はてなキーワード: 男尊女卑とは
女性差別だとか、男から女への性犯罪だとか、そういう男尊女卑構造の一端として紹介される情報は子供のころから散々入ってくる。
それが長年蓄積され、男としての罪悪感は少しずつ刷り込まれる。
ネットに触れると、それが顕著になる。
「女は基本的に男が嫌い」
「男は性犯罪者予備軍」
自分だって性犯罪者には腸が煮えくり返るような思いなのに、そんなものと、男というだけで同一視されることは耐えられない。
でもトータルで見ると女性のほうがよほど理不尽な目に遭うこともわかっている自分もいて、ある程度しょうがないと思うしかなかった。
身内やネットの見える範囲での女性蔑視的な発言を批判するぐらいが精々だ。
社会的な運動に参加するような気概もない、自分は自分で人生に余裕がない。
だからせめて、女性には自分から好意は抱かないようにしようと、明確に考えないまでも、そういう心理状況だったんだと思う。
助力はできなくとも、せめて「自分に好かれる絶望」を与えることだけは避けたかった。
そういう人生を送ってると、「なんで彼女作らないの?」とか、「同性愛なの?」なんてのはさんざん聞かれた。
自分は加害者属性だからです、などと言えるワケもなく、ヘラヘラして誤魔化した。
女性に好意を示さないことがよほど奇異に見えるのかもしれないが、それは「自分に好かれる絶望」の可能性を否定する何の根拠でもなかった。
身体的な性被害にも遭ったけど、男が女に性被害だと訴えるなんて、「かわいそう」なので、あり得なかった。
その後、色々あって幸運にもある程度救われることにはなるんだが、それでも自分が先行して女性に好意を示すことは、今後一生無いと思う。
たとえ自分の10000倍女性を救って生きているであろう人間だって、時に「男」として一括りに罪を負わせられる。
「お前を責めているワケじゃない」なんて声には今更何も感じない。
そんなものより、今まで降り積もってきた色々な言葉が胸に重く残っている。
病気なのかもしれない。でもそんな病気みたいな人間が醸成される環境が確かにある。
それでも、それが本当に男尊女卑の撤廃の過程に必要なものなら、と思うところもあった。
ただ、このところ、似たような男性の苦しみが吐露されると、決まってぶつけられ支持される文句があって、どうにも耐えられなくなってきた。
というやつだ。
彼らこそ、選んで生まれたわけでもない男であるというだけで、人間である前に「男」として見られ、罪を負わせられてきたのに??
…何が言いたいのかわからなくなってきたけど、一個だけ。
属性全体への呪詛というものは当然、大半の罪もない人間にぶつかり傷付けることになる。
せめて、それぐらいは覚悟して投げかけるべきだと思う。
anond:20180822194429で「現代社会では女も男を性的消費している」という話が出ている。
完全に同意する。ananは性的消費そのものだ。セックス特集で表紙に裸の男性が出ている、それのどこが性的でなく表紙俳優が消費されていないというのか。
でも性的消費自体は悪いことではない。悪いのは「性的消費」される「架空のキャラクター」を見て自己同一視した結果勝手にショックを受けて震えてるツイフェミだ。
女性は共感が強いらしいから、自己同一視するのも仕方ない。ツイフェミは「架空のキャラクター」の立場から、性的に消費されていることへの嫌悪感を感じ取ったのだろう。
問題は、ツイフェミがどうしてこれだけ激しい嫌悪感を抱くのかということである。
増田はHカップの女(顔は最悪)なので顔は最悪だが首から下を見られる=性的にまなざされることはある。見られて「見てんじゃねーよ」とか「胸見てニヤつくなよキモイな」とか思っている。
でも一瞬思うだけで(そして思い出し怒りをたまにするだけで)、ツイフェミのように献血ボイコットだとか表現規制だとかはしようと思わない。むしろ巨乳表現に対する社会の寛容が進み巨乳は正義だとなってくれた方が増田大勝利だからだ。増田はHカップのかわいいブラジャーが増えたり巨乳向けファッション特集が各誌で組まれたりしてほしい。
で、ツイフェミがあれだけ「性的消費」憎しでヤバイ発言をバンバンするからには、ツイフェミを突き動かす衝動があるに違いないのだ。
そこで、増田はツイフェミの生育歴を調査したい。増田の仮説によれば、女性ツイフェミは①幼少期より男尊女卑思想の両親のもとで虐げられた(男兄弟より悪い扱いを受けた)か②性嫌悪の両親(特に母親)のもとで「色気づくな」と言われてきたかのどちらかである。じゃないと巨乳とか萌えキャラとか、ツイフェミの言う「男に媚びる表現」をここまでバッシングしないだろう。
脈絡?何それ美味しいの。
毎日毎日隙あらば、自分の黒歴史が延々と脳内再生され続けるのが「普通」だと思ってたし
無意識のうちに、ブツブツと「気持ち悪い気持ち悪い!(自分)死ねばいいのに!」と声に出して
さては、これはいわゆる「自己肯定感が低い」とかいうやつだな?
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昔読んだエントリー?で「普通の人は黒歴史が脳内を延々ループしたりしない」って見かけたけど
……それマジなん?
いやまあ、100歩譲って、それはわかるけど。
もしかして、「普通の人」って自分に対して何度も何度も「気持ち悪い気持ち悪い、死ねばいいのに」って
呟いたりしないものなの?マ?逆にみんなどうしてるの?
流石に人前では呟いたりしないけどさ。
朝化粧してる時、運転してる時、会社のトイレで…ふとした瞬間に黒歴史を思い出すわけじゃ無い?
もう口から無意識に「気持ち悪い気持ち悪い死ねばいいのに!」って滑り落ちちゃうよね。
あまりにも無意識すぎるし実際私は気持ち悪いし、それが普通だと思って生きてきたけど
ここ数年で「自己肯定感が低い」とか「自己肯定感を高める」とか、いろいろ見かけるようになったよね。
でも、よく耳にする「自己肯定感が低い人間」というのは、なんだかんだできっかけがあるようにおもう。
そういう何か「きっかけ」がある人の話を見聞きすることが多いので
なんというか、明確な「きっかけ」「原因」もないのに、自己肯定感を育てられない私はなんだか肩身が狭いなあ。
特別、両親が不仲だったりするわけでもないし。
(同居の祖父とは家族仲が悪いので、いつか殺人事件が起こるだろうなとは思ってるけど)
(幼稚園〜小学1年時にいじめられたけど友人は1人くらいはいたし、転勤族で転校したので大した記憶がない)
過去に何かひどいこと言われてトラウマになっては……いるけど、それは社会人になってからだし。
(よくあるブラック企業の人格否定的なね。今はもう転職したけれど)
つらつら〜と考えてみたけど明確な「きっかけ」は無い気がする。
でも逆に、自己肯定感を育てるような「きっかけ」もなかった気がする。
まあ、教育指針なんて大袈裟なものでは無いけども「子供に期待しない」というのがある。
母曰く「親に期待なんてされたら、重荷になるでしょ」という配慮のようだった。
そのため、私は小学校のテストで満点を取っても「フーン」としか言われなかったし
高校のテストで赤点ギリギリをとっても「所詮あんただからね」と怒られなかった。
失敗しても成功しても、努力してもしなくても、怒られることもなかったが褒められることも無かったし
親は口癖のように「所詮あんただからね(出来なくて当然)」というので
私が出来ないのは当たり前だし、出来るようになれないし、そんな価値もないんだなあと思って生きてきた。
男尊女卑が根強いど田舎なので、姉の私は口ごたえしたら体罰を受けたが弟は受けなかった。
父は怒ると手や足が出るのだが、弟が怒られている場面でも叩かれているのを目にしたことは
一方私は事あるごとに蹴られたし、頻繁に首を絞められた。
幼心に「なんで私だけ」「同じことをしても弟は殴られないのに」と思ってたし
何しても、私は否定されるんだなって思ってた。
いまでも弟のことは嫌いだし、お互いに最低限の干渉しかしない。
3つ目に…これは関係ないと思うけど、家族みんなドライなところ。
社会人になってからは、母には親孝行も込めて誕生日プレゼントをはじめて渡したりしたけど
父には一度も渡したこともないし、祝ったこともないし、誕生日もよく覚えてない。
別に仲は悪くないんだけど。
好きなアニメや漫画の話もするし、ペットの画像を家族グループラインで送り合ってるし。
情緒的な部分が全くないから、人を祝ったり褒めたりすることがよくわからない。
ああ、あとスキンシップも皆無。
流石に幼稚園の頃は手を繋いだ記憶あるけど(危ないしね)それ以降は特にないな。
えーーーー何の話だっけ?
いや違う、自己否定繰り返してるって話。
うーーん、なんかもうよくわかんないな。
身の程を弁えてるだけ、なんだけどね。
ぶっちゃけ今の日本の恋愛自己責任競争社会教は一種のカルトだし
これからの時代は、一部の増田たちがいうように「自分たちはそういうのは嫌だから競争に参加しない生き方を模索したい、もしくはほどほどに」っていう価値観も普通にありだと思う
ただ、大半の増田を構成する意識高い系や、ポリコレ棒振り回すフェミ女増田の場合は労働や恋愛競争に対しては、いろいろと新しい価値観に飛びつくくせに
男は典型的な男尊女卑的で家父長制的な古臭い女性観で、女はもはや狂気としか思えないほどの感情論でシンデレラ症候群の価値観になっている。
付き合った異性に自分の時間や愛情や金も与えない、お前が俺(私)に全てをささげてよとめちゃくちゃなことをいうのならば
それと引き換えにマトモな価値観の人間との結婚や結婚生活や恋愛も諦めるのが筋なのに
未練たらしく性格がよくスペックも高いイケメンや美少女などに、旧来のリア充的な幸せや恋愛模様や結婚生活を得ようとするために、政治問題だ、結婚相手に酷い愚痴や態度を振りかざして実害を出すレベルにまで暴れまわる。
はっきり言って、そんな美味しい所取りの都合いい考えが通る訳ない
ちゃんとした異性と結婚したり、ちゃんと結婚相手と円満な関係を築きたいのであれば、異性に自分の時間や愛情やお金を与えなきゃいけないし
自分は何も与えず恋愛相手や結婚相手である他者の全てを支配したい、都合のいい女や男だけが欲しいというのであれば、AK47か拳銃持って、得意のIT知識を悪用駆使してイケメンや美少女を連れ去って洗脳するとかいう犯罪レベルのことでもしないと無理だし、当然それは(そんなこと増田がやり遂げられるのであれば)サブマシンガンや警棒持った警察の凄い特殊部隊含めて、犯罪者として国家権力と戦う道を選ぶしか存在し得ない。
こういう増田みたいな連中の異性をリードして生きる以上は負うべき責任や義務、与えるべき物全てを回避しつつ、都合のいい女性や男性や、子供や弱者の前ではふんぞり返っていたいという
skgctom 仰る通りな。間違いなく女にだけ年齢上限を設けるし「母親としての資質を重視()」して、知的/発達障害、持病、遺伝性疾患のある女はくじ引きの対象から外すだろうね。恋愛における個人の選別を差別と罵った同じ口で
相手が言ってないのに想像で叩くのってKKOだけじゃないんだな
安心した
tick2tack そういう人多いね。”「男尊女卑」が” でなく当てこすりかと https://tinyurl.com/y3pmosqg "本気でメンズライトの確立を目指しているというより、フェミニズムが嫌いでそれに対する当てつけのようにメンズライトを唱えている"
それはつまりフェミニズムが「相対化されてない」ってことなんだよね。
例えば土建団体に福祉の充実を訴えるのは間違ってるって誰でもわかる。
なぜなら、
じゃあフェミニズムはどうなのか?っていうと、結構曖昧だと思う。
女性のための活動であるのは間違いないが、「道徳」という汎人類的な価値に訴えてるところもあるから。
それをうまく利用して、
だから、
みたいな広報活動をしているよね。
まぁあえて
たとえ数値データが不完全であったとしても、フィールド言説分析の結果から男性オタクの男尊女卑性は社会学的に自明。
よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても
2007年の練馬区の若者においては、漫画やアニメが好きで二次創作を好む男が
twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタクの女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見が対立していることはどのくらい知られているのだろうか?
ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!
あの棒グラフの出典は、社会学者の北田暁大による若者と趣味に関する研究の一節である(北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者の山岡重行による研究である。山岡は2016年の単著において腐女子を心理学的に分析し、腐女子の恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。
山岡の研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージが存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクからも否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと(山岡 2016: 99, 132)などは、オタクのあいだでは公然の事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタクと腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイスは大きなお世話というかクソバイスの極みであり、腐女子の心理について質問紙調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品の構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡はデータに基づく研究の重要性を主張するが、物語の構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法を採用する必要があるはずだ。心理学の実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。
では、それを批判した北田の研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ。
まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田が依拠しているのは、2010年に練馬区の1988年~1990年生まれの男女に対して行った調査である。つまり、2020年現在のアラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者の趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。
北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究で提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作的定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。
北田はまずオタクの操作的定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガがきっかけでできた友だちがいる」や「アニメがきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタクは大勢いるだろうがコンテンツがきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者と趣味というテーマを掲げていて、趣味と人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタクの定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!
そして北田は、上記のような質問で定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまり、オタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガの二次創作(同じ登場人物で、原作のストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、『銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典はマンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作はマンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品の二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。
さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク(女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク(女性非二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまり、BL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BLや一次創作同人専門の読み手で二次創作に手を出していなければ「女性非二次オタク」である。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラが無駄に淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックにイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作」である。種つけおじさんレイプと百合を区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。
だが北田の定義のおかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子』概念は存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???
言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CPや百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田が研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。「BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作的定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からもtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?
さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性≒ディープな男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープなオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクはディープなオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。
総じて、北田の研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである。二次創作が好きな人とディープなオタク/腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくまで論理的には一対一で対応しているわけではないのだから、ディープなオタクを定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子を定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に、客観的な測定が困難な「ディープなオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。
少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作的定義はあんまり見当たらなかったのに、北田の論文の操作的定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんなグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作的定義がおかしいんだもん。
で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田に反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作的定義のおかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。
最後に、北田と山岡のどちらの研究もおかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。
北田のデータは練馬区の若者から採ったものであり、山岡のデータは都内の複数の私立大学の学生から採ったものである。つまり、東京圏に居住しているか、通える距離に住んでいる若者のデータに偏っており、さらに後者は大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化の拠点が東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味に学歴が及ぼす影響を考えると、「東京圏の若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクのサンプルに過ぎず、オタクの代表例とも若者の代表例ともいえない。
とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪や札幌などの東京以外の大都市圏)からもサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢の非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないからイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。
それと、北田も山岡も統計的データを重視しているので、あえて質的な研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究も当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタクは自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタクや腐女子が自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問紙調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者の営為を無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化そのものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。
いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作的定義を見てると、彼自身がオタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田の定義はトンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああいう定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。
あと北田の研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田の研究は別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……
よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても
2007年の練馬区の若者においては、漫画やアニメが好きで二次創作を好む男が
これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡が批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。
ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。
続きはanond:20200722142616で。
「中身の幼さ」という謎フレーズ好きよね
逆に大人とは?偉大な科学者であるアインシュタインは増田の基準では大人?
子どもっぽさが賢さのもと?〜日経サイエンス2009年10月号より
http://www.nikkei-science.com/?p=16865
アインシュタインは偉大な科学者だがこんなヤツばかりでは社会は破綻する
書ききれないクズ伝説 (ほかにも盛り沢山)
- 親日家・平和主義者的なイメージがあるが、人種差別的な言動の記録が複数残っている(https://www.bbc.com/japanese/44477861) 「黒人差別はいけない、彼らは優れたアーティストだ」と言った口で人種差別的な言動を繰り返していたフランク・シナトラのような“極めて西洋的な白い寛容”ともいうべき矛盾と欺瞞に満ち満ちたものが実際だったと推測される
「旦那」という言葉の語源を理由に夫婦関係を表すのに相応しくないというけど、言葉の意味は変化するってことにも目を向けてほしい。
丁稚奉公がほぼなくなった現代では「旦那」って言葉はシンプルに「配偶者」を指す言葉に変化している。
女性が「うちの旦那がさぁ・・」みたいに話しているからといって、うちの家庭は男尊女卑です、みたいなニュアンスは全くない。
「パートナー」は現代でも夫婦関係以外に使える場面が多すぎるから「配偶者」を分かりやすく示す言葉としては向かないし、
むしろそれを使うことで「男女は平等であるべき」という思想が会話に乗ってしまう。色々な意味で使いづらいと思う。
話はちょっと変わるけどさ
欧米で「パートナー」という言葉が男女関係を指すようになった当初は、「事実婚しているカップル」とか「同棲をしているが性関係はない男女」とか、そういう「結婚」という枠ではくくれない関係を指していたらしいじゃん。
2人がどういう関係か他人に説明したくない時に使う「隠語」のようなものだったから、多義的なニュアンスがむしろ相応しかったんだろうね
それなのに「夫婦は対等であるべき」という思想を持つ人たちが後付けで「夫婦=パートナー」という風に使いだしちゃったもんだから、わりと本末転倒感があるんだよね・・・思想がまず先に来て、言葉の使いやすさは二の次というか・・・
「旦那」を叩くのに語源を理由にするなら、むしろ俺は「パートナー」という語のここ最近の歴史的経緯を鑑みつつそっちを叩かせてもらうよ。