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はてなキーワード: 作品展とは

2024-02-04

ブラザーペナルティ」という用語が広まるきっかけになったのってどうもこの写真っぽいけれど、

この家庭の場合四人きょうだいで、一番上の姉には弟だけじゃなくて妹もいるって事だよね。

なのになんで「弟のいる姉」だけの問題にされるのか

上手い事美味しい汁を吸ってる妹の存在は透明化されるのか

女同士の格差っていつも巧妙に覆い隠されるよな

https://twitter.com/kiyoneko0214/status/1753045132755271860/quotes

@cowb5ar0kxr3

·

22時間

下の3人きょうだいのために自身の進学を諦めたお姉さんの自己犠牲献身が「派手な学歴」を並べるために覆い隠されてるのグロすぎるな

TADA

@kiyoneko0214

この写真エモい

から藝大、藝大、東大

私が生まれた時からシングルマザーで育ててくれた母親。ここまで育て上げてくれてありがとう。貧しい中で好きなことやらせてくれてありがとう

末っ子学生生活が無事終わります

藝大修了作品展明日最終日です。よろしくお願いします。

2023-11-24

港区男女平等参画センター「男いらない」

https://i.imgur.com/qBh7s9r.jpg

https://x.com/LIBRAMINATO/status/1724750307106943143

団体作品展】#リーブラ で活動する団体から募集した、パープルリボン運動シンボルカラーである紫色の入った作品を展示しています

運動趣旨にそぐわない、また誤解を招く展示があったため、当初ポストを削除の上、展示内容を一部変更いたしました。

公式なのにまともにチェックしとらんかったんかな

それとも溢れ出る本音を抑えることができなかった?

いずれにしても特大の不祥事だと思うけど意地でも謝罪せずに企画を続行しようとする姿勢は凄いね(褒めてない)

もしかして男女共同参画的には男性差別OKってこと?

しかし「男いらない」に誤解も何もないだろうに

2023-05-29

ハンギングバスケットお稽古事になりおおせてるのを知った

90年代ガーデニングブームとき、猫も杓子もガーデニングサントリーサフィニアを育ててた頃、

から花が溢れるように見せるのが流行って売れまくってたハンギングバスケット

ハンギングバスケット協会なるもの現代もあるのは協会会員が作品展示してて名前は見てたが、

先日聞いたら、植える株数は10と決まってて多くても少なくてもダメ

登録料を定期的に払う許可制登録しないと人に教えてはいけない、教えるには本部まで行って試験受ける、等々

ご立派な生け花教室になってたのを知った

花関連は池坊などの華道の影響でとかく何でも「お稽古」にしてしまうのは、知ってるつもりではい

(花と名がつけば、ドライフラワーだろうと造花だろうと全て先生とお弟子さんの関係に押し込まれる)

が、あんプラスチックとスポンジの大量生産品に花苗を突っ込むだけのものが「芸事」になるのかと驚いた

ほんと、お稽古が好きだよな日本人

それでいて国際舞台フラワーデザイン技術コンテストでは勝てないんだけどね

2023-02-11

ととのう温泉美術館にいってきた

朝、NHKローカルニュースを見ていたら、近くの温泉ホテル現代アートフェスをやってるというのが流れてきた。

個人的美術には造詣が深くない。持っている美術知識といえば大学一般教養で受けた西洋美術史概論(途中でいかなくなったため単位未取得)とダヴィンチコード(序盤で読むのやめた)くらい。

特に現代アート」なんてものはわけがからない。ルネサンス絵画印象派の絵なら実物を見て、「あ、これ知ってる!」「すごい!」、「うまい!」、「きれい!」などの感情を抱けるが、現代アートと呼ばれるものは、見ても「?」、「これがアートなのか・・・アートってなんなのかよくわからん・・・」みたいな感情しか持てない。

なので普段なら見流すところだった。

だがしかし、前日にスーパー銭湯ブルーピリオド読破していた私は俄然興味を持っていた。

今なら、わかる気がする。

しわかんなくてつまんなくても温泉に入れるみたいだし、温泉ホテル美術館ってなんか珍しいから話のネタになりそうだし。

 

というわけで行ってみたんだが、結論から言うと、行って良かったとは思うがそれが現代アートのおかげなのかどうなのかは正直よくわからん、というところ。

会場は半径500mくらいの温泉街の5、6個のホテルに点在していてる。高低差が50mくらいある。結構歩く。つらい。

鑑賞エリアがわかりやすく区切られているわけではなくて、ロビー一角だったり、エレベーターホールだったり、客室、ゲームコーナー、ラウンジなんかに自然な形で展示されていて、それが意図して作られたアートなのか、元からあったホテル什器なのかよくわからなかったりする。

どのホテルも年季が入っていて、80年代90年代バブル平成レトロ空気が漂ってるように感じたんだが、これがアートのおかげなのか元からそうだったのかよくわからない。

作品展示以外にもロビーで劇をやっていたり、夕日が沈む海の前でバイオリンを弾いていたり、日常空間が非日常空間になっていてよくわからない気持ちになった。

穏やかな海と冬の午後の暖かい太陽がとにかく美しくて、ノスタルジックホテルで展開されるよくわからない現代アートと相まって、不思議空間を作り出していた、気がする。

いやほんと、気がする。確信が持てない。なんとなくでしかない。ずっとほわほわしていた。 

ブルーピリオドを読んでいたおかげで、作品が絵や彫刻でなくても「これがインスタレーションってやつね!」と自分を納得させることはできたが、それ以上の助けにはならなかった。

なんだろう、映えスポットだらけだった。現代アートと映えスポットの違いがわからない。若者はあまりいなかったけど、いたらきっと至る所でパシャパシャしてるんだろうな、と思った。

結局私には現代アートはわからないままだった。でもこの日の体験は行ってよかったと思えるものだった。

 

あ、でも会場が思いのほか広くて、時間が足りなくなって温泉に入り損ねた。それだけが心残り。

2023-02-06

「廃材を利用して新たな製品アップサイクル!」ってのを見るとおおー!ってなるけど

「廃材を利用して作った作品展!」って言われると

それ、結局最終的に行き着く先は廃材と同じじゃね?みたいな気持ちになってしま

2022-10-04

マ・クベ大佐の核脅迫レビル将軍の行動について

0079年11月に、連邦軍によるジオン軍への大攻勢であるオデッサ作戦」が実施された。

作戦の終わり頃になって、降下ジオン軍指揮官であるマ・クベ大佐連邦軍に対して「撤退しなければ核を使用する」と脅迫した。

連邦軍指揮官であるレビル将軍はこれを黙殺し、結果的核ミサイルが発射された経緯がある(その核はアムロが撃ち落とした)。

私は子供の時にこの作品を見ていたが、当時は「なぜレビル将軍自軍被害が出るのを承知の上で進軍したんだろう、おかしいんじゃないの?」と思っていた。

しかし今になって思うと、レビル将軍気持ちが分かってきた。

オデッサ作戦前のウクライナオデッサは、地球に降下していたジオン軍拠点であった。

オデッサ自体鉱物資源地帯であり、ジオン軍ユーラシア大陸侵攻の拠点であり、連邦軍はどんな手段を用いてでも奪還する必要があった。

作戦が終わりつつある時点で、連邦軍は大部隊オデッサ攻略使用していて、犠牲も少なくない。

ここで核脅迫に屈してしまうと、今までの連邦軍犠牲無駄になるし、大部隊を展開したこと無意味になってしまう。

レビル将軍にとっては、核脅迫を受けようが(政治的に)撤退選択肢はない。

彼にとって一番怖かったのは、ジオン軍ではなく地球連邦政府世論だったのではないか

機動戦士ガンダム作品に出てくる地球連邦政府とは、おそらく現実世界にあるアメリカ合衆国政府モデルになっている。

アメリカ民主主義国家なので、世論の動向を恐ろしく気にするので、この問題点をあの作品展開に織り込ませたのだろう。

今のウクライナを見ていても、核戦争の一歩手前になって来ている。

プーチン大統領はこの先「ウクライナ軍が一歩でも前進すれば核を使用する」と脅すかもしれない。

しかし今のウクライナ政府には自軍を停止するという選択肢政治的に無いのかもしれないな。

2022-06-06

チャップリンナチスの反感を買っただけでなくアメリカから追放されたのか

現代日本の反骨の芸術家を思い出した

彼も同じだ

日本ナショナリストから迫害されただけでなく、あの「表現不自由展」からさえも作品展示を拒否されたという

2021-07-09

表現不自由展はクソ

アート関係仕事してるんだけど表現不自由展はシンプル現代アートに対する侮辱しかないのではよ滅んでほしい

あくまで俺の持論だから違ってても見逃してほしい、いやアートになんか正解ないと思ってるから寧ろ違う視点があるなら聞かせてほしい

現代アートかいジャンルがよく分からんという人が多いと思うし俺もまだよく分かってない、でも不自由展の作品あれはヒステリック起こしたガキの落書きしかないので全然ダメ(現地で実物を全部見た訳ではないから断言はできんけど)

なんというか、直接的すぎるんよな

一般人が見てもハア?分かんねーよ何だこれゴミか?ゴミになんでこんな値段ついてんだ?てなるのが言ってしまえば現代アートなんだけどアレは誰が見ても「日本キライ!」という表現したいことが分かるやつやん

まり何にも考えてない単細胞なんよ ガキの悪戯の域を出んのよ ストレス発散して自分は本当の事を分かってる感を出してドヤ顔したいだけなんよ

負の感情芸術昇華する!とか言われるけどそれはもっと自分自身に対するヘイトであったり鬱であったりやるせなさであったりすべきもので、日本ダメだ!だから日本侮辱するアートを作る!とやってるやつは所詮三流でしかないんよな

日本ダメだ!だからこそ自分はこの怒りの感情でこれを作る!みたいな確固たる意思を持って作品を作る人間が生み出すもの芸術になって現代アートと呼ばれているはずなんよ

もちろん全ての表現者に表現する会場は貸されて当然のものであって欲しい

でも内容は下衆すぎる 所詮身内でキャッキャペロペロしてお終いやあんなもん

そうなると現代アート意味を持たん

現代アートは良く言えば推理的な、悪く言えば屁理屈的なところがあって、丸めた紙屑を見て受け取り手が考えることで完成する作品となることが多い

汚ねえ紙屑だな〜でもいいし、ゴミから環境問題に想いを馳せてもいいし、実はチラシの紙屑を見て今日晩御飯を考え始めても良い

寧ろ何とも思わなくてもある日突然「そういえばあの時美術館で見た紙屑何だったんw訳分からんかったw現代アートまじ何w」程度の笑い話になるだけでも良い

作品きっかけに気付きを得る、思考する、ていうのが現代アート存在意義やと思ってる俺は

でも不自由展はキチガイが群れて騒いで、キチガイ作品展が開催されて、「やっぱ現代アートって分からん、怖い、近寄らんとこ」という負の印象を持たれて思考停止の末思い出されることも嫌がられて忘れられてお終いや

マジで最悪や 日本が嫌いならとっとと日本から出ていってほしい 海外で好きなだけ日本嫌いを表現してこい

ムシャクシャした勢いの書き殴りで読みにくかったら大変スマ

2021-04-15

ワルキューレはなぜゼルダになれなかったのか

ワルキューレの冒険をご存知だろうか。

ファミコン時代ゲームともなれば、今や知る人は少ないかもしれない。

英語読みでバルキリーとしたほうが色々と馴染みがあるかもしれない。

戦いの女神の称され、もともとは北欧神話から来ている。

その後ワルキューレの伝説というアーケードゲームが発売されるが、その後はリメイクやサイドストリーものがいくつか発売されただけ(他のゲームへのゲスト参加などもある。)で、完全新作と呼べるものは一切発売されていない。

このゲームは、ベースとなるストーリーや設定がとてもよくできている。

キャラクターの生みの親によるコミックも発売されていて、ゲームでは描かれなかったバックボーンを知ることもできる。

ギャルゲーという概念すらなかった当時、多くの男性ファンを魅了したキャラクター第一人者といってもいいだろう。

(当時、魅力的な女性キャラといえば脱衣麻雀キャラ達が席巻していた時代だ。)

その頃のアーケードゲーム情報を扱うゲーメストという雑誌の、はじめて女性キャラだけを扱った別冊ギャルアイランドでは、第一号の表紙を飾るほどの人気だった。

ギャルアイランドなどという下品な響きとは似つかわしくないほどの神々しい表紙を是非検索して見てもらいたい。

ナムコには他にも魅力的な女性キャラクターもいた。

カイ(ドルアーガ)、ワンダーモモアリスメルヘンメイズ)、アルテミスフェリオス)、アリーシャ(ドラゴンスピリット)、ジェニファー(スプラッターハウス)、安駄婆(源平討魔伝

そんなキャラクター達を差し置いて、やはりワルキューレは頭一つ飛び抜けた人気があった。

今でこそ自立した女性が当たり前になったが、その当時にしても凛として一つ筋の通った性格で誰に媚びるわけでもなく自らの力で道を切り開いていく姿は、この時代に置き換えても何一つ色褪せて見えない。

そんな彼女自信のキャラクターもさることながら、世界観、また、それを取り巻くキャラクターたちもどこか憎めず、ストーリーシリアスながらどこかコミカルで、それでいて最後は胸が熱くなるようなまるでディズニーの名作と比べても何ら遜色のない作りをしている。

主人公が魅力的。

神話をもとにしたしっかりとした世界設定。

サブキャラクターたちもキャラがしっかりとしていて、出てくるアイテム武器豊富

シリアスだがコミカルで感動的。

キャラクターも恐ろし過ぎず、暴力的すぎないので全年齢対象作品

BGMが神。(まじで神。飛ばし飛ばしでいいのでYoutubeワルキューレの伝説プレイ動画を是非見てほしい。)

こんなにも素晴らしい作品なのに、ここ何年も新作が発売されないのはどうしてなのか!

もしこれら特性を生かして、ゼルダのように作品展開できていたら、今や国民女神になっていてもおかしくなかったはずだ。

ゼルダリーズのどれをワルキューレに置き換えても全く違和感がないし、むしろもっと広くファン層を獲得できそうな気さえしてくる。

BoWの主人公ワルキューレだった世界線に生まれたかった。

何年か前にナムコによるカタログIPオープンプロジェクトと称して、その一環としてワルキューレが踊る動画が公開された。

https://www.youtube.com/watch?v=uPvAqueGLds

泣いたよ。声を上げて泣いた。

たかった彼女はこういうのじゃなかったけど、だけど曲がりなりにも公式ちゃんとした彼女の姿を見せてくれたことは素直に嬉しかった。

お見合い結婚をするとなったときも、お見合い相手にまず紹介したのはワルキューレフィギアだった。

最初モニターの上にちょこんと座らせておいて、相手が気づいたときに「実は、、、」と切り出した。

これを受け入れてもらえない相手とは絶対にうまくいくわけがないとわかっていたからだ。

別に散財をするほどのめり込んでいるわけではない。心の支えとしてそばに置いてあるだけなんだという説明をすんなりと受け入れてくれた今の妻には感謝しかない。

もし彼女国民女神になっていたら、同士達にこんな思いをさせなくて済むだろう。

からでも遅くない。

ギャルアイランドの表紙を飾ったときのような癒やしの笑顔や、天空から地上に降り立つ瞬間の決意に満ちた凛とした表情、神と人間や別種族の間にたって葛藤していく姿で世界を魅了してくれ。

今こそ求められているんだよ。ワルキューレ

息子と一緒に妻の前でも遠慮なく楽しめるような、ほんわかとしてそれでいて人間性の成長につながるようなしっかりとしたストーリーワルキューレのと冒険が、僕はしたいんだ。

2021-01-03

ファミマのお母さん食堂改名運動署名運動を始めた女子高生

fanboxで18禁書いて金儲けして真面目な作品展エロ萌えを応募するイキリオタク女子高生も

環境運動活動家のグレタさんも

全部大嫌いなんだけどどっちかを擁護してどっちかは叩く奴ばっかりでうんざり

2020-12-21

例の女子高生の絵、まーたフェミ関連かーもう飽きたわーと思いつつやけに盛り上がってるから好奇心に負けて検索してしまったんだが、想像以上にエロ絵でクソワロタ

いやいいのかよこれ ワイ美術部で油絵描いて作品展に応募したりしてたけど、あれで賞取られたら色々クるもんがあるわ その作品展概要とか方向性知らんけど

かに絵上手いしワイもエロ絵大好きだしTwitterで流れてたらニヤつきながらいいねしただろうが、それはそれ、これはこれって持ってた線引きがぐちゃぐちゃに破壊された感じがして気持ち

良し悪しはどうでもいい ワイは無理

2020-10-15

anond:20201015205226

画家がさ、作品展をしたらその見開きの画よりページ数さいて解説だらだらだらだらだら書いてると

画家じゃなくて文筆家なのん?て思います

2020-10-07

anond:20201003120950

1000文字で連投カプタグ占拠ジャンル関係なく嫌われる類だと思う。

ついでにいうとpixiv以外の作品展サイトでも嫌がられるんじゃないかな。

他の増田も書いてるけど、数作品をまとめてやればいいだけで、それなら好き!って言ってくれる人もいると思うよ

2020-09-05

anond:20200905184400

こういう時、正義フェミニストならキャンセルカルチャー発動して、

差別主義スプツニ子!氏の〇〇美術館での作品展示に反対します」つって署名活動とかやるんでしょ?

なんで

フェミ様連中は黙んまり決め込んでいる??

2020-07-16

表現の自由戦士フェミより先に刑法175条をぶっ壊せよ

わたしの最高裁判決につきまして

支援者ならびに関係者の皆様

本日わたし女性アート事件最高裁判決がおりました。結果は、わたしの上告棄却という、残念なものとなりました。控訴審東京高等裁判所にて、作品展示に関しては無罪判決が確定していたものの、残りの罪状についても、当然、無罪であると信じておりましたので、納得がいきません。

わたしは、「女性器はなぜ、卑猥ものとされ、タブーとされるのか?」と疑問を持ち、そんな女性器のイメージを覆すべく、かわいく、面白く、笑えるような作品作りをして参りました。そして、裁判では「わたしの体の一部である女性器は、当然にわいせつであると判定されるべきではない」と主張し、わたしの体をモチーフにした物をわたし自身表現する自由を奪う警察司法に対し、異議を申し立てて来ました。しかし、最高裁は、結局「女性器だからわいせつ」という、従来の古臭い価値基準から全く抜け出せなかった様です。

わたしは、単に「女性器の3Dデータをやみくもに頒布したい」のではなく、プロジェクトアートの一環として頒布したのであり、全体を通してわいせつ性があるかどうかを判断して欲しいと願いましたが、それすらも叶いませんでした。

わたしの体を元にして作ったアートデコまん)は無罪でありながら、わたしのこの体(3Dデータ)がわいせつとされるのは、なんとも奇妙な話ですし、先進欧米諸国では、男女問わず性器モチーフにしたアート表現逮捕勾留されることな殆どないのに、2020年にもなって、非常に時代錯誤判決だと思います。ここまで支えて下さった弁護団先生方や支援者の皆様のご協力や努力が、完全には実らなかった事に、申し訳なさで一杯です。

ほらほら表現自由侵害されちゃったよ~~~?

なんでフェミを親の仇のようにぶっ叩くくせに刑法175条の件になると急にテンション下がっちゃうわけ?

竹島北方領土くらい熱意が違うよね?韓国には強気なのにロシアには急に弱気、みたいな態度になってんじゃねーよ

2020-06-16

私はファンの力で天変地異を起こしたかった

私にはずっと好きだった作品がある。

その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意数字を入れてほしい。)

そして私は、そのお祝いの作品を作っている。

けれど、私はそれがまったく楽しくない。

その理由も分かっている。そのことを書きたいと思う。

私は、ファンの力さえあれば公式を動かせると信じてきた。

信じて、この作品が好きだ!と発信し続けてきた。

私がその作品に出合ったのは、まだ学生の頃だった。

それは世の中に出たばかりで、たまたま手に取った私は今までに出会たことのない世界観表現の美しさ、その他全てに心を奪われてしまった。

今思い返しても、人生五本の指に入る素晴らしい偶然の出会いだと思う。

私はクラスメイトや友人にその作品布教しにかかったが、作品ターゲット層と私の年代が合っていないこともあり、あまり捗らなかった。

それからしばらくした頃、世の中でインターネット好きな物を発信する手段が出てきて、

学生から社会人になり、様々な自由を手に入れていた私は当然、インターネットの場でこの大好きな作品を広めよう、もっと色々な人に知ってもらおうと活動しはじめた。

しかし、その時にはもう遅すぎた。

作品はヒットすることなく数年が過ぎ去っていて、インターネットにあったのは一握りの熱心なファンの集まりと、「あの作品面白かったよね」と思い出話として語る人々だけだった。

天変地異でも起きない限り、あの作品が多くの人の目に留まることはなくなってしまっていた。

もちろん、多数の人の目に留まることが全て善というわけではないし、私はファンの集まり出会った皆さんにも思い出でも語ってくれた人たちにも大いに感謝している。

ただ、私自身が、「自分の好きな作品が沢山の人の目に留まってほしい」と強く思っていただけだ。(言ってしまえば、メジャーになってほしかったということだ)

私は何度も、作品が出た頃に何もできない学生だった自分を恨んだ。あの時に何か出来ていたら、と。でも恨んだところでどうしようもない。

その代わり、私には、1つの希望があった。

それは同じようにインターネットに流れていた、『ファンの声で公式を動かした』という先人たちの実績の数々だった。

最近Twitterに流れてきていたものだと、サクラ大戦のような、あれ。

私はそれを信じて、声を上げ始めた。

といってもそこまで大それたことをしたわけでもなく、推し作品布教する話になったら本気でプレゼン画像を作ったり、良さを語るブログを書いたり、

あるいは公式に定期的に作品展開の希望を送ったり、n周年の時にお祝いの二次創作をしたり、幸運にも作者さんと直接お会い出来たときファンレターで思いを伝えたり。そんな感じ。

(今思い返せば、署名活動の1つでもやればよかったと思う。それをしなかったのは私の怠慢だし、何より「もし集まらなかったらどうしよう」という、自分の好きな作品好きな人の人数が可視化されることへの恐怖にビビったチキンさ故だ。情けない)

たくさんの良き出会いもあったし、嬉しいことに私の発信から作品を手に取ってもらえたこともあった。

そのことには感謝してもしきれないし、ファンとして声を上げていて本当に良かったと思う。

ただ、私には天変地異を起こす力は、なかった。


なかった。


数年前出た小さな設定集を最後に、私の好きな作品は止まっている。


きっとこれはよくあるありふれた話なのだろう。悲しい思いをして諦めているのは私だけではないのだろう。それは分かっている。

作品のヒットだって時の運だ。どんなに作者さんが粉骨砕身しても、プロデュースが頑張っても、ヒットしないものはヒットしない。

どんなにファンが声を上げようが、動かない公式はある。

分かっている、分かっているのだけど、「どうして私の好きな作品が」という思いは拭えない。

(私の好きな他の作品も似たような感じなので、余計に思ってしまうのだろうというのもある)

そう思っているうちに、声を上げることが辛いと思ってしまうようになってしまった。

馬鹿な、と思ったし、そんなことはない、たとえ天変地異を起こせなくても声を上げる意味はある、と言い聞かせた。好きな作品について話せる人に出会えるんだし。いいじゃん。

けれど、自分言葉を信じきれないくらい、私は疲れていた。

勝手に声を上げて、勝手疲れただけなのだが。

そう、これは一人のファン作品から離れることを、おおげさに書いた文章だ。

気持ちが離れたことを「公式を動かせないことに疲れた」と言い訳している、身勝手自信過剰自分の力量を見誤ったファンのたわ言だ。

たわ言だ。

絶対に言いたくなかった、たわ言だ。

言いたくなかったけど、吐き出さないとおかしくなりそうだったから、ここに書き殴っている。


私にはずっと好きだった作品がある。

その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意数字を入れてほしい。)

n周年が過ぎた時、私にとってその作品は、

「あの作品面白かったよね」という思い出になってしまうのだろう。


もし、これを目にした人で、私と同じように公式に届け!と動いている人がいたならば。

私はあなた天変地異を起こせることを、強く、強く、願っている。

そして、それと同じくらい、あなたあなたの好きな作品を好きでいることに疲れてほしくないと、強く、強く、強く、願う。

おわり

2020-06-05

anond:20200601124254

使い方これで合ってますかね。

読んでて少し発言たかっただけですが、このサイト使い方とかローカルルールとかよくわからないのでうまくできてなかったらごめんなさい。

あと気を悪くしたらすみません

チラ裏レベルの話です。でもやっぱどっかで投げたかった文です。

 まず、こういった気持ちを発信するということは、とても良いことだと思いました。

愚痴を吐き出すつもりで投稿されたのかもしれませんが、このことを話題に少しでもこのジャンルについて考える人が生まれるのならそれは良いことだと思います

そして、この記事への反応をみると、ただただ煽るような言葉が並んでいるのが少し残念です。

 ルッキズム等の詳しいことはわからないので一介のオタク視点としての考えの話になりますが、大手ジャンル特定層向けに舵を切り振り落とされる人が生まれ気持ち連鎖が起きる現象が近年多いように見受けられる気がします。

言及記事の「キャラクター男性のみ、女性が一切排除されサブキャラクターにも存在しない」というのは、女性向けゲームにはありがちなものだと思いました。

逆に、男性向け作品だと「キャラクター女性のみ、男性がサブキャラクターにも存在しない」というのもありがちですよね。(ラブ……ブ!とか)

 今回のこれはもともと"大衆向け"だったディズニー作品を"女性向け"に落とし込んだ結果生まれた溝なんだと考えています

おそらく、性的搾取だとかの考えはそこまで無く、女性向けとして考え売れる作品展開を考えたらこうなってしまったのではないでしょうか。(女性向け作品概念自体性的搾取に近いと言われたらそれはまあ…といった感じですが)

私自身、もともと好きだった作品が、Twitterで騒ぐ画像リプチー牛オタク層向けに媚びるよう舵を切り始めたとき、三日三晩枕を濡らしたことがあったので、振り落とされる側というのは辛いんだよなという感覚はあります

表面にあらわれている多数派というのは、公式に対してイエスマンの人ばかりになりがちなんですよね。公式に振り落とされてもそのジャンルが好きなままの人にはキツい環境だろうなと思います

 少し話は変わりますが、先日Twitterを見ていた時に「ディズニーが好きな私が好きというパンピ層が苦手だ」というDオタのツイートが流れてきたことがありました。

ディズニーに関して詳しくはありませんが、ここまで世界的に一般にも通じるジャンルというのはそうそうないと思っています

これはオタ非オタ関係ありませんが、ここまで広まっているものからこそ、ジャンルという感覚が無く、ただキャラクター作品を深く知らないで消費するというのが普通になっているように感じます

ミリしらで許されるというか、ミリしらで楽しむことが一般的というか、そんなジャンルになっているのがディズニーなのかなと思いますサンリオとかミニオンとかもそんな感じな気がしますね。

言及記事の筆者さんや言及記事のように考えてるDオタの方々の感覚は、正直多数派ではないと思います。でも、この感覚はそのジャンル好きな人にあって当然だろうなと、も思います

 公式として出されると、無意識のうちに「受け入れなくてはいけない」という強迫観念におそわれるのではないか?と私は常日頃から考えています

私自身、好きだった俳優の言っていることが自分思想とあまりに違い受け入れることができなかったとき、「好きなのに受け入れることができないなんてそれでいいのかな?」となってしまたことがありました。

言及記事を読んでいると、筆者さんはこの感覚が強いのかなと思いました。受け入れなくてはいけないと思うからこそ辛いのかなと思いました。

こういう時は一回インターネットから離れるのも大切かなあと思います

どう言うのが正解かはわかりませんが、筆者さんがいつか「ツイステなんてなんぼのもんじゃいディズニー作品れいいぞ!みてくれ!」みたいな布教をしてくれればいいなと思います

ノートルダムの鐘という作品をこの記事で知りましたし、ルッキズムや性の観点からみたディズニーについても面白いからもっと知りたいなと思いました。

長々と失礼しました。言及記事の筆者の方が、落ち着け環境を見つけることができることを祈っています

2020-03-25

ワニに「早く死ね」は別におかしくないだろう

そりゃ「死ぬまで後○日!」ってやって、人の目を引きつけておいて作品展開してるんだから早く結末が見たいと思うのは当然。

推理小説犠牲者で出てばかりで犯人が一向に分からなかったらそりゃ「はよ推理して犯人見つけろ」と言いたくなるだろ。

もっと言うなら「続きはCMの後で!」をやってるようなもんだ。延々やられたら、そりゃみんな「はよCM明けろ」「CM回数多過ぎ」って言いたくなるだろ。

そもそも、「死」を商品にしてるくせに「早く死ね」がダメなんてどういう理屈なんだ?

2020-01-22

芸術家たちの貧しい生活について

Web上の巨大な写真サークル所属しているので、SNS友達にやたらとアマチュア以上プロ未満みたいな写真家画家がいる。

彼らがSNSにアップしてくる写真作品を見ると確かに上手いとかセンス良いとか思うんだけど、でもこれで食べていけるのかと心配になる。

たぶんギャラリーをやっているような玄人筋には受けるんだろうけど、商業ベースには乗らないんじゃないかなと思う。

仮に自分が彼らの生活を救うために何か作品を買ってやれといわれても、せいぜいポストカードとか数千円レベル写真集ぐらいしか買う気がしない。…というか、もっと名の売れた大御所写真家写真集とか、いにしえの名作を集めた絵画展の図録とかでも出せる金額はそのぐらいだ。日本人アートに対する感覚って普通その程度じゃないのかな。

プロカメラマンとしてそれなりに儲かっていそうな人は、金になる仕事とやりたい仕事を明確に切り分けているように見える。食べていくためにアイドルとか商品宣伝とか政治家選挙ポスターとかを選り好みせずに撮り、カメラ雑誌には新発売のカメラレンズなどのレビュー記事を書き、そうやって稼いだ金で自分の撮りたいものを撮りに行っているようだ。

それに引き換え中途半端アーティストたちはやたらと暇らしく、生活の細々としたことを凄まじい頻度でSNSにアップしてくる。そんな時間があるなら副業でもやったら良いんじゃないかと思うんだが。「撮りたいものしか撮らない」「描きたいものしか描かない」とかいってると貧困まっしぐらだし、作品づくりをしながら生活するだけでもお金は出ていくんだから何かしろよと思う。

そういう人々に作品発表の場を与えるために、一流企業早期退職してギャラリーなどで彼らの作品展をやったり海外作品を紹介したりする活動をやっている人も知っているが、それがどこまで成功しているのかは知らない。日本じゃ受けないけど海外では受ける人とか、万単位お金を出してアート作品を買う文化根付いている国で作品が売れる人は良いけど、結局芸術活動に専念しようとすると貧困に甘んじるしかない人々はある程度残っちゃうんじゃないかなぁと思う。

たとえ貧しくてもやりたいことをやって自由に生きる生活が羨ましくないといえば嘘になるが、自分時間を切り売りしてやりたくない仕事をやってそれなりの給料を貰っている身としては「お前がワガママから貧乏生活する羽目になるんだよ」と言いたくなる。せめて生活のためにとことんクライアントに媚びて、金になりそうな写真を撮ったり絵を描いたりすれば良いのにと思う。

そんなアーティストたちの生活を見ると、「好きなことをやって食べていく」人生は甘くないんだなぁと思う。

2019-10-09

トリエンナーレチンポム放射能最高とか叫んでる作品が展示されて

炎上してるらしいが、

今の状況でそんな作品展示したら、皮肉だとか風刺でやってるんだとか言っても通じるわけがないことぐらい

小学生でもわかると思うが、なんで此の期に及んで火に油を注ぐような真似するかな

現代美術関係者ファンは、日本では風刺通用しなくなった、ひねった表現が通じない知的劣化だ。

と嘆いてみせているが、現代美術関係者ってバカなの?

2019-09-07

anond:20190907133611

概ね同意見なんだけど、作品展示の舞台税金で用意する時にそれが無味無臭である必要性と、そこに展示される作品バリバリ偏っていることは区別して語るべき問題だよね。敢えて言うなら問題は「○○を展示したこと」よりも「××を展示しなかったこと」にあると思うが、それも行政による舞台設営の責任委員会による作品選別の責任区別されるので、批判はあって然るべきとしても「税金云々」は的外れなんだよな。

もちろん、それを擁護していた人々が過去に何を批判してきたのかと、改めて批判的に振り返ることにも意味があるとは思う。

2019-08-17

あいちトリエンナーレ2019に見る「検閲」の正体

津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告

https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B1%95-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E8%A9%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%A0%B1%E5%91%8A-3230d38ff0bc

さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークイベントコーディネートのスキル文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。

この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人言葉引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上キーポイントでもある。

検閲」の種類

辞書的な意味検閲とは、公権力表現物を検査し発表を禁止することである

https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273

しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。

 (1) 公権力イベント主催に関与していない政治家警察

 (2) 主催側(イベント主催者、展示施設スポンサー

 (3) キュレーター

 (4) アーティスト本人

 (5) 一般市民

 (6) 反社(ここでは便宜的に暴力的個人組織のこと)

このうち公権力によるクレーム強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。

主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものデメリットメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性意見する自由はあって当然。

キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないか権限を任されているので、それを行使するのが本業

アーティスト本人の意向ときとしてキュレーター意思よりもアーティスト意思尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。

声の大きいのが実は一般市民ネガティブポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。

そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。

実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社から脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフ安全性が確保できない、という判断主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。

今回の展示作品の「検閲

表現不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。

https://censorship.social/artists/

 慰安婦 3作品

 強制連行 1作品

 天皇 4作品

 福島原発 2作品

 米軍基地 1作品

 旭日旗 1作品

 右傾化反対 3作品

 JR脱線事故 1作品

 食品 1作品 

ちなみに「《平和少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉津田氏のエントリーにも作品キャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦表現したものであり、日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F

https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81

https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace

これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーター公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社右翼団体)による脅迫が契機となっている。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現不自由実行委員会は、表現自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断現在体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである

そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。

現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現不自由実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C

エログロについて

ここからは完全に余談。

津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子デコまんシリーズが挙げられている。

鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズド場所に展示するのはOKNGかという議論は見たかった気がする。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf

ろくでなし子作品展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか

掲示されていた「年表」にそれらが含まれいるか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。

2019-08-04

表現不自由展についての思考の変遷の記録

あいちトリエンナーレの「表現不自由展」の存在をはじめて認識したのはとあるツイートきっかけだった。

芸術展を称して昭和天皇安倍首相侮辱している!こんなの許されない!」というような論調のものだったように思う。

『確かにヘイトスピーチみたいでなんかやだな』と思った。

公金が投入されていることを知った。

『うわー大丈夫なのこれ、よくないんじゃないの』と思った。

その一方で、炎上が大きくなっていくことについては少し白けた目で見ていた。

語気の強い発言を見掛けるたび、『極右の人はよくこんな怒れるな』『ほんと宗教みたいだな』と思った。

作品群がそれぞれ既に展示中止になった経緯のあるものであることを知った

『そういうコンセプトの作品展なら、まあわからなくもないな』と思った。

ツイートでは反日作品ばっかり取り沙汰されてるから気付かなかったな…ツイート恣意的ものである予感はしてたけどこういうことか』と思った

安倍首相作品の展示はデマであると知った。

極右の人ってよく市民の反発感情煽るためにこういうデマ流すよなぁ、だから嫌いなんだよな』と思った。

『でも天皇写真を使った作品を燃やす様子を撮影した作品、はあるみたいだ。メッセージ性はわかるけどなんか嫌な作品だし肯定したくはないな』

『とりあえずこの件について騒いでる人、左右どっちとも関わりたくないな』と思った。

表現自由があるからって好き勝手するのは許されない!」みたいな論調発言を見掛けた。

『そうだよなぁ』、と思いかけて、ふと気になった

表現自由戦士を名乗っていたオタク、今どんな反応を示しているんだろう?』

適当ワード検索して出て来た戦士の最新のツイートを見た。

表現自由の元ではエログロ韓国へのヘイトスピーチも今回の作品展も等しく自由であるべき」というようなことを言っていた。

『おお、この人は主張が一貫してるんだな』と思った。

アニメ漫画の素晴らしい表現とこんなクソみたいな表現を一緒にするな」みたいなことを言っている人もいた

『これはダブスタだなぁ』と思った。

作品展の運営本部脅迫めいた電話が来ていることを知った。

極右の人ってほんと気持ち悪いな』『これって政治家が直接働きかけなくとも、自分の支持者に運営者を脅迫するよう仕向ければ気に入らない表現規制できてしまうんじゃないの』と思った。

名古屋市長が展示中止に向けて動いていることを知った。

『これで本当に中止になったら、"国民要望を受けて"と言う形で行政側が表現規制することを容認した、ということになるよな』と思った。

『同じ論法エログロコミケ規制することもできちゃうよな』『オタク達こそ表現不自由展を擁護すべきなのでは』

そもそも"行政支援すべき良いアート支援しない悪いアート区別する"ということ自体、なんか変なんじゃないか。それと"自分達に親しい身内や仲間と、そうではない大多数の国民区別する"という事とで、何が違うんだろうか』

山田太郎氏のコメントを読んだ。

『今更か、でも割と真っ当なコメントだ。"ただし"以下は自民支持層の方への配慮が見られるが、立場上仕方ないだろう』

『"クローズド場所"、確かにそうだ。自分から足を運ばなければ目にしなくても済む今回の作品群と、やはり町に出かけるだけで聞こえてくるヘイトスピーチは並列して語るべき物ではないよな』 

そんなことを考えている間に、国民達による脅迫甲斐あって作品展が中止になることを知った。

『あーあ』と思った。






脅迫者は、絶対逮捕しなければならないと思う。

その上でもう一度開催すればよい。私は今回の作品群を好ましく思わないし、作者を軽蔑さえするが、脅迫によって表現規制に追い込まれるのは大変危険な傾向だと思う。

今後逮捕されなければ、脅迫極右政治家差し金であったと判断せざるを得ないのではないか。流石にそれはないと信じたいが…。

津田大介という人についてはよく知らないいし、彼個人のこれまでの行いに着目してしまうと話が逸れるので言及を避けた。)

ヘイト作品展が中止になって良かった

脅迫はよくないが

2019-06-07

現代アート価値って何?

私はなぜか某SNSアート系の人とのつながりが多く、従ってそういう人たちやその仲間たちの作品及び作品展の案内を目にすることが多い。

別にそれらの作品が悪いとは思わないし、作者たちはそれなりの情熱時間をかけて作品づくりをしてるんだろうと思うけど、あまりその作品のためにギャラリーに足を運びたいとか、お金を払って彼らの作品コレクションしたいとか思わない。

写真を撮るのが好きなので、地方都市などで「ビエンナーレ○○」みたいなイベントがあれば行って写真を撮ることはあるけど、作品のもの目的というより、何もないとただの田舎で終わってしまうところにアート作品を配置して、独特の風景を作り出しているさまが好きなだけだ。

絵描きとかで、そこそこ上手いんだけど明らかにそれだけでは貧困状態に陥るだろうという生活をしている人の投稿を見ると、正直「絵だけじゃ暮らせないならスーパーレジ打ちでも何でもいいかバイトすれば?」と思う。その分絵を描く時間が減るかもしれないけど、それ以前に画材が買えなくなったり電気止められたりしてるんだから、多少なりとも金になることに時間を使った方が人間らしい生活ができるだろう。

名だたる大企業早期退職して、無名アーティストを世に出すための活動をしている人も知っているけど、物好きなボランティア活動しか見えない。そんなアーティストたちの中に金の卵が混ざっているかも知れないけど、仮に才能があるとしても私はその人の作品を買おうとか思わない。単に家が散らかっていて、アート作品なんか飾るスペースがないというのが最大の理由だけど、ずっと眺めていて飽きない作品なんて存在しないから余計なものを家に置きたくないのだ。

それなりに評価の定まった美術品や工芸作品を見るのは嫌いでないけど、そういうのは美術館や博物館現物を拝んで、手元には図録でも持っておけば良いと思う。その時の気分や好みで見たいものは変わる。まぁ図録でもあまり見返さないことは多いが、少なくとも作品のものよりは安価でかさばらない。

日本アート作品を買ってコレクションをしようという考えって普及するんだろうかと不思議である。豪邸の持ち主で、せっかくだから家の中にお気に入りの絵や彫刻を飾っておきたいという人もいるかも知れないけど、ごく一部の恵まれた少数派だろう。

中途半端な才能しか持ち合わせないアーティストは無理にそれだけで食べて行こうとしないで、割りきって食べていくための仕事兼業すべきじゃないかと思う。逆に食べていくための仕事でそれなりの収入がある方が作品を作るための材料やら何やらにお金をかけられて良いんじゃないだろうか?アートだけで食べていけるなんて元々お金持ちか、たまたま流行りに乗って自己PR成功した人だけではないだろうか?

食べていくために好きになれない仕事に甘んじている自分のやっかみに過ぎないかもしれないけど、アート生活費を稼ぐ手段として極めて能率が悪いと思う。中途半端な才能と収入にあがいている自称アーティストには「一番好きなことは仕事にするな」という言葉プレゼントしたい。

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