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はてなキーワード: 仏教とは

2024-02-24

仏教坊主が肉食わないってやつ

元々の仏教は肉食禁止されてなくて、中国での布教過程道教思想が混ざって肉食(殺生)禁止になったって聞いたんだけど違うの?

時代が変わればその辺は変わっていくもんなんじゃね?

anond:20240224020921

相手の頭を撫でるのは文明開化以後に流入した西洋文化

ごく基本的ことなのだが、仏教国では相手の頭に手をやったりしない

仏教では、人間の頭には仏神が宿っているとされているからだ

なので、例えばタイで現地の子供の頭をなでたりするとその子の親から猛烈な抗議ないし制裁を受けることになる

ひるがえって異世界ファンタジーは、そのほとんどがいわゆるナーロッパと呼ばれるヨーロッパモデルとした世界舞台なのだから頭を撫でるシーンがあっても何も不自然なことはない

から、これからはそんなシーンが出ても気にせず異世界作品を楽しんでくれ

まあ、ここに書いたことは全部ウソなんだが

2024-02-22

日本迷信を色々お教えください

こんにちは外国人として、日本人のスペースに入って失礼しますが、

日本語の授業を取っています期末試験から教科書から習ったトピックの中で一つ選んで発表することになりました。

宗教的迷信の発表したいと思っているんだけど、日本迷信はあまり知らなくて。。

もちろん、インターネットで調べられるけど、日本人日常知識から学びたいから、ここに聞きに来たんです。

有名も有名じゃない迷信は知れば、できれば、この三つの質問に答えてください。

.

1) 短く説明してください。

(でも、詳しい説明必要であれば、詳しく書いてもいいです!)

.

2) もしわかれば、どの宗教から来たんですか。

(仏教か、神道か、宗教関係なし、等々)

.

(これに答えなくてもいいけど、)

3) その迷信を信じるなら、どうしてですか。

.

よろしくお願いします!ありがとうございます

2024-02-19

お寺って祭り関係ないのになんで主催してんだろう

蘇民祭が終了するってニュース見たけど、あれってなんで寺が主催してるんだろ

仏教って祭り関係なさそうだし、あんなの煩悩みたいな祭りダメなんじゃないの?

袋を奪い合って取ったら幸せなるみたいなの、おかしいと思うんだよな

神社はまだ分かるんだよ、古事記からして歌って踊ってだし

でもお寺は違うだろうに

仏教なんだからもっとかに座禅とかするべきでは?

anond:20240219164855

生き方」というと人生の何にでも当てはまっちゃうけど

実際にはキリスト教仏教イスラム教儒教神道のあり方はまったく異なるよね

2024-02-16

anond:20240216093402

最初天使の輪表現創作者は宗教的意図をもっていたかもしれないけど、

後続では分かりやす表現方法だと単なるマネとして模倣表現されていった。

そうなった時点で宗教からは離反していて単なる記号になり果ててるんだよ。

キリスト教的な天使とは切り離され単なる無宗教の「天使の輪」という表現になり変わったの。

仏教由来の表現が一番身近で分かりやすいね

日本語の「世界」は仏教由来とされてるけど、当然99.9%の人はそんな意図をもってない、仏教から切り離されたワードになった。

知識」「塔」「分身

日常で使われる言葉仏教由来だったりするけど仏教用語なんて意識せず日常表現として元の用語から乖離していっただけ。

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-02-14

結局何を信じるかだよな

無宗教だと死ぬとき怖くね?

その点キリスト 仏教は怖くないように工夫されてるから正解だと思う

筋肉を信じてるやつもいるしヘビィメタルを信じてるやつもいる 様々

2024-02-04

anond:20240204165626

そもそも仏教は、教えを疑いなさい というところから始まるので。

100人仏教徒が居たら、100人結論があってもおかしくはない。

2024-01-29

anond:20240129115527

その気持ちはよくわかるけど本を読むときは一旦その思惑とか捨てて読んで取り組んでくれ

これは大事なことだから無意味精神論と誤解して聞き流したりしないように

君の好む言い方をすると一番コスパのいい提案をしてる

 

俺が一番愚かだと思うのは世に氾濫するマインドフルネス

あれ作った人たちは仏教瞑想有用エッセンスだけ効率的にかじり取ったつもりで

重要なことをごっそり取りこぼしてるので彼等の目的にとっても非効率になっている

  

仏教概念一通り勉強しろとか本数十冊読めとか言わないから、勧めた本一冊二冊は全部読んでそのまま取り込んで、仏教瞑想メソッド勝手に改変せず書いてる通りに取り組んでほしい

  

他の本を読んでチャンポンにしたりもしないように

俺は一時期までの瞑想の本殆ど全部チェックしてるけど結局勧めた本以外要らないというのが結論

2024-01-27

教育ゴロが何言っても無駄

NHK未来教育について議論しているのを見たが、その議論をしている人々は、教育に対する狂気的な親と同じような考えを持っている。

彼らに何を任せても無駄だと思う。もし私がタイムスリップして子供の頃に戻ったとしても、ハッカー精神を貫き、自己責任論を早いうちから獲得したいと思う。

ハッカー画家」という本では、学校は成長するまでの子供を収容する刑務所であると述べている。

世の中の真実とは、意思決定において自分自身しか責任をとれないということだ。大学受験をするもしないも、何を学ぶかも自己責任だ。

インターネットを早いうちから使えれば、賢い子供ならそこから加速度的に学習するだろう。強いていうなら、IT系企業で働く大人子供ネットリテラシーを教えると良い。

小中高で習うような学習内容はいつでも再学習可能なので、落ちこぼれて悔やむ必要はない。

高学歴しか雇わないJTCが社会構造支配しているという問題を、教育問題すり替えるのは愚かだろう。

それも自己責任だ。JTCで雇われようと考える必要はない。

もし大人が教えなければならないとしたら、それは基本的倫理についてだ。

クソフルエンサーを目指したり、バズ狙いで稼いだりすることがなぜナルシスト的で自己破滅させ、他者迷惑をかけるのか。

現代における倫理をまともに教えられる大人こそ、教育者としてふさわしいと言えるだろう。

難しい話ではない。そのような倫理はすでに旧約聖書に記されている。新約聖書ではない、旧約聖書である

仏教や禅からも学べることはあるが、坊主のように浮世離れしたところで生きていくことはできない。

倫理には実用性が必要であり、聖書には現代に通ずるものがある。タイパが重要というなら、ソロモン王の箴言だけでも読んでおいた方が良い。

日中韓教育ママ倫理教育を疎かにし、インテリ気取りで受験のためのコンテンツを詰め込もうとするが、それは教育ではなく、妖怪製造工場だ。

かに知識重要であるしか知識競争傲慢さを生む。自分を賢いとみなす者が幅を利かせる地獄である

2024-01-24

Xのインプレゾンビが消えてくようなのでお蔵入りしたポスト放出する

国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。

以下、本文。

インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた

キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!

金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と

イスラム教圏には

「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?

欲望かられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と

「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤ神聖なる教えを見失い、英語数学肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。

神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と

儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?

真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と

仏教圏には「煩悩に囚われ、機械依存欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?

仏陀の教えに従わず無常の理を知りながらにして迷信ドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。

正しい手段生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と

ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナ奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である

人の尊厳軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである

神々が授けた文化智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益努力である」と

ブードゥー教圏には「貴方方には同情する。

今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビ蔓延っている.......」と書かせた

このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという

2024-01-19

anond:20240118234905

仏教の話が皆無だなぁ。学会員さんが信じてるのは学会池田大作なのが伝わるというか。

真面目に教学すると、僧侶を捨てたって事実を前にどうしようも無くなるもの

そして僧侶が居ないから、経文読む意味も、題目あげる意味も伝わらない。

御書を読める人は居なくなり、法は失われる。悲しい事だよ。

2024-01-18

anond:20240118221654

人が他者に持つべき心は慈悲であって愛(執着)ではないということは、とうの昔に仏教が説いた

2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

豆腐に代わるメシがなさすぎて困っている

豆腐である。あの「風立ちぬ」で本庄堀越二郎に向かって「たまには肉豆腐でも食え」と言ってはガツガツと食べていた肉豆腐である定食で食べてもウマいが居酒屋で酒とともに味わうのもたまらない。そもそも日本人大豆タンパク質を取ってきた。平安時代には仏教とともにインドから乳牛や乳製品も入ってきてて貴族たちはチーズヨーグルトを食べていたと聞くが、武士たちは大豆を食べ続けたという。肉豆腐もその旨さは肉にはない。肉の味が染み込んだ豆腐が旨いのである豆腐だけではない、一緒に入れたしらたきやえのきに染み込んだ味もたまらない。とにかく肉豆腐がうまくてたまらない。この1ヶ月でもう3回くらい作ってる気がする。

うちではこのクックパッドにあった無水調理レシピを使わせてもらってる。実際にはこの倍量を一気に作ってるが、好評すぎて翌日にはだいたいなくなってしまう。

https://cookpad.com/recipe/6857584

うまいだけの話ならたまに作ればいいだけである。肉豆腐有用性は味だけにとどまらない。ホットクックに材料を放り込んで煮ておけば簡単に作れてしまう。大量に作っても保温しておいたり温め直しをしたりして1〜2日平気で食べ続けられる。メインのおかずとしてもすばらしいが酒のツマミとしてもすばらしい。なんならご飯にかけてタマゴでも落とせば肉豆腐丼の完成だ。朝から夜まで肉豆腐で大満足である。つまり土曜に仕込んでおけば日曜日は一切料理しなくても平気ということである。あゝすばらしき完全休養日。

なんなら温め直さずご飯と一緒に炊き込んでしまうのもアリだ。

最近ハマってるメスティンで炊き込んで、蒸らし時間生卵を落としておけば10〜15分後にはいい感じの半熟卵になる。とろりとした黄身にからめて豆腐や肉を食べると、あまりの旨さに朝からテンションが上がる。

問題は、ここまで有用料理が他にないことである

  • ホットクックでほったらかし調理できる
  • そのままホットクックで温め直してもおいしい
  • おかずにもつまみにもなる
  • 野菜キノコ類も一緒に取れる
  • 冬場に食べても体が温まる
  • 夏場に食べてもおいしい
  • たくさん作って日曜日を完全休養日にできる

うまいからといって毎週のように作っててはさすがに飽きも来る。こういう条件を兼ね備えた料理があと3〜4種類は欲しい。ホットクックが便利すぎるのがいかんのだが、まあ慣れてしまったものは元には戻れない。

こうした料理、他になにかないものだろうか……

2024-01-16

anond:20240116173207

それは苦しいね

空気を読むには非言語コミュニケーションが大切なのかも知れない

あと仏教八正道正語(傷つける言葉を使わない)がある

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2024-01-10

anond:20240110181052

仏教のいう四苦は生老病死、苦の初めが生きるなので千年以上前から人類はそれに気が付いてたよ

2024-01-09

龍を守護獣としている戦国武将ってぱっと思いつかないんだよな

一応「越後の龍」がいるが……

上杉謙信が崇拝していたのは毘沙門天であって龍ではない(本当に?要調査

龍造寺だって龍を信仰しているわけではない(本当に?要調査

幼名が「龍王丸」の武将もいるけれど、別に成人後に龍アッピールしてるわけでもない

元寇神風も龍の気配がない

神風神道由来の概念

一方で、龍も風雨を操るとされるから「龍が風を起こした」と書かれた文献がひとつくらいあってもいいだろうに

元寇で吹いた強風が龍の仕業ではなく神風とされたのは何故なのか

いや、書いておいてなんだがなんとなく想像はつくがね……

龍は中国……特に中国皇帝のシンボルなので、日本側が龍に助けられたとすると都合が悪かったのだろう

元側の兵士の鎧に龍の意匠が描かれているのも傍証

ここらへんの話は「神国思想」について調べるのがよさそうか

だいたい昔の日本において龍は寺院……つまり仏教と紐づくものなんだ

龍の字を冠する寺院が何と多い事か

(前述の龍造寺氏は龍造寺村という地名由来でそう名乗っただけらしい)

仏教には「龍王」がいるから、これを守護神とした僧兵かいたのかな

じゃあ「僧兵 龍」でぐぐってみよう

……

《龍鐘の僧兵/Dragon Bell Monk》というMTGカードがひっかかって調べるのが大変そうなので今日はここで終わり

日記

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龍はあくま瑞獣であって、信仰対象は仏になった?

蛇/龍信仰では人の姿を取らない相手信仰対象としていたが、時代が下るにつれて龍の属性を持った仏を信仰対象とするようにした……といったところか

不動明王と龍には関係があるようだ

不動明王信仰していた戦国武将ならたくさんいるだろう

『龍の世界』(講談社学術文庫)

『龍の起源』(角川ソフィア文庫)

上記二冊をkindleで入手し読書

もともとは幻想生物はいつまで実在が信じられていたかを調べるために読んでいたのだが、どんどん興味の対象が発散していく

2024-01-08

仏壇火事と老人をめぐる問題

実家仏壇を80代の母が管理してるのだけど、消火器への抵抗感がすごい。

家屋自体地区半世紀の木造で耐火もへったくれもないので火事になるとアウト。

なのに、おれが買ってきた消火器屋根裏部屋とか倉庫の置くとかに仕舞おうとする。

いやいや、火災時に誰でも対応できるように目立つ場所に置くもんでしょ、1階で火事が起きてから屋根裏に取りに行くとか無理でしょ、

などと説明してもゴチャゴチャと言って、帰省する都度消火器しまい込まれている。

トータルで、仏壇ってろうそくや線香を使うのに可燃性だし、高確率で老人が管理してて火災リスクが高い。

仏教界とか仏具界はなんらかのアクションを起こしてくれないか

自己消火性仏壇とかスプリンクラー付き仏壇とか。

2024-01-06

anond:20240106132630

独り身で都会に住んでると共同体感覚を失いやすいので正月お盆に会う程度の割り切った親戚付き合いならいいよなって思うけどね。

もちろん依存ズブズブのウェットな関係はやだけど。

あと仏教もいわゆる檀家制度仏教にはまるで興味がないけど仏教自体は、心に平穏を与えるためのメソッド程度な意味で役立つもんだと思ってる。

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