はてなキーワード: 急性アルコール中毒とは
https://anond.hatelabo.jp/20180222134603
このスター集めまくってるコメントみて、俺思わず笑っちゃったよ。
口数ばかり多い、ウラナリのはてブ民には、遠い遥か彼方の銀河系の話なんだろう。
アフィのノウハウや英語の勉強記事をシコシコ無言でブクマしてる暇があったら、ちっとはイオンのリカーコーナーでも行って見聞を広めた方がいい。アルコール依存症は100万人以上、年間35,000人以上が急性アルコール中毒で死亡するこの国のリアルだ。
大学を出て吹雪のような現代社会で働くお前らにとって、ストロングゼロはお前らを包んでくれる暖かいウールだと教えてやる。
ストロングゼロの価格は10ml=4円がベース。これはコンビニ350mlベースの計算で、量が増えていくに連れてじゃんじゃん安くなるなぁ(10mlあたり3円近くまで落ちる)というイメージ。もちろん、コンビニで買えば多種多様のつまみが一緒に買えるし、お買い得なリカーショップで買うなら家でつまみを作っても良い。
町中から酒屋が排除された今、購入場所は流行りの密林というやつ。ここで売人と連絡取って直接送付してもらうのが今のトレンドだ。だけど、毎回アクセスして購入ってだんだん面倒なので、そろそろストロングゼロのダッシュボタン作って簡単に買えるようにして欲しい。酒屋やドラッグの取引なんかと違って、顔つき合わせるなんて面倒なことはしないぞ。売人と客は最初から最後まで顔はおろかお互いの素性すら知らない。たかが酒に礼儀なんて糞って思うだろ?だがブツはヤバくても取引はセーフティーに。苦虫噛み潰したような顔でもメール上ではお互い笑顔が円満取引のコツだ。Anonymousの仮面だっていつもにっこり笑顔、だろ?
で、だ。
どうせお前らは「ストロングゼロ」なんてシロモノは、増田のストロングゼロ文学くらいしか知らないんだろう。ストロングゼロが無くなった近未来だの、西野カナの結婚式だの、あのあたりだ。ブラック企業で働いているサラリーマンや、コンビニのイートインスペースでストロングゼロ飲んで気絶してる、壁の向こう側の人間の話だと思ってるんだろう。
これだから、ノマド生活に憧れる脳内お花畑シティーボーイはダメなんだ。現実を見ろ。アルコール依存症ですと診断された人間が100万人以上いる国だぞ。診断書がでているだけでその数だ。推定500万人近くの人間が依存症に近いと言われている。お前らには全く気づかれず、いや気がついているかもしれんな。二日酔いで会社を休むようになった、なんてヤツが周りにいたら、要注意。そいつは俺だ。
じゃあ、俺は何のためにストロングゼロに手を出してるんだ?
ストロングゼロ最大の利点は「考えなくていい」「泥のように眠れる」ところにある。明日への活力が云々・風邪予防とか言ってるヤツは耳学問の青二才だから気にしなくていい。それは芋焼酎だ(健康のためには芋焼酎を飲もう!)。確かにストロングゼロでも、明日への活力にはなるが、そんなもんは副次的だ。筋弛緩剤のように体から力を奪っていくから、セックスする相手が居ても勃たずに眠ってしまう。
余談だが。ストロングゼロってのはな、仕事で疲れた時、ちょいと会社のトイレで飲むだけで、次の日から働けなくなるんだ。10ml=3円とした場合、1回の目安が350mlだから、1回105円。ここぞという時にキメれば、105円で職を失うんだから、安すぎる。下手すりゃロクな仕事をしてくれないっていう噂の労基署よりスマートにブラック企業から離脱させてくれる。もちろん、露頭に迷うリスクはあるが、そんなもんにビビってちゃ資本主義社会では生き残れない。トレーラーハウスにはいつまでも居るわけには行かないって奴だ。
さて。この「考えなくていい」ってのが最大の利点でもあり副作用でもある。
ストロングゼロ飲んで朝起きたと思ったら部屋に西日が落ちていた時、人間はどうなると思う?俺たちは諦めて「もう一本開けよう」と冷蔵庫に走る。
携帯電話に不在着信がズラッと並んだ(「無の境地になる」ってやつだ)現実を直視しないために、もう1本決めよう…となりゃもうオシマイ。ジャンキーまっしぐら。気づけばパック(内容量:1,800ml)の出番だ。だけど、栄養ドリンクと同じで、ここぞという時の武器にしてるヤツはそこらじゅうにいる。悪魔的に言い訳が上手いやつがな。逆鱗に触れるギリギリのところを見極めて正しく守ってさえいれば、言い訳なんてなんとでもなる。痛い頭をこすりながらシャワーを浴びてコーヒーとにんにくで酒臭さをカバー、ポカリスエット一気飲みして小便ピューリタンすれば午後からは出勤できるからな。
まあ、はてブ民はストロングゼロ文学ではしゃいでいるのもいいだろう。でも、一般知識としてアルコール依存症は自分とはそんなに遠くないところにあって、知り合いの誰か(あるいは自分かもな)がそうなるかもしれないということは知っておくように。
ほどなくしてトイレに駆け込んだと思うと、ゲーゲーと…。
水飲んで早く寝なさいと言っても、なぜか全裸になってベッドに飛び込む。
流石に腹が立って、もうしらんぞ!といっても、迷惑掛けてごめんよぉ〜と叫びながら足をバタバタさせる。
吐き気がすごいらしく、それをやり過ごすためなのか、ゴロンゴロンとベッドを転がったり。
もしかしてこれ急性アルコール中毒とかいうやつちゃうか…。と一瞬不安になったので、とりあえずググる。
しかしインターネットでいろいろ調べても書いてることがバラバラ。
吐いてるときは水分はとらせるなとか水分とれ、とか。
と、いっそ救急外来につれていくかと悶々としていたら、隣からいびきが。
そのあと、私もすぐ寝た。
http://anond.hatelabo.jp/20161124071825
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021101000492.html
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酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。万病の素。
あらゆる悪の根源。経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
私の父は厳格な人だった
ゲームやテレビは子供の教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた
お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった
高校に入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった
しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた
2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった
それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった
母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた
ゲームも漫画もうちにはなく、テレビも自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由な時間を満喫していた
私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した
父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた
ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった
流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった
父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた
母は何も言わずに私を見ていた
私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族の食卓に遅れた
父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った
私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった
ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と
それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒で病院に運ばれた
私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた
それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった
私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た
父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった
私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった
父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった
私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした
私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家は平穏を取り戻していった
私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった
私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日、自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った
愚かな私は他人の気持ちを考える事が出来なかった、自分の気持ちを正当化するために家族を悪者に仕立て上げた
父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった
私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった
父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった
父の症状はみるみるうちに悪化していった
私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した
私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと
それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった
なのに私は全てを無視して、他人の気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った
その日父は死んだ
私が高校2年生の春だった
父は書き置きを残した
私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所で自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった
父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった
私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った
私には明確に父を殺したという意識がある
ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと
同時に思う、自分はそんな可哀想な自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと
しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと
そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間は死ねば良い、どちらにしても自分が死ねば良いとそう思う
自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが
ひとえに母と弟のお陰だと思う
私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったから
高校に行きながらバイトをして、大学へ入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した
お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金で実家まで持っていった
それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た
母は私が死なないように心配していたのだと思う
私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった
父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う
でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった
時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる
おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う
そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ちを確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない
今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた
用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた
弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった
弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した
続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した
どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単な言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた
泣きながら、ごめんごめんと言っていた
ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた
兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった
ホントはもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった
でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう
弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた
本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ちを無視していた、自分のことだけを考えていた
私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストのアルバムをくれたのだくらいに思っていた
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った
もしかしたら弟はこのプレゼントを話題のきっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが
とにかく、知ることが出来てよかった
衝動的に書いたので読み辛いだろうけど
笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした
父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです
意を決してこのページを開き、はてなブックマークのコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました
おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした
結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません
もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分の気持ちを本当にこんな簡単な言葉で表す事ができるかは分からないのですが
今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます
そして優しいコメントをくれた皆さんへも
長谷川氏の言う、透析患者にかかる金を減らせば医療費削減になるという意見に同意する人も多いだろう。悪いのは長谷川氏に「糖尿病患者は自業自得」と吹き込んだ医師である。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48497760.html
仮に不摂生がたたって糖尿病を患ったとしても医者としては患者教育を施そうとする最大限の努力が必要で、病気の怖さを教え、生活改善を助ける糖尿病教室などのリソースもある。コンプライアンスの悪い患者もいるが、前提として我々医師の使命は病気を少しでも無くしたり和らげたりすることにある。予防医療により医療費を軽減させることもあるが、逆に先進のがん治療など結果的に医療費を沢山使うことになることもある。納税者として無駄遣いする気はないが、医療費削減は我々の本来の仕事ではない。
3分診療などと揶揄されるように患者とじっくり向き合う時間などないと愚痴を言う医者もいるだろうし、そもそも病院にすらこなくなる患者もいる。そういう患者は面倒見きれない、と言い放ってしまえばそれは長谷川氏の自業自得論に加担してしまうことになる。内輪で不満を言う分には他愛がないが、長谷川氏には医師としての立場を離れる事なくせめてもう少しよそ行きの言葉で話すべきだったろう。
そもそも自業自得の線引きをしようとすること自体がナンセンスなので深入りはしないが、医療の世界にはこんなことはいくらでもある。料理中に包丁で指を切っても不注意からくる自業自得と断じてもかまわないであろう。今のところ、交通事故、労災などを除いて患者の扱いに線引きは行われない。コンパで飲みすぎた急性アルコール中毒の大学生も救急車を呼んでいい。
反論した医師のid:fujipon も特に間違った事は言ってないが、長谷川氏の言論を「弱者叩き」と反論しているにすぎない。当たり前の事を書いたせいで逆に長谷川氏に煽られてしまっている。
長谷川氏に言いたいことがあるとすればただの一つである。食生活の不摂生からくる糖尿病が透析に至ったとして、それは純粋に個人の不摂生、自業自得によるものだと断定できるかどうかは今の医学でもってしても非常に難しい。おそらくは生活を改善すれば、糖尿病の進行は抑えられるだろうが、それでも本来の個体差、遺伝的素因を全く無視しても良いとは言えそうにない。
さらには不摂生が改善されない理由として、知的レベル、精神的な気質や基礎疾患の影響もある上に、貧困、一人暮らしなどの社会的な要因であることも多い。不摂生はもはや個人の意志でどうにかなる問題ではない場合もある。どのような理由があるにせよ、我々、医師、科学者の努力が至らないせいで透析患者は未だに無視できない程度に存在し、患者はもとより納税者の負担になっていることは申し訳ないと思っている。長谷川氏の自業自得論がどうしても不摂生をやめられない患者に対するエールだとすれば、どうか透析患者またはその予備軍に取材し、対話をしあらためて感じたことを記事にして頂きたい。
大学の頃から酒は楽しいと言う肯定的な意識だけが植え付けられていない?
若い頃なら急性アルコール中毒にならない限り多少の無理は利くだろうけど、それができなくなるころにはすっかり飲酒が癖になっていると思う。
その上、社会人になれば段々うさを晴らす等の理由で飲む機会が増えるし、人によっては付き合い、接待で飲むこともあるだろう。
それらは楽しむための飲酒ではないけど、避けられない人も多いと思う。
アルコールで問題を起こして病院へ行った人をシンプルにアルコール依存症と考えるが、アルコールが原因の肝臓、腎臓の病気や糖尿病、食道炎等々を考えると相当数の依存症患者がいるんだろう。
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
最近、脱法(危険)ドラッグに関する事故などの報道が多いが、どう考えても「飲酒」こそ徹底糾弾し、規制すべき。
脱法(危険)ドラッグ絡みの事故については、p.11に記載があるが、死亡事故も含めて、ほんの数件レベル
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/dl/pamphlet_04.pdf
飲酒は厳罰化が実施された今でも、死亡事故は230件程度、それ以外の事故も含めると4,300件以上という驚愕のレベル
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/insyuunten/statistical_chart_table.pdf
また、事故にはならなくとも、民事や刑事事件に発展する「飲酒」が原因の社会的損害は相当な規模になるだろう。
セクハラもそうだし、一気飲み強要で死亡する例もある急性アルコール中毒もそうだし、飲酒による暴行事件なども
それに含まれるだろう。
もっと身近な例では、「親睦を深める」と称し自らだけでなく、周囲の人間も巻き込み、深夜まで暴飲を繰り返した挙句、
次の日には、「昨日、飲みすぎちゃった~」などと言いながら、仕事もろくにせずに、むしろ、飲み会を遅くまで繰り広
げたことに一役買ったことを、誇ったような顔をしながら、デスクでウトウトしたりしてる人種がいる。
(中には、2日酔いでも仕事を頑張ってる!ということを何故かアピールしてくるのもいる。自己責任だし、知らんがな。)
さらに、タチが悪いのは、会社の金を使って飲酒を行っている場合で、会社の貴重なキャッシュを使って、
本人だけでなく、周囲の人間(社内、社外を含む)を巻き込んで、仕事の生産性を著しく低下させることを
断続的に行っているわけで、潜在的な損害は計り知れない。
「飲酒」依存症の人たちは、今すぐ治療をはじめるか、あるいは空港のスモーキング・エリアで周囲の人間から
蔑視されるような存在であることを自覚し、自宅で浴びるほど飲んで、頼むから永遠にじっとしてて欲しい。
そうすれば、少なくとも、年間4,000件レベル以上の飲酒事故は減るだろうし、セクハラ、モラハラ、取引先との関係悪化
などもかなり防げるだろう。
コミュ力の高い不良が、一生懸命 ボッチを 更生させようとした結果
イジメだと ボッチか感じていたけど あくまでも仲間をつくろうとしてやった行為なので 善意だからイジメじゃありません。
例: ビール飲めない奴にビールをガンガン飲ませるのは教育であって イジメじゃない。 たとえ急性アルコール中毒になっても。
※ただし、このボッチはワインは飲むけどビールは飲まないと仮定する(あくまでも仮定)
このケースは難しい。だけど、こんなことが起きるのも、日本が村社会で文化が1つしか無いという誤った思考停止があるからだ。
何が言いたいかというと、ボッチになってるというのは、周囲に同じ文化のやつがいないという事を指し示していて、必ずしも郷に入れば郷に従えが解決策ではない。ということ。
本質的な目的はコミュニケーションで、手段として飲み会がある。
あと、単純に酒が飲みたい目的だけの層も多い。
社会のマジョリティは40代~50代であり、彼らはそういった酒好きも多いので、飲み会という手段でうまくいっていた。
だが、20代~30台にはビールが苦くて嫌とか、急性アルコール中毒で死人が出るということが認識されて飲酒を強制されることが禁止された文化になってから成人や社会人になった。
だから、コミュニケーションを目的とした、飲み会以外の手段を社会に定着させなければならない。
http://news24.jp/nnn/news8855621.html
一部抜粋
小泉光男議員は、25日早朝、実家のある一戸町平糠の大志田ダムの岸でかばんを枕にしてあお向けになって死亡しているのが見つかったもの。
警察が岩手医大で司法解剖を行った結果、小泉議員の遺体は死後1日から2日以内で、目立った外傷はなく、体内からは、一般の成人男性が泥酔する量を上回る量のアルコールが検出された。
しかし、死因は特定できず、遺書の存在も明らかにされていないことなどから、警察では、急性アルコール中毒や低体温症などによる事故死の可能性も含め、さらに詳しく調べることにしている
かばんを枕にしてアルコール摂取で自殺を、意図的にやったのだとしたら、遺書くらい残すだろうしなぁ。
北陸に住んでるからわかるけど、6月・9月くらいが一番危ないんだ。
昼間はあったかくて、夏のように思えて、でも夜は酷く冷え込むことがある。
油断してる分、死のリスクは冬よりも高い。
飲み屋に「イッキ飲み禁止」なんて貼り紙が貼られるようになってまだ10年は経っていないだろう。
大学は学生に新歓コンパで無茶をするなと触れて回る。会社は部下に酒を強要するなと通達する。こんな動きは少なくとも20年前には全く見られなかった。何を飲もうが呑まれようが、そんなのは当事者たちの自己責任の範疇を出なかった。
昨今、アルコール飲料の消費量は減少の一途を辿っている。急性アルコール中毒で担ぎ込まれる、ヘタをすればそのまま死亡なんてケースも年々減ってきている。
減ってきているということは、以前はもっとそれらが頻繁だったということだ。減ってきて、珍しくなったからニュースにもなるようになった。
かつての「アル中」は「ハゲ」と同列にオッサンを罵倒するための単語に過ぎなかった。
酒を飲むために飲む、あげく酒に呑まれて泥酔からの暴力沙汰やレイプ事件など、元増田が憂うような世紀末的光景はむしろ昔においてポピュラーだったものなのだ。
日本人はどんどんお行儀よくなってきていると思う。もちろんそれは、全体を平均化すれば、の話だけれど。
この傾向が、すでに一般化しつつある国際交流やら海外旅行やらの影響で今更急激に逆転するとは到底思えない。
何しろ事は法整備にまで及んでいるのだ。
これに対して「呑み」という言葉は「丸呑み」という言葉に象徴されるように、外部からの不可抗力のようなものを受けているように感じる。
「丸呑みにされる」なら確かにそうだろうが、「丸呑みにする」ならそれは呑んでいる方の豪快さや圧倒ぶりを示しており、つまり「酒を呑む」とは人が酒を支配下に置き、酔いつつも酒を蹂躙しているイメージになると感じる。
まぁ、結局何が言いたいかというと。