はてなキーワード: ドロップアウトとは
最近30代の腐女子の嘆きというか反省みたいなのが目についた。そこで恐る恐るこういう末路もあるということを提示してみたくなったのでつらつらと書いてみる。
年齢から言ったら貴腐人とか汚超腐人と呼ばれるべきなのかもしれないが、一般的な用語ではないのでここでは腐女子とする。腐に目覚めたきっかけとかはどうでもいいので省略するが、腐女子歴は30年くらいだろうか。
20代の頃は真っ当な職につき自分の稼いだ金で推しに貢いでいた。また、芝居やヴィジュアル系バンド(当時はV系という単語がなかったのでこう呼ばせてもらう)にもハマっていたので、イベントやらライブやらで私の週末はいつも予定でパンパンだった。またパソコン通信最盛期にはオタサーの姫となったこともある。まあ、あまり自慢できることではないが。
ところが、30の時にで大病を患い社会からドロップアウトしてしまった。またリアルでも2度の事実婚に失敗し、32で実家に連れ戻された。あっという間に、スケジュール手帳を買わなくても済むくらいの生活に陥った。
それでも何回かジャンル移動しながらも、オタクで腐な活動は止められなかった。私が性根から腐っている証だと思うのだが、ここまで来るともはや業であると腹をくくったのがアラフォーになった頃だ。そうすると、生きるのが少しだけ楽になった。
そうして、現在に至るまでどっぷりと腐女子としての生活を満喫して、自分の子供くらいの年齢のオタク仲間とTwitterなんかでキャッキャと萌えを語っている。
私は今現在服はTPOに合わせて年相応かちょっとだけ若作りな格好しているし、皮膚のアレルギーの影響でメイクはあまりしたことはないが、周囲から浮いたことは一度もない。おまけに自分の生きた道に後悔はしていない。
30くらいで道に迷っている方へ。
その世代はちょうどターニングポイントに差し掛かっている頃だろうから、何かと迷うこともあるとは思うけどこういう風に生きているアラフィフの腐女子がいる。どんな道を歩んでも後悔の無いように、強くたくましく生きて欲しい。
貧困を突きつけられて辛いんだと思うけど、メンタルに問題があってドロップアウトしかけたところから人生を立て直した、立て直してる最中ならそれで十分じゃないの。
貧しいながら死ぬほどの貧困ではなく身の丈に合った暮らしをしたいなら十分できてるだろうからショック受けるようなことはなにひとつなく、これまで通り慎ましく生きていけばいいだけの話で、そうじゃなくてイメージしてたキラキラした小金持ちの30代女性じゃないことが辛いなら、スキルアップしてもう一回転職してせめて年収500くらいになれば生活楽になると思うよ。
自分も30で年収400くらいなのがイヤになり、そのあと2回転職してその時に比べて年収は倍になった。後者ならがんばれ。前者ならもう悩むな。
一人で死ぬのは嫌だ。道連れにあいつの幸せを奪ってくれ。外見にも恵まれなかった。綺麗な外見で中身捻くれてたら笑えるが。
もうとっくにドロップアウトしてんだよ。二十代じゃない。若々しさを纏えば苦しくなる。空回りだ。
どこに向かおうとしてる?何を終着点にすれば良いんだ?
誰といれば幸せなんだ?一人で死なせてくれ。
いや、死ぬのは嫌だ。
書き手のもっている情報と読み手の持っている情報を段階を踏んですり合わせていくことが大事だと思う。
勘違いしないで欲しいが、俺は元増田を揶揄するつもりは全くない。
見えなかった世界を見せてくれた元増田にはとても感謝してるし、文章も意味がわからないというほどではない。
これは単なる俺の趣味。
人によっては元の文章のほうが分かりやすい人もいるだろうし。俺の解釈が間違っている可能性もある。手クセもあるし。
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まれによくいる。
お前らの視界には一人も入っていないだろうが、地方都市にも何人かいる。全くの体感だが、日本中に数千人いても驚かない。
わからない、というのは敬語とか、読解力とか、そのレベルの話ではない。
「おはよう」や「こんにちは」みたいな、日常会話の時点でボキャブラリーの限界に達する。
「名前」「氏名」と書かれている欄に、何を書けばいいかわからない。
文字が書けないどころか、そもそも「名前」という漢字が読めない。語彙は100に届かない。
移民を両親に持つ子供たちの中に、そういう子がごくたまにいる。
生まれた時から日本にいるのだから日本語くらい覚えそうなもんだが、全く覚えていない。
さらに深刻なことに、彼らは日本語だけではなく親の母国語でさえろくに喋ることができない。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、日本国籍があり、日本に住む意思がある。日本を祖国だと思っている。
間違いなく日本人だ。
そういう家族の子には母語がない。つまり、他者とコミュニケーションをとれる言葉を持っていない。
話せないから、友達はできない。そんな彼らにとって同年代の子は危険な存在でしかない。
まともな子はそもそも彼らを避けているので見えない。
まともじゃない子はまともじゃないので危険。
そういう経験をしてきた母語のない子たちは悲しいほどに察しが良い。
察しの悪い子はどこへ消えていったのか俺もわからない。
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使えるので、職場でも最初は歓迎される。しかしすぐに問題が起きる。
突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。意味不明なタイミングで泣き出す子もいる。
そして時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時間が理解できない子もいるだろうが、恐らく「うつ」かそれに近い状態なんじゃないかと俺は思っている。
彼らにメンタルヘルスの概念はなく、下手するとココロという言葉自体を知らない。
本人が訴える方法がないだけでメンタルはボロボロなんじゃないだろうか。
優しい子のはずなのに凄まじく残酷なことをしたりする。
残酷だということが分かっていないのかもしれない。他人に優しくなるには教養がいるんだろうな。
人権も平等も彼らを救ってはくれない。ピンチに飛び出してかばってくれることもない。
クールダウンなんて不可能だ。それは大人になれていないということだから、急に大人にはなれない。
さらりと流せるようになるには、ただひたすら、「しょうもないヤツがあらゆる所に出没する」という経験をひたすらしてその度にイラつき時にはマジレスしたりしながらも、そういう「子供」が混じっている世の中なんだということを悟りに近い境地で認識できるようになるまでめげずにオタクで居続けるしかない。
その道半ばでドロップアウトしたヤツがよく増田なんかで「オタク」への呪詛を振りまいているが、ああなってはいけないぞ。
だいたい、一人浮いてるヤツがムカつくなんてのはマシな方だ。
俺が最近で心を痛めたのは新田恵海氏の名前を見つけるや否や平然と誹謗中傷をしにくるまとめキッズだとか、キズナアイ氏を知りもしない人らが中傷してきた時だ。
ああいう集団になった悪質な「子供」がしょっちゅう目に入ってくる経験をすれば経験値も上昇するだろうが、望んでそういう局面にぶちあたっていくもんでもないからな。
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日本語をまともに使えない日本人というのがいる。お前らは遭遇したことは無いかもしれないが、俺はある。(俺の予想に過ぎないが、日本中に数千人いても良いと思う。)
敬語が使えないだとか、読解力に欠けるだとか、そういうレベルの話ではない。
例えば、書類の欄に「名前」「氏名」とあったとき、「ここには、(自分の)名前を書くべきだ」と考えるような人は、日本語を理解していると言って良いと思う。こういう人が日本語じゃなく、例えば、スペイン語で書類に名前を書いたとしても、日本語を理解して書いたことには変わらない。
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(原文を読むのに疲れたゆえ、今宵はここまでにいたしとうございまする)
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(残りノルマ)読んでて気が狂いそうになってくる
そうじゃなくて、日本語がわからない日本人。語彙は100に届かない。「名前」が読めない。外国語はもっとダメ。
生まれた時から日本にいるのだから、日本語くらい覚えそうなもんだが、全く覚えない。
まだマシなのは日系人グループではコミュニケーションとれてる子。ポルトガル語も日本語も今一つだが、日系ブラジル人の間では話せるような子は比較的マシ。
孤立してなければどうにか生きていける。その移民コミュニティが、日本に寄与する保障は全くないし、余り幸せにも見えないが。
移民社会にも日系人社会にも日本人社会にも不適応を起こしてる家族がある。
母語のできない子は孤立してる。大抵全く友達がいない。話せないから。
彼らにとって同年代の子は危険な存在でしかない。世話焼きな子は感謝を要求して怒るから危険。まともな子はそもそも彼らを避けるから見えてない。まともじゃない子はまともじゃないので危険。
母語のない子は悲しいほどに察しが良い。察しの悪い子はどこへ消えていくのか俺もわからない。
職場での評判はすこぶる良い。働いてるうちは。
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。意味不明なタイミングで泣き出す子もいる。
時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時間が理解できない子もいるだろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか。
メンタルという単語も知らない。下手するとココロも知らない。訴える方法がないだけでメンタルもボロボロなんだろう。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり職があったりなかったりし、日本を祖国だと思ってる。
自覚していないようだがかなり読みにくい。
まれによくいる。
この辺の主語と述語の混乱がすごい。
この4行それぞれの、主語述語が省略されていない形を自身でイメージできるだろうか?
3行目などは、文の途中で主語が切り替わっている。「名前」「氏名」と書かれているのは何?スペイン語や平仮名で書くのは誰?「良い」とは何が「良い」のか?
日本語は省略が許されてるしいくらでも省略していいと思うけど、完全な形をイメージしてそれから省略したほうがいい。でないと読み手に混乱をきたす。
それに一般的な日本語としてもこれは省略しすぎ。勢いで書いた文を推敲もせずそのまま投稿していないか?
ここもそう。この1行目を見ると特に感じるが、あなたの使う体言止めは、全体的に非常に違和感があって文意もとりにくい。
それは何故かというと省略されていない形が直感的に復元できないからだと思う。
じゃあポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない。
この辺は文自体は比較的読みやすいと思うが、全体としての文意が全く取れない。
「母国の言葉も知らない【が】、日本語くらいわかる」(この【が】も相当変だ。前後が逆接になっていない)
つまりこれらを総合すると、「まだマシな子」はまだマシな子同士では日本語でコミュニケーションを取れている、という意味でよいのだろうか?
そうであれば冒頭の「日本語力の限界に達する子」とは違う集団のことを言っているのだろうか?
文中で逆の例を言うことはもちろんありうることだが、この文章でこの位置に反例を出してこられても、シンプルに読者が混乱する以外の効果はないと思う。
めちゃくちゃ問題なのは、核家族かつ両親は移民で、子供が家族内でしかコミュニケーションがとれない。
義務教育はもちろん受けるが、授業が理解できない。簡易な単語は覚えるが、そこまで。
読み書きが壊滅的。
ここが主張したいメインの部分なのだろうか?
この「めちゃくちゃ問題な子」の家庭内でのコミュニケーションは何語によって行われている?
「ポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない」のではなかったのだろうか?
このあたり、何か大きな前提が書かれていないように感じてしまう。
そして、今更だが、この辺りでようやく、日系人の日本生まれの子がうまくコミュニケーションをとれないという問題が主題なのかとわかってくる。
タイトルを読んで、本文を数行読んで、「ん?スペイン語??なぜ急に?」ときて、「移民の子」というキーワードが表れて、その上でここまで読んでようやく話の全体像が掴めてくる。
正直、ここまで読まないと全く頭が話に入っていけない。構成を工夫した方がいいと思う。
初めてあなたの文章を読む読み手の、何も入っていない頭の中を想像しながら書き進めたほうがいいと思う。
子供が日本人社会に適応してれば問題ないが、もちろん適応してない。日系人社会でもベトナムフィリピン系の子にブラジル系の子がいじめられてたりする。
冷静に読めばここの文意は取れるが、親切でない。ここまでの文もそうだけど、近接する文どうしで急に話が変わるのは本当に読みにくい。
もちろん、対比したいとき、強調したいとき、逆接したいとき、隣り合う文の内容が変わることはいくらでもある。だがそういう時のために接続詞はあるのだ。
そして二行目。「俺」が突然登場する。
これは一般的な日系人の子の問題について語っている文章なのだと思っていたら、急に体験談が出てくる。
かといって今後またしばらく「俺」は登場しない。この文章を、論説・エッセイ・体験談のいずれの性格を持ったものと思えばいいのか、この後ずっと混乱が続く。
「誰」のこと?文脈から言って日系人ではない日本の子供たちの話?また説明不足のまま話が変わっている。
日本語のできない移民の子は全く違う。子供同士で話すところを見ない。話せないから。
子供は残酷だから、いじめをせずとも仲良くはできない。世話を焼きたがる子ほど、感謝を要求するから尚更よく怒る。
結果して同年代の子は危険な存在以外の何者でもないので、隙あらば大人のところへ行く。
彼らは悲しいほどに察しが良い。興味を引くためのイタズラも行わない。
ここはわかる。文脈が繋がっているし、主語も統一されているし、これまでの主張から裏切られることもないからだ。
~の子と書いてきたが、成人している子も多い。
「~の子」とは?上で書いている「日本語のできない移民の子」を省略して書いたという解釈なのか?
このような略し方は本当に見たことが無いし、めっちゃくちゃわかりにくい。変な表現を使わず普通に書けば良かったのでは?
実は「子」ではないんですよ、という話をしたあとにまた「子」。
そしてまた出てくる「俺」。「俺」とは誰?あなたはどういう立場のどういう人間として何を伝えようとしてこの文章を書いているの?
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。
時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時計が理解できない子も多かろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか。
内科や外科の存在は知ってても(たぶん読めないが)メンタルという単語も知らない。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり日本を祖国だと思ってる。
幼い子は突然ふさぎこむ事がある。何かあったのは容易にわかるが、決して言わない。隠す事もできないが話すこともできない。
そして加害者にもよくなる。
ここはまだわかる。
「加害者にもよくなる。」は日本語の文として若干の怪しさを感じるけれど、まあわかる。
「くれた」の使い方が変。誰かの前に飛び出すのなら、かばう対象は「誰か」なのだろうけど、「くれた」は普通、自分か自分の身内がかばわれることに対して使うと思う。
そしてまた主語が行方不明。「かばってくれた事なんてない」のは誰?
直前にある文章は「加害者にもよくなる」だから、これが繋がっていると考える?
それともそのもうちょっと前に出てくる「増田」がずっと隠れ主語として残っているのだろうか?
うーん、どうとっても不自然だなあ。
日本国籍であるならば義務教育は受けていると思うのだが、ドロップアウトしてしまったということなのだろうか。もしくはそもそも義務教育を受けていないのか。
親が純粋な日本人であろうと、同世代の子どもたちと一緒に過ごす時間が少なくなると、同じ状況になってしまうのではないかと思う。
教育を受け、同世代の人と戯れる。言語というのはそうやって育まれるのではないだろうか。
言語の育成を阻害されてしまっている人がいるというのは、悲しいことである。
せめて最低限の読み書きの能力を獲得できれば、図書館の絵本などで自己教育を行ったり、あるいは増田に投稿してレスバで能力を伸ばすこともできる。
会社に行かなくなって、そろそろ二週間近くなる。この二週間、本当に何もせず、布団のなかにいる。
働いている間は、一分一秒とまではいかないけれど、つい動画を見てしまったりして三十分ほど経過していると「ああ、まずい。とても時間を無駄にしてしまった」という感覚があった。いまは、丸一日寝ていても何も感じなくなっている。一時間という時間に対する価値がこうも変わるのか、と驚いている。
気持ちの変化は突然だった。納期が迫った案件があるなかで、風邪を引いて二日ほど休んだ。体調不良を考慮して、納期を少し後ろにずらすようチームメンバーが頑張ってくれた。(ありがたい。)
復帰後、さあ遅れを取り戻してやろう、と思ってデスクに就いたが、アプリケーションを起動することが出来なかった。いま思い出しても不思議で説明しづらい。アプリケーションを起動させようとすると思考が停止し、そのまま画面を見つめて気づいたら十分、二十分と経過している、ということが起きた。ハッとして、ちょっとお茶をいれてからやろうと思い席を立ち、戻ってまた同じことを繰り返す…という日が一日続いた。スポーツにはイップスと呼ばれる症状があるが、あれと同じような事象だろうか。そのうち、マウスを握ることやタイピングすらできなくなり、焦りが全身から滲み出てくるのを感じていた。
当然進捗は何もなく、進捗を報告することもできず、帰宅し、そしてすべての連絡を絶った。
会社からの連絡だけでなく、友人や恋人からの連絡も含めて、すべてのメール、メッセージングサービスを無視した。もっといえばスマートフォンの電源はもう何日も切ったままだ。
「このままではまずい」という気持ちがありながらも、社会と何ら接続のない状態は心地よく感じられた。このまま誰にも何も気にされない存在になりたい…と思った。もしかして自分は既にこの世にいない存在で、霊魂のような状態で人間社会を眺めているのかもしれない…という感覚にも陥った。
しかし貯金があるわけでもなく、働かなければこの生活だってひと月と続かない。自分の人生がここから華々しいものになるとは思えないし、正直いつ死んでしまってもいい。逆縁は避けたいので、両親が生きているうちは生きていたい…という程度の消極的な生存願望がある。
とりあえず出来事と感情を書き出すことが、平時の生活を取り戻すことに繋がるのではないかと思って、増田を書いてみた。
こんなことをして今から会社に戻れるのかも分からない。メールやメッセージングサービスはまだ開いていない。開けるのかも分からない。いまはただ、パソコンのキーを叩く感覚を得ることで、自分がまだこの世に存在していることを確かめている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takuramix/status/1271929413844627456を見て。ブコメが的はずれなのはいつものこととして、このツイート主の「わかってなさ」もひどい。今アメリカで問題になっている黒人差別の問題は、「バカにされた」「不快な思いをした」とかそういう次元の話ではない。もっと言ってしまえば、「劣等人種と思われている」「コロナとか言われていじめられた/暴力を受けた」ということですらない。現在のアメリカにおける黒人差別の問題は、そのステージにすら達していない。
では何が問題なのか?貧困とその再生産が問題なのである。例えばSTEM進学率の統計を見てみよう。https://nces.ed.gov/programs/digest/d18/tables/dt18_318.45.asp
現在のアメリカでは高所得者になるためにはSTEMと呼ばれる理系分野の学位を持ち就職することが一番の近道とされている。それがどうだろう、この黒人率の少なさは。アメリカの人口ではだいたい15%くらいが黒人なのだが、明らかに少ない。そもそも大学へ行けるような中流黒人家庭が少なく、貧困層から大学へ行ける道筋も限られているからである。奨学金をもらうにも最低限の教育が必要なのである。
もちろん、意識の高い皆さんはご存知だろうがアファーマティブアクションはこれを解決するかと思われていた。しかし、例えばカリフォルニア州ではアファーマティブアクションは違憲であるとの判決が出され、アファーマティブアクションをやめたのにもかかわらず黒人の学位取得者の数はほぼ変わらなかったという(出典:wikipedia アファーマティブアクション)。アメリカの大学は入ることより出ることのほうが難しい。そもそもアファーマティブアクションのようないびつなやり方で教育の機会の均等を確保しようとしても、「地頭」の時点で違いすぎてドロップアウトする学生が多かったということである。これは例えば幼少時の教育だとか、家庭の文化程度だとかそういう根深い問題があるということを示唆している。
そして、このような貧困とその再生産が問題になっているからこそ、「黒人はだいたい犯罪者で凶暴」という偏見が生じ、射殺・絞殺事件になってしまう。というか、悪いことに実際黒人の犯罪者は人口比で多いので、100%間違いと言えないところがたちが悪い。しかしもちろん、これは「黒人はそもそも凶暴」なわけではない。貧困が問題なのである。もちろん、こういう問題は貧しい白人にも当てはまることであろう。しかし、見た目からくるステロタイプは存在せず、問題の深刻度はかなり異なる。例えば警官に捕まって即射殺!とはなりづらいであろう。
この問題を日本で例えると、増田は東京出身なので正直あまり馴染みがないが、在日韓国・朝鮮人問題や被差別民問題が一番近いのではないだろうか。在日韓国・朝鮮人や被差別民として生まれただけで、進学や就職で不利益を蒙り貧困が再生産される。そして一部は犯罪者集団・ヤクザへ加わっていき、これが彼らの「残忍で凶暴」というイメージを固定化していく。異なるのは黒人の場合、見た目が違うのである。在日韓国・朝鮮人問題や被差別民問題は「通名」や、数世代を経て風化させることで(少なくとも東京圏では)ほぼなくなった(とか書くと怒られそうだが、地図で人権センターの場所でも探さない限り23区ではわからない、というのが東京出身の20代である増田の素直な感想である)が、肌の色はそうも行かない。タブーにしてみんなで忘れましょうね、ということができない以上根本的解決を目指さざるを得ないのである(こういうことを書くと韓国人は吊り目でとかいうバカが絶対来るだろうが…)。
で、だ。最初のツイートに戻ってみよう。このツイート主は黒人に「差別」をされたらしいが、どういう差別だったのだろうか。具体的なことが書いてないのでよくわからないが、細い目をして"Chinese?"とかいわれるとかだろうか。あるいはカツアゲにあったとかだろうか(なぜこれがアジア人差別なのかはわからないが)。ここまで読んでもらえればわかるだろうけど、黒人差別はそういう問題ではない。教育・就職で制度的に「差別」されている、貧困層から抜け出せない構造ができてしまっているということが問題なのである。だからこそ黒人支援に予算をつけようとかそういう話になっているのだ。「サヨクは日本人男性がサベツされても助けてくれないんだ〜〜〜先生に言っちゃお〜〜〜」というような小学生レベルの議論とも言えないシロモノを持ち込んで混ぜっ返してみるのもいいが、単なるバカだと思われるのが関の山である。
小学生の頃、算数は好きだった。そろばん塾に通って大会に出させてもらったりもした。
ボーイスカウトなんていう活動にも参加して、正直その活動は大嫌いだったが、隊長と称する引率者の大人から、会計係を頼みたいと、お金を扱うことを要求されたりもした。全く目立たない子供だったが、悪事をはたらくような子供ではないと思われていたのだろう。ある種の信用を得ていたのかもしれない。そういう子供だった。
自分の興味ある分野にはのめり込む子供だった。小学生の頃、お前の集中力はすごいなと担任の先生にいわれたことが印象に残っている。良い先生だった。
一方、興味のない分野には全く関わりたくない子供だった。友達はいなかった。同級生のなかに話の合う子は全くといってよいほどいなかった。この状態は中学を卒業するまで続く。
一言でいって器用貧乏だったような気がする。運動は好きだったが大きな大会に出て活躍するような子供ではなかった。勉強は、小学・中学とトップの成績は取れたが、高校では最高順位が2位だった。
高校では数学もそこそこ好きだった。それで大学受験の際は得点を狙えるような科目にするくらいにはできたのだが、数学科に進むほどの才能はなかった。そもそも文系だったし。地方にある昔の帝大と呼ばれたところに入って、それなりに悩みつつ伸び伸びと大学生活を送って卒業することにはなった。
結局、卒業後は、公認会計士になった。会計士試験はそれなりにたいへんで、けっこうな苦労もしたが、受験1回目で通ることができた。体力勝負的なところがあった。深く理解する前に受かってしまったようなところがあって、監査法人に就職してからは受験生のときの数倍、苦労した。
監査法人には5年強勤めてのち、心底嫌気がさして辞めた。自分は組織が嫌いなのだ。馴染めない。
ドロップアウトした後は個人の会計事務所を立ててこれまでなんとかやってきた。
会社組織をつくって経営者になって成功したいと夢見続けているのだが全然そんな状態にはない。自分が嫌いな組織を自分でつくってどうするということか。個人事業が性に合っているということか。
監査法人を辞めた頃から始めた株式投資で、そこそこ成果が出てきた。投資には会計や監査の知識が役に立った。サラリーマンを辞めて10数年経った今、金融資産の時価は1億1千万円と少しになった。含み益は4千万円程度なので、投資をしていなかったら億には届いていなかったろう。
そもそも、監査法人勤めを続けていたら今も、うだつの上がらないサラリーマンとして鬱々としたままだったろうと思う。大手監査法人では上場株を所有するにも大幅な制限が課される。続けていれば、パートナー(幹部)になれていたのだろうか?自信はない。仮になんとかヒラのパートナーになれていたとしても、監査法人組織のなかで幸せそうな自分は想像ができない。辞めたことを後悔したことは一瞬たりともないし、辞表を叩きつけたことは我ながら賢明な判断だったとつくづく思う。
ところで、日本で1億を超える金融資産持ちの世帯は、全体の2%だそうだ。個人として考えれば1%弱といったところだろうか。自分よりも若くて数十億、数百億の資産を持っている人は大勢いるのだからえらそうなことはいえないが、田舎から出てきて無一文から始めた自分を省みるに、まあまあ良くやってきた方ではないだろうか。とりあえずここまで何とか生きてきた自分を褒めてやりたいと思う。
さてこれからどうするか。嫌なこと、気の進まないことはこれまで通り、全て断りながら、自身が面白い、興味深いと思えることに携わって仕事を進めていきたい。
最も価値高いと思われる行動を意識的に選んで、照準を定めて、自分に合ったやり方で、世の人々にできるだけ高い価値を与えるような生き方を選択していきたいと思う。
私は妹だ。できのいい妹だと言われてきた。
ずっと「お姉ちゃんは性格がいい、妹の○○(私)は頭がいい」と言われて育てられてきた。
お姉ちゃんは思いやりがある、お姉ちゃんは優しい、お姉ちゃんは芸術のセンスがある。私はワガママ、人を思いやれない、勉強はできる。
「勉強はできる」に縋りついていた。姉が何度学校をドロップアウトして、そのたびに親がせっせと違う学校に入学金を払おうが、私はずっと特待生だった。「勉強ができる」ことだけが支えだったから、学校のテストの朝はプレッシャーでいつも吐いてた。
就活をする歳になり、「もしここで良い会社に就職ができなければ、私の取り柄が消えてしまう」という不安でしにそう。本命の会社、ついに面接会場に向かう途中で、足が震えて立てなくなった。
道端にしゃがみこんで、お姉ちゃんに電話した。お姉ちゃんはお昼休憩中だった。
私は泣きながらもう立てない、歩けない、面接に行けない、といった。お姉ちゃんは、「大丈夫だよ、お話しながら行こう、もし行けなくても大丈夫、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、どんな○○でも大好きだよ」といってくれた。
それでで、私は、なんとか面接会場にたどり着くことができた。
コスパ最悪。
勉強しか取り柄のないガリ勉くんにはお似合いですが、大学とは、勉強を片手間に遊ぶところです。友達や恋人を作ったり、バイトやサークルで社会経験を積みつつ、先輩から貰った過去問などを丸写しして最小限の労力で単位を取るのが大学です。社会ではそういう社交性と要領の良さが評価されます。
大学に入ってまで勉強なんかしてる陰キャは、非常に自己満足的で滑稽です。彼らは自分が鼻で笑われていることに気付いていません。
理系の勉強は大変です。これは主に、以下の2つの理由からです。
まず、ほとんどの理系分野は、現象を正確に記述するのに数学と物理の知識を必要とします。この2科目は、論理を地道に積み重ねていく学問なので、誤魔化しが効きません。つまり、「AはB、BはC、したがってAはC」のような完全に正当化される論理のみを紡いで議論する必要があります。またその性質上、基礎となる分野を飛ばして、応用分野を学ぶことができません。つまり、一度躓いたらそこでドロップアウトすることになります。
一方文系の場合、計量経済学のような一部の人気のない分野を除けば、教員の指定した本を順番に読んで、その内容を日常用語で適当に再解釈した感想文が書ければ、卒業論文として認められます。というか単位を取るだけなら、本すら読まずとも又聞きした情報を適当にまとめれば良いです。何のスキルも必要ありません。
また、理系では理論系の分野を除けば実験があります。実験は研究室によっては徹夜で行うことも珍しくなく、非常にハードです。また、やはり実験の前提となる基礎理論を正しく理解していなければなりませんし、誤差等の評価を数学的に正しく行える必要があります。実験ノートの取り方、論文の書き方などのマナーも非常に厳密に決まっており、一般的な文書作成技術よりも高い技術が必要になります。
分野によっては、直接の専門とは別にプログラミングや電子回路設計などの技術も身につける必要があります。
機械工学科や電気工学科などの産業的に非常に需要のある分野を除いて、専攻に関係した職業に就く人はほとんどいません。したがって、文系が就職に不利になることはありません。むしろ、大学入って勉強しかしてこなかった理系は、コミュニケーション能力などの点で文系に大きく水をあけられます。
また、学部別の平均年収なども、1割くらいの高額所得者が平均を吊り上げているだけで、どこに行っても実態は大差ありません。
つまり理系というのは、大学に入ってまでわざわざ勉強なんかしてるガリ勉キモオタ陰キャが、結局社会に出たらなんの役にも立たないというところです。非常にコスパが悪いです。合理的に考えたら、理系に行く選択肢はないでしょう。
1.小学校時代→公立小学校に入学するが、授業中右手と左手でムシキングごっこをすることが忙しく教師の話が聞けない。手紙を前の人から受け取って後ろの人に回せない。ランドセルを忘れて登校する。一年間所属したサッカークラブでは最後まで自分のゴールがどちらか把握できなかった。担任、親と三者面談をして無事公立を退学。ドロップアウトRTAの記録を樹立する。
2.私立小学校時代→2年生からミッション系の私立小学校に転校する。毎週公園で遊ばせたり川遊びをさせる不思議な校風の中でのびのびとADHDを開花させてゆく。中学受験のために通った早稲田アカデミーでは理科以外の科目がぶっちぎりのビリで先生に怒鳴られて泣きながら校舎から逃げて退学した。
3.なんだかんだまあまあの中等教育学校に入る。ここでもADHDの勢いは留まるところを知らない。朝会に出れないので出席が足りなくなる。提出物を9割方忘れ、テスト勉強もしないので評定は6年間2、3、2、3たまに1、と死にかけのヒヨコの行進。文法のテスト返却の時に6点を取った時は受け取ってすぐ答案を食べた。中等部から高等部に上がる時担任に呼び出されて学校辞めるか?と諭され、ビビって勉強して進級するも高等部でも成績は学年最低レベル。勉強サボってやっていたことは昆虫の採集飼育とかで、とにかくやりたいと思う衝動性を制限することができない。物事の優先順位を衝動が書き換える。だから勉強ができない。ここで目をつけてくれたのは所属していた生物部の顧問。大学院生を引っ張ってきて僕に生物の自由研究をさせた。これが楽しくて仕方がない。実験して解析して発表して賞をもらう。初めて褒めてもらえる経験だった。しかし生物以外の成績はカス寄りのゴミのまま。大学になんていけない。しかし生物学オリンピックや研究発表の実績で受験できる制度があった。私は受験し、本来の成績では考えられない大学に進学した。今は発達障害インキャ理系大学生として生物学を学んでいる。