1.小学校時代→公立小学校に入学するが、授業中右手と左手でムシキングごっこをすることが忙しく教師の話が聞けない。手紙を前の人から受け取って後ろの人に回せない。ランドセルを忘れて登校する。一年間所属したサッカークラブでは最後まで自分のゴールがどちらか把握できなかった。担任、親と三者面談をして無事公立を退学。ドロップアウトRTAの記録を樹立する。
2.私立小学校時代→2年生からミッション系の私立小学校に転校する。毎週公園で遊ばせたり川遊びをさせる不思議な校風の中でのびのびとADHDを開花させてゆく。中学受験のために通った早稲田アカデミーでは理科以外の科目がぶっちぎりのビリで先生に怒鳴られて泣きながら校舎から逃げて退学した。
3.なんだかんだまあまあの中等教育学校に入る。ここでもADHDの勢いは留まるところを知らない。朝会に出れないので出席が足りなくなる。提出物を9割方忘れ、テスト勉強もしないので評定は6年間2、3、2、3たまに1、と死にかけのヒヨコの行進。文法のテスト返却の時に6点を取った時は受け取ってすぐ答案を食べた。中等部から高等部に上がる時担任に呼び出されて学校辞めるか?と諭され、ビビって勉強して進級するも高等部でも成績は学年最低レベル。勉強サボってやっていたことは昆虫の採集飼育とかで、とにかくやりたいと思う衝動性を制限することができない。物事の優先順位を衝動が書き換える。だから勉強ができない。ここで目をつけてくれたのは所属していた生物部の顧問。大学院生を引っ張ってきて僕に生物の自由研究をさせた。これが楽しくて仕方がない。実験して解析して発表して賞をもらう。初めて褒めてもらえる経験だった。しかし生物以外の成績はカス寄りのゴミのまま。大学になんていけない。しかし生物学オリンピックや研究発表の実績で受験できる制度があった。私は受験し、本来の成績では考えられない大学に進学した。今は発達障害インキャ理系大学生として生物学を学んでいる。
ADHDは学生時代の苦労なんか苦労のうちに入らないほど仕事でつまづくぞ
心配には及ばない。既にバイトを3回クビになっている。恐らく社会に出るのは不可能だろう。
ソフトウェア屋だけど、大学で学んだのはいわゆるソフトウェアと接する面のハードウェア おれたちでいう立派なハードウェア学だった。 その後は、コンテンツ学だよな。どうやって...
統失ITおじはどうやって大学卒業できたん?
研究でうまくいくといいなあ 上位1%程度の研究能力があるならちょっと足りない人でも需要はある
増田にいる時点で下位20%は固いしそんな理想論が通用するわけないじゃん…
親がちゃんと金をかけてくれたことに感謝だね。 アカポスは厳しいかもしれないが、留学とかさせてもらえればワンチャンあるよ。 欧米博士号の威光はまだまだ健在。