃない。
「事実をありのままに」とか「客観的に、公平公正に」みたいなことは実現不能だ。
実現不能なお題目を掲げることは建前と実態の乖離を常態化させ固定してしまう。
そもそも電波法に縛られるTV局は別として、新聞社に中立の義務はない。
思うにやっぱり「果敢さ」しかねぇんじゃねぇの? なんとか月衣塑子みたいな薄っぺらい熱血妄動に陥らないようバランスを取りつつの。
こんにち新聞が相手にされなくなる一方で、文春のスキャンダリズムが一定の信頼を得ているのを見よ。
政権与党にガツガツ果敢に切り込む新聞があったり、むしろ野党にガンガン行く社があったり、それぞれの角度から検証可能な形で情報を提供する。
それらが合わさりデコボコを埋め合って、民主主義社会のいわば媒質であるところの公論の場ができる。
そもそも、マスコミの存在目的とはその社会に生きる人々の共有する「場」を提供することなのだ。一億人が同じ情報に容易に触れ得るということによって。情報の水の中に個人は油滴のように浮かんでいるのだ。
オールドメディアがネットにお株を奪われたのは、速報性とか取材力とかいうことではなく、その「共通の場を提供する機能」である。つまり本質の部分。
マスメディア全盛の時代にも、それ以外の情報伝達経路、例えば万古よりの「噂話」が命脈を失ないはしなかった。
でも文字通りマスに同時に届けられるという点で、すなわち前述の「場を作る機能」において、新聞TV会社は特権的立ち位置にあった。
今はそういう時代ではない。
それなのに「なんだかんだ言ってもぼくらプロの新聞記者の取材力、信用にはSNSなんかはまだまだ太刀打ちできないでしょ」とふんぞり返る記者様の図。まさに悲喜劇。
王国が滅びようとしてる現実に向き合えない落日のお貴族様の姿だよ。
■追記
「そんなに新聞様に取り上げてほしかったらしかじかの体裁をとれ」というコメントが付いている。
だから暇空のこともっと取り上げて欲しいという話はしてないんだけどな。
「取り上げてやるかどうかの基準はこうだ」と硬直的な決め事を振りかざすのは、換言すれば咀嚼力のなさを自慢するひ弱なお公家さん仕草であり、マスコミの生命力低下のあらわれであると言っている
スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節と集団主義的運動部活動を眺めていつも思うのは
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20221229235915
この女叩き反省増田と増田につけられたブコメを読んで思ったことを書く。
この言葉が示す"女を知る"とは、恐らく現実に女と関わるということを意味していると思われる。
つまりこの言葉が示す"女を悪く言う者"とは、増田妖怪の代表格である下方婚増田のように、現実に女と全く関わらずに女の上昇婚志向という統計的な事実をもって女を叩く者等を意味しているのだろう。
いや、ぶっちゃけ下方婚増田は実は恋愛経験豊富で女友達も沢山いる既婚者かもしれないけど、その真偽はここでは一旦措いておく。
では実際に女と関わることで女を知ったことになるのだろうか?
人間がその一生で世界中の女と関わることは不可能だ。あくまで、限りある時間の中で限られたごく一部の女とのみ関わりをもてるだけだ。
この前提に立った時、女と関わることで"女を知った"人物の口から語られる女とは、限られたごく一部の事例から帰納的に結論付けられた"女の傾向"でしかないと言えるだろう。
これはあの忌まわしき経験則そのものではないか。n=1ッ!n=1ッ!!
経験則とはブクマカが大嫌いなn=1を包摂する概念であり、下方婚増田が頼みとする統計的事実の幼子だ。
だからもうぶっちゃけるけど、この言葉は論理的に破綻してるだろ!!!
こんな奴が女を知っているということになるんだぞ!?それでいいのか!?いいわけないだろっ!!!
いいか?女を叩くのがなぜいけないかと言えば、それは女を叩くのがいけないことだからだよ。トートロジー、不善、つまり倫理だよ倫理。
実際にカスみたいな女とばかり関わって尊厳を損傷したとしても、
実際に彼女にカンピロ仕込みの親子丼を食べされられたとしても、
それでもなお、俺たちは女を叩いてはいけないんだ。何故なら倫理的に良くないから。
倫理的に良くないことを批判する理由は倫理的に良くないから、で十二分だよ。
それを避けて下手な論理や権威を振りかざすから話がこじれるんですYo。
何が面白くて女を叩くのだ。
これはもう女叩きぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。