2022-01-18

大学の期末レポート

成人式に出た際に、性の存在をいやというほど感じさせられた。

女は振袖を身にまとい、男はスーツや袴で自身を着飾って、恋愛感情を匂わせる。

飲み会に行けば、話はもっぱら恋愛だ。お前は誰と交友があるんだ、お前は誰が可愛いとおもってるんだ。地元という存在陰鬱に縛られた檻のようなものだろう。完成された社会は檻のように私たちを閉じ込める。檻の中で感情が乱反射して男女を引き合わせる。

されど、私はジェンダーレスだ。女性乳房を見た際に、どちらかといえば気持ち悪さを感じる。それでも、飲みの席では笑顔恋愛の話や女性の好みを話し合う。

その場での「エロい」話は求められる話だから

行為に対して私は疎い。「エロい」話への私の興味は限りなく薄い。江戸時代の性行為の話が事象として、ただただ淡々と私の頭に写ってゆく。江戸時代言葉フェラチオの詳細が再生されてゆく。江戸時代エロ時代と言った渾身のギャグ課題に追われながら私は真顔で聞いている。江戸時代人間エクスタシーへの探求を学びながら、ジェンダーレスな私は10回も男性絶頂を迎えれば疲れてしまうと、無関係雑談を思い返していた。

Gスポット男根を押し入れると聞いても興奮の一つも覚えない事をどうにかしてほしい。

僧侶だって水を流すのに、小便しか流せない私をどうにかしてほしい。

願えど願えど、だだの日本史として、興味の一環に興奮を感じる。

教授はてな絶対見てそうだけど、何書いているか自分でも疑っている。でも講義内容なんだ許してくれ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん