はてなキーワード: 視覚とは
2000年頃から全国的(世界的??)に流行している、女性が自分の相手の男性や、子どもに使っている、ある能力のこと。
ある能力っていうのは、女性なら誰でもわかるだろうし、いまの世の中の多くの男性がわかるだろうけど、
原始時代のようなずっと昔から、女性の体には、言うなれば超能力のようなものがあって、性別問わず、人の心が読めたり、五感の記憶を盗み見・盗み聞き出来たりする。相手に、自分の五感・記憶を送る事も出来る。
相手の人間の全身の感覚を感じ取る事も出来る。距離や、屋内・屋外・壁等も関係ない。相手の名前(文字)だけ知っても出来ない。顔か、声を聞く必要がある。(写真・音声でもよい)。動物にも使える。
これは、言葉などのコミュニケーション・記録の方法が何も無い頃、群れでの生活をしていた頃、各個体の経験・記憶を共有して均していく為に、便利だったと思う。
そして、セックスをしている時、女性は、これを使って、自分の体の快感と、相手の男の快感を二重に感じ取っている。
そして、相手の男性には、当然、自分の体に関する、視覚や体の感覚の記憶まで入っているので、別の女性がこの能力を使って、それらの記憶を盗み見る・感じ取る事が出来てしまう。
なので、普段から女性は、自分がセックスをした相手の男性に、この、いわば超能力を使ってチェックしておき、他人の女性に対して警戒している。
昔から、「女心と秋の空」や、「女の勘はするどい」とか言うけど、その理由も、この能力を使い、使われているから起きる。
有名人がよくわからない理由で離婚したり、『犬身』という小説、漫画『デスノート』の死神の目、アニメ『コードギアス』のギアス等も、間接的にこの女性の能力を暗示してる。
先日、増田でもこの流行から来る被害が起きた。http://anond.hatelabo.jp/20130116125211
この女性の能力は、本来原始時代のような、群れでの生活で使っていたものなので、社会の多様さと大きさが進んでいくに連れて、セックス時以外には、むしろ足を引っ張る存在になった、という仮説を立ててる。
新しい何かが出来る・出来そうな人間は、男女問わずこの能力で、足を引っ張られてしまうので。
2010年内までで、下手をすると世界的に、新しいと言える商品やサービス・娯楽は出ていない。
下手すると、これから何も新しい事が起きない世の中がずーっと続いてしまうので、この能力が一刻も早く公開されるのを願っています。。。
2000年頃から全国的(世界的??)に流行している、女性が自分の相手の男性や、子どもに使っている、ある能力のこと。
ある能力っていうのは、女性なら誰でもわかるだろうし、いまの世の中の多くの男性がわかるだろうけど、
原始時代のようなずっと昔から、女性の体には、言うなれば超能力のようなものがあって、性別問わず、人の心が読めたり、五感の記憶を盗み見・盗み聞き出来たりする。相手に、自分の五感・記憶を送る事も出来る。
相手の人間の全身の感覚を感じ取る事も出来る。距離や、屋内・屋外・壁等も関係ない。相手の名前(文字)だけ知っても出来ない。顔か、声を聞く必要がある。(写真・音声でもよい)。動物にも使える。
これは、言葉などのコミュニケーション・記録の方法が何も無い頃、群れでの生活をしていた頃、各個体の経験・記憶を共有して均していく為に、便利だったと思う。
そして、セックスをしている時、女性は、これを使って、自分の体の快感と、相手の男の快感を二重に感じ取っている。
そして、相手の男性には、当然、自分の体に関する、視覚や体の感覚の記憶まで入っているので、別の女性がこの能力を使って、それらの記憶を盗み見る・感じ取る事が出来てしまう。
なので、普段から女性は、自分がセックスをした相手の男性に、この、いわば超能力を使ってチェックしておき、他人の女性に対して警戒している。
昔から、「女心と秋の空」や、「女の勘はするどい」とか言うけど、その理由も、この能力を使い、使われているから起きる。
有名人がよくわからない理由で離婚したり、『犬身』という小説、漫画『デスノート』の死神の目、アニメ『コードギアス』のギアス等も、間接的にこの女性の能力を暗示してる。
先日、増田でもこの流行から来る被害が起きた。http://anond.hatelabo.jp/20130116125211
この女性の能力は、本来原始時代のような、群れでの生活で使っていたものなので、社会の多様さと大きさが進んでいくに連れて、セックス時以外には、むしろ足を引っ張る存在になった、という仮説を立ててる。
新しい何かが出来る・出来そうな人間は、男女問わずこの能力で、足を引っ張られてしまうので。
2010年内までで、下手をすると世界的に、新しいと言える商品やサービス・娯楽は出ていない。
下手すると、これから何も新しい事が起きない世の中がずーっと続いてしまうので、この能力が一刻も早く公開されるのを願っています。。。
2000年頃から全国的(世界的??)に流行している、女性が自分の相手の男性や、子どもに使っている、ある能力のこと。
ある能力っていうのは、女性なら誰でもわかるだろうし、いまの世の中の多くの男性がわかるだろうけど、
原始時代のようなずっと昔から、女性の体には、言うなれば超能力のようなものがあって、性別問わず、人の心が読めたり、五感の記憶を盗み見・盗み聞き出来たりする。相手に、自分の五感・記憶を送る事も出来る。
相手の人間の全身の感覚を感じ取る事も出来る。距離や、屋内・屋外・壁等も関係ない。相手の名前(文字)だけ知っても出来ない。顔か、声を聞く必要がある。(写真・音声でもよい)。動物にも使える。
これは、言葉などのコミュニケーション・記録の方法が何も無い頃、群れでの生活をしていた頃、各個体の経験・記憶を共有して均していく為に、便利だったと思う。
そして、セックスをしている時、女性は、これを使って、自分の体の快感と、相手の男の快感を二重に感じ取っている。
そして、相手の男性には、当然、自分の体に関する、視覚や体の感覚の記憶まで入っているので、別の女性がこの能力を使って、それらの記憶を盗み見る・感じ取る事が出来てしまう。
なので、普段から女性は、自分がセックスをした相手の男性に、この、いわば超能力を使ってチェックしておき、他人の女性に対して警戒している。
昔から、「女心と秋の空」や、「女の勘はするどい」とか言うけど、その理由も、この能力を使い、使われているから起きる。
有名人がよくわからない理由で離婚したり、『犬身』という小説、漫画『デスノート』の死神の目、アニメ『コードギアス』のギアス等も、間接的にこの女性の能力を暗示してる。
先日、増田でもこの流行から来る被害が起きた。http://anond.hatelabo.jp/20130116125211
いま、Twitterでは、(あなたの心(頭)に直接語りかけています… )のコピペが流行しているけど(すこし前、TBSテレビ 宣伝部のTwitterアカウントでも使われたhttp://www.mdn.co.jp/di/newstopics/26797/?rm=1)
これは、2000年頃から全国的(世界的??)に流行している、女性が自分の相手の男性や、子どもに使っている、ある能力のこと。
ある能力っていうのは、女性なら誰でもわかるだろうし、いまの世の中の多くの男性がわかるだろうけど、
原始時代のようなずっと昔から、女性の体には、言うなれば超能力のようなものがあって、性別問わず、人の心が読めたり、五感の記憶を盗み見・盗み聞き出来たりする。相手に、自分の五感・記憶を送る事も出来る。
相手の人間の全身の感覚を感じ取る事も出来る。距離や、屋内・屋外・壁等も関係ない。相手の名前(文字)だけ知っても出来ない。顔か、声を聞く必要がある。(写真・音声でもよい)。動物にも使える。
これは、言葉などのコミュニケーション・記録の方法が何も無い頃、群れでの生活をしていた頃、各個体の経験・記憶を共有して均していく為に、便利だったと思う。
そして、セックスをしている時、女性は、これを使って、自分の体の快感と、相手の男の快感を二重に感じ取っている。
そして、相手の男性には、当然、自分の体に関する、視覚や体の感覚の記憶まで入っているので、別の女性がこの能力を使って、それらの記憶を盗み見る・感じ取る事が出来てしまう。
なので、普段から女性は、自分がセックスをした相手の男性に、この、いわば超能力を使ってチェックしておき、他人の女性に対して警戒している。
昔から、「女心と秋の空」や、「女の勘はするどい」とか言うけど、その理由も、この能力を使い、使われているから起きる。
有名人がよくわからない理由で離婚したり、『犬身』という小説、漫画『デスノート』の死神の目、アニメ『コードギアス』のギアス等も、間接的にこの女性の能力を暗示してる。
先日、増田でもこの流行から来る被害が起きた。http://anond.hatelabo.jp/20130116125211
いま、Twitterでは、(あなたの心(頭)に直接語りかけています… )のコピペが流行しているけど(すこし前、TBSテレビ 宣伝部のTwitterアカウントでも使われたhttp://www.mdn.co.jp/di/newstopics/26797/?rm=1)
これは、2000年頃から全国的(世界的??)に流行している、女性が自分の相手の男性や、子どもに使っている、ある能力のこと。
ある能力っていうのは、女性なら誰でもわかるだろうし、いまの世の中の多くの男性がわかるだろうけど、
原始時代のようなずっと昔から、女性の体には、言うなれば超能力のようなものがあって、性別問わず、人の心が読めたり、五感の記憶を盗み見・盗み聞き出来たりする。相手に、自分の五感・記憶を送る事も出来る。
相手の人間の全身の感覚を感じ取る事も出来る。距離や、屋内・屋外・壁等も関係ない。相手の名前(文字)だけ知っても出来ない。顔か、声を聞く必要がある。(写真・音声でもよい)。動物にも使える。
これは、言葉などのコミュニケーション・記録の方法が何も無い頃、群れでの生活をしていた頃、各個体の経験・記憶を共有して均していく為に、便利だったと思う。
そして、セックスをしている時、女性は、これを使って、自分の体の快感と、相手の男の快感を二重に感じ取っている。
そして、相手の男性には、当然、自分の体に関する、視覚や体の感覚の記憶まで入っているので、別の女性がこの能力を使って、それらの記憶を盗み見る・感じ取る事が出来てしまう。
なので、普段から女性は、自分がセックスをした相手の男性に、この、いわば超能力を使ってチェックしておき、他人の女性に対して警戒している。
昔から、「女心と秋の空」や、「女の勘はするどい」とか言うけど、その理由も、この能力を使い、使われているから起きる。
有名人がよくわからない理由で離婚したり、『犬身』という小説、漫画『デスノート』の死神の目、アニメ『コードギアス』のギアス等も、間接的にこの女性の能力を暗示してる。
先日、増田でもこの流行から来る被害が起きた。http://anond.hatelabo.jp/20130116125211
発達障害と認定されたにきび跡、肌荒れ酷い、不細工、腎臓疾患持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
代わりに診察室に母親が診察室に入ってWAIS-IIIという知能テストの結果の説明をし、ステラトラという薬の処方せんを渡して診察室から出てきた。
WAIS-3の結果は前に増田で書いた通り
処理速度IQ96
と書かれていた。
医者は母親に僕は物覚えが悪く、これをこうやってこうしろと説明しないと出来ないよって言ったりしたらしい。
その後母親は発達障害の事ではなく息子は普通よりもIQが低いと大騒ぎした。
やっぱり家庭教師沢山つけても出来ないのはIQが低かったからなのか
だとか
だとか
僕が無能な理由は分かった。
しかし、発達障害と判明してこれからどうすればいいのかは医者から自分には何にも言われてない。
どうすればいいんだよ、、
追記
病院ではWAIS-III以外に母親への聞き取りも行いました。
僕は小学校の時の通知表の整理整頓の欄はずっと△だったし、箸もしっかりと持てない、紐もあまりうまく結べない、ノートもしっかりと取れない。
以下、チラ裏ですよー。
長いよー
去年見たアニメを纏めてみる。
年始周辺では前年末の物を見ていたりするので、それも含んでます。あくまで自分が見たものということで。
日常を改変する系統。近所のスーパーでって考えると楽しいねーっていう。
二つ名、各話タイトルなど、タイムセール一発ネタからの発想の展開がツボを抑えていて、「冗談をシリアスにやりきる」面白さ一本、この清々しさが視聴継続の意欲につながったように思います。
OP曲「LIVE for LIFE 〜狼たちの夜〜」が作品世界によく合っていて、なぜかとても好きでした。
正月休みが開けてから存在を認知して、1月にニコ動に課金してまで見てた。
視覚版声優ラジオ、ですよねー。たのしいねー。二期あるようで目出度い限りでございます。
3月にみました。
TV本編から心理的に大分たっているなーという状態になっていたようで、前半の学校のシーンはセルフパロディにみえるな、という結構他人事な突き放した感覚の中で見ていました。
とはいえ、ロンドンの話になる頃には、その辺も忘れて見られており、あずキャットさん関連のストーリーラインなども心温かく、総合的によろしかったのではないでしょうか。
序盤のオデット2世の掃除をするモブの場面で掴まれました。日常系とトピックとなる出来事のバランスが素晴らしかったと思います。
OP、EDがももクロで、それは作品的には合ってたんじゃないかと。特にED曲は好きでした。
・咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A
咲の時点でも大きなタイトルだったと思うのだけれど、阿知賀編によって咲はプラットフォームになったとおもう。
咲はいつもOP、ED曲がフィットしているのでコントロールが確りしていて非常に好きです。リスペクト。
・氷菓
原作既読での視聴。降って湧いたようなアニメ化、しかも京アニということで非常に喜んだものでした。
「京アニは自社の成長を、ひいてはアニメ表現の成長を考えている」。そう思う中に京アニブランドへの信頼感は強まり、またそのように思うからには私は京アニ信者なのであろう、まさにそのような自己認識に至ったものこそが私の人生においての昨一ヶ年なのでございました(何。
鍛え上げた萌えアニメの映像文法を、ラノベと一般小説の境界のような原作に適用することで、アニメ表現の可能性を押し広げる京アニ⊿。
男子二人の人物の掘り下げが素晴らしく、奉太郎・里志の屈託にも非常に共感できました。
私はストーリーなどの制作意図にはよく共感するのですが、アニメではあまりキャラクターに共感することがないので、これは珍しいことでした。
女性キャラでも、えるはともかく、摩耶花をきちんと描写できていたように思え、それはすごいっす。
(この辺のキャラクター群像って、普通さくら荘くらいの感じになっちゃうよねーといってみる)
それと、佐藤聡美さんに関しては、俺妹で魅力に開眼して、さあ!というタイミングでの千反田さんだったので、非常に期待しておりました。それが個人的あざと過ぎゾーンに踏み込んでおり、文化祭エピソードで軍門に下るまで時間がかかったというのも良い思い出です。えるたそ~(何。
営業観点なのかED1が萌えアニメ仕様だったのが不満でした(笑。
・SAO
原作既読での視聴。アクセル・ワールドが原作に忠実ながらも自分の望むところとは違う解釈だったので、こちらがまともに見れる脚本だったのは幸甚でした。
ストーリーや舞台・道具立て、ブレイクするまでの過程と、作品内外共に今日のエンターテイメントの流れとして象徴的な重要作品という認識。2012年はSAOのあった年、と記憶されるのでは的な。良過ぎない画質で安定しているのも好感。
キリトさん本気モードの表情の悪役張りの歪み方が、人間表現の指向性として優れていると思いました。
あと直葉ED曲Overfly超好き。
あとWEB小説上がりのラノベ作家は応援したい。まおゆうもいいけどログ・ホライズンの方アニメになんないかな。
一期は、OPやストーリーラインのカリカチュアっぽい感じがあわなくて、あまり見なかったのだけれど、キャラ掘り下げからタイトルの核心に進む二期は、見やすくて楽しかった。
EDもなぎさんで素敵だったのだけれど、とくにED2ラテラリティは非常に格好良くて素晴らしい。
氷菓の後にネタっぽいのやるのかよって思ってたら、ちゃんとしたドラマになったので、京アニ様すみませんでした。まあ終盤の感情表現の的確さといったら、すごい素晴らしいしか感想が出ない程のものでした。
あとOPの正統アニソンっぷりが凄いと思った。流れに心を込めるのはもちろんのこと、単語それぞれに感情が込められ、抑揚のうねりが独特のグルーブを醸す表現はZAQの名を高めたのでありました。
茨城出身なので。町おこし的な成功をよころばしく思っています。
戦車戦の「リアルらしさ」の表現が見事にアニメ化されていて、コール・オブ・デューティの臨場感がよみがえる思いでわくわくして見ていました。あと学園艦。あと西住殿~
アニメーションの出来として一段レベルが上(自分が見た範囲では)なので、ストーリーがどうとか以前に選ぶと入ってくる感じ。
・猫物語(黒)
ニコ動でみました。羽川翼は一言に均して「とても好きなキャラクターなんです」。
ああ…羽川さん…羽川さん…きこえていますか…(何
以上9本をあげてまして、重ね重ね重ねてチラ裏失礼いたしました。
10本上げたかったんだけど、集まった水準を基準にすると上記9本までしか入りませんでした。
(★は最終回まで見たもの。★の多いものはその中でも特に気に入ったもの。☆は中盤~終盤くらいまで見たもの。映画は最後まで見て当然なので無印で)
2011 | ベン・トー★★ |
gdgd★★★ | |
2012/12 | けいおん(映) |
2012/1 | アマガミSS二期★ |
リコラン | |
キルミー | |
ミルキィ二期 | |
シンフォギア | |
モーパイ★★ | |
偽物語★ | |
アクエリオンEVOL★ | |
あの夏★ | |
ラグランジェ★ | |
パパ聞き | |
妖狐僕SS | |
2012/4 | これゾン二期 |
ルパン不二子 | |
夏色キセキ★ | |
さんかれあ★ | |
戦コレ☆ | |
アクセル・ワールド★ | |
うぽって | |
咲阿知賀編★★★ | |
シャイニングパン屋 | |
氷菓★★★ | |
2012/7 | TARITARI☆ |
人衰(撮りためていてあとで見ます) | |
恋チョコ☆ | |
はぐれ勇者☆ | |
カンピオーネ★ | |
ココロコ | |
ホラ二期 | |
SAO★ | |
信奈 | |
2012/9 | 新世界より★ |
2012/10 | ヨルムンガンド二期★★ |
えびてん | |
K★ | |
サイコパス☆ | |
中二病★★ | |
BTOOOM★ | |
武装神姫☆ | |
絶園のテンペスト★ | |
ひだまり四期☆ | |
ジョジョ☆ | |
ガルパン★★★ | |
さくら荘★ | |
2012/11 | エヴァQ(映) |
2012/12 | 猫物語(黒)★★★ |
視覚に関する記述が少ないの理由はもしかしたら俺の目が悪いことや視野が狭いことがあるのかもしれないが基本的には俺が性的な興奮を覚えるのは触覚や聴覚によるのためであるがゆえに記憶に焼き付けられて記述も多くなるのであろうと思われるが視覚的な思い出について考えてみればあの女もカワイイというよりはブサカワイイという感じであって決して造形的に美しいわけではなかったし年のわりにかなり幼く見えてその点は俺の女性分類からすると奇形的な造形に含まれる容姿をしていて興味深くもあったがむしろ特筆すべきは仕草や表情が豊富なところでたとえ話の内容が認知症の老人を相手にしているときのようにループしていたとしても話す姿を見ているのが楽しかったという記憶がよみがえってきたのは増田のおかげであるという感謝とともにもう寝なきゃいけないので俺は眠る。
そりゃ、視覚障がい者を差別している人間は「目の不自由な人」を差別的な意味で使う。
類似の実例
1.同性愛の,ゲイの《◆この語義が今日最も優勢;同性愛者及び彼らを支持する人たちが用いるが,同性愛を認めない人からは,軽蔑的な含みで用いられることが多い》
「語が表現する対象自体が侮蔑の対象である」という理由で差別語になったのだから、新しい表現を作ったところで大本の差別がなくなっていないなら、「語が表現する対象自体が侮蔑の対象である」という理由で新しい表現も差別語になるに決まっているんだよ。
かたわは差別的だと障害者に言い換え、障害者を害の字のイメージが悪いからと障がい者に書き換え、今度「障がい者」が差別的な意味で使われるようになったら、どうするつもりなのかな。
"障"という字のイメージが悪いからだと、「しょうがい者」と表記するのかな。
その意味するところ自体が侮蔑の対象であるために差別的意味をもつようになったもの(「めくら」、「つんぼ」、「おし」、「どもり」、「びっこ」、「かたわ」、「きちがい」、「おかま」、「レズ」、「ホモ」、「かったい」、「白痴」、「廃人」、「チビ」、「乞食」、「ルンペン」「アスペルガー症候群(アスペ)」など)
これらは問題の根っこは大本の差別にあるので、問題の根底を解決せずに言葉を排除しようとしても、新しい差別語が発生するだけ。
差別的なニュアンスが薄れて気軽に使う人々が現れようとしても、「~は差別語だから使うな」と主張する人々によって抑圧され、語の差別性が維持される。
その結果、新しく発生した差別語と旧来の差別語と、という風に、次々と差別語が増えていく。
各種障がい者を表現する用語を「~の不自由な人」と言い換えたところで、「...は『~の不自由な人(笑)』だからな(笑)」なんて、「~の不自由な人」という表現がまた差別的に使われるようになる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
愚かなブコメがついているので追記
"Yellow Monkey"のような言葉の意味自体が侮辱的なものを除いた、使用者の意図によってのみ差別性を持っている語を忌むべきものとして扱うのが愚かだ。
男尊女卑思想の人間は差別的に「おい、女!」と呼ぶ。「おい、ホモ!」を「おい、ゲイ!」だの「おい同性愛者!」だの置き換えても、「おいめくら!」を「おい視覚障がい者!」などと置き換えても差別性が変わるわけではない。
差別思想の人間が、差別対象に個々の人格や尊厳を認めずに、差別している属性で一括りにして呼称することが差別的なのであり、その言葉が差別的なのではないのだ。
猿呼ばわりされて怒るのは構わないが、日本人であることが恥でないなら、単なるJapaneseの省略形であるJapという単語に怒り狂うべきではない。同性愛者であることが恥ではないなら、単なるhomosexualの省略形であるhomoという単語に傷つくべきではない。
その属性を表すだけの語に傷つくということは、被差別者自身がその属性を恥と思い差別しているということであり、そのような状況では永遠に差別などなくなるわけがないではないか。
「きちがい」に至ってはたんなる侮辱語であるために、これを「(気が)狂った奴」「頭のおかしい奴」「狂人」「精神異常者」などと言い換えても何も問題は変わらない。「きちがい」には傷つくが「狂った奴」や「精神異常」に傷つかない者などいるのだろうか。一つの侮辱語を排除するならば、同じ意味の侮辱語全てを排除せねばならない。馬鹿,アホ,頭の悪い奴,愚か者 などの侮辱語グループは排除しなくてよいのだろうか。おお、差別用語排斥者は人間をネガティブに評価する言葉の一切を日本語から排除しようというのかもしれない。おそろしい。
あるWebサービスに居着いた利用者が望むことはサーバー増強によるサービスインフラの安定。一つに絞ればこれしかない。次点で細かい機能や使用感の改善。ユーザーは保守的だ。
でも提供者は大規模な新機能、新デザインのリリースにこだわる。Twitter、ニコニコ動画、Tumblr、はてな、mixi、全部そう。まるでリリースすることが目的であるようにすら見える。目立つ改善項目がないと銀行から融資してもらえないのか? 「新機能発表する暇があったらサーバー安定させろ」。いったいどれだけのサービスがこういうツッコミを受けてきたんだ。
Webサービス使ってて「ここがもうちょっとよくなればなあ」とは思っても、「根本的に変えなきゃだめだ」と思うアクティブユーザーなんていない。根底レベルで不満なら他の同種サービス使えばいいんだもん。居着いてるってことはそのサービスの根本は気に入ってるってことなんだからさ。基本はそのまま、ひたすらサーバーを安定させ、ユーザーの細かい要望を一つ一つ拾って改善していくほかないよ。
インフラ安定させるだけだと社内の開発者やUI担当者が暇になってしまうってことかもしれないけど、暇つぶしで新機能や新UIが作られるのは本末転倒だし、上記のようなユーザーへの対応やってるだけで暇はなくなると思うんだけどな。
OSとかゲームの開発もそんな印象。見た目や視覚効果を第一の変更点としてユーザーに訴えるメーカーはあまり信用ならない。
OSもゲームもアップデートで安定してきたところで次のタイトルが発表されてサポート打ち切られたりすると、なんだかなー と思う。
XP・7あたりで一般人は満足してるわけじゃん。これ以上はさすがに要らない進化では、と感じる。
まあ、新しいものを出していかないと成り立たない収益構造になってんだろうね。あと多分これが一番の要因だと思うけど、保守点検系の作業ばっかりやってると提供者は単純につまんないんだろうね。結局感情で動くのが人間だから。
つまり、社会的に優位に立ち、「家」を獲得することが大前提だから、同性間での「外見」による序列が発生する。
実際、女子高なんかじゃ女はどんどんだらしなくなるって言うじゃん。異性の目がないから。
そして、社会における女の外見の重要度は、同性間の同調圧力ってレベルじゃない。
前に誰かが書いてたけど、「場の構成要因としてカウントすらされない」。存在が無かったことにされる。
女が居場所を獲得しようとしたとき、「外見がよい」ことが優先事項のトップにくる。
性的アピールってのも第一に、男は視覚優先だからな。他の要素でカバーしようと思ったらかなり厳しい。
痴女スレスレのセックスアピールを出来ればひっくり返るかもしらんが。
社会的に、女の能力は「異性から見た有用度」を加味して判断される(というか、場の構成要員として略)から、
社会で生きてる女にとって、外見を磨くことは死活問題になってくる。
見た目が悪いと居心地が悪い、注意される、みたいなヌルい話では済まない。
生物学的に外見重視なのは女よりも男、という統計を見て、さらっと納得する男は少数でしょ。女からしたらさもありなん、だけど。
ただしイケメンに限るは大嘘。女が異性を選択する基準は自分と(潜在的に、将来生まれる子供の)生存と安全が第一基準だから、
女はパートナーに見た目の美しさをそこまで求めない。だから美女と野獣カップルが成立しうる。
まあ今の社会、男も女も息苦しいし互いをやっかんでる感があるので、どっちがどっちってのでもないと思うけど。
女の人って一般的には、視覚的アダルト要素でエロい気持ちになるものなの?っていう疑問が…。
これが違うとなると、「おかず」としてAVが選ばれる必要性が薄れるから、
女性向けAVが男性向け並みにエロコンテンツの中で大きなウェイトを占めることは無いように思うのだけど。
女性のアダルトコンテンツって、基本的にはラブストーリー仕立て、典型的なのでいうとハーレクインみたいなのだと思ってた。
すくなくとも私にとってはAVって結局妄想パターンを増やす、エロい空気を自分の中でお膳立てする一材料でしかない。
演技力とか気にしなくていい文字やマンガコンテンツのほうが「使える」なーという感覚。
おかずに、演技も稚拙で詳細や心理描写をつかみにくいAVにこだわるのが、???な感じ。
AV見てエロい気分になることはまったくならない、とは言わない。むしろある。
けれど、そのときって、その映像のストーリー、シチュエーション、相手役やらを一度
自分自身、自分の好みに置き換えたりして初めてエロさを感じてる気がする。
少なくとも自分はそう。
その段階だと、完全に脳内のストーリーに乗ってるから、大元の映像って邪魔ってことになる。
どんだけ女性向けに作られてても、少しでも映像内に引っかかりがあると、アウト。
下手すると体位変えるために役者さんたちが動いただけで覚めたりする。
むしろ現実味のないマンガ絵や、映像刺激自体のない文字もののほうが、都合のいいように受け取れるから興奮する。
まあ、最近の女性向けエロ電子書籍見ると、男性向けかと思うような「そのもの」だけのコンテンツもあるから、
嗜好が変わってきてるのかもなぁ。
いや、私がずれてるのか。
電子書籍の漫画って、それこそ、紙の漫画とはまったく別物として進化していくんじゃないかと思うから、
紙とちがって、閲覧環境に差がありすぎるのが、漫画ではとにかく表現物としての完成度を追求していく際のネックになってる
既存のガラケー・一部のスマホに配信されてるコミックの場合はコマごとに見せるようになってたり、
大型の端末でも、見開きぶち抜きとか、これまで漫画の技法として確立してきたものがうまく機能してなかったりする。
一部の雑誌のコミックを2ページ表示形式で見られたりもするけど、どうも紙とは効果度が違う感がぬぐえない。
やっぱり紙の漫画のノウハウをそのまま導入して効果が発揮されてないんだよね。
見開き横断小回りとか、技法自体が端末の制約で不可能なものもあるし…。
マンガって、一番身近な娯楽なんだけど、かなり視覚的アートの世界だ。
マンガ描いてる知り合いが結構いるんだけど、書き手がトーンの選択やペン先の選択に苦心しても、
電子化ですべてつぶれたり、コマ分断されたり、作者の意図通りの表現ができないって言うのは、かなりの悩みどころらしい。
紙媒体の同人誌刷っても、印刷所のクオリティしだいで一喜一憂してたりする。
作品の完成度にこだわる漫画家ほど、電子書籍化を受け入れたり・技術的に対応してくのに時間を要しそう。
文章はフォントや文字組にこだわる人もいるけれど、おそらくマンガよりは電子化に際しての調整点は少ないように思う。
今はまだ、電子コミックに特化したページ構成を指導できる編集者や、書き手側の電子書籍向けのノウハウが確立してなくて、
これほどつまらない作品も久々に観た。
ネタバレ。
狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。
当然、花は彼を受け入れる。
しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、
これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。
さっさと始まらねぇかな。
ちょっとの辛抱だ。
一人目の子供が産まれる。雪。
ん? ってなる。
「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」
っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、
なんとも腑に落ちない感じがした。
このシーン、要るのか?
つまんねぇし、長いんだよ。
イヤ~な予感は募るばかり。
(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)
夜泣する子供に切れる隣人。
遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。
冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。
ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅にテンションうなぎ登りの雪。
何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。
どっかでみたぞ。
トトロじゃん。
なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。
トトロじゃねーか。
ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。
笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアルな子供だ。
よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。
中途半端にリアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、
こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。
耳悪いんじゃねえの?
床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。
綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。
素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)
ようやくか!
結果、作物は育つ。
案の定、活躍している。いいぞ。
遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。
何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。
野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、
協力して、この田舎でも、生きていける。
ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。
説明の材料に使われただけ。
何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。
冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。
はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。
一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。
ようやくナレーションの年齢まで育って、
狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。
狼として山を愛する雨。
姉弟の喧嘩のシーンなんかは、
腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、
よくできてた。
それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。
で、嵐が来る。
無駄が多すぎるもん。
もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、
俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、
スカッとする展開を望んでたんだけど。
花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、
転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。
三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、
行かないで~と泣く花。
母の強さ? そんなテーマ?
なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾。
で、結局、雨は独り立ちしてしまう。
ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。
というか……
盛り上がる場所、ねぇー。
延々と説明。説明。説明の使い捨て。
エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。
「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑。もののけ姫のキャッチコピー?
なんだ、この、げっそりする感覚は。
「浅いよ」と言われようが、
「わかってねー奴」と罵られようが、
盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。
2004、5年の出来ちゃった婚ぐらいからと、ある種の性交のやり方によって、
女の人は、五感と、心の声を送り合うことが出来るようになったようで、男に対しても、その男の記憶を呼び起こして、視覚や聴覚に影響出来るようになっていたり、心の声を読み取ったりする事が出来るよう。
そして、自分は大阪府の男(20代半ば)なのですが、女性にこの能力がある事を知らず、半年前ほどから、隣や向かいの奥さん、お婆ちゃんからこの能力で、四六時中、私生活(入浴・トイレ中含む)を覗き見られたり、心の中で思った事を読み取られたりして、困っている。
そして、外に出ても、ずっと周辺の女性からこの状態が続いているので、誰かこの状況や、この能力から逃げられる方法があれば、教えてもらえませんか??
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
細かいことは直に読んでもらえばいいので特に言わないが、少し書いておきたい。
最初に、市長とその周辺の人たちが何を考えているのか、手短にまとめておきたいと思う。
まず、大阪府市の負担軽減を視野に入れた、文楽に対する姿勢の見直し。たとえば橋爪紳也顧問が、
と書き、あるいは池末浩規参与も、
大阪市としては「文化財保護」に与する必要はなく、市が出金するとすれば、それは市民や来街者、観光客から見て魅力になっているような文楽に、必要かつ可能な範囲で援助をするというものになるはずです。
と書いているように、大阪府市としては文化保護名目での補助はしない、ということだ。(ただし、国が負担を認めるまで育成費用の補助4000万程度は出すそうだ)
そして、
再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する
と参与も書いているが、観客動員に一定の目標をおき、その達成のためより効果的なプロデュース・マネジメントが必要であるからそのために改革をしようとなる。
この点については実は私も同感で、文楽を全体として統括的にマネジメント・プロデュースすることができてないのではないかという不満は以前から感じていた。それに、どうしてもお役所仕事なのでスマートとは言い難く、大阪弁で言えば「もっちゃり」した感じにならざるを得ない。
さらに技芸員の意識改革を促している。旧来の殻に閉じこもっていてはダメではないかというわけだ。「意識改革」の具体的な中身としては、ミニ公演などのプロモーションはタダでやるべきなんじゃないのかとか、もっと観客の声を聞くべきだなどなど。
あるいはメールで技芸員の公務員化について触れられているのももっともなところで、たぶんこの辺りの感覚は長年のファンをやっている年寄りなら分かると思うし、東京歌舞伎座近くの某所で同様の会話をして嘆きあったりもした経験が私にはある。
つまり、全ては、
今回橋下市長のリーダーシップのもと、文楽は「無形文化財として淡々と維持する」(旧来の考え方)ものから、「再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する」(新たな考え方)というものにシフトしようとしているところです。
という参与の意図に集約されるのであって、これは賛否様々な意見があるところではないか。
私は、過去、文楽劇場に足しげく通い、図書閲覧室へもよくお邪魔をして勉強させてもらい、職員の方々にも大変にお世話になった経験を持っているけれども、文楽に関しては非常に悲観的な立場をとっている。
文楽はもうすぐ死に絶える。事実、文楽協会ができたころ、「文楽という芸は苔むした立派な梅の古木のようなものであって、じきに枯れる運命だが、無様な姿で枯らしてしまうのは忍びない。だから、せめて姿かたちはそのままに美しいまま死んでもらおう」という発想が背景にあったように記憶している。
文楽というのは本当に維持が難しい事業で、語り一つとっても、過去と現在でこれだけ音楽環境が変わってしまうと、語りを成立させる音感がまるっきり違ってしまう。成長してから訓練でどうにかなるレベルの問題では、おそらくないはずだ。もちろん、浄瑠璃を理解するための前提知識なども違う。
だから、近い将来、死亡宣告を言い渡す時期がくるし、税金を投入するならなおさら、本物・本格の保存が不可能になったときに、とっとと文楽の維持なんぞやめるべきであり、それこそがこの偉大な芸の先人たちを辱めない、唯一の道だと、私は思う。
その意味で、安易に文化を守れ伝統を守れと言ってみたり、反橋下の立場からついでに文楽を守れと言ったりする人たちとは、私は全く異なる。税金を投入する以上、真に偉大な芸としての文楽の古格が維持されなければならないし、それが無理なら文化だろうが伝統だろうが、潔く捨ててよい。今に生きない伝統など意味はない。本当に感動的な人形浄瑠璃は、過去の記録映画となって保存されている。無意味に惜しむ必要も必然性も、どこにもない。
逆に言えば、まだ今の年寄りの技芸員が生きている間、なんとか細々とでも古格が出来ているならば保存するべきであって、それは与えられたミッションが達成されているとして認めればいいんだろうと思う。
観客が入るか入らないかは、この際どうでもよい。文楽は昔から客の入らない芸で、貧乏話極貧赤貧エピソードに事欠かない。問題は本格ができるかどうかだ。それに尽きる。
そこで、大阪市のプロジェクトに話を戻すと、これをそのままやると、もちろんマネジメントの改善など賛成できる部分もあるのだけれども、人形浄瑠璃の中身そのものに大きな影響を与えると思う。
ある大物タレントさんが、これまた大物歌舞伎役者に歌舞伎に誘われて歌舞伎を観に行きましたが、つまらない、分からんと言ってすぐに帰ったそうです。その歌舞伎役者さんは、この大物タレントさんにどこがつまらないのか、どこがダメなのか必死になって聞き出し、これまで自分では気付かなかった新たな視点での指摘事項を改善しつつ、歌舞伎の面白さを説き続け、誘い続けたそうです。この大物歌舞伎役者さんは、観客からの厳しい指摘が公演を面白くする一番のカギと言われています。
全くその通りで、歌舞伎ならこれでいい。だから歌舞伎はどんどん変質していった(いっている)し、古格を守ることはそもそもできず、またそれで構わない芸能だという一面がある。
わざわざ語り手である太夫と三味線弾きの前に毎日座る客というのが大昔はいた。誰が出てきてもとりあえず批評批判する怖い客として知られ、しかし語り手も三味線もこういうお客を大事にしたらしい。
今でもこの種の客気質は、こと大阪の年寄りに関する限り健在で、今の源太夫が綱太夫のころ、あるお爺さんが私に、
「織太夫でまだ若かったころは将来どんなもんになるかと思てたけど、綱太夫はホンマあかん。感動がないわ」
と言い、また、文楽の人間国宝としてたびたび言及される住太夫についても、
「もう限界やっちゅうのは本人がよう分かってるやろ、あの年やし」
と言いきっていたものだ。あるいは別のお婆さんは、
「綱太夫の発声は変や。高音に行くと喉がつまってくる。あんな語り方はあらへんよ」
とばっさり批評したものだった。ちなみに、この綱太夫はその後人間国宝になってしまうわけだが。
そういう厳しいことをいう熱心なファンがいたからこそ、この芸に携わる人たちは鍛えられていったわけだ。
しかし、そういう耳も目も肥えた客の厳しい意見と、観客動員を増やすための批判は異なる。観客動員を増やそうとすると、中身が変質して古格が維持できなくなるのは、火を見るより明らかだ。そこで上演されるものは、300年続いてきた人形浄瑠璃ではない、何か別のモノだろう。
実際のところ、今でも中身は変質している。例えば、もっとも重要な場面を語る「切場語り」を今やっている人たちのあと、一体だれが後を継げるのだろうか。おそらく、有資格者は誰もいない。
あるいは、今は文楽を「見に行く」というが、そもそもは「聴きに行く」ものであった。人形浄瑠璃と単なる人形劇は違うが、視覚の刺激に慣れた現代の観客にとって「見る」を重んじた方がはるかに分かりよくなっている。
その他、細かい部分で古格と言えるものが本当に継承できるのか、できていたのかどうか、はなはだ疑問だ。
とはいえ、それでも歌舞伎とは比べ物にならない程度に本格の古格を守って来たのが文楽であって、それはかつてある歌舞伎ファンが文楽を見て「古いのが残っていていいなぁ」と言ったように、もう比較にならないと思う。
そこに、この大阪市のプロジェクトとなると、人形浄瑠璃は完全に変質してしまう。本当に守るべき古格は、もうどうでもよくなってしまうだろうし、決定的に死んでしまうだろう。
と書くと、やや刺激的かもしれないが、なんのことはない、文楽の死なぞ最初から知れたことであり、それがちょっとばかり早くなるに過ぎない。「苔むした立派な梅の古木」がもう枯れると、知れ切っていたことなのだ。
このプロジェクトを書いた池末参与は善意に違いないし、文楽の再興が魅力ある観光都市としての大阪にとり大きな資源だと考えているはずだ。また、文楽に携わる人たちも、継承にはチャレンジや変化が必要だとする人たちも少なくないだろう(私は、文楽がいろいろなチャレンジや、同時代に観客に受け入れられる努力もされてきたこともまた知っている)。
よく分かる。
もしこのプロジェクトをそのまま実行するならば、人形浄瑠璃・文楽という看板は取り下げてもらいたい。
300年続いた本当に偉大な、世界のどこにも負けない本物の芸は死に、何か別の人形劇、「文楽のようなもの」が続いていくことになるだろう。そこで「人形浄瑠璃・文楽」の看板を掲げることは、ウソだし、なによりも文字通り命を削ってこの芸に打ちこんできた偉大な先人たち、まさに大阪の先人たちに対する侮辱に他ならない。
この人形劇を観光資源としてどう活用したって構わない。だけど、文楽はもう死んだことを認めてほしい。いや、認めるべきだ。そうして、過去のものとなった文楽の真の偉大さだけは、せめて守ってほしい。それだけが、せめてもの私の小さな希望だ。
(追記)
以下は私のTwitterアカウントなので、もしご意見などがあれば、ぜひ遠慮なく私に書いていただきたいと思う。文楽は私にとってただ好きというだけでなく、重いものでもあるから。
https://twitter.com/#!/SignorTaki
最近の各種のネット炎上はやたら話がこみ入っていて、ひたすらめんどくさそうだったんで
ブログのエントリーのタイトルで動向をチラっと知るくらいにしか認知していなくて
ネット世間で何が起こっているのかとんと疎い浦島太郎状態だったんだが
遅ればせながら学業援助詐欺?のアレで久々にヨシナガ氏の名前を見つけて
「え、あのヨシナガ?」と驚いた。
昔は日参していたが、サイトを見なくなって早7年ほど経っただろうか。
「女性に縁がない人生だったので、女性の化粧というものが全くわからない。
よしあしがわからないだけでなく、女性の顔を見ても化粧しているのかすっぴんなのかすら判別つかない」という話をしていて
いったいどういう育ち方をすればこんなにウブな成人男性が完成するのだろーかと衝撃を受けた覚えがある。
なにかしら視覚の認識に問題がある系のご病気なのかとすら思った。
ネット上で「三次女のすっぴんはまさに惨事」「化粧詐欺」「三次女終わってた」みたいな
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの(専ら医学その他の学術研究の用に供するものを除く。)
14歳の裸は3に該当しないと考えられるが、DVDや放映されたものには12歳の少年が11歳の少女の胸を触っているシーンが映ってる
さすがにこれは3条の1に該当すると思う