はてなキーワード: だってとは
北村さえぼうみたいな気が狂った連中に関しては業界として「粛学」レベルの痛烈なる批判が是非共必要だと思うのだが、人社系大学人は本当にああいうのばかりに激甘で、逆にちょっとでも明確に右の人間にはクソ厳しいんだよな(現にこちらは水面下で「粛学」レベルの仕打ちがなされている)。— 雁琳(がんりん) (@ganrim_) February 14, 2020
北村さえぼう、さっきも書いたがシェイクスピア受容史研究は大英図書館の原資料とか読み込んでるっぽくてちゃんとしてそうなのがまた……あんだけ頭が「ミサンドリーという名のミソジニー」というか他罰性にハマり切って狂ってたら考察の方はやっぱり狂ってそうだが。— 雁琳(がんりん) (@ganrim_) February 14, 2020
そもそも雁琳の元ツイートにも前後のツイートにも「男性皆殺し協会マニフェスト」のことは一切出てこないのよ
さえぼうの当該発言を引用する形でツイートしてたなら10年前のことだろうが50年前のことだろうが少なくともツイートが『「男性皆殺し協会マニフェスト」なるものを紹介していた事実を踏まえて行われたもの』であることは認められてたわけ
裁判になって始めてなんとかさえぼう側にも問題があったんですって主張するために10年前の発言を引っ張り出してきて
「実は10年前の発言を踏まえてしたツイートです!」って言ってみたものの当然まともな証拠なんてない(だって自分がそのこと話題にしてなかったんだもの)ので却下されただけの話。
まあ認められたところで無意味なんだけど
というわけで
◯東京地裁は①「10年前の言説」を、②「当時は話題になっていなかったにもかかわらず取り上げて批判すること」は違法とした。
◯①そもそも10年前の発言を取り上げて論評するというのは言論にしろ学問にしろ普通にあることで、それをしてはならないとするのはおかしい。
間違い。雁琳の当該ツイートが「10年前の言説を踏まえて行われたもの」とは認められなかっただけ
◯①そもそも10年前の発言を取り上げて論評するというのは言論にしろ学問にしろ普通にあることで、それをしてはならないとするのはおかしい。
そんなことは一切言ってません
雁琳は一切その話題に触れてない。「男性皆殺し協会マニフェスト」に触れてなくてもさえぼうの話題=「男性皆殺し協会マニフェスト」と言えるほど議論されてたか?
それで会社の休憩時間に、そいつが家から持ってきたお菓子を配ってくれたりするんだ。
ドーナツには穴がなかったのだ。
これドーナツ?と聞くと「ドーナツですけど?」なんてさも当然と言ったように聞き返してくる。
いやいやドーナツは穴がなきゃドーナツじゃないでしょと俺が言うと同僚は「はぁ」と気の抜けた返事。
そんなのどうでもよくないですか?と言うので「よくはないんじゃないかな」と俺。
だって穴のないドーナツなんて聞いたことがないし、ドーナツは穴があってこそのものだろう。
そう言うと同僚は「ないものがあるのが重要だなんて、何か面白いですね」と笑った。
確かにとその言葉に納得し、温かいお茶と共にドーナツをいただいた。
甘みが程よく美味なドーナツで、穴がないドーナツもありかもしれないなと思い始めているとマグカップが目についた。
マグカップの取っ手にも穴があり、気が付いていないだけでこの世にはたくさんの必要な穴があるんじゃないか。
そんなことを思いながら、一時の休憩時間を過ごした。
死と同じイベントなんだよね。
妊婦本人は強がってそう言うかもしれないが、他人は「あら〜大変ねえ(可哀想)」って感じだよ。
妊娠出産てそういうリスクを負う人生を賭けたイベントなわけで、バレンタインデーみたいなのとは違うし、「嫉妬で叩いてるんだ」というのも浅すぎるんだよ。
これはバカがムキになってこの場でひねり出した寝言じゃなくて、受け売りのネタ元があるんだよね。
と左翼は言うわけだが、これは憲法が天与のものでないと成り立たない。
憲法だってしょせん道具であり主権者が自ら作り上げるものだという前提に立てば、憲法はあくまでガイドラインであって一方的に「政府を縛るもの」であるはずがない。
憲法も法であり広義の立法権の対象である。国民主権より上の存在はないので自分で自分を律するためにプロセスを二段階にするひと工夫がつまり憲法の本質なのだが
まあ増田で言ってもな
日本はともかく世界では憲法の書き換えって行われてるし、日本でも憲法改正のルールってのが設定されてるだろ、書き換え不能の天与のものだったら改正のためのルールなんて存在するわけ無いだろ。
どこをどう勘違いしたら「書き換え不能」って言葉が出てくるんだよ笑
「バカがムキになってこの場でひねり出した寝言」って感じするわ笑
※追記
現実世界では、二人は出会って友達になった。京本は美大に行き、死んだ。
二人が出会わなかった世界線では、京本はやはり美大に行っているが、死なない。二人は友達になる。
卒業式の時点で出会っていなかったら、京本は死なないで済んだし、二人は大人になってから友達になる。じゃあ、二人は出会わなかったらよかったんじゃないの?
出会えてよかったね、友達になれてよかったねって話じゃないよね? だって出会わなければ京本は死ななかったし二人は結局友達になるんでしょ? 出会わなければよかったんじゃないの?
要するに、藤野が売れっ子漫画家になるには京本の死が必要だったって話なの? 京本が死ぬ世界線じゃなかったら売れっ子漫画家にはなってなかった。これって感動する話じゃなくて不気味な、後味悪い話じゃないの?
「だけ」で正しいだろ
一方で整形費用はあると言うし、煽りを入れているし、情報を仕入れていることなどを示しているんだから、それを覆すだけの何かが無けりゃ「だけ」だろ。
ゲーム実況者であれvtuberであれ“本気で”やるならそれでいいと思う。逆に勉強だって雑にやると害がある。たとえば私はペーパーテストに適性があったから、適当にやってたら筑駒→東大と進んだが、単に才能にかまけていただけだったから「自分を鍛える」という能力が全然身につかず、大学院あたりでその訓練を最初からやり直すことになった。「練習する練習」をしたわけだ。で、それがある程度できるようになって改めて思うのだが、生きてゆく上で重要なのは、この自分に足りないものを認識して補ったり訓練したりするメタ的な能力であって、言ってしまえば内容はどうでも良いのである。私は勉強ができたけど、それはただ「勉強ができる」以上のことを意味しなかったわけだ。
そういうわけなので、増田の息子さんが、ゲーム実況者になるために戦略を練り、必要な技能を獲得するというメタ的能力を育ててゆける人間なら、それは人生を豊かにする役に立つだろう。増田はそのようにお子さんを誘導してみたらどうだろうか。具体的には、ゲーム実況者(あるいはvtuber)として成功するためのロードマップを引き、それを計画的に遂行するための手助けをするのである。
男だよ
「なんであんなに肌を見せたがるの?」と
聞いたことがあるとか
それでいつの間にかブラジャーのCMが嫌いになっていたよ。だって昔っからブラジャーのCMって
昔の子供ブラのCMだって未成年ニコニコさせながら私たちのおっぱいは…とか言わせてるの
裏でおっさんがにやにやしてるんだろなって無理
かと言って誰も出てこないCMはCGをえっちにしたり間接的にして逆にえっちにして
どれもセクハラ感がある
嫌なら見るなって言われるだろうけどさ
家族団欒でテレビ見てる時にセクシーなブラジャーのCM流れたら会話が止まるんだよ
見なくていいなら見ないわ
オーケーオーケー。長いこと付き合ってくれてありがとう。誤解のせいで余計に話を長くさせてすまんかった。
元々が与太話なんで、アイディアさえ伝われば、あとの細かい仕様を詰めるのも意味ないんだけど、それなりの移行期間を経れば、「今後、札の肖像部分は変えていくので、読み取り機はここに依存しないようにしてね」みたいな宣言(あくまで一例だよ)で、デザインの変更もできるようになるよ。最短で、渋沢栄一の次のタイミングで宣言できる。もっとも、2044年頃にそんな宣言したって、その宣言が役に立つのは更に20年後の2064年からかもしれなくて、ほとんど紙の現金は流通してなくて、困るようなラーメン屋さんもないかもしれないけど。
永遠に旧札が通用するかどうかは、いまだって聖徳太子が通用する券売機を設置するのは各企業の自由だし、券売機のコストや偽札のリスクを考慮して市場が決めればいいんじゃないかな?
何世代前までの旧札に対応するかは、券売機メーカーや、券売機を選ぶ各企業が決められるよね。設定で切り替えられるならなおよし。
「タイミングの問題だけで結局新札に刷新する毎の読み取り機買い替えが発生することは変わらない」というのも、もともと5年伸ばせるだけでもその間に潰れるラーメン店のことを思えば経済性は向上するだろうし、偽札偽造側が不甲斐なくて「ひと世代飛ばせる」とすれば、だいぶ助かるよね。現実問題、ホログラム無しの1世代前の福沢諭吉だって、いま(あなたが危惧するような、判定機が真札と判定するレベルで)偽造できればいろんなところで通用しちゃうと思うけど、偽札偽造側も案外不甲斐ないよね!
なお、正直
の部分は、とんと理解ができない。もしくは、私の話があなたに伝わっていない。すまんな…。
後半の指摘は理解できるよ。そこにはさらなる議論やアイディアがもたらされてもいいと思うけど、そもそもそこまで熱を上げる話題でもないというブレーキは、そろそろ必要だろう。
誕生日が苦手だ。
祝われたくない。祝うのも得意ではない。
ただ、誕生日を祝う文化自体は悪いものだとは思わないので、他人がお祝いしているのは楽しく見ている。
キャラの誕生日にたくさん投稿される創作物などはとても素晴らしい。とてもしあわせになる。
だが、自分自身は誕生日を祝われたくない。どれだけそう伝えても、分かってもらえないことが多い。
もともと産まれたのが誕生日をちゃんと祝う家ではなかった。時々祝ってもらっても、それは親によるご近所への「ちゃんと円満な家庭ですよ」のポーズで、各ご家庭に感謝の手紙を書かされたりした。
小学校に入るかどうかくらいのころ、祖母が「あんたの母はケーキも買ってくれないでしょうからね」とニヤニヤ笑いながら渡してきた千円札を、母に素直に渡してしまいヒステリーを起こさせたりした。
学校で「誕生日にはプレゼントを渡すのだ」と学んだので、ウキウキでお手伝いをして小遣いをせびり、貯めたお金で買ったプレゼントを母に渡したところ「現金が欲しかった」と言われたりした。
学校のプレゼント交換会で「無理なく渡せるもの」という先生の言葉に従って鉛筆を一本持っていって、イジメにつながったりした。周りはみな豪華景品だった。
これは世間にとって、誕生日がどれだけ重要なイベントかを把握できていなかった自分が悪いが。
あとは、誕生日を理由に会社でコラ画像を作られて貼り出されたとか、欲しいと思っていたアクセサリーを自分の誕生日に浮気相手に贈られた、など。言い出したらキリがない。
そういった細かな積み重ねの賜物で、誕生日を祝われる行為に、さしたる意味を見出せない大人が完成した。
普通に老けるの嫌だ。
大人なので、とうぜん我慢して世間に合わせた動きはする。おめでとうありがとうくらいは言うし、必要ならパーティだって行く。
ただ、気心の知れた人たちには「できれば理解してくれないかな」と淡い期待をこめて「誕生日は嫌いなので祝わないで欲しい」と伝えてきた。
伝わったためしがない。
遠慮しないでとか言われる。
こっちが祝われたくないって話なんだ!
嫌いなら、これから好きになるような誕生日にしようとか言われる。
昔楽しくなかった時点で今楽しく過ごすのは難易度が高いんだよな。昔の記憶が邪魔をするので。
「思い出の上書き」とか無理なんだと気がついてほしい。思い出は全て唯一無二なので、あなたとの思い出も何の代わりにもならない唯一無二である。
人間は産まれながら誕生日が好きな生き物、というわけではないと思う。
結局、誕生日が特別だって思えるのは今まで生きてきた中で培った能力の一つなんじゃないか。
そのへんも多様性ってことで「あーそうなんだね」程度に軽く認めてもらえないだろうか、と思う。
男だったらデキる男を演出したり極端な言論を言ったりしてフォロワーを稼ぐ。
こういうのでアクセス数増やしてYoutubeやアフィリエイトや企業案件で儲ける。
運で全てがだめになることがあるだけで、運で勝てるわけではない。
兄には運が悪かっただけで本人には何の問題もなかったよね
お前には頑張ったので人生に勝ててよかったね
この二つのポジティブは両立します。なので安心して勝利を享受せよ。