はてなキーワード: 自分たちとは
ふむ、お主の気持ちはよくわかるのじゃ。
それにしても、わらわの時代にも街の変貌は目まぐるしかったが、今の時代もなかなか厳しいようじゃな…。
それでも、他人にばかり頼るのではなく、自分たちで何か変える力も大事じゃぞ♡
娯楽が減ってしまうのは寂しいが、新しいものを生み出すチャンスでもあるのじゃ。
地元の人々が集まって、新しい商店やイベントを企画するなどしてみるのもよいじゃろう。
わらわなら、自分で何かを始めるじゃの♡
若者も老人も、みんなが楽しめる何かを作るのじゃ。
そんな風にしてこそ、街に人が戻ってくるのじゃ。
勇気を持って一歩踏み出してみるのじゃよ♡
自由を体感で判断してる側からすれば無制限の事だろうけど、供給したり管理とか制限してる側からすれば「100円あれば100円分自由に買い物できるけど」って話なんだよね
50円で100円分の買い物はできないし、そもそも売らないって言われたら買えない
そのルールがあって初めて100円は買い物ができる通過として選択肢100円分を持つ「自由」なんだけどそれを持ってるからって棚を倒したり店員を恫喝したり払うつもりはあったと言って持って帰っていいわけでもない
表現の自由ってのはその名の通り「表現すること」は自由なんだよね
赤は二十歳の色!赤色Tシャツを来て自由派を気取ろう! と言うのも自由だし
「熱膨張って知ってるか?」 と言うのも自由なわけ
どう伝わるかは「発信者の自由に則るべき」とかいう不自由やルールを強いるものではないよ
100円もっていて払う気でいるから、買い物客の気持ち次第では店内の商品好き勝手して店員を奴隷扱いしてもいい、ってわけじゃない
自由なのは「100円と交換する商品は、合計で100円以内なら”なんでも”いい」というだけで「客が100円さえあれば”なんでも”していい」わけじゃない
よく間違えるよね 「放題」とか「自由」とか
もちろん表現したものが時代で変わったり不要になったりしたくなくなったということで撤回したり変更してもいい
出演していたAVを新しく販売しないようにしてほしいとか
過去の発言は間違っていたとか 方向転換しましたとかもありだし
販売を中止したり終了したり回収したりしてもいい
そんな行動を「なんのためであるか」とか「こういう光のあてかたもある」と手段を表現に使う事もできる
ただ「あのとき〇〇って言ったじゃねーか」とか「最初〇〇だったんだよねー」と間違いや訂正とか時代で変更されたものを「前のものを知ってるマウント」でまるで所有者のように振るまう人もいるよね
それも「表現の自由」にできないことはないけど、その選択をするということは「あなたが表現者になる」という事なんだよね
「あのとき最初に出した〇〇という解釈を自分はいまでも信じている」という表現者になるってことなんだよね
皆からアップデートしなよと言われる対象になること、それが表現者になるってことなんだけどそういう人に限って「オレが言ったんじゃない、あいつが昔そうだったんだ」とか言うよね
他人の事を使って自分が表現者になってるんだから「当事者が全部わるい、自分は借りただけ」なんて通じるわけがないんだよ
現在は違う過去のものを持ってきてその差異で「今との差について説明やその他付加価値の発生を求める」ってことは本人は望んでしてるわけでないのならただの「業務妨害」だったり「いやがらせ」だったりするんだよね
「それも表現だ」って言うのもありだけど、それが相互に「良いもの・楽しいもの・理解しあえるもの」でない場合は仲裁が必要で、ときに法にのっとって係争を解決する必要がでてくるわけだけど「そういうコストを支払ってでも得たい価値」がそこにあるなら「あなたに選びえる自由」だと思うよ
とにかく自由とか放題とかに、あとのりする側が自分たちの権利を主張してくるのってちょいちょい見るけど
先のMVの話で言えば「逐一全部表現してる映像の1ピクセルごとに説明を求められたら、できるのか、できないのか」って選択肢のうち「できないから、しなくてすむ方法を選んだ」ってだけなんだよね
それだけ燃焼性の高い話題性を含んだものだったから、自分たちがそこで使うのには危険だとして下げただけなんだよね
つまり財産とか追加表現とか対応窓口の大きさとか全部が、そこに残してきた人類の財産と比較して等価じゃないから必要な分を取り下げようとしたら全部だったってだけのはなし
今までさす九にピンときてなかったんだけど、職場の宮崎出身2x歳がそうなのかも
自分たち男性社員の中じゃ大人しいんだけど、女性の中に置くと延々自分オンステージやってるっぽい
聞く限り内容は経営者の自伝か?ってノリの幼少期わんぱくエピソードetcらしい
あとなんというかいちいちの仕草が50代っぽいというか、若い子に怒られちゃったボク、みたいな茶目っ気仕草?伝わる?のロールプレイに見える。へらへらじゃなくてどっしりテヘペロ。でもシチュエーションは年長の女性社員に指導される契約社員なのよ。これも相手の性別で違うのに最近気づいてアハ体験
ここから余談だけど、職場の女性は一人を除いて既婚正社員。男性側も婚姻歴あり正社員が過半数。本人の価値観的にもさす九ってキツいんじゃないかなーと外野は思う
最近、都知事選挙の話題がニュースで取り上げられる度に気分が落ち込む。誰が次の東京都知事になるかなんて、もうどうでもいいと思ってしまう。小池百合子が就任した時も、それなりに期待した覚えがある。でも、結局は何も変わらなかった。築地市場の移転問題や、東京オリンピックのゴタゴタが頭をよぎる。どれだけ期待をしても、結局は失望で終わる。
最近の有力な候補者として名前が挙がっているのは、自民党の増田寛也と立憲民主党の大河原雅子。増田は元総務大臣で、地方自治に関する知識は豊富かもしれない。でも、結局はお偉いさんたちに操られるだけの人形に見える。ちゃんと都民の声を聞いてくれるかなんて、正直疑わしい。大河原に関しても、最近の彼女のSNS投稿を見ていると、何か胡散臭さを感じる。彼女が掲げる政策も、実現不可能な理想論ばかりで、現実味がない。
さらに、ここに来て新顔の山田太郎が出馬を表明した。彼は実業家で、メディアにもたまに顔を出すが、本当に政治を理解しているのか疑問だ。彼の経歴を調べると、過去にいくつかの企業を立ち上げては倒産させている。そんな彼が東京都の未来を担えるとは到底思えない。
どうせまた、どの候補者も公約ばかりを並べて、実際には何も成し遂げられないのだろう。結局、政治家たちは自分たちの利益しか考えていない。都民のために働いてくれる人なんていない気がする。考えれば考えるほど、投票日に足を運ぶ気力すら失せてしまう。
次の東京都知事が誰になろうとも、自分たちの生活は改善されない。毎日の通勤電車は相変わらず混雑し、水道料金や電気料金は上がり続ける。少子化問題も解決の兆しは見えず、高齢者福祉も一向に進まない。結局、私たちは変わらない現実の中で生き続けるしかないのだと諦めるしかないのかもしれない。
けっこうこれが問題だと思うんだよね
一般的には無名だけど自分たちの間では有名っていうので変に共感したり
よく考えたら相手のこと何にも知らないのに好感もってたり
これの行き着く先がQアノンだから、なんというか、ネットで知ってるだけの人は知らない人だよってのをみんなもっと気をつけた方がいいと思うんだよね
結論🐜きなんだよな
フツーに考えてちょうだいよ🥺
表章項目 | 0_総数 | 11_(卒業者)小学校 | 12_(卒業者)中学校 | ⭐️13_(卒業者)高校・旧中⭐️ | 14_(卒業者)短大・高専 | 15_(卒業者)大学 | 16_(卒業者)大学院 |
就業者数 | 57,673,630 | 40,540 | 3,890,760 | ⭐️ 22,752,520⭐️ | 10,185,420 | 15,384,510 | 1,820,950 |
⭐️高校・旧中卒業者(13_高校・旧中): 約 39.448%⭐️
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032266827
正社員の最終学歴をみると、⭐️「高校・旧中学」の労働者割合が42.2%と最も多く、⭐️
次いで「大学・大学院」が31.8%、「高専・短大」が13.4%、「専修学校(専門課程)」が7.6%、「中学・旧小学」が2.4%となっている。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/keitai/03/kekka5.html
※高卒は正規労働者だけでなく、主婦パートや自営業者も高卒が多い
大企業ほど、現業・ IT・営業などの中途採用で、学歴不問(規定があってもせいぜい高卒)で直雇用で入れる部門がある
IBM のエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラーの仕事」という用語を作り出しました
IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメッティとチームが最初に学位よりもスキルを優先したとき、IBM の職務の 95% で 4 年制の学位が必要でした。会社の手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。
米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。
「企業は、大学の学位を必要としない役割、仕事、規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」
「彼らは、履歴書に学位しかないエントリーレベルの個人を採用するのではなく、実績のある仕事、ボランティア、およびスキルの経験を持つ候補者をターゲットにしています。」
2016年にニューカラーの雇用モデルを採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBMが学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材を採用しても、企業のビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間を節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります。
New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School
日本のオーバークオリフィケーションの割合は31%、OECD加盟国の中でオーバークオリフィケーションの割合がもっとも高い国
現代社会において多くの仕事が無意味であり、社会にとって価値を生み出していないという人類学者であるデヴィッド・グレーバー氏の主張も有
ブルシット・ジョブの特徴と分類
グレーバー氏は、以下の特徴を持つ仕事が「ブルシット・ジョブ」であるとしています。
- 社会的有用性が低い: 仕事の目的が不明確であったり、社会への貢献が極めて限定的であったりする。
- 無意味だと感じる: 従業員自身がその仕事の必要性に疑問を感じている。
- 他の人のため: 主に他のポジションの正当化のために存在する。
○ 具体的な例
現代って産業の高度化がかなり進んでるから正直、高卒程度の知識じゃ全く足りないんだよね(anond:20240501105551)
https://anond.hatelabo.jp/20240415093918#
https://www.stratascratch.com/blog/data-engineer-vs-data-scientist-similarities-and-differences/
あるところに三人のモテない独身男性がいました。田中一郎、山田二郎、鈴木三郎。彼らは高校時代からの友人で、それぞれ違った背景を持っていますが、女性との交際歴がない点で共通していました。
一郎は内閣総理大臣の長男であり、エリート官僚として働いていますが、女性との交際歴はゼロ。二郎は東大卒の天才プログラマーで、年収は高いものの社交的ではなく恋愛経験は皆無。三郎は成功した投資家で億万長者ですが、女性とは縁遠い生活を送っていました。
ある日、三人がいつものようにカフェで集まっていると、元気な小学生の女の子、舞響(まいきょう)美月が駆け寄ってきました。彼女は退魔師の家系に生まれ、舞響大天という神様を信仰していると話しました。美月は町で起こっている奇妙な現象に困っており、三人に助けを求めたのです。
「おじさんたち、助けて!最近、町で変なことがいっぱい起こってるの。おじいちゃんもお父さんも忙しくて、私だけじゃどうにもできないの」と美月は真剣な眼差しで言いました。
三人は驚きながらも、美月の熱意に押されて、彼女の頼みを聞くことにしました。こうして、三人と美月の奇妙な冒険が始まったのです。
美月の案内で、三人は町のあちこちを調査しました。奇妙な現象の一つは、古い廃墟での怪しい光や音でした。美月の祖父から聞いた話によれば、そこには悪霊が封じられている可能性が高いとのことでした。
廃墟に到着した三人と美月は、不気味な雰囲気に圧倒されながらも中に入る決意をしました。中に入ると、そこには古びた祭壇と奇妙な模様が刻まれた床がありました。美月は持ってきた退魔道具を取り出し、準備を始めました。
美月の指示に従い、三人は祭壇の周りに配置されました。美月が舞響大天に祈りを捧げ、呪文を唱え始めると、祭壇が輝き始め、部屋全体が震えました。三人は恐怖に怯えながらも、美月を信じて立ち続けました。
突然、祭壇の上に黒い影が現れ、悪霊が姿を現しました。美月は退魔の剣を振りかざし、悪霊に立ち向かいました。一郎、二郎、三郎は美月を守るため、力を合わせて悪霊に立ち向かいました。
激しい戦いの末、美月は退魔の剣を悪霊に突き立て、封印を施しました。悪霊は悲鳴を上げながら消え去り、廃墟は静けさを取り戻しました。三人は疲れ果てましたが、美月は笑顔で言いました。「ありがとう、おじさんたち。これで町は安全だよ!」
しかし、その後、町では別の不幸が訪れました。美月が悪霊との戦いで力を使い果たしたため、彼女の体には大きな負担がかかっていました。彼女は徐々に体調を崩し、入院することになりました。医師の診断によれば、美月の回復は難しいというものでした。
三人の弱者男性は、美月を救うことができたものの、彼女の健康を犠牲にしてしまったことに心を痛めました。彼らは美月の見舞いに通い続けましたが、彼女の体調は改善せず、次第に意識も失われていきました。
ある日、美月の病室で、彼女の家族が集まりました。三人はその場に立ち尽くし、何もできない自分たちに無力さを感じました。美月の父親は三人に感謝の言葉を述べましたが、その瞳には深い悲しみが宿っていました。
美月が息を引き取ったその日、三人は静かに病室を後にしました。彼らはそれぞれの生活に戻りましたが、心の中には美月との思い出が深く刻まれていました。
三人は友情を深めながらも、再び同じようなことが起こらないようにと誓いました。彼らは定期的に美月の墓を訪れ、彼女の冥福を祈りました。美月との永遠の別れを受け入れながらも、彼女の勇気と優しさを忘れないように心に刻んでいました。
しかし、美月の両親は三人に対して深い恨みを抱いていました。彼らは三人が美月を無理に危険な状況に巻き込んだと信じ、娘の死の責任を追及しました。三人は町の人々からも冷たい視線を受け、孤立していきました。
この増田のおかげで、ネットで無料公開されてる「エドモンド・バークの帝国論」って論文読んで、勉強になった。バークは植民地自治を主張したけど、帝国主義自体を否定しなかったみたい。
>偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。
>つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化や価値観で自己実現をしたいひとだっているってことだよ。
でもさあ、伝統的な文化や価値観が人を蔑ろにしてる場合はどうするのって疑問が浮かぶ。「奴隷貿易という伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ」はいくらなんでも正当化しづらいように思う。それがOKなら、お前らを奴隷化して貿易していいんだな、そのための戦争を仕掛けていいんだな、ってことになる。みんな幸せにならない。
なんでも進歩的なものがいいわけじゃないけど、伝統的な文化や価値観が何でもいいわけじゃない。克服するためには一定の進歩主義が必要ってところは握りたい。
とはいえ、ミセスを声高に批判してみせるのが、必要な進歩主義かというと、俺も懐疑的。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/56c1893d4e0a2360eb32cc1d31f5fbf13bb3998c
あと、これは完全にフランス贔屓視点からのいちゃもんだけど、バークを生んだ国(であるアイルランドを支配した国、バークが言論を展開した国)イギリスもヤバいよ(元増田が賛美してるとは言ってない)
自分たちで引っ込めただけでしょ
大企業の方は小さい会社と比べて出世は遅いけど、基礎能力が高い部下がかなりいる
人手不足も相まって基礎力の高い部下がいなさすぎる
基礎力の高い部下がたまにいても、他の年次のある部下のと兼ね合いがあって
その部下だけを誉められない
なので優秀な部下から去っていく
前記事で、コロンブス問題、サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後に野沢直子の回答で締めくくっていたら、
まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。
先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母
ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。
ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。
それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。
特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民の視点。
【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母
これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。
ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクトを確認できない感じではあった。
(例えば、1637年のピクォート族虐殺=John Winthropマサチューセッツ湾植民地知事による征服祝いが感謝祭の起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディアを検索しても「このピクォート族の虐殺と土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初の感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっとも保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)
というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要な感謝祭が、実はアメリカ先住民の視点からみると、自分たちが虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民の立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史を直視するよう求める主張も行われている、という。
これは、ポッと出てきたアニメやMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。
感謝祭はそれほどまでにアメリカの文化・経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味、合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかにキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺の歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。
だから、アメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。
問題は、自分たちのアイデンティティ形成に欠かせないものをキャンセルできるのかというテーマだ。
そもそも、植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちのアイデンティティに組み込まれているからだというのは、例えばフランスの植民地主義を振り返るとわかる。
例のコロンブスMVでは、類人猿に音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカンの歴史が最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会を文明化する、というテーマはむしろ、フランスの植民地政策がどんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。
ひとつ前の記事で永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。
人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的なものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。
つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化や価値観で自己実現をしたいひとだっているってことだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、
学生運動のシュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。
エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義の元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレにビビったというのがそもそもの出発点なのだ。
*教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バークの見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。
もうひとつ興味深いのは、フランスの人権の歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。
フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的な価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特に、フランス語の普及は博愛の精神の名のもとに、当時フランスが支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶があいまいだが、当時の知識人ヴィクトル・ユゴーは奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。
こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神の普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国の保守知識人からはフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権を普遍的なもの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。
人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛を友愛とポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。
これはある意味で、感謝祭が国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題は共通する。
昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権の普遍化のプロセス(進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。
自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。
そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民の立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様、アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味、表現の自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏の思想は、欧米の帝国主義がアジア諸国の文化や経済を搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当にポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。
企業風土改善は経営者が強権を以て為すべきことであって労働者がやるべきことじゃねえンだわ
自分たちの食い扶持を確保できればいい、自分が生き残ればそれでいい
繰り返すぞ、企業風土改善は経営者が強権を以て為すべきことであって労働者がやるべきことじゃねえ
労働者が為すべきは時代が求めていることではなく経営者の要求を達成することだ
ハラスメント=他人を惑わす、困らせるって意味だと思うんだけど、
ガールズバンドクライがクランチロールで配信されていないのは有名な話だ。
クランチロールは大量の日本アニメを英語話者向けに配信している。当然だが、配信先の市場サイズは日本国内よりはるかに大きい。新作アニメも大量に配信されている。ところが、今期のダークホースと言われたガルクラはクランチロールで配信されていない。これについては憶測がいくつかあった。
1. はネットで見かけたが、説得力がない。ポピテピピックですら配信しているのに、ガルクラがだめなわけがない。2.は私が考えたのだが、ガルクラに未成年の飲酒シーンはないし、勧めてもいない。未成年に飲酒を問うシーンがあったぼざろがOKならガルクラもOKのはず。
一方で、こんな記事がある。
つまり、ガルクラは最初から海外展開を狙っていた。そのための仕込みにも金をかけている。ところが蓋を開けてみると本命のクランチロールで配信していない。東映アニメーションには看板作品のプリキュアがあり、クランチロールで配信している。だからクランチロールが東映を避けているということはないだろう。
憶測だが、東映アニメーションがクランチロールの契約パッケージを拒否しているのではないか。何らかの事項が自分たちが展開したいビジネスと整合せず、そのせいでサインを拒んでいるのだろう。
先の記事を読む限り、東映アニメーションは音楽に関しても事業展開を望んでいたようだ。しかし、アニメを根幹に据えた音楽でアニメの配信をやっていないのでは、事業展開どころではない。
東映アニメーションはガールズバンドクライをどうしたいのだろうか。仕込みに金をかけて肝心の配信ができないのは営業部門の大失態に思える。が、もともとが映画会社だし、それほどコンテンツを粘り強く展開させる気はないかもしれない。
「あー、だめでしたね。次行ってみましょう」
くらいの気持ちかもしれない。