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はてなキーワード: 国立とは

2017-03-24

未来予想

国立研究所研究をし、大学教育をする時代が来るんじゃないかと思う。というか、もう来ている。


http://anond.hatelabo.jp/20170323162129


国力と技術を示し資源を確保するための宇宙開発と海底探査、再生医療ナノテク原子物理関係は、各研究機関で。

研究重点大学は一部研究室研究所化が進み、教育ほとんど担わない上席研究員のような教授准教授ポジションを増やすnatureなどには主にこういった研究所寄稿し、将来のノーベル賞もここから出るので安泰。


それ以外の大学教員は、教育を中心に働く。科研費下位クラス研究費が当たれば、どうぞ余った時間内に好きな研究してね(余るかどうかは知らない)、というスタンスになる。そんな研究費での研究でも、大きく当たれば研究所ポストがもらえるだろう。当たらない場合は、学生の頭で考えた持ち込みテーマや、金のかからない研究が増える。そんなことでは大学教員論文の本数は増やせないので、研究所のない大学では教育業績がより重要視され、論文の本数でポストを争うことも減る。


このような未来が見えている現在、一部の、研究重点化されていないのに研究やりたい大学教員阿鼻叫喚であるが、国は一切構わないだろう。経営ができない大学から統合廃校をはかり、少子化に合わせた大学数になる。

2017-03-22

プロブロガーに産まれたことを呪う

大学には現役で入ったが、第一志望の大学ではなかった。

これがよくなかった。



もともとは地頭だけは良いほうで勉強しなくても大学はいれるものだと思いこんでいた。

気がついたら、どこも入れる大学が無いことに気が付き、高3の夏から勉強をして地方では

そこそこ有名な大学へ入った。

(とはい地元国立の滑り止めだ。数学はやらなかったので、国立はあきらめた)



勉強したくもない経済学を学びに4年間も大学へ行った。

彼女は欲しかったが、持てなかった。これも生まれつき容姿が悪いせいだ。



そのことで自分に自信がもてず、就職活動は40社ほど全滅だった。

残された道はプロブロガーしかなかった。



そこで有名ブロガーサロンへ入ってみた。

プロブロガーになるには、顔出しすることがポイントらしい。

キモメンの顔をさらしても仕方がないと思ったが、

さらさないと生きていけないと言われたので、顔も実名も出した。

プロブロガー誕生である



しかし、これが失敗だった。

中途半端大学就職もろくにできないキモメンわたしですよ!

誰がこんな化物のブログを読みたいだろうか。



みなさんはリアルに後ろ指をさされた経験はお有りだろうか。

わたしは、どこにいっても、あいつがプロブロガーだよ。あははは。と笑われている。

こないだは、小学生散歩していた犬にまで笑われた。



こういうことを書くと大脳が壊れた哀れな末路とかすぐに言う愚かな人がここには入るが、

リアルに笑われた経験が無いからそう思い込むのだろう、ある意味幸せ人生だと思う。



とにもかくにもこうしてプロブロガー誕生した。

次のプロットサロンを開設することらしい。

から笑われつコツみたいものなら共有できるかもしれないと、犬の飼い主が言っていた。

2017-03-21

国は若者に「田舎死ね!」というのか

息子が大学受験に失敗した。

私は今、日本かどうかも怪しいような地方都市に住んでいる。

長くなるから経緯は省くけれど、私はおそらくこの化外の地で一生を終えるだろう。無念だ。

からこそ息子には東京大学に行って欲しかったし実際受験したのも地元で一校、あとは全て東京大学だ。

結局、合格したのは練習がてらに受けた地元の中堅大学だけ。東京大学は全滅だった。


私の願望を優先させて無茶な大学受験させたつもりは無い、と思う。

志望校については高校担任とも予備校講師とも、もちろん息子とも相談したけれど、

それは概ね「ありふれた挑戦」程度のもので、特に忠告も警告もなかった。


先日、受験後初めて担任と会うことがあった。

さすがに居心地の悪そうな顔をしていたが、それは「夢破れた保護者」に会ったからというだけでは無いらしい。

私の息子だけではなく、高校全体で大学合格者が急減しているというのだ。特に首都圏大学に限っていえば前年比で合格者は半減だそうだ。


どうしてこんなことになってしまったのか?

担任は「大学収容定員厳格化という国の政策問題」と言っていた。

どうやら国は大学の定員を厳格化することによって地方創生を目論んでいるらしい。


首都圏大学には全国から受験生が集中するため、現状では定員はオーバーするし、なにより地方の過疎や高齢化は進むしで良いことが無い。

そこで、大学の定員を締め上げ合格者の数を少なくすれば、地方に残る若者が多くなり地方活性化につながる、というロジックだ。

定員を超過すると補助金が減らされるから大学も本気で取り組んでいて、結果、地方民にとってこんな厳しい状況になっている。


ほんと、オブラートに包んでも言っても国は馬鹿だと思う。

そもそも地方田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金もいからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。

なのに「格の劣る地方民は都会にでてくるな!若い力で一から何も無い地元を盛り上げろ!」って、若者屯田兵か何かと勘違いしているんじゃ無いか

さすがに残酷すぎる。


もちろん定員厳格化地方受験生だけではなく、首都圏受験生にとっても影響は大きい。でもいざ浪人となった時、経済的にも環境的にも地方民は

あらゆる意味首都圏民より振りであり、また政策目的から考えるに「地方民狙い撃ち」と言っても良いだろう。


塾の講師から

最近地元志向の生徒も増えていますし、地元大学に進学した方がお父さんにとっても安心じゃ無いですか?」なんてアドバイスを受けたけれど、

地元高校から地元国立に進み、地元個人予備校講師をやり、首都圏に一度も出たことも無いお前が何を言ってるんだ、と思う。

彼は東京の「近さ」を知らない。

娯楽でも勉強でも仕事でも、東京はあらゆるものが近い。

美術館の新しい展示だって、有名コラムライター講習会だってちょっといかがわしそうな特殊バイトだって簡単アクセスできる。

この「近さ」は並みの若者が成長する上で必要不可欠なものだと、私は思う。

それに、インターネット日本中面白そうな事を見るだけ見ておいて、実際には体験できないなんて牢屋から空を見るみたいで悲しすぎるだろ。


「親御さんも安心でしょう?」だって

確かに不安は無いわけでは無いけれど、自分安心のために息子を何も無い空間に縛り付けるほど傲慢ではない。それは虐待だ。


息子が望む限り私は彼をバックアップしようと思う。浪人か、仮面浪人か。

地方民らしくお金に余裕があるとは言えないが、息子に家族共々仲良く田舎で一生を終えるなんて惨めな思いはさせたく無い。

もうちょっとだけ、頑張ろう。

2017-03-15

どう答えていいかからない

医学部を出ているというと、

みんなから



スゴイですね!

どこ大ですか?◯◯大って国立じゃないですか。へー。

専門は、内科ですか?外科ですか?



などと聞かれることが多い。

医学部といっても看護なのでどう答えていいかからない。

2017-03-10

関西地方都市部でも十分当てはまるような「都市問題」でいちいち東京東京がっていうのはなんか気に食わん。

どうしても大学東京に行かなきゃいけないのって、東大内官僚とか志望と、早慶上理東京芸大私立獣医ぐらいでは?

東京都下などからなんとなく高学歴になるためとか学者になるために東大に行く層とかは京大でいいし、

マーチ行く層は関関同立で、日東駒専行く層は産近甲龍で、それぞれ十分な気がするし。

と思ったけど、よくよく考えれば千葉大学ぐらいのレベル国立がない気がした。神戸千葉代替には高すぎるし。

でもそれぐらいか。あとはほとんど関西にもあるように思えてならない。

他に東京しか無いのは、デジハリとか?

2017-03-07

もうすぐ国立前期の合格発表ですねー

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

3/10東大合格発表ですね

さあ、あなたはどうなっているでしょう?

Twitterでいつもおっぱいとかたっのしー!とかバカな事ばかりいってるあの人でも東京一工早慶ですよ?

弟が嫌い

弟が嫌いだ。

まれた時からなんとも言えず弟のことが嫌いだ。

大きな理由は無いが、強いていうならば、



ちょっと鼻にかかった声が嫌いだ。



くせげっぽいカールした髪の毛も嫌いだ。



いつもお小遣いがもらえる前に使い切って、母にお小遣いたかる弟が嫌いだ。



スキー家族へ行った時、弟のはいているスキー板の色も嫌いだった。



おにぎりの好きな具が、シーチキンマヨの弟が嫌いだ。



お兄ちゃん大好きといってくるあざとい弟が嫌いだ。



私立中学校受験した弟が嫌いだ。



その私立中学を不合格になって、ろくに勉強もしてこなかったのにワンワンと親の前で泣く姿が嫌いだ。



地元公立高校へ進学した時に、たいした学校でもないのに、浮かれて線路に寝転がった自分の姿を撮影していた弟が嫌いだ。



大学には国立を目指すといいながら2浪して、東京の私学へいった弟が嫌いだ。



大学にも結局ろくにかよわず6年目に中退した弟が嫌いだ。



中退後に家にはかえってこず、仕送り引きこもりのような生活を3年続けていた弟が嫌いだ。



小説家になるといって、何一つ作品をつくれない弟が嫌いだ。



家にかえってから引きこもりのような生活を続けている弟が嫌いだ。



帰ってきてから10年も引きこもっている弟が嫌いだ。



親の葬式にも部屋から出てこなかった弟が嫌いだ。



壁をカリカリカリカリ音をたててくる弟が嫌いだ。



時々ガサガサガサガサと音をたててくる弟が嫌いだ。



寝ている時に、顔に油を垂らしても起きない弟が嫌いだ。



お兄ちゃんが目の前で罵っても嫌がらない弟が一番嫌いだ。

センター日本史B13年連続93点以上

これくらい取れる位、日本史知識センター日本史攻略法知識があるんだけど、なにかこれを活かす方法いかね。

ちなみに人に教えるのもめっちゃ得意。それと国立2次と一部私大にも対応可能。ただ9年連続無職なんだ。

2017-03-06

この世はクソだが生きている

 生まれたところが悪かった。家は一番近い、通っていた小学校から1kmぐらいあり近くに店というかコンビニすらなかった。田舎田舎でも、周りは工場で、あるのは汚い海と里山とは言えない荒れたしょぼい山。

 他の同級生はみんな家への帰り道で友達と一緒に帰っている。自分学校から200メートルぐらいまでの帰り始めは同級生と帰っていたような気がする。しか自分はとっとと同級生たちと別れて1人で家への道に向かった。友達、というより、同級生すら近所に1人もいなかった。ひとりぼっちで家へ帰る。コンクリートが敷き詰められた道の上で足を進めた。夏は暑いし冬は寒かった。うらやましかった。友達と一緒に帰る同級生が。家に帰った後に家の近くで遊ぶ同級生が。自分と言えば部屋でDSを寂しくプレイしていた。

 そんな状況もあってか、小5ぐらいのときからいじめられた。反抗してもそれ以上のものが帰ってくるだけだと思っていたのでただただ泣いているだけだった。その状況を上っ面だけの友達もどきには相談できるはずもなく、担任教師毎日起こる他の人間のけんかの処理で手一杯、母親病気の手術後でそれどころではなく、父親は唯一の稼ぎ手で疲れて帰ってくるので言えない、姉貴に言ったところで何になるのか。結局言えずじまい。どこのどいつも信用ならない。それでも小学校には通った。謎の義務教育という言葉に勝てなかったからだ。

 話は変わるが題の“クソ”は小学校時代に学んでしまったことである自分いじめられていたのは上述のとおりだが、それ以上、自分以上にいじめられている男子生徒がいた。自分はいじめられたのでどうしようもない、助けに入ろうものなら自分のもの悪化するのはみえている。どうしようもなかった。そのときに周り、学年に1つしかないクラス、をみたがいじめに加担する人間、見て見ぬふりをする人間、がいた。がいた、というよりもそういう人間しかいなかった。同じクラスいじめが起きていることがわからない小学生などいなかった。その子へのいじめはついに小学校卒業するまで終わらなかった、自分のもの同じだが。自分より弱いと認定したら誰かが介入するまで終わらない、たとえそれがPTA会長の息子であっても。こうして学びたくないことを自分小学生で学んでしまった。

 話を元に戻すとして、義務教育十字架を背負って、なんだかんだあった小学校卒業した。中学校では部活には入ったものの、他人に愛想をつかしていたので、ほぼさぼって家でPCを使ってインターネットサーフィンをしていた。他人を気にせずなんて快適でいろいろ知ることができるのかと思った。はてな出会ったのもこのころDSiうごメモはてなを始めてからだ。そこからはてなブックマークブックマークってなんだそれ、といいながら始めたのである。そんなことをしていたので中学生になっても終わるまで結局友達といえる人はできなかった。

 家に帰ると快適だったが学校生活はほぼ変わらず、何故かというと自分たちがいた小学校からほぼ全員が同じ中学校に上がるためである。荒れ具合で言うなら、小学校でも脱走騒ぎなどはあったが中学校のほうがひどいものだった。3階から牛乳瓶が降ってき、学校敷地内では煙が上がりボヤ騒ぎ、靴箱まで自転車で乗り上げてくるのは何も珍しくはなかった。自分に対するいじめは続いていた。いじめをする人間は他の小学校から来た人間に代わっていたが。そのころはもはや今では使われなくなった言葉だが、厨二真っ盛りで、洋楽にはまった。ゲーム経由で。聞いたことのないロックメロディーでカッコいい歌詞、これがなければ今の自分はない、いないだろう。それとは関係なしにそれまでの自分に対するいじめピタリとやんだ。原因は悲しいかな、恥ずかしいかな、中学一年生にもなって、おもらしなるものやらかししまったのである別に増田の恒例にのっとって書いているわけではない、真実なのだ。大ではなく、小だったが。推察するにいじめ主犯格自分の1つ後ろの出席番号だったのでテスト中にもらした自分がまるで何もなかったように一日を過ごしたため、狂気性を読み取ったものだと考えられる。不幸中の幸いにもその情報は他のクラスには漏れていなかったのだろう、そして2年生になりなにが起きたのかわからないが、学級委員長になった。そこには自分いじめていた主犯も同じクラスにいたのだが、2年生が終わるころにはまだ1年あるのに授業の先生ごとに1年間ありがとうございましたというお礼を言いに行くまでのクラスになった。謎だった。授業中にもインターネットもじぴったんで獲得した知識無双できたのは記憶に残ることである。3年生になると2年生がまともだった反動と、小学校自分いじめてた主犯と同じクラスになったので特に記憶はない。いじめられるのはほぼないに等しかったが。

 悲しいことに高校勉強ほとんどせず推薦入学で決まってしまった。勉強はしないのにテストの点はいい。中学校では大丈夫だったことが高校で牙をむくことになる。特になりたい職業も決まっていなかったので入った高校普通科。だったため、毎日勉強パレード落ちこぼれた。小学校から家に帰ってはゲームネットサーフィンと遊ぶ習慣は抜けなかった。勉強がつらいと聞いていたので入った部活もあって活動していないようなもの毎日授業が終わっては青春を謳歌している同級生を横目に家までの道のり約20kmを自転車で帰っていた。今思うと勉強がつらくてもまともな部活に入っておくべきだった。異性との交流はまだしも同性と汗を流して青春すらしていないことは今の自分に影を落としている。ほぼ勉強はできなかったが、英語だけは中学生の頃に洋楽が好きになったこともあり、予習をすることができた。相変わらずとくにしたいことも見つからず、理系に進み、授業を受けた。3年間も堕落していてあっという間に過ぎ、センターを受けた。前期は落ちたが、後期で滑り込んで地方国立工学部に受かった。これもひとえにセンター英語の点が150点を超えていたからに違いない。卒業式時点では決まっておらず、進路が決まって学校に行ったら担任先生がちょうどいなかったのでお礼の言葉を言えなかったのは心残りである

 書くのを忘れていたのだが、自分女性に対するトラウマがあった。まだ、自分小学生低学年のころは幸運にも上級生がおり、数人の集団で下校していた。集団で。その人は、女王様みたいな人だった。みんなで集まって帰るのが常だったのが、ある日待っても待っても自分以外の上級生がでてこなかった。それにしびれを切らして自分一人で帰ったら、次の日、こっぴどく怒られた。泣いた。泣いても怒られ続けた。それ以来、女子、もとい女性に対するトラウマ、同じ空間にいるだけで挙動不審になる程度のものがあった。

 大学生になった。眩しかった。同時に今までの自分を変えなければ、と思った。社会に出て他人とかかわらずに、女性と同じ空間にいることなしに生きていくことはできないと悟った。かといって頼れる人もいなかったので荒療治することにした。学部工学部でいないため、女子とかかわることはない。となったため、女子率90%以上のサークルに入った。最初挙動不審オンパレード、視界にいるだけで挙動不審になっていたが、もう今となってはほぼそうなることもない。幸いなことに入ったサークルの内容が自分人生においてゲームインターネット、の次にはまることのできるものだったので勉学そっちのけではまっていた。同期には男子もいたので良かった。その男子と友達になった。友達になれた。入って1年で上級生になり、同時に部長にもなった。居心地のいい空間を目指して奔走した結果、今では家に次ぐ第二の居場所であるサークル以外では、ボランティアアルバイトもした。大学生になって初めて一人でホテルに泊まり、みんなでカラオケに行った。ゲーム会をした。モラトリアムはすごかった。ずるずる引きずられながらも普通科高校に行っておいてよかったなと思った。

 振り返ってみると散々な小中学校勉強特に語ることのない高校、今のところ唯一楽しかったといえる大学、といったところであるどん底を知っている奴はそれを知らない奴より、強いかもしれませんね、とジョニー先生は言う。自分にとってはどん底だった。でもこれからはもう大人で、自分未来自分で決められる。支えは少ないけれどこの縮みきったバネを思いっきり伸ばしていこうと思う。これからまれてくるこどもたちに自分のような思いはさせない。

P.S. これはシュウカツ!-シュウショクカツドウ-を迎えるにあたって、自分人生を振り返るとともに、たまっているストレスを吐き出すために書かれたものである。まだ大学生活は1年あるが、いまだに彼女はできていないので来年になったら大学卒業したが童貞卒業できなかったとネタにすることができるだろう。なんかかいたら大分すっきりした。死にたいと思ったことは数知れず、でも生きているのだ、ここに。

 

2017-03-04

貧乏低学歴彼氏のいる院卒アラサー女は私だ

職場出会った業者男の子と付き合っている。顔が好みで、若いのに仕事も良くできるところに惹かれて私からアプローチした。

彼氏は謎の大学を出ている。全然いたこともない名前だったので検索したら、偏差値35だった。

彼氏実家貧乏だ。むかーし父親離婚してから母子家庭団地暮らし

それ聞いても、「ふーん」としか思わなかった。話していて機転も効くし身なりもきれいだった。

でも、付き合ってそろそろ1年ぐらい。戸惑いを隠せない。

彼の家族や親戚はみんなブルーカラー。彼も高校定時制に行って働くつもりだったけれど、節目節目でお母さんに「普通科高校に行きなさい」「大学に行きなさい」って言われて、底辺私立高校Fラン私立大学に推薦で入ったらしい。

一方、両親が地方公務員の私は、兄の背中を見て自然中学受験して田舎トップ校に行き、東大目指して浪人までして、東大実戦も東大オープンもA判定無双してたのに、本番では早稲田まで落ちて都内国立女子大入学。一生もの学歴コンプレックスを負った。大学院東大にいったが、所詮ロンダリング

勉強していい大学出ないと貧困連鎖は止まらいから、私が彼なら遮二無二机に向かうだろうし、せめて地方国立大に行くんじゃないだろうか。高校公立を目指して努力するだろう。彼の人生選択が、ほんとうに想像付かない。

案の定、いまわたしはダラダラ公務員やって、彼のほうがよっぽど忙しくて難しいことやってるのに、収入はたいして変わらない、というかいずれ私のほうが稼ぐようになる。

私なんか東大でも早慶でも国公立医学部でもないか友達の中ではダントツ低学歴だし、大学院の同期の中でも一番の低収入なのにおかしな話だ。

私の実家では、夜遅くテレビ禁止だったし、家に本棚がいっぱいあって、そこから好きなものを選んでは読んでいた。今も図書館に行くのとAmazon書籍を買うのが好きでテレビはそろそろ捨てたい。

彼氏の家に行ったら、本棚がなかった。世帯用みたいに大きなテレビが鎮座してて、彼は帰るや否やスイッチを入れる。しかも何を見てるわけでもない。久々に覗かされた番組からは、無駄な雑音とポリティカルコレクトネス概念存在しないかのような悪意のない差別が垂れ流されていた。テレビの前のふたりの会話は、断片的で、どこかに流れていった。

政治観も私も私の友達もみんなゆるやかな左派なのに、彼はネウヨだ。「そんなのは教育のない人がいうことだよ辞めて。」ってたしなめそうになって、言いようもなく虚しくなった。

友達からは「何でその層と出会ってしまたかなぁ…」って呆れられた。私も、生きてる社会レイヤーが違うなぁって時々思う。「深入りする前に別れなよ。どうせ話のつまらなさに我慢できなくなるよ。」「将来、子ども受験のことで揉めるよ。」とも言われた。

それでも離れられないし、愛おしい気持ちが溢れるのは、彼が優しくて、しかも何の遠慮もいらないから。

私もそうだけど、言葉ラリーで遊んでる人間は、たいてい表面だけ合わせて裏では舌を出してる。気遣い言葉に心がこもってないのは、高度な脊髄反射と言ってもおかしくないレベル趣味とか生活スタイルとか、変なとこには拘って逆に常識から無頓着

彼のことばはとき愚鈍とき陳腐だけど、私を値踏みせず受け入れてくれて愛情深い。私が提案したことに「いいね、すごいね」って賛成してくれる。友達といるときみたいに笑いすぎて死にそうになる事はないけれど、穏やかに甘えさせてもらっている。そして、家事をそつなくこなしたりパソコンを直したり、彼にしかできないこともたくさんある。私が女性からという理由でサブに回らせたりも、絶対にしない。

具体的に話せば話すほど、私が彼をワカラナイとしてるところも好きなところも、知識基盤社会を盾にした弱者への差別とその合わせ鏡ではないかと情けなくなる。

大学院社会科学を齧り中道左派を気取って、格差社会とか子ども貧困とかに心を痛めているはずだったのに。大好きな日本国憲法にも差別ダメ絶対って書いてたのに。彼の環境にも人生選択にもほんとうに想像が及ばないのだけれど、それって、心理的に橋をかけるべきところに壁を作っているのは、私だ。

逆に彼は、正論を吐くふりをして、素朴にヘイトを連ねる私といて息苦しくないのだろうか。

私には兄がふたりいる。次兄は東大卒で、長兄は知的障害者だ。親は、長兄について差別された悔しさを下のふたりへの教育に注ぎ込んだ。もちろん金銭的にも。次兄の中学受験成功から、周囲が掌を返したと親は言う。家族の長兄への当たりは厳しく、私も長兄が可愛そうだと思いながらも生理的嫌悪感を拭えないし将来への重い負債に見える。地方のとても歪な家庭である

から大学時代から東京でたくさん出会ってきたほんとうに何不自由なく育ってほんとうに自然に一流大学に行ったリベラルインテリ・シティボーイには引け目を感じて、結婚での家族ぐるみでの付き合いを考えると踏み出せなかった。

結局、私の周りには差別が幾重にも絡まり合って、がんじがらめにされているのだ。私の偏見まみれでしなやかさを失った精神は、そこからすり抜ける術を持たない。

彼はもうすぐ私を実家に呼んでくれるらしい。私は学歴至上主義の親に彼氏存在すら伝えていない。こんなに素敵な彼なのに。

逡巡しているうちに私には30歳の足音が聞こえてくる。

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170303001634

だれでもなれるのは40年前じゃないの?

今は国立以上のスキルがないとなかなか受からん

2017-02-27

さて国立大学入試の前期日程が終ったころですが

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

どうでしたか

難関大学って難しいでしょう?

ほんと、勘違いしちゃだめですよ?

俺は難関大学出身ですけどね

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225233505

どうせ有名私大卒も国立卒も本物の底辺気持ちなんてわかってないくせに

なんだかんだある程度恵まれてる立場のくせに

ああやって言い合いされたらそりゃ文句の一つでも言いたくなるわ。

http://anond.hatelabo.jp/20170225224707

安全志向受験生と「挑戦志向受験生の違いでは。

センター8割超えとかする層は所謂最難関志望が多く、東大京大に出願しても確実に受かるとは限らんし、

偏差値40代底辺駅弁に行くぐらいなら後期も一橋とかに出す。つまり、国公立に落ちる可能性が普通に高い。

そして、仮に国立に落ちても、そもそも有名私大に高確率で受かる。

でも、そんな上を狙わない「普通受験生」なら、8割取れても安全志向して底辺駅弁に出すかもしれんし、

もともとそこが第一志望だったのならなおさらだ。それならたぶん私大は受けない。

あと、危険を犯して上位に出願しても落ちやすいし。

http://anond.hatelabo.jp/20170225224046

センターとっても普通に私立受けるって感じだったけどなあ。昔ってのがいつなのかは知らんけど。

例えばセンター8割8分割取って、東大一橋に出願、それでも早稲田受けに行くとかむしろ普通だったし

試験会場が国立志望者のたまり場と化すぐらいにすべり止め私大受けてる人達がいたけど。

試験会場で国立赤本開いてるやつとか普通にいたもんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20170225220137

そうなのか?

底辺高校センターロクに取れてないのに二次逆転していいとこ行った人とか普通に同級生にいたけどなあ

その横浜国立にあまりよろしくないとこから行った人もそんな珍しい感じではなかったし。

まあ時代のちがいってやつなのかも。

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170214104116

大学受験なんて早稲田文系なら3科目、慶應なら実質2科目じゃん。そう深く考えるな。黙って代ゼミに金を積め。



田舎国立理系志望とかだったらすまん

2017-02-09

誰もが違和感を感じない大学を目指して、国歌斉唱の導入反対

誰もが違和感を感じない大学を目指して、国歌斉唱の導入反対の賛同署名のお願い


みたいなビラが大学中に張られてる。

地方国立のT大学。なんて恐ろしい。

写真とってきたけど増田じゃあげられないのね。いやんになっちゃ

2017-02-06

中学受験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

うちは親が両方とも高卒で、学歴コンプレックスから受験させられたので大変だった。なんせノウハウがないのでSAPIX行かされてあとは放置。配布される大量のプリントを整理する能力もないので机の両脇に山積み。復習なんて一回もしなかった。

結局第3志望に落ち着いたが、振り返ってみるとあれが良かったことなのかどうか分からない。それから大学院まで含めた12年間の学生生活できっちりと自由競争至上主義拝金主義に陥り、学力収入は手に入ったが、人格的にはきわめて下劣人間になった。



いま親戚の子が同じような状況でSAPIXに行かされているが、昔の自分を見ているようで苦々しい気分になる。おそらく開成から国立医学部に行って医者になるだろうが、結局同じことになりそう。



日本エリート競争に晒される過程高潔さを次第に失っていく(実力とカネがあれば何をやってもいい的な思考に陥る)が、それを回復する機会がほとんど無い。

西欧ならキリスト教がこれに該当するんだろうが、日本には何があるのだろう。

2017-02-03

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。



「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。



母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。



日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。



母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。



そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。



専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。



ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。



中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。



対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。



母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。



就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。



近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。



しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。



私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。



その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。



おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。



その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。



この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。



徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。



ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。



これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。



私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。



そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。



いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。



そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。



母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。



それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。



薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。



同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。



また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。



結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。



そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。



近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。



さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである



しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。



センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。



でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。



老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。



ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。



こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。



アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。



翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。



電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。



正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。



最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。



正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。


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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

2017-01-18

自主防衛なんて無理だろと思う理由

日本太平洋戦争突入した理由として、二言目には軍部暴走がどうのと言われる。

しかし、これは当時貧しい家に生まれると、立身出世するためのルート軍隊ぐらいしかなく、

彼らの勢力を抑えようにも抑えられなかったという事情もあるらしい。



現代は、まさにこの戦前空気に近づきつつあるのではないかと思う。

高校無償化といっても、今はそこまで義務教育みたいなものだ。

給付型奨学金がどうのと言ってるが、今出ている限りの情報だと、貧困家庭に行き渡ることはまずなさそうだし、

しろ国立学費私立に合わせて引き上げようとすらしている。

困ったことに師範学校も、教師になれば奨学金減免される制度ももうない。

奨学金という名のローンを背負っても、その後の就職先があるかも疑わしい。

いい加減、防衛大にでも行くしかない状況になりつつあるんじゃないか



さて、最近安倍が言ってる一億総活躍とやらは、もう男性所得はこれ以上伸びないので、

女性高齢者も動員して家庭内収入を増やそう、そして家庭内互助を成立させようという政策らしい。

しかし、自分はこれも失敗すると考えている。男の所得上げなきゃどうしようもないだろう。

家事育児介護女性に集中する現状(という理由にしとこう)で、女性結婚しようと思えるだろうか。

仮に、これらを積極的に担うことで、所得の低さを補おうとする男性が現れたとして、

女性が彼らを選ぶだろうかというとこれも疑わしいのだが、それはひとまず置いておこう。



防衛費がないとか、周辺国理解が得られないとか、そういうのもあるんだろうが、それ以前にだ。

優秀な若者が軍にばかり流れるような世の中は作るべきでない。

こんな閉塞した状況で自主防衛なんかやろうとしたら、またクーデター起こるぞ。

2017-01-13

25歳非正規雇用、もう取り返しがつかないと夜中に泣く

センター試験文系3科目で6割も取れたので見事センター利用全部不合格を達成した。あんもの国立志望が滑り止めを確保するためのものであって私立しか受けないやつにとってはどうでもいいというか、受けるところのレベルにもよるけど普通試験で受かる方が簡単と気づいた、頭が悪いので。

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