はてなキーワード: 何だかとは
元はてな・GREEのプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。[前編]
http://careerhack.en-japan.com/report/detail/34
自分が作ったサービスのはてなブックマーク上で、ネガティブなコメントがたくさん発言されるようになって、ブログの運営者から名指しで批判されたこともあります。「はてブのせいで…」という言い方で非難されることもありました。それをみて「何だか悪いもの作っちゃったのかな…」と責任を感じたようなときも正直ありました。
最近の村事情は知らないので3年ぐらい前の知識で書くけどさ、otsuneとかkanoseとかekkenとかHolygrailとかono_matopeとかululunとか。
相手の感情を顧みないでチクチクと自分の言いたい事を言いまくるこの辺のユーザーをnaoyaはどう思ってるのか。ぶっちゃけてよnaoyaさん。
この辺のユーザーの発言によってはてブの空気が相当歪んでしまったっていう実感があるんだけど、もうサービスには関わっていないのだからぶっちゃけて語って欲しい。
ぶっちゃけたら楽になれるよnaoyaさん。
10年前であろうか、家畜の死肉を炭火で愚弄するアルバイトを終え、
国道134号線の高級レストラン「ガスト」にてアルバイト先の雇われ店長(とはいえ同い年の)とディナーをしていた時の事である。
運ばれてきた馬鈴薯の揚げ物などをつまみつつ、ふと顔を上げると雇われの顔色がすぐれない。
私は嘔吐恐怖症である。かれこれ15年間、じぶんでは嘔吐をしていない。我慢しているのである。
狼狽えているのを悟られまいとしながら「早く便所に行け」と促したが聞かず、ぐったりするばかり。
そして溜息を吐きながら雇われは水を飲んだ。また飲んだ。コップ1杯をペロリと飲んでしまった。
ものの数十秒であっただろうか、雇われは口を開いた。
「治った。脱水症状だったようだ」
確かに炭火を使う仕事故、水分補給はかかせないのだ。水を飲む時間さえ忙殺されていたのかと悲しくもなったが、
仕事が終わって数時間は経っていたので、雇われがただの鈍感であること、またそれはよく知ったことであった。
むしろ嘔吐恐怖症の私の心情を弄んだ事に怒りをひと通り巡らせたのち、安堵し食事をした。
いつも雇われと食事をする時は、ありきたりな愚痴や、先の見えない将来への不安などであった。
後ろ向きな話をしながらだらだら飯を食うというのは気心の知れた中でしかできない。
腹を満たした我々は、プロレタリアート特有の紙巻たばこ、セブンスターズを口に咥える。
しかし咥えたはいいがライターを車中に忘れてきたようで、火を付けられずどうしたものかと天井の照明と、意味不明な壁画を眺めながらその旨を雇われに伝え、彼のジッポーを拝借した。
雇われは薄笑いを浮かべていた。その意味はすぐに了解できた。ジッポーの石が切れていたのである。
私は何だか面白くなってお前もかとひとしきり笑ったのち、急に偽物の真顔を作り「10秒以内にライターを買ってこい」と雇われに100円玉をポンと投げた。
幸い、この高級レストランではレジの横にライターが置いてある。
他にも、密封されているにもかかわらず鼻をつくにおいを出す欧米の駄菓子や、子供用の玩具やキーホルダーなどが完備してある。
誰がキーホルダーなどここで購入するかは皆目見当がつかないが、いつ見ても置いてある。
雇われはライターを買いに行き、ホラよと寄越した。
彼はパシりにされた腹いせか、キャラクターの描いてあるライターを買ってきた。無地もあっただろうに…
私はそれのキャラクターを見て、素人が適当に書いたようなキャラクターだな、だの、またどこかの代理店が流行らそうと躍起になっているな、などと愚痴をいいながらセブンスターズに火をつけた。
雇われもそれで火をつけながらライターをまじまじと見ながら「リラックマと書いてある。程度の低いダジャレのつもりか」などとつぶやいていた。
世の人のすなるブログといふものを、我もしてみむとてするなり。
■さっきコンビニで買い物をしてたらなんか男の人がじーっとこっち見て来た。
何ですか?って感じでこっちから見ても目をそらさないし、レジで買い物済ませた後もなんかゆっくり付いて来る。
コンビニを出た所でそっと近付かれ、追い抜かれ際に「尿検査?」って言われた。
はあ?って思ってたら私が着てたパーカーの背中を指さしてどこかに行った。
家に帰って調べたら疑問判明。パーカーの文字「urine analysis」って尿検査って意味なの…
教えてくれてありがとうキモイお兄さん。私が先日教えて頂いた尿検査女です。近所の買い物用のパーカーだったけど今は部屋着にしてます。毎日尿検査です。
■オタクの癖に萌系が嫌いな友人とヴィレッジヴァンガードに。
「うっわ入浴剤も萌えなの!引くわ~風呂くらい普通に入れよオタクどもwww」
「お。やばい。これ買わなきゃ。いや買った。もう買った」
この反応が面白いので一緒に買い物行くと退屈しない。
人間関係で嫌な事があったからM:tGのカード(約2000枚)を全部売ろうとカード専門店に行ったんだけど、2店舗で買い取りを拒否られて、3店舗目でやっと買い取って貰えた。
枚数が多いから駄目とかじゃなくて、私が彼氏や夫の持ち物を勝手に売っ払おうとしている様に見えたんだって。
どうやって自分の物だって証明しようか悩んでたら、その店にたまたまぎゃざのバックナンバーがあって、当時私が出ていた大会の記事に私の名前も載ってた。これ見せてようやく信じてもらえたよ。
買い取りが始まっても枚数が枚数だから時間かかりますよって言われて、もう限界に来ていた私は「1枚1円買い取りでいいですお願いします文句ありません」って強引に押し切ってレアリティガン無視で2000円で売っ払った。
あああああーーーーヤフオクにでも出すんだったああ。
■当時オカルトにはまっていた10歳の私。或る日雀の死体を見付けたので持ち帰り、呪文を唱えて自作の御札にくるんで爪と塩を盛って電子レンジに入れ『禁断の!死者蘇生術!』ごっこをしていた。
加熱したら死体は破裂して悪臭が台所中に充満し、見付けた父から凄い剣幕で怒られてお尻を幼稚園の時以来に叩かれていると正にその最中私の初潮が始まった。
「す、雀の呪いいいい!!あ゛だじ死゛ん゛じゃう゛ぅーー!!」と泣いて脅える私に父が怒りながらも懇々と生理の説明をし始めたのが今もトラウマ。
「ちゃんと墓を建てないと雀は成仏できないぞ!」と雀のお墓を植木鉢に作らされてからは、半年位虫のお墓作りが私の密かな習慣だった。
■駅ビルのトイレを出たらこっちを真面目な顔で睨んでくるおっさんが目の前に居た。「今、中に誰か居ますか?」って訊かれたので居ませんでしたよって答えたら「男子の方いっぱいなんです!すいません入ります!」って言いながらおっさんは女子トイレに入って行った。
私に言われたって許可なんて出せないよー。
男子トイレで漏らすより女子トイレで用を足す方を選ぶの、社会的には後者の方がまずい気がする。
女子トイレに入って解雇は有り得てもうんこ漏らして解雇とか無いし。生理現象の切迫感は解るけど、次入った女の人は呼ぶんじゃないか警備員。
■今帰宅。今日はさっきまで乗ってた電車がおかしかった。乗った時にも何か違和感有ったんだけど、ぼんやりしてたから2駅位経ってから気付いた。
乗車率は座席が全て埋まって何人か立っている程度で、乗っているのは高校生からおじいさんまで全員男。いつもは普通に女の人もいるのに。
朝は女性専用車両だったから余計に異世界感があった。あの光景は写真撮っておきたかったかも。
■某高級百貨店の前を通る度にここの面接を受けた時の事を思い出す。
私はコンシェルジェとして受けたんだけど、三次面接の時実際に起きた問題と解決の事例集を見せられて、自分ならどう対処するかを訊かれた。
『客の子供が商品を壊した。親は謝罪をしているが弁償はできないと言い張る。当時の担当者は最終的に全額弁償させた上、その客を常連客にした。どういう対応が考えられるか』
『難聴の外国人観光客が助けを求めてきた。どう要求を聞き出すか。当時の担当者は3分で対応を完了した(確か答えは、難聴者がたった一人で海外旅行をする事は少ないと推理し相手の名前を教えて貰った上でその名前を館内放送に流し連れ合いを見付ける、だった)』
みたいな。その想定問答集の中で
『常連客から愛人に成らないかと誘われた。どう回答するか』という問題が有って今でも忘れられない。
この種の問題は捻った回答が求められるという事は知っていたけど、私の思いついた答えは丁重に断る、という何の捻りも無いものだった。敢えて捻りの無い答えも大切じゃないかと思って。
他の人の回答は、受け入れ姿勢を見せつつ非現実的に厳しい条件を提示するとか、警備員を呼ぶとか。
私の隣の人は「得意のスペイン語で捲し立てて煙に巻く」で、その場で披露して面接官の笑いと感心を掴んでいた。
結局の所私はここに落ちたんだけどこの人が受かったんじゃないかと思う。
それにしても、小中高大と16年間勉強して面接に備えては頓智力を鍛えて、それでやる事は愛人契約のうまい断りって、かなり割に合ってない。
■先月からうちの職場にも今更ながら婚活ブームが来た。というのも、まだ40代前半の先輩(女性。性格はキツイけど見た目若い)が先月おばあちゃんになったから。
30越えの女子社員は全員化粧への気合いが先月と違ってるし。私も遅ればせながら始めた口だけど、空気ってこんな唐突に変わるのね。
こないだまでは「夫はいらないから家事やって一緒に映画観てくれるお嫁さんが欲しい~」なんて言い合っていた位のんびりした空気だったのに、何だか寂しい。
■婚活!という事で意を決してお見合いパーティーに参加したら「○○さんですよね!次のコミケ当落出ました?!」と若くてかわいい女の子に迫られたので1時間で逃げ帰った。あれは反則だよ…
■結婚式に4回参加して気付いた。ブーケトスで必死になるのはみんな彼氏連れだ。
あれは「ブーケを取ると結婚できる」っておまじないを信じてるんじゃなくて、
彼氏に対する結婚願望の表明なんだ。通りでお遊びの割にみんな形相がとんでもないと思った。
■課長を交えての飲み会は毎度友達同士みたいに話せて楽しかった。
やっぱ課長の人の見る目は鋭いわ。
課長はバブル時代資産家の子息と付き合っていて、交際2年で結婚を申し込まれたんだって。
その時彼氏に「僕は君に大した贈り物をしてないのに付き合ってくれた。お金目当てじゃなくて僕自身を見てくれて嬉しい」
って告げられて、課長は結婚の喜びから一転その彼と別れようっていう勘が働いたらしい。
何故ならその彼はデートの度に高級レストランに行って10万円単位のタクシー代をくれていたから。
プレゼントの類は実際何も貰っていなかったらしいけど、毎回贅沢をしてその上贅沢の自覚が無い金銭感覚のかけ離れた人とは付き合えないなって。
そしてバブル崩壊後、その人とは連絡が取れないとか。
何だか昔話みたいに含蓄の有るお話だ。それにしても毎回のデートで10万円とか…夢が有り過ぎて現実味が湧かないわぁ。この含蓄を活かせる日は私には多分一生来ない。
活かしたい!この含蓄を活かしたいよおお!
■売り子の友達に店番を頼んでトイレに行こうとしてたら丁度スケブを頼んで来るお客さんが来た。もう時間もそんなに無かったんで断ったら「そうですか。失礼しました」って笑顔で挨拶されてその人は去って行ったんだけど、トイレ行く途中その人が鬼気迫る勢いで携帯で文字を打ってた所を見付けた。まさかな~ないよな~と思いつつも無駄に第六感を働かせてツイッターを"C83"で検索したら「本3冊買った客のスケブは受けてたのに1冊買った俺は断られた!」なんて投稿がいの一番目に出て来た。投稿日時はつい数秒前。ドキッとした。サークル名は書かれてないし、勿論投稿したのがさっきの人だという保証は何も無い。でも正にさっきの人は1冊買ってて、最後にスケブ受けたのは3冊買ったお客さんからだった。
色々思うけど、まーやっぱそりゃ不満だろうなー。逆の立場だったら自分もその場では愛想笑いをしつつどっかに愚痴こぼしているかも知れない。結構スケブ断られた経験も有るし。というか「スケブを貰えなかった事」を不満に思ってくれるのはそれだけ自分の絵が欲しかったという証左だから少し嬉しい気持ちも有る。勘違いだったら怖いんで返信も何もしなかったけど、コンドキタトキハカイテアゲルヨ!!と念を送っておいた。うんこしながら。
■買いに来た人からたまに差し入れを貰う。今回自分の好きなキャラのぬいぐるみを貰ったんだけど、困った事に私、これと同じ物を同じ日に友達の作家さんに差し入れしてる。その友達はブログに誰からどんな差し入れを貰ったか写真を載せてるんだけど、今日私に差し入れしてくれた人が何かの拍子にそれを見付けて、差し入れをそのまま横流しされた、と勘違いしたらどうしよう。友達とは同じジャンルで描いてるし、有り得ない訳でも無い。
■最近生理が来ない。心当たりは先月鱈の白子を食べたくらい。けどまさか…
森三中はいきすぎだと思うが、磯山さやかが最も太ってた頃なら全然オッケー。柳原可奈子でもオッケー。渡辺直美になってようやくNGだな。
一般に童貞か童貞捨てて数年ぐらいのガキは痩せてる女の方が大好きだが、ある程度経験を積んでくると多少(というか結構)デブでも脂肪が乗ってる女の方が良いと思えてくる、それが男という生き物。何だかんだで柔らかい方がセックスしてて当たりが気持ちいいからな。
ということで、元増田がムカついてる女のことは分からんが、女性一般が想像しているより遥かに男はふくよかな(NOTデブ)女の方を好むということは知ってても良いと思う。
気持ち悪いっていうのは、それはしょうがないんじゃないでしょうか…。
いや、私は気持ち悪く感じないようにしてほしいわけじゃなくて「それは気持ち悪いです」って言いたいの。
「気持ち悪くないです」って言い返したい人は言えば良いけど、「気持ち悪いでしょ中身が男の女の子なんて。何考えてんの」って言えちゃうわけ。
「何でちゃんと男で描かないの、女を何だと思ってんの。それって超勝手だよね。その勝手さが気持ち悪い」って言える。言えるでしょ? だって実際勝手だもん。
「勝手で悪いか」って開き直りたい人は開き直ればいいけど、どんどんサイテーになっていくだけだしやめた方がいいのにって思う。
言動や人格が、ディテールまで練りこまれたコミュ障オタク男性あるある。
でも肉体までコミュ障オタク男性にするとか、もしくは肉体まで救いようがない感じに容姿が不自由な女性にすると、
っていうだけでしょう。
そんなのコミュ障オタク男性に女の子着せて喪女と名前つけることの理由にならない。
結局「その方が萌えるから、売れるから」っていうだけでやってることになる。で、それって超いい加減なので叩かれても仕方ない。
スタンドという現実に有り得ないものを作品に登場させますよね。
なんらかの飛躍や嘘はドキュメンタリー以外の作品を作るときは至って普通のことだと思います。
だから、
あなたがこの作品にいらだってる点や文句をつけたいとこって本当はそこじゃないんじゃないんだろうと思うんですよね。
あなたが他の漫画を読んでるときに、『私モテ』に対するのと同じように
「現実と違うところ」に文句をつけてるとは思えないんです。
『ジョジョの奇妙な冒険』には女の子の皮被った男なんて出てこないからね。
というか、もし出てくるとしたら女の子殺して皮はいで被る変態殺人鬼みたいな感じで出てくると思う。あの作品はその程度には客観的だから。
来歴とか過去とかそこに至る過程みたいなものが感じられるように描いてるからね。その方が説得力が出る。リアリティが出るでしょ。
でも『私モテ』はそうじゃない。"智子"の来歴ってもしあるとすれば、女の子のそれじゃなくてオタクの喪男のでしょ?
「何故だかわからない、明確な理由は無いはずなのに何だかぼっちになっちゃった」くらいだったら普通の喪女とか地味な女の子にも居そうなんだけど、何故だか彼氏持ちの友達を罵倒する子になっちゃってる。いったいどういう過去があればそういうアイデンティティにたどり着くの? その過去って男の過去だよね?
ジョジョにはそういうリアリティのないキャラクタは出てこない。っていうか、こんなキャラ出てきてるのって私モテぐらい。
真っ当でも真摯でも言葉は何でもいいよ。きちんと表現されたものには常に一定の価値があるよ。
あなたの意見を聞き出してるだけですが、あなたはどんどん苛立ち攻撃性をあらわにしています。
なんらかの本心を隠して婉曲に作品を攻撃するもどかしさのためなのではないかと感じます。
「私はこの漫画のここがこういう理由でムカつく!」
って言った方がいいんだと思います。
よっぽど価値のある声のはずです。
よくわからないな。攻撃されてると感じるの?
思ったことを整理して書いているだけなので、傷ついちゃったならごめんなさいね。
その方法だと豚は苦しむし肉が不味くなるし(当たり前だけど生前に苦痛が多過ぎるとストレス過多でストレス物質が体内に放出されてしまう)、今時は電気ショック類でできるだけ安楽死に近い方法でやるんだがな。あまり適切でない動画を見たんじゃなかろうか。ちなみにバイオ系のマウス使った実験でも、普通は脊髄ブチって切って瞬時に殺すのが定番。
(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A0%E7%95%9C%E5%A0%B4)
何はともあれ、普段ムシャムシャ食ってる豚肉や牛肉の向こう側に生身の豚や牛がいて、その豚や牛を殺す人々がいるという事実を、肌身で感じられたという得難い経験をしたわけだ。それで良いのではないかね。別に伸びてるスレでも書いたが、人間は動物の命だけを殺して食ってるわけじゃない。極端な話、植物の命だってバンバン殺して食って生きているんだ。生きている限り、他の生命を犠牲にすることは避けられない。その厳粛な事実の恐ろしさが理解できただけでも成長したと思えば良い気がする。
あと、「線引き」は勝手だが後で自己矛盾に悩むことになるかもよ(こういうナイーブなことを言う奴に限って後々それと矛盾する生業を持つことになったりするんだよな)。少し哲学書や思想書、それこそ宗教書でも読んでじっくり考えてみることをお勧めする。
可愛い動物を殺す人間は許せないけど、害虫を駆除したり実験動物を切り刻む人間ならOK?何だか可笑しいな。実験動物だって醜いものばかりじゃない。実験用マウスも場合によっては実験者に懐いちまう奴もいてだな、「あれ?今日はどこに行くの?」なんて目をしながら手術台に運ばれるマウスもいたりする。そして大学のバイオ系の学科専攻だと、そもそもマウス一匹殺すのにも倫理申請がいるし、そこで不必要な苦痛を与える殺害方法は現在ではほぼ確実に認められない。それどころか、実験動物の慰霊祭を年に一度やってるところが大半。これが現実だ。
個人的なことを書くと、俺は蚊やゴキブリを叩き潰した後でも基本的には合掌してから処分してる。もっと言えば、メシ食う時も料理に合掌してから頂いてる。どっちであっても生命を奪ったことに変わりはないからな。少なくとも俺はそこに明確なラインを引くつもりはない。
確かに昔から何かとネガティブな考えを持つことは多かった。何かにつけておびえていた。
自分はどうにもならないとか、こんなことをしていたら親に怒られるとか、災害が来たらどうしようとか。
でも、おびえてはいるけれどそんなものは寝て起きたら忘れるものだったし、「だからどうした」と思える程度には何とかなっていた。
きっかけは推薦図書で読まされた闘病記だったか、あるいはうっかり見てしまった本当は危ないなあれだったか。
とにかく気がついた時にはささいな症状を深刻な病気に結び付けるようになってしまっていた。頭が痛かったらどうとか、消化が悪かったらこうとか。
バイトを始めてある程度自由にお金を使えるようになって、一時期は狂ったように病院に行きまくった。
その都度によって若干結果は違ったけれど、基本的には健康だった。調子が悪いと訴えても、そんなこともある程度で済まされる調子の悪さだった。
親はちょっとでも身体の不調を訴えようものなら烈火の如く怒りだした。元々心配性の気のある親だから仕方ないし、酷なことをしていたと思う。
それでも不安は収まらなくて、病院通いを続けた。毎週のように漢方を出されて(気休めだったんだと思う)、平静を手に入れるために漢方を飲みまくっていた。
もうこのままでもいいかと思っていたんだけど、ある日ふと自分がバイト代のほとんどを使っちゃってることに気がついて、さすがにやばいと思った。
こんなに検査しているのに、一向に自分が健康だと自信が持てないことに気が付いてしまった。むしろ「医者が見落としていたらどうしよう」とかナチュラルに考えるようになっていた。
なので医者に行くのはやめた。代わりに毎日ことある度に自分は病気なんじゃないかって不安を感じるようになって、やっぱり苦しい。
幸い大学には心理相談室が併設されているからカウンセリングを受けてはいるのだけど、やっぱり心療内科に通った方が今後の見通し的にも良いのではと提案された。
だけども、たぶん心療内科に行ったら薬を出されるんだろうなーって思うと中々腰が重い。散々気休めの薬をもらったくせに、メンタルの薬が怖いってのも変な話だけど、薬を飲んだら逆に「薬のせいで将来また何か病気を招いてしまうのでは」とか考えてしまいそうで。というか考えちゃうから心療内科に行けてないんだろう。たぶんこのあたり、親が結構おおっぴらに心療内科嫌いを公言してて(あくまでも家庭の中で、だ)その影響もあるのではとは思うけど。
ただまあやっぱり社会に出ること(出れそうにもないが)を考えると何とかしないといけないし、どこかしらで踏ん切りはつけるべきなんだろうなー。
これ以上被害者を増やさないように食べログに口コミを投稿したところ、
翌々日に「削除しました」の連絡がきました。
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13135659/
考えさせられたので、ここに書いておきます。
来店したお店(居酒屋)の状況としては、
・平均単価が2〜3千円。
・個室と言われたが、席は大変狭く、隣は薄いカーテンで仕切られただけ。会話も丸聞こえ。
・周囲の客は、お会計後しつこく追い出されていた。
・去年12月オープンのはずなのに、内装がところどころ壊れている。
ここまでは新宿界隈ではよくある話なので、「ちょっと外れだったかな」くらいであまり気にしていませんでした。
お会計時の話です。
我々は単品注文で、他に席が空いているのになぜか
「ラストオーダーです」と言われ、特に追加はないことを告げると、
メニューが回収され、お会計をお願いしていないのに、すぐに伝票が運ばれてきました。
しかも何回も支払いを催促されたので伝票を見ると、びっくり。
そこには、お通し2つで1,050円、週末料金2名で1,000円、
席料2名で1,050円、サービス料15%で計5,000円弱も食事代に上乗せ請求が。
事前にこんなに取られるとは説明がなかったし、このサービス、この席で
料金を取るのかという驚きもあったので店員さんに確認してみることに。
すると、「お客様が単品注文を選ばれたのです」といきなり責め立てられました。
確かに単品注文は選んだけれど、飲み放題や料金体系の説明はなく、
しかも週末料金や席料がいくらなのかも説明も事前に全くなし。
なのに一方的に「あなたが悪い」と。
お通し代もメニューには420円と書いてあったのですが、「内容を変えたので…」とのこと。
お店側が勝手にお通し内容を変えて、その分を請求するのも意味がわかりません。
「せめて、次からは何にいくらかかるのか、事前にちゃんと説明してあげてください」
と言いましたが、それに対しても「説明しています」の一点張り。
「何て説明しているんですか?」と聞くと、「お通し週末料金席料サービス料がかかりますがよろしいですか」と流れるような説明。
「でも、普通そう言われても、それぞれいくらかかるのかこちら側は全くわからないですよね?」と聞くと、「聞かれたら伝えています」との返事。
やんわりと確認したはずなのに一方的に責め立てらたのと、サービス内容の実態が、
とてもサービス料をもらうような状態でないのとで、何だかなぁと。
もちろん請求された料金は支払いましたが、他にも泣き寝入りしている人がいるのではと心配になりました。
(店長に言おうと思ったら、伝票のレジ担当に店長と書かれているのに「不在」と言われました)
そのため、口コミには上記の出来事と「事前に、
表記の金額以外にいくらかかるのか、確認してから注文するようにすることをおすすめします。」と書きました。
「日頃は食べログをご利用いただき、誠にありがとうございます。
ご連絡させていただきました。
支払いに関する内容はご遠慮ください。」
に該当しておりましたので、誠に申し訳ございませんが、
削除させていただきました。
食べログは、お食事をした際の主観的な感想・意見を共有するサイトです。
そのため、支払いに関するクレーム・トラブルについての投稿はご遠慮いただいております。
http://r.tabelog.com/help/r_reviewguide/
ご不明な点がございましたら、ご連絡ください。
口コミガイドラインに書いてあるのだから、削除されても仕方がないという声が聞こえそうです。
確かに、削除されたのは大変残念ですが、現在の運営方針では仕方がないのかもしれません。
しかし、悪い評価を消してしまうのでは、本当に口コミサイトとして機能しているのか疑問に思い
食べログは悪い評価は載せない、と聞いていましたが
まさかすぐ削除されるとは、大変驚いています。
http://loco.yahoo.co.jp/place/b454c715b374021679db60286f1ab878aa6db8bb/review/?
偶然にしてはできすぎていませんか。
http://u.tabelog.com/001041091/
http://u.tabelog.com/001037477/
従業員が投稿したかもしれない、携帯認証のされていない口コミが掲載されて
事実を書いた、携帯認証済の口コミが削除されるとは大変残念です。
「このサイトに書かれた口コミはすべて投稿者の主観に基づくものであり
それによって起こるいかなる被害も運営会社は関与しない」とした上で
本人確認を重視し(住所もすべて登録させる)、一つのお店に1回しか投稿できない
などの体制を取る、ということはできないのでしょうか。
少なくとも、携帯認証されていない口コミは即刻削除すべきです。
口コミは、賛否両論あって初めて、消費者側が公平な判断をできるものと思います。
お店側に都合の良い口コミばかりが載っていて、
消費者側は冷静な判断ができるのでしょうか、甚だ疑問です。
それを見て、消費者側が判断して購入・予約できるようになっています。
食べログの口コミは、ほとんど信頼できないことがわかり大変残念です。
どうか、運営体制が消費者の視点にとったものになりますように。
なんだか色々残念。
僕は素人童貞です。
小中学生の時は告白なんて時々あったけど、結局付き合ったことはなく、全てお断り。
小学生の時は興味がなかったから、中学生の時は相手がちょっと…な感じ。高校はキモオタなのでまあモテナイですね。
大学生になって、そう1年生の終わり、同回生が好きになってようやく「付き合う」ことにチャレンジ。キスでおしまい。
次に後輩と良い感じになって、彼氏から寝とるような形になりかけたのだけど、僕がうじうじしちゃったので
結局その子とは付き合うとかはなく、ちょっとペディングまで行ったところで終了。
その後無性に悲しくなってちょんの間に駆け込み、貴重な童貞をころっと失ってしまったのです。
さあここからドッコイ。
3回生になってバイトもしたり、講義での出会いがあったり、何だかんだで仲が良くなる女の子は多くなってきました。
そして彼女ができました。もう1年近く付き合っているんでしょうか。
本番以外は全部やりました。後は息子さんに頑張って入ってもらうだけですね。
でも彼女は結構いたがるので、まだ先っぽしか入ってません。先っぽだけだから!先っぽだけだから!ってまさにそのとおりですね。
別に焦っちゃいません。時期が来ればその時でいいと思うんです。
でも結構大きな理由があって。
そう、オナニーで事足りてしまう。彼女が出来てからも他の女の子に誘惑されたり、色々揺れ動く時間がありましたが、
結局僕は素人童貞のまま。浮気も出来なければ彼女と本番をする勇気もない玉なし野郎です。
もちろん彼女が大事だから浮気はしませんでした。年取ってる人にちょっと相談すると、お前ってやつは遊びをしらんなー(笑)とか
茶化されたりしちゃいますが。別に浮気をしたいとかじゃないんですけど、多分僕はどこかで素人経験をしないと
ここから先に進めないんです。痛がるからオナニーで済ませちゃう今の自分から。正直焦ってます。
何時まで経っても子供。女の人と、本当はどのように接したらいいか感覚的にわかってない。
知識じゃなくて感覚。多分これ結構大事。自分の支えというか、やっぱり童貞ってやだなーって思う心みたいなのってあるじゃない。
いわゆる「ロボット戦争物」作品で核弾道ミサイルが使用されない理由を考えてみた。
他に何かあるかな。
たとえばガンダムの場合は「届かない(ジオン公国があるサイド3は地球から最も離れたコロニー)」「効かない(ミノフスキー粒子)」「撃てない」あたりかね。
マクロスは「届かない」「狙えない(敵勢力は艦隊なので場所を決め打ちで撃っても回避される)」、マジンガーZは「持ってない」「狙えない」で他の全てが説明可能か。
鉄人28号は「存在しない」が有力だろう。第一作目の登場が1950年代だが、最初に実用化された弾道ミサイル登場は1960年代だったわけだし。そもそも核攻撃な必要な敵役が殆ど登場しないので「撃てない」もアリか。
エヴァンゲリオンは「撃てない(使徒は基本的に第三新東京市を目指してくるので戦闘はもっぱら人口密集地帯で発生するため)」と「効かない(核兵器級の威力を持つN2兵器直撃でもピンピンしてる)」。あと使徒側に限れば「持ってない」も適用出来る。
何だか突っ込みどころや不十分な部分が大量にある気がするけど、夜勤の暇つぶし程度にはなったのでよしとする。暇なら適当にトラバぶら下げてくれ。
そのへんでやってるプログラマとか開発者向け勉強会に行ったり、microsoftとかgoogleとかがやってるような開発者向けミーティングに行ったりすると9割くらいmacだよ。
mac以外のマシン使ってる奴も中身はubuntuとかgentoo辺りが入ってる。
プレゼンとかでは何だかんだでpowerpointが使いやすいし(excelも結局使いやすい)、ちょっとアプリインストールしたいときにパッケージ管理システムも無いのはめんどくさすぎるし、まともなシェル使いたいし、場合によってはadobe製品使いたい、となると選択肢がmacしか無いんだよ現実的に。パワポとadobe製品を諦めるかVMで妥協するとlinuxになる。
何か、若い頃は個性wwとか自分らしさwwとか、特別なアタシwwとかを大事にしてて、つまり、他者との明確な差異がある己をひけらかす事で、己の自己顕示欲を満たしていたんだけれど、齢30が近くなり、独身、一応正社員だけど給料激安・実家パラサイトの立場から一向に抜け出せる気配がない現状に瀕し、ほんと、人並みになりたいとそればっかりを願うようになった
いや、願ってる場合じゃないんだけど
つか、なんか、足掻かないといけないの分かってるんだけど
地方在住で、仕事がないのを転職しない言い訳にしてて、ほんと自分が見苦しいんだけど
期限付きのぬるま湯に、風邪ひく寸前だと分かってるのに浸かってるようなこの不安感は、自立して、何某かの将来に対する安心感を得ないと多分解消されはしないのだろう
もっと頑張るべきだとか、考え方が甘いだとか、大人としての自覚がないとか、自分の駄目な所は言語化は出来てるのに、それを直そうという意思が伴わない
でも、世間や、社会を言い訳にする事の惨めさも分かっていて、結局現状を打破するには、行動するしかないのは重々承知してるんだ
自分の親とかさ、社会で立派に働いてたり、結婚して、子供育ててたり、とにかく、そういう「ちゃんと」した事を、毎日こなしている人は、偉いなぁ…本当に偉いよ…
私は、毎日仕事に行って、基本的な雑務だけ何とかこなして、定時には帰って、それ以上は誰にも、何も求められず、向上心もなく、自分がどうあるべきか、立派な言葉ばかりが脳内に浮かぶのに、そのどれも実行も出来ず、最近はただひたすらに、申し訳ない気持ばかりが募っているよ
毎日、少しずつ罪悪感が募っていて、私は、もう、何だか顔も上げられない
私以外の人が、全員立派に見えて仕方がない
人並みって、なんて、凄い事だろう
一般的って、そこに私が到達する事があるのだろうか?
普通って、そんなの、余りにも遥か遠くに見えるから、目指す気すら起こらない
こんな私でも、学生時代は、部活動で優秀な成績を収めて、表彰されたりしてたのに、そんな過去の栄光だけが、私の崩れそうな姿勢を何とか支えてくれている
最近、親戚が集まる場所に出向いたんだけど、ひたすらに恥ずかしくて居た堪れなかった
30近くなって、独身でいる事や、実家に寄生し続けている事を、白眼視されているような気がしてしょうがなかった
何も気が利かなくて、右往左往するばかりで、私は足りない人間なのだと開き直るには、歳を喰い過ぎていて…
客観視して見た私という人間のどうしようもなさに、ふっと、自分が歩いている道が、そのまま奈落に繋がってるような不安感を抱いた
特別な幸せが欲しいとかは思わない
昔、喉から手が出る程欲しかった、肥大した自己顕示欲を満たす栄光も、今は不要だ
突出した存在になど、自分がなれないことは、とうの昔に分かってるから、私を世間の仲間に入れてくれ
一般的な、アラサー独女に私はなりたい
人並みが欲しい
誰の前に出ても、殊更恥ずかしがらないでいられる、人並みの、自立して、自分の二本の足で、あと30年後も自分の力だけで立っていると思えるような、そんな人並みの私が欲しい
まぁ、こんなトコで嘆いてても、事態を打破する事が微塵も出来ないと分かってるんだけどね
愚痴ると少し楽になるしね
楽になっていいご身分じゃないのにね
まだ、自分を甘やかすなんてね
もう、顔を上げられないどころか、俯きすぎて、空の色すら忘れそうだよ
全部が「思います」だもんなー
「時給を10円上げたら、売上が◯◯%向上する」
という仮定を打ち出してくれたら違うけど。
ただやってみる価値はあると思う。
それほどリスク高いわけでもないし。
慎重な店長なのかな。
昨日、とあるおじさんが語ってくれた。
それは、おじさんが幼い一人息子をアメリカの高額な幼稚園に通わせていた時の話だった。その息子さんは私よりもかなり年上なので、相当に昔の出来事になるだろう。
ある日、おじさんはふと思い立って幼稚園での息子の様子を見に行った。探してみると、息子は部屋の片隅にポツンと蹲り、板切れを叩いていた。傍には先生が一人付き添っているだけ。そこでおじさんは父親として先生に相談した。「息子にもう少し別のことを学ばせてもらえないでしょうか?何と言っても、ここの保育料はあれだけ高いのだし、板切れ遊びをさせておくのではいくらなんでも…あまりに…」先生の説明はこうだった。「ここではただ2つの事を取り扱っております。一つは子供達の安全を保証すること。もう一つは、子供達に自分の好きなことをさせて、それから励ますことです。よく出来ました!と。こうして子供達に自信を持たせてこそはじめて、子供達のその後の人生はしっかり充電されたようになり、原動力に満ち満ちたものになるのです」
この話を聞いて、突如、私に足りないものが何であったのかに気付いた。これまでの人生の長い時間を何が何だか分からないまま、孤独と憂鬱の中に費やしてきたのは、私の人生には充電が無かったからだ。無いどころか、それと真逆のマイナスなものを持っているのが私だ。
裕福な家の子供が良質な教育で人生の加護を受けている時、私達が幼稚園で先生に言われたのは背筋をピンと張って座っていることだった。余計な動作はしないよう両手は膝の上で、ちょっとでも他の動きをしたらすぐに怒られた。小さい頃の私は毎日毎日、どんな事でも先生に家庭へ報告されてしまい、何処に行っても何処からも歓迎されていないようだった。
また一方で、裕福な家庭では決してないけれど、よく気を配った両親に育てられた子供達もいる。彼らは成長していく中で、良い方向を向き、良い導きを受ける。おそらく小さな頃にはこの違いがはっきりと表れることはない。けれども、ひとたび二十歳くらいにもなれば、鮮明に痛快に現れ出してくる。キラキラ輝き始めた人生の中で、子供の頃に受けた導きこそが、すなわち、その人の力の源泉なのだ。
そんな「充電されたことがある」人達は、真面目で継続的な努力家で、自分が何をしようとしているのか分かっている。それが私のように「負のエネルギー」に満ちている人間であれば、もちろん私は極端なケースなのだろうが、迷って困って、心配で不安で、疲労困憊で生きている。私の両親は、私がどう思っているのかを気に留めたりは全くもってしない人達だった。父親は隣の家のおじさんと何ら変らず、よそよそしい存在だった。母親は気分次第で私の成績に介入したり、娘の健康に気づけなかったりだった。私が病気にかかると居ても立ってもいられなくなるものの、普段は何の躊躇いもなくジャンクフードを食べさせていた。昔から今日までずっと、母親は私の事に何でも手を出して支配したがっている。だから私は彼女に握らせ、彼女の好きにやらせる。私がどう思うのか、私の心を彼女は見落とし無視する一方で、取るに足らない些細な事は自分が握って操るのが大好きなのだ。私が病院に行くときは、必ず付いてきたがり、医師に向かって病状を丁寧に詳述し、一瞬たりともその口が閉じられることはない。だからこれまで私は自分で話さず、母親が話すに任せてきた。小学生時代の記憶でも、母親はちょっとでも忙しくなると、すぐに癇癪を起こし態度や感情が激しく変わった。そういう人なのだ。私がまだかなり小さかった頃、母親が自作のお話をしてくれることもあった。私は母親の作ったお話を聴くのが好きだった。けれども、そんな幸せな事は小学校に入学すると、どれもこれも終わりを告げた。まるで、最初から何も起こりはしなかったかのように終わってしまった。もしもそれを証明する母親直筆の手紙がなかったら、そういう幸せな出来事があったなんて私には信じられなかっただろう。実際、私は母親の手紙を読みがら想像するのだ。存在しない幸せの思い出が、実は現実に存在していた出来事かのように。
毎日、私が時間の約60%を費やすのは、怖れ、不安、苦しみ、理由もない悲しみ。私は自分を咎めるばかりで、その後、現実逃避な世界を隠れ家にする。ドラマ、映画、二次小説。今だって相変わらずこんな逃避をしていて、その上、更にまた時間を大量に使っては自分の過ちを悔い改めねばとくよくよしている。かつて幼かったあの頃、私はあたかも養鶏場で飼育されているヒヨコのようで、爪と嘴を切り落とされ、均質な大集団と一緒に狭苦しいゲージの中に閉じ込められていた。互いに足を踏みつけあい、押し合い圧し合い振り向くことすらできない。食べさせられるのは成長ホルモンと抗生物質。こんな画面が頭の中で鮮明になればなるほど、私の気分は少しマシになる。これは多分、ある種の自己憐憫であり悲しい自己陶酔なのだ。成年になれた私が如何に足掻こうとも足掻こうとも、結局は私もまた嘴を切り落とされたニワトリでしかない。
でも、誰にも心の中の思いを打ち明けられない。永久に。例え両親がそばに居たとしても、下の方に底なしの孤独が存在していると感じる。私の居る下の方では、深淵の底は覗き切れない。
とても苦しい、だが、こんなのは駄目あれじゃないと駄目とは言わない。両親や環境の意味を責めたりもしない。もし心のなかに重い苦しみがなければ、こんな風に均衡を失った憂鬱の表情を絵筆で描けなくなる。生涯一文無しでも私は困りもしない。この苦痛に浸されきった精神をただ背負っているだけ。