はてなキーワード: 飲み会とは
みんなが大好きな年収の話で、年収1100万と言うと「マウンティング」などと僻まれる側ですが、
実際の生活は全く夢に溢れていません。多くの方の直感に反すると思うので、どういうことか説明します。
これを読めば「いままでなぜ高年収に憎しみを持っていたのか」と思うはずです。
はい幻想です。東京で仮に年収1100万あっても、課税されるので実際の手取りはさほど多くありません。
東京では何をするにもお金がかかり、あっという間に消えていきます。
「生活に余裕がある」と感じるのはコンビニで値段を見ずに買い物できるくらいでしょう。
あと躊躇なくチャーシュー麺注文できる、くらいでしょうか。
年収1000万や2000万程度で、配当金で生活が楽になると思っている人は金融リテラシーが乏しいです。
仮に配当利回りを3%と仮定して、年間の生活費が300万円だとしましょう。
この300万円を配当金で得るには運用資産が1億円必要です。無理ということがわかると思います。
私の住宅は家賃14万円です。田舎の感覚からしたら高価ですが、東京だと珍しくもありません。
最近はリモートなので家賃は無駄感が出ていますが、東京だと普通の価格です。
私は3階に住んでおりますが、エレベーターはありません。宅配ボックスもありません。
豪華絢爛なエントランスも無いし、フロントマンも当然いません。それだけ東京の家賃は高いのです。
マンションだと2LDKで1億の物件とかが普通です。2LDKで1億ですよ。
コンビニ飯や吉野家の牛丼をよく食べます。ファミレスも大好きです。
自炊する時にはOKストアやダイエーに行きます。あとハナマサ。
UberEats は高い(というよりコスパが悪い)ので全然使ってません。
チェーン店も良く行きますが、日高屋だけは客層が悪いのであまり行きません。
ここ2年以上無いですが、付き合いの長い友人とご飯を食べる時は食事に1万円以上払うことが多いです。
おそらく並よりはモテます。多少は懐に余裕があるのでそれが精神的な余裕も生んでいるから、な気がします。
女性と行くお店はお洒落系ばかりではなく、古い天ぷら屋とかファミレスなんかも行きます。
もちろん代金は自分が払いますが、これは他の男性も同じでしょう。
セフレと行く際のラブホは普通のラブホです(というより高級ラブホを知りません)。
渋谷、新宿、上野、池袋あたりのラブホなので普通の2時間6000〜1万円程度のところです。
年収1000万超なら美女が寄ってくるというデマを流したのは誰ですか?
将棋です。中でも自分は観る将です。お布施ポイントがほぼ全くありません。
スマホアプリの月額課金くらい。むしろ趣味の中でもお金がかからない部類ですね。
全部ユニクロで事足りています。靴は一度オーダーメイドで作ってもらったことがありますが、
見た目というよりは履き心地のためなので「ファッションにお金をかけている」とはちょっと違いそうです。
傍目には全くお金持ってそうに見えないはずなので、
「年収1000万のエリートサラリーマン」みたいな慣用句を見ると「わかってねえな」「踊らされてるな」と思います。
と言ってもオーラルケアは2〜3万円もあればかなりハイエンドなグッズ買えるので
高額をつぎ込んでるというほどでもないです。
マジで夢無くないですか?
高級車買うとか絶対ありえないです。都内で高級車を買えるのはちょっとやそっと給料高いというだけでは無理です。
自宅も(東京価格では)普通のアパート、食事もコンビニや吉野家、ファッションはユニクロ。
これに夢持つ方いるんですか?
年収1000万超なら優雅な暮らしができると思ってる人、自身のリテラシー不足を懸念したほうが良いです。真面目に。
A. ちゃんとは把握してないですが(確定申告しているので)、60万円くらいだと思います。
A. 奨学金は300万円ほど借りていました。今は返したので借金は無いです。
A. 貯金ゼロにすればそりゃできますが、そうしたいですか?そうして欲しいですか?
年収1000万円以上でも貯金額が新卒社会人と変わらない額で良いと思っていませんか?
A. 約1400万円(時価)
Q. セックスしたい時期に(爺になって1100万貰っても遅い)並みよりモテてセフレが出来れば 十分夢がかなってるじゃないか・・・
A. 性欲は満たされていますが、モテと年収はさほど関係無いと思います。セフレできるかどうかは別に年収400万円でも普通にできるのでは。
Q. 自虐風自慢ですか?
A. どこに自慢要素ありましたか?この生活に夢を感じましたか?
Q. ソフトウェアエンジニアとしてのスキルを知りたい。 何がどれだけできるのか? そのスキルが収入と釣り合っているのか
A. 以前は機械学習やってました。レベルはさほど高くないですが Kaggle でお金は稼げます。
最近は Kubernetes で大規模なクラスタ組んでます。日本ではかなり上位の規模です。
かなり限定されるのでぼかしますが、CNCF とは縁があります。
スキルと収入が見合っているかについては、相場程度か若干下だと思います。
Q. セフレがいる時点で夢のまた夢の雲の上の天上人て感じなんだが。それだけで高い年収欲しくなる
A. セフレができるかどうかだけなら年収はさほど関係無いと思います(無関係では無いと思いますが)。
多分そういう気概だと年収が上がってもセフレはできないと思います。
A. 確かに。会社の立地が良く、その近くに住んでいるので都内でも高めです。今ならほぼリモートなので安いところに引っ越せますね。
Q. 残業がめちゃ多いとかじゃないの?
A. ソニッケアーの電動歯ブラシと、アパガード系の高級歯磨き粉でブラッシング。
歯間ブラシを毎日。歯間ブラシ類は何種類か取り揃えていて毎日やっても飽きないようにする。
顔面とスペックは彼氏いない歴イコール年齢ということで察してほしい。
コミケやイベントに行く緩いオタクなのでそれに関しては一切隠さずいった。
・母が紹介してくれた人
隣町に住む40後半の男性。紹介写真が飲み会の時のビール持ってるときの写真で顔が真っ赤。自営業。一回会って話して悪い人ではなかったけどおじいちゃん以外の感想が出なかった
・お見合いおばさんが紹介してくれた人
仕事で出会って話の中で結婚したいんですよと言ってたら紹介してくれた。30前半と後半の男性の二人。一人はいい人っぽかったけど持病ありで実家で同居と農業の手伝いが必須、もう一人は話を振ってもうまく返ってこなかった。財布の中にジムのカードがチラッと見えたのでその後で運動何かされてます?と聞いてみたらしてません。で終わった
・母の友人の息子さん
都会で働いている30後半の息子がいるけどいつまでも結婚しないのよ〜住所教えてあげるからお手紙出してあげてね!と言われたので写真と簡単な身上書を添えて送った。一ヶ月してから友人さん夫婦からごめんなさいあの話は無かったことに…と謝られた
隣町に住む30前半の公務員。いつお会いできますかと聞いたら今別の人と交渉しているのでこれが駄目だったらお会いしたいですととても素直な返事が来た。3週間後に会いたいと連絡が来たがその頃には今の夫と出会っていた
結局地元じゃないところでやってたオタク向けの婚活パーティーに参加してみたら今の夫と成立して1年ほど聖地巡礼したりして結婚した。
実家から離れたから育児が大変だけど就学したらパートに出るくらいの緩さでやらせてもらえてるしオタクしてても何も言われないので満足している。
女は振袖を身にまとい、男はスーツや袴で自身を着飾って、恋愛感情を匂わせる。
飲み会に行けば、話はもっぱら恋愛だ。お前は誰と交友があるんだ、お前は誰が可愛いとおもってるんだ。地元という存在は陰鬱に縛られた檻のようなものだろう。完成された社会は檻のように私たちを閉じ込める。檻の中で感情が乱反射して男女を引き合わせる。
されど、私はジェンダーレスだ。女性の乳房を見た際に、どちらかといえば気持ち悪さを感じる。それでも、飲みの席では笑顔で恋愛の話や女性の好みを話し合う。
性行為に対して私は疎い。「エロい」話への私の興味は限りなく薄い。江戸時代の性行為の話が事象として、ただただ淡々と私の頭に写ってゆく。江戸時代の言葉でフェラチオの詳細が再生されてゆく。江戸時代がエロ時代と言った渾身のギャグを課題に追われながら私は真顔で聞いている。江戸時代の人間のエクスタシーへの探求を学びながら、ジェンダーレスな私は10回も男性が絶頂を迎えれば疲れてしまうと、無関係の雑談を思い返していた。
Gスポットに男根を押し入れると聞いても興奮の一つも覚えない事をどうにかしてほしい。
僧侶だって水を流すのに、小便しか流せない私をどうにかしてほしい。
願えど願えど、だだの日本史として、興味の一環に興奮を感じる。
小学生。近所に住んでいた友達と些細なことでもめ、いじめられた。幼稚園までは親の転勤で新しい環境に飛び込んでもすぐに友達を作れるくらい明るかったが、いじめられたことで私の強みは潰された。自分が何を言っても誰にも聞いてもらえないが、言動で私を傷つけようとしてくる人があまりにも多く、少しでも人に話を聞いてもらいたくて異様なほどの早口で話したり傷つかないために自分に対する悪口を軽く受け流したりする癖はこの頃ついたと思う。
中学生。音楽部に入った。ピアノ等未経験の音楽初心者で入ったなりに努力して1年生の頃の顧問の先生にはたくさん褒められていたが、2年になってその先生が退職し、新しい顧問には嫌われ、3年生になっても自分だけ役職につけてもらえないなどの仕打ちを受けた。
家に帰ると勉強はあまりせず、全然楽しくない部活の憂さ晴らしとしてアニメばかり見て絵を描いていた。
そのせいで親にはよく怒られており、小学生の頃いじめてきた子を引き合いに出して〇〇さんよりいい高校に行きなさい、悔しくないのなどと言われ続けていた。
高校受験では3年夏には国際系の行きたい高校を見つけたものの、内申書と数学と理科が最後まで振るわなかった。本命1校の公立高校に落ちたら私立に行かなければならない県に住んでおり、私立に行かせる金はないと毎日気が狂いそうなほど言われた。やる気のない生徒が集まる塾に通っていて、講師もいかにも大学生バイトという感じであまり教えてくれないし、親に塾を変えたいと言ったものの、お金がかかると言われて叶わなかった。
最終的に家から近い、自分の偏差値で行けそうな公立高校を受験し、合格した。通っていた塾にも私と同じ高校を受験した人が何人かいたが、私以外は落ちたようだった。私より高い偏差値の高校に行った生徒はいなかったらしい。
高校生。トラウマと化した中学とは180°違う運動部に入った。先輩の中にも初心者で始めた人がいて、とても優しく教えてくれた。友達もでき楽しくて良い環境ではあったが、初心者だったこともあり周りと比べて体力もなく競技は全く上達しなかった。そのうち教えてくれる先輩とか友達にも引け目みたいなものを感じ始めた。先輩や友達は強かったため地区大会や県大会の応援に行くたびに交通費がめちゃくちゃかかり、お小遣いでは足りなくなった。親からは毎月のように応援に行くたびにそんなことをして何の意味があるのと言われた。もうお金は借りられないと思った。
親に黙ってアルバイトを始めた。部活と勉強との両立はとてもキツかったが、将来のために少しでも働いて、お金を稼いでいると思うと何か安心感のようなものがあった。この頃にお金を稼ぐことの楽しさを覚えた。
特に頭がいい高校ではなかったからか高校時代の友達は美醜の話で盛り上がる人が多く、昼休みのたびに誰が可愛いとか誰がブスとかそういった話ばかりしていた。ブスで恋人もいなかった私はそういった話を聞くのも嫌だったが別の話題に持っていく力もなく、適当に相槌を打つことしかできなかった。
高2の3学期に大学受験に対して危機感を持つようになった。前述の部活とバイトの掛け持ちで学校の勉強は疎かにしており、特に2年生の頃は学校をサボりがちで午後から高校に行ったり部活だけ参加したりしていた。そのため、親が最も期待していた指定校推薦は望めそうになかった。
高3になる直前くらいに部活もバイトもやめ、親に頼み込んで塾に入れてもらった。部活もバイトも辞めるのはすごく気が引けた。親のせいと周りには話したものの、全部自分で決めたことだった。子供の頃から学歴コンプや貧困などの話を読み漁っており、親から絶対に私立には行かせられないと言われたことも相まって絶対にお金のない大人にはなるまいという思いが強かった。
大学受験では入りたかった塾に入れたが、中学時代から得意だった国語以外あまり成績は伸びなかった。英検をとれば有利になる大学が多数あることを知り、受けた。検定には合格したものの一番行きたい大学の英検利用はスコアが足りず諦めざるを得なかった。
受験の前、大学に全落ちしたらどうするかの相談を親に持ちかけたところ、お前は女なんだし、落ちたら浪人しないで働け、結婚して早くいい旦那さん見つけろと言われた。自尊心がズタズタになっていた私はつらくなって泣いた。
その頃は12月だったためなんかもう全てのやる気を失ってしまったが、英検と得意だった科目を活かしなんとか2月、一般受験で世間的に有名な大学に合格することができた。
親も喜んでくれた。塾の先生も高校の先生も喜んでくれた。見返せた気がして嬉しかった。
大学が決まると以前働いていたバイト先に戻り、たくさんシフトを入れて働いた。その頃の店長や先輩がいい人だったこと、先輩に同じ大学同じ学部の人がいたことも私のバイト先への帰属意識を強めた。他のバイトを探すなど考えられなくなっていた。
4月になり大学に入学した。東京の大学だったためダサいのは恥ずかしく、今まで友達が本当に少なく親からあんた親友いないよね、と毎日馬鹿にされていたので東京でも生きれる普通の女の子になってみたいという気持ちがあり、大学デビューしたいとの思いから服や化粧に金を注ぎ込んでバイト代は一瞬で飛んだ。家では夜10時までに帰ってこいと門限が決められ、お金もなかったためサークルや部活の新歓期間は逃したまま結局入らなかった。
大学で最も楽しかったことは(私の周りだけかもしれないが)人を容姿で揶揄する子がいなかったことだ。周りはみんな頭のいい高校を卒業した子ばかりで、発言に強要が含まれていて聞いてるだけで面白かったし、オタクでも1人でいても陰口たたかれないし後ろ指を指されることもないしすごく快適だった。プライベートでは相変わらずバイトばかりしていた。
秋になり、バイト先では私がお世話になった店長が別の店に飛ばされた。そのころからバイト先の環境は少しずつ悪くなっていった。めちゃくちゃ気が強い先輩が何人も入ってきた。今思うとここで辞めておけばよかったのだが、当時のバカな私はそれをしなかった。
2年生になった。コロナが流行り、授業は全部オンラインになった。生活リズムはグチャグチャ、なんのために生きているのかよくわからなくなったが、2年から入ったゼミの授業が週2であり、カメラオンのzoomで同期や先輩と話ができたことだけが精神安定剤となった。この頃には授業とバイトの両立が不可能と親に訴えたことで門限はなくなり、2年生からやっとサークルに入り直せると思ったがコロナのせいでできなくなった。
というのも親はとてもコロナを気にしており1年くらいバイト以外の外出ができなくなった。友達と遊ぶというとものすごく苦言を呈され、一緒に住んでいる人のことも考えてと言われた。落ち着いた頃友達とチケットを取ったディズニーランドもバレて延期せざるを得なくなったし、成人式もそのあとの友達との軽い夕食の話も断らざるを得ず、そのあとだんだんと誘われなくなっていった。
唯一の息抜きはゼミの教授がきっかけで始めた昆虫観察だけだった。自然がたくさんある郊外に住んでいるため、邪魔されずに散歩だけはできた。自然の中を歩いて、虫を観察している時だけは面倒な親のことも溜まっている課題のことも忘れられ、癒された。そうして私のつまらない大学2年は終わった。
3年生になり対面授業が再開し始め、相変わらず親は文句を言っていたものの少しずつ大学に行くことができるようになった。
5月ごろに就活を意識しいくつかの長期インターンに応募したが全て落とされた。夏休み、やっと参加できた地元のボランティアの活動期間はまたしてもコロナが猛威を振るい、親にはまた文句を並べられた。東京に行くなんてもってのほかで、ずっと地元から出られなかった。ボランティアもコロナのせいであまり活動できなかった。
8月に親の職域でワクチンを打つことができ、9月からは感染状況の落ち着きもあって割と自由に出歩けるようになった。1年も延期していたディズニーランド、ゼミの同期との飲み、泊まり、1年生から憧れていた「大学生らしいこと」をやっとできた。
さらに転機が訪れる。大学でやっていた勉強会に参加し、そこで今まで会ったことないくらい頭がよく、私に色々な世界を教えてくれる人たちに出会った。そこで初めて勉強の楽しさを知った。なんでこんなに楽しいのに今まで気づかなかったんだろうと思った。高校受験で諦めさせられて以降嫌になっていた外国語も、友達と一緒に高校の時履修したけど知識は身についていなかった政治経済も学び直し始めた。遠くへ行って、知らない世界をたくさん見たいと思った。生まれ直した気分だった。
しかし、11月ごろから周りは一気に就活ムードに入りそれどころではなくなる。夏からインターンには応募していたが、1年次から興味のあることが一切できておらず、環境は最悪だったが6年続ければ何か足しになるだろうとしがみついていたバイト先でも、社員や先輩に嫌われ責任者にはなれなかったため、俗に言うガクチカも自己PRもなく、落ち続けた。周りには何人か休学して長期インターンやボランティアなどをする人も出始めた。私も一度きりの新卒就活、後悔しないように休学か就留か就浪して長期インターンをし自分のしたいことを見つけたい、ちゃんと何かに打ち込みたいと相談したところ親にこっぴどく怒られた。家を出てってくれと言われた。インターンも何も参加できず、就職先が決まらないかもしれないと言うと、女なんだからバリバリ働けないでしょ。就活なんか適当に地元ですればいい、それより男に好かれる、愛されて結婚するための努力をしろと言われた。あまりに呆れてしまい、返す言葉がなかった。私の人生ってなんなんだろう。
実は大学に入り、見よう見まねで都会の女子大学生としておしゃれをしてみて何か嫌悪感のようなものを感じるようになった。女として扱われるのが嫌だ。バイト先で自己肯定感の低い私をたくさん褒めてくれる先輩が入ってきて仲良くなったが、軽く肩を叩かれる程度でも体を触られたり、下ネタの話をされると途端に気持ち悪くなり、おまけにとんでもないクズだったので、関わるのをやめた。親とか同性の友達とかにも体を触られるのが嫌で喧嘩になったこともある。飲み会で酒が進み、恋バナや性行為みたいな話になっても嫌悪感があった。そのせいか恋人は今まで一度もできたことがないしまだ処女だ。
それなのになぜ女として振る舞い、男に好いてもらうために努力しないといけないのだろう。憤りしか感じなかった。自分のためだけに生きたい。
この間中学時代の友達と話す機会があったが、彼氏と同棲するなら〜とか、結婚を考えると全国転勤ありは嫌だよね〜とかの話をされ、私はやっぱりそういう考え方はできないなと思ってしまった。
年が明け、またコロナの感染者が増え始めた。親は毎日毎日感染者数をLINEで送りつけてきて、外出しているとどこにいるの早く帰ってきなさいと頻繁に連絡してくる。もう外食もできない。
こないだ休日のランチタイムにバイトしていたら普段は担当しないホールに回された。満席になった店で楽しそうに食事をする家族連れを見ているとなんだか辛くなってきた。コロナがなければ、もっと自由に生きられたのだろうか。誰も何も悪くないけど、涙を堪えながら接客をした。
人をまとめる力もなく、卒業見込みの大学に見合った頭もなければ普通に女として愛嬌を振りまくこともできない、これからの私はどうしたらいいのだろう。
今興味があるのはコロナ禍で始めた一眼レフでの写真撮影と昆虫と小学生の頃から好きだった自然、あとは自分が悩んだジェンダーとかお金とかの問題で、私みたいにやりたいことを諦めなければならない女子もいるだろう現状の社会には割と不満を持っているけど、別にものすごい性差別を受けたとかめちゃくちゃ貧しかったとかではないから何かの志望動機にするにしても説得力ないなと思っている。志望動機を書いていても自分ごとにできてないってキャリアセンターの職員には言われた。多分大学時代にあまり興味のあることも好きなこともしてないしどこにも行けてないからだと思う。
強みは今でも偏差値が70以上ある国語と、性格面では小学生の頃いじめられたからか自分と違う意見でも人の話をよく聞こうと意識しているのと最近いろんな友達との交流を経てやっと取り戻した明るさ、あと昆虫について詳しくなろうとする探求心だと、友達とか教授に教えてもらった。これが活かせるところがあれば知りたい。
それか生まれ直した私でもう一度勉強し直したい。もう4年生なので、そのためには社会に出てお金を貯めてからもう一回大学に入り直すか大学院に行くことかなと思う。
もう自分の人生において、お金にこだわる私はいない。今までは親の影響でコスパばかり考える気味が悪い子供だったが、たくさん遠回りをしてこそ学べることがあるのではないかと考えるようになった。
一度自立し、一人暮らしをしてからであれば親からはなにも言われないだろう。けれど1人で生きていくにあたってやっぱり職がないのは困るし、20代後半で大学を卒業してもちょっと貯金ができ、一人っ子なので自分しか頼れない両親の老後の面倒を見れるようなお金がもらえるところに就職できるかが不安だ。それかとりあえず行けるところに就職して、後々自分の興味関心があることができるところに転職するか。転職のことを考えると気が重くなる。新卒キャリアがどんなものでも、そこから転職ってできるものなんだろうか。
とりあえず早く親元を離れたい。
私の大学生活を返して欲しい。
本当に無知ですみませんが、向いてそうなものとか、どこに転職するにしても役立つスキルみたいなものがあれば教えて頂きたいです。
飲み会での酒飲んで当然みたいな圧異常だよな
もうたくさん似たようなコメントが来ているかもしれませんが、失礼します。
とても読みやすい記事でした。読みやすい日本語を書けるというのは、それだけでとても素晴らしい技術です。本当です。
記憶力がよいのもとても羨ましいです。社会に出たとして、どんな場所でも新しい技術を勉強し続ける必要があります。勉強する習慣のある人、勉強できる人はずっと新しい技術で新しい仕事を続けられます。(例えばIT業界であれば、新しい言語が生まれ、新しいシステムが生まれ、古いアプリケーションもバージョンアップで新機能を搭載し…常にそれらを勉強し続けられる人間が強いです。)
コミュニケーションを取ることが真に得意な人たちは、苦手な我々とも正しくコミュニケーションを取ってくれます。言葉の足りない我々に何度も質問を重ね、真意を汲み取ってくれます。卑屈にならず、尊大にならず、悪意を振りまかず、礼儀を持って接していれば、友達にはなれないかもしれませんが仕事に取り組むパートナーにはなれます。
こつこつ勉強ができるなら、資格を買ってもらえる業界はオススメです。宅建、簿記、CCNP…色々な業界で、資格が昇給要件になっていたり、転職する際にも有利だったりします。
もちろん新卒3年目ぐらいまでなら第二新卒として雇ってくれるところもあるので、必ずしも一社目が合わなければそこで無理する必要もありません。やってみないとわからないこともあります。企業の中で希望の部署に行けないことも、同じ業務内容でも社風が合わないこともあります。これから時代も変わり、転職ももう少ししやすくなっていくんじゃないかと思います。
※こちらについては、転職により社内でのスタートが遅れることや、新卒同期がいないことによる弊害もありますので、メリットだけでないことはご理解ください。
周囲やネームバリューにとらわれず、できることをやっていくのでよいと思います。やりたいことはなくても、勉強ができることが有利に働く職種から見ていくといいかもしれません。大金持ちにはなれないかもしれませんが、共依存のご両親から離れて一人暮らしできる程度には稼げるでしょう。無駄な飲み会にお金を使わないのであれば、婚活資金を貯めて、結婚を目指すこともできるでしょう。
書き出したときに考えていたよりかなり長くなってしまいました。失礼いたしました。よりよい未来がありますように、お祈りしております。
会社の同僚にそういう人がいる。たまに会社とかのつながりでフットサルをやったり(最近はないけど)そのあと飲み会に行って話すような人なんだけど、チームが違うので仕事では関わったことがないという人だった。
自分の仕事論、会社論のようなものを強固に持っている人のようで、良く上の人と揉めているのを見かける。というのも、うちの会社は基本的にチャットツールを介していろいろ連絡を取り合うことが多いのだけれど、その人が良く全体チャンネルに色々投稿しては上の人に止めるように諫めている場面に出くわすのだ。
普段から一緒に仕事する人に参考書とかマニュアルをとりあえず投げて「その内容が理解できるまでは話しかけるな」みたいなことを言うタイプの人で、新人だろうとベテランだろうと全員同じような対応になるらしい。普通異動とかしてきたらそのプロジェクトやチームの中でいろいろ先任者に話を聞きながら進めていくものだろうと思うのだけれど、その人の場合はただただマニュアルとかを投げて放置するだけ。最終的に、渡された方が音を上げて上司に苦情を言うか(なんであの人と組ませたのかとか、別のチームに行かせてくれとか、辞めたいとか)、逆になんで使えないやつを連れてきたんだと当人が文句を上司に言うかということになる。
会社の全体チャンネルに色々投稿しているのもたぶん同じような思想で、会社全体のメンバーの技術力を上げたい的な思いもあって全体にシェアしているんだろうなと思う。
あとから聞いたら会社の上の方の人に対しては直接電話していろいろ意見をぶつけても来るらしい。
そんな感じで会社でトラブルメーカー扱いされているんだけど、普通に一緒にフットサルしたり飲み会したりしてもそんな風に見えないから不思議。
まあ一番不思議なのは、その人がなんでウチのような大して規模の大きくない会社にずっといるんだろう、という不思議。もっとレベルの高い、全員が技術力のある会社なんてそれこそたくさんあるし、ベンチャーとかに行ったら同僚の不勉強や低レベルさを嘆かなくてもいいのでは?と話を聞くだけだと思う。面と向かってそんなこと言えないけれど。
身バレ防止の為多少のフェイクを混ぜつつ、記録として残していきたい。
全員ワクチンを2回接種済
経緯
1/9 夫、喉の痛みを感じる
1/10 夫、38.7度の発熱。しきりに「大丈夫大丈夫」と言うが熱が下がらなかったら医者に行くように説き伏せる
夫と自分、娘は普段同部屋で寝ていたが、部屋を別けマスクをつけ就寝。
1/11 夫、解熱しない為受診しPCR検査を受ける。高齢の姑がいるため、陽性だった場合ホテル療養が可能か調べてもらう。
1/12 夫、16時頃病院より陽性と告げられる。この頃には発熱、倦怠感など消失していた。
娘、姑のどの痛み、倦怠感を覚える。その後二人とも38度の発熱。
1/13 私、喉の痛みと咳の症状が出る。保健所から連絡は来ていないが症状が出て居る為近所の病院で検査を受ける。
全員陽性。私、夜中に38度の発熱。
姑の急変が心配されるため主治医と保健所に指示を仰ぐがその時点で36度台に解熱し様態が安定してた為、自宅内にて様子観察となる。
1/14 私、娘、熱が下がる。若干の倦怠感と咳のみ継続。娘の倦怠感は継続。
夫、倦怠感も発熱も無し
姑、倦怠感は持続。熱は無し。
1/15 私、娘、姑、全員倦怠感も熱も無し。
まとめ。
・感染の経緯⇒不明…と言いたい所だが3連休前と間に夫が友人たちと飲み会をしていた。
オミクロン株の潜伏期間が3日なら7日飲み会→9日発症で全部辻褄が合う。他の家族が外でマスクを外さない&外食を控えているため、多分これが原因。馬鹿野郎。
・保健所はパンク状態。此方から連絡してやっと繋がる状態。15日の時点でまだ連絡が来ない。
・病院の待合場所が若者だらけ。報道通りオミクロン株の感染者は20台や30代の若者が多いと思われる。
・症状は風邪と同じ。すぐ解熱したがワクチン打ってない人は重症化のリスクがあるみたい。打っててt良かった。
・それでも発症から10日は自宅軟禁。その間、娘は通学禁止、私も仕事に出れず。娘にガチ切れされた夫がションボリしてた。
・一人が発症すると我が家の様な狭い部屋に大人数な家族は家庭内感染は防ぐのが難しい。
のどの痛みを感じた時点で夫が感染症対策(別の部屋で寝る、マスクを装着する、夫の触る箇所はその都度除菌)などを
・感染理由として、年末年始の忙しさから家族全員免疫力が多少落ちていた可能性もある。
・会社に穴をあける事を謝しまくった。みんな感染症だから仕方ないよ!と言ってくれた。圧倒的感謝…!
夫の事もそう見れる様にしたい…したい…したいんだけどなぁ…
街中で、ふと目に入ってくる車。トヨタのエスティマという大型のミニバン。
教師として生徒を県外への遠征に引率することが多かった親父は、生徒がたくさん入るミニバンサイズが丁度良かったんだろう。
俺の成長と共に、親父は初代のエスティマ、そしてハイブリットのエスティマの二台に乗り継いだ。
俺が産まれるより前から乗ってると言っていたから、もう同じ車種に乗り続けて30年以上になると思う。
親父がエスティマを運転する姿を、そして運転する大きな背中を、後部座席からずっとずっと見てきた。
そのせいか、街中で同じ車種を見ると「親父が運転してるんじゃないか?」とごく自然に思うようになっていた。
小さな街だからか、事実3回に1回くらいの割合で、親父がハンドルを握っていた。
大学進学のために上京しても、エスティマを見ると親父と見紛う癖が続いた。
やはり都会は地元と比べて道が狭く、そもそもミニバンに乗る人が少ない。
だからこそ珍しくエスティマを見かけると、なんだか妙に胸が高まり、絶対にいるはずもないのに、「親父が横浜に来てるんだろうか」とついつい考えてしまった。
そしてすぐ、「そんなわけないか」と一人で笑った。
二年くらい前だろうか、親父は還暦を迎えた。
しかし退職をすることはなく、決められた時間だけ生徒たちに授業を教えるような、いわば時間講師の道を選んだ。
今まで土日祝日はあってないようなもので、常にどこかしらの遠征に出かけていた親父も、今や授業が無い日は庭の手入れをしたり、家の掃除なんかに精を出している。
親父は「退職金を使ってやりたいことがある」と言って、まず初めに家の浴室を改築し、風呂の浴槽を大きくした。
今までの浴槽はだいぶ狭く、基本体育座りでないと入れない程の狭さ。
お風呂に入ることが大好きな親父は、「とにかく足を伸ばしてお風呂に入りたい!」とのことで、以前の二倍くらいの広さにした。体の大きな俺でも悠々と入れるほどだ。
そしてもう一つ、親父は退職金を使って車を買い替えた。
ミニバンのエスティマから、同じくトヨタのセダン、クラウンという車種にした。
ミニバンからセダンになったことで、車の大きさはだいぶ小さくなり、同乗できる人数も減った。
子どもが大きくなり、家族でどこかに出かける数も減ったことも理由にあるだろう。
「ハーレーってあのバイクの?」と聞くと母は頷いた。独身時代からハーレーに乗りたいと思っていたらしい。
俺は驚いた。親父の口からバイクが好きだと一度も聞いたことが無い。しかもハーレー。なんてアメリカンなバイクを。
でもその話を聞いて、親父が教師として生きていくために、父親として生きていくために、犠牲にしてきたことの1つなんだろうなと思った。
飲み会に迎えに来て欲しいと連絡があり、十数キロ、30分程度の道のりを運転して、親父を助手席に乗せた。
親父はべろんべろんに酔っぱらっていて、何回も同じ話をループし、黙ったかと思うと、「どうだ?クラウンの運転は」としきり尋ねてきた。
俺は親父の車をぶつけたりしたらシャレにならないと、内心びくびくしながら運転していたから、しきりに「どうだ?」と助手席から訪ねてくる親父に若干イラつきつつ、「運転しやすいね」と愛想を述べた。
本当は緊張のせいで運転のしやすさなんて全く分かっていなかった。
親父は満足そうに頷いて、数分してから「どうだ?」とまた聞いてきた。
面倒くさくて「いい車だね」ともう一度愛想を言う。
「いい車だろ?」と親父は繰り返し、満足そうに頷いた。
後部座席から見る父親の背中はあんなに大きかったのに、助手席に座って目をつむる親父は姿はどことなく小さく見える。
大きく見えていたのは、決して俺が小さかったからじゃなくて、生徒たちを、そして家族の命を預かる親父の「責任」だったんだろうな、なんて思いながら運転した。
無事に家まで送り届けた翌朝、昨夜あんなに聞いてきたのにもかかわらず、親父は「クラウンの運転はどうだった?」と聞いてきて、流石にしつこくて笑った。
笑いながら「良かったよ」と親父に言うと、親父は満足そうに、また大きく頷いた。
親父が「じゃあ行ってくる」と言い、クラウンに乗り込む。
たかがそこのコンビニに行くのにわざわざ車に乗らなくても、そう思いながら見送った。
でもクラウンに乗り込む親父の姿がどことなく嬉しそうで、俺もなんだか嬉しい。
教師として駆け抜けてきた四十年間、父親として生きてきた30年間。
共に走り続けてきたエスティマ、お疲れ様。大きな事故なく走り続けてきてくれて本当にありがとう。
車間距離が近い節がある親父の運転を諫めつつ、走る喜びを感じさせてあげてほしい。安全運転でいつまでもいつまでも傍にいてあげてほしい。