はてなキーワード: 権利とは
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自身が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自身が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自分が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ブチ切れて言わんと同じ内容を平静に話せばええんやで。契約も義務も権利も無視した横暴やったり慣例やったりな業務指示は理路整然と「それなら金出せや」でええんやで。上司と部下は主人と奴隷や無いからな。
ズルをしようとしたやつは殺してもいいみたいな理論で動いてる人いるじゃん?
それは犯罪者に対してだったり、不倫した人に対してだったりする
どういう感情なのかはわからんが、自分でルールを決めてそこからはみ出したら人間扱いしない感じ
例えばそうだな
あそこらへんでもマイルールを決めてはみ出したら死ぬほど叩くみたいな人がいる
あとは一部の反エロ界隈もそうだよね
ポリコレ村でも起きてると思う
どのへんなんだろう
イラストを描く人がこぞって対策をしていて、絵柄や表現技法など身につけたものを掠め取られるのは我慢ならん、というのはよく分かる
あれは結構許されてる感じがする
そこは問わない感じ?
自分としては生成AIの推進も反対も定まってないので、やっぱ熱くなる話題なんだなーと眺めた
権利関係の問題、として捉えている投稿がいくつかあって、なるほどと勉強になった
確かに「本来その人が作成し、正当な対価を得たはずのものを無関係の人間がAIに学習させて作って横取りする」てのは権利上よくないな
さらに「本人が意図しない主義主張をされる」「模倣の質が低く、それを見た部外者に自分の価値を貶められる」とか 権利を通り越して侮辱につながるような付随する問題もあるね
今燃え上がってる「アニメ・漫画などのオタクカルチャーにおけるイラスト」とは違う分野ではどうなんだろう、という所が気になった、というものだった
場外乱闘を見てるとやっぱりその分野に話の焦点が移っていくようなので、やっぱり増田たちの興味関心の軸はそっちなんだなーと感じました まる
身近だしね
「もしゴッホが○○を描いたら」とか
まあ許される? のか?
怖いうちは生成AIを使わない方がいいな
無給労働は一切しなくていいから、効率化して欲しいよな。教師以外から見ると。
日中に携帯で全然構わないから、簡単に問題解決したいよな。家庭訪問とか面倒すぎる、お互い。
労働者の権利を主張するためだけに色んな紙や人が動くのもうざい。税金高くなっても給料分ちゃんと払われるようになって、仕事に集中して欲しい。
最近ニュースで連日報道されているように、公立学校教員の労働環境はブラック企業顔負けなことで有名だ。
月給の4%(2024年時点)を上乗せする代わりに、勤務時間外は残業代どころか給与を一切出さないというものだ。
とはいえ給与が支給されなければ法的には職務に従事する義務はない。これは公立学校教員も同じだ。
言い換えると、法的には部活動など勤務時間外はボランティアと同等。
それにもかかわらず、教師の皆さんはマジメな人が多く、責務と思ってそのままやってしまう。
管理職側や同僚も同じ経験をしてきたからか、普通に命令してくる。
なお、この命令が職務命令なのか拒否可能なお願いに過ぎないのかは、文部科学省も教育委員会も明言を避けている。
給与特例法を何とかしようと多くの人が立ち上がったが、法律として成立している以上実現できていない。
となると現状は上記の通りなのだが、唯一の例外がある。それが「勤務時間の割り振り」だ。
校外学習の引率や職員会議など、校長がやむを得ず勤務時間外の職務命令を出したときは、その分他の日の労働時間を短くできるというものだ。
最もどの職務が割り振りの対象になるかは地域や勤務校によって差が出やすいことも問題だが、ここではおいておく。
となると、勤務時間外に職務への従事を命令されたのであれば、勤務時間の割り振りを出すか、自由に拒否できる状態でなければならない。
ここでは、私が勤務時間外に職務をさせられることになったため、勤務時間の割り振りを勝ち取った話をしたい。
私の勤務校は、校長いわく「課題のある学校」(=小学校で学級崩壊したため、生徒指導で無理やり押さえつけないと荒れる可能性のある学校)だそうだ。
また勤務校はある委託研究をしており、職員会議でもよくその話が出る。
また「非常にやる気のある先生」が多く、始業時間1時間以上前から出勤し、終業時間から3時間以上残るだけでなく、休みも仕事をやりたがる先生が多い。
こだわりの強い先生や気の強い先生も多く、色々めんどくさいことも多い。
(これも地域や学校によって異なる。このようなところもあれば、残業時間を引け目に思っており毎日原則定時退勤せよと言っているところもある)
私はできる限り時間外在校時間を短く、休憩時間はしっかりと休み、長期休業期間は年次休暇などを連続して入れてバカンスを楽しめるようにしていた。
それでも急な雑用や昼休み・放課後の生徒対応などで休憩時間を潰されることがしばしばあった。
なので、休憩時間に職員室を離れてはならないと管理職より言われる状況だった。
むしろ「給料が出ないからといって周りを手伝わないのはどうかと思うよ」「ビジネスライクにやりたいならこの仕事は向いてない」とまで。
一応違和感を感じながらもできる限り気にしない方向でやってはきた。
が、教務主任より夜遅くの家庭訪問を命じられた時、ついに堪忍袋の緒が切れた。
どんなやり取りだったかはっきりは覚えていないが、こんな感じだったと思う。
教務主任(以下、教)「私くん、(生徒)さんの家に電話して。保護者の方が帰宅する今夜にね」
私「今保護者の携帯に電話したり、明日の対応じゃダメですか?」
教「今日じゃないとダメ。それに生徒と一緒になるべきだから今夜しかないね」
教「あ、やっぱり電話より家庭訪問の方が誠意があるからそっちにして」
教「打合せするから別室に来て」
別室へ。
教「~というわけ。私くん、よろしくね」
私「成長なんていらないんですけど」
教「え?」
私「金ももらえないくせして何が成長だ!!」
教「いきなりどうしたの?話聞かせて」
私「大体休憩時間に雑用押し付けて、勤務時間外も拘束して、休みの日に電話してきて、何様だお前は!!」
私「1分1秒でも取られたくねぇよ!!なんの法律があるんだよ!?」
私「社会人としての責任を果たさなければいけない法律はあるのか!?」
教「子供、嫌いなの...?」
私「さっき成長とか言ってたけど、押し付けがましいんだよ!!気持ち悪いんだよ!!二度としてくんな!!」
教「...」
校長(以下、長)「何を騒いでるんだ?」
教「(事情を話す)」
私「本当は教員になるつもりなんかありませんが、選択肢がないので仕方なくなりました。志望動機も面接は嘘をつかないと採用されないんで」
私「あと私は金のためだけに働いてます。というか話をそらさないでください」
長「わかった、職務命令とする。割り振りはつけてくれていいから家庭訪問行ってきて」
私「ならわかりました。何時間つけるんですか?」
長「家庭訪問の30分で」
私「待機時間は教務主任に拘束されたんですが、それは含まないんですか?」
長「...」
教頭と2人きりに。教頭は「ん~ボク?今日はどうしたの?」的な顔でこちらを見つめている。
頭「結局校長先生は君の割り振りを認めてくれたけど、同じことをしても僕にはないんだ。なんでだろうね」
私「(は?こいつ罪悪感を感じさせて割り振り獲得をあきらめさせる気か)そういうものは校長先生に聞いてください」
頭「いやだから君はどう思う?」
頭「...」
長・頭「了解」
私「はい」
長「さっきの割り振りだけど、どのくらいにするかは後日話し合おう」
私「あとでやっぱやめたとか忘れたふりをするつもりですか?」
長「(曇った顔で)そんなことしないって言ってるでしょ」
私「じゃあ帰ります、お疲れさまでした」
こうして、遅い時間の家庭訪問をさせられたものの、職務命令と認めさせることで勤務時間の割り振りを獲得することに成功した。
とはいうものの、引っかかるのが割り振りを後日話し合おうと言ってきた点だ。
好意的に解釈すれば、在校時間がこれ以上伸びないための配慮だが、本当にうやむやにしないだろうか?
教育委員会の人とかを連れてきて諦めさせようとしてくるのだろうか?
それとも、形式的に割り振りをくれるだけで、使わせずに消滅させる(割り振りは年次休暇より時効がとても短い)気だろうか?
校長、どうにかして割り振りは出したくないというか、無給労働させたい感じに見えるんだよね。
そんな疑念を抱えながら出勤したところ、
長「教育委員会からの通達も来たし、定時からの待機時間含めて割り振りを出すことにした」
私「(今回の件、教育委員会に上げたのね)」
一応は割り振りをもらえたものの、少し気になる点があった。
・この割り振りは有給休暇と異なり、放課後にしか使えないこと。
・放課後の行事練習があると、その使用が制限されたり、割り振り時間に食い込んでの職務を要求される可能性がある。
・裏台帳を使っての申請になった。つまり、割り振りそのものは勤怠記録には記載しない(勤怠記録をいじってフルタイムで勤務したように見せる)。
→不公平に思う同僚がいるからか?だとしても権利を主張すればいいだけの話なのだが。
今回のことをいろんな人に話してみると、反応は様々。
懇意にしてくれる先生は「割り振りもらえてやったぁじゃなくて教務主任に感謝しなよ」
出身大学の助教は「こうなったらいたたまれなくなって退職する人が多いのにメンタル強いな」とほめてもらった。
とりあえず、条件付きとはいえ待機時間含めて割り振りを獲得することに成功した。
休憩時間や勤務時間外の無給労働は他にもあるので、今度から同じようにしてみよう。
「法律ですか?職務命令ですか?そうであるなら割り振りを出してください。違うなら拒否します」
と。どちらに転んでも旨味が大きい。
なお、これは勤務時間外であり、犯罪ではないので人事評価が下がることも懲戒を受けることもない。
結局、一番の原因は「直接の給与にはならないけどこれも仕事のうち」というグレーな考えなんだろうな。
恥だとか責任だとか悩んで何もしないと上司の思うつぼ。何も言わないからいい気になって無給労働させてくるだろう。
(それはそうと、権利を主張しないだけならともかく、足を引っ張ってくるのが同じ立場の労働者というのが、ニッポン七不思議のひとつでもあるが)
とにかく、権利を主張することが権利獲得の最短ルートに他ならない。これだけは断言できる。
まず前提として共産党以外の国政政党は当選しようがしまいが一票につき250円もらえる(共産党ももらう権利はあるけどなぜか受け取らない)
だから1票入れたらその分他の政党の取り分が減る(共産党、無所属、国政政党ではない候補者に入れて当選しなかった場合は完全な死に票で白票や棄権と同義)
たかが250円だけど1万票あれば250万円、10万票あれば2500万円政党に金が入る、それを考慮した上で今後伸びて欲しい政党があるならそこに入れる、ないなら参政党かれいわに入れる
参政党かれいわなら絶対に政権を取ることも政権に参加することもない、政党交付金は受け取るので自民の体力は削れる
共産党は今だと下手したら民主党と組んで与党になる可能性がある
自民党 嫌なんでしょ?
公明党 同上
日本維新の会 自民が過半数割れした場合連立を組む可能性がある
立憲民主党 政権を取る可能性がある、それが嫌なら選択肢に入らない
国民民主党 同上
共産党 同上
社民党 同上
その他 当選しないと完全な死に票になる、時間の無駄だから棄権した方がいい
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。
少しでも自浄を期待してるから、選挙明けに責任取らされてすぐ降ろされそうな石破がかわいそうだよ、
どうせなら
・裏金やったやつ
・それ以外(まともかどうかは不明)
くらいに選挙期間だけでも分裂してくれれば"まだ自民的な存在"に票を入れやすいのにな
政党ごとの議員上限数30くらいに制限するのもどうかなとおもってGeminiに聞いてみた。いまいちだったけど、今の与党に対する処方箋としてはどうだろうか。
ーーー以下Gemini回答ーーー(タグとか知らんかったので直コピペ)
日本の政党の議員数を30人程度に制限した場合のメリットとデメリットについて、詳細に検討してみましょう。
政党の多様性減少、政治の安定化: 政党数が大幅に減ることで、政党間の対立が激化し、政治が不安定になる可能性が低減します。政策決定がスムーズに進み、政治の安定化に繋がる可能性があります。
小政党の消滅防止: 議席獲得がより困難になるため、小政党は合流や解散を迫られ、政治勢力が再編される可能性があります。これにより、特定のイデオロギーや地域の利益を代表する小政党が消滅し、多様な意見が反映されにくくなる可能性があります。
政策決定の効率化: 議員数が減ることで、意思決定プロセスが簡素化され、政策決定のスピードが向上する可能性があります。
議員の専門性向上: 少ない議員数で国政を運営するため、各議員はより幅広い分野の知識や経験を身につけることが求められます。議員の専門性向上に繋がる可能性があります。
多様な意見の反映不足: 議員数が大幅に減ることで、多様な意見が国政に反映されにくくなる可能性があります。特に、少数意見や地域特有の課題などが軽視される恐れがあります。
政治の硬直化: 政党数が減り、政治勢力が固定化されると、新しいアイデアや政策が生まれにくくなり、政治が硬直化する可能性があります。
有権者の選択肢減少: 選挙で選べる政党数が減るため、有権者の選択肢が狭まり、政治に対する関心が低下する可能性があります。
地域代表性の低下: 議員数が大幅に減ることで、地域ごとの代表性が低下し、地域特有の課題が国政に反映されにくくなる可能性があります。
政党の独裁化: 議員数が少ない政党では、少数の有力者が党の方針を決定しやすく、民主的な意思決定が阻害される可能性があります。
その他
議員1人あたりの負担増: 議員数が大幅に減ることで、1人あたりの業務量が増え、議員の負担が過大になる可能性があります。
選挙制度との整合性: 議員数を制限する場合、現在の小選挙区制や比例代表制など、選挙制度との整合性をどのように図るかが大きな課題となります。
憲法との整合性: 議員数の制限が、国民の代表制や政治参加の自由といった憲法上の権利を侵害する可能性も考えられます。
まとめ
議員数を30人程度に制限することは、政治の安定化や効率化といったメリットがある一方で、多様な意見の反映不足や政治の硬直化といったデメリットも考えられます。
この問題を考える際には、単に議員数を減らすことだけでなく、どのような選挙制度を採用するか、議員の選出方法をどのように工夫するか、といった点を総合的に検討する必要があります。
結論としては、議員数を30人程度に制限することは、メリットとデメリットを十分に考慮した上で、慎重に議論を進める必要があると考えられます。
具体的な数字: 30人という数字はあくまで一例です。他の数値を想定して、メリットとデメリットを比較検討してみましょう。
選挙制度との関係: 議員数を制限する場合、どのような選挙制度が適しているのか、様々な制度を比較検討してみましょう。
国際的な事例: 他の国では、議員数を制限している国はありますか?その国の政治状況を参考にしましょう。
1. 「政治に興味を持つ人は下層民の自覚を持つべき」という主張:
• この主張は、政治に興味を持つことが下層の人々に限定されると前提していますが、実際には社会のすべての階層にわたって政治に関心を持つ人々がいます。上層の人々も、自分の利益を守ったり拡大したりするために、積極的に政治に関与することが多いです。
• 現代の民主主義においては、政治に関心を持つことは市民の義務であり権利であり、階層に関係なく重要なものとされています。このような主張は、政治への関心を下層の人々に限定する偏見を助長しているとも言えます。
2. 「上層にいる人間は政治の方が勝手に近づいてくる」という主張:
• 上層の人々が政治的に影響力を持つことが多いのは事実ですが、それは彼らが積極的にロビー活動をしたり、政治家に働きかけたりすることによるものであり、政治が「勝手に近づいてくる」とは必ずしも言えません。上層の人々も、自己の利益を確保するために政治に積極的に関与しているのです。
• この表現は、上層の人々がただ待っているだけで政治的な利益を得られるという誤解を与える可能性があります。
• この表現は、有権者としての役割を軽視するものであり、民主主義の基本的な考え方と矛盾します。民主主義においては、すべての市民の一票が等しく重要であり、政治に参加することが社会全体の改善につながるとされています。
• 政治に関心を持つことや投票に参加することは、市民としての責任であり、個人が自らの意見を政治に反映させるための手段です。「一票の価値しかない人間」として自分を位置づけることは、その価値を過小評価していると言えます。
• 妥当な点:
• 上層の人々が経済的・社会的な資源を持ち、政治に影響を与える能力が高いことは事実です。彼らが政治家と密接な関係を築くことによって、政治的な意思決定に影響を与えることができる点は認識されています。
• 問題点:
• 政治に関心を持つことが下層民に限られるという主張は誤解を招く可能性が高く、民主主義における市民の役割を過小評価している点が問題です。
• 政治参加を個人の弱さや無力さの表れとする主張は、民主主義の原則である「すべての市民が平等に政治に参加する権利を持つ」という理念と矛盾しています。
この意見は、政治に対する理解や民主主義の基本原則を軽視している点で妥当とは言えません。政治への関与は、すべての市民にとって重要であり、階層に関わらず積極的に行うべきものです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241019/k10014611711000.html
なら、広告を作る側も同じですよね?お金を得るために広告を作っている
働いている理由はお金が必要だから、お金がないと生きていけないから
芸術性の高いベルセルクとか山本直樹の作品とか会田誠の作品まで規制される可能性高くなっちゃうよね
それとオタクの抜く権利というがそれはフィクトセクシャルにとっての重要な権利でしょ・・・マジョリティの対人性愛者としての特権を反省しなさい
https://www.youtube.com/watch?v=YZ_CoErZgjk
@現実主義
自由には責任が伴うでしょう。女性一人で産む産まないを決める権利があるなら、中絶費用も子育て費用も母親側一人の責任だとするべきでしょう
逆に、男性側にも決める権利があるなら、男性側はきちんと中絶費用や子育て費用を支払う責任を果たすべき
もちろん、例外はあるけど、例外なしに女性一人に決める権利だけ与えるのは良くないでしょう
@mamosans9952