はてなキーワード: テスト勉強とは
小学校の頃に、体育の時間にプールで25m泳げただけで称賛されただろ?
中学校の頃に、いじめに負けずに学校に通うだけで立派だったろ?
高校や大学で、ただ出席点を稼いでたまにテスト勉強するだけでいつの間にか卒業してそれで落伍者じゃないから凄いと言われてただろ?
でも社会に出たら、ただしがみついてるだけじゃ給料泥棒としか呼ばれなくなる。
今日を生きてるだけでお前が頑張っていて意味があったと言ってくれるのなんてソシャゲのデイリー報酬ぐらいじゃないのか?
子供を産んで、育て始めてしまえばソイツが大きくなっていくだけでお前が生きていることに意味が出る。
子供が幼稚園に入った、小学校で友達ができた、中学で部活やって、高校で勉強して、大学も入って、就職もして、それでまた子供産んで、お前はいつの間にかお爺ちゃんで、ちょっと小遣いやるだけでなんか知らないけどドーパミンがドパドパ出てきて、生きててよかったと思い込めるんだ。
凄いだろ?
ダラダラ生きてるだけの自分を肯定されたいやつにこれ以上オススメの生き方はねえよ。
今どきは公務員だってブラックばかりで辛いし、派遣やフリーランスもレッドオーシャンが広がりすぎた。
そんな中で必死にしがみついて生きる毎日に送られるのが上司の罵倒だけじゃ辛いだろ?
お前の命を称賛してくれる誰かが欲しいだろ?
簡単さ。
子供を産めよ。
それだけで、お前は一生承認欲求に食いっぱぐれねえ
小論文を書くのはゴールデンウィーク中に出された課題でした。しかし、去年、大した文も書いていないのに学年代表に選出されて全校生徒の前で大恥をかいたトラウマがフラッシュバックしてしまい、なかなかペンが進みませんでした。
どうしようどうしようと思っているうちに11連休が終わって(私の学校は何故か11連休ありました)、私は小論文のために学校を休むことにしました。某ユーチューバーに影響されたわけじゃありません。という文を書くのが面倒なのであの子には世に出てきて欲しくなかったです。
仮病は使いすぎてもう親には通じないので、一度行ってきますをして通学の途中で学校に電話を入れました。役員さんに病欠の旨を伝えて、親の出勤時間まで公園で時間を潰して家に帰ってきました。
家に帰ってからは、どうしてこんなことで学校を休んでしまったのだろう、なんでみんなが当たり前にできていることが自分にはできないのだろうという罪悪感と焦りに駆られて、自傷をしてしまいました。止血が終わる頃には親が帰ってきていました。怒鳴られる覚悟をしていたので、学校から親には電話していないことを知ってほっとしました。
結局食べることが無かったお弁当をこっそり捨てる時に一番死にたくなりましたが、「じゃあ今から死ぬ気で小論文を終わらせて明日こそは登校しよう」という気持ちにはなれませんでした。もういいや、と思ってしまったのです。
二日目はもう完全に「今日も休もう」という気持ちで起きました。家に一人だとまた鬱になりそうで怖かったので元彼に連絡しました。
一度ヘラチンじゃない元彼と復縁を決めたことがあります。ヘラチンに「お祝いでご飯を奢る」と呼び出されて、ヘラチンのアパートで暴力を振るわれました。
ヘラチンは泣きながら謝ってきて、その後暴力されることはありませんでしたが、怖いしヘラチンのことも好きなのでなあなあになっています。
そのヘラチンと、学校をサボってドライブに行きました。ヘラチンも大学をサボってくれました。ヘラチンとぼーっと海を見て、ご飯を食べて、ヘラチンのアパートで傷を舐めあいました。ヘラチンとは堕ちるとこまで堕ちてる気がします。
三日目は自分の家にいました。
ヘラチンはちょうど何も無い日らしいのですが、今日こそは学校に行くぞ、小論文をやっていなくても学校には行った方がいい、と思ったのでヘラチンと遊ぶのはやめました。
しっかりと準備をして家を出たのですが、暑いし、だるいし、歩く度に太ももが筋肉痛でびくびくするのでだんだん暗い気持ちになってきてしまって、結局一日目と同じことをしてしまいました。
三日目になると休むことに対する抵抗もあまり無くなっていて、動画を見て笑っていたら一日が終わりました。
そして今日、連続の欠席を不審に思った担任の先生の電話で、親にも学校を休んでいることがばれました。怒鳴られたりはしませんでした。もともと情緒が不安定気味なのを親も知っていたのであまり刺激しないようにしたんだと思います。怒鳴られないだけであって怒りはしていました。親には毎日早くに起きて朝ごはんもお弁当も作ってもらっていたので、学校に行っていなかったことを知って怒るのは当たり前だと思います。また、娘が親に何も相談せずに三日間も欠席していたので心配もしているのだと思います。
親の心労にならないようになるべく自分の気持ちをきちんと話そう。という思いは親のため息ひとつで吹き飛んでしまいました。
実はうちは母子家庭です。お母さんは、基本的には、やりたいことをやらせてくれるいい親ですが、「私はシングルマザーで毎日辛い思いをして子供を養っているんだから、ねぎらって」という感じをぷんぷん出しているところは好きではありません。ため息はその合図です。親の彼氏が面倒臭い性格をしているので、そこらへんのストレスも擦り付けられている感じがします。
ここで私が欠席していた理由を話せば「私の方が頑張っていて、辛い」という風にマウントをとられるに違いありません。私はそのような言葉をかけられたくなかったので事実は話しませんでした。
「小論文が終わっていないから」の中にあるいろんなモヤモヤというかなんというか、をうまく説明できる気がしなかった、というのもあります。
ぐちゃぐちゃしながら書いているので読みにくかったらすみません。
私はどうしても悲劇のヒロインになりたがる節があります。ヘラチンのくだりとか家庭の詳細とかは別にいらないのに書くことで同情を引こうとしています。だから同情しないで怒ってほしいです。私は自分への甘さを捨てきれません。同情しないで怒ってほしいなら同情を誘うような文を消せばいいのに消せません。
バイトもブッチからの音信不通を二度もしてるしまだ制服も返していません。一万円弱のお支払いをバイトをしていないせいで踏み倒しています。受験勉強どころかテスト勉強すらしていないし、将来のビジョンも不透明です。
怒ってください。
それで、私がちゃんと小論文を書いて、学校へ行って、バイト先に謝って制服を返して、お支払いをして、毎日五時間は机に向かって、ヘラチンとお互い自立したお付き合いができるようになって、親に感謝できるようになったら褒めてほしいです。ぜんぶ普通の人間はあたりまえに出来ていることだと分かってはいます。でも褒めてください。
引用元:
https://falchion9.com/entry/2017/08/21/174916/
「テスト勉強頑張って、100点とってお母さんに褒められたい!!」
周りの人にどう扱われるかが、モチベーションとなっている場合も多いと思います。
しかし、アドラーは「そんなものは不健全である」と承認欲求自体を突っぱねました!!
1. 承認欲求をなぜ否定したのか?
先ほど、導入で述べた例を再び使いましょう!
さっきのお子さん、
一見100点という目標に向かって頑張っていて何も問題ないように思えます。
その結果、「100点なんてすごいね!」と褒められれば、自分の自信になるでしょう!
でも、60点だったときに、
点数が問題じゃないんです!
問題は自分が自信を持てるかどうかを親の発言に依存していることです。
こういう生き方をとることで、
言い換えれば、他人の人生を歩むという状態になってしまいます。
自分の人生なアドラーはこのように承認欲求には上に述べたような危険性が潜んでいることを見抜いていて、
そうならないように、
2、 課題の分離
先のお子さんの例を再び使いましょう!
復習ですが、このお子さんの問題点は、
ですので、アドラーは、
このお子さんは自分の人生を歩めるようになると結論付けました。
その結果、テストが何点であろうとも、
点数に対して親に何と言われようとも、
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。
ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。
生まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中は殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。
自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通に電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しかし小学生6年の時に面白キャラへの展望を見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。
目が見えない道中はひたすら脳内にイメージを描いて妄想していた記憶がある。
そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリントに掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語の先生から「普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。
そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通にテスト勉強などはした。
そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。
ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。
また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。
特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。
例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子は北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。
実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理や化学のテスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。
勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。
そして、ゲームを作るのにはプログラムが必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。
そのことを塾の先生に相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大か電通大に行きたいと考えるようになった。
そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。
偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試の過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分はゲーム性を見出したのだと思う。
また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。
そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。
しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大の情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。
かくして私は北大生になることが出来たのであった。
当時を振り返ると、理系志望者ながら国語と英語が得意だったため、センター対策も二次試験対策も勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。
【その後】
ただの愚痴
「もっと子供のころ勉強しとけばよかった」自分はこの言葉に疑問を感じる。
そして親に「だからあれほど勉強しとけと言ったのに、いう事を聞かなかったお前が悪い」と言われると大人げながらカチンとくる。←親元にまだいるんかいという突込みはなしでお願いしたい
自分は確かに、学生の頃勉強を全くせず親から「勉強しろ!!」と言われ続けたが全くしなかった。
とにかく「勉強はつまらん」という感情が強すぎて大人になったら勉強なんて絶対しないだろうなと思っていた。
しかし、予想とは裏腹に大人になった今は勉強がそこそこ楽しい。
専門学生時にプログラミングに触れ、もっとできるようになりたいという要求が膨らみ
必死になってプログラミング言語を学んだ(本当に基礎的な部分)。
プログラム言語をある程度自由に使えるようになると次は何かを作ってみたいと思うものだ。
そこで初めて、英語(APIやらライブラリの使い方やら)と数学の壁にぶち当たる。
ここで学生時代にしっかりと親の言うことを聞き、英語やら数学やらを勉強していれば、
もしかしたら超絶ホワイトで高収入な会社に就職できるほどのプログラマーになれていたのかもしれない。
しかしだ、自分は今でも「もっと勉強しとけばよかったー!!」なんて思ったことはない。
教師が「社会で役に立つ」と言う割には具体的な例を出す先生はいなかった。
なぜやりたい人だけにやらせないのかと疑問に思うばかりだ。
自分が学生の頃に、英語と数学ができればプログラミングがもっと上達できることを知っていたら。
日本とは違い、外国人のノリがめちゃくちゃ良い(人間性は別として)なんて知っていたら、
もう少し変わった人生を送っていたのかもしれない。
だけど!
そんなこと言う親自体が、未だに英語や数学ができないのであれば人に言う資格はない!
仮にでも人のために思って言っているのであれば、なぜ自分が今勉強をしない!!
勉強しないという事は「勉強する必要がない」という事を証明していることに気づいてくれ!
なにか違う愚痴になっている気がするが...
話を戻そう。
と思っていても、こればかりは環境によるとしか言いようがない。
我が家にはPCなかったから、プログラミングしようなんて全く思わなかっただろうし。
しかし、必要性や楽しさがわかればどんな人間でも勉強は楽しくなると思う。
「勉強しとけばよかった」
それを思ったんなら今からやろうぜ!
自分の勉強したいこと以外のテスト勉強もしなきゃいけないんだぜ?嫌だろw?
パチンコとかはできんじゃん? 新台がでてもルール覚えるやろ(我が家のおやじ)
興味があることがない?
何も考えずに大声で言いたいこと叫ぶ感じで、匿名日記も悪くないw
ちなみに親との仲は悪くはないぞ!
お金欲しい。
前期で必修の再履修を落としたので留年が決まった。大学に入るために一年浪人していたので一浪一留の絶望大学生が生まれる。
最近悩みが尽きない。
国立大なので学費はそこまでかからないが,5年分の学費を出させてしまう。あと,50万はなんだかんだでかなりの大金である。また,私のいとこには大学生が二人いてそれぞれ医学科,国立最難関大学に通っている。彼らはストレートで卒業する見込みなので彼らより劣っている学歴にさらに一年の留年してしますというダメ人間がこの家の長男なんだと思わせてしまうことが辛い。
私は現在の専攻に興味が持てず,大学院で情報系への分野転向を考えていた。独学でプログラミングの勉強を始めたがなかなか楽しかったので将来的にエンジニアになりたいと考えていたからなのと,情報系でかなり興味がある分野があったので大学院でそれらの勉強をしたいと考えていた。
しかし,留年してしまったのである。必修の再履修は絶対に落としたくなかったので,最前列で受講し,全出席,課題も全て提出した。テスト勉強もかなり時間をかけたのに,学部内容の簡単なテストを落としてしまったのである。現在の専攻に興味がないとはいえ,自分の中では頑張ったつもりだった。テストの感触もよかった。なのに単位を落とした。
大学の留年が確定した。非常にショッキングなことであり,ここ最近よく眠れていない。自業自得なことであるが,かなりしんどい
興味のない学科に入ったのは事実であるがそれは言い訳である。しかし,前期の授業はそれなりに真面目に取り組んできたつもりだった。
必修の再履修の授業などは一番前で休まず,受けた。先生に質問をし,課題も全て提出していたが,それでも単位を落とした。
期末試験は自信があったのに単位を落としたことを不思議に思い,授業の担当教師にアポをとり,訪ねた。
先生は定期テストの結果を私に見せた。点数はひどいものであった。失点は主に計算ミス,条件の見間違いなどのケアレスミスが多いものであった。
自分では一生懸命に勉強して,試験に出るような問題はテスト勉強で解けるようにした。国立大学に入る程度の学力はあったはずなのに,大学のたかが授業で扱う問題程度の難易度がテストになると全く解けない。必修ではないが進級に必要な専門の科目もポロポロ落としてしまった。これも同じような授業態度で受けていたはずなのに
どうすればいいんだろう
美術に限らず体育とか数学とか英語とか、学生時代成績が2だった私が〜〜みたいな前置きってたまにする人いるけどさ。
俺は公立中高の5段階評価だったけど、2っというのはどんな無能でも真面目に授業に出て課題出して定期テスト受ければ回避できた。
俺の知る限り、授業でないor常に睡眠、課題出さない、テスト勉強一切しないのうちツーアウトでやっと2だよ。2がつくというのは、こういった問題行動が顕著な場合だ。もう美術とか数学とか科目特性は関係ない。それなのに無邪気に「2だった俺が挑戦」みたいな文脈で出てくるから、世の中には純粋に美術なら絵のうまさで2を付ける学校があるんだろうか?おっかねえ……
結論だけ先に書かせてもらう。
「ネトゲ廃人をやめたければ、似たような別の、中毒性が低かったり人生捧げなくていいゲームに鞍替えしろ」
医学部に入って、速攻で嫌になった。
「自殺してやる」と家を飛び出したりした。
それくらい、やる気なかった。
6年たって、医師免許さえとってしまえば親も文句ないだろうと思った。
常軌を逸している。
2カ月勉強しても、間に合うか分からないテストが、半年に1回やってくる。
部活もキツイ部活だったが、サボりまくった。部活はさぼりまくったが、才能があったのか、大会では部内で一番勝っていた。
日常風景がネトゲで、リアル世界は仮想現実としか思えなかった。
当然ながら、テスト勉強もできず、2回留年。ホトンド最底辺でなんとか卒業できた。
あるいは、ネトゲをやっていなければ。
ネトゲなんて、いつでもできるのだ。
分からない。
そういうものだったのかもしれない。
このままでは人生が終わると、大学2年生(1留なので3回生)で、
ネトゲを種類を変えてみた。
なんとか、ネトゲの種類変更がうまくいった大学3年生は成績がよかった。学年10番位だったか。
大学四年生(2留したので6回生)で、さらにゆっくりなリアルゲームに変更した。
なんとか進級できた。
それまではそんなに強く意識したことはなかったけど、フランスの友人と話していたら、いかに日本の教育が遅れているか実感させられた。
友人は拙い日本語ながら一生懸命伝えてくれた。「日本の英語の勉強は英語じゃなくて、英語のテスト勉強だよね。フランスの英語教育も遅れてるけど、日本よりマシ」
日本の英語がテスト勉強なのは、大学受験がそういう制度で、学歴で社会の地位が決まっちゃうからなんだよと言うと、「その社会構造自体が終わってるね」と返された。笑うしかなかった。
少し前ツイッターでアメリカ育ちで日本に帰って大学に入学した人が、政治の話とか全然できなくて泣きながら向こうの大学に再入学した、みたいな話がバズってたけど、これは切実な話題だと思う。私も大学生になってようやくそういう社会的な話題ができる場所(サークル)を見つけたけど、そもそもそういう話題をする場所を設けてること自体に疑問を感じた。
政治とか社会問題とかって、もっとカジュアルに議論してもいいと思うんだけど。特に身近な人に対してはそう思う。何もネットで全世界に向けて発信するわけじゃない。情報媒体で得られることは、フィクションやコンテンツじゃなくて私たちの生きる世界で、私たちの生きる時代で起こっているのに。内輪で話し合うことでもっと関心が持てるようになるのに。
どうしたもんかなあ。
筋トレ:アニメ第3話 //回数が10倍から3倍になった。よかったね
空き缶:アニメ第3話
日直:アニメ第1話
傘:アニメ第3話
本屋さん:アニメ第5話 //「ヒミツなんかじゃないもん」が削られている
雨宿り:アニメ第5話
二人乗り:アニメ第6話
背比べ:アニメ第10話
席替え:アニメ最終話 //ハンカチを渡すのはアニオリ。きれいに纏めた
わき腹:アニメ第8話
水道:アニメ第6話 //ハンカチはアニオリ。最終話に繋げるためですね
21ゲーム:未アニメ化。西片が私にキスできたら西片の勝ちね。
お誘い:アニメ第10話
買い物:アニメ第7話
二択クイズ:アニメ第10話 //お誘いから繋げたのはうまいと思う
ホラー:アニメ第9話 //ポーカーをやらなかったため日直を手伝う理由が変わったのは残念
ウォータースライダー①:OVA予定
ウォータースライダー②:OVA予定
ウォータースライダー③:OVA予定
目薬:未アニメ化。目薬対決。巻末おまけ漫画に北条さんという一発キャラが登場
入学式:アニメ最終話 //過去回。自己紹介のくだりがやや原作と違う
氷:未アニメ化
あー、かったるい。。。。
来月のクラス替え。。。
マナト君と一緒のクラスになれたら良いけど、まさに宝くじやね。
思えば辛かった1年間
ウェーイ系に愛想を使い
このさじ加減に365日神経を使ってきた。。
それがまた1からだよ。。
なんなんだよこのシステム。。。
文化部だと舐められるから運動部に入るもそこで舐められたりね。。。
あー、かったるいの極みあああああああああ!!!!!
それもこれも私に度胸や芯がないからなんだけどね
それはそれで良いんだか悪いんだか・・・
・・・っていうの思いもできない私。
気を使う相手すらいない
親からは見放され
あーあ、ウエーイ系に愛想笑いしてみたいな。
あーあ、テスト勉強、してみたいな
所詮ないものねだり、あったらあったでやはりうざいのだろうけど
きっと私は誰かの一番はなれないし、私も誰かを一番に選ぶことなんてないんだろう。
私は誰かを好きになることもなく生きてきた。恋をすることなく生きてきた。
学生時代には友人の恋バナを聞いて、会社に入ってからは同僚や先輩たちの恋人の愚痴を聞いて生きてきた。いつかは自分もこうなるんだろうか、なんて考えながら。
小学生の頃、○○ちゃんは○○くんのことが好きだとかそういう噂話をよく聞いた。小学生の頃の「好き」は何だかおままごとみたいというか、噂する方もあまり真剣みがないというか、子供らしい遊びの一種というか、とにかくなんとなく「軽かった」。
中学生になってからは、そういう話は仲の良い子達だけでひっそりと語るようになった気がする。小学生の頃よりはそういった話題に慎重になった感じがするのだ。彼氏、彼女という言葉に現実味が出てきた。
テスト期間中、少し早く登校したときに、教室で同級生が仲睦まじくしているのに少し驚いた。邪魔をしてしまったなと思いながらも私は席についてテスト勉強をし始めた。
高校生。私の周りだけかもしれないが、恋人がいる、交際をしている……という子は少なかったような気もする。それでも中学生の頃よりは恋人がいる子が増えた。彼氏、彼女持ちは鞄にお揃いのディズニーのマスコットをつけていた記憶がある。一緒にディズニーに行ったんだろうな~。そんなことを考えていた。
高校生になる前はうすぼんやりと「高校生になったら私にも恋人が出来るんだろう」と思っていた。雪が溶けたら春が来るだろう、くらいの何の根拠もない漠然とした話だ。当然、私には彼氏も彼女もできなかった。
私は大学にはいかずに専門学校へいった。ちょっと特殊な学校で、私の在籍した科には十人ほどしか人がいなかった。男女比は極端に片寄っており、でもそれに何らかの不満も抱くことはなかった。ここでも恋人は出来なかった。けれど周りを見渡せば、恋人がいない方が珍しかった。バイト先や高校で知り合った人と交際しているのだ、という話に私は「すごいね」と笑った。自分には何だか現実的でない話のように思えたから、本当に他人事だった。
恋人が欲しかったか、と言われると返答に困る。人の話を聞くといたら素敵だろうな、お休みの日に出掛けたりしたら楽しいのかな、などと思えるけれど、女の子達の「彼氏とずっとラインしてる」や「三日もラインに既読がつかない」なんて話を聞くたびに正直『めんどくせぇな』と思った。そんなにこまめに連絡を取る几帳面さは私にはなかったし、そんなにたくさん話すことがあるものなのか、と驚いた。
でも、クリスマスになると男女問わず恋人に何をプレゼントしよう、どこでデートしよう……なんて頭を悩ませているのが素敵に見えた。恋人がいない身ながらも、プレゼントはこんなのがいいんじゃないかとか、こんなところでデートできたら素敵だとか、友人の相談にほんの少し乗ったこともある。
会社に入ってからも、私は恋人を作ろうとはしなかった。多分心のどこかで突然できるものだと思っていたのだろう。望まなくともそのうちなるようになるんじゃないか。今は恋人より仕事の方が大事だし。そんな風に考えて、結局ここまで来てしまった。
かつての同級生も結婚や出産をし始めている。二十三才の頃に「このままじゃいけないんじゃないか」と焦って婚カツをしてみたりもした。そこで私は気づくのだ。「私は恋が出来ない人間なんじゃないか」と。
そこまでの経緯は省くが、婚カツをしていてなんとなくいい雰囲気になった人がいた。何回か一緒に出掛けたりして、ランチしたりショッピングもしてみたりした。何しろ恋愛経験がないから男女が二人で連れ立って何をするものかもわからない。それでも何となくそれらしいように振る舞った。そのくせ、ショッピングしている間も食事をしている間も、私の頭の中には「何をしているんだろう」という疑問がずっとあった。
知らない人とご飯を食べて、買い物して、それで私は何をしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
デートのような何かを終えて、別れ際に相手の人が笑顔で「またね」と手を振ってくれた。
本来ならこれはとても良いことなのだろうし、私に好意を向けてくれたのは本当にありがたいことのはずなのだ。けれど私は「ええ、また」と微笑む一方で「馴れ馴れしいな」と思ってしまった。
馴れ馴れしいな。そう思ってしまった瞬間に、私は「恋が出来ない人間なんじゃないか」とふとひらめいてしまった。
厳密に言えば私がしていたのは婚カツだし、婚カツとは結婚相手を探す活動だ。だからもしかしたらそこに「恋」を求めるのはお門違いなのだろう。
ともかく、好意を向けてくれたのであろう相手に「馴れ馴れしいな」と思ってしまった自分の最低さを恥じながら、私はその半月後には婚カツをやめていた。
恋人ってなんだろう、と思春期のような問いをずっと抱え続けている。婚カツをしている間にドライブに誘ってくれた異性も、夜の食事に誘ってくれた異性もいる。けれど、最終的には「面倒くさい」「ちょっと気持ち悪い」というような、本当に失礼な気持ちを抱くに至ってしまった。
ドライブといえば車の中でふたりきりなのだろうし、夜の食事といわれるとどうしても身構える部分がある。
「用心深すぎる」「隙がない」。知人友人によくそう指摘される私は、ここでも用心してしまった。
車で二人きりになって、そのまま知らないところへつれていかれたらどうしよう。食事で席をはずしたときに飲み物に変なものを混ぜられたらどうしよう。
書き出していて思ったが、これは都合のいい自分への言い訳なんだろうな。用心深く相手を見るということは、つまりは相手を信用していないというわけで、きっと私は端から相手のことを信用しようだなんて思っていなかったのだろう。でもそんな自分を正当化したくて「用心深い」なんて話を引っ張ってきたんだろう。
人を好きになるということは、その人を尊敬するのと似ているように私は思う。尊敬できる部分があるから好きになれるんだろうと思う。一緒にいて心が楽になるとか、楽しいとか、そういうメリットがある人間を人は「好き」になるんだと思う。自分にとってデメリットばかりの人間を好きになるひとがいるとはちょっと思えない。
私も友人や家族のことは好きだ。尊敬できる部分があるから。でもそれは「恋」じゃない。
恋をしてみたかった。
自分の中の何かを決定的に塗り替えてしまうような、その人のことしか考えられなくなるような、一言言葉を交わすだけで胸がドキドキするような、そんな経験をしてみたかった。
けれど、自分がそういうものを望めない人間だというのを何となくだがさとってしまった。
きっと恋をすれば、恋人になれば、手を繋ぐ以上のこと、キス以上のことにもなれていかなくちゃいけないだろう。しなくちゃいけないんだろう。私にはどうもそれが出来ない。
手を繋げるのはおそらく家族と友人の範囲までだろう。他人の体温は生ぬるく、どうも落ち着けそうにない。キスも同じだ。映画、ドラマ、アニメ、漫画。物語の中で交わされるそれはドラマチックだけれど、自分がすることを考えると鳥肌が立つ。
一人でいるのは気が楽だ。自分のことは自分で決めて、自分以外の何者にも振り回されないというのがすごく楽だ。
誰かの一番にはなれそうもないし、誰かを一番に思うこともなさそうだ。でも自分が一番楽ならそれでいいや。最近はそう思いながら、恋人がいないことに悩む二十代のふりをしている。