はてなキーワード: 地区とは
見ないでおこうと思う。
別に興味がないわけではないけど、見たら負ける気がするから、日本のために見ないでおく。
そんなことを考えていると、私の高校時代のことを思い出した。私は陸上部で短距離だった。陸上が大好きだった。そして、チームメイトも大好きだった。でも当時は今よりだいぶ拗れた人間だった。私が望むことは全て裏目に出ると思ってた。
だから、高校三年の陸上の駅伝の大会のとき、近畿大会への出場がかかった大事な大会のとき、凄く応援にいきたかった、現地で皆に声をかけたかった、皆が真剣に地区大会突破を目指していることを知っていた。だから当日、応援にいくのを辞めた。
結果、チームはギリギリ地区大会を突破した。最終区間で逆転し、滑りこんだらしい。
見たかったって思いより、皆の努力が実ってよかった、行かなくてよかった。と思った自分がいた。まわりに受験勉強優先したんだろうと、薄情に思われてたみたいだけど、それでもよかった。と思っていたと思う。
なんてことが、今日の試合を前に久方ぶりに頭をよぎった。あー、あいつのアンカーの逆転シーン、生で見たかったなー。今度飲みに誘おう。
いや、偏差値が地区で最も高いような高校の生徒の9.9割は学業に関してはクソ真面目でつまんねえんだよ
何が楽しいのやら
最初のテストで成績悪かった奴もあたかも勉強できることが正義であるかのような考えを持ってるから真面目に勉強してやがる
そういう学校(指導要領)で習う勉強がいかにできるのかということでしか人を判断できないようなプライドの高い連中ばかりで呆れるわ
これこそ当に糞ジャップの新卒優遇、学歴差別というクソ文化の元凶だろ、ボケ!
別の高偏差値高校に行った友人は俺のこの考えを理解してくれたが、俺の高校でこんな意見を唱えようものなら勉強が出来ない言い訳だのくだらない批判を受けることは目に見えているわ
うぜえなほんとに
むかーし学生時代にポスティングのバイトを1日だけやったことがあった。
マンションの一室に行って配るチラシをもらいこの辺りを頼むとお願いされた。
その時経験者の人がいて、「ポスティングはこうやるんだよ。なんてただポストにいれるだけ。ガハハ」と笑っていた。
外に出るとその人は早速ポストにチラシを入れていた。チラシ不要のステッカーが貼ってあるのにお構いなしだ。
自分も任された地区に行ってドキドキしながらチラシを入れたら何してんだとそこの住人にこっぴどく怒られて、こんなバイトするんじゃないよと長時間説教を受けて、最終的に1000円もらった。
結局チラシは全然配れず、会社の人に謝罪して、ポスティングのバイトはそれっきり。
今も会社に行く途中にポスティングしている人を見かけるが、皆バシバシポストに入れていく。
その動きに迷いはない。
タイミングを見計らってるの?それとも怒られたらすみませーんって軽く流すの?
走って逃げるの?
会社はどこだ?とかとにかく凄い怒る人沢山いそうなものだけど……。
それが未だに不思議です。
ハワイ島の東の果てが噴火で大変そうである。ただ、あの噴火の起きてるあたりはあんまり観光客が通る所ではない。
もう大分昔前の話だが、ベタな僕たち夫婦はハワイ島に新婚旅行に行ったのだった。両方とも結婚式とやらは頑としてやる気が起きず、その結果、双方の両親から若干多めの祝儀を頂いたので贅沢が出来るという事情もあった。カミさんは英語とフラが出来、僕は運転と旅行の手配が出来る。なので、あの辺を旅行するにはちょうど良いコンビ。長い協議の末、僕らはレンタカーで島を半周して帰るという1週間の旅程を組んだ。
今も当時も、ハワイ島の活火山というのは観光資源だ。島の南側の内陸には直球すぎる「ボルケーノ」という地区さえある。僕らは道中そこで一泊して、溶岩流が流れているのを見物しに行くという計画を立てた。これをすると、今噴火しているレイラニの外縁をかすめて海まで下る道を通ることになる。
さて、その道のことだ。ちょうどそのレイラニの外縁をかすめるあたり、若干曇りがちの道の先を歩いている人が道に向かって親指を立てている。今なら「いいね!」だが、フェースブックはまだ有名じゃない。万国共通ヒッチハイカーだ。
僕は全くそういうことをする人間じゃない。しかし、なぜだかこのときはやや急ブレーキ気味に車を止めた。カミさんはやや不審そうに僕の方を見た。
ハイカーは、若干ヒッピーっぽいというかサーファー風というか、こ汚めの白人の男である。おっさんとまではいかないが、そこまでは若くないはずだ。たしか空のペットボトルがいくらか入ったビニール袋を持っていた気がする。まあ、とにかく若干怪しい風体ではあった。だが旅の気楽さか、アロハの心が移ってきていたのか、とにかく、気まぐれで僕は車を止めて彼を拾った。向こうも向こうで、謎の東洋人夫婦をみて少し面食らったようだった。止まってくれればラッキー程度の軽い気持ちだったのかもしれない。そういうこと、あるでしょ?
後部座席に収まった彼が言うには、僕たちの行こうとしている溶岩流へのちょうど道なりにしばらく乗って行けば、大分歩かなくて済むらしい。天気も怪しい。一方で僕たちも寄り道はせずに済むので、彼が言う辺りまでのちょっとの間、一緒にドライブをした。まあ、こういう時どうすればいいのか、よく解らないのはお互いさまだったと思う。そして彼が言う地点で車を止めると、別れ際に礼のつもりなのか、やはり何かの気まぐれだったのか、こんなことを言い出した。
「いいか、君たち。この先の道を行って、何某というところで曲がって海に出な、そこの夕陽は、それは見事なものだ。今日はちょっとダメだけど、明日は晴れるであろう。見て帰ってくれ。乗っけてくれてありがとう。絶対見てくれよな」
ただ残念、僕たちには僕たちの予定があったし、彼には信じがたいことかもしれなかったけれど、次の日にはまた別の街まで進まなきゃいけないのだ。だから僕たちは彼にやっぱり礼を言ったけれど、そこに行くことはしなかった。その後も今までもう一回ハワイ島に行くことはなかったし、国内含めて-そもそも国内ではあんまり見ないけどねー、ヒッチハイカーを拾ったのはこれが最初で最後だった。
テレビのニュースを見て思い出したのは、あの男である。火山に追われ、避難先でインタビューに答える住人は、なぜかやっぱり若干小汚くヒッピー或いはサーファー風味。あの男ではないにしろ、なんとなくその風体は、彼を思い出させるものだった。まあ、今思えば普段着なんてあんなもんなのかもしれないけれど。
とにかく、あいつは息災だろうか。
同じ地区の幼馴染
彼女の恋人が私の行っていた大学の方の地方の出だったとか、そんな縁だったと思う
面倒見の良い振る舞いは小学生の頃の印象そのままだった
私は妹の名前で呼ばれながら最後までそれを訂正することなく電話を切った
それ以上彼女と連絡を取り合うことはなかった
彼女にとって私は名前すら妹とあやふやになる程度の友人であった
きっと彼女は私というよりは私の家と友だちだったんだろう
○○さん家の娘さん と友だちづきあいしている、という解釈なのだ、きっと 親御さん達目線の
普通の人の記憶がいいかげんであること という理解もできるけどたぶんそうじゃない
彼女が私を私個人として認識していなかったと考える方が適切な認識だと思える
もう十数年前の出来事になるが、ふと思い出したので書く
というもの。
シャボン玉石けんのサイトにも同じものがあるので、新聞が見られない方は
ぜひご覧になって欲しい。
香害 こうがい | シャボン玉石けん
https://www.shabon.com/kougai/
「たかが柔軟剤ごときで」と、その実情を知らない人は笑ったりバカにしたりするが、
(実際、柔軟剤を過剰に使っている人が周囲の香りに全く気がつかなかったという事例も出ている)
「海外ではこういう香りが流行っているんだから」と流行になってしまったが、
いまや海外からの旅行者の方が日本人よりも香らないという逆転現象が起きている。
「スメハラ対策を!」とマスコミが騒ぎ立てた結果が、逆に柔軟剤臭さで海外から嫌われるという結果になったのは
シャボン玉石けんの広告は大手のメーカーやそれに協力してしまったマスコミや行政への真面目な挑戦状だと思う。
しかも、強く反対の姿勢を取るのではなく、読んだ人々に対して「考え方を見直すいい機会ではないでしょうか」と
提案しているあたりが控え目ながらもしたたかな感じがして、とても良いと思う。
本当に、行政や政治家はお金や体裁よりも、本当の意味で国民の健康を考えて欲しいです。
そして、国民も国まかせにせず、一人一人が賢くなって、体に悪い物を選択しないように注意すべき時代が来ていることを
自覚した方が良いと思う。
ニュースを見ていてもわかるように、今の行政や政治家は自分達だけが良ければ他はどうでもよくて、決して国民を守ってくれない。
安全な製品ばかりが店頭に並んでいるわけじゃ無い。(海外に比べると日本の安全基準はあまりにも酷い)
そういうこと、みんなよく考えてみて欲しい。
牛丼食ってて、目の前で新人っぽい子が怒られててメシが不味くなったので思い出した。
もう10年以上前にコンビニでバイトしてたが、そのとき言われたのは「休むな、仕事は何処にでもある、探せ、動け」だった。
当時、学生だった自分は素直に従っていたけど、今となってはどうなのかなーと思ったりする。
今、会いに行くと嬉しがってくれたりしてホントにいい人なんだけど、仕事に関しては「コッチが金を払ってるんだから、無駄ゼニを使わせるな」感満載だった。
時給1000円程度で能動的に働かせるって結構酷使してるよなぁ。
都心の居酒屋とかコンビニとかスタバは忙しいところは地獄のようになっていて同じ地区なら他とあんまり時給変わんないんだよな。
まるでリアリティがない。
周りの子(の母親)がそういう事を一切してない幼稚園ってあるんだろうか?
余程の貧困地区なのか?共働きとは言え、子の面倒を上の子に押し付けている両親って時点でネグレクト気味だし
(でもそういう所だと新しい袋を使え=新しくもう一つ買え、と言えないと思うんだけど。当然親の負担増えるし)
そうでないのなら、元々「華美な服装は慎むべき」と言う(例え明確な規則としてはなくても不文律として)文化がある幼稚園で
「友達が羨ましがったから禁止」ってのも増田妹の勘違いであり、実際はそういった理由である、のかも。
キャラ弁も明確に禁止ではなかったとしても「食べ物で遊ぶような事は慎むべき」って教育方針の場合もあるので、やはり空気を読んで誰もやらないだけとか?
私はあの大学アメフト問題について、当該の学生たちは大変だろうな、と思っている。それは自分の中学生時代を思い出したからだ。
特定を避けるために細かいところはぼかすが。あるジャンルの部活で昔は全国大会で何連覇とかしていた、かなりの有名中学校。我々はその《すごかった時代》が終わって10年とか以上してからの入学生だった。
昔、そんなことがあったなんて知らないで入学してなんとなく入部して。でも伝統の誇りとか、部活の決まりとか、先輩との上下関係の厳しさとか、卒業生に練習を見ていただけるように連絡を取るとか、システムだけは生き残っていた。
公立中学だから先生は何年かしたら変わるわけで、あのすごかった時代の先生はすでにまったく関わってなくて、ただシステムだけが生徒から生徒、先輩から後輩に託されて、黙々と動いていた。
でも、自分の世代は、そんなにもう全国大会とか行けるようなレベルになれるとは思えなかった。もちろん、一生懸命に練習してはいるけど、行けるレベルは中学生なりに分かっていた。先生もその部活のジャンルの専門家というわけではないし、コーチも来てくださってはいたけど、やっぱりあの《本当にものすごかった》頃を再現できるとは思えなかった。
3年生が引退して部を引き継いだとき、自分たちにできることは、今はもう意味のなくなった理不尽な厳しさを捨てて、自分たちの下の世代を、もっとのびのびとさせてあげることじゃないかとみんなで考えた。先輩のことは尊敬もしているが、一方で相当に嫌な思いもしてきたからだ。顧問の先生ともそのような方針で一致した。先生も生徒同士で勝手に厳しすぎて、中学生らしくないとお考えだったのだ。
3年生の春になった。部活の決まりや理不尽な様々なこと、厳しすぎる上下関係について、新1年生にはそういうことを教えなかった。新2年生にははっきりとは方針を言わなかったが、秋の引き継ぎの時からの空気感でなんとなく伝わっていたようだ。おかげでやりたいことをのびのびと後輩と仲良くやれた。そのせいで1つ下の同性の後輩に恋までしてしまい、告白したが前向きに玉砕したのも今ではいい思い出だ(Tさん、あの時は心底から困らせてしまって本当にごめんなさい。でも笑って許してくれた素敵な後輩で、自分だったらああは対応出来なかった。今でも誇りに思っています)。
さて…夏の大会もそれなりに完全燃焼して終わり。やっぱり勝てなかったけど、それは後悔していない。
大会の翌日、荷物を取りに登校したら、先生が職員室で事後処理をしながら妙にサバサバニコニコされていた。
何十代も先輩から引き継いで来たものを勝手にぶち壊しにした自責感、楽な方向に逃げて卑怯だったんじゃないかという気持ちはずーっとあって、相当に悩んでいたから、先生には本当に救われた。
我々は2年生後半に部を引き継ぎ、夏の大会までの1年間、そしてその先も、卒業生の皆様方とまったく連絡を取らなかったわけで、色々と薄情者と思われてしまっただろう。それも覚悟の上の決断だった。全国大会で成績を残す、古豪復活、ということを夢見ないではなかったが、それよりも自分たちの足元を見つめての活動だった。先輩方には大変な非礼だったかもしれない。でも、現役生としては実りのあることができたんじゃないかと思う。
秋になり、部活の運営はTさんたち、我々よりもしっかりした頼れる後輩たちに安心して託した。それでも練習だけは受験ギリギリの11月下旬までやらせてもらい、なんとか第1志望、地区内公立での最難関高校に合格した。その高校は特にこの部活の強豪というわけではないが、その顧問の先生は形だけ見守る感じで、生徒は自分たちのペースでじっくり研究しているスタイルが気に入っていた。その高校でその部活をやるためだけを考えて、3年生の春からの部活と受験勉強とをしていたから、本当にうれしかった。ジャンルは野球では無いが、ちば先生の《プレイボール》に運営の雰囲気は近いだろう。まあ、あんなに夜中までとか練習しているわけではなかったけれど。おかげで、今でもそのジャンルのことは大好きだ。
ところで、あの時の中学の顧問の先生は、我々の入学と同時にうちの学校に着任され、我々の卒業と同時に退職された。我々が最後の生徒たちになるって、もしかしたら早くお決めになられていて、だからあの夏の大会の翌日、妙にサバサバされていたのかもしれない。
我々の卒業後。3年になったTさんたちは、新任の顧問の先生がこのジャンルの経験者だったこともあり、のびのびと前向きな努力で地区大会で勝てたと聞いた。大会を見てはいなかったが、自分のことのようにうれしかったし、やっぱり我々の決断は間違っていなかったと思った。あのまま厳しさを貫いていたら、Tさんたちはこのジャンルを嫌いになってしまったかもしれなかったから。
長くなった。
あのアメフト部とは状況は全然違うけど、伝統を捨てたら捨てたで、そのジャンルを追求する熱い日々は待っていてくれるに違いない。
なんのジャンルの部活にしても、みんなでそれを追求し、熱くなれるのには変わりはないはずだ。
彼らがどうか、前向きな大学生時代をまっとうできるように祈りたい。
私などには想像も出来ない、大変な経験をなさっていると思う。どうかこれが、学生の皆さんの人生において、良き糧になりますように。
当方、都内の地下鉄駅で自殺未遂を起こして現在休職中のゆとり世代のダメ人間。うつ病にASDのデスコンボを喰らった。
自分の食事の用意と洗濯物の取入れ以外の家事もしなくていいので基本的に気が楽である。
しかし実家はド田舎である。バス停やコンビニに行くのに片道徒歩1時間かかる場所である。
その上相互監視の目は光っており、平日の昼間に散歩していただけでも陰口をたたかれるどころか、最悪不審者認定される地域である。
ネカフェのような気晴らしできる場所もない。図書館すら遥か遠くにある地域である。
そもそも運転免許も持っていない。家に自転車すらない。病院の日を除いて、事実上実家に軟禁されているような状況だ。
父親は優しいが抑圧的な側面を持ち、母親もそれに同調する感じである。家族一緒にいると一抹の息苦しさを感じる時もある。
そもそもいい大人が年老いた両親に病気を名目にパラサイトしている時点で罪悪感を感じてしまう。
だからといって東京の自宅に帰ればどうなるか。確かに平日の昼間に歩いていてもスルーされるだろう。
気晴らしの場所だってたくさんある。両親が抑圧してくることもない。そういう意味では気が楽だ。
しかし一人暮らしのためすべての家事を一人でこなさなければならない。肉体的にも精神的にも相当な負担がかかる。
自分には友人がいないため、東京に戻れば孤独の身になってしまう。
その昔、武田鉄矢が「うるさい親ほどあったかい」ってCMをやっていた。息苦しくても傍に家族がいないのは寂しい。
それらの負担により症状がぶり返す可能性だってある(というかぶり返して実家に戻る羽目になった)。
単なる甘えだが、実家のように気が楽で、東京のように気が楽な場所はないものか。
症状が重篤だった時は「楽な場所=あの世」だったが、今は「楽な場所=首都圏以外の大都市圏のホテル」になっている。
具体的には南九州と東京の中間にある京阪神地区である。そこいらのビジネスホテルで孤独感を感じない程度(3日~1週間)に休みたい。
それを家族にカミングアウトすれば心配という名の説教が待っている。何も言わずこっそりと出て行きたい。
自殺志願から家出志願になっただけでも症状は改善されたのだろうか。
奈良県のせんとくん、経済効果が2105億円だか何だか知らんけど、いろんなもんが多過ぎ
まわしを締めた「相撲せんとくん」、桜の花が頭を飾る「桜せんとくん」……。現在、オリジナルのせんとくんを含め、8パターンのデザインが存在する。
県の使用指針には「違う要素を加えたり表情など細部を部分的に加工することはできません」と著作権保護のため、厳格な規定がある。テーマに沿ってせんとくんをアレンジするには、その都度、新たなデザインが求められるのだ。
県は売り上げや製作費用の3%をライセンス料として納めることなどを条件に、商品や広告に利用することを認めており、遷都祭があった10年度には約4900万円の収入があった。
ところが祭りが終わって一段落した11年度は、699万円に激減。同年に県のキャラクターになったのを機に、県は12年度に、「官服」「桜」「紅葉」の3デザインを追加しててこ入れを図ったが、各地に次々と特徴的なゆるキャラが誕生する中で存在感の低下は否めず、16年度は154万円にまで落ち込んだ。県は先月、さらに「はかま姿」を投入し、起死回生を狙う。
通称「海づくりせんとくん」。2014年に開かれた「全国豊かな海づくり大会」PRのため、前年に誕生した。デザイン料約60万円、着ぐるみ代約180万円をかけて作成したが、大会終了後は大型商業施設でのアマゴ販売イベントなど、3回しか登場していない。
県農業水産振興課の一角で、「海づくりせんとくん」は箱に納められている
昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」に登場した通称「はかませんとくん」も、同様の状況に陥る危機にある。デザイン料約60万円、着ぐるみ2体計約330万円をかけて生み出したが、運営を担った大会特別課そのものが、来年度にはなくなる見込み。
実は、私たちが目にするせんとくんには、2種類があるらしい。県の主催事業や県外で催されるPRイベントで会えるせんとくんの多くは、プロのスタッフによるもの。自治体が主催する小規模な行事などでは着ぐるみを貸し出すだけで、自治体職員などがその役目を引き受けているという。県観光プロモーション課幹部は「時々、『元気がない』と指摘をもらいます」と明かす。
ツイッター社の公式マークがついているのが「せんとくんのつぶやき」だ。
奈良県庁の担当者によると、こちらのアカウントでは、主に奈良県全体に関わる情報を発信しているという。もう1つのアカウントが「せんとくん 《OFFICIAL》」で、こちらはせんとくんの活動報告などをメインに発信している。
ツイッターでは奈良県庁が管理する公式アカウントのほか、非公式アカウントもあり、人気のものではフォロワー数は7万を超える。
県ならの魅力創造課の担当者は「問題になる内容はなく、目くじらを立てるつもりはない。持ち味の違う2人のせんとくんを楽しんでもらえれば」と静観しつつ、「公式のフォロワーも増えればありがたい」と期待する。
※なら和み館の場合
「今は売り場のほとんどが『しかまろくん』で、『せんとくん』の売り場はここしかありません」
奈良市観光協会が5年前に作った「しかまろくん」に追いやられてしまっています。
【土産物店の人】
「『しかまろくん』のほうがやっぱり。『せんとくん』は商品がかなり少なくなっている」
お客さんが手にとるのも、「せんとくん」ではありません。
【子供は】
「駅前の土産店なんですが、他のキャラクターグッズに比べると、せんとくんのグッズはやや少ないように感じます」(記者リポート)
店内には奈良市観光協会のマスコットキャラクター「しかまろくん」が所狭しと並んでいて、せんとくんは片隅に追いやられています。
「だいぶ減りましたね。遷都1300年祭が終わった年くらいから、問屋さんが在庫で終わらせていくみたいな感じで」(土産物店)
「俺はオーナーだから」「俺は経営者だから」「俺がこの地区の雇用を供給している」とか。バカじゃないのって。大手コンビニの看板を借りてるだけじゃん。問題が起きたらすぐフィールドカウンセラーに文句。気に入らなかったり失敗したら本部に文句。クレームがあっても本部に文句。お客にはフィールドカウンセラーに伝えておきます。本部に伝えておきます。店はその場だけ謝罪すればあとは全部本部がやってくれるからどうでもいい。出入りの業者への態度は横暴でいい。大手コンビニだから不衛生でも無愛想でも、とりあえずお客は来るし。それでお客が減って売り上げが少なくても心配いらないよね。だって給料の最低保証があるもん。努力しなくたって最低保証してもらえるもん。そういう契約で看板にたっかいお金払ってんだから。自分の力じゃないのに偉そうに経営論とか語ってるの聞いてるともうね、自分に酔ってんじゃねーよバーカって。あんたがつくったシステムじゃないだろう。用意されたもので看板使ってるあんたに何のリスクもないだろう。そんなに偉そうに経営方針を語るならさ、大手コンビニの看板はずして、いちからスタートしてみてよ。土地探して、品物揃えて、お客様呼んで。どれだけ大変か。まちの商店のほうが経営努力すごいわ。いろんな事ちゃんとしてるわ。学生に職場体験的なことしてたり「お仕事とは」的な話してるけど偉いのは大手コンビニのオーナーじゃないよね。自分の努力で経営出来てる小売店主の話のほうが為になるんじゃないの?私は経営を語るようなあたまも無いし努力も出来ないし大手コンビニの看板借りるお金は別のことに使いたいからやらないやりたくない。
大手コンビニのオーナーって、組織に属せない変わり者が多いって聞いたことあるし。