はてなキーワード: 119番とは
この数年来就職もせずにてこてこ歩いていると、道端に警官が2名いた。なにかあったなご苦労なことだと思ったが、何か検証してるわけでもないようで奇妙だ。
地面には砕けた何かが落ちており、それを囲むように男女の警官が……ああ、これ落下物だ。すぐそばの店舗兼住宅の2階の壁が40センチ四方剥がれて中の材木見えてる。
まあ確かにさらに剥がれたものが通行人に当たったら大変だし、公道歩道部分を実質通行止めのようにするわけで警察が適任な気はするんだが、これって警察の管轄でええのんか?
調べると
あたりが妥当らしいが、110番して「道のそばの建物の壁材が剥がれて落ちてるんであとよろしく」って言っていいものなのだろうか
幸いにもそんな意地悪だったり無神経だったりする人に出会ってこなかっただけと言えばだけなんだけど、
「うちお父さんいません」って言ったらそれ以上掘り下げる人はまずいなかったし、私も面と向かって誰かに話せることだとは思わないので、
なんかの流れでそこまでは言っちゃってもそれ以上詳しくは話さない。
というか「お父さんいません」だけでも十分「えっなんかごめん…」みたいな感じになるので、
たとえ言いたい気持ちになっても結婚したい人(にはさすがに言わないとだめだよね?)とか以外には正直には言わないと思う。
父が自殺して10年以上になる。小学3年生だった私は帰宅したら首吊ってるのを見つけて119番通報した。
電話は発見してすぐできたんだけど、降ろしてあげるっていう発想がなぜか出なかった(そのとき家には私と父だけ)。
あのときヒモ切ってたら生きてたかもしれない。発見時点でまだ生きてたのかとかよく考えたら知らないんだけど。
とりあえず返事はしなかったし動いてはなかった。当たり前だけど尿で床ビッシャビシャ。尿って知らなかったけど。
父の顔とか声は2年も経たないうちに思い出せなくなってることに気付いた。はえーな。
遺影に写ってる人はちょっと若めのときっていうのもあるかもしれないけど遺影の人って感じ。アルバムとかビデオは見る気にならない。
母はそれ以前から正社員で働いていたし、貯金とか両祖父母・親戚の助けもあったので、
生活ぶりにはさほど大きな変化もなかったし(少なくとも私視点では)、大学にも通わせてもらってる。ありがたい。
そういえば親とか死ぬとクラスとか部活で発表あるのマジで謎。あれなんなの? なんか意味あるのかな。普通に不愉快だったしドキドキした。顔伏せてた。
自殺だって言っちゃいけない、病気でって言えって母とか親戚に言われたけど、隠し事しなきゃいけないから人との間に壁みたいなものを感じる(ポエム)。
話がウロチョロして申し訳ないんだけど、ここからが本題というかなんか言いたいなと思ったきっかけの話。
大学で知り合い以上の人とは、相手がアカウント持ってさえいればTwitterをフォローしあっている。
その中の一人の、一応友達くらいの距離の子は、潔癖ってくらい真面目で、勉強にもバイトにも趣味にもストイックな感じ。
仲がいいってほどではないと思うけど、そんなかっこいい彼女のことは好きだ。
その子に何が問題あるのかっていうと別にない。できた人間だし。でも彼女のTwitterでのつぶやきを見てるとしんどいというか羨ましいというかモヤッとしてしまう。
彼女は両親にしてもらったこととか、感謝する旨をわりとよくつぶやく。
ぶっちゃけ愚痴に対しても父親がいていいなと思うことがありはするので(他人事だから)、もう素敵なお父さんぶりなんていいなーの極みなわけです。
私は誰にも相談しない。母はお互いいくら言葉を尽くしても私の気持ちをいまいち理解できないとこがあるらしいし(本当に感謝してるし大好きな母ですよ)、
なんていうかもう諦めてる。たぶん逆も然りだろうから申し訳ない気持ち。
母が理解してくれないことは誰にも理解してもらえないって思えて、友達とかにも全然相談できない。
そんなことないだろうって頭では考えるんだけど、どうしてもできない。めちゃくちゃ怖い。楽しい話だけしていたい。楽しくさせてもらってるだけで十分以上。
私ごときがそれ以上のこと要求するとか図々しいじゃん。そんなことないかもしれないけど拒否感がヤバい。
こうして増田に書くだけでも私としてはかなり頑張った。みなさんの時間を奪ってすみません。
あと、なんかそういうこととか、自分の本当のことを話そうという気持ちになるとすごく涙が出る。今もちょっと泣いてる。
泣くの恥ずかしいし泣いたら話せなくなるし、私のクソみたいな悩みで他人の時間を奪いたくないし、暗い気持ちにさせたくない。
大好きな人ならとりわけ。こんな話したら元に戻れなくなっちゃうじゃん。さっきも書いたけど友達とは楽しくしてたいんだよ。
カウンセリングとかは行きたいなと思ったことは何度もあるけど、大したことじゃないって言われたら死ぬから行けてない。いや言われないんだろうけど怖い。
中学1年のときに一瞬不登校してたんだけど、そのとき母は「なんかあったの?」って聞いた。
事件とかは何もなかったので、私は何もないとしか答えられなかった。なんかよくわかんないけど学校行きたくなかった。甘えって言われても仕方ないくらいだ。
今も大して変わってない。非常に漠然としている。
ときどきグルグルするんだけど、きっかけとか理由とかよくわからないことがほとんど。よくわからないので上手く言えない。
これかな?と思っても大したことじゃない気がして、今悩みとか特にないなって結論する。だから私は悩んでないので相談とかするほどのことじゃない。
日常生活の中で父がいなくて困るということはほとんどない。いないこともとっくに当たり前になってる。
死ぬ前の父は心身共に病んでて私には怖かったので(申し訳ないことです)、いなくなって安心した部分だってある。
でも私にはお父さんいない。あの子が悩みを親に相談していいアドバイスもらってそれを感謝してるのを見ると自分がすごく嫌いになる。元から嫌いだけど。
まあ母は元気でいるし私を養ってくれるし、祖父母もまだ元気。天涯孤独だって人も世の中にはたくさんいるし、もっとつらいことがあった人もたくさんいる。
それにかわいそうとか思われるのも嫌い。今はなんとも思ってないし。
いや、なんとも思ってなくないからこういう文章を書くんだろうけど。普段の生活では意識していないことの方が99%でも、残りの1%くらいは確実にある。
防災センターはテレビで紹介されてるし、雑誌でも扱うし、るるぶみたいなガイドブックにだって載ってるよ。
テレビで大雨を疑似的に再現してリポーターが「すごい雨です!立っていられません!」って言ったり
タウンワークにも載ってるし、市区町村のサイトでも紹介されてる。
自分が知らない恥ずかしさを隠すために、
広報力が足りない!なんて言い出すな。
防災センターのみなさんは金使わないでどうやって広報するか苦心してんだ。
それになー。
元増田が言ってるだろ。
119番通報は聞く側がプロだから、相手のレベルに合わせて情報を聞き出すんだと。
それを、「私が必要性を感じたから!国のお金をたっぷり使ってもっと広報すべきだし、体験実習もするべき!」って
なんだよそれは。
視野が狭いにもほどがあるわ。
国の金は無限じゃないんだぞ。
119 番の可用性を 1000 倍にしたらいいんだよ。
まず、自殺したい気持ちになったら気軽に 119 番に電話をかけるようにってパブリシティを打ちます (がんばって! AC と中田ヤスタカと perfume)。
そして税金使って、今の1000倍のカウンセラー(臨床心理士など)を雇って、今119番にかかってくる救急電話のうち、寂しいとか死にたいとかの相談はそっちに転送するようにします。
ソースはこれ。
http://www.wikihow.com/Cope-With-Suicidal-Thoughts
まあ、自殺率を下げるための予算を1000倍にするよりは、高速道路やダムやオリンピックスタジアムを作ったりしたほうが社会のためになるんだろうけどね。
元増田。まぁ、そういうと思ったわ。
緊急を110番か119番に限定するってどこかに書いてあるか?電車の例ではなく飛行機の例だが、夫の自殺するというメールに妻が電話で答えられずに夫が死んだという話もある。
http://rocketnews24.com/2015/05/19/583547/
電話を中止させることによってもし人が死んだら、勝手にそう限定的に解釈したお前が悪いってことになる。仕事の電話でも、電話をやめさせることによって数千万円の損が出て自殺する奴が出るかもしれん。一方、今回みたいに数万円分の損しかない話なら、お前は数万円分しか悪くないってことになる。
別に、それでいいじゃないか。全部、法的な責任ではなく、道義的な責任なんだから。人の電話をやめさせる以上、注意する側も、法的な責任はともかく、道義的責任は負わないとダメだと思う。数万円分の損であれ、損する側が「お前のせいで数万円分損したんだ!」って主張する権利はある。お前が、「俺のせいじゃない!お前の仕事の都合なんて知るか!」と思うのなら、そう主張すればいいだけの話。話が平行線で終わったら、それまでの話。別に決着をつける必要もない。そもそも、マナーの話、道義的責任の話なのだから。
正直、今更テクノブレイクって聞いても何のことだかわからない人が多いかもしれない。初出はもう4年近く前のことだ。
「オナニーのしすぎで死に至る」っていう意味の隠語。元のネタでは42回連続オナニーの末死んだらしいが、こちらは1回。でも42歳。後厄まっさかり。まさかこんなことで死にそうになるとは思わなかった。
もちろんこれは「社会的に」ではなく「肉体的に」死に近づいた話。今日聞いた話によると、若年齢でも起こりえる話らしいので、おっさん乙とか言わずに読んでほしい。
42歳、既婚15年、子なし。嫁とのセックスレスたぶん1年半。
40越えても、それなりに溜まるものは溜まる。時に風呂場で、時にトイレでするのが日々の習慣だ。ネタはスマホで見るxvideosあり、レンタル画像のサンプル画像あり。しかしこの年代だとやはり印刷物が捨てがたい。
実写のエロ本も守備範囲だったが、正直最近はPhotoshopのせいで表紙はみんな同じ顔、売りはモザイクが大き目のDVD、コンビニで買うにはやはりコミックの方がクオリティが期待できる。
その日の朝は、月初めと言うこともあって数日前にこっそり買った快楽天5月号をトイレに持ち込んだ。
青いシールを丁寧にはがして、カラーページから見ていく。それにしても快楽天は生中出し至上主義なところが首尾一貫しすぎだ。どこのコンプレックスを刺激するのか、ただ単にファンタジーと割り切っているのか。最近Jコミで懐かしの90年代エロマンガを読んでわかる和姦のコンドーム率と比べるとその差に歴然とする。などと思いながら絵柄、シチュエーションを探していく。こういう時の好みは自分の状況と少しずれている方がいい。
100%好みの絵柄でなくても、7割方苦手なシチュエーションであっても、それなりに興奮するものは興奮する。個人的には眼鏡は最後まで外さないのがいいんだが、そうなると無理のあるシチュエーションが増えるのが悲しい。特に実写だとその無理さが加速する。手元に快楽天5月号がある方は冒頭からページをめくって頂ければ、どこで手が止まったかなんとなく推測できるのではないだろうか。
眼鏡をかけたまま最後までするシチュエーションに無理があるように、トイレでエロマンガを見ながらする、というシチュエーションにも若干の無理がある。和式トイレは言うにおよばず、洋式トイレでも普通に座っている限りは難しい部分が発生する。ことの性格上片手はふさがる上、ひざの上に物を乗せられない。もう片方の手で持ってもページをめくれない。これを解決するのが、洋式便器の蓋を下ろして机代わりに使う、というやり方だ。若干衛生上の問題はあるが、こんなこともあろうかの毎日のトイレ掃除である。抜かりはない。
ところが、このやり方にはその日まで自分の考えにも及ばない隠れた危険があったのだ。
大きく立ち座りする必要があるため、その前後で起こる大きな血圧の変化。
賢者タイムに立ち上がった瞬間、それは起こった。
立っていられないほどの緊急事態。
一度座ったが、全く状況に変化がない。いや、これはただの緊急事態ではない、そう確信した自分は、なんとかトイレの水を流した。リビングに戻り、PCの裏に快楽天を投げ込んだ。そして嫁がまだ寝ている寝室に帰還した。
ベッドに戻っても、頭痛とめまいは治らない。治らないどころか悪化しているような気がした。吐き気も起きたが、胃の中には何も入っていない。えずくだけで何も出てこない。いずれ病院には行かなくてはなるまい。
近所のかかりつけ医になんとか連絡をつけて相談したところ、おそらく自分のところでは手に負えないから大病院に行けとのこと。こちらとしてはそれを前提に紹介状を書いてほしかったのだが、そういう流れにはならないらしい。つまりどういうことか。改めてこれは、緊急事態なのだ。
救急車は意外なほど早く来た。ストレッチャーに移され、バイタルを測定され、病院の救急受付に運ばれ、頭部のCTスキャンを受けた。つまり、即入院コースだ。
問題は、この間、妻にも、救急隊員にも、救急受付の医師にも、誰にも本当の原因は話せなかったことだ。
話さなかったことで病因が誤解される元になるのか、むしろCTスキャンで見ればわかる人にはわかるのか、そんなことを考えながらも、ついにそれを話すことはなかった。
検査と絶対安静の数日間のおぼろげな記憶の後、手術が行われた。頭部に疾患があったことは自覚があったが、病名を把握したのは手術後、麻酔が切れてからだった。
病名「クモ膜下出血」。
今日のNHK「あさイチ」でも特集のあったポピュラーな脳内疾患だ。
病名はポピュラーだが、治療はそれなりに難しい。2通りある手術のどちらでも失敗率は5%程度。手術が成功しても場合によっては麻痺などの後遺症が残る。そしてこの病気、典型的な生活習慣病だが、40代だけでなく、20代や30代でも起こる可能性のある病気らしい。という話は今朝の特集を見て知った。
いずれ、出血、そして手術があった今となっては、入院一ヶ月。その後も少々自宅療養が必要となる。そう、この話は既に一ヶ月以上前の話になる。読んでいた快楽天が5月号なことからそれに気がついた人もいると思う。
今回のこの発病は一般的に言われるテクノブレイクとは違う症例かもしれない。だが、同じようなシチュエーションでの命の危険はあるのだ。一説によると、これで死んだ場合は一人でも「腹上死」という扱いになるという話もある。
「トイレで腹上死」そんな話、エロマンガの題材にもならないだろうが、増田のネタにはなるかもしれない。そう思ってここに書かせていただいた。
わたしの病気は、数年前に発症した。
当時、勤めていた美容室で、いまなら余裕で労基に駆け込むくらいのパワハラを受けていた。
毎日仕事に行くのが嫌で嫌で、仕事に行けば今日も怒られやしないかと緊張し、案の定怒られ、落ち込み、すみません、すみません、以後、気をつけます、がんばります、と小さな声でオーナーに頭を下げていた。
ごはんをまともに食べるのは夜だけ。
腕がガリガリになって、タンクトップを着ていると、気持ち悪い、と言われた。
そんなことが数年続き、とうとう本当に嫌になったわたしは美容室を辞める。
人間はひとつのことに頭を縛られると、周りが見えなくなってしまうらしい。特にわたしはその傾向が強い。
当時運営していたブログをもっとよく知りたいと、職業訓練のウェブ制作のコースに通った。
HTMLやCSSは独学で勉強していたので、なんなく卒業、ウェブ制作を立ち上げたばかりの会社にバイトで入社した。
ところがコーダーで入社したつもりが、人員がおらず、いきなりお客様交渉、サポート、企画提案、ディレクション、デザイン、コーディング、ドメイン管理、なんでもやった。
プライベートでは友だちもでき、少し、体調はよくなった。
それに並行して、離婚の話が出る。
東京に戻り、派遣ながらも某企業でウェブ制作の仕事にありつけた。
とても刺激的で楽しかった。
やっとまともに働ける。ワープアなんて、もうまっぴら。
お給料もたくさんもらえるようになり、生活も安定するようになった。
わたしもそのひとり。
そのころ、好きな人がいた。
そいつがひどいやつだった。
何度かあったりしていたけれど、他に女性ができたようだった。
その女性は、彼とのことをブログに書き、写真を公開し、すぐに分かった。
というか、行動、思考パターンが完全に狂い始めていた。
当時、いろいろと相談に乗ってもらっていた友だちにも、わたしのあまりのおかしさにあいそをつかされ、「あいつは頭がオカシイから、もう付き合うのやめたほうがいいよ」と、ほかの友だちにも吹聴し、全員からシカト状態。
裏切られた思いがした。あんなに仲が良かったのに。
そして完全にわたしは孤立した。
時を同じくして、父の胃がんが発覚。もう末期で、余命間も無いと言われた。
あの元気な父が、死んでしまう。
目の前が真っ暗になった。
そのころ、わたしは某ポータルサイトを運営する会社に勤めていた。
がんばって仕事をしていたけれど、上司から、お前は残業するな、と言われた。
朝、目覚まし代わりの携帯が鳴っても、目覚まし時計を最大音量で鳴らしても、起きられなくなっていた。
毎朝、妹に電話してもらって、やっと起きる始末。
父の病気が心配なのと、当時付き合っていた男性ともうまく行っておらず、ますます体調は悪化。
悔しい。
なんでわたしばかりが。
どれもこれも、わたしを裏切った間抜けな男と、「あいつは頭がオカシイから」と吹聴したアホな元友人のせいだ。
そうでも思わなければ、やっていられなかった。
そうこうしているうちに、付き合っていた彼にふられた。
もう、おまえとはやっていけない、ついていけないって。
そのころ、なにもかもおかしくなっていたわたしは、頻繁に手首を切るようになっていた。
切った傷あとから血が流れるのを見ると、安心する。許された気がする。
左腕に、ものすごい数の傷あとができた。
でも、やめられなかった。
ある夜、突然なにもかもが嫌になって、睡眠導入剤を大量に服用し、本格的に手首を切った。
薬を飲んで、手首を切った、と告げた。
妹はすぐに救急車を呼べ、明日になったら東京に行くから、と言うので、言うとおりに119番をして救急車を呼んで病院に運び込まれた。
傷は浅く、飲んだ薬は胃洗浄で処置。
それでも意識は遠のいて、何度も何度も看護師さんに体を叩かれ、揺さぶられた。
うるさい、もうほっといてくれよ、わたしはもう眠りたいんだよと思った。
翌朝、妹が病院へやって来た。
どうしてこんなことになったのか、たどたどしく説明をした。
妹は泣いていた。わたしは泣かなかった。感情は、どこかへ消えていた。
妹をわざわざ東京までこさせ、泣かせてしまったことだけは、後悔した。
誰も信用できない。
どいつもこいつも上辺ばかりだ。
信用したら、裏切られる。
裏切られたり、見捨てられるのはもうたくさんだ。
身から出たさびとは言え、友だちを失ったり、自分自身をめちゃくちゃにするのは嫌だったけど、受けた傷は深い。
誰かを恨み、憎んで、呪って、だけどそんなことをする自分がもっと嫌で、生きるのが嫌になった。
今でも生きるのはしんどいことだと思っているし、日本に安楽死の制度があったら、もう死んでると思う。
それでも生きているのは、家族のためだ。
妹や夫、夫の両親を悲しませたくない。
でも本当は死にたい。
夫は、俺と一緒に生きるんだよと言う。
とてもありがたいことだし、だからこそ結婚したのだけれど、やはりふとした瞬間に死を考えてしまう。
なぜ自分が生きているのか、なぜ生まれてきたのか、わからない。
生まれてこなけりゃ、こんな思いをすることはなかったのに。
こんな病気にならなくても済んだのに。
父も祖母も答えてはくれない。
いつか、わたしがあの世へ行った時、答えてくれるだろうか。
だけど、そんなことはわからないし、この先もこの病気と付き合い続ける。
だいぶ、いろんな出来事を端折ったが、今の思いを書き残しておきたかった。
ではみなさん、ごきげんよう。
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
今日祖母が死んだ。
風呂場の中で倒れてた。
祖父が最初に気づいた。
様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。
引き上げようにもどうにもならなかったので、
急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、
祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。
呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。
介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので
電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。
息はあるか確認された。
慌てて確認したが、息はしていないように感じた。
電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。
その時点でお湯はだいぶ減っていたので、
いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。
その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。
正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。
やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、
救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。
早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。
心臓マッサージ役はやらないで済んだ。
ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので
そのあとのしばらくは、よく覚えていない。
そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、
急いで向かってもらったが、
救急車の出発には間に合わなかったので、
病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。
自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。
数十分待った。
心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。
これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。
父は蘇生をやめることに承諾した。
そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。
医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。
日付が変わる、20分ほど前のことだった。
そして祖母は霊安室へと運ばれた。
今回、病院では死因の特定が出来なかった。
解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。
しばらくして警察官が数人やってきた。
うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。
どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、
とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、
病院まで来てもらうことになった。
その後遺体を葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。
祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。
もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。
合間合間に待つ時間は長く感じたが、
振り返ってみるとあっという間のような気もする。
今回亡くなったのは父方の祖母だが、
以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、
何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。
子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。
大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。
そして冠婚葬祭に立ち会うと、
父方の家の考え方と母方の家の考え方が
大きく違うことをまざまざと見せつけられる。
自分は今、たぶん父親に似ている。
先のことはあまり考えない。
「なるようになるさ」と流れに身を任せている。
この先自分はどうなっていくのだろうか。
そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。
私(仮にA子)は職場の仲良し三人組でルームシェアをしている。
ある日、ルームメイトの一人(仮にB子)が、夜中に急にけいれんを起こした。
私ともう一人(仮にC子)で119番し、救急病院へ運び込んだ。
診察もそこそこにB子は処置室へと連れて行かれた。
私達はしばらく待合室みたいな所に連れて行かれ、そこでB子の回復を祈っていた。
B子は去年の秋に大病を患い、大手術の末かろうじて危機を脱した。
ずいぶん回復してきたと油断していたのがいけなかったのだろうか。
夕食に食べさせてはまずい物でも入っていたのだろうか。
それとも手術の時にミスでもあったのだろうか。
頭の中でいろんな思いが渦巻いてた。
そうこうしてる間にも、ひっきりなしに患者が運び込まれてくる。
風邪で高熱を出した子供とか、交通事故とか、ケンカらしい血まみれの人とか。
悲鳴や鳴き声、怒号が渦巻くそこは、まるで戦場の野戦病院みたいだった。
こんな時と場所ではさすがにバカ話をするのもはばかられる感じで、
どれほどの時間がたったのか。不意に「すいません」と声をかけられた。
いつの間にか待ちくたびれて眠り込んでいたらしい。
「あの、おねえちゃんと…B子さんといっしょに住んでいらっしゃる方ですよね」
「…そうですけど?」
「おねえちゃんがこちらに入院したと聞いて駆けつけてきたんです。
でも病棟のナースの人に聞いても、そんな人はいないって言われて…」
そのまま彼女は俯いてしまった。少し泣いていたようにも思えた。
「B子なら今はこっちの処置室で治療中なんです。だからまだ入院扱いじゃないのかも」
「それじゃあ、その処置室というのは?」
「あの辺り、だと思います」
彼女は私が指を指した方に顔を向け、それからもう一度私に向き直ると
「わかりました。どうもありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
そしてそのままそちらへと歩きはじめる。
そこでようやく私はおかしな事に気づいた。
あれほど満員状態だった待合室に、まったく人の姿がない。
回りを見渡しても、ルームメイトのC子の姿さえ見当たらないのだ。
「あの、ちょっと……!」
あまりの異様な感じにとっさに彼女に声をかけたが、次の言葉が出てこない。
今来たばかりらしい彼女に事情を問いただしたところで、答えが返ってくるとも思えないし。
だけど彼女は私の声に反応して、くるりと振り返り、こう言ったのだ。
とても悲しそうな笑顔だった。
そう叫んで立ち上がろうとした瞬間、世界が暗転した。
「大丈夫ですか、A子さん」
怪訝そうな表情を浮かべて私の事をのぞき込んでいたのはC子だった。
盛大にぶつけたらしい痛む身体をさすりながら、そんなバカな、
と思い辺りをもう一度見まわした。
最初に来た頃よりは多少人数は減っていたが、相変わらずの込み具合だった。
少なくとも人っ子ひとりいない、という感じではない。
ふと時計を見ると、午前5時45分を少し回った頃だった。
それから少しして、B子が自分の足で処置室から姿をあらわした。
多分寝ぼけてたんだろう。それに確かB子はひとりっ子だと聞いてたし。
その時の私はそう思っていた。
タクシーで自宅に戻り、B子を休ませてから、C子と交代で仮眠を取った。
幸いB子の顔色も夜にはすっかり元通りになり、
昨夜の騒ぎも何かの冗談のように感じられた。
軽めの夕食を取り始めた頃、B子の携帯が鳴った。彼女の田舎のお母さんからだった。
しばらく話してるうちにみるみるB子の顔色が変わり、
とっさにB子をC子に預けて携帯を代わり、お母さんに
「差し支えなければ、今どんな話をしたのか聞かせてほしい」とお願いした。
それはとても信じられないような内容だった。
実はお母さんも昨夜から胸騒ぎがして、なかなか寝付けなかったそうだ。
そして明け方近くに目をさますと、若い女性が枕元に立っていて、
「おねえちゃんはもう大丈夫ですよ」
と告げて姿を消したのだという。
最初は夢だと思っていたのだが、どうしても気になるので電話したのだそうだ。
「見当違いかもしれないのですが…」とお母さんは前置きしたうえで、
以前、彼女とそのご家族が、神戸に住んでいたことは聞いていた。
その頃近所にB子の事を「おねえちゃん」と呼んで懐いていた少女がいたのだと。
だが18年前の今日以来、音信不通になってしまったのだという。
あの、阪神大震災で。
ただの偶然だったのかもしれない。
たまたま似たような夢を観させただけなのかもしれない。
だけど真実がどうかなんて、実はどうでもいい気がするのだ。
ここ何日か不安定だったB子は、以来人が変わったように明るくなった。
実は3人のうち一番のスタイルで、人一倍身体のケアやダイエットに余念がなかった彼女は、
大手術の傷痕を鏡で見るたびに、いっそ死ねばよかったと思い始めていたらしい。
だが今回の一件で、辛い事も、苦しい事も、生きていればこそだと考え直したそうだ。
たとえ夢でも幻覚でも、彼女がもう一度生きたいと思ってくれた。
それだけで充分だと、私は思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20120207115431
の続きです。
先週末の金曜夜7時頃、仕事を終えてから所轄の警察署に電話をして
「自殺予防担当の生活相談課の方はまだいらっしゃいますか?」と受付の方にたずねると
「たぶん帰ってます。平日8時半以降にまたいらしてください」とつれない返事をいただく。
しかし先週も先々週も事が起きたのは休日なので週明けまで待ってる余裕もあまりない。
なので家から一番近い最寄り駅の交番に飛び込んで1から事情を説明した。
すると「担当の者はたしかに帰ったが、生活安全課の児童防犯係の人がまだ署にいるらしいのでその人と相談してみてほしい」
といわれ、そのまま警察署へ徒歩移動。
すでに話は通してもらえていたので受付で名前だけ告げると、その児童防犯係の人がすぐに出てきてくれて書面製作開始。
警察「実は、私たちでは保護できません。自殺未遂の場合はまず保健所に通報して、
そこの医師の方が入院の必要アリと判断した場合は強制入院となります。」
増田「誰がその後の注意を払うんですか?」
警察「本来ならば保護者ですが、この場合は同居人である貴方が見る事になります」
警察「お気持ちはわかります、ですが犯罪がおきてない限り私たちは保護できません。
犯罪もおきていないのに保護してしまうと警察権力の暴走だと言われたりするんです・・・」
増田「それでは、自殺をしようとした際に私を突き飛ばしたりした、つまり暴力を振るったという理由で保護は無理ですか?」
警察「暴行罪で告訴をするという事ですか?それで処罰をする事はできますが、処罰を望んでいるわけじゃないんですよね?」
増田「ではどうしたらいいですか」
結局何も解決策を得る事ができないまま夜11時を過ぎて帰宅。そのまま寝る。
翌朝、すでにボロボロになった自分の精神面をケアしてもらうべく、
3ヶ月前に一度おせわになった某メンタルクリニックに行き、無意味だと知りつつも警察でのやりとりを説明。
すると・・・
医者「次もし同居人が自殺未遂に及んだら、110番ではなく119番に電話をしてください。
そもそも自殺未遂を繰り返す事がすでに異常なので、親の承諾を得られたらそのまま入院措置となるはずです」
増田「え?本当ですか?」
医者「はい。もし親と連絡がつかなかった場合は2人目の医者が判断します」
増田「その後は?」
医者「同居人の親が全ての責任を負う形になると思います。増田さんは同居人なので責任を負う必要は一切ありません」
もしまた同居人が自殺未遂に及んだ時は、迷わず119番します。
それがベストの解決策なのかどうかは、俺にはもうわかりません。
ただ、俺はそれで救われるようです。
俺以外の人が救われるのかどうかは、わかりません。
自分は、某会社の某工場で、人事や総務系の仕事をしている社員だ。
マツダの事件、他人事じゃない。うちの会社にもアルバイト、パート、派遣、業務請負、子会社社員、様々な人達が働いているからだ。でも、少なくとも偽装請負や派遣法に沿わない事はやっていないと胸を張れる。社名を出してこれだけ健全ですよとアピールしたいくらいだ。健全なのが当たり前なんだけどさ。
法的には問題は一切無いと言えるんだけど、それでも様々なトラブルが起きる。全くの逆恨みで行動する人なんかもよく出てくる。そのような問題が起きたときの対応なども私がやらなくてはならない。今まで起きた事件、恐らく逆恨みで嫌がらせされたんじゃないかと思われる事件を特定されない程度に脚色して列記してみる。
・大量の紙おむつを敷地内に投げ込まれる(事業系のゴミとして出せなかった。関係者が小分けして自宅で捨ててもらった)
・寿司50人前(部署名、担当者名、会議の名前まで偽装して手が込んでいた。すし屋の被害額がデカイので少しオマケしてもらって買い上げ)
・車体番号が削り取られ、ナンバーが外れた自動車を敷地境界線に跨って放置された(隣接地権者とブツの押し付け合いに難儀)
・某政党の人が、**という事があったらしいんだけど事実関係を確認したいと連絡があった(びびりまくったけど事実無根だった)
・騒音の苦情を市役所、警察、本社に入れられる(毎月、法定以下である事を測定しているので問題無いはずだけど、通報→本当に大丈夫か確認しろ→対応 かなり面倒)
・悪臭の苦情を市役所、警察、本社に入れられる(悪臭はありえない。説明対応)
・敷地内で適切に処理した排水を河川に放流している所にバスクリン?を毎晩投げ込まれる(近隣住民、下流域企業から苦情→排水処理施設の記録公開、説明対応)
・暴走運転する車がうちの工場に入って行ったのを見た。危ないからなんとかしろと毎朝、名乗らない人からの直接通報。白い車しか言わないから特定できず。
・うちの工場が火事だと119番されまくり。(熱源機器の冷却塔からの湯気を見てるらしい。近隣には説明している。通りすがりが携帯からするらしいがいつも同じ人っぽい)
この程度ならどこの工場でもそれなりにあるだろうって事で書いてみた。こういう事って無視する訳にもいかないので対応がとっても大変。自分の本来の業務なんぞなかなか手がつけられない。冷却塔の件はあまりにもしつこいので、多額の費用をかけて湯気が出ないタイプに交換することになった。自分が業務に手を付けられない分、派遣さんを増やす事にもなった。会社としての本来の業務とは別に無駄金をたくさん使う事にもなった。
何が言いたいかって言うと、人をぶっ殺す前に、工場や会社が気に入らないなら、自分の人生を終わらせる前に、出来る事は合法的にいろいろあるよって事。
もうね、マジで困ってるんだよ。会社はとってもクリーンな会社なので、2chでスレが立っても大した書き込みも無い。そっちで困った事は一度も無い。ただコツコツやってくる嫌がらせは本当に困る。とにかく時間を割かれる。川にバスクリンの時も大変だった。無実を証明することは本当に難しい。専門家を連れてきて、ここの工場が廃液を垂れ流しにしたってこんな色にならないと説明しても、難しい言葉で説明されても解らんよ~って言われちゃうとつらい。逆切れしたらそれこそ敵の思う壺だし。
頼むから、もうホント止めて欲しいんだわ。
もし、うちの工場で殺人が起きたら?と思うとゾっとするけど、刑事事件になっちゃったら会社は被害者側になっちゃうんで、実はあまり困らないと思う。もちろん、労働者に対して不当な扱いをしていれば別だけど。でも不当の具合にもよるけど、たぶん世間の平均ブラックレベルであるなら世間はスルー、監督署も警察もスルーだろう。
殺人なんてやっちゃったら、誰も同情してくれないし、きっと己の罪の重さに潰される。会社も工場もあまりダメージ受けない。むしろ同情されちゃうかも。逆恨みの解消にすらならないかもしれない。どうせやるなら上に書いたような事をやっとくんだ。マジでホントに困るから。雇用関係で逆恨みするなら、仲間だった人達じゃなくて、会社や人事を恨むべきだろ。
こんな事を書いちゃって、自分のところに来たら困るんだけどさ、なんつーか、そういう事をやる人達をあまり憎めないんだよ。本当に可哀想な人だったりする事も有るし。実は自分も犯罪までは起こさないものの、今まで派遣で苦労した事もあって、この会社に拾ってもらってからやっとまともな暮らしが出来るようになったってのもあるんだけど。自分もちょっと間違ってたらそうなってても不思議じゃなかった。逆恨みをした事もあるし、頭の中の妄想で会社をぶっ壊したりした事もたくさんあった。たまたま運が良くて今の俺があるんだけど、犯罪までやってたら絶対に今の俺は無いと思う。だから人を殺したり怪我させたりってのは止めよう。逆恨みでそうなっちゃう人って、本来、そう乱暴じゃない人が多い。ちゃんと話をすると出来る人も多い。極端な行動に走る前に話しをしてくれればいいのに、なぜか事後になってしまう。
イヤがらせはホント止めて欲しいんだけど、こっちもスキルが上がってきた。大抵のことはワリとササッと対応が可能になった。このテの対応のノウハウ本を書いてみようと思うほどだ。だから実は、ちょっぴりイヤがらせどんと来いなんだ。たまには違うパターンで来て欲しいよな。と笑うことも多くなった。止めて欲しいんだけどさ。
昼過ぎ、2階の自室でボケッとネットサーフィン(死語)してたら、不意に車の急ブレーキの音と「ガシャン!」という音が。
窓の外を見ると俺の家の玄関前で軽自動車と自転車の接触事故が起こったようだった。中学生か高校生らしい二人組の男子生徒が脛を抱えて道路の真ん中にうずくまっている。
俺はすぐさま携帯電話で119番に通報。そして110番にも通報した。
家を出て様子を見に行くと、どうやら自転車は二人乗りだったらしい。中学生にしてはやたらと長い髪型からして、あまり真面目な生徒ではないようだ。
平日の昼間に住宅地の中を自転車で二人乗りしてる時点で普段の素行の程も知れる。
軽自動車に乗っていたのはごく普通のおばちゃんだった。しきりに悪ガキ二人を心配しているが、肝心の悪ガキ二人は「大丈夫だから」「もう痛くない」と繰り返してそそくさとその場から離れようとしていた。
冗談じゃない。
思わず俺は彼らに割って入り、悪ガキ二人に今すぐに救急車に乗って病院で検査を受け、保護者に連絡を取れと迫った。
二人はさんざん抵抗したが、渋々携帯電話を取りだしてそれぞれの母親に連絡を取り始めた。
救急車が到着した。
二人は乗車をかたくなに拒否したが、集まってきた近隣住民が口々に乗りなさいと言い始めたので悪態をつきながらも乗り込み、救急車はサイレンを数秒だけ鳴らして2kmほど離れた総合病院へと走り去っていった。
その後警官がバイクで現れ、軽自動車のおばちゃんへの聴取が終わった頃、悪ガキ二人のうちの一人の母親が現場に現れた。
息子はどこかと尋ねられ、病院名と大まかな場所を伝えると、母親は信じられない事を俺に言ってのけた。
「息子に余計な事をさせないでください!」
さすがにこれには俺のみならず、軽自動車のおばちゃんも近隣住民も驚いた。
母親曰く、悪ガキが電話した際、すぐに家に戻ってこいと厳命していたらしい。
「あなた、我が子が車にはねられたのに病院に行かせないつもりですか。」
「行かせないとは言ってないでしょ。行かせる必要もないのに無理矢理行かせた事に怒っているだけです。」
「必要がないとどうして分かるんです?」
「電話で本人がそう言っていました。」
「車とぶつかった際に頭を打っているみたいだし、骨も折れてはいなくともひびが入っている可能性もある。医者じゃなければ大丈夫かどうかは分からないでしょう?」
と、こんなやりとりを5分かそこら続けていたわけだが、次第にこっちも疲れてきたので、
「とにかく息子さんの所に行ってあげてください。」
と切り上げようとしたら、「私は息子に病院に行けと言った覚えはありません。だからあなたに迎えに行けと言われる義理はありません。息子は勝手に帰ってくるでしょう。」とまで言い出す始末。
もう何がなんだか…。
ここで俺なら「じゃあ勝手にしろ!後は知らん!」と吐き捨てて家に引っ込む所だが、近隣住民(のおばちゃん達)は違った。
母親を取り囲んでの大説教大会である。それは、加害者であるはずの軽自動車のおばちゃんがいたたまれなくなる程に苛烈なものだった。
もう出る幕じゃないと悟った俺はそそくさと自室に戻り、ヘッドホンを引き出しから引っ張り出して装着し、音量を最大近くまで引き上げてニコニコ動画を開いていた。
駅の線路で男の人が頭から血を流して倒れていた。夜の無人駅で周囲には誰もいない。俺が助けるしかなかった。
怖かった。なにが怖いって当時は少年が公務員を線路から突き落としたって話が世間では持ちきりだったからだ。自分が犯人扱いされるのが怖かった。
でも男の人が何かうめいていた。思考は吹っ飛んで119番。アタフタしていて何を言ったのかすら覚えていない。
近くにおじさんがたまたま通りかかって、こっちに来てみると何か慌てている若者と男性が線路で倒れているというシチュエーション。
考えれば「どう見ても犯人です。本当にありがとうございました」ってなレベルだ。
人のよさそうなおじさんだった。そんなことは後から分かったことなのだが。夜の無人駅は暗い。暗くてどうなっているのかも分からない。
とりあえず何かおじさんは手馴れた感じで、俺と二人がかりで線路からその人を動かす。後から分かったことだがおじさんは介護の仕事をしているらしい。
救急車が来て警察が来た。電車はわずかに30分に1本だから、止まったところで大した問題にならなかったのは幸いだ。
その後で俺は警察の人から質問をたくさんされた。このときに最初の思考がよみがえってくる。
まあそのときは20分くらいして来た電車に乗り、そのまま帰ったわけだが。
その人は助かり、俺は後から表彰された。別に表彰されること自体はどうでもよかったのかもしれない。
ただ、おじさんに「ありがとう」と言いたかった。
そのときに聞いた話だけれど、最近は俺みたいに通報する人は少ないらしい。見て見ぬふりをする人が多いんだそうだ。
そうして助かったはずの人が何人も、いや数えられないくらい死んだのかもしれない。
理由は色々とあるのだろう。俺と同じ理由かもしれないし、単に面倒くさいからかもしれない。どうなんだろうな。
でもこれって、俺も含めてみんな動物になっているってことなのかもしれない。ひたすら冷徹に考えれば、通報したのが正しかったのかはわからないけれど。
そうじゃないんだ。感情の方がよっぽど人間にとって大切な持ち物だと知ったような気がした。
昔がよかったとか言うつもりはない。昔のことなんてどうでもいい。
ただ。みんなも一分の優しさでもあるならば。そんなときには通報してほしいんだ。