はてなキーワード: 家財とは
祖母の具合が悪くなって大学時代からしてた一人暮らしを止めて実家に戻ったのが数年前。
その祖母も死んでしまったし、当時勤めてたブラック企業からめっちゃホワイトに転職して落ち着いたし、
そろそろ一人暮らし再開を母に打診した。
まぁ人間虫の居所が悪いこともあるし、と数日置いて再度相談、やはり対話を拒否される。
さらに数日あけて話をしようとしたら、気配を察したのか急に怒り出して絶対にダメだから!と。
住むところに多少の口出されるかもしれないが普通に出ていけると思ったのに。
それが今年頭、ちょうど物件がたくさん出ていて、良いところもあったから、早く決めたかった。
相談すらできないし、かと言って、郊外にある家から都心の会社まで毎日片道2時間近くかけて通勤するのもつらい。
色々手続きが終わって、場所やなんかを母親に話したらものすごい勢いでキレられた。
家のこと何もしないのに?
掃除洗濯はしてるよね、ゴミ捨てや重い物の買い物したりしてるよね。
炊事しないのは、台所使おうとすると、油が跳ねるから炒め物するな、汁が飛ぶから煮物汁物するな、というかコンロを使うな
ってサラダつくるかパン捏ねてオーブンで焼くかしかできないからだよ。
家に入れてる額が少ない?
クソみたいなブラックでクソみたいな金額しか貰ってなかったから数万円入れるだけでもカツカツだよ。
を、ネットで安いやつ申し込もうと思ったんですよ。
適当に代理店的比較サイトで2つほど安いとこの資料請求して郵送で届いたの。
その三井住友海上の申込書がまあ糞めんどくさい。
構造級別やら専有面積はいいとして、要るのか要らんのか知らんが、
建物構造申告書やらなんやら埋める必要あるのか無いのかみたいな欄が膨大に並んでるのよ。
説明書きが代理店向けでよくわからん記入例を真似して適当に埋めていったけど、保険料の記入で家財地震の欄を家財の補償金額の記入を間違えて書き込んでしまい、すぐ気づいたけど気が萎えてダメダコリャとあきらめた。
んで、もうひとつ日新火災のも資料要求してたのに申込書入ってなかったな、と
兄の荘公の夫人と密通し、その兄が死んだ後に自分を差し置いて魯公となった甥を殺した。
代わりに立てた閔公が、慶父の弟である季友を信頼する姿勢を見せると、これも殺してしまう。
自らが魯公とならんとするも、周囲の支持を失い追放され、後に送還されて季友から弾劾され、自害した。
始皇帝が亡くなると、丞相の李斯を唆して遺言を書き換え、本来の後継であった扶蘇を自害に追い込み、その弟である胡亥を即位させる。
功臣を殺し、圧政を敷き、それによって反乱を招くと、李斯や胡亥を弑して劉邦に内通しようとしたが、扶蘇の息子と言われる子嬰に殺された。
傀儡として立てた幼い皇帝に「跋扈将軍」と揶揄され、その聡明さを恐れて毒殺した。
桓帝の代になってようやく梁冀は粛清され、一族も悉く処刑された。
武力によって専横を極め、悪政暴虐の限りを尽くした。
密告を奨励した唐の則天武后の下、来俊臣は犯罪者を取り調べる役に抜擢された。
凄惨な拷問を編み出して、次々に無実の者を死刑台へと追いやった。
ついに来俊臣は、これまで自分がやってきたように密告され、斬罪に処された。
街に晒された死体は恨みに燃える民衆によってバラバラにされたという。
玄宗が気に入った者や、皇太子の周囲にいる者、自分の地位を脅かすような人物を次々に陥れて殺した。
温和な顔をして政敵を追い落とす様は「口に蜜あり腹に剣あり」「真綿に針を包むごとし」と評された。
南宋において宰相を務め、圧力を増す金との講和を唱えると共に、反対派を弾圧した。
後世、岳飛が忠臣の象徴とされると、秦檜の名は売国奴の代名詞となった。
岳飛廟の前には、秦檜夫婦が縄で繋がれた像が立てられ、訪れる者はそれに唾を吐きかけたという。
明の嘉靖帝は政治を顧みず道教に熱中し、道教の祭文に通じていた厳嵩は気に入られて高位に就いた。
賄賂が横行する悪政を二十年に渡って行ったが、やがて勢いを失った。
同じく権勢を振るった息子が処刑されると、家財を没収され、庶民に落とされた。
明の宦官。
東林派と反東林派の争いに乗じて権力を握り、大々的に東林派を弾圧した。
全国に間諜を放ち、自分を批判するものは全て投獄して処刑した。
周囲には「九千歳」と唱和させ、自らは「尭天舜徳至聖至神」とまで名乗った。
清の絶頂期を築いた乾隆帝も老いては耄碌し、和珅はその寵臣として長年に渡り政治を壟断した。
愛する妻との間に出来た子供。
その小ささとは相反する大きい産声から、命の力強さと父になった喜びを実感した。
「守るべき者が増えた。妻子の為にもしっかり働いて幸せに暮らせるよう頑張らねば。」
そう心に決め、仕事の忙しい時期ではあったが毎日帰りに病院に通い、帰宅後にまた仕事を続けるという日々を何とかこなして乗り切った。
子供が出来た。嬉しい。早く3人で暮らしたい。その想いが働く原動力だった。
ちょっと長めな入院と実家療養を経て妻子が帰ってきた。初めての3人暮らし。
「仕事も家庭も両立するぞ!!」張り切っていた。ただ、張り切り過ぎていたのかもしれない。
夜泣きが続く、泣き止まない。
育児のことは任せろとは言ったものの明日も仕事がある。少しは寝ないと。
産後に高熱が出た。どの病院で検査をしても診断結果は原因不明ばかり。通院と入院が続く。
会社を休んで何度か病院に行ったが、仕事の納期は変わらない。休んだ分は夜や土日に働いた。
突然の退職者のフォローもあり、普通に業務をこなす分にももうキャパシティを超えていた。
当時自分よりも忙しい人が居たことや、業務を任された後でやっぱり無理ですとなると今後に影響が出るのではとの恐れがあり、これ以上強くは言えなかった。
家族が増えたため、月々の出費は増える。
産後は会社を抜けたり休んだりすることが多かったので仕事はこれ以上休めない。
妻子は近くに住んでいる義両親が預かってくれている。
周りに相談したら、大変な時期だろうとは思うけど将来のことも見据えて仕事に勤しむべき。
そんな時、再度妻が体調を崩した為休んで欲しいとの話があったがもう休むことは出来なかった。
・家庭は大事だが、家庭の為にも仕事もこなさないといけないと主張する夫
・家庭の為に仕事を休んで欲しいと主張する妻
当然口論になったが、体調が良くなるまでは実家に居てもらうことにした。
本来であれば一番時間を掛けて家族で過ごしたい時期だが、感情を殺して今すべきことを頑張ろう。
「守るべき者の為に、今は頑張って働かねば。」そう思って働いた。
やっと仕事が落ち着いた時のことだ。
妻も少しずつではあるが体調が良くなってきたようだ。
そろそろ3人で暮らせるんじゃないか?
お互い余裕が無く、ストレスが溜まっていた時期は衝突が多かったけど、今は余裕が出来た。今なら何とかやっていけるんじゃないか?
そんな時だ、妻から別居の話が伝えられた。
理由は、
「一番守って欲しい時に守ってもらえなかったから。」
ショックだった。
守る為、来月以降の費用を稼ぐ為に働いていたつもりだった。
しかし、不確定な未来より、今、この場で困っている妻を助けなかったことは、妻にとっては耐え難いことだったのだと思う。
修復が難しいことを悟ったことから早々に離婚することとなった。
私の考えていた「守るべきものの為に〜」との考えは、すべて自己正当化や自己都合による理由付けであって、家族にとっては虚像以外の何物でもなかったのだ。
結婚生活に不満がなかったわけではない。
確かに妻とは衝突が多かった。
しかし、不満があっても、それでも、家族のことは一番大切だった。
しかし、その家族の為には家を空けて仕事をしなければならない。
休めるものだったら休んでるが、それが叶う状況ではなかった。
どうすればよかったんだろうか?
無理に休んでクビになったりしたら、家族が露頭に迷う恐れがあった。
無理に働いた結果はこの様だ。
ただ、この結末を知っていれば当時は会社を辞めてでも家族と向き合うべきだったと思う。
先週離婚が成立した。
守りたかった者は、もう居ない。
ふと、なんらかの災害でみんな帰る場所を無くし学校の体育館に寄り集まってる場面を妄想した。
そしてその妄想の中で、ある人は家族が、ある人は友人が、ある人は恋人がそれぞれ迎えに来てくれて、体育館から消えてゆく。
俺とあと数人は、誰の迎えも来ないまま、出来上がった仮設住宅に押し込まれてゆくんだ。
家庭の事情で帰る実家もなければ、できたと思った友達は決して長くは続かず、それぞれのタームごとに断絶している。
どこに旅行しても、暮らしてる家に戻ろうとも、何年も住んでる街に戻ってこようとも、どこかここは自分の居場所、安堵を伴うホームじゃないと感じる。
家財道具全部このままにして明日から別の都市に住まなければならないとしても、ほとんど名残惜しさといったものは感じないだろう。
俺はこの調子で昔から孤独だったから、趣味と呼ばれるものには片っ端から手を出した。
結果様々な種類の趣味を会得することができ、一人の時間は嫌いではなくなった。しかし寂しさは拭いきれない。
人は居場所を提供しなおかつ迎えにも来てくれるが、趣味は居場所を提供すれども迎えには来てくれない。
「根無し草の引越し」を書いた者です。元増田って書けばいいんでしたっけ?
ざっと拝見すると、現行の法律として管理する側がもめごとを避けるために、
家財や資産の処分の際の連絡先として「身元保証人」が必須ということなのですね。
まあ、親戚付き合いが悪いという、日ごろの行いが悪いと言えばそれまでなんですけど、
まったく後ろ暗いところが無いといえばウソになりますが、親戚との物理距離があると
なかなかあいさつにもいけないので疎遠スパイラルになってしまい、現在に至ります。
親兄弟が生存していてかつ連絡がとれるならこんな苦労は無いんですが、
こればかりは現状どうしようもないことでして、
なのでヒトリでやりくりできなかった事象や不満を増田として嘆かせていただきました。
あと、仲介した不動産屋が「大丈夫ですよ」って言ったのに!オマエなあ!!
……という不満もありますけど、まあしょうがないのかなと今は思っています。
まだ親類との距離は測りかねているところですが(というか身元保証人を引き受けてもらえるか分からない)、
こういう諸問題に出会わずに気軽に引っ越しができる世の中になればいいなと思います。
ちなみに、保証人が不要な「UR賃貸」も検討材料に入れていましたが、
夜逃げ/行方不明の場合は相続発生してないから権利ないってことだよね?
じゃあ高齢者の時だけ要求するっていうのでもよくない?60歳以上とか。
元増田は多分該当しないよね。
要するに、遺族とのワタリがつくとその先が何かと楽ってだけだよ。
やっぱ結局その程度ってことか。
同じようなつもりで疑問に思ったことを書いてるだけなんだけど?
つか会話にならないと思うならトラバしなきゃよくね?
長女一人っ子だけど、わかるよー、気持ち。
中規模都市で勉強できるように育ててくれて、そこそこの大学@都内に入って、周りと競うように憧れの職について、8年位働いて一人前風になって?さあこれから仕事で自己実現だってなって、降りかえると親が老いてるよね。頼り甲斐があったお父さんが理屈っぽく頑固で声大きくなってるし、賑やかだったお母さんが笑わなくなって日中ぼーっとしてたりとかするよね。
あ、帰んなきゃやばい?って思っても東京まで通うことはできないし、地元で再就職って言っても、東京にしか存在しない職種はあるし。。。働ければ職種に貴賤はなし!とは思ってるけど、いままで精魂込めて蓄えて来た経験が役に立たなくなるのは心が折れる。
家なんてどうでもいいんだけど、とりあえず継がないと同じ場所に住み続けるのきついよね。町内会に入らなかったら両親が後ろ指さされるだろうし、親の兄弟はまだ本家の〜とか分家の〜って口走るよね。放蕩娘になって私が縁切りされるのは構わないけど、残る両親へかかる風圧のことを考えたらようできひんよ。繰り返すけど、もうイエなんてどうでもいいけどね。ただまだそれを生き方の軸とした人たちが生きていて、その人たちに育てられたから、不義理をしたくないんだ。お父さんとおじさんが高校出てから耕した有機農法の畑、駐車場にしたらいいじゃんって私は簡単には言えないよ。二人が死ぬまで待ちたいよ。
君はどうする?私は何かウルトラCで解決できないかなって今年一年考える。案がなかったら諦めて地元に帰って仕事を探すよ。それで、私の子供にはこんなこと考えなくていいように家財を処分する。ここにもいるよーって伝えたかっただけ。日本のほとんどは田舎で、同じ状況の同世代もいっぱいいるよー。
狂人の振る舞い。
1、住んでる家を貸すといいだす(実家)。親夫婦そろって家財道具搬出。
どこにすむんだ?母型の実家にすむといいだす(いとこ名義の家)
2、強引に荷物搬出クリミアのよう。貸すのは困るからと家賃を払って俺が住む。商売もそこでして。
3、商売まわったころに、突然帰ってくるといいだす。しかも家相が悪いと言われたといって部屋を改築して
4、家を全面改装する、しかもシックハウス。頭も腫れてくる。その他詳細省くが、追い出され住まいなし店舗なし等で生命と財産相当危機に陥る。
5、俺が冷静に話してると立ち上がってきて暴力的。暴言はきまくり。体壊してると訴えても二人で暴れる。
6、俺が怒ると口論段階で、警察を呼ぶ。呼びたいのはこっちだ。
地震保険の保険料が上がるとかって言うんで、駆け込みで入ろうとしているヤツが多いから、基本的なこと言っとくわ。
ちょうど、この手の話をするのに、良い日でもあるしな。
地震大国日本で紙と木で出来た戸建てに住みたがるギャンブラーは入れ
それ以外は止めとけ
オマエラが100人居て、うち、90人が60歳になるって統計があるとするな。
で、ウッカリ死んだら3000万円は保証して欲しいとか考えてるとするな。
すると、100人で3億(10人x3000万)貯めておけば、まあなんとかなる。1人頭300万だな。
30歳からやり始めれば、一人月8千4百円くらいで、3000万保証できるな。
300万の損で、何時起こるか判らん3000万の損アクシデントに備える。
これが保険だ。
ただ、この例だと、3年以内に誰か死ぬと、3000万払えない。
55歳で10人目が死んでも、60歳以上で11人目が死んでも、足りなくなる。
だから保険会社ってのがあって、ものすんごく大量に契約者を集めて、資金をプールしてる。
保険ってかなり相互扶助的な意味合いが強いから、儲け過ぎって国から規制されてる。
で、儲け方が、利差、費差、死差って3つに分類される。
運用と費用は取り敢えず置いとくが、ここで死差益って呼ばれてるところが問題で、
保険ってのは破綻しないように、死人が出る数に余裕をもって保険料を設定する。
さっきの例で行くと、統計的に10人ってデータが見えてたら、11人とか12人死んでも大丈夫なように金を集める。
(この統計的ってところのデータが、実はもっと死なないのでは?とか言われてるけど、今回は割愛)
当然読んでから契約してると思うが、生命保険も傷害保険も、戦争その他騒乱によるものは免責事由に入ってる。
これは、例えば60歳までに100人あたり10人ぐらい死ぬだろ、と設計して保険料集めてるのに、
戦争があって爆弾落ちてきて辺り一面焦土と化して100人あたり90人死ぬとか想定してないからだ。
被害甚大なレアケースを被害を受けない大多数とで平均してカネを集めて対処するのが保険なので、
戦争を想定した保険料は(そもそも設定できるかどうかも判らんが)もし設定すると、トンでもない金額になる。
なので、あんまりにもあんまりなケースは「想定外なんでソレについては払いません」と決めてる。
これは、保険料を安く設定するための方法なので、契約してる一般の人にもメリットがある。
一般人が触る保険のほぼ全てに、保険を払う範囲と、払わない場合を設定してる。
誤解を恐れずに言えば、保険料控除がきく「地震保険」ってほぼ「火災保険」だよ。
何言ってんだオマエ、とか思っただろ?
火災保険って、地震が原因で起こった火災に対しては、保険金出さないよ。
かなり裁判で争われて、最高裁まで行った奴もあるけど、知ってる判例では結果は全部、保険金は支払われていない。
(説明が足りなかったんだから慰謝料を払え、みたいな変形戦法で争った奴が有名だけど、あれも負けたな)
ここまでで説明したとおり、保険料を設定する時には、ある程度範囲を決めとかないとトンでもないことになる。
だから、ほぼすべての「火災保険」で、地震・噴火・津波・戦争による火災は、免責事由(払わねえアクシデント)扱いになってる。
要は、保険会社がリスクを計算して金を集めて払うのが、ほぼムリって音を上げてると言って良い。
で、火災保険じゃ払ってもらえねえ「地震による火災」をカバーするのが「地震保険」だと思っておけば間違いない。
まず覚えて欲しいのは、地震保険は、地震で崩れた家を建て直す為の保険じゃない。
地震や津波があった時に、財産を一切合切無くして路頭に迷うことがないようにする、生活再建のための資金だ。
だから、火災保険だと立てなおしたり買い直したりするのまで面倒見る保険があるのに、地震保険だと50%までになってる。
ま、ローン抱えててもいきなりどんづまったりしない為の資金、だな。
んで、保険会社によって差がない理由は、ほとんど国が保険金支払い元になるからだ。いま6兆円ぐらいプールしてる。
で、そもそも地震保険がないとマズイねって話になったのは、さっきの火災保険の免責事由によるところが大きい。
地震だと火災は間違いなく発生して、発生すると紙と木で出来た一戸建てってのはあっという間に燃える。
で、預貯金以外は全部燃え尽きた挙句に保険金が支払われなかったりして、悲惨な事例があった。
だって結局、全壊したって評価額の半分しか保険金おりねえから立て直せねえもん。
だからまあ「火災保険の変種」は言いすぎだとしても、地震・津波&そいつら原因の火災で、家がなくなった時に路頭に迷わない為の保険なワケよ。
火災保険+地震保険に入ってれば、大抵の場合でドンづまったりしない。
一戸建て所有者。
ソモソモ論で行くと、地震大国日本に住んでて、木軸構造の戸建てに住むとか正気の沙汰じゃない。
鉄筋コンクリの建物と、木造の建物って、耐震も耐火も天と地ほども違う。
地震が怖い火災が怖いってやつは、そもそもマンションに住め。それだけでリスクは段違いに低くなる。
だから、「地震が怖いから(積極的に)地震保険に入る」じゃなくて「戸建てに住んでるから(已む無く)地震保険に入る」が正しい。
んで、1982年以降の鉄筋コンクリのマンションってのは、地震で躯体が全壊することはほぼ無い。
さらに、火災発生のリスクも戸建てに比べて低いし、ほとんど類焼しない。
で、実際に壊れるのはエレベーターだの手すりだの扉だので、こういう時は保険金がほとんどおりない。
命は助かったし躯体も無事だけど、住むには困るって状態の回復に地震保険は役に立たない。
地震保険って、ほとんど「国」の保険で、地震が起きた時の火災対策がメイン。(あと全壊対策)
で、今の保険料設定だとマンション住まいの奴は無駄金払うことになる(と、個人的には思う保険料設定)。
結果、地震の起きやすい地域、ハザードマップで津波のおそれがある地域の戸建ては、入っとくと他に比べてお得ではある。
年間5万(控除でほぼ3万5千円)でも50年で250万(控除込みで175万)だから、地震で全焼した時に途方にくれないための保険料としては、妥当な気がするな。
つーか、保険金1000万あたり年間保険料が3万超えてる地域の戸建ては、入るのほぼ義務だろ。
ただひとつ
ひろゆきも賠償金から逃げ続けてるので、印税差し押さえられた話もあったけど
収入の経路も資産も常に監視されてる。少額の口座多数に資産バラしてるみたいだけど
高い家財買っても差し押さえられるみたいで、生活必需品しか持てないみたい
ひろゆき氏、「1000万円寄付をすると倍額で寄付してくれる?計画」を試みる
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/15/news061.html
このオチになってるDMMにホントに1000万払ったのかわかんないけど
賠償金払うのはまっぴらだけど大きな蓄財もできないって状況考えると
あとは寄付くらいしか金の使い道ないのでホントに払ってるのかもしれない
てか、長々書いてはみたけどさあ、冒頭のエントリ読めばはっきりわかるよね、ひろゆきが子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないってことが。
子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないかもしれないけど
母親ががんで死んで一年が経った。父親は認知症が進んで施設にいる。
母親が入院して、みるみる痩せて、他愛のない話をしていた時から、それはそう遠くないとは思っていた。しかし、何の準備も始まらないうちに別れの時は容赦なく訪れた。
母親にあと余命半年でもあったら何ができたか、と考えても、いい答えはでてこない。母は特に裕福でもなく、特に才能があったわけでもなく、特別なことはほとんど何もない、ただ自分を立派に育ててくれた偉大な母親であった。母の残した家財が少しある。遺産はほとんどない。家には体調を記した頃の日記や、昔の年賀状や、住所録や、友人に宛てた手紙が少し残っているが、それ以外にはもう僕らの記憶の中にしかいない。
母に余命があったら、母はこの世に何か形に残るものを遺そうとしただろうか。たぶんしない。みんなの記憶に残るような事をしたり、言ったりするだろうか。たぶんない。じゃあ、余命があるうちに母が経験したかった何かをしたいと言っただろうか。思えば、好きだった穴子ずしを食べたいと言ったぐらいのことである。
この余命期間に何ができたかを考えると、それは人が生きる目的っていうことじゃないかと思うようになった。つまり、余命期間に著作物を残そうというひとは、それを遺すことを生きがいとしているのである。だったら、母は何の生きがいもなかったのか。いや、僕ら子どもたちがいて、孫達がいて、その成長を楽しみにしていた。ただ、子供や孫の成長はきりがない。いつまでも成長し続けるので、いつか途切れることになる。
そういう意味では、母は最高の状態だった。僕はアラフォーで、会社員で、家庭がある。嫁さんは愛想がよくないが、笑顔を絶やさない孫達がいたのだ。祖父母は先に他界している。他に特別なんの生きがいもなく、父の世話ばかり焼いていた母の最高の記憶はこうして何の心配もなく家族が元気に成長していたことに違いない。
一方で、父親は認知症が進んだ。丁度母親が亡くなる頃にはもう母親の死を認識できないようになっていた。幸せ者である。空き家になった実家に連れて帰るたびに「あいつはどこにいった?」と聞いてくるので、毎度同じようにもう死んだんだよと伝えると、「それはえらいこっちゃなあ」と少しさみしそうにするが、すぐにそれを忘れてしまう。
記憶を作るのが生きる目的だとすると、父親はもう目的を見失っている。だんだん子供のような行動をとり、最近のことは何一つ覚えていない父親を見ると、こういう終末もいいなと思えてくる。あと何年か、何十年生きられるかわからないけど、父の最期がたとえちょっと苦しいことだとしても、本人はすぐに忘れちゃうんだと思うと僕は気が楽になる。
さて、僕はこれからどんな記憶を作ったり、何かを遺していくんだろうか。時間は限られている。僕は目立ちたがりの性格なのだから、こうしていろいろ著作物にしておいて、みんなの話題になりそう、っていうのが自己満足にちかいかな。
「とりあえず三ヶ月間バイトでもしてみろよ」 → 「20代後半は雇ってくれないよ」
「いや、コンビニの深夜とか交通整理とかそれなりにあるぞ」 → 「そういうのは嫌だ」
「それなら介護とか営業とかそういう仕事なら受かるのでは?」 → 「俺には向いていない」
「今の会社でもう少し頑張ってみては?」 → 「行く気がない。働ける気がしない」
「もしかしてうつ病では?病院行ってみては?」 → 「病院行くのは嫌だ。金もない」
「じゃ、家にある家財道具売ってみればどうだ?」 → 「売ってもいくらもならない。オクのやり方も知らない」
「いっそのこと、生活保護を申請してはどうだ?」 → 「俺みたいに若かったら通るわけ無い」
どうせこうだろ?
先週の1月17日、やはり自分の観測範囲にもいくつもの震災の感想みたいな投稿が流れてきて、色々と自分でも思うところがあったので書いてみようと思う。記憶違いもたくさんあるかもしれないが。
1995年当時、自分は神戸市長田区に住む18歳の学生だった。いつのまにか震災前と同じ時間が経っているということに今気づいた。
あの日、1月17日に提出しなければいけない課題があったので、朝3時くらいまでかかって課題を片づけようやく眠りに落ちたころに、まったく経験したことのないほどの揺れで目を覚ました。揺れで目を覚ましたというより、目を覚ますまでそれが揺れであるとは理解さえできていなかった。古く狭い家で所狭しと家具や家財が並べてあったので、自分の上にも多数の本が落ちてきた。本棚でなく本程度でよかったと、後から部屋を眺めて思った。とにかく、階下で寝る親が大丈夫なのかと傾いた階段を駆け下りた。造りの古い家なので隣家と土壁が共有されているはずなのに、割れた壁のところどころから外からの光が入ってきているようだということに階段を下りながら気づいた。隣家との間に隙間ができたのだろうかとぼんやりと思いながらも階下へと急いだ。部屋は恐ろしく家具が散乱しいくつもの食器が割れているものの、幸い親も兄弟もとくに怪我もなく無事だった。とにかく外に出ようと身近にあった上着を羽織り家族で家の外にでた。壁を共有するはずの隣家は、我が家と隙間があいたのではなく、完全に倒壊して路上で瓦礫の山と化していた。すぐ近くにも、1階が倒壊し瓦礫の上に乗る2階、のような家屋がいくつかあった。自分の家が半壊で済んだのは本当にたまたまだったんだと思う。普段、挨拶することもめったにない近所の人たちと会話を交わす。幸い崩れた隣家の人は無事だったようで、すでにどこかへ行ったとのこと。まだ外は薄暗く「今何時ですか?」と今思うと少し間抜けな質問をした覚えがある。まったく現実味がなかった。
母に促され近所に住む祖父母の様子を見に行く。祖父母の家は我が家以上に古い建物で密集して立っている。徒歩で15分ほどだが必死で走った。家はかなり崩れかけていたが、幸いにも倒壊せずに原型を保ち、二人とも怪我もないようだった。あとでもう一度来るから注意して暖かくして、と言い自分の家へと無事を伝えに戻った。今ほど携帯電話は普及していなかった。
家に戻るころには空が白み始めていたが、すでにそのときにはあちこちに黒い煙が空高く登っていた。家にもどり再び家の前で近所の人たちと状況を交換しあっているときだったと思う、どこかから「裏で人が埋まっている」という声が聞こえた気がした。気がしたのではなく聞こえたはずだった。でも、自分にはまったく現実味がなくどうすればよいのかわからず動けなかった。このときの自分の行動、何もしなかったという行為を今でも激しく悔いている。
そこからしばらくはよく覚えていないが、午前中には祖父母も連れ、家族で近所の小学校へ避難しようということになったようだ。たまたまその小学校は何年か前に立て替えたばかりの新しい校舎で、大勢の人に安心感を与えていた。学校へ着いた時点ではまだ給水タンクに水が残っていたようで、とりあえず持っていた水筒に少しだけ水を入れた。すでに大勢の人がいたが、とりあえず手頃な教室へと入り、家族、祖父母あわせて6人で2畳ほどのスペースを拝借した。あとから知ったことだが、早い段階で小学校へと避難し、教室へ入れた人は恵まれていたようだ。午後には教室や体育館といった室内はすでに足の踏み場もないほどの混雑になり、大勢の人が階段や廊下で寒さに凍えることになった。
誰かがポツリとどうしたらいいのか誰か指示してよと言うのが聞こえた。まったくそのとおりだと思ったけれど、絶対にかなわないことだし、自分をしっかり持たなくてはと思った。
自宅も祖父母宅も、周りは火の海になっていて、家まで火が来るのは時間の問題だと思ったので、とにかく貴重品と身の回り品を避難先の小学校へと急いで持ち出した。途中、小中学校のころの同級生とすれ違う。お互いよかったと声をかけつつも精神的にも時間にも余裕がなくそのまま別れる。
いつの間にか夕方になっていたけれど、相変わらず現実味はわかなかった。いつのまにか、誰かからおにぎりを頂いていたので食べた。小学校の教室で2畳ほどのスペースで6人で寝る。隙間で横になるものの、興奮して眠れないので諦める。校舎の外ではすでに自然発生的にできあがった自警団のような人たちがたき火を囲んで輪になっていた。
翌日、翌々日と何をしていたのかあまり覚えていないが、とにかく顔を洗って歯を磨きたいと思ったことだけは覚えている。3日も経てばそんなことはどうでもよくなった。幸い、食事に関しては小学校へ十分な量の支援物資が届けられ、あまり困ることはなかった。毎日歩いていた街が完全に焦土になっていることに強いショックと悲しみを受けながら、なんとはなく道を歩いて過ごす。今でも火事のあとの匂いや解体現場の匂いがすると心が締め付けられる気がするのはこのときの記憶とつながっているからだろうと思う。
このころ、テレビの広告が公共広告機構のものではなく通常のCMに戻った。避難先の小学校の教室では常時テレビがつけられていたので、CMが切り替わったことに大勢の人が不快感をあらわにしていた。
5日目くらい経ったところで、母親の友人が家へと招いてくれた。最寄駅はすでに焼失していたので、20分ほどかけて隣の駅まで廃墟の街並みを歩く。電車に乗り3駅ほど移動すると、まったく地震なんてなかったかのように日常の街並みが広がっていた。母親の友人宅で風呂に入り、暖かい食事を頂く。普通の家庭というものをひさしぶりに思い出す。電車に乗って帰り、また30分廃墟を歩いて小学校へ帰る。滋賀の親戚が祖父母を預かるとのことで、祖父母を送り出す。
1週間を過ぎたころ、担任から来られる学生だけでも登校するようにとの連絡が入る。片道30分歩いて電車に乗り、久しぶりに学校へ。やはりここも地震なんてなかったかのような日常そのままが残っている。何人もの同級生と抱き合って無事を喜びあう。
電車に乗って数駅移動するだけでまったく地震の影響を受けていない街が広がり、みんないつも通りの生活をしているということに理不尽な怒りと焦りを感じる。
あちこち綻んだ家を親の友人の大工に応急処置してもらう。とにかく散乱した家具や食器を片づける。家の前で切れてぶらさがる電線を関西電力の作業員に直してもらう。そんなことをしながら2週間ほど経つ。ガス、水道はないので自衛隊の給水車へ毎日ポリタンクの水を入れてもらい、カセットコンロで最小限の湯を沸かす。不思議なもので、ポリタンクやカセットコンロがこのころには十分な数が普及していた。おそらく支援物資として大量に届けられたりしたんだろう。ありがたいことだと思った。
1か月ほどして小学校から自宅へと戻る。ガスは相変わらず出ない。そのころから毎日ではないものの通学も再び始める。
テレビでは震災特番だけでなく通常の番組が流れている。いつのまにかオウム真理教のニュースが増えている。世間全体が地震のことなんて忘れているんだろうとやはり理不尽な怒りと焦りを感じる。そう思いつつも、自分には帰る家が残っていたが小学校には帰る場所のない人たちがまだまだいるんだということに思い至り、自分の理不尽さを恥じる。
あれから18年。いつのまにか地震前と同じだけの時間が経っていた。忘れてはいけないと思う。今でも東北では大勢の人が震災の真っただ中にいることを。忘れられることが一番つらいことだと思う。
最後まで駄文を読んでいただきありがとうございました。阪神大震災、東日本大震災で被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます。
「多様文化保存推進法が可決され、本日より施行される事となりました。」
「一昨年の秋です。」
「この国で失われつつある様々な文化を保全、維持する事を目的とした法律です。」
「それはすばらしい事だ。」
「ありがとうございます。つきましては、本法に則ってあなたにお知らせする事があります。」
「何だね。」
「当局で調査いたしましたところ、あなたの曾祖父様はこの国でも希有な生活様式を持つ地方のご出身ですね。」
「む、そうだったかな。祖父さんからそんな話を聞いたことがあったような、なかったような…。」
「そこで本法に則って、あなたにはこの文化の未来の担い手となっていただくことになりました。」
「ほう、私が。」
「はい。まずはあなたの曾祖父様がお住まいだった地域に移住していただきます。」
「何だって。」
「そして、あなたとそのご家族には、あなたの曾祖父様と同じ生活様式を送っていただきます。」
「ちょっと待て。曾祖父さんが送ってた生活なんて知らないぞ。」
「ご心配なく。こちらで既に可能な限り調査済みです。文化多様性保全委員会が住居や家財道具、食生活をはじめとする生活手段を網羅し支給いたします。あなた方はこれらを受領し、委員会が指定する生活様式を遵守するだけで結構です。」
「それは困る。私には今の仕事もあるし、曾祖父さんが住んでいた地域というのは、確か道路もないような山奥だったはずだ。」
「その通りです。近隣の市街地との接触も殆どなく、完全な自給自足を成立させていた希有な生活様式の方々でした。故にこの法律の名誉ある適用第一号となりました。」
「そんな場所に私たちに行けというのか。今の生活も何もかも捨て去って。」
「そういう法律ですので。」
「ふざけるな。断固拒否する。」
「残念ながら免除の制度はございません。本日の通知から六ヶ月以内に移住を完了しないと刑事罰が科されることになります。」
「しかし、本法は世論調査において八十四パーセントという高い支持を得ており、議会でも全会一致で可決、成立しております。」
「私や家族の人権はどうなるんだ。文化的な最低限の生活を送る権利が保障されているはずだ。」
「国民が文化的な生活を送るためには、社会に多様な文化が存在する事が不可欠なのです。これを拒む事は文化多様性の精神に反する事になります。」
「畜生、誰がこんな法律を作りやがったんだ。次の選挙ではそいつらには絶対に投票しないからな。」
「その心配は無用です。あなた方は本日の告知をもって公民権は停止されました。あなたの曾祖父様の生活において、選挙制度は無縁でしたので。」
http://anond.hatelabo.jp/20120529053547
確かにこれはひどいね~。もとますださんの言いたいことや、憤りもすっごくよくわかるよ。
けどねぼく、読んでて思いついたんだけど、やっぱり厳しくすれば制度はきちんと回るよ!
ど~いうことかっていうと、つまり、
とするんだ。え?意味が分からない?くたばれ差別主義者?想像力欠格した馬鹿乙?ネトウヨは市ね?ニーメラー様がみてる?
ひどいなぁみんな…。でもぼくはかんぺきにうまくいく方法を思いついたんだよ!
まぁちょっと長いけど、ぼくの話を聞いておくれよ!
まず大前提を思い出してね。
生活保護は民法で定められている扶養義務者がゆうせんするってなっているよね。
なのでみんなでみんぽ~を読んでみよう。民法には三親等に扶養義務としている事が書かれているね。三親等というのは、本人から見て、曾祖父母、ひ孫、従姉妹まで含まれるわけさ。ここは血のつながりは関係無くて婚姻者や養子も含まれることになっているよ。
だからこの規定をがんばって厳格に適用しよう!三親等までは扶養義務があるって事を周知徹底して、お役所には三親等に含まれる全員が困窮している事を示すために、過去の戸籍や記録を徹底的に調べ上げて三親等を地の果てまでも追いかけ、資産を金融不動産はもちろん、家財に至るまで全部出させるんだ。その上で三親等全員が生活保護の基準に達していないと生活保護の受給はできないようにする。もちろん、資産がある場合は扶養義務を負わせるんだ。まんがいち扶養義務を履行しなくて何かあった場合は保護責任者遺棄致死でブタ箱入りにするんだよ!だから強制的だね!
え?それじゃ何も解決してないって?くたばれクズ?
ちっちっちっちっ
よ~くかんがえてごらん?しかし、だよ?三親等というのは本人からみた関係になるわけ。本人から見た関係と言う事は、中心になる本人が変わると三親等に含まれる人も変わってくる。ここでティン!と来たあなた、そう、君はぼくぐらいあたまがいいね!
こうやって人を変えて三親等の範囲を繰り返していくと、ほら! 人類はみな三親等で繋がっているんだ!
三親等で扶養義務認定を繰り返して義務を負わせていけば、社会全体がみなお互いに扶養義務を負うことになって、みんなで自然にささえられる!すばらしい!
ほら、いえいりさんってえらいひとが言ってたでしょ「インターネット界隈の方々人類は裏でみんな繋がってるという事であります。」って!
ね!すごいでしょ!
でも、3親等は扶養義務があるとして資産の詳細とか提出させるのって大変だよね…。調べるだけでお役所はパンクしちゃうね…。
それによく考えたら連鎖的にみんな扶養義務を負うんだけど、扶養義務が絡まった扶養義務ネットワークの中で、ある所で困窮者が連鎖的に発生すると、そこから連鎖的に困窮者が広がっていくことになっちゃうかな…?
つまり、連鎖的に困窮者が広がっている状況で、困窮者の三親等以内に入った人は、それより前に困窮者になった人全員を間接的に扶養する義務を負うことになっちゃうね…。こうなるとたまたまものすご~いお金持ちとかが混ざってない限り、連鎖的にみ~んな困窮者になっちゃう…。
もし、扶養義務ネットワークの中で困窮者が連鎖的に広がっているそのフチに接している人たちがみんなで支えることにするとしても、ど~やって負担のお金をきちんともらってくばったらいいかな…。ど~したらいんだろう…………。
これはまずいね…あ!でもだいじょうぶだ!
よく考えたら、いずれはみ~んな三親等で繋がっているんだから、直接繋がりのある人だけにお金を出させたって、結局その人の資産がなくなっちゃったらみ~んなで負担しなきゃいけなくなるわけだよね。そうしたら生活が破綻する人ばかりふえたりしてそれはすごく不合理だね。何しろ三親等とはいえ自分以外の影響で人生駄目になっちゃうんだもの不条理って言ってもいいかもしれないよね。
そんな事になるんなら、あらかじめみんなからお金を少しずつ集めておいて、困った人の生活を保護して上げる仕組みにすればいいんじゃないかな!?
ほら、こうすれば三親等以内に困窮者が現れたとたん、強制的に資産が没収されて困窮者の仲間入りなんて事はなくなるしいいよね!そりゃ多少はずるする人は出るかも知れないけど、連鎖的にみんなが困窮者になっていって貧困に陥り、社会の基盤が崩れていく事をおもえば、その程度は許容したっていいよね!だから審査はある程度甘くして、そのかわり可能な人には、がんばってしえんがなくても暮らしていけるようにお金以外も支援しよう!
よ~し、これは良い仕組みをおもいついたぞ~。いまきめた!ぼくこの案をもって国会に打って出るよ!
そのためにまずは名前を考えよう。こういうのは分かり易いキャッチコピーが大事だよね。
そうだな~…うーん…………。
生活をみんなで保護して上げるんだから、生活保護って名前でどうだろう!
分かり易いよね!後期の高齢者のための医療制度だからこうきこうれいしゃいりょうせいど!っていうぐらいわかりやすいね!いやあ!ぼくって天才だ!
これだったらきっとかたやまさんやせこうさんも支援してくれるよね!
絶対だよ!