はてなキーワード: 道化とは
自分が書いたのかと思った…!
増田さんが、ご自身で呪いを解き始めていて読んでいて泣きそうになってしまった。ちょっとだけ自分語りさせておくれ。
小学生の頃ストレートパーマ全盛期(辻加護ちゃんの直毛ヘアがブームだった)だったんだけど、わたしはくるくるの天パ+ふくよかな体型だったから、当時はブロッコリー・おばさんパーマ・天パがうつるだの男女問わずめちゃくちゃにイジられて、心のバランスが取れなくなった結果道化するようになった。
「くるくるビーム出すぞ!ワァー!」とかふざけて返すようになってから、自然といじりも収まり、クラスのおもしろキャラに昇格した。めでたしめでたし、のように思えるけど、その時強烈に「自分はみんなと同じスタートラインに立つにはふざけないといけないハンデがあるんだ。おしゃれしてはいけない側の人間なんだ。可愛い女子グループには一生入れないんだ」と思ったんだよね。実際ピエロ役をやめようとすると「キャラじゃない」「突然どうしたのw」など女子たちに揶揄されまくって、心がボキッと折れたのもある。
変われたきっかけは増田さんと全く同じで、社会人から一人暮らしを始めたら周囲に容姿を揶揄する人がいなくなり、自炊をしたらげそっと痩せた(標準体型になった)。あれ、これはおしゃれしても許されるかもしれないと思った。世間で天パがゆるふわと呼ばれ始めて市民権も得たのも大きかった。紆余曲折あって今はアパレル企業で働いている。あんなにおしゃれが怖くてお店に入るのすら憚っていた人間が、まさかお店の中の人になるとは思わなかった。(販売員ではないんだけどね)
一度極端に削り取られた自尊心というか、自己肯定感はなかなか埋められないし、私の場合つい癖でピエロをやったり自虐をやったりしてしまうのだけど、幸いなことにいじってくる人のいない・容姿をよく見せようとする努力を素直にいいね、と言ってもらえる環境に身を置いてることで、少しずつ傷は癒えていると思う。増田さんも、いい人たちの中で仕事ができているようで良かった。増田さんのお人柄もあると思うよ。もう、ブスという呪いはといていいんじゃないか、と思う。わたしは、徐々に自分の髪型も、体型も、自分自身もちょっとずつ好きになれてきているよ。
応援してくれた人にアポを取ったはいいもののふわふわした話しかできず、
いきなり金を借りようにも断られ、
失礼を働いた代償でかそのやりとりを公開され、
口だけでまともに働いてないように見えるからと泊めてもらっていた家を追い出され、
既に道化として消費されるしかないみたいな状態で地獄の様相を呈している。
ここで気になるのはもしも彼がFランではない上位大学にいたならば果たして「レールに乗った人生に嫌気がさした」
と言い出すかどうかということ。
かっこいいから最年少上場をしたいという彼がかっこいいと感じるであろう上位大学卒の肩書きを捨てるのかどうか。
もちろん彼からしたらそんなものは関係ない、捨てるに決まっていると言わざるを得ないだろうが、
会社の登記も難しくてできないと放言し恥じ入ることもしてない等
既に相当の馬鹿を露呈してしまっているので残念ながら説得力が全くない。
(というかこんな馬鹿が上位大学に入れるわけがないという至極当たり前のツッコミはこの際容赦願いたい)
まともに卒業しても就職を全く期待できないFラン大学という崖から海へダイブ一直線のレールに乗っていたからこそ
彼なりにどうにかしないといけないと焦ったし捨てることに危機感も未練もなかったんだろう。
炎上した当初は「八木氏にそそのかされて大変なことをやらかした奴がいる」という印象があったけど、
実際のところ、捨てたものはそもそも大したものではなかったんだろうなと今になってようやく気付く。
ミュージシャンになるとか芸人になるとかモデルになるとかよくわからない自分探しをやるとかで中退していく奴なんかFラン大学なら掃いて捨てるほどいるしね。
まだ古い吉田キャンパスを歩いていると,何かの署名活動をしている人に,署名してくださいと頼まれた.京大の構内で政治活動をしている輩がいる,というのは有名な話だったし,ついに遭遇したか,と話を聞いてみることにした.
その彼は,有事なんちゃら法案に反対する署名を集めていると言っており,
「この法案が可決されると,有事の際に,あなたの家が没収されたり自衛隊に使われてしまったりするんですよ! いいんですか!?」
とまくし立ててきた.そこで,
「有事の際って戦争になったりなりそうっていう場合ですよね.そんな状況では個人の財産を守るより国を存続させることの方が重要です.なので構いませぬ」
と申し上げた.
何か反論してくるかと思えば,彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして,一時停止.何か言いたそうに口をふるふるさせていたが,数秒待っても無言.彼の顔からは,明らかに先ほどの熱意が消えていた.
これ以上話しても無駄と思い,
と言い残して去った.
友人からも似たような体験を聞いたが,我々の思うところ,やはり彼らは「中身のないバカ」なのである.政治に詳しくない者が少し踏み込んだ質問をするだけで黙りこむ馬鹿者なのだ.
行動力があるのは結構だが,知識を身につけなければただの道化.
件の記事を見て,相変わらずだなと思った次第.
自分もLGBTのいずれかであるが、カミングアウトすることには相当な勇気が必要なのは理解出来る。
NHKだったり先進的なメディアではLGBTは異常でなく個性であり、分け隔てなく扱うべきというスタンスが目立つ。
それだけを見ているとまるでマイノリティに優しい世界のように見えるが、現実はそこまで進んでいない。
平等に見えるのは企業でもそこそこいいところだけであって、コンプライアンスが昨日していないような会社では平気で差別がある。
ましてや学生のコミュニティでは(一部大人のコミュニティでも)「弱い奴が悪い」という価値観がリア充の中に蔓延しており、
もちろん、頭のいい人間が集まる場合は部分的に慈悲や思いやりを見せる場合もあるが、それは偏屈なコミュニティの中でのパフォーマンスに過ぎず、
本気でそういう人間と関わるのは面倒だから当たり障りのない対応をするというのが基本であり、
関わるほどにマイノリティとマジョリティの溝のようなものはまだまだ埋められないと感じるだろう。
「だってキモイじゃん」というのが正当な理由として扱われているのが現状なのだ。
漫画なり動画なりアニメであっても、同性愛者やトランスジェンダーはネタキャラ、キワモノとしての扱いであり、
受け入れられるのはそれをネタにして道化を演じることができるモノのみである。
努力・友情・勝利には不要なのか、決してそういうサブキャラクターの辛さについて語られることはない。
自分が自分であることの苦痛だったり、正体を隠して生きなければ人狼のごとく批判の対象になってしまうという、
まるで亜人のような、B級な人間であるかのような感覚は普通の人は理解できない。
髪や肌の色が違うこと(もちろんそれによって苦しむ人もいるだろうが)とは違い、そうであるが故に尊厳を踏みにじっていい対象になってしまうことの屈辱と辛さは、目の見えない人に視覚を伝えるようなものなのだ。
この部分は個人の感受性に大きく影響を受けるため、当人がどの程度それに苦痛を感じるかには個人差がある。
そのため、その苦痛が大きい人ほど、アウティングによるダメージは蓄積していくだろう。
彼が弱かったから悪いという意見があるが、それは存在そのものを否定するのに等しい。
受け入れられない人間は受け入れられないのだ。
物理的なアレルギーがあるように、心理的なアレルギーも理解しなくてはいけない。
学生のノリで劣っている人間を嘲笑の対象にし、優越感を得たいという心理も理解出来る。
しかし、それを咎めることができないこの世の中では、こうして裁判になり、世の中に取り上げられ、
人を貶めてはいけないという事実を全員で再認識する必要があるだろう。
一部の人間は裁判までするなんてと、裁判をすること自体がおこがましいという意見もある。
社会に受け入れてやっているのに裁判までして、たて突くのかと彼らは感じているのだ。
性同一性障害の当事者が裁判を起こした時の反応もそれに基づくだろう。
結局、彼らはいつまでも弱者のままで、会社に運良く入れてもそういう事情で文句が言えない環境にあることが多い。
そういう不遇や不平等を解消するためにも、裁判という手段があることを知ることが、弱者にとっての唯一の武器になるのだ。
結局、まだまだこの世の中は弱者を叩き、不条理なことをし、不正を働いたとしても、
それを咎めることで自分に悪影響が及ばなければいいやと考える人間で溢れかえる限り変化はないだろう。
そういう見過ごす者たちが責任を取らされる立場にならない限り、何も変わらないのだ。
きっと、普通の人間はそのリスクやコストから逃げたいばかりで、本当の意味でみんなが過ごしやすい社会なんてものは求めていないのだ。
いとう杏六『ショウup』
元々凄まじく印象に残ってた漫画だが、雑誌で読んでいたために単行本買うほどではなかった。
しかし最近になって急に読みたくなって、断片的な記憶からタイトルを特定してネットで購入。
男性アイドルが主人公で女性向けというわけでもない芸能界物という時点であまり人気出そうにない題材だが、当時も面白いと思っていた。
なんといっても終わり方が衝撃的だった。
実際の設定が元ネタに沿っているかっていうとそうでもないが、基本的に道化のように扱われる役目を与えられる登場人物の芸能人の名前と元ネタの実在する芸能人の名前が近すぎるのが問題だったかもしれない。
特に作品の核心に関わる、明らかに元ネタがジャ○ーズなゼニーズ事務所とその社長である銭屋というババアの権力の凄まじさは今読むと最近の現実の例の事務所のことを想起させる。実際その件でこの漫画を思い出した人が結構いたらしい。
なまじ人と絡む仕事をしているせいか、もちろん人当たりが良いと言われることも、そんなに驚かない。
「増田って本当にやさしいよね」って笑顔で言われるたびに、それだけで十分だし、こういう笑顔が何度でも見れるなら、
自分から告白して、この関係が終わってしまうことが恐くて、「付き合ってくれ」なんて言い出す勇気はない。
でも「同じ会社のAさんってどう思う」って、他の男の相談をされることが胸に響かないわけないし、
そんなときに「俺、厭な表情とかしてないか」って不安になる。もちろん君が気になったぐらいの男性なのだから
魅力に溢れているに違いないし「すごい人だよね、あんな仕事も手掛けたし、最近こんなでかい企画を通した話も聞いた」だから
「Iが好きなら、応援するし、紹介もするよ」って、「友達」として振る舞うべき振る舞い方をいつもしてきた。たぶんこれまで俺の気持ちはばれていないし、今回だってそうだろう。
そうして二人の間を持ったあとに、異変が起きるのは仕方ない。俺は寝付きが悪くなって、いま二人が何をしているのかを考えたり、そして紹介はしたもののあいつの過去の悪い話だって知っているし、もしIが傷つくようなことがあったらと思うと身体が熱くなって、夜中に起きてバカみたいに一人で鬱々と落ち込んだりする。「つきあい始めたんだ」と聞くと、「よかったじゃん!お似合いだよ!!」と無駄にテンションを高めて、「またみんなで一緒に遊びに行こうよ、あ、俺はお前らの邪魔しに行くだけだけどな」なんて強がって、変な笑顔になってしまうことを悟られないように道化につとめてきた。
しばらくは会うことが減って、たまにラインでやりとりするぐらいで、つらい日々が続く。なんで俺は紹介したんだろうなんて、立場をわきまえない後悔をして、「あーあ」なんてつぶやき続けて。
けれど、大体これまでは1年ぐらい経てば、また連絡も増えて一緒に食べに行こうだの気晴らしに遊びに行こうだの言ってきて、「実は別れたんだ」と言われて、「なんだよ、お前ら、せっかく俺がくっつけたのに、ふざけんなよ」と嬉しさをかみ殺しながら怒ったふりしてカラオケに言ってTOKIOの「フラれて元気」を酔っ払って大声で歌って「増田がいてよかった」なんていつもの笑顔をされると俺もバカだから「よかった」と心から安堵した。そしてまた週4ぐらいはIの笑顔が見れるようになることが嬉しくて、臆病な俺の恋愛は、こうして10年ぐらい潜伏を続けてきた。
けれど今回ばかりは無理かもしれない。いつもはたぶんまた1年経てば大丈夫じゃないかなんて悪い希望を持っていたけど、相手が悪すぎる。
悪い噂は聞かないし、誠実で、しかも収入なんかは俺じゃ足下にもおよばない。
Iがそのうち恋愛に疲れて、そこで俺がすがさず「じゃあ、俺と結婚するか」なんて告白しようと思っていた計画だって、一生、俺の妄想で終わりそうだ。
「会ってすぐ好きになっちゃったよ」って言われたときは「ビッチかよ」なんて今まで口に出したこともない言葉が俺の底暗い気持ちと一緒にでちゃったけれど、それぐらい相手が魅力的すぎたわけで、それはその人に負けず劣らず魅力的な君にお似合いなんだと、本当にそう思う。
Nと結ばれれば、Iはたぶん幸せになるだろう。だから「応援するよ」。でもなこれだけ言わせて。
お前がどうすれば笑うか、お前が好きな食べものが米だったり、お前の好きな映画、音楽、嫌いなことやしてほしくないこと。いたずらをするときの嬉しそうな表情。
俺はお前のことを誰よりも分かってる。
絶対、俺がお前ことを一番分かっている。
そして誰よりも、Nよりも俺はお前のことが、いまも、これからもずっと好きだ。
だから付き合うな、行くな、俺とずっと一緒にいてくれ。
言葉が喉まででかかって、でもキューピットの恋なんて、許されるわけないって分かっている。
「賛成~です」
男に媚びない→「男に媚びない女性である自分」に価値を感じているので男(相手)を喜ばすことや楽しんでくれることを考え実行できない。相手から見た価値は相対的に下がる。例えSMの関係であってもマゾの望みをかなえるのが女王の仕事である。
サバサバ系→ただ乱暴やガサツや気遣いが回らない欠点を言い換えているだけ。他人の心を労わる神経を養うことを放棄してこの一言で自己防衛している。成長性無し。投資先として不安極まりない。
女子会好き→合コンよりも女子同士で解決策も課題も何も生み出さない愚痴の言い合いでストレス発散することが目的。ストレスの根本原因と向き合おうとしないためヒス持ち多し。家庭崩壊のトリガー要員。
年収高い→なまじ能力や地位が高いため高慢な態度を平気で晒す。立場の弱い者に対しては男よりもあからさまなマウンティングをする。かといって客観的な評価ができるというわけでもなく自分を棚に上げて高スペック男性は罵り、低スぺも当然罵る。
嘘より本音好き→嘘偽りの無い無償の愛を求めるが自分の悪辣さは顧みず、メルヘンチックなところだけは幼児的なまま。頭ポンポンをおねだりしつつ相手に絶対にリードさせない道化役を求め徹底的に男にストレスを溜める要求を際限なく求め続ける。
刺激がある男性が好き→とうにそんな恋に恋する年齢は過ぎているにも関わらずまだロマンとエキサイティングを求める。欲しいのは安定を求めている「夫」ではなく根無し草根性の「彼」なのに結婚してくれないと怒る。
結局、やること1つしかないんだよなあ。
明確な勝利条件があってバランスとかメタとか必要な情報そろって来たらあとワンパターンなんだよな。
予測できない時点で負けてるわけで。
勝つと予想通りで面白くない。
勝つことが目的のゲームで勝つために注力すればするほど未知の感動が失われていく。
セックスに幻想を抱いていた童貞が致すと、急に悟った風になるアレを繰り返す。
飽きるわ。
追伸:
弱キャラ使うにしても対策されてなさすぎて勝ちやすいとかそういうのなら分かる。
単にハードルあげてオナニーしてるだけならもっと他のジャンルのほうが自由度高いし対人ゲームでやる必要無し。
まったくだ。道化を演じきれないならはじめから道化になどなろうとするなという他ない。道化だと思って見ていた観客としては残念だ。
批判を批判として受け入れられず、僕は面白い僕は面白いを壊れた機械のように繰り返す姿は負け惜しみにしか映らない。少なくともいち観客には面白くないし笑えない。道化になれ。
道化は道化だから許されるのではなく、道化という分際であることと、時と場所をわきまえているから許されている。
戦場に立てば流れ弾に当たるし、武器を持てば兵士とみなされる。
道化は持っているそれを玩具だと主張するかもしれないが、傍目にそんなことは分からない。
どちらにしろ、撃たれて喚いているのが道化を演じきれているとも思わないし、面白いとも思わない。
常人が取り得るであろう想定内の反応をしている人間がそこにいるだけだ。
目につく場所で道化を装って死ぬまで踊り切れないなら、最初から道化になんてならない方がいい。
道化の優劣を見分けるどころか、区別もできない一部の観客が失笑するのが関の山だ。
まあ、道化でこそ得られる賞賛を享受したいなら、側面から発生する批判も甘受しなければならないという当然の話なのだがな。
人をからかったり馬鹿にするようなネタを不快に感じる人がいるのは知ってるけど、じゃなきゃ何がいいのさ。「愛のあるイジリ」なんて誰が線引きできんの? 絶対そいつの好き嫌いだよね。
じゃあ誰も傷つけない(傷つくのは自分で済む)ような自虐ネタや道化を演じるおかしさにしたって、「それは『笑わせてる』んじゃなくて『嗤われてる』んだよ」とか抜かす奴、いるじゃん。
架空の存在を作って笑いものにしたら、どっかの分野のステレオタイプの助長だーって差別意識の表れだーって言うんだろ?
マジで分からん。言葉のシャレでゲラゲラ笑う人なんて全然いないし。誰にも文句言われない「笑わせ方」って本当にあるの?
誰か教えて。
「私はブログを愛していました。毎日真剣にコミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックとソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクもサブカルも主義者もいたし、道化、変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化や変態です。
仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまずブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間。誹謗中傷と批判の区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。
ときには自分自身への囚われからも自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーからの批判になら、私は耳を傾けることができました。他者の批判は、自分自身の防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。
ときに讃えあい、ときに批判しあい、ときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日もブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログをクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。
あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川のほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」
Yes!
Yes!
Yes!
『賛成多数、汝を戦闘ブロガーと認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーションも許可しない。良いな?id:○○○○』
「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由なブロガーの!ブロガーの自由をお認めくださいませ!」
『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要な存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』
「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」
『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。
やれ!』
「や、やめ、ギョワーーーー」
焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印。
倒れ込み、牢に投げ込まれる男。
『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』
※この台本はフィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
源氏物語のヒロインの一人で、女性の平均寿命27の時代に年齢は60才手前で仕事は有能でセンスも良いが大変色好みな老女、日本一の美形光源氏とその親友のこれまた美形なプレイボーイ頭の中将に目をつけて二人と寝るわけだが、紫式部の小姑がモデルと言われてるだけあり、若作りな男好き老女は滑稽に描写される道化役だ。
母親はこんなみっともない女は嫌だわーと言うのだが、私的には老女になって有能に仕事をこなし、超美形二人とやれた彼女はかなり羨ましい。
いやだって生きてるのが化け物みたいな年で当代一の20の美青年二人を食えるんだよありがたいやん、しかもそれ許容して彼女を愛する恋人まで居るんだよ羨ましい。
今回のガルパンの映画では旧日本軍をモデルにしたチームも出てきたのだが、やたら突撃しようとする。
良くある映画のおどけ役のようにコメディタッチでそれが描写される。
弱いことで有名なイタリア軍より使えない。
劇が進み、元になったTVシリーズの主人公と一緒に戦ってきた女の子達に「逃げても反撃のチャンスはある」
(記憶が曖昧)的なことを言われ、「撤退」を「転進」と言い換えて正当化し、その後ゲリラ的に戦うようになる。
それで思ったのは、制作側はどれくらいパリのテロを意識していたのかということである。
フランスのメディアの中には「神風」と呼んでいる所もあり、例えば、「自爆テロを行おうとする心」を
どれくらい和らげる効果があるのか、どれくらいそれを狙っていたのかという点。
遠くもない将来、多分、違法動画がネットにアップされるだろうし、アラブの人達(主に男)はそれを見ると思う。
アルスラーン戦記も見ている訳だし。
「問題の構造はもっと深い所にある」と言われれば確かにそうなんだろうが、「短絡的な行動」というのは
大概にして、自分が(一時)風下に立つことを認めないことから始まる。
風下に立った上でよく相手を観察し理解しようと努めてみると、攻略の糸口も見つかるのではないだろうか。
もちろんそれをアラブの人達に言っても通じないんだろうが、おそらくアニメは勝手に吸収されると思う。
いやではなくて強く思うのはあの面白さは認めざるを得ないのではないか、アラブの人達(主に男)も、
ということであり、考え方が勝手に吸収され消化され蓄積されるのではないかと思う。
道化として描かれたキャラが道化に見えたからダメ、というのがよく分からん。
この短い話でそこまで描けたなら成功じゃないか。
そもそも、いまのところ主人公を魅力的に見せようなんて思ってないよね。
安易な同情に浸って死んでいくオッサンと、それに全く心動かされない主人公というのは、
元増田のように「なんだこいつら」と思わせるのが演出の意図なわけじゃん。
こっからお嬢様(オッサンと同じく安易な同情を見せていた)と共に、
どういうふうに成長し、変化していくのかを、おそらく描きたいんでしょ。
ガンダムという長丁場の作品で、こんな序盤で何もかも分かるわけないし、
継続視聴して楽しもうぜ。
もともとあの脚本の人が好きじゃないこともある。キャラクターの扱いが不平等で不快なんだ。
説明台詞にも白けるし。まあこれは若い人にも見てもらうために、わかりやすさを優先したのかなとも取れるけど。
やたらシリアスに少年兵たちの境遇を説明したかと思ったら、あのラブコメ仕様のお嬢ちゃんとアッパッパーな双子は何なんだよ。
トウモロコシ畑で貧しい生活をしてるみたいなのに、なんでビスケットは太ってんだ。まずいレーションばかり食う生活してたんじゃないのか?
背景が一貫してねーよ。
これ三日月さんの俺Tueeeアニメじゃないの?今のとこすべてが三日月さんとオルガきゅんをかっこよく見せるためだけにあるように見えるよ。
要は、お嬢さんも、ギャラルホルンも、三日月たちを搾取してたオッサンたちも、人間としての魅力というか面白みがない。
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151023/1445526000
三年前に私のことを「我々が真に殴るべきなのは青い奴ではなく、その青い奴を踊らせている、邪悪なあの熊人間だ!」などと批判しておきながら(あるいはそのようなオピニオンに同調のそぶりをみせておきながら)、事あるごとtm2501さんに言及し、ブックマークし、あのグリーンスライムのような自意識に栄養を与え続けてきた人達を私は批判しておきたい。私が言及を控えていた三年間、その青い奴を踊らせていたのは一体誰だったのか?ブレーキをかけているつもりの言及でも青二才の自意識のエサになると喝破していたにも関わらず、彼の道化に言及し、自意識を肥大化させていくプロセスに加担し続けていたのは誰だったのか?
概念 TM2501
SSS級戦犯 添削増田、粘着増田、twitter貼れる増田、コント増田
S級戦犯 TM2502
S級戦犯 republic1963、p-shirokuma
S級戦犯 paradisecircus69
S級戦犯 orangestar
AA級戦犯 raf00、Lobotomy、FTTH、zaikabou、wetfootdog、fut573、NOV1975、Fuetaro
A急戦犯 prebitch、nagatafe、type-100、Ri-fle、kaitostar、rgfx、通報されて消えたやつ
A級戦犯 tatsuzawa、dokai3、str017、torowaru
A級戦犯 okachan_man、reima、halcana、noaboon、suzukidesu23、bulldra
B級戦犯 kinky12x08一派
B級戦犯 甘茶、しっきー、ヒトデ、池田仮名、コウモリ、ズイショ、さくらこ、はしごたん、岡田育、ミニマリスト
B級戦犯 roppara、internus、kowyoshi、hungchang、ciderなんとか、feita、murishinai、REV、hagex、yellowbell、inumash
無罪 topisyu
リストに追加めんどくさいのでもう放っておいて
女性は、男性をみるとき、その男性がグループのなかでどういう振る舞いをしているか、どのポジションにいるかをすごくよく見ている。
「ああ、あいつは下層だな」と思ったら、もうオスとしては対象外。
よく、気遣いできる男はモテると言われるが、あれは誤解だと思う。
合コンやなにかで、飲み物を注文したり、食べ物を取り分ける男に好印象がいくのは、気遣いが好印象なのではない。
場を仕切ることが出来るリーダーとしてみられているからに過ぎないと思う。
男性グループのなかでの話し方、態度、真のリーダーはどんなに本人が謙ってもみなから尊敬の態度をとられてるからすぐわかる。
リーダーが率先して動くというのは好印象だけど、下層が注文や取り分けをしても、召使のような印象になる。
よく、どうしてチャラい男や派手な男に引っかかるのかという話がある。
あれは、チャラい男や派手な男が好きなのではなくて、みなに注目されている男に声をかけられるということが嬉しいのだ。
オシャレな格好(と自分が思ってる格好)なんかよりも、着ぐるみでナンパするべきなのである。
シャモジの着ぐるみでインタビューしても、みんな逃げないのだ。
田舎の学校なんかだとヤンキーであったり、会社で言えばエリート。
サル山と違うのは、強そう、賢そう、というのがキーのようで、実はそうでもなく、実力とは関係ないことがままある。
例えば、ヤンキーが強いかどうかは別問題であり、実際に強いヤンキーはいるのだろうけれど、不摂生、不真面目を美徳としてる彼らが、アスリートのようなカラダを持っているわけはない。大抵は、標準よりもヒョロいか、ただの肥満体。
ガリで不細工でも、ボスとして崇められている男、その男に女であるということが嬉しい。(麻原彰晃こと松本智津夫が美男子だったら、あれほど女性信者を囲えなかったと思う)
頭のいいエリートもいる。でもそうでないエリートも少なからずいる。
力強く音頭をとり、堂々とした振る舞いで命令を飛ばすことが出来ることが条件であり、知性があるだけではいけない。
賢いだけなら、第二階層、第三階層に属してて、最上位層には属せない。
つまり、カラダを鍛えようが容姿を変えようが知性をつけようが、染みこんだカースト下位の空気を全部消臭しないかぎり、最上位層にはなれないということである。
「仕事熱心な男が好き」
という発現を真に受けて、自分にもチャンスがあるかも!などと思ってはいけない。
みんなの注目の的を手に入れるのが好きなだけで、むしろ流行に敏感な女に多いくらい。
気がつかない男性も多いだろうけど、ほとんどの女性は見抜いてると思います。
美容院で髪を切られるときも、レストランで給仕されるときも、コンビニでお釣りを渡す時も、日本の女性(女性に限らず)は優しいから、そんなのおくびにも出さない。
そもそもそういう男性はそういうところに行かないと思うけど。
フィリピンパブで「シャッチョさん」と呼ばれて喜ぶようなガハハなキャラじゃなくて、自分より弱そうな女性しかターゲットにしない印象。
逆にいうと、ボス猿キャラのほうが、自分より弱い女性がたくさんいるから、ストライクゾーンが広いのかな?
カースト最下層のキョドキョドキャラだと、自分より強そう、リア充女子には声がかけられないから、モテないだけじゃなくて、本人のストライクゾーンも狭い。
オデコの肉マークを検知出来ない女性もいますけど、カップルになれるかというと厳しいと思います。
一対一だとそこそこに感じたのに、複数人での振る舞いを見て幻滅というのはよくある話で、それです。
振る舞いを見て幻滅というのは違うんですよ。
自分の男が、特級か上級かと思っていたのに、そこで下層民とわかると気持ちが180度反転します。
残酷ですけど、前に会った時の素敵なエスコートも、率先して注文をとったりしても、下層の出しゃばりにしか見えなくなりますんで。
それと、そういう男性って、モテれば全てうまくいくって思ってる節がありますよね?
仕事が上手く行けば、モテるというわけじゃないですけど、モテたからって人生は好転しませんから。
そこのところを、勘違いしてるので、下層の男は痛い。
下層というのは、男性の階層が5層くらいあったら、下の2つ、第四層と大五層あたり。
なろうとしてもなれない。
根拠の無い自信と、ある種の敏感さと、鈍感さを奇跡的な配合比で併せ持ってる。女子のボスとはだいぶ違う。
第二層はボス猿側近。
一歩引いて主に調整役をするポジション。ボスの近くにいると、それだけで女性の目から見ると魅力的に見える模様。
大学デビュー、高校デビューが狙うポジションだが、空気を読めない男子がそこを狙おうとすると、出しゃばり、空気を読めないと馬鹿とレッテルが貼られ、第四層か第五層に落とされる。
第三層は第二層の友達。第三層としたけど、こっちが第二層かも。モテる道化も主にここ。弄っていいキャラ。
第四層や第五層の道化はこの層の道化とは違う。注目の対象ではなく蔑みの対象。
第四層。キモいと口には出さないけど、オスではない。恋愛対象にはならないけど、この層で年収が高い人はみんな結婚してる。
非モテ界隈でたまにATMって言われてるけど、そうは思わない。それなりに愛し合ってはいると思うからdisらないであげたい。
第五層。不可触民。残念でした。
ちょっとフォローすると、第四層、第五層もオスとして認識されないだけで、悪くないスペックの人はいます。
というより、オスとしての階層というだけで、部活の中でのポジションや、会社内での職位とかとは関係ないです。
イケメンだなという人も、賢いなという人も、仕事出来るなという人もいます。
オスとしてみれないというだけです。
disってるわけじゃなくて、参考までに。